Sunday, December 07, 2008

早明戦

12月7日、日曜日。
名古屋市美術館で企画展『ピカソとクレーの生きた時代』を鑑賞。その後、丸善あたりをぶらついてから、夕方自宅に戻って、録画しておいたラグビーを観たのだけれど、非常に素晴らしかった。(ピカソの作品も勿論素晴らしかったけれど。)

関東大学ラグビー対抗戦 最終節
明治大 24-22 早稲田大(14:00K.O.@国立競技場)

「メイジ」の魂というか、気迫は凄まじかった。
明治大のゲームを観るのは3試合目だけれど、今までとは全く違った。
自分達のプライドを意地でも守り抜いてみせるのだという強い意志を感じた。
「存在証明」というと大袈裟かもしれないけれど、それだけの迫力があった。

まさに学生ラグビー、それも「伝統の一戦」ゆえの劇的な展開。
「学生ラグビー」というものの魅力/怖さ/可能性、色々な要素が詰まっていた。
「勝つことでしか自分達の4年間は証明できない」とでもいうような、明治の4年生達の闘志溢れる突進と激しいタックル。「俺達は明治なんだ」と叫ぶような接点の激しさと執拗なコンテスト。本当に素晴らしかった。
ゲームコントロールには粗さもあったし、幾つか致命的なミスもあったと思うけれど、彼らの信念を覆すほどには致命的ではなかった、ということかもしれない。

こういう試合を、東大ラグビー部の皆にも観てもらいたい。
きっと観ているとは思うけれど、自身の闘争心に照らしながら観てほしい。
気持ちだけじゃないのは事実。
でも、気持ちがこれほどまでに劇的にチームを変えてしまうこともある。
これだって、紛れもない事実だ。
早稲田のメンバーも、きっと闘争心を持って臨んだはずだ。慢心していた訳でも、気を抜いた訳でもないと思う。でも、本当の意味で崖っ縁に立たされた人間が開き直った時の「強さ」が、早稲田フィフティーンを凌駕したのだと思う。

勿論、伏線はあったはずなんだ。
1つは、明治のメンバーはやはり底力を持っていた、ということ。
もうひとつは、開き直った時に立ち返る場所(「前へ」)があったことだと思う。
信念のある学生チームは、ここぞという時に強いね。
時には信念が制約となり、柔軟性と創造性を失わせてしまうこともあるけれど。

さて、幾つか気になったことがある。
あくまで結果論に過ぎないし、現場には様々な思惑があるのだろうけれど。

後半に入ると、早稲田は次々とメンバーを交替した。
一方の明治は、怪我による交替の他には、PRを1人替えただけだった。
早稲田は何故、交替カードを切ったのだろう。
疲労したスターターを替えて、チームに勢いを与えようとしたのか。
あるいは、タイプの異なる選手を投入して、流れを変えようとしたのか。
でも、こういう試合においては、もう1つの重要な要素として「メンタリティ」を考慮しても良かったのではないかと、個人的には思ってしまった。
早稲田のリザーブは、劣勢の状況で投入された経験は殆どないだろう。
更に言えば、今季の戦績を見れば、敗北など誰1人として予想していなかったはずの大舞台「早明戦」での劣勢だ。そう考えると、多少酷な場面だったかもしれない。
リザーブの選手達の性格や特徴を何も知らないので、勝手な推論になってしまうけれど、レギュラーのプライドに託した明治とは対象的だった。
ただし、4年生は別だ。
大学ラグビーにおいて、4年生の心意気は特別なものだと思う。
その意味では、上田選手の投入はむしろ遅いのではと思ってしまったけれど。

一方の明治は、メンバーを替えなかった。
それは、スターターのプライドを信じ抜いているように感じられた。死ぬ気で闘っているレギュラー15名を、1人として替えられない。彼等に失礼なことは出来ない。そんな思いがあったのではないかと、勝手に想像してしまう。
結果的には、これは正解だったと思う。明治フィフティーンは、チームの期待に応えた。疲労困憊の状況でも、最後まで前に出続けて、死力を尽くして闘った。
偏った見方かもしれないけれど、そう思いたくなるようなパフォーマンスだった。

勝手な意見で、関係者には本当に申し訳ないけれど・・・。
色々な意味で、心を打つゲームであり、学ばせてもらったゲームだった。