Friday, November 23, 2012

いちばん泣き言をいいたい人が、明るい。 - 『督促OL修行日記』

督促OL 修行日記


  • 作者: 榎本 まみ
  • 出版社: 文藝春秋
  • 発売日: 2012/9/22



  • 督促という言葉を聞いて、良い印象を持つ人はいないだろう。
    督促って、要するに借金の取り立てだ。借金をしている人は督促なんてされたくもないだろうけれど、督促する方だって、しなくて済むなら本当はしたくない。貸したお金を返してもらうために、仕方なくやっているだけ。返さない方が悪いわけで、何も悪いことはしていない。それなのに、むしろ逆切れされて文句を言われたり、聞きたくもない身の上話に延々と付き合わされたり、時には「もう死にます」なんていきなり絶望されてしまったり。理不尽な思いばかりして、でも誰からも喜んでもらえなくて。いいことなんて何もないように思えてくる。

    そんな督促が、N本さんの仕事だ。
    N本さんというのは本書の主人公。毎日コールセンターで督促電話をかけている20代OLだ。実際は著者の榎本まみさん自身のことなのだけれど、本書ではN本としてキャラクター化されている。

    もちろんN本さんだって、最初から督促がしたかった訳じゃない。就職氷河期にやっとのことで内定をもらえたのがクレジットカード会社で、そこでの最初の配属先が、新入社員の間で人気ワースト1位のコールセンターだったのだ。会社説明会で出会った先輩は支店のカード営業ばかりで、漠然と営業をすると思っていたN本さんは、入社初日にして「だまされた!」と思ったそうだ。しかも所属は、キャッシング専用カードのお客さまを担当するチーム。クレジットショッピングとは違い、そのものずばりの借金だ。多重債務者も当然いる。コールセンターの中でもタフな部門で、それまで女性社員はチームに1人もいなかった。そんな訳で、課長から最初に言われた挨拶は「男子校へようこそ」だったそうだ。つくづく、ついてない。

    これだけでも可哀想な話だが、N本さんの場合は更についてない。配属されたコールセンターはまだ出来たばかりで、システム化も全くされておらず、電話と紙だけで債権回収をしなければならなかった。前日の入金チェックも、電話がつながらないお客様への督促状の送付も、全てが手作業。法律上、督促電話をかけられるのは8時から21時までと決まっているので、入金チェックは朝の7時から、督促状を書くのは21時から終電までだった。そして日中は、食事の時間を除いてほぼ休みなく電話をかけ続ける。なにせ、1時間に最低60本は電話しなければならないのだ。電話をかける回数が少なくなると、当然ながら回収金額も減ってくる。個々人の回収金額は壁に貼り出されるので、成績低下もプレッシャーだ。1日に何本の電話をかけられるかは、オペレーターの生命線。これっぽっちも楽じゃない。

    そんな辛い思いをしながら、とにかく電話をかけ続けるN本さん。でも、電話の先にいるお客さまは、お客さまという名の「債務者」だ。誰ひとりとして、N本さんの電話なんて期待していない。それどころか、むしろあからさまな敵意を持っていたりする。そもそも貸主はクレジット会社であって、N本さんじゃないのに。ちなみに、オペレーターとして初めてかけた電話の相手は、いきなり耳をつんざくような大声で言い放ったそうだ。

    「テメェ!今度電話してきたらぶっ殺す!!」

    デビュー戦から衝撃的な展開だが、その後も脅迫やら罵詈雑言やらのオンパレードだ。借金をしている人間はすべからく弱い立場かと思っていたけれど、実際にはそうでもないらしい。まあよくもそこまでと言いたくなるような債務者のヒドイ言葉は、毎日のようにオペレーターを傷つけているのだ。(カッコ内は、レビュアー註だ。)

    「そこまで言うなら、直接会って話そうじゃねぇか。N本とかいったな。今から高速飛ばして行くから待ってろよ!」
    (来なかったらしいけど。)
    「お前の会社に爆弾を送った」
    (ある日、机に届いた段ボールの中身はキャベツだったそうだ。)
    「今日入金しようと思ってたんだよ!あーもー、お前が電話してきたからやる気なくなったわー、頭に来たからもう絶対入金しないから」
    (ここは笑うところだけど、言われた当人はなかなか笑えないよね。)
    「こんな人を不愉快にするような仕事、しない方がいいと思いますよ!!まじめに働きなさい、まじめに働くことだけを考えなさい!」
    (いいからマジメに返しなさい。)

    要するに、そこはストレスフルで超過酷労働の「ブラック部署」だったのだ。当然ながら離職率も高くて、そのたびに使い捨てのような採用が繰り返されていく。そんな職場の必然か、入社半年で体重は10キロ減。10円ハゲが出来たり、顔中にやけどのようなニキビが出来たりと、もうボロボロの状態。痛くてファンデーションを塗ることもできず、心で泣いてすっぴん勤務。長時間勤務の連続で洗濯の時間も取れず、下着はコンビニの紙パンツ。「もう女じゃない」と、自らを慰めることもできない毎日。それなのに、そんなに辛いのに、回収金額の成績はチーム最下位で。


