Tuesday, May 31, 2005

Challenge-7

このこともいずれ書こうと思っていたのだけれど、ちょっとだけ。
おれが毎朝必ずチェックしているサイトがあるんだ。
http://www.canal-wt.com/~Challenge-7/index.htm

斉藤さんのことは、斉藤さん自身の著作『孤闘』を読んで知ったんだ。
このサイトは、酒呑童子Ⅱがちょうどホーン岬を越えた頃からずっと見続けている。
だからさ、ゴールした時には、本当に勝手ながら、この場に賛辞を書き連ねたいと思っています。

Sunday, May 29, 2005

謙虚に

学生時代の仲間が作ったクラブチーム"WMM"が、東京都3部の決勝に臨んだ。
相手は、東京外人クラブ。場所はもちろん、キズーチフィールドだ。

WMMの練習にはよく顔を出しているのだけれど、公式戦を観るのは実は初めてだった。選手登録のないおれは、公式戦には出られないし、ふらっと観に行くにはキズーチは遠すぎるからね。
WMMは、春シーズンの目標として、3つの試合を絶対にものにすることを掲げている。1つは、GWに行われた東大現役とのゲーム。これは以前にも書いたけれど、内容はともかく50ー10くらいできっちりと勝っている。残る2試合のひとつは、6月5日(日)に駒場で開催される東大ラグビー祭のイベントのひとつとしてマッチメークされた、タマリバ戦。そしてもうひとつが、この日の東京都3部リーグ決勝戦だったんだ。

結果はというと、12ー0で3部優勝を手にした。
おめでとう。
来週にはタマリバ戦が控えているけれど、まずは3部制覇、お疲れ様でした。

でも、おれの正直な感想を言うと、なにか違うなーって。
試合内容は、はっきり言ってよくなかった。それは観ている側だけの思いではなくて、グラウンドにいた多くのメンバーも、同じことを感じていたと思う。ノーサイドの後、多くのメンバーがそんなコメントをこぼしていた。とにかくミスが多かった。相手の反則とレフリングにフラストして、自滅していた。それでも勝てたのは、3部のレベルではやっぱり底力に勝っていたからだと思うけれど、こんなはずじゃないんだ、という思いは強かったんじゃないか。
でも、おれが抱いた「違う」感じ、というのはそういうことじゃないんだ。
ひとつ言えるとすれば、もっと謙虚にやってもいいのかなって。
クラブだから、活動になんの強制力もないし、普段なかなか練習にまで顔を出せない人も多い。練習していないのだから、ミスが出るのは当たり前だし、仕方のない部分もあると思う。本当にタイトなゲームというのは、そう簡単に出来るものじゃない。おれにしたって同じことで、そのことを偉そうに言うつもりは全然ない。
ミスは出る。でもそこで、「多少ミスがあっても勝つに決まっている」というようなプライドがあって、しかもそのプライドに根拠がない。そんな雰囲気に、たぶん少し違和感を感じたんだ。
練習していないんだ。プライドに根拠があるわけがない。そんなに余裕をかませるほどの貯金を持って卒業したわけじゃないことは、2勝19敗というおれの学生時代の戦績がなにより物語っている。
ミスしたら、謙虚に取り返す。ひとつひとつのプレーに、謙虚になる。
それがクラブラグビーなのかな、って。
東大の魂のひとつは、弱さを知ってることだったはずだからね。

外野から勝手に書いてしまったけれど、WMMは勝利を明確にメッセージしているチームだから、余計にそんなふうに感じたんだと思う。メンバーには失礼だったかもしれないけれど、ふだん練習に参加させてもらっている身として、応援しています。
そして次は、来週のタマリバ戦。こいつは、おれも出られるんだからさ。
とにかく謙虚に、喰らいついてやろうと思ってます。

Saturday, May 28, 2005

原点

昨日のことだけど、昨シーズンまでおれがプレーしていたチームのメンバー4人と、久しぶりに呑みに行ってきた。
場所は、手羽先の名店「世界の山ちゃん」ね。

とにかく楽しかった。
手羽先食って、酒飲んで、終電まで延々ラグビーの話してた。
でさ、改めて思ったんだ。
ラグビー、みんな本当に好きなんだなーって。

社会人ラグビーに限らず、ラグビーを続けていると辛いことはいっぱいある。
まず、練習がしんどい。ひたすら走って、タックルして、それからウェイトトレーニングまでやるんだから、楽なわけがない。特に今シーズンの練習は死ぬほど辛いそうで、おれもあと1年続けていたら地獄を見ていただろうね。
そして、痛い。タックル。オーバー。セービング。ラグビーにおいて痛いプレーは避けられないので、必然的に練習でも痛いことが繰り返される。まあでも、これには快感も半分くらいあるので、ここではとりあえず、それで帳消しということにしておいてもいいけれど。
でも、そんなスポーツだから、やっぱり怪我もつきない。怪我でシーズンのかなりの時間を棒に振った選手は数え切れないほどいる。捻挫や脱臼が慢性化してしまって、常に痛みと闘いながらプレーしている選手も多い。怪我はパフォーマンスにも影響してくる。思うように身体が動かない辛さや悔しさというのは、ちょっと言葉にできないほどだ。
まだある。コーチと肌が合わないことだってあるかもしれない。練習や試合でのパフォーマンスが思うように評価に繋がらないことだってある。考え方の相違でぶつかる選手もいるし、ラグビー選手としてのプライドを持っているが故に、素直になれずに苦しむやつもいる。さらに言えば、そもそも試合に出られないやつだっている。おれも社会人での3年間は、あまりゲームに出場する機会がなかった。実力がすべての世界だから、それは誰のせいでもなく、おれに力が足りなかっただけだけれど、悔しい思いをしたのは1度や2度なんてものじゃなかった。同じような思いを抱きながら、辛い練習に耐えている選手は、どこのチームにも一定数いると思う。
要するに、しんどいことは本当に数え切れないほどあるんだ。

それでも、山ちゃんにいた4人は、やってる。
そんなの、理由はひとつしかない。
楽しいからに決まっている。好きだからに決まっているんだ。

それはきっと、原点なんだと思う。
おれ自身は、残念ながら昨シーズンをもって社会人ラグビーを引退してしまったけれど、昨日「世界の山ちゃん」にいた4人は、寝て起きればまたバトルが始まる環境にいる。それは本当に、すごいことで、最高のことだと、おれは思います。
おれ自身は、社会人でのプレーからは離れたけれど、相変わらず週末には駒場のグラウンドに足を運んで、WMMの練習に参加している。選手登録がないので公式戦には出られないけれど、いまだ原点は変わっていないと思う。
おれたちの原点に乾杯っすね。また、呑みに行きましょう。

ちなみに、結局帰って寝たのは2時近く。それでも翌朝8時40分に家を出て、午前中の2時間駒場で汗を流しちゃう自分には、我ながらあきれてしまう。ラグビーのない週末には、昼近くまで寝てたりするのにね。

