Friday, December 23, 2005

エッセイ

銀座の画廊へと転職すべく、採用試験の課題としてパートナーが書いたエッセイ。
画廊のオーナーは、突然こんなことを主張されて驚いたと思うけれど。


『名前』

今読み進めている「パズルの迷宮」(フアン・ボーニャ著)の中にこんな一節がある。

"実際のところ人は誰しも、誰かに言ってもらえるまで、
自分の名前を知らないものなのさ"

はっとした。そしてその言葉は、すとんと私の心の中に落ちてきた。

人はこの世に生まれてすぐ、多くは親から自分の名前を聞かされる。
私自身も記憶にはないが、初めはその「単語」が自分を指すものであるという
認識は、全くなかったはずである。何度も呼び続けられるうち、その「単語」が
自分自身を指す「名前」だということに、気づいていくのだろう。

そこで不図考えた。
もしも生まれ落ちてすぐ、同時に複数、例えば3つの名前で呼ばれたら、
3つの人格ができるのであろうか。
別々の国籍をもつ両親に育てられた子供は、同時に2つの国の言葉を
話せるようになる。
だがやはりその時も、与えられる「名前」は1つだ。
成長するに従い、それぞれの環境においてそれぞれの言い回し、あだ名などで
呼ばれることはあると思うが、「本名」は1つである。
しかし、その場その場で呼ばれる名前によって、自分の意識が変わることがある。
○○の時はこういう自分、△△の時はこういう自分という風に、
無意識のうちに自らの言葉遣いや雰囲気が変わっていることが。
「名前」には、そんな不思議な力があるように思う。

私のつたない感覚からくる結論を言えば、
もしも生まれ落ちてからずっと3つの名前で呼び続けられたら、
3つの人格ができあがる、ということになる。

「自分」というものは、とても曖昧でもろいものである。
自分の芯を通っている一本の糸の色は絶対的かもしれないが、
その周りを彩る色は、幾らでも変化する。

よく「本当の自分」という言葉を目にするが、
これはとても危うい言葉であるように思う。
それを考え出したら、それこそ出口のない迷宮に迷い込んでしまう。
「自分」というものは「唯一」だと認識しているからこそ、
そういう辛い思いに苛まれてしまうのではないか。
確かに、自分らしくないと明確に感じる種類のものもある。
それは大切にしなければならない。
ただ、それを絞りすぎてしまうと、いつの間にか答えのない問題と
永遠に顔を突き合わせることになる。
それは、とても力のいる作業である。

そんな時は誰かに別の名前をつけてもらい、
それで呼んでもらってみたらどうだろう。
案外自分の芯の近くに隠れていた感情が、素直に出てくるかもしれない。
他者から見た自分というものは、結構真を突いているものである。
その中で、どうしても嫌だと思うもの以外は、
全て自分であったりするのではないだろうか。
優子、真希、もも、カトリーヌ、ステファニー、タスリム。
誰かにそう呼ばれてしっくりいけば、全部自分の名前なのかもしれない。

名前について、そんなことを考えた。

オルテガ・イ・ガセットはその自我論の中でこう言っている。
「私とは、私とそれを包囲する状況である」と。

Saturday, December 17, 2005

流動性を考える

その人の著作に出会ったことで、それまでの自分の価値観や考え方、或いは世界の捉え方といったものが大きく揺すぶられ、新鮮な驚きと興奮を伴いながら、否応なしに自分が変化していくような、そんな出会いが、ごく稀にある。単純に知的好奇心を刺激したり、良質のエンターテイメントを提供してくれるだけではなくて、その先にあるものが強烈なインパクトを持って自分に迫ってくるような、作品の中で描かれた世界観が「おまえ、それでいいの?」って訴えかけてくるような、そんな出会い。
おれの短い読書歴のなかでも、そういう素晴らしい出会いが2回あった。

最初の出会いは、大森荘蔵。
浪人時代に新聞の書評欄で知った『時は流れず』という著作がきっかけだった。
この作品は、おれが生まれて初めて出会った哲学書だ。『時は流れず』という刺激的な標題に興味を持って、予備校の寮の傍にある小さな本屋で取り寄せてもらったのだけれど、初めて触れた哲学の世界は衝撃的だった。
「時は流れず、過ぎ去るのみ」
詳細な議論の展開や、その行き着く先はあまり覚えていないけれど、このキーメッセージに至るまでの議論の迫力、論理的厳密性を徹底的に貫こうとするその姿勢に、当時のおれは打ちのめされた。哲学というのは、その結論が刺激的なのではなくて、結論に至るまでに重ねられた思考や議論の展開、その論理的な厳密性と正確性、決して問うことを諦めないしぶとさ、そういったものこそが刺激的なのだということを、この本を読んで初めて知った。
ちなみにおれは、大学進学後に科学史・科学哲学を専攻することになるのだけれど、この時に大森荘蔵を知ったことがその最初のきっかけだった。教養学部・基礎科学科の科学史・科学哲学分科は、大森荘蔵がかつて所属した場所だったんだ。残念ながら、おれが進学した時には、大森さんは既に他界されていたし、実際に進学してみると、授業での哲学の議論についていけず、科学史に逃げてしまったけれど。


そしてもうひとつの出会いは、村上龍さん。
社会人になってからの数年間、龍さんの作品はコンスタントに読み続けている。
龍さんの作品を初めて手にしたのは、高校生の頃だ。ラグビー部の同期で、今では単身ポーランドに渡って映画を学んでいるセンス溢れる友達がいるのだけれど、その友達の薦めで『五分後の世界』を読んだのが最初だった。
でも実を言うと、当時はそれほど強烈なインパクトを感じることはなかった。その頃もおもしろい小説だとは思ったけれど、その水準を飛び抜けるような感覚はなく、単に「良い小説」のレベルで留まっていた。

本というのは、出会うタイミングが違うと、全く違った印象になるから不思議だ。
大学1年生の頃には『限りなく透明に近いブルー』を読んだのだけれど、正直に言って全く理解できなかった。セックスとドラッグだけの小説としか思えず、ただ不快感しか残らなかった。村上龍にインスパイアされるどころか、「当分村上龍はやめよう」と思ってしまったくらいだ。

龍さんの作品に対する印象が変化していく最初のきっかけとなったのは、大学3年生の頃にラグビー部の先輩が薦めてくれた『希望の国のエクソダス』という作品だ。
数十万人の中学生が、全国で一斉に集団不登校を起こす。ポンちゃんという少年が中心となって、インターネットとITテクノロジーを駆使しながら、彼らは独自の緩やかなネットワークを構築していく。大人達の社会における常識や規範といったものを、彼らはクールに飛び越えていって、やがて彼らのネットワークは、旧来の枠組みには収まらない新たな共同体の在り方として結実していく。
ざっと言うと、そんな小説なのだけれど、フィクションとしてのダイナミズムもさることながら、そのダイナミズムを成立させる為の精緻な取材が徹底されていて、非常に構築性の高い小説だと思った。また、ポンちゃん達が越えようとした「旧来の社会的枠組み」というものが、そもそも何だったのか、という問いを提示することで、日本社会に対する龍さんの分析の鋭さが浮かび上がってきて、そのことにも非常に驚いた。

そして大学卒業後、社会人になって暫く経った頃、きっかけは思い出せないけれど、『五分後の世界』を再び読み直してみることにしたんだ。これが決定的だった。
なぜ高校生の頃には気づかなかったのだろう。改めて読んでみると、凄まじいばかりの描写力と、その刺激的な作品世界に圧倒されてしまった。
この小説の舞台は、実際の世界とは5分ずれたもうひとつの世界。実際の世界では、1945年8月15日をもって日本は第二次世界大戦に敗戦するのだけれど、この5分後の世界では、日本軍は地下に潜伏して、アンダーグラウンド(UG)で占領軍への抵抗を続ける。その世界に突如紛れ込んでしまったオダギリが、UGの現実を徐々に受け入れながら、そこで生き抜いていく物語だ。UGにおける日本は、現実の日本に対するアンチテーゼであり、終戦後の日本が、敗戦とその後の高度経済成長の中で失ったものが何だったのか、という問いに対する龍さんなりの答えを暗示している。
初めてこの作品を読んだ時には、それが分からなかった。おそらく当時の自分には、この作品に対する受容性も感受性も備わっていなかったのだと思う。それは善悪の問題ではなくて、小説の読み方は様々であっていいと思うし、小難しく考える必要はないと自分でも思う。ただ、間違いなく言えるのは、初めてこの小説を手に取ってからの数年間で、この小説に対するおれのスタンスは全く変わってしまった、ということ。それはとりもなおさず、自分自身の変化そのものなのだと思う。例えば水上さんとの出会い、大学ラグビーの経験と社会人ラグビーでの挫折、そういう諸々の経験があって初めて、おれの中にこの小説に対する素地のようなものが出来たのかもしれない。
それから先は、龍さんの作品を次々に読み進めていった。出版されている全作品の読破にはまだ全然及ばないけれど、それでもこの3年間で30冊近くの作品を読んだ。龍さんの作品の多くは、読み終えた瞬間に「明日から自分はどう生きればよいのか」を否応なしに考えさせられるような、強烈なインパクトがあった。「おまえ、明日はどう生きるつもり?」って問い掛けられているような、自分の姿勢が試されているような、それまでの自分が暗黙のうちに前提としてきた部分に異物を放り込んで、波紋を撒き起こすような、そういう魅力があった。
そういう意味でも、村上龍という小説家の存在は、本当に衝撃的だった。

ここまで書いてきて、ようやく自分の書きたかったことに辿り着くのだけれど、鼎談集『波状言論S改』を読み進めていて、思ったんだ。
3度目の出会いが訪れたかもしれない。
『波状言論S改』の第1章「脱政治化から再政治化へ」という鼎談のメインプレーヤー、社会学者の宮台真司。彼の展開する議論、彼の提示する社会への視点に対して、自分でも驚いてしまうくらいに衝撃を受けてしまったんだ。

宮台真司は、社会の「流動性」ということを問題にしている。
おれの理解した限りで整理すると、近代性というのはつまり、流動性を高めるシステムだった。流動性は、交換可能性と言い換えることも出来る。流動性を高めることは、収益性という意味でも非常に効率的だった。流動性を高める方向に社会が向かっていったのは、それが社会を構成する基本的要素、例えば家族、地域共同体、個人といったものにとって、利益になると人々が考えたからだった。
しかし、流動性の向上した社会は、同時にアイデンティティの獲得が困難な社会でもあった。交換可能性が高まるということは、自分である必要性が失われていくことでもあった。例えば、終戦直後の日本社会においては、現代と比較すると、取り得る職業の選択肢は圧倒的に限られていた。それでも、例えば手に職を持った昔の職能工には、その人にしか出来ない仕事というものがあった。そうして社会における存在意義を見出すことで、アイデンティティを獲得することが出来た。
現代は違う。職業の選択肢は圧倒的に拡がる一方で、産業技術の発達と共にマニュアル化が進行していった。標準的なスキルセットが規定され、マニュアルさえあれば誰もが同じ作業をこなせるような環境が、特に製造業を中心に出来上がっていった。それは効率的に収益を上げる為の必然だったけれど、同時にアイデンティティの介在する余地が失われていった。自分である必要性を認識することが困難な社会になっていったんだ。そして、同じような傾向は、実は社会のあらゆる領域に拡大していて、そうした状況下で生きる人間の心に徐々に蔓延していったものが「不安」だった。