    でも―。

    それでも辞めない。辞めないどころか、彼女はそんな日常さえも、エネルギーに変えていく。
    すごく魅力的だ。いちばん泣き言をいいたいはずなのに、どこか明るいのだから。


    大切な同期の女性、A子ちゃんが会社を去ることになった日、人が次々と傷ついていくコールセンターの世界に悔しさを覚えながら、N本さんは考える。

    よしじゃあ、いっちょ、実験しよう、と思った。
    幸いなことに(?)私は督促が苦手だった。自分で言うのもなんだけど、心も体もボロボロだった。
    私が督促できるようになれば、(中略)そのノウハウはきっと使える。
    私の実験結果で、A子ちゃんみたいに、督促のようなストレスフルな仕事で人生を狂わされてしまう人を1人でもなくすことができたら・・・・・・。

    そしてN本さんは、「実験」の中から生まれた小さな気づきを積み重ねて、辛い経験もネタにして、いつしかコールセンターの仕事に意味を見出していく。

    その1つひとつは、とても小さなことだ。例えば、電話の切り出し方。自分のことを「コミュ力が低い」と思っていたN本さんは、まずは人よりもたくさん電話をかけようと考える。でも、朝の8時から早速かけてみると、「朝っぱらから電話してくるんじゃねえ!」と怒られてしまう。クレームになってしまうと今度はなかなか切れなくて、結局は電話の回数が増えてこない。それで悩んでいた時に、隣の先輩の電話を聞いていると、まず初めに「朝早くから申し訳ございません」と謝っていることに気づく。そうかあ、先に謝っちゃえばいいのか。そう思えただけで、朝の電話が少しだけ楽になり、電話の回数も増えていく。
    あるいは、どうしても苦手なお客さまは、他の人の担当している別のお客さまとトレードしてしまうとか、お客さまの性格を4つのタイプに分類して、ある程度の交渉パターンを決めておくとか、言葉につまった時のために、お決まりのフレーズを付箋に書いて、PCのディスプレイに貼っておくとか。こうして書いてしまえば、それぞれは本当に小さなこと。もしかすると、世の中に腐るほどある退屈なビジネス書のあちこちに、同じようなことが書かれているかもしれない。「知っているだけでうまくいく100のTips」みたいな。

    でも、違うんだ。
    N本さんが気づいて、身につけたのはTipsなんかじゃない。そこが、とてもいい。
    毎日悩んで、もがいて、苦しんで。でもそんな環境に愚痴を言うのではなくて、「具体的に変えられる何か」を探して、実際にやってみて、ちょっとずつ自信と経験を積み重ねていく。そうやってN本さんが掴み取ったものはTipsなんて言葉では語れない。それはきっとN本さんのバリューであり、人間的な魅力であり、「N本さんでなければいけない理由」だったのだから。

    とはいえ、お客さまがいきなり変わるわけじゃない。ストレスフルな職場だって相変わらずだ。でも、督促という辛い仕事のなかに生きる場所を見つけたN本さんは、どんどんパワフルになっていく。お客さまに言われた悪口の数々を日記にまとめて遊んでいる先輩のことを知ると、N本さんもEXCELで悪口を集めるようになり、今ではグラフ表示できるようにして楽しんでいるそうだ。「あ~あ、あと1回で10ポイント達成なのに、昨日も今日も全然怒鳴られなかったなあ・・・・・・」みたいな。(10回怒鳴られたら、自分へのご褒美としてお菓子を買ったりするそうだ。)最初の頃からすると、すごい変化だ。一度は消えかけて、でも取り戻した明るさは、もう決して消えることがない。環境は変えられなくても、自分は変えられる。本書に綴られたN本さんの日常は、そういうとても本質的なことを、改めて教えてくれる。

    そしてラスト。N本さんは、大袈裟に言えば境地に至るのだ。
    長くなるけれど、引用しておきたい。

    私は、ある時気がついた。

    古戦場のようなコールセンターで働くうちに、いつの間にか自分の体にはたくさんの言葉の刃が突き刺さっていた。でも、その1本を引き抜くと、それは自分を傷つける凶器ではなく剣になった。その剣を振り回すと、また私を突き刺そうと飛んでくるお客さまの言葉の矢を今度は撥ね返すことができた。それから、仲間を狙って振り下ろされる刃からも仲間を守ることができるようになった。そうか、武器は私の身の中に刺さっていたのだ。

    良くも悪くも人間の性がつまった「督促」という世界の、そんな物語。
    素直に、素敵です。


    ちなみに。
    そんなN本さんが、瞬殺で回収に成功した債権があるそうだ。
    誰が督促しても、ほぼノートラブルで即回収できるといわれるその明細は、包茎手術の医療費だった。そんな訳で、キャッシングの使いみちがデリケートな時は、ちゃんと返した方がいい。

