Monday, December 31, 2018

勝手に事業部通信 Vol.8 (12/31/18)

「人はね 向かい合ってる人からは本当は身につくものは学べないのよ 本当に教えたいなら うしろから」 ー 末次由紀『ちはやふる (40) 』(講談社 BE LOVE KC)

最近、スポーツの世界では選手の自主性を重視した効率的な練習運営がフォーカスされているのをご存知でしょうか。

例えば、静岡聖光学院ラグビー部。1日60分の練習を週3回しかできない制約条件のもとで花園(全国高校ラグビー)への切符を勝ち取ると、12/28に行われた1回戦も突破して話題を集めています。彼らのアプローチは、徹底的な密度の追求。すべきことだけにフォーカスして、不要なものを削ぎ落としていくことによって、60分を凝縮させていくんです。

あるいは、帝京大学ラグビー部も近年非常に注目されているチームです。今シーズンは3年ぶりに公式戦での黒星を喫しましたが、未踏の大学選手権V10に向けて着々とチームを進化させています。
チームを率いる岩出雅之監督のアプローチは、楽しさへのこだわりと、上下関係を再構築したフラットな組織運営の2つです。新入部員として初めて入寮した1年生をあらゆる雑用から解放し、4年生に雑用を担ってもらうのと併せて、練習の合間には3人トークというスモールミーティングを学年縦割りで頻繁に行って、相互理解を深めていきます。
もちろん、こうした分かりやすいカルチャー変革だけが常勝軍団を作った訳ではないですが、チームの躍進を支える大きな原動力となっていたのは間違いありません。

いわゆる体育会的な上意下達モードの硬直的組織から、新たな世代の選手たちにフィットした柔軟な組織へ。誰かに与えられた課題を精神論でこなすだけのチームから、自分たちで主体的に考える選手を育てるためにコーチが支え、見守るチームへ。
こうした流れは、ラグビーに限らず多くのスポーツで注目されていて、実際に各レベルのトップチームが明確な成果を挙げてきています。箱根駅伝で有名な青山学院大の陸上競技部なども、その1つですね。

とはいえ、体育会的なものが全否定されている訳でもありません。理由は単純で、効率的に成長しても、成長の量が足りなければ結局勝てないからです。
結果へのコミットや勝利への徹底的なこだわりは、単に「心地よい組織」だと決して持ち得ないもので、そして、勝利する者たちは唯一つの例外もなく、勝利に対して徹底的にこだわっています。

でも、間違いなく言えるのは「『部活』ではもう勝てない」ということです。自発性が中心になければ、強いチームは生まれない。そしてもう一点、強い個人が集まったチームが必ずしも強いとは限らないというのも興味深いポイントです。組織のフラット化、上意下達からの脱却を通じて、世代を超えたメンバーがOne Teamとなって初めて、トップレベルを生き抜く戦闘集団になります。

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2018年も大晦日を迎えて、今年1年間をゆっくりと振り返っている方も多いことと思いますが、自分自身だけでなくチーム全体、あるいは事業部全体という視点に立つと、やはり思うんです。
「チームで強くなる」という部分で、スポーツの世界で起きていることがヒントになるのではないかと。明日から始まる2019年には、更にレベルアップできることが沢山あるような気がするんです。

IBMは「個の成長」に積極的にコミットしてきた会社だと思います。
研修やe-learningに限らず、メンタリングや各種の社内プログラムも含めて、会社が用意してきたコンテンツの充実度は、おそらく世の大半の企業を凌駕しているのではないでしょうか。
一方で、チームを育てること、あるいは強いチームへと成長させることは、ほぼ現場に一任されてきているように感じます。"IBM Experience"を通じて逞しく生き残ったヤツが集まれば、それこそが強いチームでしょ、みたいな。

本当にそうなんでしょうか。チーム力って、もっと引き上げていけないんでしょうか。
全員が自発性を持っていて、上意下達でない形で「 1人ひとりの思い」がきちんと表現されるような。あるいは、「目標に対するこだわり」と「自分たちがやりがいを感じる仕事に向かう楽しさ」が同居するような。そういうチームって、会社という組織の中にあっても、目指していくための道筋がきっとあるのではないでしょうか。