宮台真司は、そこから更に議論を進めていって、過剰流動性社会に対する問題提起と、近代の抱える構造的問題を越えて行くビジョンを展開していくのだけれど、現代社会に対するその鋭い眼差しと分析は、本当に刺激的だ。そして社会に対するそうしたアプローチは、今までの自分には余りなかったもので、純粋に新鮮な驚きがあったのと同時に、社会に対する自分自身の向き合い方、ひいては「社会」そのものに対する捉え方が、自分の中で大きく転換していきそうな、そんな予感がした。

そのことが、すごく嬉しかった。
残念ながら今のおれは、宮台真司の展開する議論に、厳密な意味でついていくことが出来ない。議論の前提となる知識・教養もバックボーンもない。議論を構成する基本的な概念さえ、きちんと自分の中に落とし込めていない。
もっと読めるようになりたい。
宮台真司によって喚起された問題意識を、諦めずに考え続けていきたい。

Monday, December 12, 2005

社会学にふれる

『波状言論S改』という鼎談集を買って、今読み進めている。
批評家の東浩紀が、同僚の社会学者である鈴木謙介と共に、宮台真司、北田暁大、大澤真幸という3名の社会学者と対談した内容を纏めたものだ。

正直に言うと、とても難しい。
考えながら、一歩ずつ議論を辿っていかなければ、読み進めることが出来ない。
更に言えば、どれほど丹念に読み進めたとしても、内容をきちんと理解したと言える自信はまったくない。たぶん無理だ。ルーマンもハーバーマスも知らないおれには、おそらく理解の限界があるのだろうと思う。

それなのに、なぜか読みたくなるんだ。
議論のディテールは分からなくても、考えることを読者に要求するような、知的刺激が詰まっているからだろう。

考えてみれば、社会学というものに興味を持ったのは初めてかもしれない。社会学者の著作に目を通すような経験も、これまでは殆どなかった。この本に出会ったのも偶然のことで、最初から「社会学」の世界に足を踏み入れようという意志があった訳ではないんだ。目的もなく本屋をうろついていた時に、偶然目に留まって、そのタイトルに惹かれて手に取って頁を捲っていると、その中の一行が頭に飛び込んできた。
それは、東浩紀が、過去の宮台真司の思想的立場を端的に要約したもので、「オウムになるかコギャルになるかの二つしかないなら、コギャルになるしかないだろう」という言葉だったのだけれど、宮台真司のことを何も知らなかったおれにとっても、その言葉はとても興味深く、即座に買ってしまったんだ。

まだ自分の考えが整理できない。
宮台真司の展開する議論についていこうともがいているけれど、簡単ではない。
議論の前提となる概念を、きちんと理解できない。
そういうベースの欠落がはっきり分かってしまって辛いけれど、でも刺激的だ。
こういう感覚は久しぶりで、ちょっと嬉しい。
「分からない」ということを大切に、丁寧に読み進めていきたい。

Tuesday, December 06, 2005

冒険者カストロ

久しぶりに本を読んだ。1冊の本をきちんと読破したのは本当に久しぶりだ。
『冒険者カストロ』
佐々木穣という作家が描いたフィデル・カストロのノンフィクション作品だ。

1956年12月、亡命先のメキシコから、ひとりの革命家とその同志達が、彼らの母国キューバに上陸する。彼らは、事実上のアメリカの傀儡政権であったバティスタ軍事独裁政府を打倒すべく、2年近くに渡ってゲリラ闘争を繰り広げる。
シエラ・マエストラでの戦いに勝利し、革命の狼煙を上げると、圧政に苦しむ農民達の絶大な支持の受けた革命軍は反バティスタ闘争の勢いを加速していく。サンタ・クララを陥落させ、革命軍の勝利を決定づけると、1959年1月1日、バティスタはドミニカへと亡命する。そして翌日、首都ハバナの陥落をもってキューバ革命は完遂されるのだが、その中心にいたのが、言うまでもなくフィデル・カストロとチェ・ゲバラだ。

フィデルとゲバラは、共にキューバ革命を指導した伝説的革命家だが、その後の2人の人生は対照的なものとなった。キューバ革命の純粋な精神の最後の砦であり、第三世界への革命運動の展開を通じて、「もっと多くのベトナムを」創ることを生涯の理想としたゲバラは、後にカストロへの決別の手紙を認め、キューバを離れることになる。コンゴの革命を指導すると、その後はボリビアでのゲリラ戦争に携わっていく。しかし、ゲリラ戦の最中、ボリビア政府軍に捕獲され、理想への道半ばにして不幸にも銃殺されてしまう。
一方でフィデルは、キューバ革命を守り通す為に、独裁体制の基盤を築き上げると、アメリカ資本を接収し、資産の国有化を推進していく。大国アメリカと渡り合う為に共産主義というイデオロギーすら利用し、ソビエトとの関係を強化していく。キューバ危機の13日間を経てフルシチョフに対する信頼は失いながらも、その政治的交渉力を持ってソビエトから最大限の譲歩を引き出してみせる。

フィデル・カストロは、今もなおキューバ共産党の第1書紀として国家を指揮するキューバの国家元首であり、独裁者だ。政治的なことをあまり書くつもりはないし、その評価は様々だろうと思うけれど、類い稀なカリスマ性と政治センスを兼ね備えた闘士であることは間違いないと思う。そうでなければ、カリブ海の小国キューバが、鼻先の大国アメリカの経済封鎖の下にあって、今日に至るまで共産主義による独裁体制を存続させることは出来なかっただろう。

よく言われるように、チェ・ゲバラは革命の地に命を失ったことで、伝説となった。
「革命家」という言葉が想起させるものを、最も体現してみせたのがゲバラだった。
でも、そこにはもう1人の英雄がいた。キューバ革命を政治的に守り通す為に、独裁者として君臨する道を選んだフィデル・カストロは、自らの命を賭してバティスタ独裁の打倒の為に戦い、キューバ革命を勝利へと導いた紛れもない英雄だった。


『冒険者カストロ』は、そのフィデル・カストロという人間の半生を描いたノンフィクション作品だ。その生い立ちに始まり、キューバ革命に至るまでの道程、革命後の政治的選択、ゲバラとの出会いと決別、そういったことが綿密な取材のもとに丁寧に描写されている。革命家としての輝かしい功績だけが注目されがちだが、ゲバラと共に率いた革命の道程は困難を極めるものだった。モンカダ兵営の襲撃に失敗して、メキシコに亡命した時には、わずか12名しか革命の戦士はいなかったのだ。(正確な人数には諸説あるようだけれど。)そうした絶望的な状況下にあっても、己の信念に妥協することなく、目的の実現の為に常に行動し続けた人間の迫力というものが、淡々と続く描写の中からも伝わってくる。それは、飾りつけを施すまでもなく魅力的なフィデル・カストロの生き方に対して、ただひたすらに丹念に、正確に書こうとする、そのスタンス故のことかもしれない。本当のことを言うと、革命が成就した後の記述が少ないのが少し残念ではあるけれど、一読の価値は十分にある作品だと思います。


ちなみに、念の為に書いておくけれど、共産主義に対する思い入れやシンパシーはおれにはない。更に言えば、共産主義に限らず、特定の政治的信条やイデオロギーに対する傾倒といったことも、自分自身ではないと思っている。
何が言いたいかと言うと、フィデル・カストロの魅力はその政治的思想にある訳ではないということ。少なくとも本書を読む限り、誰が何と言おうと、フィデルの生き方は圧倒的で、熱情的で、戦略的で、目的に対して反妥協的で、つまりは極めて魅力的だ。
繰り返すけれど、それは政治的信条とは関係ないはずのものだと思います。

Sunday, December 04, 2005

責任について

1月の全国クラブ選手権に向けての最後のゲーム。
12/3(土)タマリバA vs 早稲田大C @早大上井草G
12/4(日)タマリバB vs 法政大 @法政大学八王子G

早稲田Cとは9月にも試合をして、24-31で敗れている。今回のゲームはその雪辱戦であり、日本選手権で早稲田Aと戦い、勝利することを最大の目標に据えるタマリバにとっては、絶対に落とすことの出来ないゲームだった。

結果はというと、53-22での勝利。
ゲームに対するチーム全体の集中力も終始途切れず、悪くない内容だったと思う。
3ヶ月前の敗戦の頃とは全く違うレベルのパフォーマンスを発揮した選手もいた。メンバーが揃っての練習は週末にしか出来ないけれど、その限られた練習時間の中で、ラグビーに対して真摯に取り組んできた人間は、そのことをプレーできちんと証明していて、タマリバというチームの成長に大きく貢献していた。
そういうやつが仲間にいるのだから、おれ自身も応えないといけない。

正直に言うと、チームがいい流れを創り出していたのに、自分自身のパフォーマンスは全然納得できないようなものだったんだ。ミスがあった。ボールを2度落とした。タックルを外されたシーンもあった。そういう精度の低さはもちろんだけれど、本当に納得できないのは、そういうことではないんだ。
ウォーミングアップの時から、どこか身体が重かった。タッチフットをしていても、上手くボールに絡んでいけなかった。そういう自分自身で分かり切っていたことに対して、自らの意志で修正していけなかった。これが最大の問題だ。
ミスはきっと、起こるべくして起こったんだ。

チームのことに話を戻すと、タマリバにとっては収穫の多いゲームだった。これまでの練習の成果に自信を持つことが出来た。幾つかのプレーは、このレベルの相手であればはっきりと通用することを示すことが出来た。3ヶ月前の雪辱を果たして、ようやくタマリバはひとつ上のレベルに向かえることになった。
でも、目標はここではないね。
ここまで来るのに3ヶ月かかった。目指す選手権までは、あと2ヶ月です。


そして日曜、みぞれ混じりの悪天候の中、Bチームと法政大学のゲームがあった。
結果はというと、残念ながら5-63での敗戦。前半は随所にしぶといディフェンスが見られて、スコアも拮抗していたけれど、後半に入ると一気に離されてしまった。

試合終了後に、このゲームのキャプテンを務めた先輩がメンバーに言った。
「プレー責任を持たなければいけない」って。
おれはこの試合に出場していないけれど、この先輩の言葉を忘れません。普段の練習から責任感溢れるプレーを続けている人ゆえの言葉だった。

学生の頃、コーチの水上さんにも何度となく言われた。
スキルもフィジカルの強さも勿論大切なのだけれど、それだけじゃない。
グラウンドに立つ以上、決して忘れてはいけない「前提」は、いつだって同じだ。
そのことを、改めて自分の意識の奥底に刻み込んで、今日は寝ることにします。

Sunday, November 27, 2005

最終電車

昨日のことだけれど、ちょっと嬉しくなることがあった。

ふだんはそれほど遅くない時間に会社を出ているのだけれど、昨日はどうしても処理すべき仕事を溜め込んでいて、深夜まで会社を離れることが出来なかった。24時を廻ったあたりで業務を終えて、急いで最寄駅に向かう。そして、そこから最終電車を乗り継いで家へと帰ったのだけれど、途中で3回ほど乗り換えをしなければならないんだ。最終電車で帰ることなど滅多にないので、乗り継ぎの仕方や時間を何度も確認したのだけれど、3回の乗り換えの中の1つ、北千住駅での乗り換えの時間が、実際には2分しかないことが分かったんだ。上野から常磐線快速の松戸行き最終電車に乗って、北千住で降りるのが1時2分。そこから千代田線のホームに向かい、1時4分に北千住発の各駅停車松戸行き最終電車に乗らなければいけない。
絶対に1時4分の電車を逃したくなかったおれは、北千住で常磐線の快速を降りると、千代田線のホームに向かって急いだ。申し訳ないと思いながらも、通路の人混みを掻き分けて、前に少しでもスペースが出来たら走ってね。そして、北千住駅で発車時刻を待っている最終電車に乗り込んだんだ。
でも、電車は発車しない。
電光掲示板の時間は1時5分になっているのに、発車しようとしないんだ。
その時に、ホームから駅員さんのナレーションが聞こえてくる。
「常磐線からの乗り換えが終わり次第発車いたしますので、今暫くお待ちください」って。

