Tuesday, June 28, 2005

子供はおもしろい

お客様先へと向かうバスの中でのこと。
バスには4人掛けのボックスシートがあるのだけれど、おれの向かいに2人の小学生の女の子が座ってたんだ。たぶん1年生か2年生くらいじゃないかな。ふたりは仲良しらしく、楽しそうにおしゃべりをしていたのだけれど、それがおもしろくて。

「ねぇ、世界でいちばん嫌いなのってなーに?」
「んー、ないなぁー。・・・キムチ?」
「えー、ちがうよー。『もの』じゃなくて、『こと』だよ」
「『こと』かぁ・・・」
「あたしはね、宿題」
「えー、なんで?」
「だってね、勉強はね、学校でやってね、宿題はね、家でやればいいんだけどね、時間のムダだしね・・・」
「でもー、例えばねー、クロスワードみたいなのがあってね、それでね、数字を埋めていってね、計算とかしてね、それでね、ああやってこうやってね、そんなのだったら、おもしろいでしょ」
「ちがうよー、それは『遊び』じゃん」

子供って、おもしろいね。
まず、世界でいちばん嫌いなのが「キムチ」なんだからさ。今となっては、小学生の頃の自分がなにを考えていたかなんて、全然思い出せないけれど、お化けとか、ゴリラとかさ、もっとあるような気がするよね。
これだけでも十分に微笑ましい話なのだけれど、その後のやりとりにはちょっと感心してしまった。「それは『遊び』じゃん」っていう、そのことばがとても良かったんだよね。
だって、その通りだよ。遊びだと思う。これは、ラグビー部のメンバーが「練習」という名の遊びをしているのと同じことだよね。こうやってやる宿題は、きっと身になるんじゃないかと思う。
この女の子は、漢字ドリルが嫌いなんだって。きっと、ただの作業だとしか思えないんだろうね。そういえば、漢字ドリルはおれも大嫌いで、実はほとんどやらなかった。おれは小さい頃、新聞のスポーツ欄で漢字を覚えたんだ。小学校の低学年の頃から、スポーツ欄だけは隈なく読んでいたので、漢字なんて知らないうちに覚えていたよ。

遊びにしてしまう、というのは、かなり本質を射抜いているよね。
そんな子供の発想に、ちょっと感動です。
キムチ、食べられるようになるといいね。

Sunday, June 26, 2005

WMMへ

練習@保土ヶ谷公園ラグビー場、9:00 - 12:00

昨日、今日と暑い日が続いている。今の自分の状態だと、2日連続の練習に加えてこの暑さとなると、正直応えるね。しかも、保土ヶ谷で9:00だよ。6:30に起きて朝飯を食べて、家を出たのは朝の7:00だからね。ふだん会社に行く時よりも早いのだけれど、こういう時に限ってちゃんと起きちゃうから不思議だよね。

練習は、相変わらずのメニュー。自分の課題も相変わらずで、仕事量がまだ少ないことだね。フィットネスの低下に加えて、今日はうだるような暑さだったこともあって、思った以上に足が止まってしまった。自分が意図しているプレーの半分くらいにしかコミットできていない感じがする。こればかりは、もう一度時間をかけて、フィットネスを戻していかないとどうにもならないね。来週は10人制のゲームもあるようだし、それまでの1週間の間に少しでも走る時間を作って、自分で持っていくしかないと思っている。

練習中もAチームのメンバーは、やっぱりよく走っている。さらに言うと、走るタイミングがいい選手が多い。プレーが連続して息が乱れている時でも、チャンスとみるとすっとスピードを上げていく。社会人でも同じことをよく感じたけれど、上手い選手を見ていると、走るべきポイントがよく分かっている感じがする。それに対して、自分の走り方を考えてみると、そうやって狙う意識は全然足りていない。それに、せっかく走っている時でさえ、密集でだぶついてしまうシーンが結構多い。大西さんが見ていたら、確実に切れられてるね。

今後は、そういう部分をもっと考えて練習したいと思ってます。

それから、ひとつ嬉しいことがあった。
今日の練習には、3年前まで重工相模原に所属していて、今はタマリバでプレーしている山本肇さんが参加していた。これまで特に接点があった訳ではないのだけれど、いい機会だと思って、練習後に話し掛けて、挨拶をしたんだ。社会人を引退してからの経緯をひとしきり話した後、先日の駒場WMMとの試合のことが話題になった。肇さんもこのゲームにタマリバのWTBとして出場していたからね。
「いやー、あのチームは強かったよね」
肇さんは、そう言ってくれました。これは、本当に嬉しかった。タックルは凶器だった、とも言ってくれた。厳しいゲームだったけれど、なんとか勝利を掴んだことで、WMMはクラブラグビーでの認知度を高め始めたのだと思うよ。あの時ゲームに出ていたメンバーにとっては、きっと自信に繋がる言葉だと思う。おれ自身もWMMのCTBとして出場していた身として、すごく嬉しかった。

でも、あのゲームは通過点だよね。
クラブラグビーという限られた時間だけれど、お互い切磋琢磨して、やっていきましょ。

Saturday, June 25, 2005

カルチャー

練習@辰巳の森海浜公園、13:00 - 16:00

タマリバの練習に参加するのは、今日が2回目なのだけれど、だいぶ違和感なく入っていけるようになった。相変わらず練習ではよく走るし、加えて今日のような暑さだと相当しんどいけれど、自分が上手くなる為の練習が出来る数少ない環境だと思うし、ポジティブに取り組めている気がする。
今日の練習メニューは、基本的に前回と同じだった。ルールを様々に変えながら、タッチフットをしばらく続けた後で、10分×3セットのミニゲーム。前回の練習と比べると、グランドにいる人数も少なかったし、全体的にコンタクトプレーが緩かったような気もするけれど、得るものも多い練習だった。とりあえず今のおれは、フィットネスが圧倒的に足りてないね。すぐに足が止まってしまう。平日にどれくらい時間を取れるか分からないけれど、なんとか自分で補っていかないと、ちょっとまずいなと思っている。

でね、今日はひとつ思ったことがあるんだ。
それは、「カルチャー」ということ。
高校からラグビーを始めて大学、社会人と続けてきたけれど、それぞれのチームに「カルチャー」というのがある。そして、その中でも大学ラグビー、社会人ラグビーで所属した2つのチームは、独特なカルチャーを持つチームだったように思う。
大学時代のチームには、「いかに弱者が勝つか」という風土があった。これは、おれが2年の時から指導にあたってくれた水上さんの思想によるところが大きいと思う。これは言い換えるなら、前提を受け入れた上で、その中で「勝つ為の戦略」を徹底的に突き詰める、という方向性だと思う。この頃の経験は、その後のおれの生き方を方向づけることになったし、そのことを教えてくれた水上さんを、おれは今でも尊敬している。そしてもうひとつ、このチームには「魂では絶対に負けてはいけない」というカルチャーがあった。例えばタックルでは、「刺さる」ことに最も重きが置かれた。このふたつの要素から必然的に受け継がれることになった典型的なプレーが「東大型シャロー」だと思う。少なくともおれは、シャローは嫌いじゃないけれど。
社会人のチームは、「いかに強者になるか」をいつも志向していたような気がする。15人のベストプレーヤーを揃えれば、それがベストチームだ、という考え方だったと思う。強者がいつだって勝つ。これが全ての前提だった。だから、全てのトレーニングは、基本的には「強者になる為に」行われていた。そして、強者の条件のひとつとして「安定感」を強く求めた。魂を持って臨むのは、グランドに立つ上での前提であって、特別なことじゃない。それを常に持続し、安定したパフォーマンスを発揮できなければ、トップレベルでは闘えない。こうした「強さ」こそが求められていた。

もちろん、こういう書き方は誤解を招くかもしれない。人それぞれに感じ方は違うだろうし、実際にはこれほど単純に色分け出来ないだろうと思う。正確でないところもあるかもしれない。でも、少なくともおれはそう感じたし、このカルチャーの違いは、おれにとってものすごく大きかった。そして、大学ラグビーを終えた後に、こうした異なるカルチャーのチームに所属する選択をしたことは、結果的におれの財産になった。
なにが言いたいかというと、それは唯一の方向性ではなくて、ひとつのカルチャーだと思えた、ということなんだ。おれは社会人でプレーを続けたことによって、学生時代を相対化できた。あの頃のカルチャーや方向性、水上さんが全身全霊を込めて注ぎ込んだ魂は大好きだったし、今でもおれの心の支えだけれど、一方で、当時の自分にはそのカルチャーに甘んじていた部分がある、という事実にも気づくことが出来た。