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    困ってるひと


  • 作者: 大野 更紗
  • 出版社: ポプラ社
  • 発売日: 2011/6/16


  • 本書を読み終えてみて、なぜかふと思い出したのは大野更紗。原因不明の難病に犯されてしまった彼女は、それはもう痛々しいばかりの闘病生活を続けることになるのだけれど、そんな不遇の中にあっても圧巻の行動力で突き進む。そんな彼女の闘病記も、誤解を恐れずにいえば、どこか明るかったりする。N本さんとは立場も環境も、苦しみの質も違うけれど、2人の逞しさはどこか似ていなくもない。

    Wednesday, November 21, 2012

    『世界で勝たなければ意味がない』

    世界で勝たなければ意味がない―日本ラグビー再燃のシナリオ (NHK出版新書 392)


  • 作者: 岩渕 健輔
  • 出版社: NHK出版
  • 発売日: 2012/11/7



  • 私は心の中で、7年後の長期休暇を予約している。
    理由はもちろん、オリンピック、サッカーW杯に続いて世界で3番目に規模の大きい国際的なスポーツイベントが、ここ日本で開催されるからだ。

    そう、2019年はラグビーワールドカップ日本大会なのだ。

    日本ではあまり知られていないが、ラグビーにもワールドカップがある。1987年の第1回大会に始まって、昨年(2011年)のニュージーランド大会まで計7回の歴史を持つこの名誉ある大会は、世界でもトップクラスの集客力と注目度を兼ねた最高の舞台だ。そして日本代表(ジャパン)は、この7大会すべてに出場しており、IRB(国際ラグビーボード)が発表する世界ランキングでも16位に名を連ねている。(2012年10月1日現在)

    こうしてみると、サッカー日本代表よりも国際的にはステータスが高いような気もしてしまうが、残念ながらそうではない。ワールドカップ7大会連続出場といっても、日本の通算成績は1勝2分21敗。1991年の第2回大会で格下のジンバブエに勝利して以来、もう20年間ワールドカップでは勝利していない。第3回大会では、世界最強集団ニュージーランド代表(通称オールブラックス)を相手に17-145の歴史的惨敗も喫している。IRB世界ランキング16位といっても、現実はとてつもなく厳しい。

    そんな日本が2019年、世界の強豪国をホームに招聘して戦う。それは日本ラグビー再生のためのラストチャンス。でも現時点では、残念ながら日本国内のラグビー熱が高まってきているとは言い難い。国内リーグのレベルは年々向上しており、世界的なスター選手の来日も増えてきた。インターナショナルのプレーを生で観られる最高の環境が揃ってきたのに、ラグビーの注目度は思うように上がってきていない。要するに、日本ラグビーは今、崖っぷちの状況に立たされているのだ。

    本書の著者である岩渕健輔は、そんなラグビー日本代表のGMだ。現場を監督するヘッドコーチとは異なり、日本代表の強化に向けた組織のマネジメント全般を、彼が担っている。岩渕といえば、現役時代はセンス溢れるパスワークとランニングで何度もスタジアムを沸かせた名選手だ。青山学院大学を卒業後、オックスフォード大学留学を経て、イングランドのプロリーグでもプレーした国際派としても知られている。今、日本ラグビーの未来を託すべきGMとして、彼ほどの適任者はいないだろう。

    本書の中で岩渕は、多くの問題提起をしている。選手自身のスピリットや国際経験もそうだが、例えば科学的トレーニング手法の導入、(大学ラグビーを含む)国内リーグの変革、さらには代表を支えるスタッフの能力向上や、草の根レベルの底上げに向けた普及活動まで、日本ラグビー界が変えていかなければならないことは、本当に多岐に渡っている。GMの担うべき責任は、極めて大きい。本書からは、岩渕のそんな危機感が読み取れるはずだ。

    本書の副題には「日本ラグビー再燃のシナリオ」とあるが、実際にはそこまで体系的な記述でもないのが正直なところだ。でも、それは決して本書の問題ではない。体系的でなくても、とにかく可能性のあることは全て挑戦してみるしかないというのが、きっと日本ラグビーの現状なのだ。岩渕健輔は今、その事実を捉えているからこそ、本書が必ずしも体系的なシナリオではないのかもしれない。

    まずは2015年のワールドカップに向けて。日本ラグビーの躍進を、心から応援したい。

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    そんな日本ラグビー界においても、過去には世界にその名を轟かせた名将達がいた。
    彼らの言葉には、もはやラグビーを超えた真実がある。そんな人間の物語を、2つ紹介しておきたい。

    知と熱―日本ラグビーの変革者・大西鐵之祐 文春文庫


  • 作者: 藤島 大
  • 出版社: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/11/8


  • まずは大西鐵之祐。日本ラグビーを世界に知らしめた大なる名監督だ。類稀なる慧眼。徹頭徹尾、勝負師であり続ける胆力。巧みな人心掌握術。今読み返しても、大西鐵之祐が残したものは新しい。藤島大の文章も、相変わらず美しい。