最終電車に乗り過ごすことのないように、駅員が気を利かせてくれていたんだ。もう次の電車がない「最終電車」だからこそ、1時4分発という決められたダイヤに則って運行するのではなくて、幅を持たせたルールの運用をしてくれた。東京での生活も今年で9年目になるけれど、時刻表通りに運行しない電車に出会ったのは初めてのことだった。

急いで乗り込もうとした乗客の目の前で扉が閉まっても、絶対に扉を開けないのが東京の電車だと思っていた。可能な限りダイヤに忠実な運行をすることが最大にして唯一の価値であるような雰囲気があり、不可避な要因が働かない限り、発車時刻を意図的に遅らせるような対応が出来る組織だとは思っていなかった。

ダイヤ通りに運行する方が楽だ。
ルールという後ろ盾に従うことは、日本的な文脈の中ではローリスクな選択だという発想は未だ根強く残っていて、特に鉄道会社のような組織は、その最たる例だと思っていた。

だからこそ、意外だった。そして、ちょっと嬉しかった。

Friday, November 25, 2005

希少性の原則

今読んでいる本の中で、興味深いエピソードが紹介されていた。
著者の村上龍さんが何度かヨーロッパに出向いた際に、エールフランスのファーストクラスとビジネスクラスが、いつも満席だったという。JALやANAが満席だったことはなく、特にファーストは空席ばかりだったにも関わらず、エールフランスが常に満席だったのは、喫煙コーナーがあるからではないか、という話だった。

龍さんは、こう続ける。
長距離の国際線における全席禁煙の流れは自然なもので、基本的に正しい対応だろう。そうした状況下においてJALやANAは、アメリカンスタンダードこそが世界標準であるという考え方のもと、全席禁煙という方向性に歩調を合わせた。しかしながら、欧米の大多数の航空会社が選択しなかった「喫煙コーナー」を作ることで、エールフランスは乗客率を伸ばした。そこには「希少性」という経済学の基本的な要因が働いている。JALやANAは、アメリカンスタンダードに無批判に準拠することで、経営上の戦術的選択肢を盲目的に1つ失い、また市場における「希少性」を喪失した。

このエピソードが紹介されている龍さんのエッセイ集『アウェーで戦うために』が出版されたのは2000年12月であり、現在の状況はおそらく違うだろう。海外経験のほとんどないおれは、恥ずかしながら航空会社の現在をよく知らないけれど、日々刻々と変化する市場環境の中で、航空会社各社は、他社との差別化戦略を積極的に展開しているはずだ。現代の情報化社会において、5年という歳月は長い。

ただ、このエピソードが示唆するものは変わらない。
希少性の原則、ってやつだ。

例えばIT業界では、まさに希少性で勝負する独立系のベンダーが乱立している。ニッチな分野に特化して、お客様に最適なソリューションを提供する比較的小規模の企業が、IT業界全体の成長を支えている。
IT業界は、業界全体でみれば年間数%程度のプラス成長を続けているが、実は大手と呼ばれるベンダーは軒並みマイナス成長で、シェア・ロスの状況が続いている。理由は明確で、様々なお客様のニーズに対して、大手ベンダーが最適なソリューションを提供できなかった、ということに尽きると思う。
バブル崩壊後の厳しい経済環境において、多くの企業では経費削減が最大の経営課題だった。その為の施策として、企業は投資の抑制を図ったのだが、ITに関して言えば、企業として必要なITの機能要件を絞り込み、投資の対象範囲を限定することで、IT投資を必要最小限に抑えようという流れが鮮明になった。
機能要件が限定されれば、その分野に特化したソリューションを持ったベンダーは有利だ。総合力では勝負できないけれど、お客様の個別のニーズにきめ細かく対応することで、最適解を提供できるベンダーが、確実にニッチなエリアを拾っていった。大手ベンダーはあらゆる分野の製品ラインアップを揃えることで、あるいは他社とのパートナーシップを強化することで、「何でも出来ます」という路線を選択した。でも、お客様の痒いところに手は届かなかった。ニッチに対する細やかな対応力では、独立系ベンダーの方が遥かに上手だった、ということだと思う。
IT業界におけるこうした流れは、希少性を持つものが存在価値を、あるいは存在する場所を見出していく、ということのひとつの例になるかもしれない。

そして、長々と書いてしまったけれど、おれにとってのポイントはこの先にある。
それは、自分自身が、一個人としての希少性を獲得できるか、ということ。
例えばグラウンドの中に、あるいは営業の現場の中に、更にはこのブログの中に。
そして、それらすべてを包括する「日々」の中に、おれの「希少性」ってやつを織り込んでいけるかどうか。龍さんのエッセイを読んで、そんなことを漠然と考えています。

Tuesday, November 22, 2005

「最悪」じゃなくて

11月3日に行われた秩父宮での東日本トップクラブリーグ決勝以来となるゲーム。
タマリバ vs 関東学院大C @釜利谷G(12:00K.O.)

相手は2.5本目くらいのメンバーだと事前に聞いていたのだけれど、おそらくは3本目だと思う。それでも、リーグ戦の優勝争いが佳境を迎えるこの時期に、3本目とはいえゲームを組んでもらえたのは大きい。大学の強豪校とゲームを組めるチャンスも決して多くはないので、その意味でも貴重なゲームだったと思う。

結果はというと、39-12での勝利。
ゲーム全般でみれば、特に危なげなく勝利できたと思う。
ただ、出来が良かった訳じゃない。特にこのゲームでは、残念ながら、個人としてのパフォーマンスが問題だった。

最近いつも同じことを繰り返している気がする。練習でも試合でも、自分の課題として浮き彫りになるのはいつも同じだ。パスを正確に放れない。ラインディフェンスが上手く出来ない。タックルの瞬間に一歩踏み込むことが出来ない。そういう諸々のことが、悔しいけれど改善されていない。今回のゲームでは、特にディフェンスについて、その事実を改めて突きつけられることになった。

いつも同じだ。
例えば普段の練習後。練習を終えて、帰りの電車の中でいつも反省する。
「今日の練習の出来は最悪だった」って。
最近では、自分が納得出来るだけのパフォーマンスを発揮して練習を終えることが、一度だってなかったような気さえする。
でも、今回のゲームを終えて、はっきりと分かった。
今までの出来が最悪だった訳ではなくて、最初からその程度の実力なんだ。
悔しいけれど、それが現実。
「最悪」という言葉には、自分の能力は本当はもっと高いけれど、たまたまそれを出せなかっただけだ、といったニュアンスがある。でも、それはきっと違う。一度きりの練習、一度きりのゲームの中で、パフォーマンスをきちんと発揮できないことこそが、自分の今の限界なのだと思う。

正直言って、状況は厳しい。
2月の選手権までに残された時間は決して多くはない。今のレベルのままでその日を迎えたならば、きっとチームはおれを信頼しないと思う。チームの求めているレベルに対して、はっきりと達していないからね。

上手くなりたい。もともとタマリバに入ることを決めた最大の理由は、上手くなる為のラグビーを出来るチームだと思ったからだ。チームのメンバーに信頼されるように、そして日本選手権の舞台に立って、自分のベスト・パフォーマンスを発揮できるように、その瞬間の為に、もっと上手くなりたい。

Tuesday, November 15, 2005

こぼれ落ちるもの

随分久しぶりに田口ランディさんのブログに目を通した。
「不眠に悩むコヨーテ」
http://bluecoyote.exblog.jp/

ランディさんは以前、「田口ランディのアメーバ的日常」というブログを連載していたのだけれど、ある時突然に、1ヶ月近くの休載に入った。その後、8月の下旬に再開されたのが、この「不眠に悩むコヨーテ」というブログなのだけれど、実は再開された直後から、おれはランディさんのブログにそれほど目を通さなくなってしまった。

「アメーバ的日常」は、幾多の読むに堪えないブログが増殖している中で、個人的に最も好きなブログのひとつだった。ランディさんの剥き出しの思考の跡が垣間見えて、非常に刺激的だったし、なにより新鮮だった。彼女が「ブログに書く」ということの価値をはっきりと感じ取れる、そんなブログだった。

「不眠に悩むコヨーテ」が始まった頃、その雰囲気の違いに凄く違和感を感じた。同じ人間の書いたものとは思えないくらいに、そこで語られる言葉そのものが変化しているような気がした。言葉というのは人であり、それはつまり、田口ランディという人のある種の変化なのかなと、直感的におれは思った。
変化という事実に善悪はなく、おれは今でも田口ランディさんに対して、ある種の敬意を抱いている。ただ、「不眠に悩むコヨーテ」で語られた言葉の世界は、少なくともおれにとって、従来とは違うどこか立ち寄りづらい雰囲気を醸し出していた。
目を通す回数が減っていったのは、その感触を拭い去れなかったからだと思う。

それから約2ヶ月。
久しぶりに目を通してみると、「不眠に悩むコヨーテ」が始まった頃ほどには違和感を感じなくなっていた。言葉の選択や、思考の流れといった点で、「アメーバ的日常」の頃には見られなかったものも少なくないけれど、相変わらず示唆に富んだブログだと思うし、剥き出しに近い状態の思考と感情が入り乱れながら、ひとつの物語へと収斂していく過程が刻まれていて、刺激的なものも多かった。

特に響いたのは、中澤新一さんの「直感を生きる」という言葉。
「全感覚的に、直感的に世界を把握する能力を取り戻せ」という、その発想だった。
http://bluecoyote.exblog.jp/1605866

日常を生きるうえで、ほとんど無自覚に前提としてしまっている西洋的な論理思考の枠組み、あるいは対立的な物事の捉え方というのは、決して自明のものではなくて、むしろ時に生命力を枯らせてしまう、という指摘には唸ってしまった。
その指摘が新しかったからじゃない。
「生命力を枯らす」という言葉に、ランディさんの魂のようなものを感じたからだ。
直感を生きるランディさんの原点が、こんな言葉ひとつにも、顔を覗かせているね。

ちなみに、最近おれは「こぼれ落ちるもの」ということを考えている。
実はちょうど今、ゲーム理論に関する本を読んでいるのだけれど、ゲーム理論というのはひとつの思考モデルだよね。一定の前提と決められたルールのもとで、合理的判断に基づいて行動すると仮定されたプレーヤーが、実際にどのような選択をするのかを導き出す為の「思考の枠組み」と言えばいいかもしれない。

ゲーム理論に限らない。
思考モデルとでも言うべきものは、それこそ至るところに転がっている。本屋に寄って、ビジネス書の棚を眺めれば、物事の考え方や整理の仕方をパターン化して、思考モデルとして提示してくれる書籍が、数え切れないほど並んでいるはずだ。

