Friday, April 28, 2006

八丈の海に潜る

随分久しぶりに、プライベートでの旅行に行ってきたんだ。
ちょっとした休暇を取って、3泊4日での小旅行。行き先は、八丈島。
今回の旅行の中で自分なりに感じたことを、この場に書き綴ることにします。

4月28日(金)
10時30分羽田発の飛行機に乗り込み、11時40分くらいには八丈島に到着していた。もっと遠い印象があったのだけれど、実際にはわずか1時間程度で辿り着ける訳で、移動は本当にあっという間だった。機内で軽く眠っていたら、起きた時にはもう島に到着している感じだ。
八丈島空港に降り立つ。最初に感じたのは、気候的には、普段暮らしている東京の街とさほど変わらないということ。若干暖かい程度で、特段の差はないように感じた。ただし、あくまでそれは初日の印象だ。実際には4日間の旅を通じて、気候的な違いをはっきりと感じることが出来た。
パンフレットの言葉を借りるならば「亜熱帯」。八丈は、やっぱり亜熱帯の島なんだ。
単純に、植物が違う。椰子の木が至るところに生い茂っており、他にも名前を知らない植物が数多く見られ、ちょっとした南国の心地がする。全般的な印象として、非常にカラフルな植生だ。また、空気の張りつめ具合や透明感といったものも、所謂「都内」とは明らかに違う。(八丈島も東京都なので、書き方は正確ではないけれど。)

12時頃にホテルに到着すると、まずはダイビングが出来るところを探すことにした。翌日から天気は下り坂という予報だったので、初日の午後に潜るのが一番楽しめるのではないかと思ったんだ。フロントにお願いして、午後で受付可能な体験ダイビングのツアーを紹介してもらい、なんとか14時からのツアーに予約を取ることが出来た。ツアーの時間は全体で約1時間半ということで、さすがに短いような気もしたけれど、折角の機会なので、お願いすることにしたんだ。
14時までの空いた時間で、昼飯を食べに行く。ホテルから15分ほど歩いて向かった先は、「一休庵」という蕎麦屋。八丈島では「明日葉蕎麦」が名物と聞いて、この機会に食べてみようと思ったんだ。明日葉を練り込んだ細麺の蕎麦で、特別美味いということもなかったけれど、きちんと葉の味を感じる麺で、悪くはなかったかな。

昼飯を済ませると、いよいよ体験ダイビング。"Project Wave"という会社のツアーで、迎えに来てくれたインストラクターの2人に連れられて、早速八丈島の海に向かった。実際に始まってみると、午後に潜るのはパートナーとおれの2人だけだったので、自分達のペースで動くことが出来て、その意味では非常に気楽で良かったね。
パートナーは過去に2度ダイビングの経験があるが、おれは今回が初めてだった。彼女はAUS、沖縄と潜ってきた経験から「初めて潜る場所はとても重要」といつも口にしていたけれど、八丈島が選択として良かったのかどうかは、おれには分からない。

インストラクターの指示のもと、ウェットスーツに着替えると、早速水に浸かって簡単に説明を受けていく。マスク、フィン、タンクといった装備を身に付けた後、呼吸の仕方や耳抜きといった基本的なガイドを受けると、いよいよインストラクターに寄り添いながら、八丈島の海に潜っていった。事前の説明は本当にラフなもので、若干心配ではあったけれど、実際に潜ってみると特に問題なく楽しむことが出来た。
海の中ではマンツーマンでインストラクターが寄り添って、進行方向や深さをコントロールしていく。自分ですることは呼吸と耳抜き、あとは顔の向きを変えることくらいだ。珊瑚やイソギンチャク、様々な熱帯魚を見ながらおよそ30分、八丈の海を味わっていく。熱帯魚の数はそれほど多くなかったけれど、カラフルで綺麗だった。

さて、所感。
陸からは見ることの出来ない海の景色は悪くなかった。
ただ、おれが最も強く感じたのは「不自由感」とでもいうものだった。
せいぜい5m程度の深さまで潜る為に、人間はあれほどの装備を必要としてしまういう事実。それでもなお海中を見たいという人間の好奇心にも驚くけれど、実際に装備を身に付けてみて初めて体感したあの不自由さには、少し思うところがあった。
単純にスーツの窮屈さや呼吸の問題もあると思う。また、インストラクターに自分の身の全てを預けるような体験コースだったことで、自分の意思で動くことの出来ない不自由もあった。加えて、言葉を発することが出来ないコミュニケーションの制約。海ゆえの不自由は非常に多く、それは当然のことだと思う。でも、その不自由を背負ってさえ、人間が辿り着けるのは、大海原の中の、本当に手の届きそうなところにある、わずかばかりのエリアだったりするのだからね。