    勝つことのみが善である - 宿澤広朗 全戦全勝の哲学


  • 作者: 永田 洋光
  • 出版社: ぴあ; 四六版
  • 発売日: 2007/7/7


  • もう1人の天才、宿沢広朗。ラグビー日本代表監督として、強豪スコットランドを破ったその手腕も見事だが、勤務先の住友銀行(現三井住友銀行)でも頭取候補に名を連ねるほどのバンカーだった。今、日本ラグビーはあの日の宿沢を追いかけているのかもしれない。

    Friday, November 09, 2012

    『スターリンのジェノサイド』のことを、知っておきたい。

    スターリンのジェノサイド


  • 作者: ノーマン・M・ネイマーク, 根岸 隆夫
  • 出版社: みすず書房
  • 発売日: 2012/09/11



  • こういう著作を、良書というのかなと思う。
    名著や傑作ではないかもしれない。HONZで紹介される多くのノンフィクションのように、キャッチーでもない。みすず書房らしい至ってシンプルな装丁は、版を重ねることを戦略的に狙っているとも思えない。原文で176ページとテキストも短く、ハードカバーにしては物足りないと感じる向きもあるかもしれない。

    でも、そういった諸々が裏返しの魅力になっている。特段飾ることなく、シンプルかつ明瞭に記述された本題。入手できる資料を読み込んで、具体的事実を丹念に追いかける姿勢はまさしく学者の本懐。決して難解な表現を用いることなく、非常に分かりやすく整理された論点。最後に1つの独立した章としてまとめられた「結論」は、これだけでも十分に知的好奇心を刺激する濃密なものとなっている。
    スターリン、そしてジェノサイドを学びたい人にとって、本書は格好の入門書になるだろう。派手さはないかもしれないが、長く読まれてほしい。

    少なくとも私は、本書を読んで、2つの意味で心を動かされた。
    1つは、「スターリンのジェノサイド」そのものに。
    そして、「スターリンのジェノサイド」が必ずしもジェノサイドとされていないことに。

    著者のノーマン・M・ネイマークが本書を記した理由は、とてもシンプルだ。序論の冒頭、本書のまさに1行目に、著者は書いている。
    長めの論文と言ったほうがふさわしいこの小冊子で、わたしは、1930年代のスターリンによる大量殺人を「ジェノサイド」と定義すべきだとする自分の立場を明らかにしたい。

    いきなり1行目で、頭を捻ってしまった。スターリンの虐殺について踏み込んだ知識は持っていないまでも、最低限のことは知っているつもりだった。富農(クラーク)の大量殺戮、そして大粛清といった歴史的事実は教科書にも載っている。ジェノサイドに決まっているじゃないか。そんな感じだった。

    ネイマークによれば、問題はこうだ。ジェノサイドには定義がある。それは1948年12月9日、国連総会において満場一致で採択された「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約」(以下「ジェノサイド条約」)によるもので、この条約では、さまざまな「国民、人種、民族、あるいは宗教集団の全部あるいは一部を破壊する意図をもっておこなわれた行為」をジェノサイドと定めている。しかし、この定義には伏線があった。1947年7月に国連事務局が起草した当初のジェノサイド条約案は、「人種的、民族的、言語的、宗教的あるいは政治的人間集団の破壊を防止する」ことを求めるものだった。これに対して、ソ連とその同盟国が、「政治集団」を条約から排除することを強硬に主張した。これらの国は、社会・政治集団を定義することは流動的で困難だと訴え、条約の重要なエッセンスを骨抜きにしたのだ。ネイマークはそれを「満場一致採択を達成するための妥協の産物だった」としている。そして、この問題を複雑にしているのは、「この条約から除かれた社会・政治集団こそが、スターリンの残虐な作戦のおもな犠牲者だった」ということだ。

    こうした経緯もあって、スターリンによる大量殺戮をジェノサイドと捉えることには、様々な反対論もあるそうだ。ジェノサイドの概念を政治集団にまで広げてしまうことで、ある意味でジェノサイドの本質が「薄っぺら」になってしまうのを懸念する学書も少なくないという。「社会主義と人類進歩の高邁な理想の名において殺した」スターリンの行為は、その動機からも、他のジェノサイド行為と同列に論じることはできないとする歴史家もいた。もちろんジェノサイドには、ナチスによるホロコーストを定義する言葉としての側面があったのも事実であり、スターリンの犯罪にこれと同じ言葉を用いることへの遠慮もあった。

    しかし、それでもなおネイマークの立場は明快だ。
    スターリン体制の下で行われた大量殺戮はジェノサイドであり、スターリンはその実行を主導した。これが、彼の結論である。

    ネイマークはこの問題を論じるために、4つの章を割いて、スターリンが行った主要な犯罪の実情を明らかにしている。取り上げられている4つとは、富農(クラーク)撲滅、ウクライナ大飢饉(ホロドモル)、「カチンの森の虐殺」に代表される民族強制移住と迫害、そして大粛清だ。そのいずれもが凄惨を極めた虐殺であり、本書はそのような悲劇が展開された歴史的経緯や背景、そして虐殺の実態を明らかにしている。決して長くない章立ての中で、不要な修飾語を伴うこともなく。