そんなことを考えながら、1月2日は全国大学ラグビー選手権の準決勝を毎年見ています。
巷に溢れるコンテンツの中で、1月2日に最高の彩りを与えてくれるのは、昔からラグビーと決まっていますので。

いずれにしても、まずは自発性ですよね。
誰かに依存せずに、誰もが自発的に考えて行動することをチーム全体が受け入れていくような風通しの良いチームを、皆で一緒に作りたいですよね。

皆さま、良いお年を。

Tuesday, December 11, 2018

勝手に事業部通信 Vol.7 (12/11/18)

何かをして何も起こらなかった時、飛ぶ可能性は上がっている。
ー 若林正恭(オードリー)『完全版 社会人大学 人見知り学部卒業見込』(角川文庫)

数年前のこと。Sales Learning(営業研修担当)部門が企画して、JMAC(日本能率協会コンサルティング)主催の異業種交流型研修にIBMとして参加していた時期があったそうです。
つい昨日、この企画に携わっていた(私にとっての)大先輩とお会いした際に伺ったエピソードは、非常に興味深く、そして考えさせられるものでした。

この研修は1社5名のチームで、5社合計25名が参加する形式だったそうです。IBMでは、Sales Learningから営業組織のリーダーにノミネーションを依頼して、クロスインダストリーのチーム構成で臨んでいました。
研修の中では複数のワークショップを行うのですが、各社のメンバー5人で行うものもあれば、各社1名ずつ分かれて、5社5名のチームを5つ作って行うアクティビティもあったりと、内容を伺っているだけでも非常に工夫に富んだプログラム構成となっているのがよく分かるのですが、最後にA社からB社へ、B社からC社へ、といった形で、各社チームが他の参加企業向けに具体的な提案を行うのだそうです。

IBMの提案はどうだったか。
この最終提案ワークショップを通じて、IBMメンバーはどのように動いていたのか。
言葉を変えれば、他企業と比較した際のIBM営業チームのカラーが、こういう活動の中で浮き彫りになっていく訳です。私は俄然、興味が湧いてきました。自分たち自身も、同じカルチャーの中で育った同じ営業の仲間ですから。

当時を振り返って、IBMチームはいつも研修の講師陣に褒められていたと、その方は教えてくれました。
「IBMの方は、関連資料の収集や検索に始まって、準備がすごく早いですね。それから、すぐに役割分担をしてパッと作業着手される手際は本当に素晴らしいですね」と。
でも一方で、IBMチームが参加5社の中でNo.1を取ることは、数年間の参加を通じて一度もなかったといいます。常に2番か3番だったと。プレゼンテーションは上手いのに。

「魂が入ってないんだよ」

常にうまくやる。綺麗に、効率的に捌く。でも、心を打たない。残念ながらそれがIBMの姿だったと。今はもう会社を退かれた尊敬すべき先輩のメッセージは、私の胸に突き刺さるものでした。
もし事業部メンバーや、関連チームの皆様の中にこの研修に参加した方がいらっしゃったとしたら、現場に直接関わっていた訳でもない私が、このように勝手に書き連ねることの非礼をお詫びしなければと思っています。でも、どこかに自覚症状があったりするんです。自分自身も含めて、日々に忙殺される中で、こういう傾向にきちんと抗えないでいる部分がどこかあるのかなと。
効率ばかりが優先されて、「知見の横展開」という耳障りの良い謳い文句の下、自ら考え抜くことが疎かになってしまった提案書の行く末を、私たちはよく知っているはずなのに。

本当に追求すべきは、クオリティ。効率よくつまらないものを大量生産するくらいなら、魂の入った1枚を徹底的に考え抜きたいです。たとえそれが、思い切り非効率な形でしか作れなかったとしても。

オードリーの若林さんは、ブレイクしたばかりの頃、プレゼントで「黒ひげ危機一発」をもらったことがあるそうです。(著書を読む限り)さほど社交的でもなかった彼は、自宅で1人、剣を刺していた。でも、黒ひげのおっさんが飛び出しても、1人なので盛り上がらない。しばらく続けていると、ゲームの趣旨が変わってきて「如何に早く黒ひげを飛ばすか」を考えながら、ひたすら剣を刺す若林さん。その瞬間、彼が気づいたのが冒頭の言葉だったそうです。漫才が受けなくて、何度もスタイルを変えて新たな挑戦を繰り返しながら、オードリーは1つ目の樽に必死で剣を刺し続けていたのだと。そうやって穴を1つずつ埋めていって、今の漫才の原型が形成された時、初めて最初のおっさんが飛んだのだと。

