Tuesday, December 27, 2011

メンタリティの綾

ようやく大学選手権2回戦のチェックが完了。
帝京大vs同志社大を観ていないのは、結果を知った今となっては残念だけれど、残り3試合も全て見応えのあるゲームだった。大学ラグビーには、やはり独特の魅力があるね。
筑波大、天理大がいわゆる「伝統校」を破って準決勝に駒を進めた訳だけれど、どちらのチームも「勝てるかも」という雰囲気は全くなかった。グラウンド上にあったのは、「伝統への挑戦」みたいな淡いものではなくて、ただもう「勝つ」という明確な意志だった。
その意味では、ゲームセットの笛が鳴った瞬間の筑波大メンバーの歓喜は印象的だった。創部初の国立がかかったゲームが、重くないはずがない。それでも、キックオフの笛が鳴ってしまえば、もう眼の前の相手とボールが全て。80分間の死闘を終えて、重みから解放された瞬間に喜びが弾けた姿を見ていて、彼らはとても成熟したメンタリティを持って闘っていたのだろうなあと感じた。

ゲームとして最も揺れ動いたのは、早稲田大vs関東学院大だ。
どちらに転んでもおかしくないゲームだった。
関東学院大は、リーグ戦での東海大への惜敗を見て、選手権では化けると思っていたのだけれど、まさに荒馬の本領が出てきた感じがする。いまや伝統になってきた感のあるFW勢の大きなストライドでの突進は、他のチームには意外と見られない魅力だ。大学ラグビーのシャローディフェンスはやや飛び込み気味のタックルも多いので、膝を高く振り上げたワイルドなランニングは、比較的有効なスタイルかもしれない。やや不用意なミスと反則が多いのは気になるけれど、天理大は比較的闘いやすい相手になるだろう。準決勝までの約1週間でも、まだ成長してきそうで楽しみだ。

早稲田大は、惜しまれる敗戦となってしまった。
discipline(規律)のしっかりした非常に良いチームだったと思う。キックに対する戻りの早さ、ラッシュすべきポイントへの反応などは抜群で、本当に良く鍛えられているなあと感じた。
ただ、個人的にちょっと気になったプレーが2つあって。
1つは、後半早々に敵陣での連続攻撃からSOの小倉選手がDGを狙ったこと。
正直な印象としては、意図が分からなかった。関東としては、仮にDGが入っていたとしてもむしろ結束したんじゃないかなあ。「やつらは、俺たちのディフェンスを崩せない」って。
早稲田大の今シーズンの最大の価値は、「スコアまでの射程距離」だったと思うんだ。時間帯とエリアを問わず、隙さえあれば一瞬でトライラインまで持っていく迫力。少なくとも、その雰囲気を常に漂わせているライン。それは、帝京大にもない早稲田のオリジナリティだったと思うのだけれど、あの場面でのDGという選択は、ほんの少しだけ、その雰囲気に曇りをかけてしまったかもしれない。
もう1つは、関東学院大がゴール前のドライビングモールからBKに展開して奪った2本目のトライの際に、早稲田大のラインディフェンスがアップしなかったこと。相手の展開に合わせてディフェンスコースを取っていく選択をして、そのまま外を走り切られてしまった。
あれも、ちょっと意外だった。早稲田こそ、あの場面はシャローしてくると思っていた。
早稲田大は、ルースフェーズでは全般的によく出てディフェンスしていて、相手SHがボールに触れた瞬間の出足は大学トップクラスだと思う。まさにdisciplineの世界だ。つまり、能力としてシャローできないチームじゃない。そこが非常に考えさせられるポイントで、あの場面で、早稲田大のラインディフェンスは、能力以外の要素で足が止まったのだと思うんだ。
結局のところ、それって何だったのだろう。グラウンドに立っていたメンバーの心の中にしか答えはないのかもしれないけれど、そういったとても小さな綾が、スコアを決めていく。
シャローしたら止められたかどうか、それは分からない。
こういのは、どこまで行っても結果論でしかないと思っている。
でも、ゲームの流れを支配する両チームのメンタリティのせめぎ合いの中で、それはワンプレー以上の意味を持っていたのかもしれないと思ったりもする。特にノックアウト・ラウンドの大学選手権においては、そういう側面は強いのかもしれない。
(出場したことがないので、想像でしかないけれど。)

でも、それでもやはり、早稲田大はとても良いチームだった。
それは、間違いないと思います。

Monday, December 26, 2011

2D:4D比


ちょっと気休めのトピックを。
名著『競争と公平感』で有名な大竹文雄さんのblogによると、人差し指と薬指の長さの比率(2D:4D比)と大相撲力士の昇進との相関についての研究があるそうだ。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/142212/126445/70979511

パートナーによると有名な話のようだけれど、なかなか興味深い研究だ。
要するに、相対的に薬指が長い人ほどパフォーマンスが高い傾向がみられる、ということなのだけれど、一見してスポーツ能力とは何の相関もないように思える2D:4D比に着眼して、統計的に有意な傾向を導出するというのは、やはりアクロバティックで面白い。2D:4D比の差異に影響を与えているというテストステロンは、筋肉増大作用を持つ男性ホルモンなので、そこからスポーツ能力全般との相関へと研究が展開されていったのかもしれないけれど、胎児期のテストステロン曝露量が生後のスポーツ能力にある程度まで影響してしまうというのも、人体の神秘であり、また奥深さということなのだろうか。(胎児期のテストステロン曝露量というのは、どのような要因で決まってくるのだろうか。それが見えてくると、妊婦の過ごし方も変わってくるのかもしれない。)

ちなみに、自分自身の2D:4D比は見ての通りです。
パートナーの評価としては、「男性の割には、薬指が短いね」とのこと。
ラグビーが上手くない理由の1つかもしれません。

Monday, December 05, 2011

早明戦

さて、昨日の早明戦。
終始スコアで先行される苦しい展開の中、土壇場で勝利をさらったのは早稲田だった。
結果的にゲームを決めることになった明治の最後の反則は惜しまれるけれど、ワンプレーが全てを決めるような試合ではなかったと思う。80分間にわたってお互いが持ち味を如何なく発揮して、小さなゲームの綾を奪い合った末のラストだった訳だからね。
好ゲームだったと思います。

両チームは、この先どこへ向かっていくだろう。
多少なりともコーチをしている身としては、そのことがとても気になっている。
特に、早稲田だよね。選手権に向けて、彼らは道筋をどのように捉えてくるかなあと。

きっと、明治はシンプルだ。
実際に、明治の方が修正点も明確だ。彼らは自分達の強みを理解している。自分達は、そこで徹底的に勝負するしかない、ということもよく分かっている。あとは、強みが発揮されるエリアでのマイボールを増やすこと。そして、相手のテンポを殺すために、ファーストタックルの精度を更に高めること。端的に言ってしまえば、それだけでいいような気がする。
メンタリティとしても、チームの心をまとめやすいのかもしれない。
「君達はよく戦った。でも勝負の神様が微笑むには、まだ2点足りなかった。それでも君達は、もう一度戦う舞台を勝ち取ったのだから、国立でこの2点分を取り返そう。」
きっとそんなメッセージが、吉田監督から投げ掛けれらているんじゃないか。
まあ、勝手な想像だけれど。