水上さんは、本当にたくさんのことを教えてくれた。闘うためのメンタリティと、豊富な経験に裏打ちされた基本スキルを、当時の東大に叩き込んでくれた。でも、水上さんの底は、もっと全然奥にあることが、社会人を経験したことで初めて分かった。水上さんの頭の中にはきっと、もっとたくさんの選択肢が用意されていたと思うし、もう一歩踏み込んだレベルまで見据えてコーチングすることも出来たのだと思う。そういう底の深さを持ちながら、当時の東大の状況やレベル、メンバーの個性を考えて、水上さんは意図的に教え方や、教えるプレーを選択したのだというふうに、おれは考えるようになった。そう感じることが出来たのは、やっぱり社会人ラグビーを経験したからだと思う。

そして、タマリバ。
このチームにも、独特のカルチャーがある。今日の練習には、SOの福田さんが参加していたこともあって、そういう一面を強烈に感じた。福田さんは、タマリバや当時の早稲田の魂を象徴したような人だからね。
ラグビーには、いろんな考え方や方向性があっていいと思う。大きくて速くて巧いやつが勝つ、というだけなら、そういう選手だけを引っ張ってくればいい。様々なカルチャーがあって、様々な可能性があるはずだと思う。その時にさ、それを「カルチャー」だと考えられるようになったのは、ひとつ大きな変化かなと思って。他のカルチャーに触れてきたからこそ、相対化できる部分というのがあるし、それはラグビーを考えるひとつのきっかけにもなるからね。

とりとめのない文章になってしまったけれど、ラグビーにおける「カルチャー」ということを感じた1日だった。

Friday, June 24, 2005

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うちのパートナーは、本を薦めるのが結構上手い。
よく一緒に本屋さんに行くのだけれど、特に狙っている本もなくて、あてもなく探している時に、「これ、どう?」と何気なく薦めてくれる作品が、その時のおれの気分にぴったりとフィットすることが多くて。
随分前になるけれど、そんなふうにして読みはじめて、心を鷲掴みにされてしまった作品があるんだ。
それが、戸井十月さんの『チェ・ゲバラの遥かな旅』—

1959年1月1日、アメリカの傀儡だったバティスタ独裁政権が、フェデル・カストロ率いる人民軍によって打倒された。このキューバ革命において、カストロと共にゲリラ戦を率いて、サンタクララの決戦を見事に勝利へと導いてみせた伝説的な革命家、それがエルネスト・チェ・ゲバラ。戸井さんの作品は、そのゲバラの生涯を辿っていくように、彼の生い立ちからボリビアでの早すぎる死までを丹念に綴ったノンフィクションだ。
ゲバラという人間の、その溢れんばかりの夢。飽くなきまでの理想の追求。軍事政権の圧政に苦しむ世界中の人々の為に、惜しみなく己の全てを捧げてみせる、その生き方。どうしたって心を揺さぶられるゲバラの魅力、39歳という若さでこの世を去ったカリスマを、現在も幾多の人々が慕い続けている理由が、この本には詰まっている。
ゲバラは、もともとキューバの人間じゃない。アルゼンチンの裕福な家庭に生まれた、喘息持ちの少年だった。喘息には幼い頃から悩まされ続け、結局彼はその苦しみと生涯に渡って付き合っていくことになる。革命の最中にあっても薬を手放すことの出来なかったゲバラだけれど、彼は子供の頃、咳が止まらないのを見て薬を飲ませようとした父親に対して、「限界まで薬を飲ませないでくれ」と言って、自分が本当に耐えられなくなるまで、決して薬を飲もうとしなかったそうだ。生きる為に、この病に勝ってみせたい、という決意。幼少期にして既に、そこまでの矜持を持っていたと知って、本当にただ驚くばかりだ。
ゲバラは学生時代、先輩のアルベルトと共に、バイクでの南米大陸横断の旅に出る。映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』は、この旅をめぐる物語がモチーフとなっているよね。この旅を通じて彼は、南米社会の現実の姿を目の当たりにし、己の知見と信念を確固たるものにしていく。そして後に、フィデル・カストロというもうひとりのカリスマと出会い、キューバ革命運動に参画していくことになる。
アルゼンチン人のゲバラが、キューバ国民を解放する為に、身を挺してゲリラ戦争を率いる。国籍などで枠に嵌めることなど出来ない、その大いなる理想と志。己の信念に対する純真を失うことなく、その実現の為に自ら先頭に立って行動していくその生き方は、きっと多くの人間に勇気を与えたはずだと思う。

キューバ革命を成就させた後、ゲバラはカストロへの「別れの手紙」を書いて、己の理想の為に闘い続ける道を選ぶ。そして、ボリビア革命運動に参加するのだけれど、その戦場にあってボリビア軍兵士に捕えられ、39歳という若さで還らぬ人となる。

その早すぎる死は、確かにゲバラのカリスマ性を増幅させたかもしれない。ゲバラの描いた社会主義という理想郷に対して、一線を引いてしまう人も多くいると思う。でも、それでもゲバラの魅力は決して色褪せない。少なくともおれは、戸井さんの作品を通じて知ったゲバラの姿に、強く心を揺さぶられたし、死後30年以上を経た今もなお、ゲバラを慕ってやまない人間が数多くいることが、ゲバラという人間の持つ輝きが圧倒的だったことを示していると思う。

今、おれの部屋に1冊のフォトブックがある。以前に渋谷で開催されたチェ・ゲバラ写真展に行った時に、会場で買ってきたものだ。この本のいちばん最後の方に、ゲバラの顔写真のプラカードを掲げたキューバの民衆が、列を成して行進していく姿を撮った写真があるのだけれど、会場でこの写真を目にした瞬間、おれは本当に涙が出そうになった。ひとりの革命家が、これほどまでに愛され、慕われているのだと思った瞬間、抑えられない感動に胸を打たれた。

ゲバラが今でも多くの人間の心を揺さぶるのは、きっとその思想ではなく、その姿勢。描いた理想ではなくて、理想の為に生きたその生き方だと思う。だから30年以上の時を経た現代においても、色褪せることがないのだろう。

ゲバラのことを知らない人がいるなら、彼の写真を探してみてほしい。比較的大きな書店であれば、ゲバラのフォトブックは幾らでも置いてある。それから、壁一面にゲバラの肖像画が描かれたビルが建っている、キューバの街並を収めた写真を探してみてほしい。あれほど輝きを放った目をしている人間は他にいないと思うし、あの街並を見たならば、きっとキューバに行きたくなると思う。なにより単純に、格好良いからね。

だからおれは、いちどキューバに行ってみたいと、本当に思ってます。
ゲバラの生きた世界の空気をこの胸に吸ってみたいと、よく空想しています。

某先輩の挑発に、見事に乗ってしまったね。

「おれのプロ」再考

久しぶりに、本を買った。
松永真理さんのエッセイ集、『なぜ仕事をするの?』

松永真理さんといえば、やっぱり『iモード事件』が有名だよね。"iモード”の名付け親として、その新しいサービスが誕生するまでの顛末を綴ったこの作品は、過去に単行本で読んだけれど、とてもおもしろかった印象が残っている。そんな松永さんが、仕事に対するスタンスを問いかけたこのエッセイ集のことは、実はずっと前から気にはなっていたのだけれど、なぜかいつも、まだ手に取るタイミングじゃないような気がして、今日まで読めていなかったんだ。
本と出会うタイミングというのは、とても大切だと思う。興味があっても、なぜかレジに持っていけない本って、結構あるよね。特に深く考えるわけでなく、なんとなく「今じゃない」と思ったり、あるいは、それまでと変わらずに書棚に並んでいたはずなのに、ある時突然のように目に留まったりもする。本には、不思議とそういう引力のようなものがあると思う。まあでも、今になってこの作品を手に取るあたり、おれも悩んでいるのかな。

それで、松永さんのエッセイ集。
まだ買ったばかりで、1/3も読めていないけれど、ひとつ印象に残ることばがあったんだ。
世間一般の思い描くような「ふつうの姿」(それが何を意味するのかは、突き詰めるとよく分からないけれど)を目的に置くのではなくて、「自分自身」のために生きることを目的にしようと、22歳の時に決意した松永さんは、以後18年に渡ってビジネスの世界で活躍していくことになるのだけれど、その18年の経験の中で、こう考えるようになるんだ。
退屈するかしないかの違いというのは、プロかアマチュアかの違いなんじゃないか。そして、プロの条件というのは、やることを自分で見つけて、そこに向上心を持って、かつそれを持続できることではないか、って。