ダイビングは五感の制約がとても大きい。聴覚、嗅覚、触覚といった比較的身体に対してダイレクトな感覚が閉じられていて、楽しみのほぼ全てが視覚に依拠している。
だからこそ、潜る海で決してしまう部分は強いのかもしれない。その意味では、八丈の海の表情は、それほど強い魅力を持って迫っては来なかったのかな、とも思う。
体験ダイビングではなく、きちんとライセンスを取得して、経験を重ねていけば違うのかもしれない。自分の意思で動き、自分の意思で海を堪能する。海の美しさを自分から探していく過程というのは、きっと楽しいだろうと思うけれど。
なにぶん初めての体験で、新鮮な楽しさは勿論あったけれど、今回のツアーに関して言うと、個人的には微妙な感じが残ってしまったね。本格的にライセンスを取得するとなると、現段階ではちょっと悩んでしまうかな。

ダイビングの後は、ホテルに戻って夕食。島寿司やお刺身といった海の幸中心の晩飯を食べると、食後は翌日のプランを決めたりしながら、部屋でゆっくりと過ごした。
そして翌日以降は、八丈島のもうひとつの自然、山を廻っていくことになります。


八丈島の景色を、おれの視点から。(海の写真はないけれど。)
http://www.23hq.com/Fukatsu/album/637324

Monday, April 24, 2006

失敗について

私は実験において失敗など一度たりともしていない。
これでは電球は光らないという発見を、今までに2万回してきたのだ。
トーマス・アルヴァ・エジソン


成功するまで続けず、途中で諦めてしまえば、それで失敗である。
松下幸之助


学生時代、買った文庫本の栞に松下幸之助のこの言葉が書かれていたんだ。
当時、豪徳寺に借りていた木造アパートの柱にセロハンテープで貼ってました。
今でも素晴らしい言葉だと思う。そう生きていきたいよね。

Sunday, April 23, 2006

自分の今を知る

4/23(日)練習 16:00-18:00 @酒井スポーツ広場
小田急線の本厚木駅からバスで5分。相模川の河川敷に広がる芝生のグラウンドに10数名のメンバーが集まって、約2時間の練習を行った。今日の練習場所は本当に直前まで確保できていなかったのだけれど、よく見つかったと思う。確かにアクセスは不便な場所だけれど、クラブチームにとってグラウンドは死活問題だからね。こうしてグラウンド確保に奔走してくれる人達の存在があって、初めてラグビーできます。

ありがとう。
これからも、神様がいるからきっと大丈夫。(これは私信だけれど。)

今日の練習は、個人的には楽しかった。
参加人数が少なく、ほぼタッチフット主体の練習になったけれど、少ない人数ゆえに考えざるを得ない要素が沢山あって、そのことが練習の価値を高めてくれた。
この日の練習でも、少なくない数のミスをした。下手だなーと自分でも思う。
悔しいけれど、仕方ないね。それが今の自分のレベルだから。

今日感じたのは、自分のスキルや判断力のレベルを、自分自身できちんと把握してプレーするということ。例えば、タイトなプレッシャーの中でのパススキルは、プレーにゆとりを与え、判断する時間をより長く確保できる。パススキルに自信がある人間は、より相手DFに近い間合いまでパスの判断を猶予できる。それはつまり、プレーの選択肢を幅広く残しておけるということで、ゆえに相手DFは狙いを絞れない。
しかし、その前提はスキルだ。
ぎりぎりの間合いでもパスをつなげるという自信がどうしても必要になる。
自分のスキルを把握するということはつまり、パスの判断を猶予できるデッドラインを自覚してプレーすることだと思う。自分のスキルをベースに、確実な判断をすることで、プレーの精度は上がっていくはずだ。逆に自分自身の判断のラインを認識しない人間は、それゆえにミスをしてしまう。
もちろん、この判断のラインをより相手DFの懐に近い位置に持つ為に、日々の練習の中でチャレンジしていくことは重要なことだと思う。でも、前提となる「今」のレベルを知らなければ、ミスはきっと繰り返されるだろうし、自分が「何に」チャレンジしているのかさえも、きっと分からないだろう。