    1928年から始まった第一次五ヵ年計画では、農業の集団化・工業化が進められるが、クラークと呼ばれた富農(とはいえ、実際には「たかだか数頭の牛を所有している」程度だったという)が反対分子とみなされ弾圧された。集団化の過程で殺されたクラークは約3万人、極北とシベリアに強制移住させられたのは200万人にも及んだ。特別移住地に移送され、まともに食糧も与えられない極寒の収容所で、50万人ともいわれる人々が死んだか、逃亡したという。

    1931年、当時のウクライナと北コーカサスは小麦の全収穫量の45パーセント程度を占めていた。しかし、農業集団化に反発し、民族主義的な傾向をみせるウクライナ農民が「癇にさわった」スターリンは、彼らが翌年の収穫用に備蓄していた穀物種子まで徹底的に徴発する。これによって大飢饉が発生すると、食料を求めて農場からの逃亡を図った22万人のウクライナ農民を逮捕。19万人を村に送り返した挙句、ロシアとウクライナの国境を閉鎖。これは事実上、死刑を意味していた。

    ポーランド人に対する虐殺も無残極まりない。ソ連の領土保全において「明白な脅威」とみなされたポーランド人は、1930年代から弾圧の標的とされてきたが、1940~41年には30万人以上のポーランド人がソ連占領下の母国を追い出され、シベリアへと強制移住させられた。1940年4月には、約22,000人ものポーランド人将校たちがグニェズドヴォ近郊の森に運び込まれ、銃殺された。「カチンの森の虐殺」と呼ばれるこの事件を、ネイマークは「20世紀史におけるもっとも明快なジェノサイド事件の1つとみなされるべきである」と主張している。

    そして大粛清。「本人、つまりスターリンを除いてソヴィエト市民のだれもが逮捕され、拷問され、流刑あるいは処刑される可能性のあった」恐怖政治の時代。トロツキストへの徹底的な弾圧。古参ボルシェヴィキへの熾烈な直接攻撃。いや、それだけではない。1937~38年の2年間だけで、約157万5,000人を逮捕。そのうち68万1,692人が処刑され、残りは流刑に処されて収容所に送り込まれたという。

    本書においてネイマークは、こうした惨劇の中心がどこまでもスターリンだったことを強く主張している。いずれもが組織的であり、計画的だった。スターリン自身の明確な意図に基づいており、スターリンがいなければ同様の悲劇は生じなかった。スターリンは、「つまるところジェノサイド実行者だった」のだ。こう明確に言い切っている。

    「スターリンのジェノサイド」のことを、私は本当の意味で、ほとんど知らなかった。概念というものはどこまでも相対的であり、時に作為的であると頭では理解していたつもりだったが、ジェノサイドという概念が内包する複合的な問題を理解していなかった。教科書ではわずか数行ばかりの無機質な記述で終わってしまうこの歴史的事実が突きつけてくるものは、とても重い。ジェノサイドは現代の問題でもあるのだ。

    「知らないということは、時として罪である」と言ったのは、誰だったろうか。
    ナチスと比べると、文献量も多くないスターリンのジェノサイド。でも、知っておきたい。

    最後に、ネイマークの言葉を。
    ジェノサイド問題はあらためて率直に見直すことができるし、また見直されるべきなのだ。(中略)ジェノサイドの輪郭をはっきり描くことは、国の自己認識と未来のために決定的に重要だ。(中略)ソヴィエトの過去を研究する学者はどこにいようとも、ジェノサイドとその結果に真正面からとりくむ義務があるのだ。

    本人非公認自伝がリークするもの - 『ジュリアン・アサンジ自伝』

    ジュリアン・アサンジ自伝: ウィキリークス創設者の告白


  • 作者: ジュリアン アサンジ、Julian Paul Assange、片桐 晶
  • 出版社: 学研パブリッシング
  • 発売日: 2012/9/25



  • ある意味、とびきりのリークだ。
    「公開こそ正義」という強烈な信念を持った異端児の姿を、剥き出しにしたのだから。
    この自伝が「本人非公認」、つまりリークとして刊行されることになったのは、運命の皮肉だろうか。

    ジュリアン・アサンジ。言わずと知れたウィキリークスの創設者は今、ロンドンのエクアドル大使館に滞在している。2010年12月、スウェーデンでの婦女暴行容疑でロンドン警視庁に逮捕されたアサンジは、エクアドルへの政治亡命を申請。2012年8月に認められたものの、大使館の外に一歩出れば身柄を拘束する方針を崩さないイギリス政府を前にして、身動きの取れない状況に置かれている。

    2010年12月20日、アサンジは自伝の出版についてキャノンゲート・ブックスとの契約を取り交わした。本書訳者のあとがきによると、アサンジ本人は自伝の執筆に当初から乗り気でなく、「スウェーデンへの移送撤回を求める訴訟費用を捻出するために仕方なく契約した」そうだ。それでも、当時アサンジが軟禁生活を送っていたノーフォークのエリンガム・ホールで、50時間以上にも及ぶ濃密なインタビューが行われ、アサンジ自身の生い立ちや世界観、育ってきた環境、ウィキリークス創設から世界を揺るがす数々のリークに至るまでの活動といった諸々が、予定稿の中で描き出されていった。ところが、次第に自伝の出版に難色を示すようになったアサンジは、2011年6月には出版契約の破棄を要求する。自身の半生が綴られた原稿を読んだ後、アサンジはこう語ったそうだ。
    「自伝なんて体を売るのと変わらないな」