キャラクターも性格も、住む世界も違うけれど、同じように生きたいとは思います。
樽があるならば、剣を刺し続けないと。たとえ非効率に見えたとしても。

Thursday, September 27, 2018

勝手に事業部通信 Vol.5 (9/21/18)

「ブルース・リーになる試験はない。」
ー 山田玲司『非属の才能』(光文社新書)

先日、NHKである聾学校を取り扱ったドキュメンタリーを見る機会がありました。
聾学校という存在は当然知っていながら、これまで聾唖の方と接する機会は殆どないまま生きてきた私にとって、実際の聾学校での日常は全てのシーンが驚きの連続でした。
番組の中で描き出されていたのは、耳の不自由な子ども達にとっては「ごくありふれた日常」なのかもしれません。でも、ありふれた日常を安心して生きるためには、居場所が必要なんですよね。
子ども達を教える先生も、彼らと同じように音のない世界を生きてきた人生の先輩。きっと、子ども達にとって必要なのが「居場所」なのだということを、誰よりもよく分かってあげられる先生なのだと思います。
そんな素晴らしい先生に支えられ、「安心して、そこにいていいんだよ」と言ってもらえる場所があることで、子ども達は逞しく成長していきます。もちろん、ドキュメンタリーで映像化されるのは生活のほんの1コマで、映像の外側にある日常に想いを馳せる時に、軽々しく安易な言葉でまとめてしまってはいけないのだと思っていますが・・・。

「もし音が聞こえるようになる薬を神様がくれるとしたら、あなたは飲みたいですか」

子ども達に問いかけられた質問です。興味深いことに、半数の子は「飲みたくない」と答えたそうです。今の自分でいい。今の自分が好きだから、と。
飲みたいと答えた子の言葉も、心に響きます。「自分は音のない世界のことを知っている。だから次は、音のある世界のことも知ってみたい。」

飾り気のない素直な自己肯定。聾唖の子ども達のように、ある意味で明確なハンディキャップを抱えて生きる人にとって、安心して「所属」できることの意味と価値はどれほど大きいだろうと感じずにはいられませんでした。
でも、ふと思うんです。それって聾唖の子ども達だけでなく、誰にとっても言えることなんじゃないかなと。老若男女を問わず、学生/社会人の別を問わず、所属への安心は、自分を生きるための出発点なのかもしれません。

一方で、「非属」という考え方もあります。実はここ最近、個人的にずっと考え続けていることです。(元々属すのは苦手なタイプなので・・・。)
山田玲司さんは有名な漫画家ですが、漫画家の言葉は基本的に面白いものが多いんです。それは多くの場合、「自分たちはマイノリティである」という意識から来ているように感じます。
要するに、同調圧力への抵抗なんですよね。人と同じである必要はないと。誰も分かってくれなくても、自分が本当にやりたいことに忠実に生きればいいんだよと。
才能があるから非属が許されるのではなく、非属そのものが才能を作るのだと、山田さんは言います。より正確には、誰もが持っている自分自身の能力/個性を削り落さないための姿勢こそが非属である、ということかもしれません。

所属と非属。一見すると、相反する概念ですよね。
聾学校という場所に所属することで、小さな瞬間の中に「受け入れられる喜び」を抱きながら日常を過ごす子ども達。
学校なんて同調圧力の塊のような場所であって、その狭い世界で受け入れられるために自分を削る必要はないという漫画家。
2つの全く異なるタイプの心の叫びから、私たちは何を見出していけばいいのかなと、そんなことをこの1ヶ月近くぼんやりと考えています。まあ、考えてどうなる訳でもないんですけど。

でも、本当はこの2つは矛盾しないんだと思うんです。
会社での生活においても、いや、もっと身近に所属する事業部や営業部、更には担当チームといった単位で、まずは所属への安心感があってほしい。
その上で、こういう大きな組織/チームであっても、自分のスタイルを持って、自分らしく仕事ができて、「まあ、あれがあいつのスタンスなんだよな」みたいな小さな居場所があって。
表現を変えると、非属のままで属すことの許される場所。そういうのも悪くないんじゃないかなと、個人的には思うんです。