とにかく、ミスをしない。
とてもシンプルで、でも非常に難しいこの目標に、少しずつ近づいていきたい。
その為に、ミスの原因を自分で突き詰めるというのは、きっとそういうことなんだね。

春の目標

4月22日(土)練習 9:00-11:00 @辰巳の森ラグビー場

相変わらず自分のプレーの精度が低い。ミス、そしてミス。いつも同じだ。
練習に参加する人数。周囲のプレーヤーのレベル。チーム全体としての練習の質。今シーズンから新加入のメンバーとの意思疎通。すべて関係ない。
ただ、自分が下手くそなだけだ。

自分にとっての春の目標を、2つに絞ります。
この場に書き残すことで、自分の意識に刻み込みたい。
この2つを決して忘れずに、残された春シーズンの練習に臨みたいと思います。

1.ミスをしない
集中力、あるいは意識の持ち方をちょっと変えるだけで防げるミスが幾つもある。
決して高度な練習をしている訳ではなく、今起きているミスの殆どは、自分の内側に理由を含んでいるものだと思う。とにかく、そいつをゼロにしたい。
ゼロにしようと常に意識する。そして、それでも起きるミスの原因を徹底的に反省し、練習の中で消していく。そのプロセスを、グラウンドにおける自分の標準にする。
これが出来なければ、今のおれを誰も信用しないと思うんだ。
もともと上手くないんだから。

2.タックルを踏み込む
学生の頃、タックル練習でよく「飛び込め」と言われた。
今考えれば、全く違う。タックルは飛び込んだら終わりだ。踏み込まないといけない。
タマリバでは「Up, Watch, Up」を合言葉にしている。まず相手との間合いを詰める。そこでウォッチして、相手の動きに反応する。そして、相手が自分のタックルレンジに入ったところで、前に踏み込んで倒す。基本的なことだけれど、タマリバではこれをチームの決めごととして、全体練習のメニューの中で常に意識づけが図られている。
Upは出来る。Watchも出来ると思う。でも、最後のUpが出来ない。
この最後の踏み込みこそが、昨年から持ち越している、おれの最大の課題です。
春はとにかく前に出たい。
目的を持った失敗を重ねて、何度も繰り返して、自分のタックルを身に付けたい。

たった2つだけです。
目的意識を持ち、自分の課題を常に意識して、上手くなる為の練習をしていきたい。

Sunday, April 16, 2006

召喚と憑依

昨年10月以来となる、人生2度目のタップダンス鑑賞。
セヴィアン・グローバーというタップダンサーのソロ公演だ。
Savion Glover in CLASSICAL SAVION @東京国際フォーラム Hall C

タップダンスの世界については、恥ずかしながら全く知らない。
パートナーの薦めのもと、生まれて初めてライブ・ステージに足を運んだ前回。あの時の熊谷和徳のタップ "TAP ME CRAZY" が、タップダンスについておれの知っているほぼ全てだ。そんな訳で、恥ずかしながらセヴィアン・グローバーというタップダンサーのことも、実は何ひとつ知らなかった。

セヴィアン・グローバーは、1996年のブロードウェイ・ミュージカル「ノイズ&ファンク(Bring In 'Da Noise, Bring In 'Da Funk)」でのトニー賞受賞以降、数々の賞を獲得してタップ界の頂点に君臨しており、「タップの神」と呼ばれているそうだ。そのセヴィアン・グローバーによる今回の日本公演 "Savion Glover in CLASSICAL SAVION" は、クラシック音楽とタップダンスとのコラボレーション・ステージで、13人で編成されたオーケストラの奏でるクラシックの名曲に、彼が踏むタップのリズムを融合させていく形式で構成されている。2005年1月のNY公演においてこの新作が演じられた際に、観衆から大絶賛を浴びたそうだ。

さて、東京国際フォーラムで行われた日本公演。
2時間弱のパフォーマンスが終わると、大多数の観衆が立ち上がり、スタンディング・オベーションが起こった。アンコールはなかったけれど、最前列の観客と握手を交わすセヴィアンの姿には悲鳴のような声も降り注いでいた。
でも、隣で一緒に鑑賞していたパートナーは席を立たなかった。
そしておれ自身も、どこか満たされない感覚を残したまま2時間を終えてしまった。
ちなみに、社会人ラグビー時代の後輩とその彼女も一緒だったのだけれど、彼ら2人も同じような感想を口にしていた。その意味では、必ずしもおれの個人的な感覚だけの問題ではないような気がしている。