Thursday, May 26, 2005

「知る」のは難しい

「知る」というのは、なかなか難しいなーと、最近よく思う。

例えば、歴史。
相変わらず小室直樹さんの『痛快!憲法学』を読んでいるのだけれど、その中で戦国武将と茶の湯のことについて触れている部分があるんだ。小室さんによると、戦国武将の中で、織田信長ほど茶道に熱心だった人物はいないという。確かに高校の日本史の教科書なんかに目を通せば「信長が茶の湯を奨励した」みたいな無味乾燥な記述があったりするけれど、それはなぜだったのか、そのことが意味するのはなんだったのか、というのは書かれていない。
小室さんは、こんなふうに教えてくれる。戦国時代というのは「土地フェティシズム」の時代だったんだって。「土地フェティシズム」というのはつまり、土地こそが財産、という考え方のこと。広大な土地を持つものこそが裕福だと思われていた。だから、戦国武将たちにしてみれば、たとえ千石でも一万石でもいいから、自分の領土を広げたい。でも、日本の国土は限られているので、結局はパイの奪い合いとなり、明けても暮れても戦争が続くことになる。
信長はそのことが分かっていたんだ。だから、土地こそ財産、という発想を変えない限り、天下統一して争いを鎮めることは出来ないと考えた。その為に「楽市楽座」によって、商品経済を推し進めようとしたりするのだけれど、茶の湯の推奨も、本当の目的はこの点にこそあった。
つまり、土地以外の価値を部下に植えつけるんだ。千利休を重用し、部下を積極的に茶会に招待する。茶の湯というのが、いかに高尚で素晴らしいものか、部下に教え込んでいくわけ。そうして茶の湯の価値を浸透させた後に、信長は、戦功を挙げた武将への褒美として、茶器を与えるようになる。あの利休が惚れ込む茶器である、って。こうして信長は、戦功の褒美は「土地」であるという当時の常識を覆していったんだ。土地で褒美を与える為には、その土地を獲得する為に戦争しなければならないからね。

これが、小室さんの説明。
びっくりするくらい、おもしろい。こんなふうに歴史をみたことは今までなかった。すごいと思ったし、「歴史を知る」というのは、まさにこういうことなんだと思った。字面だけをみていても、歴史の歴史たる地平には辿り着かないな、って。

これと同じようなことを感じているものが、実はあるんだ。
随分前からおれは、PCに「RSSリーダー」を導入していて、ネット上のニュースや業界動向はこれで追うように努めているのだけれど、このニュースを「読む」ということがとても難しいんだ。最近はあまり時間がなくて、そもそも思うように目を通せていないけれど、"asahi.com"や"NIKKEI NET"の最新記事は、RSSリーダーでいつでもチェックできるようにしてある。でも、その短いニュースの中に、どれほどの背景や、意味が含まれているんだろうと考えた時に、自分の「読む」力がまだ全然足りないような気がするんだ。ネット上のニュースなんて死ぬほどある。情報収集に割ける時間は限られているし、すべてを丹念に読む必要も、意味もない。それでも、その限られたソースと時間をもっとうまく活用して、より多くを引き出す、あるいはよりきちんと「知る」ことは可能なんじゃないかと思うんだ。その為には、おれの持ってるベースが全然足りてないような気がして。

だからおれは、小室さんの「知る」姿勢、「学ぶ」姿勢が、本当にすごいと思うんだ。

Tuesday, May 24, 2005

科学哲学

今日は、改めて科学哲学のことを書いてみようと思う。
昨日も書いたけれど、学生時代、おれは科学哲学を専攻していた。実際には「専攻していた」だけで、きちんと勉強したとはとても言えないけれど、でも、自分の意志で選んだ学科だった。3,000人以上いる同期のうち、わずか7人しか進まなかった分野だけど、本当に興味があったんだ。

きっかけは、1冊の本だった。
名古屋で寮に入って予備校生活をしていた頃、朝日新聞の書評欄に紹介されていたある本のタイトルが、目にとまった。
それが、大森荘蔵さんの『時は流れず』という著作。
時は流れない。このタイトルが、気になって仕方なかった。流れないとしたら、時はどう移ろうのだろう。おれには全然分からなかった。
書店を探したけれど、大森さんの著作を置いている書店はなかなか見つからなかった。でも、どうしても諦めらなくて取り寄せてもらった。確か2週間ほどして、ようやく手元に届いたんじゃなかったかな。
もう、むさぼるように読んだ。生まれて初めて哲学の本をすごいと思った。残念ながら細かな内容はきちんと覚えていないけれど、ひとつの問題を厳密に考え抜く、ということの迫力を知ったんだ。
その後、大森さんが東大で科学哲学を教えていたのだと知って、ここに行きたいと思った。新聞の書評は大抵、誰が読むのかよく分からないような本ばかりを紹介していて、基本的におもしろくないのだけれど、あの時の朝日新聞の書評は、ちょこっとだけ、おれの方向を変えることになったんだ。

それで、科学哲学。
こいつを考える時は、ひとつの疑問から始めると分かりやすい。
それは、「科学と宗教はなにが違うんだろう」ということ。
科学は、客観的な事実に基づいており、広く正しいと信じられている。宗教はというと、例えばキリスト教であれば聖書の教えに基づいており、信者の間では正しいと信じられているけれど、客観的事実とは考えられていない。
この差は、どこから来るのだろう。
どちらにも、正しいと主張する根拠はある。科学であれば、科学理論だよね。宗教であれば、聖書であったり、コーランであったりするのかもしれない。ただ、聖書はイエスの教えであり、コーランはムハンマドの教え。それは「客観的」なものじゃないとされている。
それなら、科学理論は客観的に正しいのか、というのが次の問題になる。科学理論が正しい、と言われる根拠のひとつは、例えば「実験」だよね。実験を繰り返すことで、理論に裏付けを与えることができる。でも、この実験というやつが実はかなり怪しい。10回やってみて、10回とも同じ結果だったとしても、11回目が同じだという保証がどこにもない。条件が同じであれば、11回目の結果も同じだと思ってしまうのだけれど、そもそもまったく同じ条件での実験は、絶対に2回できない。だってまず、時間が違う。たぶん湿度や、気温だって違うだろう。そんなもの実験には関係ない、と言いたくなるけれど、厳密に考えていくと、なにが影響しているのか、本当のところは誰にも分からない。
さらに言うと、ある実験結果からなんらかの結論を導き出すプロセスにも、実は問題があったりする。
面白い話がある。ものが燃えるのは、酸素があるからだよね。だから、金属を燃やすと、酸化して質量が増える。これは現代では、子供でも知っている常識だ。でも、科学の歴史を遡ると、実はこれとまったく違う理論が信じられていたことがあるんだ。フロギストン説といって、ものが燃えるのは、物質内にあるフロギストン(燃素)が放出するからだ、と考えられていた。でも、この理論だと当然ながら、こんな疑問が湧いてくる。もし燃焼がフロギストンの放出であるなら、ものが燃えたとき、なぜ質量が増えるのか、って。これに対するフロギストン説の説明がすごい。「フロギストンは、マイナスの質量を持っているので、放出すると重くなるんだ」って言うわけ。
この説は、17世紀にあったものらしいので、意外と最近だよね。要するに、実験というのも、そこから導かれる結論は案外まちがっていたりする、ということ。

こうやって延々と考えていくと、科学の根拠というやつが、結局わからなくなってしまう。そう信じている、というだけであれば、宗教と変わらないじゃないか、と思えてくる。よく分からないので、気持ち悪くて寝付きが悪くなり、仕方ないのでもう一度考えてみる。
そんなことをやっているのが、「科学哲学」というわけです。
実際に論理的につきつめていくと、科学の根拠なんて、爪の先ほども残らないのかもしれない。ただひとつ大切なのは、だからと言って科学には価値がない、ということには全然ならない、ということだよね。