    しかしながら、アサンジとの間で前払い金に関する契約を締結していた出版社は、その有効性に基づいて出版に踏み切った。こうした経緯により、本書は「(本人)非公認の自伝」ということになっているのだ。さすがにジュリアン・アサンジは只者ではない。自伝の出版経緯ひとつを取っても、型に嵌まるようなところがまるでないのだから。


    本書を読んで強烈に感じたことがある。

    ジュリアン・アサンジは、おそらく天才だ。それは「秀才ではない」という意味で。

    そして同時に、原理主義的だ。それは「原理にしか関心がない」という意味で。

    アサンジの天才性を証明するエピソードは、本書がつまびらかにしたその半生を辿っていけば、もう枚挙にいとまがないが、最も分かりやすいのは、やはり16歳の頃から始めたハッキングだろう。「メンダックス」のハンドルネームで活動していたアサンジは、トラックス、プライム・サスペクトという2人の優秀なハッカー仲間と共に、「国際破壊分子(International Subversives)」というグループを結成し、ハッキングの世界に没入していく。夜になると、カナダの通信会社ノーテルやNASA、そしてペンタゴン第八司令部のコンピューターに侵入するのが「いつものパターン」だったそうだ。ブエノスアイレスの2万軒の電話回線を切ってみせることも、ニューヨーク市民のために午後の電話代をタダにしてやることも、当時の彼らにとっては、その気になれば「お安いご用」だったという。

    これだけでも十分に天才的ではあるのだが、アサンジにはなんとも形容しがたい「天才特有の欠落感」のようなものがある。常識の延長線上にいて、努力で欠落を埋めていく秀才とは、そもそもタイプが異なる気がするのだ。例えばアサンジには、人間が通常備えているようなバランス感覚、あるいは「ブレーキを踏む感覚」といったものが全く感じられない。
    不思議なことに、何かを盗んでいるとか、何らかの犯罪や反乱に関わっているといった感覚はなかった。
    僕たちはある時点で、コミュニケーションの世界を支配したいと考えるようになった。

    こうした台詞が、一切の躊躇なく発せられるのだ。積み重ねた秀才が越えることのない一線を、易々と越えていく。まさしく天才的ではないか。(誤解のないように書いておくと、アサンジの行為自体をこの場で云々するつもりはない。価値の問題ではなく、端的な事実として「天才的」だと思うだけだ。また一方で、「それでも欠落は欠落である」というのも、やはり変わらない事実だと思っている。)


    それでは、アサンジの原理主義とは何か。

    これはもう明らかだ。「正義原理主義」、この一言に尽きる。
    情報の公開こそ正義。本書を読んでいると、特にウィキリークス創設以降のアサンジにとって、依拠する行動指針はこれしかない。自身の思想信条に則って、正義のためにその情報を公開すべきであると判断したならば、もはやアサンジを思いとどまらせるものは何もない。そして、ここがアサンジという人間を考える上で決定的に重要なポイントだと思うのだが、おそらくアサンジには「正義も相対的なものだ」という意識がほぼ存在しない。アサンジにとって、正義はまさしく原理であり、それが全てなのだ。アサンジのそうした性格は、本書の中でも随所に垣間見ることができる。例えば、こうした言葉の中に。
    僕は金銭への関心が薄く、合法性についてはまったく関心がないからだ。
    情報開示を求める活動は、単なる行為ではなくひとつの生き方だ。僕に言わせれば、それが分別と多感の両方をもたらしてくれる。つまり、人間というのは何を知っているかで決まるものであり、どのような国家にも知識を蓄える機会を奪う権利はないということだ。
    当時のアフターグッド(注:米科学者連盟(FAS)政府機密プロジェクト代表)が言うところの「人々のプライバシーを侵害すること」は、僕の基準からすればたいした罪ではなかったし、ある人々が犯罪に関与している可能性がきわめて高く、その犯罪が闇に覆われている場合は、彼らのプライバシーを侵害しても罪にはならないと考えていた。

    そんな本物の天才が、原理主義と手を結んで突き進むと―。

    その帰結は、ウィキリークスの活動が物語っているだろう。アメリカ軍のイラク戦争に関する機密文書の流出では、総額130億ドルという、当時の物価に換算するとマンハッタン計画以上のカネがつぎ込まれていることを暴露。グアンタナモ湾収容所の職員用マニュアルの公開によって、収容者に対する「容赦のない残酷さ、非人間的な扱い、誇大妄想、芝居がかった過剰さ」を世に知らしめた。その後も、ファルージャでアメリカ軍が行った凄惨極まりない戦闘、ケニアで起きた虐殺と巨額のマネーロンダリングといった衝撃的な機密を次々と公開。『付随的殺人(Collateral Murder)』と名づけられ、YouTubeで1,100万回以上も再生されたというビデオでは、バグダッド上空からイラク人を爆撃した米軍の姿を暴きだした。更には、アフガニスタン紛争関連で約75,000点以上、イラク戦争に関しては約40万点にも及ぶアメリカ軍機密資料をリークする。