以前この場で、書いたことがある。
すごい人はたくさんいるけれど、おれには彼らと同じことは出来ない。でも逆に、おれにしか出来ないことだってある。だからおれは、「おれのプロ」を目指さないといけない、って。宮藤官九郎の言葉に惹かれた時だったね。
松永さんの言葉から発想していくと、おれのプロであろうとするならば、「おれが」やることを、おれ自身で見つけないといけない。おれがやること。それに対して正直に生きていれば、途絶えることのない向上心なんて、勝手についてくるような気がする。
だから、きっとプロは誰だって「おれのプロ」なんだ。

やることは、なんだっていいんだ。大切なのは、自分の正直に対して、そして自分の不正直に対しても、決して目を逸らさないことだと思う。そして、徹底的に自分の「正直」を突き詰めていくんだ。おれが自分で選んで進んでいく、おれの人生だからね。

そんな訳で、改めておれは、おれのプロを目指すことにします。

Thursday, June 23, 2005

抵抗勢力

社内のある方と仕事の打ち合わせをしていて、思ったことがある。
おれ自身が、抵抗勢力になりかけてるかもしれない。

実は今、お客様に対してある提案をしようとしている。その為の準備として、今日の夕方、ご提案ソリューションの担当者と打ち合わせをしたのだけれど、その打ち合わせにおいて、担当者と自分との間で意見が食い違ったんだ。
この担当者はスキルも高く、経験豊富なスペシャリストだった。それに対しておれはと言うと、残念ながら圧倒的なスキル不足が否めない若輩者、といった感じだ。なので、基本的におれとしては、担当者のスキルと成功体験をうまく活用できるような方向に進めていきたいと思っていた。
ただ、担当者とおれとでは、立場が違うんだよね。この担当者のミッションは、担当のソリューションを拡販すること。それに対しておれのミッションは、特定のお客様に対してサービスを提供すること。だから、おれの方が立場上、お客様に近いわけ。そうすると、お客様が現在置かれている環境や、お客様のカルチャー、あるいは経営上の課題やニーズといったことについては、当然ながら、おれの方が深く理解していなければならないよね。それは会社がおれに課している責任だと思うし、実際におれの方が状況を把握している、という自負もあるんだ。(とはいえ、必要なレベルにはまだ全然到達しないけれど。)

ただ、それ故に思ってしまうことがあるんだ。
はっきり言ってしまえば、提案の困難さだよね。

この担当者は、すごく大きなビジョンを持っていた。それは単なる夢物語で終わるような話ではなくて、具体的な筋書きを持ったビジョンだった。お客様の発した言葉に単純に応じただけの提案をするのではなくて、そこからより大きな絵を描こうとしていた。それはとても正しい態度だと思ったし、この方の高いスキルがあればこそのブループリントだった。
でもおれは、その時に別のことを考えてしまった。それは、過去の経緯。ここ数年続いている厳しい環境を考えた時に、どうしてもそのブループリントをお客様にぶつける「難しさ」が先に立ってしまったんだ。これまで幾度となく、同じような提案が浮かんでは消えていった。その呪縛からおれは、どうしても抜け出せなかった。そして結局、1時間以上も続いた打ち合わせの中で、明確な方向感も出せないままに終わってしまったんだ。

帰ってきて考え直すなかで、思った。おれが抵抗勢力になってる、って。
そして、うちのパートナーの「別に失うものもないし、やり方変えて失敗してもいいじゃん」って言葉を聞いた時に、その思いはさらに強くなっていった。抵抗勢力って、いちばん嫌いだったのにね。
やってみなきゃ、分からない。「難しい理由」から始める必要はないんだ。

そのことに気づくきっかけを与えてくれたことが、今日いちばんの収穫でした。

Sunday, June 19, 2005

友達へ

結婚おめでとう。

あのタックルとセービングは、トップリーグでも充分に通用したはずだと、今でも思ってます。

四股を踏む

昨日のことだけれど、実は新宿のクラブに行ってきた。
別にクラブに行きたかった訳ではなくて、そこで開催されたイベントが目的なんだ。
現役力士ブロガー「普天王」のどすこい異業種交流会、ってやつね。

このイベントのことを知ったのは、先輩の祐造さんから届いた案内メールがきっかけ。祐造さんは、「チーム普天王」と呼ばれる普天王関のサポートメンバーの1人なんだ。チーム普天王のメンバー5名のバックグラウンドは様々で、それぞれが自分の専門分野を生かしたサポート活動をしているらしい。その中で祐造さんは、自らが開発したスポーツ映像分析ソフト"Power Analysis"を活用して、普天王関の取組の分析をしているんだ。(相変わらず、この人の行動力と実行力には驚かされてしまう。)

普天王関は、先の五月場所で11勝4敗の好成績を挙げて、敢闘賞を受賞している。今は前頭10枚目だけれど、来場所には大きく番付を上げてくるみたい。結果が全ての厳しい相撲の世界で、白星を重ねて這い上がり、こうして自分の地位を築いていく。そして三賞受賞。角界に挑みながら、最後まで入幕できずに引退していく力士がどれほどいるだろう。それを考えただけでも、本当にすごい結果を残していると思う。

そんな普天王関の「もっと多くの人に相撲を好きになってもらいたい」という思いから始まった、このイベント。いい機会だし、ある意味チャンスかなと思って。祐造さんのメールを読んだ瞬間に、ほとんど即決だった。それで、うちのパートナーと、昨年までのチームメイトを誘って、一緒に行ってきたんだ。


感想はというと、正直に言ってしまうと、ちょっと微妙な感じだった。
少なくとも、イメージしていたものではなかったかな。

とはいえ、おれ個人としては、それなりに楽しかったんだ。祐造さんが運営に携わっていることもあって、関わりのある人達が結構いたからね。
例えば、栄養士の生天目さん。おれが引退した後のことだけど、東大ラグビー部の栄養面のサポートをしてくださっていて、社会人ではNECグリーンロケッツの栄養士をしていたこともあるんだって。今は法政大学のラグビー部のサポートをしてる、って言ってた。ラグビーの世界に繋がりがとても広く、とても気さくで格好良い女性。たくさん話せて楽しかったです。松岡さん誘って、呑みにでも行きたいですね。
それから、タニくんが来てくれた。うちのパートナーの高校時代の後輩で、大学の山岳部では、見事に8,000m級を踏破してしまったすごい経験の持ち主。タニくんと会うのは1年振りくらいで、しかも昨日が2回目だったのだけれど、話していてすごく楽しかった。最近はほとんど山に行っていないようだけれど、ライターの仕事が充実しているみたいで、いい表情してたね。
他にも大学の後輩や、学生時代にお世話になったマネージャーさんも参加していて、久しぶりに会った人も多かった。そういう意味では良い機会だったし、悪くなかったんじゃないかと思う。

でも、イベント自体の微妙な感じというのは、やっぱり拭い難いものがあった。
それはたぶん、「異業種交流会」というところから来ていたような気がするんだ。
異業種交流というと聞こえはいいけれど、実際に会場で繰り広げられていたのは、「交流」とは異なる感じだった。もちろんそれが全てではないし、実際の交流も盛んに行われていたと思うけれど、違和感を感じるシーンが多かったのは事実だ。
交流には、パワーがいると思うんだ。交流するふたりの間を流れるものって、刺激だと思う。自分と違うフィールドにいるやつの生き方や、考え方や、人間的魅力や、試みや、そういったものが刺激となって、自分の心に流れ込んでくる。でも、相手が刺激を発してくれるのは、自分の中に相手を刺激させるなにかがある時だと思う。
パワーがなかったら、交流なんて出来ないんじゃないかな。
名刺交換をすることが交流じゃない。一方的に自分を宣伝して、ここぞとばかりにエゴの押し売りをするのは、「交流」を誤解しているんじゃないかと思う。
タニくんの紹介で知り合った編集者の紺野さんは、そのことをして「なるほどレベル」と表現していた。

とりあえず乾杯をする。名刺交換をして、話し始める。「今わたし、ある大学のサークルに所属していて、メンバーの皆とこんなプロジェクトをやっているんです。こんな理想を持って、皆で楽しく運営していて、だからあなたにも是非来てみてほしい。」
そして、答える。「なるほど」って。

誰とでも交流なんて出来ない。交流するには、パワーがいるんです。
詳しくは知らないけれど、「チーム普天王」のメンバーだって、普天王の心意気に惚れ込んだからこそ、それぞれが自分のエネルギーを注ぎ込んでサポート活動を行い、交流をしているのだと思う。イベントの出発点だって、きっとそこにあったはずだから。異業種交流会によって、交流の難しさを知る、というのも皮肉な話ではあるけどね。