久しぶりに整理しながら書いてみると、やっぱりよく分からないよね。

Sunday, May 22, 2005

『痛快!憲法学』

昨日から小室直樹さんの『痛快!憲法学』という本を読み始めた。
まだ3分の1くらいしか読んでいないけれど、まさに目から鱗が落ちる内容で、知的刺激に満ち溢れている。

難しい本では全然ないんだ。すごく基本的なことだけれど、まったくもって忘れられていたり、見落とされているようなことを、歴史的事実に基づいて、丹念に、正確にまとめた内容で、とても分かりやすい。学生時代にこんなふうに憲法を捉える人に出会っていたら、もしかしたら法学部に進んでいたかもしれないと思ってしまうくらいだ。(実際には「科学哲学」という、殆どの人がそのなんたるかを知らないような学科に進むことになるのだけれど。)

この本のことは、また日を改めて書こうと思うけれど、とにかく楽しい。
相変わらずおれの情報ソースが変わってないことがばれてしまうけれど、この本のことを教えてくれたランディさんのブログに感謝です。

真っ当ということ

いつもは10時から始まるWMMの練習が、今日に限って14時からだったこともあって、11時から大手町で開催された無料セミナーに参加してみた。
参加したのは、『緊急経済セミナー ホリエモン騒動と今後の日本企業』と題された、木村剛さんの講演。

木村剛さんの著作は、いくつか読んだことがある。最初に読んだのは、『「破綻する円」勝者のキーワード』という文庫本。深刻化した財政赤字問題に決着をつけるための奥の手として、政府首脳と日銀総裁が結託し、インフレ誘導を図るという架空のストーリーをもとに、日本経済の抱えている問題を浮き彫りにした作品で、すごく刺激を受けた記憶がある。当時のおれは、木村さんのことを全く知らなかったのだけれど、その後木村さんは、竹中さんの金融再生プログラムにおいて、竹中チームのメンバーとして参画することで、俄然有名になっていくよね。
他にも読んだ本はあって、例えば、資産運用における基本的な考え方を綴った『投資戦略の発想法』。これは、会社の先輩の薦めで手に取ったのだけれど、極めて真っ当な考え方をしていて、すごく参考になるものだった。この手の本にありがちな怪しさがなくて、「投資」における当たり前の原則に常に立ち返る、という姿勢が貫かれており、とても好感が持てる作品。
木村さんは比較的著作の多い人で、そのすべてが面白いとは言えないにしても、基本的には真っ当な主張をしている人だと思う。真っ当、というのは、原則を外していない、ということだよね。

そんな訳で、木村さんには興味もあって、無料のセミナーならと参加したのだけれど、結論から言うと、語られた内容も、やっぱり真っ当だなと思った。
最初にテーマとなったのが、ライブドアによるニッポン放送買収問題の総括。この騒動が明らかにしたこととして、木村さんはひとことこう言った。
「株主は大事だ、ということです。」
こんな当然のことすらニッポン放送の亀渕社長は知らなかった。いくら堀江さんに敵対的な感情を持っていたとしても、35%の株式を保有する大株主が「会いたい」と言っているのに、会おうともしなかったという事実が、まさにそのことを示していた。ましてクラウン・ジュエルのような企業価値を意図的に毀損させるような戦略など、株主への冒涜そのものであって、株主資本主義の原則を考えれば、検討にも値しないものだった。放送の公共性を盾に、ライブドアのような株主を排除しようとするのは、「上場」ということの意味を知らないからだ。上場して株式を公開するということは、とりもなおさず、誰が株主になってもいい、ということだ。
こうした一連の主張は、すべて「原則」に忠実であろうとする姿勢から生まれたものだと思う。
「経営者は、株主の資本を預かって、経営をさせていただいている。」
「経営者が株主を選ぶのではなくて、株主が経営者を選ぶ。」
こういうのは、外してはいけない資本主義の原則だよね。今にして思えば、感情論と過熱報道のなかで、そうした原則を見失っていた人がいかに多かっただろう。従業員の気持ちであったり、経営者の思惑であったり、放送の公共性であったり、複雑な要素が絡みあっていても、原則はいつもシンプル。そこにいつも立ち返って考えてみる、というのは、経済に関わらず大切なことだと思う。

その後講演は、木村さん自身の体験を交えながら、日本企業の経営のあり方へと移っていくのだけれど、ここでひとつ興味深い主張があった。
それは、「リストラをしていいのは、株主の厳しいプレッシャーを一身に受けている経営者だけだ」というもの。
木村さんによると、欧米型資本主義においては、株主は経営者に資本を預けているのだから、はっきりとリターンを要求するし、実際にリターンを実現できなければ、ドラスティックに経営者をすげ替える。そうした状況では、経営者も自分の首がかかっているので、企業価値に貢献しない従業員を抱えておくことは出来ない。だから彼らは、そういう彼らなりの筋を通して、リストラをする。
日本の経営者は、違う。そもそも日本の株主はものを言わないので、経営者は、株主の厳しいプレッシャーにさらされるような状況下に置かれていない。彼らがリストラをするのは、バブル経済崩壊後の不況下にあって、経営者としての対策を他に持ち合わせていなかっただけだ。木村さんは、そう主張していた。「経営者として、おれは責任を取って会社を去る。でもそのかわり、会社の債務は銀行に肩代わりさせたから、後は皆で頑張ってくれ」という経営者がいてもいいだろう、って。
これも、経営という行為を、原則からみつめた結果の言葉なんだと思う。欧米型/日本型という具合に、それほど単純に線引きできるものかどうかは分からないけれど、こう問われて明確に反論できる経営者は、おそらくとても少ないんじゃないかな。

木村さんは現在、日本振興銀行の社長として、銀行経営に携わっている。日本振興銀行というのは、昨年4月に開業したばかりの新しい銀行で、木村さん自身の言葉を借りると「日本でいちばん小さな銀行」ということになる。この銀行が開業に至るまでの物語は『金融維新』という本にまとめられていて、それなりに読み応えがあるのだけど、落合信治という人が中心となって、まったく新しい銀行を作ってしまったそのエネルギーは物凄いものがあるよね。
講演の中で木村さんは、この新しい銀行の社長としてやってきたことはただひとつ、マインドセットを変えることだけだ、と言っていた。
例えば、債務者と呼ばない。お客様と呼びなさい、と言い続ける。
彼らにお金を貸してやっていると思わない。借りていただいていると思いなさい。
土日は勤務していないにも関わらず、お客様からは金利をいただいている。本当にありがたいと思いなさい。
そういうことを、言い続けたんだって。
ここにもやっぱり、「原則」というのが垣間見える。それはつまり、銀行というのは金融サービス業だ、ということだよね。サービス業というのは、お客様にサービスを享受いただくことで、対価としての報酬を受け取るビジネス。銀行でいうなら、融資というサービスを享受いただくことで、報酬としての金利を得ているんだ。サービス業の「原則」から考えるというのは、まさにこういうことだと思う。マインドセットの変革、というのは最も難しい経営課題のひとつだと思うけれど、こういう言葉を聞くと、やっぱり頑張ってほしいなと思うよね。

原則というのは、ともすれば見失いがちなものだと思う。利害関係や、計算や、プライドや、困難な状況や、そういった諸々の要因が複雑に絡んでくると、原則なんてすぐに置き去りにされる。もちろん、時にはルールや原則そのものが古くなって、状況に適応しないものになってしまうことだってある。そういう時は、硬直的なルールや原則を、変えていく方向に進めばいいと思う。でもさ、きっと外しちゃいけないものっていうのがあるんだ。そこがすべての始まりであるような、そんな原則。