早稲田は、もう少し難しい舵取りを迫られている気がする。
おそらく早明戦というのは、それだけで独立した1つのゴールでもあると思うんだ。
苦しみながらも、まさに土壇場でゲームを引っくり返した早稲田の選手達は、やはり讃えられてよい活躍を見せたのだと思う。勝利を掴んだことは、やはり素晴らしいことだからね。
ただ、ここからは俺の想像になってしまうけれど、辻監督はかなり冷静に修正点を見極めているんじゃないか。更に言ってしまえば、この日のゲームは基本的に「明治のゲーム」だったという総括をされているんじゃないか。少なくとも、明治のシンプルなゲームプランと粘り強いディフェンスに苦しみ、思うようにゲームを運び切れなかったのは事実なのだから。
それでも、勝利を勝ち取った早稲田。
勝利が新たな自信となって、チームを更に高めてくるかもしれない。
でも一方で、修正点への意思の統一は、明治ほど容易ではないかもしれない。

辻監督は、今後チームにどのような言葉をかけるのだろうか。
とても気になるなあ。選手権の早稲田、やはり楽しみです。
「勝利に慢心するほど、ウチの選手はヤワじゃない。」
そんなふうに思っているんじゃないか、という気もするけどね。

Monday, October 24, 2011

本物のW杯

ラグビーW杯、決勝戦。
それはまさしくW杯の決勝戦にふさわしい最高のゲームだった。

NZのハカに対して、闘志で応えたフランス。あのフランスが全員で手を繋いで立ち向かったことにも驚いたが、何よりも心を打たれたのはその後だ。若き主将デュソトワールを中心かつ先頭に据えて、両翼が引いたあの陣形。全てを一身に受けるキャプテン。「メンバーは皆、お前についていく」と言わんばかりの全幅の信頼。そして次の瞬間、前へと歩み出したデュソトワールの完全なる闘士の表情。全員がオールブラックスに挑みかかるように歩みを進め、一本の線となった後、最後の瞬間にはむしろ両翼が前にそり出して、デュソトワールは扇の要に位置を取る。きっとあの場にいた21人のフランスのメンバーは思っていたはずだ。「前線は俺たちに任せろ」って。

そしてキックオフ。
ウィプーが蹴ったボールが空中戦で弾かれると、後ろにこぼれたボールをコリー・ジェーンが巧みに放して左に展開。その瞬間、フランスのディフェンスラインが今までにない速さで外から鋭く押し上げてくる。その最前線に立って、ウィプーを全身で押し返したのは、他でもない主将デュソトワールだった。
この瞬間、フランスはこの試合で「本物のフランス」を見せると確信した。

フランスにとって、決勝はある意味では戦いやすかっただろう。
予選プールで完敗しているNZを相手に、圧倒的不利という下馬評の中で、アウェイの地で戦うのだから、失うものなど何もない。ブーイングなどに決して揺るがない屈強な自己を備えているのは、準決勝のウェールズ戦が証明している。フランスはやるはずだ。
そこに最高の準備と、最高のリーダーが加わって、フランスは本物になった。

そう、本当に精神的にプレッシャーを受けるのはNZの方だ。
それはもう、キックオフの前から分かっていたことだ。
でも、漆黒の集団にも同じように最高のリーダーがいた。そして、世界最強を宿命づけられた集団は、そのメンタル・タフネスと集中力もやはり最高に素晴らしいものを備えていた。
苦しい時間帯においても、一糸乱れることのないディフェンス。
フランスの執拗かつ速いディフェンスに苦しみながらも、殆どミスすることなく果敢にアタックし続け、その一方では冷静に、的確なキックを織り交ぜてゲームを引き締めたマネジメント。80分間を通してみればテリトリー、ポゼッション共にフランスを下回りながらも、唯一のトライを許したあの場面を除いて、やはりNZは試合巧者だった。
最高の場所で輝きを見せるはずだったクルーデンを欠いても、最後にやや苦しんだ今大会の精神的支柱ウィプーを欠いても、決して崩れない。いや、崩させない。
オールブラックスもまた、本当に強かった。

まさに人間の勝負。
W杯を戦うのは、つまるところ人間なのだと強く感じた大会だった。
終わってしまったのが少々寂しいけれど、本当に良い大会だったなあ。

Monday, September 26, 2011

流れを掴むために

名古屋大学ラグビー部のシーズンが、本日開幕した。
緒戦の相手は、今シーズンからA2リーグに昇格してきた名古屋経済大学。
社会人時代の先輩、肥後さんがヘッドコーチを務めているチームだ。

今シーズン、名古屋大が掲げたチーム目標は『A2リーグ全勝、A1リーグ昇格』。
でも、この日の結果は28-31。
とても残念なことに、緒戦をもって早くも目標の修正を余儀なくされることになった。

スコアが示している通り、チーム力に顕著な差はなかったと思う。
双方共にミスが多くて、お互いに流れに乗り切れないようなゲームだったけれど、大局的に捉えれば、前半(0-17)は完全に名経大のゲーム。後半、風上に立った名古屋大がうまくゲームを運んで3トライを奪い、後半20分までに21-17と引っくり返したのだけれど、ここがゲームの綾だった。自陣10m付近のブロークンな状況から大外展開で持っていこうとした名古屋大が、ミスから流れを失うと、名経大の逆襲を防ぎ切れずに再逆転を許してしまう。21後半ラスト10分を切ってから10点差まで点差が広げられた時点で勝機はほぼ失われ、終了間際に1本返すのが精一杯だった。

ラグビーのレベルを問わず、ゲームには流れというものがある。
手繰り寄せるのも、失うのも、自分達次第。
風下の前半、敵陣で不用意なペナルティを繰り返してしまう。
相手の得意パターンであるインサイド主体の攻撃を、分かっていながら狙い撃ちできない。
我慢の時間帯に、一度は相手のジャージを掴んだ指を、簡単に離してしまう。
0-17は、自分達で招いた当然の展開だった。
それでも後半、風上からキックでエリアを確保すると、FW・BK共に持ち味が生きてくる。敵陣22mライン付近からのモールをFWが押し込んで反撃の狼煙を上げると、今度は敵陣10mあたりからの連続攻撃からBKがラインブレイクして連続トライ。この時点で、名古屋大がすべきことは完全に見えていたはずだった。

後半の残り時間は20分弱。風上で4点差。
名古屋大にとってのスコアへの射程距離は、敵陣10mライン。
スクラムは劣勢だが、FWのモールは計算できる。
ブレイクダウンでのボールへのプレッシャーは決して強くない。
執拗な絡みもないので、孤立しなければボールはリサイクルできる。ロストの大半はミスだ。
相手は自陣からでも展開してくるチーム。キックのオプションは少ない。名古屋大のキックに対しても積極的にカウンターを仕掛けてくる。でも、CTBの戻りは早くない。

これだけの条件が揃って、チームが何を選択するか。
ここがゲームの分岐点。そして、この日の名古屋大が流れを失ったのが、まさにここだった。

確かにチャンスはあった。
それは間違いなく事実で、積極的に展開しようという意志を否定するつもりもない。
それでも、チームの状況とゲーム全体の流れを見れば、考えるポイントは他にあったんだ。
4点差というのが、自分達にとってどの程度のアドバンテージなのか。
そこにあるチャンスフェーズは、スコアのチャンスなのか、 10mゲインのチャンスなのか。
その時間帯、その局面において、相手は何を考えているのか。

そういったことを、もっと考え抜かないといけない。
もっと思考して、それを身体で表現できるように。
リーダーの思考を、15人のパフォーマンスにすっと落とし込めるように。
こんなところで、つまらない試合をしていては勿体ない。
何よりも、自分達がこれまでにグラウンドで費やしてきた時間がね。

チームは緒戦から苦境に立ってしまったけれど、もう終わったゲーム。過去は取り戻せない。
次のゲームから、チームを立て直すしかない。そして、そのためにすべきことは1つしかない。
そう、練習を変えていくしかないんです。頭も身体も、常に全力を投じて。