でもね、嬉しかったこともあるんだ。
ひとつは、普天王関と握手をしたこと。名刺を渡して、手形の捺された色紙を貰った。スポーツの世界で輝きを発している人に出会うのは、とにかく単純に嬉しいよね。
そしてもうひとつは、四股を見たこと。イベントの最後に、ステージの上で普天王関が四股を踏んでみせたのだけれど、それが本当に良かった。どっしりとして、安定していて。本気で踏んだものではないかもしれないけれど、必ずしも相撲に興味があって参加している人達ばかりではなく、イベントにおける相撲の位置づけが曖昧になっていた中で、あの四股を目の当たりに出来たのは、純粋に嬉しかった。
2時間半のイベントの中で、最も感動したのが、あの四股だったよ。今の位置まで駆け上がるのに、何度四股を踏んできたんだろう。笑顔で踏んでくれた四股だけれど、その安定感の後ろにあるものを思った時に、「凄さ」を感じずにはいられない。

あざーす。
次の場所での活躍、期待しています。

Saturday, June 18, 2005

その先を考える

"Three Questions"という考え方があるらしい。
同じチームのメンバーとして一緒に仕事をしている先輩が、教えてくれた。

"Three Questions"というのは、『三度「なぜ」を考える』ということ。
三度考えれば、大方の問題はクリアできるはずだ。そして、それは裏を返せば、三度問うまでは簡単に分かった気になってはいけない、ということでもある。仕事上のトラブルがあって、解決が困難な問題が発生したときに、そんなことを話してくれた。

いい言葉だと思う。
なにか問題が起こったとする。誰だって、まずはその原因を考えてみるだろう。でも、そこで思い至った原因の先まで、さらに掘り下げていく。原因というのは、なにか別の原因から導き出された結果だからね。そうやって因果関係を辿っていくことで初めて、その問題を引き起こした本当の原因が見えてくる。そこまで遡らなければ、きっと同じ問題は繰り返されるだろうし、本質的な意味での「対策」というのは浮かび上がってこないと思う。

でも、この先輩のことばの肝は、そこじゃないんだ。
忘れてはいけないのは、「三度考える」のはとてもタフな作業だ、ということ。
考えるのは、分かりたいからだ。でも、分かるまで考え続けるというのは、本当にしんどい作業だと思う。最後まで分からないかもしれない。分かったつもりになる方がずっと簡単だし、それに、分かった気にさせてくれるものは、至る所に転がっている。
例えば、慣習やルール。今までそうだった。ルール上そうなっている。こう言い切ってしまうことで、分かった気になってしまう。こういう態度は、会社組織にはとても多いよね。決してその先に踏み込んでいこうとしない。なぜ今までそうしてきたのか。その背景にはどういった目的があって、どういった風土が影響しているのか。そして、今後もその慣習を続けていくことは、本当に適切な態度なのか。そうやって問い進んでいくことをせずに、慣習やルールで片付けてしまうことが、どれほど多いだろう。

この言葉を教えてくれた先輩は、言ってた。「問い続けるのは、お客様の為だ」って。お客様にご迷惑をかける可能性のある問題が起こった時に、分かったつもりで終わってしまったら、本当の意味でのお客様への貢献など出来ない。そしてこの先輩は、さらにこう付け加えた。
「お客様が困るか、自分が困るか。自分が困るだけなら、大したことじゃない。」
つまり、情熱。
実際には、解決しない問題だってあるかもしれない。でも、根本まで踏み込んで問題を解決しようと努めなかったら、お客様に迷惑をかけることになる。お客様の為に、情熱を持って仕事しているからこそ、この先輩は三度考えるんだ。
そのことを目の当たりにして、本当にすごいと思ったよ。
ちょっと困っちゃうくらい話の長い先輩だけど、その情熱を、単純にすごいと思った。

"Three Questions"の先にあるのは、情熱。
本質をつかまえたいという強い意志と、問い続けるタフネス。
きっとそれこそが、「考える」ということなんだね。

Thursday, June 16, 2005

Japanese

パートナーのアトリエを作っていて、思ったことがある。
それは、「日本語」という特殊性と、閉鎖性。

アトリエには、"Flickr"というフォトシェアリング・ツールを使っている。Flickrを選んだのは、Bloggerに写真を載せることが出来るからだ。実はBloggerは、写真を表示させる機能を標準では備えていないので、Flickrであったり、Helloであったり、そういった別のツールを使う必要が生じてくるんだよね。過去に載せた数少ない写真は、Helloというツールを使って載せたのだけれど、困ったことに、こいつはMacでは動作しない。それで、自宅のMacからでも写真を載せることが出来るようにと思って、Flickrのアカウントを作ったんだ。とはいいながら、基本的にこのブログは文章のみでいこうと思っているのだけれど。

そんな訳で、Flickrを使い始めてみたのだけれど、実際に使ってみると、想像以上によいツールだった。もともとはBloggerに写真を載せることが目的だったのだけれど、フォトシェアリングには想像していた以上のおもしろさがあるような気がしてきて。
例えばFlickrなら、同じ興味を持っている人、同じ音楽を聴く人、あるいは同じ地域に住んでいる人、そういった人を探していって、その人の撮った写真にアクセスしたり、コメントを残したり、そういったことが可能だ。あるいは、写真にタグをつけておけば、キーワード検索で、あるテーマの写真を片っ端から拾ってくることも出来る。Contactといって、ブログでいう「読者」にあたるようなものもあったりする。
でね、ちょっとそういうので遊んでみたりしていたのだけれど、そこで「日本語」というのがひとつの壁になるんだ。というのは、すごく単純なことだけれど、Flickrは英語のツールなので、圧倒的に英語圏のユーザーが多いんだよね。もちろん「写真」そのものには言語は関係ないけれど、フォトシェアリングから発展していくコミュニケーションの大部分は、英語によるものだろうと思う。
実はこれは、Bloggerも同じなんだ。Bloggerは最近インターフェースが日本語対応して、日本人にも使いやすくなったけれど、既存のアカウントのほとんどは英語圏の人間のものだと思う。だから、日本語をベースにして広げていくのは難しいよね。

おれ自身は、不特定多数のアクセスを集めたいとは全然思っていないけれど、「日本語」というだけでコミュニケーションに一定の制限が生まれるという事実は、とても重要だと思う。このインパクトはほとんど圧倒的だ。
「日本語」という言語は、ごく限られた範囲でしか理解されない。それは言い方を変えれば、ごく限られた範囲でしか勝負できないということでもあると思う。そして、これにはふたつの側面があるんだよね。
ひとつは、自分の勝負できる場所が単純に制限される、ということ。
もうひとつは、逆に日本語が使えない人間には上がってこれない勝負の舞台もある、ということ。
例えば、営業なんかはまさにそうだよね。日本でトップセールスだったとしても、英語が使えない限り、その営業スキルをもって世界での勝負に繰り出していくことはできない。その一方で、日本のセールスマンは、海外のセールスマンとの競争から守られているよね。彼らが日本語を話せない、という単純な事実によって。

BloggerやFlickrといったツールを使っていると、やっぱりそのことに若干のもどかしさを覚えるんだ。「日本語」というただそれだけの事実によって、こうしたツールが持つ魅力の少なくともある部分は、大幅に失われてしまっているような気がして。それは結局のところ、日本語が本質的に持っている特殊性であり、閉鎖性なのかもしれない。
それでもおれは、日本語で書き続けるし、日本語でしか書けない。
ただ、「日本語で書く」というのがどういうことなのかは忘れちゃいけないと、そう思ってます。

Wednesday, June 15, 2005

裁判と報道について

児童性的虐待の罪に問われていたマイケル・ジャクソンに対して、無罪評決が下されたのだけれど、このことに関する今日の報道を見ていて、ちょっと引っ掛かったことがふたつあるんだ。

ひとつは、今朝のニュース番組でのこと。
現地の裁判所前から中継していたキャスターのコメントなのだけれど。
「もともと十分な証拠の提示がなく、起訴自体の正当性が疑われた中での判決は、大方の予想通り、全面無罪となりました。」