そんな訳で、原則から考える、ということの大切さを改めて知った1日だった。

Saturday, May 21, 2005

おれのプロ

リクルートが毎週木曜日に発行しているフリーペーパー『R25』。
その冊子のちょうど真ん中に、様々な世界で活躍する著名人の20代をテーマにしたインタビューが連載されている。
連載のタイトルは、”BREAKTHROUGH POINT 〜つきぬけた瞬間”。
正直言ってあまり読むもののない『R25』の中にあって、「スマートモテリーマン講座」と並ぶキラーコンテンツなんじゃないかと勝手に思っているのだけれど、そのインタビューで今週取り上げられていたのが、宮藤官九郎だった。

宮藤官九郎というひとの雰囲気が伝わってくるまとめ方がされていて、なかなかおもしろかったのだけれど、その中で、特に心に残ったところがあるんだ。
宮藤官九郎は、20歳で松尾スズキに心酔して劇団『大人計画』に参加する。その後、劇団員としての活動に傾倒していくのだけれど、劇団は基本的に、芝居で食っていくことを目指す人間が集まった世界。皆がそうではないかもしれないけれど、活動を継続する過程で、結局はそういう志を持った人間だけが残っていく。そうした世界で生きる中で、宮藤官九郎にとっての「プロ」というものが定まっていくのだけれど、そこで語られている考え方が、すごくおもしろいんだ。

劇団における「プロ」というものを目の当たりにして、宮藤官九郎は思ったんだって。それは社会に対するプロというのではなくて、その人の中のプロじゃないかと。例えば、松尾スズキは松尾スズキのプロだ。荒川くんは荒川くんのプロだ。他の誰かをみてすごく面白いと思っても、それはその人にしか出来ないことなんだ。そのことに気づいたのが、20代前半だったんだ、って。

前を向いてると思う。
これはとりもなおさず、「自分は自分のプロになればいい」ということであり、それは自分の中のプロを信じて、つきつめて、それを磨いていくんだという決意表明だったんだと思うんだ。「自分のプロ」という世界には、才能がない、という言い訳はきっと存在しない。松尾スズキじゃないことは、逃げ道にはならない。誰もが踏んでいない道を自分で作っていくしかないのだから、タフなスタンスだと思う。それでも宮藤官九郎は、実際に25歳で一切のバイトを辞める決断をして、自分の中でのプロ宣言を果たすのだから、すごいよね。

おれのまわりにも、いろんな人がいる。
スポーツ分析ソフトを開発してしまった祐造さんがいる。Webデザイナーとしてビジネスを立ち上げてしまったヤマシタがいる。AUSでラグビー修行している川合さんがいる。8,000m級の山を踏破してしまったタニくんがいる。
みんな、すごい。格好良いと思う。おれには、出来ないことばかりだ。

だからおれも、「おれのプロ」を目指さないとね。

Thursday, May 19, 2005

無題

だめだわ。今日は書けそうにないです。
まあ、そんな日もあるよね。
明日は、入社以来初めての札幌出張に行ってきます。

Tuesday, May 17, 2005

神様はいますか?

田口ランディさんのエッセイ集、『神様はいますか?』
とてもまっすぐで、真摯で、正直で。すごく心に残るエッセイばかりだった。

ランディさんは、とても素直なひとなんだと思う。
結局、私は私で、私の外側の世界のことは分からないけれど、でも分かろうとしたい、ということに、とても素直なひとだなあって。
そこが、とても好きだ。
このエッセイ集は、すごくシンプルで根源的ないくつかの質問に、たった1つのフレーズで語られたランディさんの姿勢と、それについての思考の跡が添えられたような作品。たとえば、「神様はいますか?」とか「人は死んだら終わりですか?」とか、そんな質問。それに対して、ランディさんが自分の位置から向かい合って、素直にその向き合いを綴ったような感じだ。
それは、ランディさんの「答え」じゃなくて、「姿勢」であり「向き合い」なんだと思う。ランディさん自身がどう考えているのかは知る由もないけれど、少なくともおれはそう思った。「答え」なんて持ってるわけないじゃん。でも、私は私の位置から向き合ってみたんだ。そういう感じが、たまらなく好きだし、正直だと思うし、素直だと思う。

きちんと読み始める前に、ぱらぱらとページをめくっていたら、ひとつの質問と、それに寄せられたフレーズが目に飛び込んできた。

魂は、存在しますか?
いえ、存在こそが魂です。

ジグソーパズルがはまるように、すっとおれの胸のなかに落ちていった。ちょっとした感動だった。
そこからは、本当にむさぼるように読んだ。短いエッセイなので、あっという間に読めてしまうのだけれど、それぞれの質問への素直な向き合いにどんどん惹かれていった。そして実は、かなり共感してしまった。「共感」というとちょっと怪しい言葉で、正確じゃないかもしれない。単純にいうと、すごく響いた。なぜだか分からないけれど、うれしかった。

最後に、「奇跡はあると思いますか?」という問いに対して、ランディさんが寄せたことばをここに書くことで、もう一度おれの胸の中にしまいなおすことにします。

「たぶん踵の下に踏んでいます。」

Sunday, May 15, 2005

ふたつの映画

ふたつの映画を観た。
扱うテーマは異なるけれど、どちらも実話をもとにして作られた作品。

ひとつは、『ウェルカム・トゥ・サラエボ』。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の中にあって、孤児院に暮らすひとりの少女を救い出そうとしたジャーナリストの物語だ。
凄まじいばかりのリアル。ちょっとおれには書けない。日々の生活のすぐ隣に、いつも「死」が横たわっている世界。鳴り止むことのない銃弾の音。道端に捨てられた死体。絶望的なシニシズムの中で「14番目の地獄」といわれたサラエボの街。そうした現実を、出来る限りの誠実さをもって、出来る限りむき出しのままに切り取ろうとした、そんなカットが胸に突き刺さってくる。
観てよかった。観るべきだったと思う。
ヒューマニズムとかじゃない。きっと大切なのは、「14番目の地獄」といわれた世界は、まさに現実の世界そのものだった、ということだと思う。現実を知ることだけではなくて、それがまさに現実だということを知ること。それは、おれがこの映画に感じたいちばんのメッセージだ。

もうひとつは、今さらだけれど『タイタンズを忘れない』。
アメリカン・フットボールを通して人種差別を克服し、肌の色の違いを越えた友情と結束を、そして勝利を掴み取る物語だ。
人種差別という事実に対して、今のおれは語ることばを持っていないので、ここには書かない。
思ったのは、ひとつ。スポーツって、やっぱいいよね。
タイタンズの黒人ヘッドコーチであるブーンは、夜のスタジアムに照明をともして、そして言うんだ。
ここは、おれの聖域だ、って。
聖域というのは、侵すことの出来ない世界。だからグラウンドは、なににも侵されないんだ。差別にも、偏見にも、くだらないプライドにも侵されない。もちろん、実際のグラウンドには数え切れないほどの葛藤や、矛盾や、衝突や、そういったものが転がっている。でも、ずっとグラウンドにいると、「勝ちたい」という思いのもとに、そういう全てが収斂されていく。実力勝負。真剣勝負。グラウンドでのパフォーマンスが全てを決める世界。その嘘のなさは、きっと麻薬にも劣らないスポーツの魅力だ。
フットボールが世界を変えた、ってのは大げさな表現かもしれないけれど、人種差別の問題にまっすぐに向き合ったのがフットボールだった、というのは象徴的だと思う。だからひとは、いつまで経ってもスポーツをしてるのかもしれない。