Thursday, September 22, 2011

惜しまれる一戦。

ラグビーW杯、予選プールA
日本 18-31 トンガ

ジャパンのことは心から応援しているけれど、正直、観ていて辛いゲームだった。
ラグビーを愛する多くのファンが、同じような思いを抱いたのではないかと思う。

出来ることならば、もっとジャパンの強みを生かした戦い方をしてほしかった。JSportsで現地リポートをされていた村上晃一さんの言葉にもあったように、この日のジャパンは「慎重さ」をやや欠いていた。不利なエリアで不用意なアタックをして、小さなミスから必要のない失点を重ねてしまう展開。素直な印象で言うならば、典型的な負けパターンに嵌まり込んでしまっていた。一方のトンガは、ジャパンが露呈した小さな隙を逃すことなく、エリアとポゼッションを確実に奪うと、SOモラスの正確なゴールキックから着実にスコアを重ねていった。そう、小さな隙。それは例えば大事な局面でのハンドリングエラーや自陣でのペナルティ、あるいは幾つかの局面におけるプレー選択のミスだったりするのだけれど、1つひとつの小さな隙が致命傷になってしまうのが、W杯の怖さなのかもしれない。

勿論、トンガの勝因はそれだけではない。最大の要因は、言うまでもなくブレイクダウンだろう。80分間に渡っての執拗なプレッシャーは圧巻だった。 ポイントに対する寄りが全般的に遅れ気味だったジャパンは、トンガのパワフルなヒットとボールに絡みつく圧力に、終始苦しめられた。ジャパンとしては、ここまで劣勢に立たされるとは正直思っていなかったのではないかという気がする。あのブレイクダウンへの徹底的な拘りは、トンガを讃えるべきかなと思う。

ジャパンの戦術であったり、ゲームマネジメントについては、W杯終了を待つことなく、色々な人が、色々なことを言うだろう。間違いなく批判の矛先が向かいそうなポイントも、現時点である程度まで想像できる。そしてそれは、勝負の世界では仕方のないことだとも思う。
でも今は、残されたカナダ戦のために、全てを捧げて集中していってほしい。
W杯という舞台のためにジャパンが捧げたこの4年間の全てを賭けて、最後にジャパンのベストバウトをしてもらいたいと、心から願っている。
トンガ戦は惜しまれるゲームだったけれど、もはや過去でしかないのだから。

ちなみに、トンガ戦で最も心に響いたのは、やはりマイケル・リーチの姿。
本当に素晴らしかった。まさに獅子奮迅の活躍。彼はこのW杯における全ての瞬間で、魂を感じさせるプレーを続けているね。今のジャパンで、個人的には最も好きな選手です。
そして堀江、畠山というフロントローの2人も素晴らしかった。リーチを含めて、この3人のプレーには特に惹かれるものがあった。興味深いのは、リーチや堀江が持ち込んだボールをターンオーバーされるケースは極めて少ないということ。例えばアリシ・トゥプアイレイや遠藤に代表されるようなフィジカルの強いタイプの選手と比較しても、ボールの活かし方は秀でていると思う。これは、ジャパンの活路を考える際のヒントになるのではないかと、個人的には思っている。トンガのようなタイトなプレーの得意なチームに対しても、身体を柔らかく使ってボディ・ポジションをコントロールしたり、ターンのようなヒットの芯をずらすようなプレーは有効に機能していて、狭いスペースを上手にドライブで抉じ開けたシーンというのは、局所的に見れば大半がこういった「柔らかさ」に起因していたと思う。「柔よく剛を制す」と言ってしまうと少々誤解を招くかもしれないけれど、ジャパン、ひいてはフィジカルでの劣勢に向き合っていかざるを得ない多くのラグビーチームにとって、目指すべき1つの形ではないだろうか。

Sunday, September 04, 2011

My Problem

9/2-3と社内タスク@小田原に参加してきた。
要するに、現在の会社の課題について若手メンバーで議論を重ねて、それを改善するための施策提言を経営層に対して行うというもので、4月以降、約半年間に渡ってチームでの活動を継続してきた。通常業務を抱える中で、タスクの活動はそれなりに重かったけれど、日頃はさほど意識することのない課題について、バックグラウンドの異なる様々な人達と議論するのは、個人的には結構楽しかった。
この2日間は、各チームで纏められた施策の発表と、川本裕子さんによるゲストスピーチがメインだったのだけれど、自分自身にとっては本当に多くの気づきがあり、とても良い経験だったかなと思っている。また、様々な方との懇親の機会を得られたのも良かった。

まず、初めて英語で15分間のプレゼンテーションをした。
自身の英語力はまあ仕方ないとして、改めて強く思ったことがある。
英語でのプレゼンにおいて、最も大切なのは英語じゃない。
遥かに重要なのはコンテンツそのものであり、その表現(プレゼンテーション技術)だ。
勿論、表現において英語の巧拙が決定的だったりもするのだけれど、その際に重要なのも、きっと正確な発音、正確な構文じゃない。それ以上に重要なのは、例えば意図された抑揚であり、ブレスであり、間だ。(決して発音や文法的な正確さが不要だというつもりもなくて、Priorityの問題だとは思うけれど。)
これは素直な実感なのだけれど、とても勉強になった。

コンテンツには、思いはあったんだ。少なくとも、自分にとってはね。
でもきっと、あまり受けていなかったと思う。それも、1つの大きな気づきだった。
今回のタスク活動を続けてきて、明確に自覚できたことがある。それは、今、自分の関心が「人間そのもの」に向かいつつある、ということ。例えば、モチベーション。誰かの心に火をつけるのは、本当に難しい。でも、ほんの小さなことがきっかけで、人のモチベーションは一瞬にして毀損したりする。自信や信頼なんかも同じだ。本物の自信、本物の信頼というのは、簡単じゃない。本物の自信を待っていたら、人はいつまで経っても1歩目を踏めない。挑戦はいつだって、自信そのものを追いかけるようなものだからね。

みんな言うんです。挑戦しようぜ。信頼関係で仕事しようぜ、って。
でもそれは、2日目のゲストスピーカーだった川本裕子さんの言葉を借りれば、「反論されない」ものなんだ。挑戦することの価値は、誰も否定しない。信頼関係はあった方が良いに決まっている。問題は、そのことを分かっていながら、誰もが臆することなく挑戦する訳でもなければ、お互いを信頼して仕事をできる訳でもない、ということだ。そして、挑戦を強制されると、往々にして「できること」だけをオープンにするのが人間の性だということだ。

そう、人間の性。ここから逃げちゃいけない。
そういうことを伝えたかったのだけれど、力量不足だったかな。
でも勿論、今度は自分自身が逃げちゃいけないよね。
社長の英語の質問をよく理解せずに完全にスルーしたという程度のミスは、自分の中で早々に帳消しにして、もっと考え抜いてみようと思います。

これも、川本さんが講演の中で言っていた。
課題というのは、課題と認識された時に初めて課題になるのだと。
つまり、自分の課題認識から逃げてしまったら、それは課題でさえなくなってしまうんです。

Tuesday, August 16, 2011

SPIRIT -山中湖 #2-

山中湖合宿も2日目を終了。
IBMラグビー部の作田さん・西山さんが急遽参戦してくれたこともあって、非常に気づきの多い時間を過ごせたのではないかと思う。こうしてラグビーがつないでくれる人の縁に、心から感謝したい。