モデルというのは、つまりは鋳型だ。
有効性に対する判断は様々あるだろうが、モデルが導く結論やアウトプットが完全でないということを批判するのは、そもそも意味がないと思う。クッキーの型をいくつ準備したところで、あらゆる形のクッキーを焼けるわけじゃないのと同じことだ。モデルというのは、最初からそういうものとして考えるべきで、むしろある種のクッキーをきちんと焼けるのならば、そのことの有効性を評価すればよいと思う。

ただ、おれが考えているのは、そこから「こぼれ落ちるもの」なんだ。
モデルを批判的に捉える、というのは、モデルには落とし込めないものの存在に光を当てることなんじゃないか。それが何かということに対して、今のおれは明確な答えを持っていないけれど、例えばそれは、「直感を生きる」という生き方であったり、ランディさんの言う「生命力」であったりするのかもしれないね。

Saturday, November 12, 2005

神様について

心に響いたマハトマ・ガンディーの言葉。

我々が今日のことに気をつかえば、明日のことは神が気をつかってくれる。


今日を一生懸命に過ごして、明日を神様に委ねる。でも、夜が明けて朝が訪れた時、明日だったはずの瞬間は、もう「今日」になっているんだ。だから、明日に気をつかってくれる神様には、本当は最後まで出会えないのかもしれない。

神様が生きているのは、届くことのない時間。
結局のところ、明日は生きられない。生きているのは、いつだって今日だ。
だから本当は、自分が存在できる唯一の瞬間である「今日」に対して、自分自身が気を遣い続けるしかないのだと思うし、それしか出来ることはないのだとも思う。

そしておれは、神様のそういうところが結構好きだったりします。

Monday, November 07, 2005

伸びしろ

書くのが遅くなってしまったけれど、11月3日(木)に秩父宮ラグビー場で行われた東日本トップクラブリーグの決勝戦、29-10でなんとかものにすることができた。北海道バーバリアンズとの試合はいつも苦しい展開ばかりで、今回のゲームも決して上手く進められた訳ではないけれど、とにかく勝利できたことに、まずはほっとしている。
当日は、何人かの友達や先輩が、試合を観に来てくれた。
試合後にメールや電話をくれた友達もいた。
ありがとうございます。
次は1月の全国クラブ選手権。必ず優勝して、日本選手権の切符を掴みます。

さて、試合終了から2日経った昨日、改めて試合のビデオを観ることになった。
結論から言うと、内容はあまりにもひどかったね。
自分自身のプレーも、相変わらず良くなかったけれど、チーム全体としてのプレーの質があまりに低かった。ミスを連発して、自分たちで状況を苦しくしていく。相手FWの中心メンバーである3人の外国人選手に何度も同じようにボールを奪われ、連続攻撃が出来ない。ルーズボールに対するセービングが出来ない。準備していた戦略が想定通りにいかない状況が明らかなのに、ゲーム中に修正していくことが出来ない。
これじゃ、勝てないよね。
目標としている日本選手権では、絶対に勝てない。

練習するしかない。
自分自身、課題が噴出している。チームがおれに求めている仕事は明確なので、それを確実に出来るようにプレーの精度を高めていくしかない。現状のレベルのままだったら、きっとチームはおれを信頼しないだろうと思う。
ラグビーというのは、そういうスポーツだからね。

まだまだ、伸びしろはたくさんあるはずなんだ。

Thursday, November 03, 2005

無題

スパイクだけは磨いておこうと思っています。
寝るのがちょっとだけ遅くなってしまうけれど。

Monday, October 31, 2005

秩父宮に向けて

いよいよ秩父宮でのゲームが迫ってきた。
11月3日(木) 東日本トップクラブリーグ決勝
タマリバ vs 北海道バーバリアンズ 12:00K.O. @秩父宮ラグビー場

大学を卒業して以来となる秩父宮のグラウンド。
まずはここまで辿り着いた。
ここが目標ではないけれど、でも、素直にすごく嬉しい。嬉しくてたまらない。

タマリバでプレーすることを決断した時の気持ちは、今も変わらない。
もっと上手くなりたかった。
真剣勝負が出来る場所で、本当の意味でラグビーをエンジョイしたかった。
トップリーグでのプレーは残念ながら叶わなかったけれど、自分が今置かれた環境の中で、クラブラグビーという新たな場所で、やつらに負けないくらい真剣に、正直に、最大限の熱意を持って、本気でラグビーをしたかった。

6月に初めて参加したタマリバの練習は、今も忘れない。
1時間もタッチフットして、10分真剣勝負のミニゲームを3本やって、その頃のなまった身体には心底きつかったけれど、最高におもしろかった。
あの時の感じが、タマリバでのおれの原点です。


そういうことのすべてを忘れずに、11月3日のゲームに臨みたいと思ってます。

Wednesday, October 26, 2005

異なるプロトコル

生まれて初めて、タップダンスをライブで見た。
"TAP ME CRAZY"、演じたのは同じ年齢のタップダンサー、熊谷和徳だ。

タップのことは、ほとんど何も知らない。
彼がタップの世界でどう評価されているのか、どういう方向性を目指しているのか、その背景に何があるのか、そういった諸々のことを、おれは本当に何も知らなかった。

観に行こうと言ったのは、パートナーだ。
タップダンスに限らず、今まで触れたことのないエリアを覗いてみたい、という気持ちは最近殊に強いのだけれど、タップダンスの公演に足を向けることになるとは、自分でも思っていなかった。正直なところを言うと、7月の中頃に彼のタップを初めて観に行って、感動のあまり涙したという彼女の薦めに乗っかってみた、というのが本当のところだ。ただ、しばらく前にSTOMPの公演を観ていたこともあって、おそらく彼らと近いエリアで異なる方向性を持ったパフォーマーであるような気がして、日を追うごとに興味が湧き上がってきていたことは事実だ。

公演の会場となったのは、渋谷のパルコ劇場。名前は忘れてしまったけれど、熊谷和徳が尊敬してやまないタップダンサーが、日本で唯一公演を行った舞台だそうだ。500席近い席数があるのだけれど、パートナーが先行予約でチケットを押さえてくれたこともあって、前から2列目という抜群のポジションだった。

2時間近い公演は、まずはDJとキーボードによる音楽で始まる。
コーネリアスを思い出すようなリズムとメロディの重なりが、開演を演出する。
すると突然に、観客席後方の通路に、熊谷和徳が姿を見せる。
そして、スポットライトに照らされた彼が、階段の途上に敷かれたボードの上で、音楽に合わせて最初のステップを始めた瞬間に、この公演は本当の意味で幕を開ける。

今回の公演では、コラボレーションがひとつのテーマになっていた。
オープニングの流れのままに、最初はDJ・キーボードの奏でる音楽とのコラボレーション・タップのセッションが2つほど続く。2つは異なるトーンの曲調で構成されていて、合わせて照明も赤から青へと切り替わっていく。そうした全てを感じ取って、それに共鳴するように、彼は両足を板に打ちつける音だけで、全体とコラボレートしていく。
そして次は、彼の仲間のダンサー4人が登場して、5人でのチーム・ダンス。それが終わると、今度はスティーブというパーカッショニストとの即興でのコラボレーションだ。
ドラム缶を叩くリズムに乗って、即興で繰り広げられる熊谷和徳のタップ。後で「何も決めていなかった」と本人が言っていた通り、随所に即興ゆえの面白さが織り込まれながら、非常に見応えのあるセッションが繰り広げられる。彼のタップもさることながら、助っ人のスティーブも、きっとかなりのパフォーマーなのだと思う。

その後、中段ほどで一度メンバー紹介があって、更にステージは続いていく。
地球の誕生した瞬間を想起させるような曲調と青白い光の中で、ボードの上に砂を撒いて演じられたソロ・セッションや、タップシューズを脱いで、素足が板と擦れ合う音を聴かせるセッションもあり、タップの様々な可能性に挑んでいくようなパフォーマンスが展開される。ちょっとしたトークの後、最後に改めてメンバーの紹介があって、それぞれが個人としてのパフォーマンスを披露していく。DJやキーボードだけでなく、仲間のタップダンサー達も一斉に壇上に上がると、全員がリズムを重ねてボルテージを高めていって、遂にエンディングとなるんだ。観客が総立ちとなる中、アンコールも2度ほどあって、全体としては非常に見応えもあり、内容の濃いステージだった。


この公演の感想を書くのは難しい。
というのは、自分の中で2つの感情が入り混じっていたからだ。

まず、なによりも最初に、彼のタップは素晴らしいと思った。
もちろん、生まれて初めてタップを観たおれには、タップを評価する基準もなければ資格もない。それ以前に、そもそもタップを偉そうに論じるつもりなど全くない。
おれが最高に良いと思ったのは、その表情なんだ。
彼は時折、まるで抜け殻になったかのような表情になる。正確に言うと、身体から自我が離脱していって、なにか別のものが降り憑いたような表情、といった感じだ。踊っているというよりも、彼我の世界から降りてきた何かが彼を躍らせているような、あるいは彼の身体を借りて踊っているような、そんな雰囲気を醸し出している。
それは表情のせいだけではないかもしれないし、おれが勝手にそう感じただけのことかもしれない。それでもやはり、彼の持つ雰囲気は特別だったと思う。申し訳ないけれど、少なくとも彼の仲間のダンサーには、1人として同じ雰囲気を持っている人間はいなかった。「タップダンス」というのがひとつのコラボレーション、コミュニケーションの方法だとするならば、彼は他の人間とは違うレベルでコミュニケーションをしていたような気がする。コミュニケーションのプロトコルがそもそも違う、という感じだ。

その一方で、公演が終わった後、おれにはもうひとつ別の感想があったんだ。
「もっと突き抜けてほしかったな」って。

オープニングの2つのセッションでは、DJとキーボードをバックに、ソロのタップダンスが展開された。その時の音楽はあくまで触媒のようなもので、コラボレーションでありながら、基本的には彼の「個」としてのタップが観る側に突きつけられていた。取り憑かれたようなタップは洗練された迫力があり、違うプロトコルの世界へと突き進んでいって、そのまま戻って来られなくなってしまいそうな、そんな魅力があった。
というよりも、初めてタップを目にしたおれにとっては、そのことこそが最大の魅力だったんだ。誰も理解しなかったとしても、自分が求めるレベルのプロトコルを貫き通してしまうような、そんな突き抜ける感じがね。

でも、次の瞬間、彼の仲間のダンサー4人が登場してチーム・ダンスとなった時に、彼はふっとその雰囲気を変えたように感じたんだ。少なくともおれは、直感的にそう思った。誤解を恐れずに言えば、きっと彼は、レベルをひとつ下げたんだ。それはダンスのレベルではなくて、コミュニケーションのレベルだけれど。

そのことが、本当はすごく残念だった。
彼には、もしかしたら彼しか理解することのないプロトコルの世界を突っ走ってもらいたかった。コラボレーションを否定するつもりは全然ないけれど、コラボレートする為に、ひとつ階段を降りて来る必要は、少なくとも熊谷和徳という人間にはないような気がしたんだ。セッションの全てがそうだったとは思わないけれど、突き抜けてしまいそうな雰囲気を強烈に醸し出している人だったからこそ、余計にその思いは強かった。
ただ、アーティストと呼ばれるような人に対して、そういう思いを抱いたこと自体が、ほぼ初めてに近いことだったので、そのことに自分で驚いたのと同時に、熊谷和徳という人の魅力をひしひしと感じることになったけれど。


いずれにしても、考えさせられる公演だったね。
そして単純に、良い公演だった。

Monday, October 24, 2005

デジタル・カウンターとイメージ

原美術館という美術館が品川にある。
現代美術の作品を中心に収蔵している、小さくてお洒落な美術館だ。
http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html

