Sunday, November 03, 2019

RWC 2019 - 感動の終幕。そして今、思うことを。








興奮、歓喜、そして感動。
心震わされる44日間は本当にあっという間だった。改めて、今回のラグビーW杯においてアジア初となる日本開催が実現したことに心から感謝したい。この素晴らしく感動的な瞬間を夢見て、10年以上前からW杯招致活動に尽力されてきた多くの関係者の熱意と献身的な努力を思うと、もう本当に言葉がない。予選プール4連勝で初の決勝トーナメント進出を成し遂げたジャパンの躍進が本大会全体を多いに盛り上げたのは勿論のことだけれど、ラグビーW杯という国際イベントを成功裏に運営するためには、数え切れないほど多くの人間のサポートがあったのだということは、ずっと忘れずにいたい。

決勝トーナメントは、文字通り全ての試合が最高だった。
スコアだけでは表現できない均衡と緊張。興奮と熱狂。極限状態ゆえのプレッシャーと苦悩。同様に、極限状態で研ぎ澄まされた感性が導く圧巻のパフォーマンス。Quarter Final以降の全てのゲームは、そういう諸々が常に繊細なバランスの中で揺らめいて、グラウンド上で起きる全てのことから一瞬たりとも目を離すことができないような、本当に濃密なゲームばかりだった。最終的に、イングランドを破って通算3度目となるウェブ・エリス・カップの栄冠を手にした南アフリカ(SA)には、心からの賛辞を贈りたい。ジャパンを破ってブライトンの雪辱を晴らしたあの一戦を経て、セミファイナル、そしてファイナルとずっと進化し続けたSAは、本当に素晴らしいチームだった

本当は、今回のファイナルだけでも書きたいことは山ほどあるのだけれど、とりあえず今この瞬間は、今回のRWC 2019を通して俺自身が感じたことを総括してみたい。なぜならば、今回のW杯が教えてくれたこと、あるいはこの44日間が観る側の人間の胸に突きつけてくるものを、単なる「感動」の一語で片付けてしまうことなど到底出来ないからだ。

まず第一に、メンタリティとチームマネジメント。
今大会で言えば、ジャパンの躍進自体がそうだった。開幕戦の緊張。失うものなく、ただシンプルにフォーカスすれば良かったアイルランド戦。自信を過信としないモチベーション・コントロールが求められる難しい局面を、積み上げてきた地力で凌駕したサモア戦。そして、おそらくジャパンの完成形で戦おうという意識、自分たちの強みへの明確なフォーカスを結果に繋げたスコットランド戦。1つひとつのゲームで、その瞬間のモメンタムの中で、チームの置かれた状況をふまえてチーム・パフォーマンスが最大化されるようにメンタリティのベクトルをセットしていく。インターナショナル・レベルにおいても、この部分の重要性が極めて大きいということが、今大会を特徴づける側面の1つだと思う。その意味では、ジャパン史上初の挑戦となったQuarter FinalでのSAとの再戦も、この文脈から読み解いていくことが出来る。この4年間、ベスト8を目標に戦ってきたジャパンに対して、SAの選手たちは、メディアから「W杯での目標」を問われることさえなかっただろう。SAにとって、優勝以外のゴールなど最初から存在しない。それこそが、ジャパンを寄せ付けなかったSAの本物の強さであり、こういう部分も極限のゲームにおいては非常に大きなファクターとなってくる。アイルランドを完膚なきまでに封じ込めたNZが、セミファイナルでは鉄壁のイングランドを前に翼をもがれ、自分たちが支配してきた自由な空を見失う。そして、そのイングランドさえも、ファイナルではまさに完成形と言っていいフルスロットルのSAの圧力に屈し、自分たちの強みを存分に発揮することができないまま散ることになる。結局のところ、それがW杯という舞台なのだと思う。いつも同じことを書いているが、W杯とは人間の戦いなのだ。