今日の練習は、全体としてみれば昨日よりもクオリティの高いものになった。2人の猛者によるところも大きいけれど、やはり選手自身が「昨日のモードを越えていかないといけない」という意識を持って臨めたということだと思う。この点では、まずは一歩ずつでも前進かなと。その上で、この日の練習全体を振り返った時のキーワードとして、真っ先に頭に浮かぶのはSPIRITという言葉だ。つまり、魂だね。

この日の午後はAvsBでのADだったのだけれど、体育会ラグビー部におけるAチームとBチームには厳然たる差があるはずだ。実際の実力云々の前に、Bチームは公式戦でジャージを着られない。チームの代表として公式戦を戦う権利を持つのがAチームであって、(決してBチーム以下の責任感とチームへの貢献を否定するものではないけれど)背負うものはどうしても違う。
Aチームである、というのはそういうことで、その一線を絶対に譲らない、あるいはBチームにとっては半歩でもいいからその一線の先に喰い込んでみせるという気概が、チームを成長させる。
そして、これこそがスピリットの生まれるポイントだ。
今はまだ、ここが弱いんだ。
スピリットがないというよりも、ごく一部の限られた人間のスピリットに、その他大勢のメンバーが依存している感じがする。自分自身の中から、内発的に生まれるスピリットが正直かなり甘いのだと思う。
例えば、現時点で何人かのAメンバーが怪我人をしているのだけれど、繰り上がってAチームにいるメンバーに、危機感が感じられない。「やつが復帰する前に俺の評価を固めてみせる」という意志も見えないし、そういう行動もしていない。2倍練習しようという気もないならば、最初からAチームのジャージを着るなよと。
Bチームには1年生も何人か加わっていたのだけれど、幾つかのシーンでは彼等のアタックに切られている。それでは通用しないよ、と身体で示してやるのがAチームの責務であり、またスピリットだろう。普通にパスをつながれて、「あの場面はどうだったか」とかはっきり言って関係ない。何でもいいからAチームの意地だけで止めてみせろよと。

ここが今の課題だね。
スピリットを他人に依存してはいけない。
それは、端的に格好悪い。
自らの意志で、闘う集団に変えていかないと。

Monday, August 15, 2011

山中湖 #1

山中湖合宿、初日が終了。
今日の総括をまとめておきたい。

まず、チームとして今すべきこと。
端的に言えばそれは、decipline(規律)という言葉が全てかなと感じている。
例えば、セット。クラブチームとの合同練習でも、先にセットできていない。普段の練習で意識づけされていないのだから当然だ。こういうのは、日常を変えない限り変わらない。ラインを1本廻したら、ジョグバックしてセットしてから休む。フィットネスのメニューでも、1本終えたら苦しくてもジョグセット。こういう基本的なポイントを変えていかないと。「意識」というのはある意味ずるい言葉で、その先の行動を隠蔽してしまう側面もあって、そこに踏み込めないのは、結局のところ弱さなんです。
セットだけじゃない。小さなことだと、練習の開始時間も緩い。決められた時間にきちんと始まっていない。合同練習の終了後をどのように過ごすのか、例えばその時間は休憩なのかチームトークなのか、といったことが厳密にコントロールされていない。コーチの立場でこちらが仕切っても良いのかもしれないけれど、基本的に正式コーチでも何でもない今の自分の立ち位置からすると、学生自身の主体的なマネジメントをやはり期待したい。

具体的なプレーでいうと、FWは中間走とスタート。接点もまだまだ甘いけれど、接点を自ら予測して、そこに到達できないことにはスキルも生きてこない。今のFWのコンタクト・スキルは正直なところ決して高くないけれど、早いセットときちんとしたスタートダッシュができれば、今のレベルでももっと出来ることはあるはずだ。
BKは、とにかく精度だね。イージーミスが多すぎる。要するに、ハーフスピードかつノープレッシャーでの練習では意味がないということだと思う。練習におけるプレッシャーを高めないといけない。これもセットと同じで、意識ひとつと言いながらも、意識だけでは変わらない。

結局のところ、全ては練習の密度なんです。

Monday, July 04, 2011

Standard

長谷部誠著『心を整える。』(幻冬舎)、読了。
http://p.tl/ndeR

サッカーW杯南アフリカ大会で日本代表のゲームキャプテンを務めた長谷部選手。
そのサッカーへの熱意、プロフェッショナルとしての拘り、自身の持ち味を最大限に生かすための工夫、そして心のあり方。そういったものが、素直に綴られている。

目次をざっと読むだけで、何度も首肯してしまう。
アスリートとしてのレベルも拘り方も全く異なるけれど、自分自身がずっとラグビーを続けてきた中での感覚を思い浮かべながら読んでみて、「そうだよなぁ」と素直に心に沁み込んでくるメッセージが多かった。勿論、人間性はそれぞれなので、長谷部選手のスタイルが合う人もいれば、そうでない人もいるだろうけれど。

ただ、アスリートとして「パフォーマンス」に対する意識が徹底していて、全くブレがないのは、それだけでも素晴らしいことだと思う。諸々全てを「自分に紐付けて」考えている点も、とても気持ちの良い姿勢だよね。

書かれているポイントは、スポーツをする人間には非常に分かりやすい。
でも、ここで思うんだよね。
プロフェッショナルを目指すのは、ビジネスも同じだろう、って。
ビジネスだけじゃない。1人の人間として、結果に責任を負う生き方を志すならば、結局のところ目指すものは同じなんじゃないか、って。

譲れない一線を、どこに引くか。
長谷部選手はそれを、「プロフェッショナル」という一点に定めたのだと思います。
「心を整える」という表題は、彼にとってそれこそがプロフェッショナルであり続けるための必須条件だったからだと、俺はそう解釈しています。

だから必要なのは、きっとノウハウじゃない。
本当に必要なのは、自分自身の生き方に求めるスタンダードなんです。


今、必要なこと。

この週末で、東大ラグビー部/名古屋大ラグビー部共に、春シーズンを終了した。
東大ラグビー部は、東北大との定期戦に敗れてしまい、やや残念な終わり方になってしまったみたい。ビデオできちんと確認してみないと。残された時間は少ないからね。

名古屋大ラグビー部は、7/2(土)に南山大とのゲームがあった。
下級生主体で臨んだ春シーズンの最終戦は、45-26で勝つことができました。
特に失点の仕方がやや淡白だったのは残念だったけれど、収穫もあったかな。

試合終了後、学生に話したんだ。
「開幕当初に想像していた7月のレベルと、今日現在の自分達のレベルを比較するならば、どこまで到達しているのかな」って。

「目標にしてきた継続プレーが出来るようになってきた部分はあります。
でも、まだ足りない部分も多いと思ってます。」
キャプテンは、率直にそう答えてくれた。

悪くない。成長の実感も、課題意識も、素直に出てきたものだと思う。
でもね、本当はもっと丁寧に考えたいポイントなんだ。
「それで、今のペースをキープしていけば、『A2リーグ全勝/A1リーグ昇格』という年初に掲げたチーム目標には、揺るぎない自信を持って向かっていけますか」
俺が聞きたいのはただ一点、これだけなんです。

目標とのギャップや、今現在の自分達の立ち位置を、厳密に見据えること。
それはとても知性的な営みで、そして東大/名古屋大の双方に、今最も必要なこと。
ギャップを明確にしなければ、行動につなげることができない。
そしてここが重要なのだけれど、ギャップ認識が多少ずれていたとしても、それはそれで構わない。自分達が考え抜いた末に導いた結論と心中できるならば、それは合理性よりもきっと強い。心中できるほどの信念は、簡単には折れないからね。

ただ、コーチとしては今が勝負です。
もちろんそれは、学生との勝負。
俺には俺の信念があるので、ぶつけ合いをしないとね。
学生の思考には、本気と覚悟を要求するつもり。こちらも考え抜くつもりなので。