正直に言って、おれはこのニュースに強い関心がなかったので、これまでの報道の経緯が分からないのだけれど、「起訴自体の正当性が疑われ」ているという指摘は、従来から報道されていたことなのだろうか。「大方の予想」では無罪と考えられていた、という事実も、実はこのコメントで初めて知った。いろいろ調べてみると、どうやら米国の専門家の間では「10の罪状のうち2〜3は有罪では」というのが大方の見方だったようだけれど、そのことも知らなかった。
こういうことって、マイケル・ジャクソンが起訴されてから今日に至るまでの間に、どんなふうに報道されていたのだろう。知っている人がいれば(というか、恥ずかしながらおれはよく知らないので)、是非教えてほしい。
というのは、おれ自身の感覚では、彼が起訴された時点で、既に有罪が確定しているかのような報道のされ方だった印象があったので、このコメントに違和感を感じてしまったんだよね。無罪判決が出た途端に態度が反転したような、そんな感じがして。
過去の報道に対するおれの認識が正しいかどうかがそもそも怪しいので、迂闊なことは言いたくないのだけれど、ちょっとだけ「怖さ」を感じたコメントだった。

もうひとつは、報道ステーションでの古館さんのコメント。
「結局、金を持っている人間が有能な弁護士をつければ、裁判に勝ててしまうんですかね。」

これには、はっきりと違和感を覚えた。この発言は、絶対におかしいと思う。
小室直樹さんの『痛快!憲法学』が教えてくれたことだけれど、弁護士の力を借りて、裁判の場で己の潔白を証明するのは、全国民にあまねく認められた当然の権利だ。どんな状況下にあっても尊重されなければいけない、基本的人権。その人が資産を持っているかどうか、あるいは弁護士にどれだけの対価を払ったか、そんなことによって歪められてはいけないものだと思う。
小室さんの『痛快!憲法学』の中で、すごく印象に残った一節がある。

裁判で裁かれるのは、被告ではありません。行政権力の代理人たる検察官なのです。

裁判官が本当に判断すべきなのは、検察側に落ち度がなかったかどうかだ。検察側の説明に一点の曇りもないか、あるいは立証の手続きに問題がないかどうか、そのことをこそ裁くべきなんだ。基本的に、犯罪の立証責任は検察側にある。その立証のロジックや手続きにおいてひとつでも法律上の問題があったならば、検察側の主張は退けられるべきだ。疑わしきは罰せず、これこそが大原則だと思う。
検察というのは、国家権力を代理するものだ。国家には、凄まじい権力がある。ひとたび権力の暴走を許せば、国民の基本的人権なんて簡単に蹂躙される。警察と軍隊という暴力装置を持っていることだけでも、国家権力の力の恐ろしさは分かるはずだ。そんな怪物たる国家だからこそ、ホッブスは「リヴァイアサン」と表現した訳だよね。
だからこそ、国家権力の暴走を食い止め、国民の基本的人権を守り抜くために、権力は法の縛りを受けなければいけない。裁判という、司法権の行使される場において、この原則が失われてしまうとしたら、これほど恐ろしいことはないと思う。

弁護士による弁護を受ける、というのは、「権力の恐ろしさ」を前提としているからこそ導き出される、全国民の当然の権利だ。そのことが、公の電波の上でこれほどまでにないがしろにされる、というのは、かなり問題があると思う。
さらに言うなら、報道機関の使命のひとつは、権力の監視にこそあるはずだと思う。マスコミによる監視機能が働くからこそ、権力のいたずらな濫用は許されない。本来そうした役割を担うべき報道機関が、むしろ権力側の立場に立ったかの報道をすること自体に、そもそも疑問がある。「国民のために」なんて言葉は、言葉だけじゃないか。

はっきり言っておれ自身は、別にこの裁判自体に特別な興味はない。
マイケル・ジャクソンに対する特別な感情もないし、真実がどうであったかはおれには知りようがない。
それでもさ、やっぱりどこかおかしいと思うよ。
長々と書いてしまったけれど、ちょっとした「怖さ」を感じた出来事だった。

Tuesday, June 14, 2005

アトリエ

うちのパートナーのアトリエを作ってみたので、もしよければ。
(Flickr Photos)

再挑戦

昨日のことだけれど、初めてタマリバの練習に参加してきた。
結論からいうと、とても刺激的な2時間になりました。

タマリバクラブというのは、現在日本で最も強いラグビーのクラブチーム。早稲田大学のOBが中心となって立ち上げたクラブだけれど、今は早稲田以外の出身の選手も多く在籍していて、一般的に抱かれているイメージよりもオープンなクラブだと思う。東大出身のメンバーもふたり所属しているし、これまで練習に参加させてもらっていたWMMのキャプテンも、実は以前はタマリバのメンバーだったんだ。そういう意味では、おれにとっても比較的なじみのあるクラブ、ということになるよね。
(ちなみに、WMMのキャプテンは東大時代のひとつ先輩。大学卒業後、タマリバでのチャレンジをしていたのだけれど、自分が骨を埋めるクラブはここじゃないという思い、そして東大の魂を結束させればタマリバを越えるチームを創り上げることだって出来る、という思いから、タマリバを離れて新たなクラブ「WMM」を立ち上げたんだ。この先輩には、やっぱり他の仲間とは違う思いを持ってます。)

今のおれは、実はどのチームにも選手登録がない。まったくもってフリーの状態なんだ。クラブチームの選手登録はとても厳格らしくて、登録がなければ公式戦にはとても出場できない。だから、練習に参加していても、ゲームをする機会は多くは得られなかったのだけれど、この間のタマリバ戦の後に、現在はタマリバの練習に参加している後輩のミヤハラが、いいことを教えてくれたんだ。

東日本クラブトップリーグの選手登録は、まだ間に合うんだって。

これを聞いた瞬間、俄然闘争心が沸き上がってきた。ちょうどタマリバ戦を通じて、自分にまだチャレンジできる余地が残っているんじゃないかと思えたこともあって、今シーズンの可能性を探りたい、という思いが抑え切れなくなってしまった。練習したい。クラブチームとはいえ、上手くなる為の練習が出来る環境がほしい。そして秋に、公式戦を闘ってみたい。そんな思いは、あっという間に自分の感情を支配していったんだ。

昨日の練習は、そのための1歩目。
日本で最も強いクラブの練習に参加させてもらったのは、単純にいい経験になった。
練習は、今のおれにはかなりしんどかったけれど、それ以上に面白くて、とても刺激的だった。とにかくよく走ってる。昨年までいたチームのメンバーに話したら笑われてしまうだろうけれど、練習であれだけきちんと走るクラブは殆どないと思う。状況やルールを変えながら、常にゲームを意識して繰り広げられるタッチフット。そしてその後は、10分×3本のガチンコ勝負。自分たちのスタイルが明確に意識された、素早い出足とタックルが随所にみられて、久しぶりにかなり燃えたよ。
確かに練習中のミスもかなりあった。タマリバが日本一のクラブといっても、学生トップにはまだ勝てない。でもさ、やっぱりいいチームだと思うよ。限られた自分の時間を惜しみなくグランドに持ってくるやつらの集団なんだ、ということがはっきり分かるクラブだからね。

そんな訳で、今のおれは、タマリバに選手登録する方向で話を進めようとしています。いろいろと調整しなければいけないこともあるのだけれど、やる場所があるなら、やっぱりやりたいと思っている。ただ、タマリバで試合に出られる保証はどこにもない。どこまで出来るか分からないけれど、ここからは自分のチャレンジ。なんのとまどいもありません。

楽しみで仕方ないよ。

Sunday, June 12, 2005

The Gates

今朝、ずっと楽しみに待っていたものがようやく届いた。
Christo and Jeanne - Claude
"The Gates"
Central Park, New York City, 1979-2005

引退して暫くした頃、偶然見ていた「日曜美術館」で、クリストとジャンヌ=クロードのふたりが取り上げられていた。ちょうどその頃、NYのセントラル・パークで実現された"The Gates Project"の特集。それが、本当に感動的だったんだ。

このふたりは過去に、とても信じられないような規模のアート・プロジェクトを幾つも実現している。
例えば、"Surrounded Islands, Biscayne Bay, Miami, Florida, 1980-83"
http://www.christojeanneclaude.net/si.html
マイアミの孤島をピンクの布で覆ってしまった作品。当時の彼らは、Wrap(包み隠すこと)によってより鮮明な形で明らかにされるなにかを追求していて、これ以外にも多くのものを実際に覆い隠している。パリの橋であったり、ドイツの城であったり、その試みの向かう先は世界中に広がっていく。どれをとっても言えることだけれど、プロジェクトの規模と実行力、なによりその美しさには驚くばかりだ。
そしてふたりの試みは、Wrapだけに収束しない。
その中でもおれが特に好きなのは、"The Umbrellas, Japan - USA, 1984-91"
http://www.christojeanneclaude.net/um.html
時を同じくして、日本に青い傘を、そしてアメリカには黄色の傘を広げた作品。
なぜだか分からないけれど、心の奥底を震わせてくれる、そんな傘の世界。壮大で、どこか優しくて、なにより美しくて。まさにふたりの人間性が詰まったような作品だと思う。