ちなみに、余談をひとつだけ。
タイタンズが地区優勝を決めた日、黒人コーチのブーンが自宅に帰ると、近所の住民たちが窓から顔を出して、賞賛の言葉をかけ、拍手が巻き起こるのだけれど、このシーンを観た時に思った。もし日本でラグビーがこんなふうに愛されるスポーツになったら、って。
きっと、最高だと思う。

執着心

土曜日はたいてい駒場に足を運んで、WMMの練習に参加している。
今日は東大の現役・博報堂ラグビー部との合同練習で、タッチでのADを中心にしたメニューだった。

最近WMMで練習していて、自分自身ちょっと戸惑いを感じている。
ひとことで言ってしまうと、執着心が緩んでしまっているんだ。
例えば、ひとつのパス。ラグビーにおいては、ミスを重ねるチームは絶対に勝てない。だから、ミスに厳しくなければ、そもそもラグビーにおいて「勝ちたい」という意志を持つ資格もないのだけれど、練習でのハンドリングエラーが減らない。もともとおれはハンドリングが上手くないので、常に集中力を持ってボールに向かわないと、ミスが頻発してしまう。そんなことは最初から分かっていることなのに、ここ何回かの練習で、ミスの数が一向に減ってこない。誰にも邪魔されない、ノープレッシャーの状況であれば、子供だってボールを落とさない。プレッシャーもないのにミスをするというのは、単純に集中力がないからだ。
でも、もっと致命的なのは、そこで「もう絶対にミスをしない」という執着心が持てない、ということ。そこにこだわりきれていない自分がいる。クラブラグビーだから、というのは言い訳にもならない。たとえクラブであっても、練習というのは上手くなる為にやるのだから、毎回のように進歩もなくミスを続けているのだったら、そもそも練習する意味がない。クラブラグビーの場合は、メンバーが揃って練習できる時間は限られているのだから、なおさらだ。目標を持って、1回の練習でなにかひとつでも上手くなろうと思ってやらなかったら、本当になにも変わらない。せいぜい下降線の傾斜がちょっとばかり緩やかになるくらいのものだ。

もちろん、ある面では仕方のないことだと思う。
でも、WMMは「勝ちたい」と明確にメッセージングしているチームだ。今のおれはWMMに選手登録をしてはいないけれど、そこで練習をする以上、1回1回の練習で、ちょっとでもなにかをつかみたいし、もっと執着心をもってラグビーをしたい。
そう思っていながら、グラウンドにいる自分は、ぜんぜん執着心が足りてないんだ。

我ながらあきれてしまって,自分を振り返ってみると、どこかなめてたのかなって。
社会人ラグビーという、他のメンバーとは違う経験をしてきたことで、なにか勘違いしてるんじゃないか。
はっきり言って,執着心のないおれなんて、なんの価値もないプレーヤーだ。執着心を持って、がむしゃらにやったら、棒にはなれないまでも箸くらいにはなれるかもしれない、その程度のもので、これまでの貯金でやろうにも、もともと大した貯金なんてものはないんだ。だいたい社会人の3年間なんて、スキルもないのに、ほとんど執着心だけでしがみついてたようなものだったじゃないか。

ほんと、なにやってんだか。

Saturday, May 14, 2005

営業になってない

こんなことをここで宣言しても仕方がないのだけれど、おれは接待というやつが大っ嫌いだ。

営業という仕事柄、きちんとした接待という形ではないにしても、お客様とお酒をご一緒することはよくあるのだけれど、どうもやりきれなくて。
もちろん、接待が好きな人って、あまりいないとは思う。どうせお酒を呑むのなら、気心の知れた仲間や、自分に刺激を与えてくれる人たちと呑みたい、っていうのは、たぶん誰もが持ってる素直な気持ちだよね。でも、そこはビジネス上のものとして、きちんと割り切りが出来ればいいのだろうし、戦略的にそういう場を活用していくのは、営業としてはごく当然の姿勢としてあっていいと思う。
だけどおれは、どうしても自分の中で割り切れないので、困ってしまう。

接待の場に出ると、自分の営業的なセンスのなさがよくわかる。
まず、くだらない、と思ってしまうと、どうしてもやりたくなくなってしまう。(くだらないことっていうのが、実際にかなり多いから余計困ってしまうのだけれど。)これはけっこう致命的だ。
注意力を分散できない。例えば、お客様のグラスが空いてたりすると、とにかくお酌を、という一点だけに集中してしまう。この集中力がまた恐ろしくて、場の流れとして、注意を向けるべきはそこじゃない、というふうになっても、一向に注意力が分散してくれない。端的に言ってしまうと、立ちまわり方が上手くない、ということ。
他にもたくさんある。場を盛り上げるのも苦手だ。気の利いたジョークなんていうのも出てこない。もちろんお客様との相性のようなものもあるので一概には言えないけれど、実際は苦手なタイプの人であっても、きちんと喜んでいただける、楽しんでいただける、というのがやっぱりベストだと思うし、そういうスキルが全然足りていない、というのも問題だ。

というわけで、自分でもよく思うわけです。営業になってないなー、って。
そういえば営業への配属が決まった頃、高校時代の同級生に「その会社の人事は見る目がないなー」て笑われたんだった。
営業って、おれの勤めている会社では最もやりがいのある職種だと思うんだけどね。

Wednesday, May 11, 2005

似て非なるもの

日本初のネット専業証券会社として松井証券を立ち上げた松井道夫社長。
ネット証券という全く新しい分野のパイオニアとなった松井社長は、社員にいつも言っているんだって。

給料をもらって働く人はいらない。働いたぶんの給料をもらう人になれ。

終身雇用と年功序列という(いわゆる)日本型システムの崩壊が広く言われている現在、決して目新しいことは語っていないかもしれないけれど、やっぱりどきっとする言葉だよね。
実はおれは、こういう考え方は、既に社会全体にかなり浸透しているものだと思っていた。でも実際に就職してみて、周りの人たちや同期のメンバーと話していくうちに、意外とそんなこともないんじゃないかと考え直すようになった。
象徴的だと思ったのは、定昇。おれが入社して1年、最初の定期昇給はたしか数千円だった。細かくいうと、個々人の年間評価によって違うのだけれど、新人の評価なんて大して差は生まれないし、概ねこのくらいだったと思う。
「1,000円じゃ1回の食事で終わっちゃうよな」
「なんだこれ、って感じだよね」
年度末にこの通達があった後、そんな声がかなり聞こえてきた。皆が皆ではないにしても、げんなりしてる同期はけっこう多かったような気がする。まあ、そもそも同期に友達がほとんどいないので、正確なことは言えないけれど。
その時、すごく意外に思ったんだ。みんな、定昇に期待してたんだ、って。
おれは定昇で給料を上げる、という感覚が本当にゼロだった(実は定昇という存在自体が、頭から消え去っていた)ので、すごくびっくりした。もちろん、職種によっても違うかもしれない。営業のように、個人の成果と評価を連動させやすい職種もあれば、そうではない職種もあり、どこに所属するかによって、基本的な考え方は変わってくると思う。おれは当時、営業ではなかったけれど、将来的には営業へ異動することが決まっていて、営業研修も入社以来ずっと受講していたので、職種によるバイアスはあるかもしれない。
でも、それにしても意外だった。
外資系企業っていっても、そんなものなんだなって。
まあでも、だからと言っておれに「自分の腕ひとつで給料を上げていく」という意識が定着していた、ってわけでは全然なくて、今日までの3年間を振り返ると、おれは単純に年収を上げることへの執着が弱いだけなのかなって思う。どんどん稼ぎたい、というふうになっていかないんだ。ただそれだけだと思う。そういう意味では、抵抗せずに搾取されていく、いちばんまずいタイプなのかもしれない。