Sunday, June 19, 2011

目を逸らさない

昨日は名古屋大ラグビー部の定期戦だった。
名阪戦と呼ばれる大阪大とのゲームは、春シーズンの最も重要なゲーム。昨年は敗戦しているので、今年は雪辱を果たしたかった。
でも結果は、7-15。
8点の差は、埋まらなかった。

試合後に感想を聞かれた選手達は、不完全燃焼だとこぼした。自分達の実力や、練習してきたことを出し切れなかったと。周囲の人間も「勝てる相手だった」と話していた。自分達のラグビーをきちんとできれば、絶対に勝てたはずだって。

でも、俺は思うんです。
それができないのが、今のチームの課題だよって。
自分達の実力というのは、「グラウンドで表現できるもの」のことで、試合で表現できないのは、厳しい言い方をすれば実力がないからだよ、って。

みんな、どこかで逃げてしまうんだ。
「本当はもっと実力があるのだけれど、うまく発揮できなかった」という総括は、8点分の実力差だったという現実から、ある意味で目を逸らしているんです。
持っているものの全てを発揮するということは、思っているほど簡単じゃない。日々の練習で全てを出し切る姿勢、試合のためにベストの準備を怠らない生き方、そういうものがあって初めて出来ることなんだ。
それをきちんとできるのが、本当の実力。
できないのもまた、実力なんです。

この日の選手達のプレーは、決して悪くなかった。ゲームの綾を失う残念なプレーも幾つかあったけれど、総じて気持ちの入ったパフォーマンスだった。

それでも、届かなかった8点。
ここから、逃げちゃダメなんです。
この8点を埋めるために、明日からの日々に全力を尽くすことこそが、ラグビー部の醍醐味なのだから。


Monday, June 06, 2011

チーム

6月4日(土)
名古屋大 45-12 名古屋学院大(14:00K.O. @名古屋学院大グラウンド)

名学大は昨シーズンにA1から陥落して、今シーズンは同じA2を戦うチーム。
本来は1つの目標になる相手だけれど、失礼を承知で言うならば、この日の名学大はそういうチームではなかった。試合前のアップを見ていて、十分戦えると思った。ゲーム開始直後に、その思いは確信に変わった。その意味では、メンバー構成が若干不安定ながらもきちんと勝利したことは収穫。ただ、このゲームを象徴しているのは、むしろ失った12点の方だ。

19-5で折り返したハーフタイムに、ちょっと厳しいコメントをしたんだ。
「全然甘いゲームだ」って。
前半40分間を通して危ないシーンも殆どなく、3つのトライを奪って戻ってきた選手の感覚はきっと違っただろう。でも俺としては、全く納得できないゲームだった。むしろ、選手自身に前半のパフォーマンスを「甘かった」と自己評価している様子がなかったことが、残念でならなかった。

ハーフタイムに言ったのは、「自分達自身でゲームを壊している」ということ。
開始早々にバックスが無責任なプレーをして、大外でボールをロストする。
カウンターアタックでロングゲインした味方に対して、サポートが寄って来ない。
自分達のミスから自陣に張り付いてしまうと、ディフェンスでは反則の連続。
順目に走るのがチームの約束なのに、順目にスタートを切らないフォワード。
スクラムを何度もターンオーバーできるような有利な状況で、この程度のスコアにしかならないのは、こうした当たり前のことが出来ていないからだった。

「すべきことをきちんとしていない」というだけで、つまらないゲームになるんだ。チームの為になぜ必死にならないんだ。責任感のないプレーするなよ。試合前の円陣で「名学粉砕」と檄を飛ばしたのは何だったんだ。本当に粉砕する気あるのか。

このくらいは言ったかな。
この程度のプレーで、自分達の実力を過大評価も過小評価もしてほしくなかった。
自分達のプレーが凄い訳じゃない。過大評価するようなものじゃない。
でも、意識ひとつでもっと上のプレーができる。
この程度で「結構できてきた」なんて過小評価もしてほしくない。
「自分達が今、持っているもの」をきちんと認識して、その全てを出してプレーする。
それこそが、大学ラグビーにとって最も大切なことだと思うんだ。

「自分達」というのは自分だけじゃない。
チームとして戦うことで、パフォーマンスが最大化されるような、そんなチームを名古屋大には目指してほしい。ただ15人が同じグラウンドにいる、というだけならば、チームでも何でもない。チームというのは、お互いの間に信頼関係があって、だからこそ1人ひとりのメンバーが自身の責任に集中できるような、仲間が最高のプレーをするために自分自身を犠牲にできるような、そういうものだと思うんだ。

バックスの1次攻撃で、CTBがラインブレイクする。
相手のディフェンス網が機能せず、そのまま独走になったとする。
俺が見たいのは、それでもCTBに対してサポートしてくる人間なんだ。CTBが抜けた瞬間、FBと対峙した時に彼をサポートするためのスタートを切っている人間を見たい。彼が1人では状況を打開できずにクロスキックを転がした時のために、遠く離れたポイントから真っ直ぐ押し上げてくるロックの姿を見たいし、仮にトライライン直前で追いつかれてしまったとしても、そのボールを即座にダイブパスで逆目に戻せるハーフが見たいんだ。

フォワードが、密集戦で必死のディフェンスからターンオーバーをしたとする。
このボールを絶対に落とさないという覚悟で展開してほしいんだ。ジャッカルしてくれたフランカーがポイントから頭を上げた時のために、絶対にやつのいる場所よりも前にボールを運ぶのだという必死さを持ってほしい。そのボールをもし落としてしまったならば、絶対にセービングしてほしいし、翌日以降の練習では、他の選手よりも30分早く来てキャッチングの練習をしてほしい。

信頼関係の芽というのは、そういう小さなことの中にある。
とても小さなこと、でも絶対に譲ってはいけないことに、正面切って拘っていくことで、信頼関係は培われていく。ただ同じグラウンドにいるだけで、自然と生まれるような簡単なものじゃない。
そしてこれこそが、「チーム」となるための必須条件だ。

名古屋大ラグビー部は、厳しい見方をすれば、まだチームになりきっていないんだ。
みんな真面目で一生懸命なのはよく知っているのだけれど、信頼関係に基づいた「チーム」を作っていくためには、それだけでは足りないんだ。
信頼って、もっと厳しいものだから。

でも、この日のゲームはきっと、1つの気づきを与えてくれたと思う。
6月の1ヶ月間が、とても大切です。
夏合宿までに、もう1つ上のレベルの厳しさに向き合ってもらいたいです。

Friday, June 03, 2011

綺麗に考えない

最近、組織というものについてよく考える。
直接のきっかけは社内のあるタスクなのだけれど、冷静に考えると「全社」といったスケールでなくても、例えば「部門」や「チーム」も組織であることに変わりはないのだから、思考の題材に事欠くことはないし、意外と身近に貴重なヒントがあるのではないかと思っている。

よい組織とは、つまり何だろう。
一昨日、会社のあるべき姿をどう考えるのかということについて、自身が所属するチームを含めて、10のチームが発表を行ったのだけれど、ほぼ全てのチームの発想が非常に類似していた。大きく纏めてしまえば、「高い能力を備えた個々人が有機的に繋がり、顧客志向で目標を共有して活動する組織」といった感じかなと思う。こう整理してしまうと、誰ひとりとして反論しないだろう。「それが実現できれば素晴らしい」ということには、正面切って疑問を差し挟む余地がないからだ。