たった2回のタップ鑑賞だけれど、これほど違うとは思わなかった。
熊谷和徳とセヴィアン・グローバー、2人のタップの方向性は明らかに違うと感じた。

セヴィアン・グローバーは「召喚」のタップだ。
彼の中には、自分が演じるべきタップが確立している。観衆の前で彼が踏むべきステップは、彼の自我の世界の中で完成し、完結しているように感じる。洗練され、磨き上げられた技術と彼自身の感性をベースに、セヴィアンとして「セヴィアン」たることを表現する為のパフォーマンスは、すべてセヴィアン・グローバーという人間の自我の中で構成され、それが観衆に対して突きつけられるような感覚だ。
彼にとっての音楽は、自身のパフォーマンスを最大限に高める触媒のようであり、音楽に溶け合っていくというよりも、ステップを踏む上で彼の求める音楽を、彼自身が呼び出していくイメージの方が近い。無音の状態のもとにあって、セヴィアンの自我の中で演じるべきタップのリズムが決められていく。そして彼が小さくステップを踏み始めると、そのリズムはオーケストラへと波及していく。「分かるだろう、このリズムが呼び出す音の世界が」といった具合に、彼によって音が「召喚」される。
だから彼は、ステージにおいて決して自分をゼロにしない。常に「1」だ。そして、その「1」の世界は、きっとセヴィアン・グローバーという人間にしか創り上げることの出来ない「極み」の世界なのだと思う。残念ながら、今のおれにはそれを感じ取る感性はなかったけれど。

対照的に、熊谷のタップは「憑依」のタップだ。
熊谷は時に、ステージにおいて自分をゼロにする。少なくとも彼の表情は、そういう世界観を見事なまでに体現している。熊谷のタップには、セヴィアン・グローバーのように強烈に自我を突きつけてくる感覚はない。そうではなくて、何かが彼の中に降りてきて、取り憑いて、そしてその憑依した何かが彼の身体を借りてステップを創り出していくような、そういう独特の雰囲気が漂っている。
だから、熊谷のアウトプットはきっと定まらない。緻密なレッスンによる定められた公演であったとしても、少なくとも観衆の前で繰り広げられる世界には、定まらない感覚がどこかに潜んでいる。熊谷にとっての音楽はきっと、ある種のインプットだ。音楽だけではない。その場の空気、観衆の表情や気配。ちょっとした囁きや小さな雑音。そういったあらゆるものが、ゼロになった熊谷に取り憑いて、憑依することで新しい何かが創り出される。ある瞬間に存在する、オンリーワンの世界をインプットに、熊谷和徳というタップダンサー自身が触媒となって、新しいひとつの表現が構成される。
それこそが、たった1度しか観たことはないけれど、おれにとっての熊谷和徳の魅力であり、直感的には、彼以外のタップダンサーが持ち得ない、彼ゆえの世界なのだと思っている。セヴィアンのタップとは、まさしく正反対の志向だろう。

セヴィアン・グローバーの公演は、残念ながら満ち足りないものが残った。
しかし、セヴィアン・グローバーという、ひとつの方向性で頂点に君臨する人間のパフォーマンスを観たことで、自分がタップに求めていたものが明確になった。
もう一度、改めて熊谷和徳のタップを観たいです。そして、突き抜けてほしい。

Sunday, April 09, 2006

背伸びしない

久しぶりに劇場で映画を観た。
三谷幸喜監督の最新作『THE有頂天ホテル』ね。

大晦日の夜、あるホテルで繰り広げられる様々な人間模様をコメディタッチで描いた作品。それぞれの事情やバックグラウンドを持つ人間達が、「ホテル」という舞台の中で、意図せざる奇妙な偶然の流れに翻弄されながら複雑に絡み合っていく。誰かの行為が、本人の与り知らないところで別の誰かの救いとなったり、あるいは他人の心の葛藤に向き合うことで、自分自身の心の葛藤が浮き彫りにされたり、そうやって織り成されていく小さなドラマが全編に渡ってうまく散りばめられている。