ちょっと話は逸れてしまったけれど、もういちど松井さんの言葉に戻ってみる。
ここで言われている、ふたつのタイプの人間。それらは一見似ているけれど、全く違った存在だよね。ここがポイントだと思う。ひとつの態度に対して、意味づけを反転させてみることで、明らかになるものがきっとあるんだ。だって、ラグビーがまさにそうだったからね。勝利という目的の為に練習するのか、練習すること自体を目的にするのか。タックルされることを避ける為にパスをするのか、パスを活かす為に、あえてレイトタックルを受けるのか。自分のやりやすい動きを優先して、それに周りが反応することを期待するのか、あるいは周りがうまく動けるように、自分のプレーをコントロールするのか。ひとつひとつのプレー。日々の練習。それらの意味づけを反転させてみれば、ラグビーにおいて最も大切なことが、ちょっとずつ見えてきたりするんだ。

松井さんの言葉は、仕事の世界において最も大切なこと、ともすれば甘えて、忘れてしまいがちなことを、本当に明確に言い切っていると思う。ネット証券という、まさに新たな土俵をゼロから作り上げた松井さんにこれを言われると、やっぱりずっしりと響く。

こういう人が、パイオニアなんだね。

Monday, May 09, 2005

改めて、万博について

昨日に引き続いて、愛知万博。

7日の午前10時に長久手会場に入り、夜の7時30分に会場を後にするまでの9時間半。ひたすら歩きまわって、各国のパビリオンに足を運んできた。
今回の愛知万博では、企業館エリアが最も注目を集めているけれど、混雑の具合も尋常じゃない。トヨタ館や日立館、東芝館といったところは、日本企業の最先端の技術の結晶が見られるのだろうけれど、どこも1時間半〜2時間待ちの状態で、ひとつ見ただけで午前中がまるまる終わってしまう、といった感じだった。話題になっているマンモスや、藤井フミヤが総合プロデュースした「大地の塔」なんかも状況は同じ。そんな訳で、おれとしては、こういうところは一切見ない、という方針でいくことにした。そもそも、万博というのは「万国」博覧会なのだから、世界各国の展示をとにかく廻れるだけ廻る、というのでいいじゃないか、って思って。

全体を通して最も感じたのは、ここにあるのはやっぱりレプリカなんだ、ということ。
各国の展示は、決して悪いものばかりというわけではなくて、好奇心をくすぐるものもかなり多い。多くの国のパビリオンでは、本当に日本語の上手な現地の人間が、展示の説明やガイド、あるいは土産物の販売などをしていて、一様に明るく、異国情緒の一端を味わえる。(土産物の売り子をしている女性は、とてもかわいい人が多い。)それに、そもそもどこにあるのか知らないような国の展示を見られたり、展示の仕方そのものに各国の風土の違いが出ていたりと、楽しみ方はたくさんあると思う。
でも、レプリカなんだよね。当たり前だけどさ。
考えてみれば、レプリカでいいのかもしれない。レプリカでも、好奇心はくすぐってくれるからね。ここから先は、結局のところ自分で求めていくしかないし、それでいいんだろうな、とも思う。

ただ、そうした中で、イタリアはひとつ際立ったものがあった。
それは、『踊るサテュロス像』のまさにオリジナルが展示されていた、ということ。
これは、『踊るサテュロス像』の何たるかを知らなくても、一見の価値が十分にあると思う。実際、恥ずかしながらおれもサテュロスのことをなにも知らなかったのだけれど、その迫力には心を打たれた。凄まじいばかりのダイナミズム。恐ろしいくらいの力強さを備えた表情。1998年に漁船の網に偶然掛かって、水深480mの海底から引き揚げられるまで、2,000年以上にわたってシチリアの海にこの像が沈んでいたのだと知って、その奇跡にただ驚くしかない。
これから万博に行く人には、こいつだけは見てきてほしいです。

ちなみに、おれの印象に残ってる国をもうひとつだけ挙げるなら、アイルランド。
アイルランドには、いずれ行ってみたいと思った。もちろん、キューバが先だけどね。

ポーランド

5月7日のことだけど、実は愛知万博に行ってきた。
もう夜も遅いので、細かいことはまた書くとして、感じたことをひとつだけ。

おれがいちばん印象に残ったのは、ポーランドのパビリオン。
どういったものだったかと言うと、ポーランドの街並みやそこに生きる人間、自然に囲まれた風景等を映像にした10分ほどのフィルムと、地下100mでの岩塩の採掘の様子を展示したものとの2部構成。実際にはそれほど斬新なものではなかったし、他にも興味深いパビリオンは数多くあったと思う。
でも、ポーランド。
というのは、ポーランドには親友が留学しているんだ。高校時代からの友達で、大学を卒業後、映画を学ぶ為に海の向こうに留学していった。当初はイギリスにいたけれど、今はポーランドにいて、ポーランド語で授業受けてるって言ってた。
だから、どうしても思っちゃった。
あいつ、ここに暮らしてるのかー、って。
映像で紹介されたポーランドの街並みはほんの一部分であって、ポーランドの現実を正確に反映したものではないかもしれないけれど、印象としてはとてもお洒落だった。すっきりしていて、落ち着いた風景、という感じ。当たり前だけど、日本の風景とはまったく違う。善し悪しは別としてね。

あの街のどこかに、日本を飛び出して生きてる親友がいると思うと、気持ちがむずむずした。
他にことばがない。とにかく、「むずむず」したんだ。

Sunday, May 08, 2005

高野山

久しぶりの更新。しばらくネットのない生活だったからね。

GWの連休を利用して、実はちょっとした旅行に行ってきた。
行き先は、高野山。5日の午前中に到着し、まずは金剛峯寺を訪ねる。そこから一の橋を越えて参拝道を歩き、弘法大師が現身のまま御入定されたといわれる奥の院へと足を運ぶ。その後は、蓮花定院という宿坊にて一泊するという流れで、全体としてなかなか思うところ多い旅行になった。