ただ、ここで少し立ち止まりたくなる。
あまりに普遍的な整理の中に、何かが隠蔽されているような感じがするんだ。
例えば、顧客とは誰なのか。
自社にとって利益をもたらさないユーザーは顧客なのか。現時点で利益を享受できていないのは、自社の活動に問題があるからなのか。本来リーチすべきではなかった、という可能性はないのか。業界・業態・企業規模が異なる多様な顧客を、「顧客」の一言で括ってしまってもよいのか。そして、その一括りの考察は有意なのか。
(ちなみに、「顧客」という言葉には「国民」と似た違和感を感じる時がある。つまり、本当のところそれが誰なのかはよく分からない、ということなのだけれど。)
あるいは、組織の目標とは何なのか。
企業であれば、一般的には「付加価値の創出」ということになるのかなと思う。更には、その価値創出プロセスが将来にわたって発展的に継承される、という点を加えれば教科書的な解答としては十分だろう。
でもそれは、つまり何なのか。単純に、絶対値としての粗利益なのだろうか。そうだとすれば、例えばメセナ活動などはどのように位置づければよいのだろうか。また、施策はどこまで目標と整合している必要があるのだろうか。桶屋を儲けさせるために風を起こすような活動は、合目的的だと言えるのだろうか。逆に、合目的的な施策が全てなのだろうか。

なかなか思うように、自分の考えを整理できない。
とにかく、拭い難い違和感が残るんだ。あまりに綺麗に整理してしまうことに。

「顧客」なんていない。存在するのは常に「ある顧客」だ。
「社員」なんていない。存在するのは常に「ある社員」だ。
組織というのは結局のところ、そういった「ある個人」の総体なのだという基本的なスタンスが、思考を整理する過程の中で失われているような気がして、その先へと素直に向かうことができないんだ。顧客への視点も同様で、顧客ニーズや顧客にとっての価値というのも、「ある顧客」にとってのニーズであり価値であるということが、本質的に重要だと思う。属性の近い顧客が類似したニーズを抱えていたり、求める価値を共有していることはあっても、「私を」(あるいは「当社を」)見てくれている、ということがいつの世も価値の本質だったりする訳で、特殊性を排除して、一般論のみで顧客を考えていても、その先の道筋を見出せるような気がしない。

組織を考える時に、ある特性を持った個、あるいは小集団にまで降りていくことは、どうしても必要だと思う。それが基本的なスタンスとしてあった上で、本当に踏み込んで考えるべきポイントは、その先にあるような気がするんだ。

「特殊」へのアプローチを、組織全体のマクロ的な目標といかに整合させるか。
組織全体へのフィードバックを見据えた「特殊」へのアプローチは、どうあるべきか。

自分の中の違和感を紐解いていくきっかけは、この辺りにあるのかもしれない。
長々と書いてみて、結局うまく纏まらないのだけれど、今はそんなことを漠然と考えています。

Thursday, May 26, 2011

本気

最近、社内のタスクで経営層への施策提言を考えている。10人で議論して、年末に最終報告なのだけれど、なかなか難しい。

1万人規模の組織によい影響を与える変革というのは、どういうものだろう。50人の組織に対するアプローチとは、明らかに違うだろう。1万人となれば、もはやマスだからだ。

マスに対する施策を考えると、ふとした瞬間に「どこにでもいそうだけれど、実はどこにも存在しない誰か」への施策になってしまいそうな違和感が頭をかすめる。「会社に対するロイヤリティが低く、業務知識やスキルも不足しているものの、グローバルビジネスに対する意欲はあって、社内でのチーミングには悪戦苦闘しつつ取り組んでいるが、結局は短期の売上目標に縛られてしまい、大きな目線での仕事に時間を割けない」、そんな個人ってつまりは誰なんですか、みたいな感じだ。要するに、顔が浮かばない。1万人規模になると、具体的な特定の個人をイメージして施策をまとめるのはさすがに難しいけれど、もう少し丁寧なセグメンテーションが必要かもしれない。
パレートの法則でいえば、上位20%の人間と、その他の80%の人間では、抱いている課題も組織への依存度も全く異なるように思う。この差をきちんと意識しておかないと、結果的にはどちらの層にとってもフィット感のない中途半端な施策になってしまうような気がしている。

一方で、やはり最後は「人」だろうという見方もできる。トップの交替が劇的な変革をもたらした大企業の事例は枚挙に暇がない。
これはきっと50人の組織とも共通するポイントで、結局のところ「熱は伝播する」ということだろう。熱を持ったリーダーの存在が、組織全体を活性化させるのは間違いない。必ずしも組織のトップでなくとも、様々なレイヤーにそれぞれのリーダーがいればいい。ただ、一点思うのは、リーダーにとって、スキルもさることながら、熱の方がより重要なのではないかということだ。

1万人規模の組織を考えると、業務上の様々な課題に対するスキルパーソンは、きっとどこかにはいるだろう。要するに、課題に直面した時に、最も適切なスキルパーソンを探り当てることができれば、リーダーにとって「スキルは代替してもらえる」ということになる。探り当てるためのある程度の仕組みは必要だと思うけれど。

本当の課題は、その先だと思うんだ。
「そいつを本気にさせられますか。」
今リーダーは、そう問われている気がしてならない。周囲を本気にさせる熱を持たなければ、どれほど見事な仕組みがあっても飾り物でしかない。仕組みそのものよりも、仕組みに魂を入れることに、組織としてもっと向き合う必要があるのかもしれない。

そう考えていくと、真の課題は「20%のリーダーさえ、さほど熱を持っていない」、あるいは「持っている熱をうまく表出できない組織風土がある」ということなのかもしれない。
これは、シビアな課題だよね。

20%をまさしく「本気」にさせる施策というように、絞り込んで考えてみようかな。
もちろん、本気で。



Saturday, May 07, 2011

春合宿総括 #2

昨日に続いて、東大ラグビー部春合宿の総括を。
グラウンド・パフォーマンス以外の部分で感じた点も纏めておきたい。

まずはチーム運営、あるいは組織のあり方について。
東大ラグビー部のようにリソース(選手・コーチ等の人的リソースのみでなく、時間・運営予算等も含む)が限られた組織にとって、効率的な運営は重要なポイントだ。ただ、「効率的」というのも2つの要素があると思っている。1つはいわゆる「選択と集中」で、無駄なことをせずに、有意義な施策にリソースを集中するということ。もう1つは、選択した施策それ自体の意義を高めること。この双方を追いかける必要がある。

例えば、「あった方が良い」というレベルのスキル練習を捨てて、「なくてはならない」スキルの習得だけに特化する、というのが前者の考え方だ。今のチームで言うと、例えば「ブレイクダウンの判断」にフォーカスした練習は捨てるべきかもしれない。昨日書いたように、ブレイクダウン自体の強化をしなければ、判断を要求される状況に持っていくことさえ出来ないからだ。まずは状況を問わず、ブレイクダウンの局面では強くヒットする原則を確立するのが先決だろう。その上で初めて、ヒットの圧力だけではコンテストできない局面というものが見えてくる。この順序を間違えてはいけない。
「守・破・離」という言葉があるが、判断とはある意味では「破」の段階だと言えなくもない。個々のプレーのレベルで考えるならば、「守」とは型の理解で良いからだ。型通りでは上手くいかないという「判断」、あるいは型が前提とする局面ではないという「判断」があって初めて「破」に至るとするならば、まずは「守」を徹底することを優先すべき時期ではないかと思う。
要するに、ブレイクダウンの見極めを意識する前に、筋力・体幹の強化を含めたパワーアップと、身体の芯でヒットするスキルの向上に心血を注ぐべきだ。