所属を支えるのは、きっと関心です。
「誰かは見てくれている」というのが、つまりは安心感ですから。

非属を支えるのは、きっと寛容です。
非属な人たちはマイノリティであり、寛容がなければ時に潰れてしまいます。

でも、もう一歩踏み込んでみると、寛容は関心から始まるような気がするんです。自分とは異なる価値観への興味があって初めて、人は寛容になれるのではないかなと。

隣の人の仕事に、関心を。
実はそういう小さな一歩から、何かが変わっていくのかもしれないですよね。

Tuesday, September 25, 2018

勝手に事業部通信 Vol.4 (6/30/18)

「困っているひとがいたら、今、即、助けなさい
ー 森川すいめい『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』(青土社)
 
発端は、1990年9月15日付の朝日新聞(地方版)に掲載された興味深い記事だったそうです。
< 老人の自殺、17年間ゼロ ここが違う徳島・海部町 >
この記事に注目したのが、当時慶應大学大学院修士課程で自殺予防因子の研究をしていた岡檀さん。彼女は実際に海部町を訪れてフィールドワークを行い、海部町の何が違うのか、自分自身の目で調査を始めます。その後、彼女の研究成果は『生き心地の良い町』(講談社)という名著となって世に知られることになり、これに感銘を受けた精神科医の森川すいめいさんが、改めて岡さんの足跡を辿るように海部町へと向かいます。

日本全国の自殺率を市区町村別に見ると、最も自殺率の低い上位10地区のうち、9つは「島」なのだそうです。物理的に海に囲まれた、ある意味では閉じた空間ですよね。
そして、トップ10で唯一の島ではない地域というのが、実は徳島県の海部町なんです。これだけでも、好奇心がくすぐられてたまらない。
森川さんは精神科医として「生きやすさ」ということをずっと考えていたそうです。自殺率の低さがすなわち生きやすさかどうかは分からないけれど、ひとが自殺まで追い込まれない町にはきっと、何かヒントがあるのでは。
こうして始まった学術的にもあまり類例のない自殺希少地域のフィールドワーク。岡さん、森川さんという2人がそこで見たものは、何だったのか。ちょっと興味、沸いてきませんか。

全てをこの場で紹介できないのですが、海部町には興味深い特徴が幾つもあるんです。
例えば、人口の決して多くない小さな町ゆえに、隣近所はほとんど皆が知ったもの同士。噂はすぐに町中に広がります。でも、実は皆が非常に緊密に繋がっているかというとそうではなくて、挨拶程度の間柄が大半なのだそうです。
逆に言えば、誰にでも挨拶はするんです。挨拶程度の緩いつながりが多方面に広がっていて、誰かが何かで困ったときに、どこかには助けてくれる人がいるんです。

海部町の人は、困っている人がいたら、相手がどう思うかを考える前に助けます。大切なのは、自分がどうしたいかなのだと。そして、見返りなど誰も考えていない。「助けっぱなし、助けられっぱなし」なのだそうです。
また、「できることは助ける、できないことは相談する」「困っていることが解決するまでかかわる」という2つの考え方も町中に根付いているといいます。
つまり「それ、私の仕事じゃないんで」という考え方は海部町にはないんですよね。人間関係は「密ではなく疎」なのに、困っているひとは決して放置しないんです。

第2四半期も終わって、週明けから2018年も下半期に突入ですが、ここで一度仕切り直して、組織やチームの形をもう一度考え直してみる時に、海部町には大切なヒントが詰まっているような気が(個人的には)しています。
コミュニケーションのスタイルは人それぞれで、多様な考え方があるのが自然なことなので、一概に正解がある訳ではないのだと思うのですが、例えば、挨拶程度の緩やかなつながりでも、人は孤独感から救われたり、助けられるのだいうことは知っておいても良いのかなと思います。ベタな繋がりじゃなくても、まずは挨拶からでもいいのかもしれないですね。

Monday, September 24, 2018

勝手に事業部通信 Vol.3 (5/26/18)