信頼できる後輩の評価とはちょっと違うのだけれど、個人的には良い映画だと思う。
この映画のメッセージは極めてシンプルなもので、つまりは「自分に嘘をつかない」ということが全てだ。「嘘」と言うと言い過ぎかも知れないけれど、自分自身の思いに正面から向き合おうとしない、ということがある種の嘘であるならば、概ねこのフレーズにエッセンスは集約されると思う。

それぞれの登場人物が抱える思いや葛藤は異なるけれど、皆どこかで自分を押し隠している。背伸びをしている人間もいれば、着飾る人間もいる。卑屈になるやつや、自分の弱さを認められないやつもいる。事情は皆違う。当然ながら、それぞれにとっての救いは個人的なもので、誰しもに共通する救いが提示される訳ではない。夢に向かう自信を取り戻して救いを得る人間がいれば、夢の次に向かった世界で真摯に生きてきたその生き方を素直に認められることで救いを得る人間もいる。
そういう世界観は、悪くないと思うんだ。

ホテルという舞台設定。
日常の生活空間とは違う、ちょっと背伸びした世界。それでいて、家という日常空間にいる時のように安らげる場所であって欲しいと願うホテルマンの「おかえりなさいませ」という一言が、背伸びのない世界への肯定へと導いていく。
そして、コメディ。
他人の背伸びは、傍から見れば思わず笑ってしまうな滑稽なものだったりもする。各人各様の思いの中から生まれる「背伸びした自分」というものを、コメディの形式で優しく笑い飛ばすことで、人間らしさを演出していくような感覚。

というとちょっと言い過ぎではあるけれど、人間味ある良い映画だと思います。

Monday, April 03, 2006

神奈川セブンス

4月2日(日)神奈川セブンス@保土ヶ谷ラグビー場

香港10'sを終えて帰国したメンバーも合流して、タマリバクラブとしては今シーズン最初となる公式戦に参加した。毎年この時期に行われる神奈川セブンスだ。
三菱重工相模原、栗田工業、キヤノンといった社会人チームに加え、学生からは関東学院大学、クラブチームからは湘南フジクラブも参加して、全16チームで行われる7人制のトーナメント。タマリバからはA、Bの2チームがエントリーしたのだけれど、おれ自身はBチームのゲームキャプテンを務めることになった。

試合の結果としては、残念なものになってしまった。
Bチームは1回戦で三菱重工相模原に負けてしまった。先制トライを奪い、僅差で前半を折り返したものの、後半に入ると開いてしまった。その後に行われた三菱重工横浜との敗者戦には圧勝したけれど、1回戦敗退というのは変わらないからね。なんとかもう少し重工相模原に喰い下がってみせたかった。
Aチームは、1回戦こそ三菱重工横浜相手に60点近くを奪って完封したものの、2回戦で三菱重工相模原に逆転負けを喫してしまった。チームとしての練習不足は否めないけれど、なんとなく歯車が噛み合わないままゲームが終わってしまった。来週にはYCACセブンスという由緒ある大会が控えているので、限られた時間の中で各自が修正点を考えて、チームとしてのコンディションを高めていくしかないね。

さて、Bチーム。
この大会をBチームでプレーしたことは、結果的には自分にとってよかった。
Aチームには司令塔としてゲームをコントロールできる人間がいる。黙っていても豊富な運動量でチームを支えてくれるFWの選手がいる。それを考えると、Aチームの方が圧倒的にプレーしやすい。でも一方で、そういう選手に頼り切ってしまう部分があることも事実なんだ。ゲームメーカーの動きを感じてさえいれば、彼らが相手のDFを崩してくれる。フィットネスが落ちて苦しい状況でも、彼らが指示を出してチームを引っ張ってくれる。存在感のある選手に対してのそうした「依存」は、程度の差こそあれ、Aチームの選手にも少なくない割合で見られるものだと思う。
Bにはないからね。依存する先がそもそもない。
むしろゲームキャプテンとして、自分がチームを鼓舞していかなければならない。
それは今の自分にとって、いい経験となったと思う。
もちろん、納得できるレベルまで出来た訳では全然ないのだけれど、Bチームのメンバー10人が、それぞれに現在置かれている状況の中で一生懸命にプレーしてくれたことが、ゲームキャプテンとして嬉しかった。

それにしても、今日改めて思ったけれど、セブンスは苦手です。