後者の観点でいうと、例えばブレイクダウンの強化に具体的に取り組むとして、どのように練習を構成すれば最も多くを得られるか、といった点をもっと突き詰めたい。練習メニューに競争の要素を加えたり、バリエーションを幾つか用意して飽きさせないように工夫することは、今すぐにでも出来る。メンバーのモチベーションも意識して、目的意識の明確な練習運営を心がけることで、もっとチーム運営を良いものにしていけるだろうと感じている。
今回は1泊2日の合宿参加で、計2回しか練習を見ていないので、あまり踏み込んだことは言えないが、その中でも幾つか気になった点がある。
例えば、大雨に見舞われた3日午後に、キックチェースの練習があった。合宿を迎えるにあたって、首脳陣が事前に課題として設定していたポイントではあるのだが、大雨の影響でキック自体が精彩を欠いてしまい、練習の意図が曖昧になってしまった。勿論、雨でも試合は行われるので、無駄な練習だったとは言わない。しかし、悪天候/グラウンド状態といった環境制約のもとで練習するならば、練習の主旨をフレキシブルに修正して、それをメンバーに伝えた上で臨む必要があったと思う。折角チームとして「取り組む」と決めた練習の効率が、練習の運び方次第で大きく損なわれてしまうこともある。意図や目的というのは、最初の設定だけに捉われず、柔軟に見直しをかけていくのが、効率的運営のポイントだと思う。
ちなみに翌4日の午前中は、午後のOB戦に向けて、前日の大雨で水浸しとなってしまったグラウンドの整備に充てられた。本来は短めの練習を予定していたが、この判断自体は仕方ないものだったと思う。それでも、グラウンド整備だけで、部員/OBの全員が常時動きっ放しという程の作業量はなかったような気がする。何人かの選手の手は止まっていて、雑談に興じてしまう姿も散見されていた。
例えば俺だったら、FW/BKでメンバーを分けて、それぞれ15分程度でもボールを使った練習を行ってからグラウンド整備を終了させることを考える。グラウンドの脇に雑草で覆われたエリアがあるので、ミニドリルやグリッドのようなメニューであれば十分可能だったはずだ。
泥だらけのグラウンドで、素足になって水溜りを散らしたりしていると、「このグラウンドで試合するのは嫌だなぁ」と誰だって思う。その心理状態のまま午前を終えて、そのまま試合前のウォーミングアップに合わせてグラウンドに出てきても、アップの効率が落ちてしまう。勿論、それでもきちんと気持ちを作ってくるのが自立した選手だということも出来るけれど、チーム運営という観点でみれば、10分程度でもトップダッシュでボールに触れることで、「午後は闘争だ」という心理状態に持っていくことを首脳陣が中心となって考えても良かったと思う。それで、グラウンド整備が大きく遅滞するというようなことも、実際にはなかったのだから。

これらはあくまで一例で、俺の考えが正解だったかどうかも分からない。ただ、いずれにせよ組織運営の効率を高めることを考えた時に重要なのは、目的意識をもって選択すること、その選択が最大限に活かされる心理状態/モチベーションを意図的に演出すること、そして状況が変化したならば当初の設定を柔軟に変更することの3点ではないかと思う。
今回参加した2日間について厳しい見方をすれば、3点のいずれも十分ではなかったかもしれない。でも、それは今から変えればいい。まずは、もう一度「今」を正視して、腹を据えて「選択」することだ。何をするかが固まってくれば、その後の運営はある程度コントロールしやすくなるはずだし、この点こそコーチング・スタッフが尽力すべきポイントだ。学生首脳陣のみで抱え込まずに、監督・コーチ陣を含めた「東大ラグビー部」という組織全体で取り組んでいけばいい。

俺自身は残念ながらもはや正式なコーチではないけれど、今回感じたことは、もう少し具体的な提言として首脳陣に伝えたいと思っています。今更、立場に引っ込んでいても仕方ないからね。

Thursday, May 05, 2011

春合宿総括 #1

5月3日(火)・4日(水)
東大ラグビー部春合宿@東大検見川グラウンド。

今シーズンは東大ラグビー部のコーチングスタッフから正式に退いているのだけれど、思うところあって久しぶりに春合宿に参加してきた。3日の午後が大雨だったのは残念だったけれど、4日午後のOB戦だけでなく、その前日の練習/ミーティングを見られたことで、非常に多くの気づきがあった。
長くなるが、忘れないうちに個人的に感じたことを纏めておきたい。
基本的に、学生は一生懸命練習していることを理解した上で、あえて課題点を中心に整理してみたい。

まず、素直な今のチーム力について。
主要メンバーの怪我や、東日本大震災の影響で暫く練習ができなかった点を差し引いても、苦しい状況なのは間違いない。春シーズンも残すところ2ヶ月程度だが、この期間で幾つかの重要な課題を修正することが急務だと感じている。
まずは、接点。ブレイクダウンの圧力が致命的に欠けている。
『ラグビークリニック』最新号の中でエディー・ジョーンズも言っているが、ラグビーにおける接点の70%はラックだ。ショートパスで継続するノーラック・ラグビーを志向するとしても、ラックの基本的スキルは依然として重要で、避けることは出来ない。マイボール/敵ボールを問わず、ラックの練習にもっと取り組む必要があると思う。
その時、何に拘って練習するか。現在のラックの最大の課題は、ラックフェーズに対する「ヒット」が殆どないことだと思う。身体の芯をヒットさせて、クリーンアウトするという基本的な部分が欠落しているように感じる。アーリーコミットは非常に重要なスキルなのだけれど、「アーリー」ばかりが強調されていて、「コミット」が極めて甘い印象だ。(実際には、さほど「アーリー」でさえない、という点も課題だけれど。)
個々のスキルのレベルで重要な点は幾つかあるが、ラックに対して自身がフルコミットできる間合いを身体で覚えること、最も強い姿勢(ボディ・ポジション)を身体で覚えること、コンタクトの瞬間は常にその姿勢を取れるように身体に刷り込むことの3点がメインかなと思う。いずれにしても、身体で習得することが大切だ。
今は、間合いも姿勢もない。間合いについては、「人それぞれ違う」という事実をきちんと認識したい。ボールキャリアーに対するサポートの深さや幅は、それによって当然異なってくる。短い距離/少ないステップで加速できる方が、当然有利なポジションを取れることになる。まずは「強いコミット」に重きを置いた場合、自分がどの間合いで動けば良いのかを覚えることが重要だ。姿勢については、コンタクトの基本姿勢を習得するのは勿論だけれど、動きながら「基本姿勢に戻す」という点にも拘った方がいい。そういった身体の使い方を体得できるようなメニューを組み入れるのも良いかもしれない。

接点を考える上でもう1つ重要なのは、ファーストタックルの精度と圧力だ。これも当然のことだけれど、ファーストタックルが劣勢の局面では、ブレイクダウンでのコンテストはとても難しい。まずは有利な形で倒すことに、もっと拘る必要があるだろう。
例えば、ダブルタックル。昨今はどのチームも意識的にダブルタックルさせているが、タックルフェーズで2人がコミットしながら接点を押し込まれては意味がない。2人入ることが目的ではなくて、ボールキャリアー1人に対して2人でコミットすることで、接点を押し返すことが目的のはずなのに、最終的な接点の決着にチームとして拘っていない。タックルの成立シーンだけを追ってゲームの映像をチェックしてみれば、色々なことが見えてくるはずだ。
今のチームの最大の課題は、最後に1歩踏み込めないこと。これはチーム全体の課題だけれど、個人レベルで改善できる点でもある。いわゆる「追い込み練」を数多くこなすのが、結果的には一番の早道だと、個人的には思うけれど。