    アサンジとウィキリークスの活動は、センセーショナルだった。強烈であり、世界を震撼させた。熱情的で、暴力的だった。挑戦的で、常にギリギリだった。そしてこの自伝を読む限り、やはり人を魅了する何かがあり、一方で否応なしに心をざわつかせる何かがあった。

    面白くない訳がない。

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    煉獄のなかで 上巻 (新潮文庫 ソ 2-4)


  • 作者: アレクサンドル・ソルジェニーツィン、木村 浩、松永 緑彌
  • 出版社: 新潮社
  • 発売日: 1972/6/25


  • 煉獄のなかで 下巻 (新潮文庫 ソ 2-5)


  • 作者: アレクサンドル・ソルジェニーツィン、木村 浩、松永 緑彌
  • 出版社: 新潮社
  • 発売日: 1972/6/30


  • アサンジはハッカー時代に一度逮捕されているのだが、その頃に本書を読んでいる。「共感というものの意味を理解させてくれるものであり、僕に力を与えてくれるものだった」というその読書体験を通じて、アサンジは「闘いというのは、常に自分自身でいつづけるためのものなんだ」という境地に至っていく。

    テイクダウン―若き天才日本人学者vs超大物ハッカー〈上〉

    テイクダウン―若き天才日本人学者vs超大物ハッカー〈上〉

  • 作者: 下村 努、ジョン マーコフ、John Markoff、近藤 純夫、、近藤 純夫のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら
  • 出版社: 徳間書店 (1996/05)
  • 発売日: 1996/05


  • テイクダウン―若き天才日本人学者vs超大物ハッカー〈下〉


  • 作者: 下村 努、ジョン マーコフ、John Markoff、近藤 純夫、、近藤 純夫のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら
  • 出版社: 徳間書店 (1996/05)
  • 発売日: 1996/05


  • 本書の中でアサンジが言及している1冊。アメリカ人ハッカーのケビン・ミトニックを「アメリカが誰よりも逮捕を望んだ無法者」と書いた下村に対して、アサンジは「ツトムに尋ねたい。おまえは、ミトニックがくたばったら、彼の墓を掘り返して、両手を灰皿代わりにして貸し出すつもりなのか?」と強烈な不快感を吐露している。

    日本語訳ウィキリークス文書―流失アメリカ外交文書


  • 作者: チーム21C
  • 出版社: バジリコ
  • 発売日: 2011/3/19


  • ウィキリークスが公開したアメリカ外交公電の日本語訳。東京発の公電も幾つか登場する。

    問題は何も終わっていない。 – 『ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った』

    ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った (日経プレミアシリーズ)



  • 作者: 竹森 俊平
  • 出版社: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2012/10/10


  • Things which cannot go on forever will stop. (いつまでも続けられないものはストップする)

    かつてニクソン大統領の経済顧問を務めたハーバート・スタインの言葉だ。アメリカが抱える双子の赤字が急増しているのは問題だとする論者達への返答として発せられたこの言葉は、現在でも語り草になっているそうだ。どのみちストップするのは分かりきっている。問題はどのようにストップさせるかだ。スタインがこの短い一節をもって示唆したのは、そういうことだった。

    著者はこのエピソードを、本書の前半かつ全体骨子の中ではやや傍流的な箇所で、さらりと引いている。非常に憎い演出だ。
    この言葉こそが、まさに本書の主張そのものでもあるのだから。

    一般的に、ユーロの問題はギリシャ財政との関係で論じられることが多い。事の発端となったギリシャ債務危機が勃発したのは2010年。巨額の財政赤字が発覚したことでギリシャの信用不安が拡大すると、問題の火はGIIPSと呼ばれる各国にも波及していった。スペインやイタリアといった大国さえもが崖っぷちの状況に立たされ、世界経済全体を揺るがしかねない本物の「ユーロ危機」がすぐそこに迫っていた。ヨーロッパはまさに追い込まれていたのだ。その後、紆余曲折を経て2012年9月6日、欧州中央銀行(ECB)のマリオ・ドラギ総裁が、ユーロ圏加盟国の1年物から3年物までの国債を対象とした「無制限の買い入れ」を発表。重債務国の支援に道筋がついたことで、表面的には小康状態となっている。

    でも、スタインの言葉を思い出してほしい。
    もしそれが「いつまでも続けられないもの」だとするならば、いつかはストップするのだ。
    そして著者は、本書において論じている。どのようにストップさせることになるのかを。

    ただし、この点を明確にしておかないといけない。
    著者がおそらく続けられないだろうと考えているのは、ECBによる支援ではない。
    ユーロそのものだ。


    よく知られているように、欧州共通通貨としてのユーロが問題を孕んでいることは、ユーロ導入以前から、多くの経済学者の間で十分に認識されていた。本書の記述を辿るならば、その根本的な問題点は2つだった。