練習が夕方からだったこともあって、お昼過ぎに初めて訪れてみた。
御殿山を越えた先の、閑静な住宅街の片隅にひっそりと佇んでいる、白塗りの建築。

敷地内に一歩足を踏み入れると、そこには小さな前庭があって、幾つかの彫刻作品が展示されている。彫刻は凛として屹立して、存在感のあるものが多かったけれど、特に多田美波さんの「明暗 No.2」という作品には、どこか空間をカッターナイフで切り取ったような、ある種の透明感のようなものがあった。
この前庭だけでも、一見の価値はあるのではないかと思う。

そして館内へと進んでいくのだけれど、原美術館は展示の仕方も特徴的だ。
以前は邸宅だったものを改築して美術館として利用しているそうで、幾つかの小部屋がギャラリーとなって、そのまま作品の展示に利用されている。それ以外にも、階段の壁面やトイレ、中庭といったあらゆるところが作品の展示される舞台になっている。幾つかの部屋は、部屋自体がひとつの作品空間となっていたりもする。
非常に個性的でアットホームな、良い美術館だと思う。

ちょうど今は、やなぎみわさんの「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」展が催されていて、常設展示の作品以外は、基本的にやなぎさんの作品世界で構成されていた。寓話をモチーフにしたモノクロの写真が中心なのだけれど、正直に言うと、やなぎみわさんの一連の作品に、おれはすっと入っていくことが出来なかったし、どこか不気味な作品に戸惑う部分もあった。ただ、見ていて「悪い」感じはそれほどしなかったね。今のおれにはあまりマッチしなかった、というだけのことかもしれない。その辺りは、正直に言ってよく分からない。

でも、それはそれでいい。
原美術館を訪れたのには、もうひとつ理由があったんだ。
それは、宮島達男さんによる「時の連鎖」というタイトルのインスタレーション。
宮島達男さんの作品を、もう一度見たかった。

宮島達男さんの作品を初めて目にしたのは昨年の暮れ。
東京都現代美術館に展示された"Keep Chang, Connect with Everything, Continue Forever"という作品だった。発光ダイオードのデジタル・カウンターを幾つも連続させて形成された正方形の作品なのだけれど、すごく印象的なものだった。正方形を構成する個々のカウンターは、それぞれが他とは異なるペースで数字を変化させていき、カウンターの最大値を迎えると、一瞬の暗闇の後、また1へと還っていく。果てしなく続くデジタルの点滅が強烈なイメージを残す、とても美しい作品だった。

その宮島達男さんの作品が、原美術館にもある。
同じくデジタル・カウンターによるインスタレーション、「時の連鎖(Time Link)」だ。
半螺旋状の真っ暗な部屋の左右の壁面に、発光ダイオードのデジタル・カウンターを連ねて、2本のラインが引かれる。右側の壁面には、肩口辺りの高さに伸びた赤のライン。左側の壁面には、赤のラインよりも低い位置、ちょうど膝の辺りの高さに伸びた緑のライン。2本のラインを作り出すのは、99までの数字を数え続けるデジタル・カウンター。鎖のように繋がれた幾つものカウンターが綺麗な2本の線となって、左カーブの弧を描いていく。

掛け値なしに素晴らしかった。
おれは心を動かされたものに対して、いつも過剰に称賛するきらいがあるけれど、この作品は異論を差し挟む余地なく、本当に素晴らしかった。
ずっと気になっていた宮島達男というアーティストのことが、改めて好きになった。
もしも宮島達男さんを知らないのならば、ただこの作品の為だけに、いちど原美術館を訪れてみてほしい。ほんの数秒で通り過ぎてしまう小さな空間だけれど、きっと心のどこかに強烈な何かを喚起させるはずだ。

その後、家に戻って考えたんだ。
「時の連鎖」という作品に内在する、見る人間の心を動かす「なにか」について。
その時、パートナーがおもしろいことを言ったんだ。
ラインを作っているデジタル・カウンターのひとつひとつが「細胞」のようだ、って。
その言葉を聞いた瞬間に、おれの中ですべてが繋がったような気がした。もちろんそれは、おれの感じ方、おれの解釈に過ぎず、正しいのかどうかも分からない。更に言えば、そもそも正しい解釈のようなものが成立するのかどうかさえも、おれにはよく分からない。でも、おれにとっての「時の連鎖」は、細胞というキーワードで、まるでパズルのピースがかちっとはまるみたいに、ひとつの明確なイメージになった。

1として生まれ、99として朽ちるまで、刻々と生命の一部としての活動を続ける細胞。
それが連鎖して、1本のラインとなってイメージされる、個体としての1人の人間。
でも同時に、個体としての人間そのものが、世界全体の中ではデジタル・カウンターのひとつであるという逆転。その時、ラインが示唆するのは、個としての人間ではなく、多くの人間が集まって創られる「世界」。

伝わるかどうか分からないけれど、そんなイメージが、「細胞」という言葉をひとつのキーとして、自分の中で構成されていったんだ。それはおれにとって初めての体験で、自分でもちょっと驚いてしまうのと同時に、やっぱり嬉しかった。

宮島達男さんの他の作品も、これから少しずつ見に行ければと思っています。

Tatsuo Miyajima.com
http://www.tatsuomiyajima.com/jp/index.html

Sunday, October 23, 2005

ミスをしたら勝てない

久しぶりの更新。
ずっと忙しくて書く時間がなかったけれど、ようやく一息つけるようになった。

9月25日の北海道バーバリアンズ戦以来、1ヶ月振りのゲーム。
タマリバ vs 横河電機B @横河電機G
11月3日に控える東日本トップクラブリーグ決勝の前に組まれた唯一のゲーム。
意図していた目的は2つだけだ。ひとつは、決勝に向けてチームの完成度を高めること。もうひとつは、日本選手権を想定して、様々なプレーの可能性を試してみること。
それはきっと、メンバーの誰もが分かっていたことだと思う。

でも、残念ながら意図したようにゲームは進まなかった。現時点でのチームの脆さが浮き彫りになった、という意味では良かったのかもしれないけれど。

とにかくミスが多かった。前半だけで何度ボールを落としただろう。決して強くない相手に対して、終始攻め続けながら、トライに結びつかない。トライの芽をことごとく摘んでいたのは、相手のDFではなくて、すべて自分たちのミスだった。

はっきり言って、致命的だ。
タマリバが目指すレベルのチームが、例えばワセダAが相手だったならば、これだけのミスが起きた瞬間にもうゲームセットだ。絶対に勝てない。
確かに、チームとして新しい試みも幾つかあった。平日にメンバー全員が揃って練習できない状況では、ゲーム直前に基本的な動を擦り合わせていくしかなかった。準備不足は多分にあったと思う。
でも、今日のゲームでのミスは、総じてそういうこととは別の問題に起因していた。
チームの準備不足というより、ゲームに向かう個々人の準備不足。
それがどれほど致命的なことか、ということを肌で味わったことが、おそらく今日の唯一の収穫だと思う。
もちろん、おれ自身もそうだけれど。


社会人での3年間の経験を通じて、おれはラグビーの見方を大きく変えていった。
ヘッドコーチだった大西さんの影響は、いろいろな意味で非常に大きかったと思う。大西さんのラグビーに対する考え方や志向性を好まない人も少なからず存在するけれど、基本的におれは、大西さんの言葉を自分なりに受け入れ、理解しようと努め、解釈し、再構成しようと心掛けていた。大西さんは、好むと好まないとに関わらず、誰もが認める実績と経験を持ち併せていて、そのラグビーに対する姿勢には全く揺るぎのない人だった。だから、言葉には力があった。疑問を抱くこともあったけれど、本質を射抜く鋭さに息を飲んだことも少なくない。
大西さんを妄信していたつもりはないんだ。きっと大西さんの言葉に対する響き方は、人それぞれだと思う。おれにはおれのラグビー観がある。東大という特殊なチームで育てられ、他の人とは違う経験をしてきている。だから、いつもおれは、おれ自身の言葉で大西さんを再構成しようとしていたんだ。結果的に言うと、それはすごく知的刺激を要する作業で、おれ自身の為にとても良かったと思っているけれど。

そうやって3年間接した大西さんのラグビー観の中で、おれにとって決定的だったものが幾つかあるのだけれど、そのひとつが「ミス」ということなんだ。
大西さんは、いつも言っていた。「ミスをするチームは、絶対に勝てない」って。

単純なハンドリングエラーだけじゃない。判断のミス。準備のミス。コミュニケーションのミス。そうしたすべての「ミス」がゲームを決めていく。ミスが生まれるのには、様々な理由があると思う。それは相手のプレッシャーかもしれない。あるいは自身の集中力の欠如かもしれない。そしてその背景には、フィットネスやフィジカルの弱さがあるのかもしれない。練習量かもしれないし、チームとしてイメージが共有されていないことかもしれない。そういう諸々が、結果的にひとつの「ミス」となってゲームの流れを変えていく。それが結局のところ、「実力の差」というものなのだと思う。

ミスをしたら勝てない。
改めて言うことでもないけれど、今日おれが感じたのは、ただそれだけです。

Thursday, October 13, 2005

まちがい

「モダン」じゃなくて「コンテンポラリー」だった。

Sunday, October 09, 2005

トリエンナーレと草間彌生について

2001年に続き、今年が2度目の開催となるモダンアートの祭典に行ってきた。
「横浜トリエンナーレ2005」 アートサーカス-日常からの跳躍-
http://www.yokohama2005.jp/jp/

横浜山下埠頭の3号・4号上屋をメイン会場に、総勢86名のアーティストによる71の作品・プロジェクトが集う。そのほとんどをおれは知らなかったけれど、例えば奈良美智のように、既に世界的に活躍しているアーティストも多数参加しているようだ。

みなとみらい線の終点、元町・中華街駅を降りて、埠頭へと足を進める。
ちょうど同じ日に開催されていた「ワールドフェスタ・ヨコハマ2005」で寄り道をして、トルコの屋台で買ったビーフケバブを食べた後に、すぐ隣のメイン会場に向かう。
受付でチケットを渡して、左手に横浜港を見ながら、メイン会場へと続く道を歩くのだけれど、頭上には紅白のストライプによる三角旗がどこまでも延びていって、トリエンナーレの会場に足を向けることを祝福するように、風に吹かれ、はためいている。
ダニエル・ビュランによるインスタレーション「海辺の16,150の光彩」だ。
見事なまでに美しいこのインスタレーションの下を歩いていくと、期待で気持ちが昂ぶっていく。そして、10分ほど歩いて倉庫に辿り着くと、その先がいよいよメイン会場だ。
3号・4号上屋は、6つのパーティションに分かれていて、それぞれに大小様々なアート作品が展示されている。「倉庫」という空間には確かに特殊な雰囲気があって、例えば屋根の高さや、あるいは打ちっ放しのコンクリート壁といったものが、美術館にはない独特の感覚を醸していく。展示された作品の中には、そうした「空間性」のようなものを巧みに取り込んで、作品自体の価値にしているものも幾つか見られた。

良い試みだと思う。
別にアートを語るつもりはないし、その資格もないけれど、完成度の高い優れた作品や、ちょっと独特な観点から世界を捉えたようなおもしろい作品もあった。