「ルールに従っとるのがフェアだという人がありますが、そんなもんフェアじゃありません。ルールは人間が作ったものであります。だからそれによって善悪を決めるのはジャスティスのジャストであります。」 ー 大西鐵之祐(元ラグビー日本代表監督/早稲田大学最終講義より)

コンプライアンスなんて、本当につまらない概念だ。
そう思ったことがある人は、実際には少なくないのではないでしょうか。正直に白状すると、私もその1人です。ただ、コンプライアンスを軽視している訳ではありません。私が思うのは、「コンプライアンスを遵守していれば、それで事足りている」という発想のつまらなさです。

ここ最近、巷間を騒がせている日大アメフト部の問題。fbなどを眺めていても、様々な批判や論評、コメントで溢れ返っています。
あまりにもスポーツの原点から乖離した悪質なタックルであり、その後の(タックルをした)当事者による謝罪、また監督・コーチの記者会見に至るまで、どこまでも哀しい顛末に誰もが胸を痛めているように思います。将来を嘱望された若きアスリートをあれほどまでに追い込んでしまう組織。たとえ指示があったとしても、最後の一線で踏み止まることができなかった選手。そして、自らの非を公の場で謝罪した選手さえ守ってあげられない指導陣。今でも競技スポーツの世界に携わっている身としては、この悲しい問題そのものを、これ以上語りたくありません。

ただ、私としては思うんです。ちょっとだけ視点を変えてみると、これと同じような構図は世間の至るところに蔓延しているのではないかと。
誰かの指示があったから、その通りに行動する。そういうルールだから、単純に従う。本当に大切にすべき価値観よりも、空気が優先される。どれもrootは同じですよね。「自分の頭で考えずに、誰かに判断を依存する」という意味で。
国内トップクラスのアメフトのゲームで起きてしまった不幸な事故だったから、世間からの批判を集中砲火のように浴びているだけで、自分自身の日常の小さな瞬間に、同じようなrootが全くないと言い切れる人間が、一体どれほどいるのだろうかと思わずにはいられません。人なんて、究極、そんなに強くないですからね。

往年の日本ラグビー黄金期にあって名将と呼ばれた大西鐵之祐さんは、その著書の中でも語っています。ジャストとフェアは違うと。
本当のフェアネスは、ルールに従うこと(合法性/just)ではない。
たとえ合法であったとしても、人間への尊厳に照らして自ら考え、魂が「No」だと言えば踏み止まる。ルールのような誰かの価値観ではなく、自分の責任と判断で、人間性を常に優先する姿勢こそがフェアネスだというんです。

コンプライアンスを遵守することは、合法性という観点で決して軽視されてはいけないと思います。でも一方で、コンプライアンスを遵守していれば良いというのは、思考の放棄ではないかとも思うんです。
そして、思考を止めてしまった先にあるのは、あの不幸な事件にあるものと相似形なのかもしれないと。
思考と判断は決して止めない。そして、決して誰かに委ねない。(よくアメフトと混同される)ラグビー人の1人として、そんなことを思う毎日です。

Sunday, September 23, 2018

勝手に事業部通信 Vol.2 (5/2/18)

2003年度 Jリーグ2nd Stage 第10節。
ジェフ市原 ○ 2-1 ● ベガルタ仙台 @仙台スタジアム
(得点者/ 仙台: 岩本 輝雄 (55分), 市原: 佐藤 勇人 (60分, 87分))

このシーズンのJ1 2nd Stageは歴史に残る激闘で、最終第15節はWikipediaにも残されているほどなのですが、それに先立っての第10節、ジェフ市原vsベガルタ仙台の試合終了後に、忘れられない名言が生まれていたことを、皆さんはご存知でしょうか。

「2点を取ったのは佐藤でも勇人でもなく、ジェフというチームが挙げたものだ。私はそう考えている。」 ー イビチャ・オシム

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私たちの事業部でも3月末に組織変更があり、4月から新たな体制がスタートしています。
これから日々を積み重ねていく中で、事業部全体としてもそうですが、組織の中でこういうサブチームが次々に生まれてきたら、きっと仕事は楽しいんじゃないかなと個人的には思ったりします。
想像ですが、きっと佐藤選手はチームで然るべき祝福を受けていたと思うんです。「ナイスゴール!お前の決定力がチームを救ったよ」と。個人としてのスキルとパフォーマンスなくして、チームの成長も、成功もないですから。
でも、その上で2点を挙げたのはジェフだとオシムは言うんです。つまり、個人を讃える文化と本物のチームワークは矛盾しないんですよね。