接点以外にも課題は様々あるが、もう1点挙げるとすれば、ラグビーの構造をもっと理解することが必要だと思う。例えばBKの観点で言えば、「ラインの深さ」に対する基礎的な理解が不足している。ラインの深さとは、ポジションの深さではなくて、ボールの軌道の深さなのだけれど、シチュエーションに応じたボールの軌道の深さが意識されていない。更に言うと、「自分達にとって理想的なボールの軌道」というイメージが、そもそも固まっていない印象だ。ポジショニングに理由をもって、パスの軌道をコントロールできるようにならないと、BKの攻撃が構成できない。このあたりは、言葉で表現するのが難しいけれど。
FWも同様で、例えば各ポジションの基本的なランニングコースが理解されていない。東大のようにサイズに劣るチームの場合、仕事量を増やすことが決定的に重要なのだけれど、コースを理解していない為に、仕事の機会そのものをロスしている。リーダーが中心となってチームの原則を徹底することが必要だと思う。夏合宿以降では、遅すぎる。ポジショナル・スキルに至る前の段階で、例えばラックからブレイクした際のコース取りや、バッキングアップにおける基本的な考え方等は、ラグビー・プレーヤーとして全員が押さえておくべきものだと思う。

本当に長くなってしまったので、その他は明日以降に改めて書こうかな。

Thursday, April 21, 2011

『デフレの正体』

藻谷浩介『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』 (角川oneテーマ21)、読了。
このblogを更新するのも随分久しぶりだけれど、少し整理しておこうかなと。

論旨は極めてシンプルだ。
・人口ピラミッドから明らかなように、日本は生産年齢人口の急激な減少に直面している。

・出産適齢期の女性の数自体が減少している為、出生率の多少の向上では、問題は解消しない。
・生産年齢人口の減少は、日本国内における総消費の減少に直結している。
・1,400兆円とも言われる日本国内の個人金融資産のうち、1,000兆円以上が65歳以上に集中している。
・この世代の最優先課題は、医療・介護等の備えであり、貯蓄はある意味でコールオプションのようなものだ。
・こうした「投資されない資産」は、どこかで毀損することも考慮しなければならない。
・現在の日本国内のデフレとは、内需の中核を担う生産年齢層の減少に伴う供給過剰が主因である。

これに対する処方箋として、論理的には以下3つの観点で改善を図る他ないというのが著者の立場だ。
・生産年齢人口の減少を、可能な限り緩やかなものにする。
・生産年齢人口に該当する世代の個人所得総額を維持し、更には増加させる。
・生産年齢人口および高齢者による個人消費の総額を維持し、更には増加させる。

そして具体的に、①高齢富裕層から若者への所得移転、②女性の社会参加・就労促進、③外国人観光客・短期定住客の受入という3つの施策へと議論が展開される。

非常に分かりやすく、かつ妥当な主張ではないかと思う。
人口オーナスが、日本が直面している最重要課題であることは、疑問を差し挟む余地もない。
ただ一点だけ、読んでいて気になったことがある。こうして提示された施策は、マクロ的にみれば合理的なのだけれど、ミクロでみれば不合理なのではないか、少なくとも不合理に見えてしまうのではないか、ということだ。

少々不正確な記述になってしまうけれど、例えば社員の給与総額を現状維持するよう努めるべきだ、という主張があるとする。人口オーナスの時代においては、新たに生産年齢に差し掛かる世代の総人口よりも、常に退職世代の総人口の方が多い状況が続くため、給与総額がキープされていれば、1人あたり給与は増大することになる。こうした取り組みによって、内需拡大を図っていくべきだ、というのが1つの考え方として提示されている。非正規雇用の低賃金労働者を増加させて、社員の給与総額を低減させていけば、結局はその企業の国内売上高も減少せざるを得ないのだと。
構造としては正しいのだけれど、ゲーム理論的に考えると、こういう施策は、国内全産業・全企業が足並みを揃えて対応する時に、初めて合理的と判断されるのではないだろうか。そして、結局のところ囚人のジレンマに陥って、日本全体が緩やかな停滞を続けていくのではないだろうか。

企業は、あくまでも企業としての合理性に基づいて行動するのだと思う。
今問われているのは、それが必ずしも国家の合理性と整合しない時に、日本人・日本社会はどう舵を切るのか、ということではないかと感じている。そこで求められるのは、リーダーシップかもしれないし、あるいは社会形態そのものの変革だったりするのかもしれない。その意味では、著者の思索の「その先」にこそ、本当は興味があるところです。

Saturday, January 29, 2011

目標

さて、今更ながら今年の個人的な目標を、ここに書き留めておきたい。
まずは英語。半年間で、TOEICを860まで持っていきます。
もうこれは願望ではなく、決意表明。出来なかったら恥ずかしいけれど。
もう1つは、ラグビー。
名古屋大コーチとして、昨シーズン以上のチームへと飛躍させていきたい。
そして東大との定期戦は、申し訳ないけれど勝たせてもらいます。

随分長い間、blogを更新できていなかった。
新しい1年の決意を書くつもりだったのに、気づけばもう1月が終わろうとしている。
やっぱり、思い立った日に書かないとダメだね。

2011年という1年は、おれにとって本当に大切な1年になると思う。
というよりも、必ずそうしてみせる。
何故だか分からないけれど、人生が動き出している感じがするんだ。
人生というと大袈裟かもしれないけれど、今後30年の自分自身の生き方を左右するような、道筋は見えなくても、歩き出す方角が定まっていくような、そんな時期に差し掛かってきているような気がする。まさに「今」なのだと、いつも思っている。

最近は、多少波乱含みの仕事が多い。
今週は特に酷かったので、1時間程度しか寝られない日もあった。
でも正直なところ、忙しいという感じはさほどしない。
冷静に考えてみると、自分自身の判断と行動で動けることが、ある程度まで増えてきたのが大きいと思う。結果がどうであれ、自分で納得して受け入れられる、ということが増えてきた。自分がオーナーシップを取れば、忙しいと思うこともさほどない。

今でも失敗や早合点は少なくない。結論を出さない会議が嫌いなので、徹底的に結論を求めようとして強引だと言われることも多い。「難しい」に代表される「対案なき消極的否定」も好きではないので、否応なく自分で対案を考えることになる。(そして「会社」という場では、更にPowerPointへの落とし込みまで要求される。)
でも、そういうプロセスは結構楽しい。
自分を変えていく、或いは自分の色をより鮮明にしていくための機会かもしれない。

今できることは何だろう。
本当は考えるまでもなくて、納得できる答えは1つだけなんだ。
それは、できること全てに必死になること。
処世術を考える暇もないくらいに。
組織の理不尽や不合理を嘆く暇もないくらいに。
「所詮サラリーマンだから」という大嫌いな言葉を聞き流す暇もないくらいに。

日頃から一緒に仕事をしている先輩が、タクシーの車中で呟いていた。
権限がない立場で人に動いてもらう為に、人格者を目指したいのだと。
冗談交じりの言葉なのだけれど、おれの考え方は違うんだ。
そもそも人は、権限だけで単純に動かされるようなものじゃない。権限に対しては、面従腹背が世の常だ。

人を動かすのは、人の必死だと思う。
仲間の必死のために、自分も必死になるのがチームワークだと思う。
会社がつまらない人間ばかりなら、自分が隗になればいい。
(そんなこともないと、おれ自身は思うけれど。)
必死というと重苦しいけれど、たぶん本質はすごくシンプルなことなんだ。

きっと、ラグビーのようにすればいいんだよね。