    1点目は、ユーロが導入された地域内に生産性格差(南北格差)が存在していたことだ。ドイツやフランスといった生産性の高い国と、ギリシャのような生産性の低い国が、共にユーロの傘に入ったことで、本来は為替レートの変動によって調整されるはずだった様々な歪みが固定化されてしまった。端的に言うと、南の国々は総じてインフレ率が高かった。それは生産コストを増大させ、国際競争力は低下傾向にあることを意味していた。それでも各国の通貨が異なっていた時代であれば、為替レートの大幅な減価によるコントロールが働いたのだが、ユーロという共通通貨の採用によって、この機能が失われてしまった。要するに、南はますます競争力を失ったのだ。しかし一方で、ユーロ圏内のマネーは南へのシフトを強めていった。なぜならば、高金利国への投資もユーロ建てであり、ドイツやフランスからすれば、為替リスクなしにある種のキャリートレードが成立していたからだ。勿論これは、今となってみれば危険な賭けだった。どこまでいっても、リスクカントリーへの投資だったことに変わりはなかったのだから。

    もう1点は、政治および財政の統合を行わずに、通貨と金融政策だけを統合してしまったことだ。加盟各国の財政を監視する仕組みを持たないままにユーロが導入されたため、「ギリシャのような財政規律を守らない国が現れ、ユーロの国際通貨としての価値をおとしめた」というのが一般的な理解だろう。ただ、この点について著者はやや踏み込んだ論述をしていて、これが非常に興味深い。

    議論の前提として、本書ではまず「不可能性の三角形」を挙げている。通常は「国際金融のトリレンマ」として知られているもので、①為替の安定、②自由な資本移動、③独立した金融政策という3つのうち、2つまでしか同時に実現することができないというものだが、著者はこれを下敷きとして、更に議論を発展させていく。つまり、ユーロ圏においてはもう1つの「不可能性の三角形」があるというのだ。
    ①ユーロ圏をトランスファー(所得移転)同盟に転化させたくないリーダー国(ドイツ)の願望。
    ②共通通貨(ユーロ)を存続させたいという願望。
    ③北に比べて競争力の弱い南の産業が崩壊する結果、南から北への大量移民が発生し、北に移民のスラムが形成されるといった事態を避けたい欧州全体の願望。

    上述したとおり、ユーロのもとでは北のマネーはインフレ率の高い南にシフトする。そして南の産業は競争力を失って、崩壊への道を辿ることになる。この時、共通通貨(ユーロ)を破綻させれば、欧州全体のダメージは計り知れない。ユーロを守ろうとすれば、産業崩壊で失業率が高まった南の住人は、北への移住を余儀なくされるだろう。しかし、ヒトの移動は現時的には難しく、ドイツもそれを望んでいない。その時、ドイツによる南へのトランスファー(所得移転)、つまり長期的かつ大規模の財政支援をこれからも続けていく以外に選択肢はあるのだろうか。そして、その結末をドイツ国民は受け入れるのだろうか。
    この展開が、本書の真骨頂だ。ここに至って、ようやく本書のタイトルが『ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った』となっている理由が見えてくる。

    ドイツは今、何を考えているのか。
    ユーロが、おそらくは決して遠くない未来に迎えようとしている運命とは。
    「ドイツだけが残った」という言葉は、何を意味するのか。
    簡潔にして明瞭なスタインの言葉が、今、重くのしかかる。

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    すべての経済はバブルに通じる (光文社新書 363)


    すべての経済はバブルに通じる (光文社新書 363)



  • 作者: 小幡 績、、小幡 績のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら
  • 出版社: 光文社
  • 発売日: 2008/8/12


  • 竹森俊平氏の著作を読み終えて、ふと頭をよぎったのが本書のタイトルだ。竹森氏とは全く異なる観点でマクロ経済を論じたものだが、「いつかはじけるもの」というのがバブルの定義だとすれば、国際金融市場で買い手のつかないギリシャ国債をECBが買い支え続けるというのも、見方によってはある種のバブルなのかもしれない。

    ユーロ・リスク (日経プレミアシリーズ)

    ユーロ・リスク (日経プレミアシリーズ)



  • 作者: 白井 さゆり
  • 出版社: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2011/6/16


  • ユーロ加盟各国の置かれた状況と課題について、非常に分かりやすく整理した1冊。高リスク国(ギリシャ・アイルランド・ポルトガル・スペイン)、中リスク国(イタリア・ベルギー等)、低リスク国(ドイツ・フランス・ルクセンブルク・オランダ・オーストリア・フィンランド)という3つのグループに分類し、それぞれの特徴を明らかにしていく。ちなみに本書の結論は、高リスク国/低リスク国の別を問わず、ユーロを崩壊させることにプラスのモチベーションを見出せる国家はない、ということだ。たとえギリシャに足を引っ張られたとしても、ドイツは足を洗えない。それがユーロだと。