その彼らが、20年以上の時を経て、2005年春にようやく実現させたプロジェクト。
それが、"The Gates, Central Park, New York City, 1979-2005"
http://www.christojeanneclaude.net/tg.html
今朝おれの家に届いたのは、こいつのフォト・ブックなんだ。

NYのセントラル・パーク一面に、オレンジの布を懸けたゲートを並べていく、このプロジェクト。1979年に初めて彼らがその構想を発表した時、NY市民は大反対したんだって。セントラル・パークを私物化している。NY市民にとって最も大切な憩いの場に勝手に手を加えないでくれ。そんな批判が巻き起こったそうだ。結局NY市の承認も下りなかったんだ。
でも、彼らはあきらめない。長い時間をかけて、自分たちのプロジェクトが受け入れられる為の活動を続けていく。公園の敷地内に、ゲートを刺し込む為の穴を開けることが問題とされれば、彼らは穴を開けずに済むような土台の設計に着手し、プロジェクトを煮詰めていく。安全性の問題を指摘されれば、ゲートの組み立て方法から洗い直し、ゲートが倒れないように細心の注意を払っていく。そうやって少しずつ、でも確実に前へと進んでいく。彼らは決してセントラル・パークを私物化したのではないと思う。そうではなくて、彼らは、NY市民にとってセントラル・パークがいかに大切な空間なのかを分かっていたんだろうね。
そして、今年の春についに実現された、オレンジのセントラル・パーク。
その美しさは、TVを通してさえ、まさに息を呑むほどだったよ。
悔しかった。本当に、この目で直に見たかった。オレンジのセントラル・パークを歩いてみたかった。わずか16日間の試みだったのだけれど、この時公園を歩いた多くの人の心のなかに、きっとなにかを残したはずだと思う。ふたりの芸術家の思いがこれ以上ないくらいに込められた、最高のプロジェクトだとおれは勝手に思ってます。

ちなみに、このふたりはプロジェクト資金を得る為に、一切のスポンサーを受けていない。スポンサーの介在によってプロジェクトの本質が失われることを懸念してのことだと思うけれど、なにより凄いのは、彼らが自ら描いたプロジェクトのデッサンを買ってもらうことによって、プロジェクト資金を調達していることだよね。このデッサンがまた秀逸なんだ。"The Gates"のデッサンなんかを見ると、このプロジェクトの魅力や美しさ、NY市民にとっての価値やそこに込められた思いを伝えるのに、これ以上のものはないんじゃないか、と思ってしまうような、それほどに素晴らしいデッサンだと思うよ。

だからおれは、ThinkPadの壁紙にしてます。

跡地

昨日のことだけれど、昨年までおれが所属していたチームのメンバー10名と、焼肉を食べてきた。このチームのメンバーの間では有名な、武蔵中原の名店「ホルセン」ね。実はこの店、おれは昨日が初めてだった。引退してから、こういう形で来ることになるとは思ってなかったよ。
引退してからもう半年近くなるけれど、元チームメイトと呑む機会が現役の頃よりも増えたような気がする。自分でいうのもなんだけれど、結構引っ込み思案な性格で、現役の頃はあまりそういう場に顔を出すことがなかったんだ。不思議なものだなと思うよ。今だから気さくに話せるような部分があったりもするしね。こういう繋がりは、本当に大切にしていきたいと、最近よく思います。

それから、このブログが思っていた以上に読まれていることを知って、正直かなり驚いた。そんなつもりで書いていなかったからね。
ここは、おれの跡地です。
引退してしばらくした頃に、おれの心をなぜかよぎった、親父の好きな言葉。
「日々是感動」
この言葉は、正しいかどうかは知らないけれど、おれ自身の英訳によって、このブログのタイトルにもなっている。感動というのは、心を開くことだと思う。感ずるところなんて、そこらじゅうにあるはずなんだ。ただその瞬間に、扉が閉じてさえいなければ、感動はいろんなところに転がっていると思う。そして、「どう感じるか」はきっと、「どう生きるか」を決めるスタートライン。あとは感じたままに動けばいいだけだからね。
特に考えて始めた訳ではないけれど、きっとおれは、まずは扉を開けようと思って、この試みを始めたのかなって、今にしてみれば思ったりもするんだ。
そして、だからこそここは、おれの跡地なんです。
なにかを感じたときに、その「感じ」に形を与えていくような、そんな作業の跡。

でもさ、跡地だってきちんとデザインすれば、別のなにかにもなり得るのかなって。
今はひそかに、そんなことを企んでいたりもします。

Friday, June 10, 2005

『空港にて』読了

村上龍さんの短編集『空港にて』、読了。
ここのところ小説となると、ほとんど龍さんしか読んでないかもしれないね。

本には、あるいは作家には、出逢う時期というのがあると思う。
同じ1冊の本でも、いつ出逢い、手に取るかによって響き方はまったく違うものになる。そしてその出逢い方がぴたりとはまると、それは自分にとっての「世界」の少なくともある部分を、本当にがらりと変えてしまったりするよね。
大学を卒業してからのおれにとって、龍さんはまさにそれだった。

龍さんの作品を最初に読んだのは、おそらく高校生の頃だと思う。
今はポーランドにいる親友が薦めてくれたのが、『五分後の世界』だった。その時も良い作品だと思ったけれど、本当に自分の価値観やものの見方を揺さぶるようなインパクトは、当時のおれにはなかったかもしれない。今考えると、その頃のおれには、この作品を受け入れるだけの土壌がなかったのかなと思うけれど。
次に龍さんの作品を手に取ることになるのは、随分先の2000年。その頃刊行された『希望の国のエクソダス』という作品を、ラグビー部の先輩が薦めてくれたのだけれど、こいつは掛け値なしに素晴らしかった。その時の感動は今でも覚えてるよ。
龍さんは当時、インターネット上で読者に対して「日本の教育問題を解決する方法は?」という問いかけをしていた。龍さんがこの問いに対して用意していた答えは「全国の中学生が一斉に集団不登校をする」というものだったのだけれど、その答えに対して、読者からはかなりの(否定的な)反響があったらしい。そうした反響を受けて龍さんは、教育に対する解のひとつを「小説」という形式で提示することになるのだけれど、それがこの作品。
パキスタンで地雷処理に従事する16歳の少年「ナマムギ」の存在がトリガーとなって、全国の中学校で集団不登校が発生するところから、物語は始まる。数十万にのぼる不登校の生徒たちは、ポンちゃんというひとりの少年を中心として、"ASUNARO"という名の全国的なネットワークを形成していく。"ASUNARO"はやがて、インターネットを最大限に活用して経済的自立をなし得ると、物凄いムーブメントを巻き起こしていく。そしてポンちゃんたちは、彼らなりの「日本への回答」を求めて、ひとつの試みへと向かっていく。
ドラスティックな展開と大胆な設定。でもそれだけじゃない。徹底的に精緻な取材をして、極めて緻密に、正確に書こうという姿勢が貫かれている。龍さんらしい本当に良い作品だと思う。
この小説の中で、主人公のポンちゃんが国会で答弁をするシーンがあるのだけれど、そこでポンちゃんが語った言葉は、とても印象的なものだった。
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
これほど鋭く日本の現在を切り取った言葉は、他にはないと思う。

さて、長くなってしまったけれど、その後社会人になって『69』と出逢うと、そこからはもうひたすら龍さんの作品を読み耽ることになる。『五分後の世界』や『希望の国のエクソダス』も、改めて読み直した。小説、エッセイ、対談。あらゆるものに惹かれ、次から次へと手に取るようになった。過去の作品すべてを読み切るまではまだ遠いけれど、これから先も、当分は龍さんの作品を追い続けることになると思う。龍さんの一連の著作は、単純におもしろいというだけではなくて、おれの考え方や、ちょっと大袈裟に言えば「世界の見方」のある部分を、自分でも驚いてしまうほどに変えてしまうことになった。厳密に言うと、「変えた」というよりも、自分の中にくすぶっていたものに、ある種の形を与えてくれた、と言った方が近いかもしれない。
だからおれは、龍さんのことは、尊敬してやみません。