ただ、その数は残念ながら多くはなかったね。
モダンアートと言えないような作品も少なくなかったと思っている。
それはとても単純なことで、わくわくしないんだ。創作の手法はモダンアートかもしれないけれど、そこで表現されているものは決してモダンではなくて、むしろ極めて陳腐だったりもする。あるいは逆に、独特の視点から世界を捉え直そうという意図は伝わるのだけれど、表現としての完成度が低かったりする。
誤解してほしくないけれど、モダンアートは個人的には好きだ。モダンアートという分野そのものがつまらない訳ではないと思うし、どちらかと言えば伝統的・教科書的な絵画よりもずっとおもしろいと思っている。
だから、正直に言うと、ちょっと残念だった。
ダニエル・ビュランのインスタレーションの素晴らしさ故に、尚更そう感じてしまう。

そんな中にあって、図らずも改めて感じたことがある。
草間彌生という人の、凄さ。
会場に展示された71の作品・プロジェクトの中の幾つかには、はっきりと草間彌生の存在を感じた。もう何十年も前に彼女が創り上げたオブセッショナル・アートの世界観そのものを踏襲したような作品が、「現代アートの祭典」を謳う横浜トリエンナーレにおいて展示されているという事実に、ある種の衝撃さえ覚えた。
そして、そのどれと比較しても、草間彌生の作品の方が決定的に新しかった。
会場に彼女の作品が展示されていた訳ではないのに、なぜか存在感があったんだ。それは単純に、おれが草間彌生の作品を好きだからなのかもしれないけれど。

「新しい」ということは、簡単ではないね。

Monday, October 03, 2005

良い短編

久しぶりに小説を読んでいる。
小川洋子さんの『まぶた』という短編集だ。

恥ずかしながら、小川洋子という人のことをつい最近まで知らなかった。1991年に『妊娠カレンダー』という作品で芥川賞を受賞し、最近では『博士の愛した数式』で話題になった女性作家だけれど、1991年当時のおれは、小説というものにまったく興味を持っていなかったからね。今にして思えば、本当に勿体なかったと思うけれど。

短編小説は、長編小説とはまったく違う。
読んでいていつも思うけれど、ふたつはまったく異なる書かれ方をしている、あるいはされるべきだと思う。よい長編を書く作家が、必ずしも良い短編を書くとは限らない。どちらかと言えば、良質の短編を書く作家は決して多くないように感じている。

良い短編は、過不足のない感じがする。書きすぎていないけれど、書くべきことはすべて書いてある。言葉を変えると、一字一句まですべてが、必要なものだけで構成されているような、そんな感じだ。そしてそのことが、短編のエッセンスを際立たせる。丁寧に、繊細に選ばれた言葉のひとつひとつが、作品のキーとなるエッセンスに彩りを与える為に最適な形で配置されている、という感覚が、作品に味わい深さを加えていく。
良い短編というのは、そういうものだよね。


さて、小川洋子さんの短編集『まぶた』。
まだ読み終えていないけれど、結論から言うと、非常に良質の短編集だと思う。この作品に収められた全ての短編は、基本的には喪失の物語で、どの作品をとっても、描写される世界のどこかに「空気すらないような」空白感があるのだけれど、それでいて同時に、ささやかな幸福感もある。そのアンビバレントな感覚の同居が絶妙で、読み終えた瞬間に周りのすべての音がなくなるような、そんな独特の読後感がある。もちろんそれは、「丁寧に、無駄なく選ばれた言葉を、最適な形で構成する」という作業によって、より一層際立っているのだけれど。

久しぶりに、良質の短編を書く作家に出会ったかもしれない。
今さらなにを、という感はあるけれど。

Wednesday, September 28, 2005

空が近くなる

9月23日から26日までの4日間にかけて、パートナーを連れて北海道にいた。
11月3日に秩父宮ラグビー場で行われる東日本クラブトップリーグ決勝。個人的にも、実に4年振りとなる秩父宮への切符を賭けたゲームが、札幌の月寒ラグビー場で組まれていたんだ。相手は、昨年度3位の北海道バーバリアンズ。春の八幡平遠征に次いで、今回が2度目の遠征となったのだけれど、まさか公式戦が北海道で開催されることになるとは、タマリバに加入する時には思ってもいなかった。でも、26日は休暇を取って4連休にした上で、パートナーを連れた3泊4日のツアーを組むことが出来たので、結果的にはとても良い機会になった。


9月25日(日) vs北海道バーバリアンズ(12:00 K.O.@月寒ラグビー場)

結果はというと、34-21の辛勝。際どいゲームだった。
10-18とリードされた状態で前半を折り返したことからも分かる通り、思うように自分達のラグビーが出来なかった。北海道バーバリアンズのメンバーには、4人の外国人選手が名を連ねていたのだけれど、密集での彼らの執拗なプレーシャーによって、特に前半の40分は、完全にペースを狂わされてしまった。後半に入ると運動量とプレーの精度で相手を上回ってきて、流れを手繰り寄せることが出来たけれど、全体的には反省材料の多いゲームだったね。
ただ、個人的な出来は、それほど悪くなかったかもしれない。なにより、春からずっとチームの課題として取り組んでいる「ダブルタックル」の意識を、ゲームの中である程度プレーに落とし込むことが出来たような気がする。昨年までの社会人ラグビーでは、基本中の基本にあたるプレーだと思うけれど、それを組織防御として体系化することは、チームとしてきちんと練習に取り組まないと、非常に難しいからね。

まあとにかく、勝ってよかった。次は11月3日、4年振りの秩父宮ラグビー場だね。


さて、ここから話は別の話題へと移っていく。
試合翌日の26日、パートナーを連れて、ずっと行きたかった場所を訪れたんだ。
昨日も少しだけ書いたけれど、彫刻家イサム・ノグチによる構想・設計のもと、20年近い歳月を経て、2005年7月1日にようやくオープンした、札幌のモエレ沼公園。
"http://www.sapporo-park.or.jp/moere/"

イサム・ノグチの彫刻が、おれは好きだ。
決して多くの作品を知っている訳ではないけれど、彼の彫刻は、どの作品もスマートで、丁寧で、きりっとしている。どの作品も、どこか優しい感じがする。そしてどの作品も、掛け値なしに美しいものばかりだ。
モエレ沼公園は、そのイサム・ノグチによって設計された「彫刻」としての公園。
ありきたりの表現だけれど、公園にして「彫刻」なんだ。

素晴らしかった。
189haという広大な敷地のすべてが綿密にデザインされ、最も美しい組み合わせで配置されているような、そんな公園だった。イサム・ノグチという彫刻家のことが、また改めて好きになった。
広大な公園を彩る様々なオブジェや施設、小高い丘やカラマツの林。
それらは、それ自身が既に彫刻的な美しさを持ち併せながら、それらが全体として織り成す遠景が公園全体をひとつの作品へと昇華していくように、絶妙な構成で公園に組み込まれていた。

広大な公園のなかをゆっくり歩く。そこにはどこか、角度を変えながら、様々な方向から彫刻を眺めるような、そんな感じさえする。見る方向によって彫刻の味わいが異なるように、そして、素晴らしい彫刻はどの方向から見ても素晴らしいのと同じように、モエレ沼公園は、自分の立つ場所を変えれば別の趣きがあり、そしてどの方向から眺めても、その遠景は息を飲むほど綺麗だ。

そして、もっと単純な素晴らしさもある。
例えば、芝生の緑の美しさ。そこにある空気の透明感。広さ、そして楽しさ。
それは必ずしもモエレ沼公園に限ったことではなく、北海道という土地の性格もあるかもしれないけれど、そうした土地柄が最大限に生かされたデザインになっている、ということは言えるかもしれない。それにしても、こうしたプリミティブな美しさというのは、ちょっと東京では成立し得ないものだと思う。

イサム・ノグチの設計図にはきっと、そこに生きる人間の姿もあったんだね。
モエレ沼公園は、そんなことを思わせるような魅力でいっぱいだった。


「モエレ山」と呼ばれる標高62mの山が公園内にあるのだけれど、このモエレ山を登っていって、中腹辺りに差し掛かった時に、前を歩いていたおっさんが言ったんだ。
「空が近くなってきた」

なぜだか嬉しくなったよ。
その感覚こそが、きっとこの公園の命とも言えるものなんだ。

Moerenuma Park

書きたいことがたくさんあるけれど、ちょっと時間がなくて。
イサム・ノグチによって設計された札幌のモエレ沼公園で撮った写真を載せてみます。本当は先に言葉にしたかったけれど。

右側にあるlinksの "23 -Fukatsu's Photos-" からね。

Monday, September 19, 2005

ふりだし

ラグビー漬けの3連休。
最高のチャンスだったのだけれど、3日間の出来は全然だったね。

17日(土) 練習試合 vs 早稲田大C @早大上井草G

結果から言うと、24-31での敗戦。タマリバは春シーズンにも同じ相手に12-14で敗れていて、今回のゲームには雪辱を期して臨んだのだけれど、勝利には至らなかった。タマリバは日本選手権で早稲田Aと戦い、勝利することを目標に練習をしているけれど、残念ながら現時点では、目標とするレベルには全然至っていない、という事実を突きつけられるゲームになってしまった。
「タマリバ」というチームの問題だけじゃない。おれ自身が、全然足りていなかった。ATTもDEFも、プレーの精度も判断力も、全然足りてないね。確かに、Cとはいえ相手は決して弱くなかったし、むしろ細かい部分まで徹底的に鍛え上げられた非常に良いチームだったけれど、やっぱり学生のCチームに負けちゃ駄目だね。
ただ、タマリバにとっては本当に収穫の多いゲームになった。現時点でのチームとしての課題が、明確に浮き彫りになったからね。特にディフェンスでは、改めてその難しさを実感した。早稲田のようにスピードと展開力のあるチームとのゲームはなかなか経験できないので、この経験を確実にチームの糧にしたい。
そしておれは、それと同時にとにかく「個人」だ。個人のスキル・能力を高めていかなければ、他の14人に迷惑をかけてしまう。自分の責任をきちんと果たす為に、練習から考え直していかないと駄目だね。チームがおれに要求している仕事は、とても単純なこと。確実なディフェンスと、ペネトレート。たった2つなんだ。その2つを確実に、高い精度で、どのような状況下でも出来るように、とにかく練習するしかない。
いつも同じ結論になってしまうけれど。


18日(日) 練習 @学習院大G (17:30-20:30)
19日(月) 練習 @立教大G (10:30-13:00)

2日間とも、早稲田Cとのゲームで浮き彫りになった反省点を意識したメニュー。
ディフェンスにおける原則の確認と、ダブルタックルの徹底。
意識を持つだけで、はっきりと動き方が変わっていって、得るものも多く、なによりやっていて楽しい練習になった。練習を取り纏めて、ポイントを指摘してくれたのはLOの桑江なのだけれど、彼は「眼」がすごく良いね。一連のプレーを眺めながら、その中で意図とずれた動きが起こった時に、それを察知して、どこに「ずれ」があったのかを見極める能力が非常に高くて、正直驚いてしまった。もちろん、単純に「眼」が良いだけではなくて、その背景には「ラグビーの原則に対する高い理解力」というベースがあるのだけれど、そういう選手の言葉は、聞いていてすごく面白いね。
また色んなことを教えてもらって、吸収していこう。

ちなみに19日は立教大との合同練習で、15分×2のADをしたのだけれど、個人的には最悪の出来だった。目も当てられないくらいだった。ミスの連続。何度こうしてふりだしに戻っているだろう。ハンドリングが悪いのは最初から分かっているのだから、集中力が途切れたり欠けてしまったら、ミスするのは当たり前だよね。