高野山を訪ねるのは、実は初めて。ふたりでお寺や神社に行くことはたまにあり、靖国神社の御朱印帳を持参しては、各地の朱印を集めているのだけれど、個人的に仏教や神道への関心が強いわけではなくて。このタイミングで高野山を訪ねることになったのも、自分の強い意志というよりは、そういう誘いがあったから、というのが正直なところだ。
でも、実際に行ってみると、とても刺激的でよいものだった。
まずは金剛峯寺の建築物としての魅力。鶯張りの廊下、四季を描いた襖絵、見事に装飾を施された欄間、岩を並べて雌雄の龍に見立てた石庭。観るべきところは非常に多く、単純に素晴らしかった。建築物としての価値というのは、門外漢のおれにはよく分からない。でも、1,200年近くも前に作られた建築物が今もこうして現代人の心に響くというのは、本当にすごいことだと思う。
ひととおり金剛峯寺を見学し、本尊に手を合わせると、奥の院へと続く参拝道を歩きはじめる。参拝道の両岸には多くの宿坊寺院がみられるのだけれど、その数は50近いとのこと。金剛峯寺というものの裾野の広さというか、弘法大師の教えの伝播力がいかに大きなものだったかというのがよく分かる。そんなことを考えながら、左右をきょろきょろしながら歩みを進めていくと、一の橋を越えて奥の院墓地へと入っていく。この墓地がまたすごい。恥ずかしながら訪ねるまで知らなかったのだけれど、ここには織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人のお墓があるだけでなく、伊達政宗、武田信玄、上杉謙信、親鸞上人、石田三成のお墓もある。さらには、多くの企業が物故者を祀るお墓を持っているし、太平洋戦争で亡くなった戦闘員や現地の人間を祀るお墓もある。挙げていけばきりがないけれど、それほどの数の人々が、弘法大師のもとで祀られているという事実は、けっこうなものだよね。髪の毛1本、爪の1枚でも高野山に埋めることによって、死後そこが魂の還る処となる、と伝えられているのだと、この日泊まった宿坊で教えてもらった。多くの戦国武将が、弘法大師のもとに還るべく、高野山に分骨したということは、とりもなおさず、弘法大師の存在とその教えが、日本においてどれほど魂の救済に寄与してきたのかを物語っているのだと思う。
奥の院墓地を進んでいって、中の橋という橋を越える。すると、いちばん奥にあるのが弘法大師御廟。ここで弘法大師は即身成仏となったらしい。即身成仏となったとされる空間には、奥の白壁に弘法大師の影が映り遺っているとされている。雑念ばかりで修行の足りないおれには到底見えるべくもないけれど、ある域に到達した人間には見えるのかもしれない、という異様な雰囲気が漂っている。いや、「異様」という言葉は正確ではないかもしれない。厳かな、というほうが近いかもしれないね。灯籠の橙色と数え切れないほどの小さな仏像に囲まれた独特の空間。仏教に興味のない人であっても、あそこはいちど訪れる価値があると思う。

ひととおり高野山金剛峯寺を廻った後は、この日の宿である蓮花定院にて夕刻のお勤めに参加し、精進料理を食べる。
宿坊に泊まるのも実は初めてだ。蓮花定院では、夕刻と翌朝にお勤めがある。夕刻のお勤めでは、最初に5分ほどお経を読み上げた後、そのまま何の前触れもなく瞑想に入る。瞑想の時間は実は決まっていないそうで、後で聞いた話では、お勤めをしている修行僧が少しでも仏に近づいたような感覚を持てたのであれば、そこで終わりにするらしい。この日は結局、40分近く瞑想をしていた。このアバウトな感覚もすごいと思うけれど、時間を決めずに40分間瞑想する、というのは、やってみるとなかなかに大変だ。おれはまず、最初の5分で足が痛くて正座を崩した。まあ、正座は必須ではないので、これはよしとしておく。その後、さらに5分ほど経った頃には「いつまでやるんだろう」という疑念ばかりになる。20分を過ぎた後は、胡座にも関わらず足が痛くなり、さらに睡魔も襲ってきて、身体が左右に揺れてしまう。(自分の名誉の為に書いておくと、決して寝てはいないけれど。)最終的には、「早く終わってくれ」という祈りすら生まれてきて、「仏を感じる」瞬間などあったものじゃない。ほんと、ひどいもんです。雑念ばかりの自分を省みて、改めて3人の修行僧に脱帽。
精進料理も、きちんと食べたのは初めてかもしれない。少なくとも記憶にはないね。蓮花定院のものは、思った以上に量があって驚いた。山菜や香の物は普段好んで食べるものではないけれど、抜群に美味しかった。それから、高野豆腐ね。他にも天麩羅あり、胡麻豆腐ありで、全体としてかなり満足できるものだった。

食事の時に、隣のおっさんが住職のお母さんに質問をしていた。
「空海さんに相当するような坊さんというと、誰がいるんですか」
住職のお母さんは、「比較はできないけれど、ああいう人は他にはいないし、もう出てこないだろう」と返し、おっさんは空海の凄さを知った満足を浮かべて広間を去っていった。
おれは思うのだけれど、空海のような坊さんが今後現れることはないだろうし、現れる必要もない。当時と今では時代が違う。当時はきっと、魂の救済という装置が必要だったんだと思う。農作物の出来に依存せざるを得ない庶民の生活。収穫のかなりの部分を国に納め、生活は苦しかったはずだ。医療も発達していない。日々を生きることが決して楽でない時代。そうしたなかでも、生きる。こういう時代において、おそらく誰もが同じ思いを抱くんじゃないか。例えば、生きたその先になにがあるのか。「生きる意味」であったり、「死後の魂のゆくえ」であったり、そうしたものへの問いかけというのは、きっと広く共有されていたのだと思う。そこに差し伸べられた最も尊い救済こそが、弘法大師様だったのかもしれない。
今は、違う。万人への救い、というのは最初から成立しない。産業の発達、医療の進歩によって実現された豊かな生活。そうした状況下にあって、生き続ける、ということはある程度まで容易になってきている。(実際に容易だとは思ってないけれど。)そして自由主義のもと、自分の人生は自分で選び取る時代になった。価値観は多様だ。だから、100人いれば、100の救済がなければいけない。現代に空海が現れない、っていうのはそういうことだ。

でも、だからと言って空海の凄さはまったく変わらない。本当に偉大な方だったのだろうと改めて思う。1,200年という時を経た現代においても、相当の数の人間が金剛峯寺に足を運び、奥の院墓地を訪ね、魂の救済の道を追い続けているという事実がそれを証明している。1,200年語り継がれる、というのは、1,200年経った今も語り尽くせない、ということでもある。それほど空海の教えは深いものだったのだろうし、やっぱり普遍性を持っていたのだと思う。

基本的におれは、宗教に対する関心も理解も薄い。そして、少なくとも今は、特定の宗教というものを必要としていない。宗教的な立場をあまり意識することのない日本で生活し、この方向は当分変わらないだろうと思う。
そんなおれだけど、改めて宗教というものの力を考えさせられた一日でした。

Wednesday, May 04, 2005

尼崎の事故に思う

尼崎の悲惨な事故をきっかけとして、JR西日本の企業体質がクローズアップされている。

ここ数日のニュースをみても、問題とされる対応は幾つもある。例えば、事故直後の、原因が不明確な段階で置き石説に言及したこと。その後の事故調査委員会の現場検証の結果、粉砕痕は跳ね上がったバラスト(敷石)によるものであることが判明し、置き石の可能性は事実上消滅した。あるいは、直前の伊丹駅でのオーバーランに関して、実際には40mのところを8mと虚偽報告していたこと。脱線の可能性がある速度として当初言及していた「130km/h以上」という数字も、実際には乗客がゼロの場合の理論値に過ぎなかったこと。組織防衛が優先されたと思うしかないような対応は、枚挙にいとまがない。
そうした状況のなかで、また新たな事実が浮かび上がってきた。
ひとつは、脱線した快速電車に通勤途中のJR西日本の運転士2名が乗車していたにも関わらず、救助活動をせずにそのまま出勤していたということ。そしてもうひとつは、事故を起こした快速電車の車掌に対して、JR西日本が「スピードの出し過ぎを感じなかった」という報告を強要していた疑いのあることが分かった、ということ。