そんな龍さんの短編集『空港にて』。
『空港にて』は、日常的な空間におけるごく限られた時間を切り出して、そこに凝縮されたエッセンスを詰め込んだような作品。例えば空港で待ち合わせをしているほんの数分、あるいはコンビニで商品を選んでいるわずか数秒。そうした短い時間の中に、なんらかの意味づけを与えていくような背景や、過去や、そういうものが丁寧に織り込まれていく。そして、そんな作品の中で龍さんは、「希望」を書こうとしたのだと、あとがきに残している。
「希望」というのは、きっと人それぞれのものだと思う。5年前にポンちゃんが語ったように、そもそも現代の日本において、共同体として共有されるような希望というのは、もはや成立しないのかもしれない。それでもこの短編の中には、希望らしきものが散りばめられているし、それをおれは、希望のひとつの形として受け止めている。
そういう「希望」のあり方は、嫌いじゃありません。

とても良い短編。すぐに読めるし、良かったら読んでみてください。

Tuesday, June 07, 2005

魂を生きる

世界最高齢、71歳でのヨット単独無寄港世界1周の達成から一夜。
斉藤さんが、今朝のニュース番組に生出演していたのだけれど、その中で、すごく印象に残った言葉があったんだ。

234日の航海を終えた愛艇「酒呑童子Ⅱ」の上から、斉藤さんはスタジオのアナウンサーの質問に答えていくのだけれど、ひとしきり愛艇の状況や、航海中の食事に関する話題を終えたところで、アナウンサーがこんな質問をしたんだ。
「今回の航海で得たものは、なんですか?」
それに対して斉藤さんは、特に考え込む様な素振りもなく、ごく自然な態度で淡々と答えるのだけれど、その時の斉藤さんの言葉に、すごく新鮮な感覚を覚えたんだ。
斉藤さんの答えは、ひとこと。

「なにもないよ」

この時に、心底思った。この人は、ただやりたかったんだ、って。
ただやりたい。この思いこそ原点だよね。斉藤さんは、決してなにかを得る為に海に出たのではないんだ。ただ、どうしようもなくチャレンジしたかったんだ。それはきっと、いっさいの打算が介在しない純真無垢の欲求。斉藤さんは、そんな自分のコアの欲求に誰よりも実直だったんだろうな。
あの言葉を聞いた瞬間、そんなふうに思った。

それにしても、アナウンサーの質問。
こういう質問には、一定の答えが返ってくることを最初から前提にしているようなところがあるよね。
「挑戦し続けることの大切さを改めて知ったことですね」
「幾つになっても、挑戦し続ければ絶対に夢は叶うんだ、という自信ですね」
例えばこんな答えというのが、質問者や、それを見ている側の人間の中で、最初からある程度期待されているような感じがする。こういうところは、とても日本的なコミュニケーションだと思うのだけれど、答える前から、答えに対してある程度の「期待値の幅」が忍び込ませてあるような質問というのは、実はかなりあるよね。
よく友達に話していたのは、野球のヒーローインタビュー。
あれなんかは、そもそも質問をしない。
「初球のストレート — 狙ってました。」なんて言われると、
「そうですね。前の打席では内角を詰まらされていたんでね、同じ配球が来るだろうと狙ってましたね。」なんて返してしまう。
考えてみれば、とても不思議なコミュニケーションだと思う。もっと言えば、そもそもコミュニケーションと言えるのかどうかも怪しいかもしれない。

斉藤さんの答えは、その期待値に収まっていかない。そこがきっと、斉藤さんの魅力なのだと思う。少なくともおれは、そういう姿勢は格好良いと思う。
「なにもないよ」という言葉は、期待値の外側にある。それはとりもなおさず、斉藤さんが「周囲の期待値」ではなくて「自分の魂」を言葉にしている、ということだと思う。そして言葉は、その人そのもの。自分の魂を語る斉藤さんは、自分の魂を生きている人でもあるんだろうなって、そう思った。

それが、格好良いんだね。

Monday, June 06, 2005

孤闘するひとへ

酒呑童子Ⅱがついに、列島に辿り着いた。
http://www.canal-wt.com/~Challenge-7/index.htm

斉藤実さんのことは、日本ではあまり知られていない。
今回で世界を7回廻ったことになる恐るべきおっさんだけれど、報道もほとんどされていなくて、ヨットに携わる人間と『孤闘』を読んだ人間以外には、あまり目に触れることがないのだと思う。
斉藤さんの著書『孤闘』を読んだ時、その凄まじさに圧倒された。
凄まじさというのは、徹底して己の信念のみの為に生きる姿勢の迫力。30代半ばにして出逢ったヨットに己の全てを惜しみなく捧げるその生き方は、本当に凄まじいとしか言いようがない。

おれは斉藤さんのことを、その著書でしか知らない。
もちろん、会ったことも話したこともない。
それでもこうしておれの心に突き刺さってくる、迫力。
現在71歳。世界を6周してなお単独無寄港世界1周にチャレンジする、あくなき欲求と挑戦心。そして、それを見事に達成してしまう行動力と実行力。
ほんと、すごいおっさんです。三崎から遠く離れた綾瀬の部屋で、ひとり勝手に尊敬しています。

Sunday, June 05, 2005

タマリバ戦

6月5日(日)11:30 K.O. @東大駒場G
WMM 17-15 タマリバ

ずっと楽しみにしていたゲーム、なんとかものにしました。
厳しいゲームだった。前半こそ5−0とリードして折り返したものの、後半に入ると自分たちのミスから2トライを奪われ、12-15と逆転を許してしまう。そして、リードされたまま終了間際を迎えるのだけれど、土壇場のところでビッグプレーが生まれる。敵陣ゴール前での相手キックをFLの宋がチャージ、こぼれたボールをNo.8の依田がすかさず押さえて逆転トライ。これで辛くも勝利を掴むことができた。
とにかく、勝ってよかったよ。

はっきり言って、WMMは巧いチームじゃない。センス溢れるような選手は、ほとんど皆無と言ってもいいと思う。走り切れるWTBだっていない。FWのサイズだって大きくないし、気の利いたプレーが出来る選手は数えるほどしかいないチームだ。(おれ自身、気の利いたプレーなんて全然出来ないけれど。)
でも勝てたのは、ひとえにディフェンスだったと思う。
WMMのゲームの中では、今日のディフェンスの出来はとてもよかった。Ch0-1のところは殆ど切られなかったし、逆に接点で押し込んでいくシーンもかなりあった。とにかくしつこいタックル、というのは、忘れちゃいけない東大のアイデンティティだからね。
個人的にも、タックルはそんなに錆び付いてないような気がして、少しだけうれしかった。1トライも取ったし、1ヶ月振りのゲームにしてはそれほど悪くなかったんじゃないかと思う。
おれ自身の今後の課題は、細かいミスをとにかく無くすこと。そして、もっと走ることだね。アタックセンスは相変わらずないけれど、がむしゃらに乗っていけば、いずれ活路は開けるかなって。

そんなわけで、タマリバに勝利できたのは、まずはよかった。
でも、あれ2本目だね。メンツ1.5本目、メンタル2本目だ。
WMMとしては、どんな形であれ、相手がどんなメンツであれ、タマリバに勝利した意味は大きい。けれど、発足当初の目標を失っていないなら、あれがターゲットじゃないと痛切に感じた。実際、タマリバの主力メンバーは、同じく今日行われたセブンスの大会に参加しているらしい。次はもっと相手が本気になるようなマッチメイクが出来るといいなと思うよ。CTBとしては、やっぱり裕司さんに出てほしかったね。

それから、ちとがっかりしたこともある。
それは、集合時間に全然メンバーが集まらなかったこと。時間までに来たのは、わずか3人だけだった。アップに間に合わないとか、そういうことはなかったけれど、どうせ来ないのなら最初から時間を遅くすればいいのに。
本音を言うと、この時かなりモチベーションが下がった。なんだそれ、って。
クラブラグビーだから、基本は選手の自主性のもとに、やりたいやつが集まればいいのだけれど、でもやっぱり、どうかと思うんだ。来ると言ったのは自分なのだから、約束を守るのは最低限のマナーだと思う。集合時間が早すぎるのなら、遅くすればいい。そんなに難しいことではないと思うのだけれど。

WMMは、今日のゲームをもって、暫くオフに入るらしい。
おれはというと、次の目標は国体予選だね。出番があるかどうかは分からないけれど、ゲームに向けて練習は続けていきたいと思っている。ただ、WMMがオフになってしまうと、次の練習環境を探さないといけないので、ちょっと困っている。