次の週末は、いよいよ北海道遠征。
東日本クラブ選手権決勝への切符を賭けて、北海道バーバリアンズとのゲームだ。
帯広にいる大学の後輩も観に来てくれるので、締まったプレーをしたいです。

Friday, September 16, 2005

発想の順序

かけっこをするな、と言われるのはいやだ。

先の衆議院総選挙が自民党の大勝に終わって、巷には本当にいろいろな考えや主張が渦巻いている。選挙の総括や、今後の日本の行方についても、様々な立場からの見解が各種メディアを賑わせている。とても興味深く、国民の関心の高い選挙だったので、その結末に誰もが思うところあるような、そんな感じがするね。

そうした中で民主党では、岡田代表の後任を決定する党代表選挙が17日に実施される。大幅に議席を失ったとはいえ、最大野党の民主党にとっては、今後を占う上での重要な決断の場だ。今日の報道ステーションには、立候補を表明した2人の政治家が揃って出演し、それぞれの展望を語っていた。

それで、本題はその先なのだけれど、候補者の1人、菅直人さんが番組の中で、自民党の大勝を評してこう言っていたんだ。
「1人のホリエモンと100人のホームレス、という流れが鮮明になった」って。

最近この手の論調は増えてきているような気がする。自民党の予想以上の勝利に対する反動もあるのかもしれない。小泉自民党の政治に対する批判的な見解として、最も人口に膾炙しているもののひとつは「弱者を切り捨てる政治」という主張だよね。(もうひとつは、「立場の異なる人間を排除する独裁的手法」ってやつだね。)

本当は政治についてあまり書きたくはないのだけれど、菅直人のこの発言に代表されるような主張を耳にする度に、おれはちょっと立ち止まってしまうんだ。
考える順序が違うんじゃないか、って。

100人のホームレスを生み出す政策に対しては、2つの反論が考えられる。
ひとつは「競争のルールが間違っている」という考え方だ。そもそも競争原理至上主義に傾きすぎている、という発想も、大きくはこの中に含まれるかもしれない。端的に言ってしまうと、そもそも100人ものホームレスを生み出さないような社会環境、あるいは競争のルールを整備すべきだ、という発想だ。
そして、もうひとつの反論は「セーフティネットが構築されていない」というものだ。競争の落伍者とされる人々に対して、社会全体として一定の支援を担保すべきなのに、その点が無視されているか、あるいは不十分な対応しか取られていない。この立場に立てば、100人のホームレスが生み出されるのは、落伍者をホームレスにしない為のセーフティネットが日本社会に欠如しているからだ、ということになる。

「100人のホームレス」という現実に対するこの2つの反論は、似ているようで、実際にはそのアプローチが全く異なる。発想の順序が、はっきりと逆なんだ。

そしておれは、かけっこをするな、という反論には、どうしても賛成できないんだ。

皆が同じようなタイミングでゴールするように、ハンデをつけてかけっこをするのは平等ではないと思う。人それぞれに持って生まれた能力は違う。格差が存在するのは当たり前だ。競争というのはそういうものだし、自由主義国家を標榜する以上、それは避けることの出来ない、ある意味では残酷な現実だと思う。

かけっこが苦手な子は、どうしたっている。
でも、かけっここそが自分を輝かせる唯一の舞台だっていうやつもいる。
大切なのは、最後に皆で手を繋いで、横一線でゴールすることじゃないと思う。本当に大切なのは、かけっこでビリだったやつが、勝負できる別の舞台を見つける為の手助けをしてあげることなんじゃないか。
運動会が嫌いで休んでしまうやつの机に、例えば絵筆を置いてみることじゃないか。

書いていて思ったけれど、もしかするとセーフティネットというのは、本質的には極めて個人的なものなのかもしれない。誰もが一定のレベルで救済されるようなセーフティネットというのは、そもそも成立し得ないのかもしれない。でも、そこへのチャレンジことが、きっと今後の社会を考える上での最大の課題なのだと思う。
すごく難しいことだと思うけれど。

Tuesday, September 13, 2005

格差を考える

ずっと疑問に思っていたことがある。
日本社会における「格差」って、本当に拡大しているのだろうか。
拡大しているとすれば、それはどの程度なのだろうか。

不本意ながら、最近ほとんど本を読まない日々が続いているのだけれど、そうした日々の中で、少しずつゆっくりと読み進めている本があるんだ。
玄田有史さんの『仕事のなかの曖昧な不安』という作品。
以前にも書いたけれど、玄田さんは労働経済学の専門家で、代表作の『ニート ― フリーターでもなく失業者でもなく』など、日本における労働環境を新たな視点で捉え直す試みで、一躍有名になった研究者だ。最近では、東京大学社会科学研究所の「希望学」プロジェクトに参画しながら、現代における「希望」をテーマに様々な活動をされているようで、その試みにおれは、ずっと興味を持っていたんだ。

『仕事のなかの曖昧な不安』においては、統計的な分析を活用して、データが語る日本の労働市場の現実を、徹底的に正確に突き詰めていく、という知的作業が展開されるのだけれど、これがとても面白く、刺激的だ。
例えば、フリーターやニートの増加ということを考えてみる。
雑誌やメディア、それに会社での日常的な会話などでも、「若者の就業意識の変化」なんてことがよく言われる。最近の若者は仕事に対するこだわりが薄く、ちょっと厳しいことを言われたり、嫌なことがあったりすると、すぐに会社を辞めてしまう。仕事に対する責任感が希薄で、自己実現の場を仕事以外に求めようとする傾向が強まっている。こうしたことが日常的に語られたりする。

でもそれは、どの程度「本当」なのだろうか。
こうした疑問を考える手掛かりとして、玄田さんは徹底的にデータを活用していく。

若年層の離職率は、戦後どのように推移してきたのか。
若年層を対象とした意識調査の結果からは、何が読み取れるか。
正社員での採用を希望する割合に、変化はみられるのか。
入社3年以内に離職する人の割合は、過去と比較して高まっているのか。
失業率と若年層の離職率には、なんらかの関連性があるのか。

こういった様々な観点から、精緻にデータを追っていく。データが語る日本社会の労働環境の現実を突きつめていく。すると、一般に言われているのとは全く様相の異なる別の姿が浮かび上がってくる。

分析データや統計的手法、組み上げられた論理の詳細について細かくは触れない。けれど、玄田さんのそういう厳密なロジックに基づいた思考はとても新鮮で、示唆に富んでおり、知的好奇心を刺激するものだった。


日本は、世界で最も従業員の解雇が困難な国家のひとつだ。
企業による従業員の解雇を明確に規制する法はないが、過去の判例によって企業は幾重にも縛られており、経営判断としての正当性を十分な説得力を持って説明できない限り、実際に企業が従業員を解雇することは極めて難しい。仮に解雇に踏み切ったとしても、被解雇者による訴訟リスク、平気で社員の首を切るといった風評の流布のような社会的信用リスク、企業イメージの低下といった様々なリスクに企業は晒されることになるだろう。
雑誌やメディアではよく、中高年のリストラが社会問題として取り上げられる。しかし、いわゆる中高年にあたる45歳~54歳の大学卒ホワイトカラー層に関してデータを分析していくと、実際にはほとんど解雇されていないという現実が見えてくる。失業率の上昇が問題視されるが、最も深刻な状態にあるのは中高年ではなくて、実は20代、30代といった若年層だ。若年層の失業率は、日本は先進国でも最悪のレベルに達しているが、こうした事実が問題として取り上げられることはほとんどない。

戦後の高度経済成長時代において企業は、右肩上がりの業績に支えられて着実に雇用を創出してきた。拡大する需要に対応する為に、常に新たな労働力を確保する必要があった。しかしながら、90年代に入ると状況は一変する。バブル経済が崩壊し、日本は長期にわたる景気停滞局面を迎えることになる。
不況に直面した企業においては、収益力を維持する為に、徹底的なコストカットが経営上の至上課題となる。様々なエリアでコスト削減の施策が断行されることになるが、その中でも最大の問題となったのが、言うまでもなく人件費だった。

日本において、従業員の解雇は決して容易ではない。そうした状況下にあって、企業が抱える労働力の調整を行う為には、実質的に2つの選択肢しかなかった。定年退職による自然減、そして新規採用の抑制だ。経済全体が拡大していた頃には、実はもうひとつの選択肢があった。それは、体力のある中小企業に労働力を振り向ける、ということだ。出向や転籍という形式を取って、中小企業にスキルをもった人材を移していく。日本の発展を支えた多くの中小企業は、慢性的な労働力不足という問題を抱えており、人材の流動化を志向する大企業との間でニーズが一致した。しかし、90年代の不況期においては、中小企業の側にも労働力需要がなくなっていた。不況の煽りを受けて、大企業の人材を受け入れるだけの経営体力を失っていた。

こうした流れの中で、企業による新規採用は大幅に縮小され、就職活動は年々厳しさを増していった。結果として、本当に希望していた企業・職種を勝ち取ることが出来ず、妥協の末に2次希望、3次希望で決着するケースが増加していく。入社後に、自分がイメージしていた仕事に就くチャンスそのものが大幅に減少していき、思うようなスキルアップを図ることが困難なケースが恒常化していった。

それだけではない。長引く不況にあって経営状態の悪化した多くの企業は、社員のスキル育成に投資する余力を少しずつ失っていた。本来ならば若手社員に与えられるべき研修・OJTの機会といったものも、コスト削減の煽りを受け、減少していく。会社が社員のスキル育成に投資できない。企業のこうした姿勢が引き起こしたのは、スキルを必要とする仕事、やりがいのある仕事が経験豊かな中高年に振り分けられる、ということだった。過去に大量採用された世代が中高年となると、自分達には出来ない体力のいる仕事、あるいは単純な事務的作業ばかりが若年層に押し付けられ、結果的に若年層が「やりがいのある仕事」に就くチャンスは、極めて限定的なものになってしまった。

こうした全ての結果として、若年層の離職率は高まっているのだ。
このことが意味しているのは、「中高年の既得権を守る為に、若年層の雇用機会が犠牲になった」ということなんだ。本来であれば若年層に振り分けられるべき就業機会そのものが、中高年の解雇が困難な状況下にあって、その雇用確保という名目の下、確実に奪われていった。

玄田さんは、統計的手法を効果的に活用しながら、こうして論旨を展開していく。
フリーターやニートの問題も、こうした観点で捉え直すと、別の様相を呈してくる。それは必ずしも若年層における就業意識の変化が問題ではなくて、もっと根本的な、日本社会の構造的問題が改めて浮き彫りになってくるんだ。

断っておくけれど、だからと言ってフリーターやニートを肯定するつもりは、おれにはない。正確に言えば、肯定も否定もしない。ただ、リスキーな選択だとは思う。同じ頃、同世代の人間の誰もがスキルアップの為に日々努力しているのだから、それは当然のことだよね。それでも、リスクを認識してなお、それを受け入れてフリーターやニートを選択する人間に対して、否定する理由はどこにもないと思う。自分の信念を持って、リスクを取って生きることは格好良いし、そこには一筋の希望がきっとあるような気がする。そうしたリスクを認識することなく、何気なくフリーターやニートを選択するのは、単純に馬鹿げていると思うけれど。