企業って、何の為にあるのだろう。
107名もの命が失われたというのに、なお組織防衛と隠蔽に動くJR西日本の体質は、ほとんど信じられない。きっと現場には、被害者や家族の方を目の前にして、心の底から謝罪し、振り絞れる限りの誠意をもって対応しようとしている人間がいることだと思う。被害に遭われた方や、その関係者の方の悲痛は計り知れない。ある朝、なんの前触れもなく、友や家族がいなくなる。JR西日本の経営陣にだって、もし自分の家族や親友が乗っていたら、というくらいの想像力はあるだろう。もう戻ってこない107の命。その厳然たる事実の重みに、なによりもまず向き合おうとする、というのが当然の態度だったと思う。
正直にいって、こういうのは、本当にむなしい。

JR西日本のこうした隠蔽体質、あるいは組織防衛に走ろうとする姿勢というのは、ひとことで言うなら、サービスカンパニーという認識がない、ということだと思う。JR西日本は、お客様に「速くて快適な移動」というサービスを提供するサービスカンパニーのはずだ。サービスを売る企業は、サービスを享受いただくお客様の側に、絶対に顔を向ける。お客様は満足が得られるからこそサービスを買うのであって、どうすれば満足していただけるか、という問いに対する答えは、お客様の中にしかないからだ。JR西日本が、被害者や家族の方よりも先に、自社の存続に目を向けたという事実がまさに、彼らがサービスカンパニーたりえないということを示しているのだと思う。

でも、なぜだろう。
ひとつには、競争しなくてよかった、という事実があるかもしれない。鉄道業界というのは、基本的に外資の参入がない。外資参入の是非は置いておくとして、そのことが意味するのは、日本という範囲でのみ競争すればよい、という事実。さらに、例えば小売業や製造業と比較して、新規参入が極めて難しい、ということも言えると思う。阪急との競争激化と言われるが、他業界の熾烈な競争とは比較にならないと思う。この点は、放送業界と似ているよね。こういう業界は、自分たちが「なにに」守られているのか、ということに余程自覚的でない限り、組織としての新陳代謝が遅れ、旧態依然の風土が残りやすいのではないかと思う。例えば、「日本語」という言語に守られてCNNやBBCと競争せずに済み、放送免許の存在によって新規参入による新陳代謝から守られているフジテレビは、まさにこの問題を露呈していたんじゃないか。まあ、このあたりは龍さんの影響受け過ぎだけどね。

遅ればせながら規制緩和がようやく進んで、まさに外資との熾烈な競争を繰り広げている金融業界と比較すると、その違いは際立ってみえるかもしれないね。

Monday, May 02, 2005

検見川にて

学生時代、GWのほぼすべてを捧げた検見川のグラウンドで、久しぶりのラグビー。
東大A vs WMM。

WMMというのは、学生時代の仲間が作ったクラブチーム。日々の活動は必ずしも軌道に乗っているとは言えないかもしれないけれど、クラブ日本一を目指して、今は東京都の3部を勝ち上がってる。おれは選手登録はされていないけれど、週末の練習にはよく顔を出してて。この日はクラブリーグの公式戦ではないので、出番をもらってCTBとして80分間プレーした。

ゲームは50ー10で勝利したのだけれど、自分のパフォーマンスは最悪。
やっぱり、練習しないとだめだね。特におれみたいなタイプは、練習しないと全然だめです。仕事量も少なかったし、プレーが正確じゃなかった。別に目立つ必要はないし、もともとそれほど目立った選手ではないけれど、自分の責任をきちんと果たして、正確にプレーしないと、ラグビーとしての楽しさがないし、それ以前に、他のメンバーに申し訳ないよね。
次にプレーするチャンスがあるのは、6月のタマリバ戦。WMMにとっても重要なゲームなので、とにかくそれまでに、このゲームの反省点を修正して、きちんとしたプレーが出来るようにしたい。
その為には、練習。
当然ながら、クラブラグビーでは十分な練習時間は確保できない。WMMにしても練習は週末のみで、かつ人数も一桁の日が多い。クラブの運営に携わるコアのメンバーが中心となって、人数の確保や環境の改善に向けた努力を続けてくれているけれど、すぐには効果は出ないと思う。だからこそ、まずはその少ない時間を有効に使う努力をしないといけない。限られた時間とメンバーの中で、「上手くなる為の」練習をする、という意識が、おれにはまだ足りない。もっと出来ると思う。これから駒場に足を運ぶ時には、そういうことをもっと考えて練習をしたい。
ちなみに、このゲームでのFWの働きはすごくよかった。巌さん、カジさん、さすがだった。おれよりも年上の、おれよりもずっと前に現役を退いた先輩があんなにいいプレーしてるというのは、すごい刺激だよね。

現役のみんなは、悔しかったと思う。
でも、夏も負けません。負けるのは大嫌いなので。

Sunday, May 01, 2005

舞台

後輩のWTBと、北千住に舞台を観に行った。
寺山修司生誕70周年記念公演『血の起源』。

寺山修司のことは、実はほとんど知らない。文庫本のコーナーで『書を捨てよ、町へ出よう』であったり『ポケットに名言を』であったりを目にするたびに、いつも心の片隅がむずむずするけれど、結局今日まで読むことのないままで。こうやって、舞台から入ることになるとは、正直思ってなかった。後輩の彼女のつてで、S席が2,000円で取れるというラッキーな誘いがなければ、舞台の存在すら知らなかったからね。
パンフレットの紹介によると、この作品は、1973年にイランで3日間上演されたのみの幻の作品とのこと。舞台といっても台詞はほとんどなく、歌とダンスの組み合わせの中に、寺山修司のイメージとアフォリズムが埋め込まれたような作品。幻だからってことでもないけれど、寺山修司への入り口としては、悪くないんじゃないかと思う。

さて、実際に舞台を観てみて。
ひとことで感想をいうなら、とてもよかった。舞台というものを観ること自体、ほぼ初めてだったけれど、生で聴く歌声の素晴らしさや作品としての完成度の高さに、目を釘付けにされた。
作品全体としては、ストーリーと呼べるようなはっきりとしたプロットではなくて、寺山修司のイメージを、イメージとしてそのまま舞台化したような作品で、いろんな捉え方や感じ方が出来る内容だったと思う。そのイメージの力は、確かにとても強かったし、舞台の中で語られる台詞は、数は多くはないけれど、独特の引力のある言葉ばかりだった。
ただ、そういうことだけではなくて、おれがいいと思ったのは、演出。舞台装置や、ダンス、音楽、歌声、衣装、そういった諸々すべてを含んだ演出が、とてもよかった。
要するに、単純にすごかったんだよね。5人の女性が出てくるんだけど、その歌声は抜群だったし、主役の安寿ミラもとてもよかった。いや、もっと単純なところで、生で観たり、聴いたりすることが、やっぱり興奮を誘った。
小難しく考えなくても、イメージの意味するところがきちんと掴めなかったとしても、でもおもしろかったわけです。
また機をみて、観に行きたいね。

ちなみに、ひとつだけ残念だったこと。
舞台の開演後に、遅れてシアターに入ってくる人が本当に多かった。劇場の人が足下をライトで照らして席まで誘導するのだけれど、あれは勘弁してほしい。舞台を観て思ったのは、ふとした瞬間に舞台上の雰囲気や、状況が変わってしまうことがある、ということ。当然のことだけど、舞台上にいる役者はひとりではなくて、それぞれの役者が、それぞれの瞬間を演じている。だから、本当にちょっとした瞬間で、舞台上での立ち位置や、姿勢や、そういったものが変わっている。そういう瞬間を、遅れて来た人のふらふらした足取りに邪魔されるのは、ちょっと我慢ならない。本当に楽しみに観に来た人の為に、開演後は一切の入場を受け付けない、というのでいいじゃないかとおれは思うんだけど。