なので今後は、タマリバの練習にちょっと顔を出してみようかと思ってるところです。

Saturday, June 04, 2005

『痛快!憲法学』読了

小室直樹さんの『痛快!憲法学』を、先日ついに読み切った。
あまりに刺激的で、ほとんど感動してしまうほどだった。
ちょっと分量は多いけれど、出来る限り多くの人に読んでほしい一冊だね。

そもそも、憲法はなぜ必要なのだろう。
小室さんの説明は、こんな基本的な質問から始まる。
小室さんによると、法というのは「誰かに対して書かれた強制的な命令」というように定義される。どんな法にも対象がある。対象となる「誰か」は法によって異なるけれど、その「誰か」は必ず法を守らなければならないし、法によって一定の縛りを受けることになる。
それならば、憲法は誰に対して書かれたものなのか。
小室さんは、明確にこういうわけ。憲法とは「国家」を縛る法である、って。
ホッブスは国家権力を「リヴァイアサン」と形容したけれど、国家権力の持つ力は恐るべきものがある。近代国家には、軍隊や警察といった暴力装置を持ち、ひとたび暴走を許せば、国民の基本的人権など容易に奪うだけの権力を備えている。そんな怪物を縛りつけ、国民の基本的人権を守り抜く為に、憲法は存在するんだ。
こんな憲法の基礎すら、自分の中で明確に落とし込まれている人間は少ないだろうと思う。おれ自身がまさにそうだった。日本では改憲論議が起こり始めているけれど、憲法の意味すら知らないようでは、改憲論の是非を問う以前の問題だよね。

おれは、憲法の存在理由が語られた1章・2章で完全にまいってしまったのだけれど、ここから先もすごい。
国家を縛る法としての「憲法」を語る為には、まずは憲法の発祥たる中性ヨーロッパにおいて「国家」というものがいかにして生まれたのかを知らなければならない。そして、その「国家」がリヴァイアサンとなる過程を知らなければならない。さらには、その後の近代革命とジョン・ロックの「社会契約説」によって方向づけられた近代国家の新たな道筋を、そして民主主義の意味も知らなければならない。そして、こうしたことを本質的に理解する為には、すべての前提たるキリスト教と予定説を知らなければならない。
このようにして、小室さんは憲法の本質に深く迫り込んでいく。
しかも、とても易しいことばで。
するとその時、初めて見えてくることがある。それは、日本国憲法の現在。日本における憲法の問題がいったいどこにあるのか、現在の日本はどのような状況に置かれているのか、そういったことが、今までとは違った形で浮かびあがってくるんだ。
こうした思考の過程を辿っていくのは、本当に刺激的だよね。

ずっと思ってきたことではあるけれど、この本を読んで、改めて日本が民主主義国家でも自由主義国家でもないことが分かった。小室さんは「近代国家ですらない」とまで言っている。日本が背負った問題の根は、あまりに深く、途方に暮れてしまうほどだね。
それから、もうひとつ痛感したこと。おれ自身、歴史を知らなすぎるね。この本を読んで、歴史から学ぶということの意味、そして歴史を知らなければ、そもそも「考える」地平にすら立てないことがある、ということを痛切に感じた。当たり前のことだけれど、歴史というのは、教科書に書かれたただの記述なんかでは全然ないね。

憲法だけじゃない。今まで無自覚に常識と思ってきたことが次々と覆されていく、そんな一冊。そしてこの本は、「考える」というのがどのような作業なのかということを、まさに小室さん自身の「思考の跡」をもって示してくれる。まさに「知」の詰まった作品。
是非、読んでみてほしいです。

イメージ


Posted by Hello

パートナーが最近描いた作品。
カストロと共にキューバ革命を率いた英雄チェ・ゲバラに逢いたいという気持ちを、鬼束ちひろの曲に乗せてイメージ化したものらしい。
彼女はよく、こんなふうに自分のイメージを絵にしてます。
おれにとっては、それがけっこう新鮮な驚きだったりするんだ。
ゲバラからこのイメージが創り出される時の、その変換コードがおれには全然分からないからね。

Wednesday, June 01, 2005

準備するスキル

ひそかに読んでいる某先輩のブログに影響されたわけではないのだけれど、「準備する」ということについて、おれもちょっと考えてしまった。
おれの方は、ラグビーではなくて、ビジネスから始まるのだけれど。

例えば、自分が保険の営業だとする。
お客様からある商品説明の依頼を受けて、お時間を頂戴した場合を考えてみる。仮に終身の生命保険としようか。
そのとき、お客様先に伺う日までの時間を、どう使うか。
まず、自分が説明する商品の詳細をおさらいするだろう。その特徴、メリット、価格、契約までのプロセス、実績。例えばそういうものだよね。それから、きっと競合他社製品との比較をしておくだろう。数ある類似商品の中からあえて自社の商品を契約いただく為の、自社商品ならではの価値がほしいところだ。商品自体の競争力が弱ければ、営業のリレーションシップであったり、企業の健全性であったり、いろんなものを考えておくと思う。さらには、可能であればお客様の家族構成や、現在の保険の加入状況なんかを聞き出しておくのもいいかもしれない。配偶者・子供の有無によって、必要な保険金は当然変わってくるし、そうであれば、お客様にお届けすべきメッセージも当然変わってくるよね。別の保険に加入しているのであれば、乗り換えの事例やメリットが必要になってくるかもしれない。
お客様は、そうしたすべてを言ってくれない。
きっと一言、「おたくの保険のことを聞きたいのだけれど、説明してもらえませんか」って言うだけだ。
たった一言。でも、そこから考えられるあらゆるケースを想定し、あらゆる質問に対応できるようにしておく。こういうのは、営業としての「準備」なのだと思う。

でさ、ここでおれが思うのは、「準備するスキル」ということなんだ。
つまり、「準備」というのは、それだけである種のスキルなんじゃないか。

おれ自身が営業をしているのでよく分かるのだけれど、すごい営業というのは、例外なく「準備のスキル」が高いような気がする。事前の準備が、とても正確で、きちんとしていて、ポイントを押さえている。そういう準備がされていると、お客様から頂戴した貴重な10分や20分の価値は、まったく違うものになるよね。
ただ、実は「準備」は簡単じゃない。というのは、経験や知識がない人間には、そもそも準備するポイントが分からないんだ。
営業であれば、お客様のニーズに応えることが仕事であって、当然、お客様がどこに関心を寄せているかを知ることから、準備は始まる。お客様の関心は、どこにあるだろう。ここで必要なのは、まさに想像力だ。
それは、お客様を自分の中で勝手にイメージすることじゃない。そうではなくて、あらゆるケースを想定しておく、ということだ。先ほどの保険の例で言えば、「27歳男性」と聞いて、500万程度の終身だな、といった勝手な想像をするのではなくて、その男性が保険に興味を持った背景から、考えられるパターンをいくつも想像しておくんだ。既婚だろうか。子供もいるんだろうか。配偶者には収入があるのだろうか。金融に対する理解はどの程度だろうか。実は保険商品での運用を考えていたりしないだろうか。そういったことを、徹底的に考えておく、そんな想像力が必要になってくるのだと思う。
そして、こうした想像力には、副産物がある。それは、不安。あらゆるケースを想定した時に、自分が回答を持ち合わせていない部分があることに気づく。お客様から聞かれる可能性があることに対して、回答を持たずにお客様に対峙することは、不安だ。だから、不安を解消するべく、準備をすることになる。不安要素に対する即応性というのも、こうした想像力があってこそかもしれない。

以前に書いたけれど、想像力には「ベース」が必要だと、おれは思っている。
それは知識かもしれないし、経験かもしれない。情熱かもしれない。あるいは、圧倒的な能力なのかもしれない。なにをベースに置くのかは、きっと人それぞれだと思う。それでも、想像力のベースがなければ、不安を持てないだろうし、きっと「準備」ということの意味を認識できないと思う。準備はスキルだとおれが思うのは、まさにこの点においてなんだ。
そして、今のおれはというと、悔しいけれど、想像力のベースも、準備するスキルも、圧倒的に足りていないんだ。

長くなってしまったけれど、最後に。
おれ自身は、ラグビーにおける準備も同じじゃないかと思っています。
あらゆるケースを想定し、ゲームに臨む上での不安要素をひとつずつ潰していく。そして、そのプロセスを自信へと変えていく。それこそがラグビーにおける「準備」じゃないか。経験豊富な選手が「準備」の意味を知っているのは、自分自身を相対化し、相手との関係性の中で、想定されるケースを突き詰めるスキルに長けているからだと、おれはそう思ってます。