来週からGWが始まりますが、連休中に頭を巡らせてみたい個人的なテーマになりそうです。こういうチームというのは、どうすれば作っていけるのかなと。
結局のところ、事業部のカルチャーであれ、チームの雰囲気であれ、組織の空気を作っていくのはそこにいる個人でしかないので、まずは一個人としての自分を見つめ直してみようと思います。
まあ、半分くらいは今年から携わっているラグビー部のカルチャーをどうやって醸成していけるかな、という問題意識だったりもするのですが・・・。

GWでゆっくり休めそうな人もいれば、業務の都合上カレンダー通りの方もいると思いますので、勝手なことは言えませんが、日々チームで仕事をしている私たちが、一旦日常を離れて「一個人」としてリフレッシュして、普段とはちょっと違う視点で日常を振り返ってみたりして、また改めてチームとしての日常が始まった時に、すっきりした気持ちで「個人が個人を讃えつつ、チームとしてプロセスと成果を共有できる空気」が箱崎の22Fを満たしていたら、やっぱりいいなあと思います。

それでは皆様、良い連休を。

Saturday, September 22, 2018

勝手に事業部通信 Vol.1 (4/10/18)

ふりむくな、ふりむくな、後ろには夢がない。 ー 寺山修司『さらばハイセイコー』より

4月4日、水曜日。
遠くIBM Germanyから来てくれたSalvatore Romeoというイタリア生まれのSMEと一緒に、丸の内のお客様をコールしてきました。
時刻は午前11時。有意義なコールを終えたばかりの、JPタワーの車寄せ。この後、箱崎で予定しているお客様とのワークショップは13時スタート。
まずはランチでも、なんて考えていると、ふと聞かれたんです。「日本に行くなら桜を見てきなよって友達に言われてさ。どこか良い場所あるかな」って。"Sakura"は9,000kmも彼方のドイツでもやはり有名なんですね。

さてと、桜のシーズン。今年は寂しい別れも多くありました。
でも、一方で新たな出会いもあって、もう後ろを振り向くことも、その必要性も、私の中ではなくなっています。
私たちの事業部にも、2人の新入社員が来てくれました。もう覚えてもらえましたか。4/1から、私たちの仲間です。22Fで見かけたら、気軽に声をかけてあげてください。
2人のアドバイザーと共に、私も一緒になって5人で成長していきたいと思っています。一緒に輪に加わってくれる方がいるなら、いつでも大歓迎です。
後ろには夢がないけれど、この5人には前しかありませんので。

そういえば、最近こんなことがありました。
私は今年から大学ラグビーのヘッドコーチをしているのですが、キャプテンを中心とした首脳陣が課していたウェイト・トレーニングの目標値を3月末までに達成できなかった選手が、5人いたんです。
主将は2月にシーズンインした際、「目標に届かなければ、一定期間の練習参加を禁止する」とチームに宣言していました。でも、本当にノルマ未達成の選手が5人も出るとはおそらく考えていなかった。
貴重な戦力を5人失う。本当は一緒にグラウンドに立ってほしい。でも、俺たちは簡単な気持ちでこの宣言をした訳じゃない。深い葛藤が、首脳陣メンバーを苦しめて。
その後、チームはどうなったと思いますか。
あるいは、皆さんならこの状況でどうすべきだと思いますか。

決めたことを安易に撤回すれば、リーダーの言葉は重みを失う。そうかもしれません。
一方で、結果はともかく一生懸命やってきたヤツらだったのだとしたら、過去の宣言にこだわらなくてもいいんじゃないか。当然、そんなアプローチもあるかもしれません。

でも、私としては思うんです。どちらにしても過去のことだと。
5人に改めて伝えるメッセージは、「達成できなかった過去」ではなくて「達成できれば叶うかもしれない明日」なんじゃないかなと。ペナルティを課すにしても、あるいは撤回するにしても。

新入社員の2人とは、「前にあるもの」を共有したいと思います。
事業部の皆さんからも、2人が明日きっと経験することを話してもらえれば嬉しいです。後ろには、夢がありません。