人間の戦いという意味では、ベテランの存在というのも今大会では目を引くことが多かった。ジャパンでいえば、田中史朗だ。後半の重要な局面で登場して、その瞬間に求められるゲームコントロールを、豊富な経験に裏付けられた絶妙な手綱捌きでリードしてくれる田中の存在が、チーム全体をどれほど救ったことだろうか。そして、忘れてはいけないトンプソン・ルーク。姫野もムーアも、稲垣や具智元も、ジャパンのFWはもう誰もが素晴らしかったが、やはりトンプソンは外せない。38歳であれだけの仕事量をこなし、比較的経験の浅い若手メンバーも鼓舞し続ける献身的なリーダー。この2人の存在感は、今回のジャパンを総括する上で決して外すことができないキーファクターだ。その意味では、例えばSAにはフランソワ・ステインがいた。2006年代表デビューの32歳。迫力満点のプロップ、「ビースト」ことムタワリラも初キャップは2008年のベテランだ。こういう選手の存在感は、大舞台では実はチームの安定、あるいは冷静と情熱の舵取りにおいて大きな影響力を持ったりするものだ。逆の意味で、セミファイナルで涙を飲んだABsは、チーム全体が若さの側に振れ過ぎたという評価を耳にすることも少なくない。ジョーディ・バレットは可能性に溢れた素晴らしい選手だが、どうしてもベン・スミスにいてほしい瞬間というものがある。例えば、そういうことだ。他にも、大会全体でみれば残念ながら大きな注目を受けるまでには至らなかったかもしれないが、例えばオーストラリアのアダム・アシュリークーパーや、サモアのトゥシ・ピシなども見事なパフォーマンスで健在ぶりをアピールしていたのは、個人的には嬉しかった。

もう一点、具体的なプレーに関して言えば、やはりブレイクダウンの攻防だ。これは、セミファイナル、そしてファイナルと続く一連の戦いの中で、個人的に最も考えさせられたポイントでもある。

イングランドがNZを見事に制圧した準決勝。イングランドの勝因、そしてNZの敗因を分析する論評は数多く、またこのレベルの戦いにおいてわずか1つの原因で全てを語り尽くすことなど到底不可能なのだけれど、俺が見ていて最も印象的だったことの1つはイングランドの「寄りの速さ」だった。アタックの局面において、キャリーに対する2nd Arrivalのプレーヤーが極めて早く、キャリアーが孤立する局面が殆どなかったように記憶している。ABsは非常にスマートであるが故に、あそこまで2nd Arrivalが早いとラックでバトルせずに、アライメントを優先するのだけれど、それが結果としてイングランドのテンポの遠因にもなっていた。ボールを下げずに、ブレイクダウンでは一切絡ませない。この起点が止まらないために、NZのアライメントをイングランドのテンポと激しさが凌駕する。もちろんイングランドが見せた圧巻のプレッシャー・ディフェンスも素晴らしく、ゲーム全体で見ればABsらしさを完全に封じ込めた「ディフェンスの勝利」ということもできるのだが、俺としては、あのブレイクダウンの攻防が生命線の1つだと考えていて、ファイナルでSAがブレイクダウンをどう仕掛けるのかは、当然ながら非常に気になっていた。そして、ファイナル。SAはやはりSAだった。タックル自体は勿論のこと、ブレイクダウンも圧力で押し返す。SHのデクラークあたりがDFラインを押し上げて、アタックがたまらずインサイドに潜れば、強力なFW陣がパワフルかつ正確なタックルで仕留めていく。外まで綺麗にアライメントすることよりも、インサイドの圧を優先して、そこを支配すれば外側はどうにでもなるのだと言わんばかりの迫力が、80分を通して貫徹されていた。この2試合で起きたことは、おそらく今後の世界のラグビーの潮流に少なからぬ影響を与えていくような気がしている。

RWCの魅力は本当に語り尽くせないほどで、こうして書き連ねていても、自分自身の言葉の足りなさを思うばかりだが、この44日間がくれた感動を、今度は自分自身のラグビーに生かしていきたい。HCとして携わる東大ラグビー部の未来にも、そしていつも一緒にTVでラグビーを観てくれる我が子の未来にも。