でもとにかく、玄田さんのこうした発想は、おれにとってすごく新鮮で、とても興味深いものだった。示唆に富んでいて、知的刺激が詰まっていた。
例えばフリーターやニートの問題は、本質的にはきっと、極めて個人的な問題だと思う。100人のフリーターに対峙した時、かけるべき言葉はきっと100通りなければいけない。でも、別の視点から考察すると、日本社会の持つ構造的問題として捉え直すことが出来るということが、今までの自分にはなかった発想で、刺激的だった。そして、一般的に語られる常識のバイアスを排除して、徹底的なデータ分析の結果にその論拠を求める姿勢も、非常に好感の持てるものだったと思う。


随分長くなってしまったけれど、ここでようやく最初の疑問に戻ることになる。
日本社会における「格差」ってやつね。
実は『仕事のなかの曖昧な不安』の中に、この問題について言及している箇所があるんだ。それによると、どうやら研究者の見解も様々のようで、「日本社会において格差は拡大しているのか」についての論争は、未だ決着していないようだ。賛否両論があり、それぞれが統計的な手法を用いて説得性のある議論を展開しようと試みているが、明確な結論を導いて断定できる種類の問題ではないのかもしれない。

先の衆議院選において社民党の福島瑞穂は、選挙期間中ずっと「格差拡大社会の是正」ということを一貫して主張し続けていた。彼女の考える「格差」というのは何を意味しているのだろう。所得の格差だろうか。その場合、統計的分析に基づいた明確な根拠は存在するのだろうか。格差を考える指標は、所得以外にはないのだろうか。例えば、所得格差を生み出す要因のひとつが「機会格差」だという可能性はないのだろうか。そもそも「格差社会の是正」といった時に、どういった観点から「格差」を捉えることが最も公平なのだろうか。


最近ずっと、そんなことを考えていたんだ。
それで、考えた末の結論はというと・・・、結局よく分かりません。

Sunday, September 11, 2005

vs 明治大学B

勝つには勝ったけれど、ひどいゲームだった。
書きたくないくらい。
正確なスコアは覚えていないけれど、50ー35くらい。失点多すぎだよね。
個人的にも、序盤にタックルミスを2つした。前半の最初に流れを作れなかったのは、そのタックルミスから地域を大きく失ったことがかなり響いたんだ。他のメンバーに本当に申し訳ない。

あーあ。またやり直しだわ。

それにしても最近、ラグビー以外のことをあまり書いてないね。

Monday, September 05, 2005

懐かしい空気

タマリバクラブの2005年シーズンが、ついに幕を開けた。
9月4日 14:00K.O. タマリバクラブ vs 曼荼羅クラブ @三ツ沢球技場

家を出る時から、どこか懐かしい感じがしたんだ。
学生時代以来、4年振りにメンバーとして戦うラグビーの公式戦だからね。
チームネクタイを締めて、横浜行きの電車に乗り込む。
三ツ沢のグラウンドに着いて、芝に触れてみる。
ロッカールームの雰囲気。ウォームアップの緊張感。独特の張り詰めた空気。

懐かしかった。

タマリバのロッカールームは、東大の雰囲気にちょっと似ている。
全体的に飛び交う言葉が少なくて、表情が引き締まっていて、メンバーのそれぞれが静かに自分の中に入っていくような感じだ。
昨年までの社会人ラグビーは、公式戦のベンチに入ることのないまま引退してしまったので、メンバーの肌の感覚までは分からないところもあるけれど、基本的にもっとくだけていた。入部したばかりの頃、練習試合とはいえ、試合前でもメンバーがラフな感じだったことにすごく驚いたのを思い出す。もちろん、ウォーミングアップに向かう頃には、皆がきっちりと雰囲気を作ってくるあたりは、流石だけれど。

あの独特な空気の先を求めて、練習をしているんだ。
クラブラグビーは、社会人のトップレベルと比較すればレベルも高くない。ラグビー界における注目度だって低いだろう。
でもさ、ここが今のおれの場所なんだ。
十分に魅力的な、真剣にラグビーが出来る舞台だ。

嬉しかった。

結果はというと、66-7での勝利。
まず緒戦、チームとしても個人としても、きちんと勝つことが出来たのは良かった。
ただ、点数とは裏腹に、プレーの質はまだまだだったね。
個人的には、1トライは取れたけれど、それ以外は修正すべきところばかりだ。相変わらずだけれど、ハンドリングは特に悪いね。これはとにかく練習するしかない。
DEFは、少し待ちすぎている気がする。タマリバには、DEFの勘が飛び抜けていい選手が2人いるので、今後シーズンを深めていく中で、少しずつでも、その感覚を盗んでいければと思っている。

次は9月25日の北海道バーバリアンズ。
札幌市月寒でのゲームになるけれど、今から楽しみで仕方ない。帯広の後輩も見に来てくれるので、質の高いプレーが出来るようにきちんと準備していきたい。
それにはまず来週だね。
土曜日には八幡山で明治B、Cとのゲームが控えている。
今日のゲームで浮かび上がった課題を忘れず、タイトでひたむきなプレーを続けて、絶対に勝ちたいと思っています。

Wednesday, August 31, 2005

『69 -sixty nine-』

日曜日の夜のことなので、もう3日前になってしまうのだけれど、久しぶりにDVDをレンタルしてきて映画を観たんだ。村上龍さん原作の映画化で話題になった『69』ね。

劇場公開されていた頃、おれはこの映画を観ることに少なからず抵抗があった。原作となった同名の小説のテイストを壊されたくないという思いが強かったからね。

村上龍さんの『69』は、本当に素晴らしい小説だった。
1969年、当時高校生だった龍さん自身の実体験をもとに構成された自伝的小説。
大学紛争が全盛だった時代。ベトナム戦争に反対する若者たちが「ラブアンドピース」を謳った時代。ツェッペリンやサイモンとガーファンクルのレコードを聴き、巨匠ゴダールの映画に触れる中で、新しいカルチャーが踊り始めた、そんな時代。
佐世保に暮らす高校生のケン、そして切れ者の相方アダマの2人が中心となって、映画・音楽・ダンスすべてが渾然一体となったフェスティバルを長崎の地でやってしまおうと動き出す。そのうちにケンは、愛しのレディ・ジェーンの気を惹く為に、そしてなにより今を楽しむ為に、学校の屋上をバリケード封鎖しようと考える。アダマやイワサ、他にも多くの仲間がケンの語る壮大なアイデアに乗っかって、彼らは夏休みのある日の夜、学校に忍び込むんだ。

当たり前のことだけれど、おれは1969年という時代を生きていない。
今となっては、その時代をもう一度生きることなど誰にも出来ないし、当時の空気を吸うことだって出来ない。だから、当時を懐かしむといった思いもなければ、その当時が良い時代だったのかどうかも分からない。シンプルな感覚としては、今の方が、きっと圧倒的に恵まれた、良い時代なんだろうと思っていたりもする。
でもね、それでも伝わってくるんだ。1969年という時代の空気のようなものが。そして同時に、高校生という時期だからこその、青春の瑞々しさ、馬鹿らしくてくだらなくて、でもストレートで溢れんばかりのエネルギーが、この小説には詰まっているんだ。

単純におもしろく、腹を抱えて笑えるような小説でもあるけれど、それだけじゃない。
小説としての質も高く、どこか気持ちがくすぐったくなるような、良質の作品なんだ。

そんな『69』の映画化。
結論から言うと、とても良い映画だった。
原作のテイストが忠実に再現されていて、原作が醸し出していた「1969年」という時代の匂いが、当時を知らないおれにも伝わってくるような作品に仕上がっていた。宮藤官九郎の脚本も良く、原作のユーモアを上手くアレンジしながら、その核となるテイストはきちんと大切に残すような、そんな構成になっていたように思う。
オープニングもお洒落で魅力的なものだし、ケンの嘘の使い方も上手いね。
(原作では、語り手であるケンがよく嘘をつくんだ。「というのは嘘で」というフレーズが、何度となく出てくる。この「嘘をつく」という行為自体が、作品世界のなかで極めて重要で、そこにこそケンの、そして『69』という世界の魅力があるんだ。)

おもしろいよ。
単純に笑えるだけじゃなくて、普段は心の奥の方にしまってあるなにかをちょっとくすぐられるような、なぜかちょっぴり嬉しくなるような、そんな映画だ。

シンプルで単純な楽しさを、繊細に丁寧に構成しようという姿勢が、おれは好きです。

Tuesday, August 30, 2005

敗戦

残念ながら、岡山への切符は掴み損ねてしまった。
千葉代表 7-22 東京代表

悔しい。勝って、本戦に行きたかった。
いろんなバックボーンを持つ人間が集まって、2ヶ月近く前から準備をしてきたけれど、この敗戦をもって、今年のチームは終了することになる。メンバーそれぞれに置かれた環境も異なる中で、決して十分な練習を積めた訳ではなかったし、今回の結果も、必ずしも満足できるものではなかったけれど、それでも今回の関東予選に参加したことは、本当に刺激的な経験になった。

自分のプレーに対する他人の意見や感想、評価といったものを、久しぶりに聞いた気がする。そのことがすごく新鮮だったし、嬉しかった。そして、思うところが多かった。
細かいプレーのひとつひとつ、べき論のようなものじゃない。もっと根本的な部分に語り掛けてくるような言葉を、本当にたくさんもらったんだ。
自信を持ってグラウンドに立っているように見えた、と言ってくれた人がいた。
楽しそうじゃなかったかな、とつぶやいた後輩もいた。
感じ方は人それぞれ。
そして、そういう言葉のひとつひとつが、新鮮ななにかをもって心に響く。
自分では見ることが出来ない自分の姿が、いろんな人間の言葉の端々に垣間見えるようで、そういう形で「自分」というものを鋭く突きつけられることにどきどきしたし、おれにとってそれは、なによりの収穫だった。
グラウンドでは、人間性はごまかせないね。

プレーのことは、細かくは書かない。
ATT、DEFともに致命的なミスがあった。相変わらず良くないところは変わってないね。クラブラグビーに身を転じて、どうしても練習時間は限られてしまうけれど、毎週末の貴重な時間を濃密なものにして、少しずつでも上手くなっていきたい。まだまだ全然、ってレベルだと自分でも思います。


ちなみに試合後は、そのままタマリバの練習に参加してきた。
来週からは、タマリバクラブの2005年のシーズンがついに始まる。9月4日、曼荼羅クラブとの開幕戦。場所は三ツ沢球技場。クラブリーグの公式戦にこれほどの素晴らしい環境が用意されたことに、本当に感謝したい。国体の試合終了後にダブルヘッダーで練習することにしたのは、この試合に意地でも出たかったからなんだ。
さすがに3時間も練習するとは思っていなかったけどね。

Saturday, August 27, 2005

ラグビーができる

1週間ぶりの更新。
富士登山以来、ずっと風邪を引いていたのだけれど、やっぱり身体的に安定していないと書けないね。

昨日から、国体のラグビー関東予選が始まっている。
千葉県代表のCTBとして、1回戦は神奈川代表との試合だった。

結果からいうと、22-17の辛勝。
台風一過の酷暑もあって、30分ハーフとは思えないほどタフなゲームになった。終盤に認定トライを奪われたりもして、ゲーム展開も決して楽なものではなかったけれど、なんとか勝利を掴むことが出来て、とりあえずほっとしている。チームの根幹をなす社会人チームのメンバー数人が中心となって、タイトなプレーでチームを引っ張ってくれたことが大きかったと思う。

日曜は、東京代表との2回戦。このゲームに勝利すれば、岡山で行われる本戦への出場権を手にすることになる。厳しいゲームになると思うけれど、実力的に劣っているとは思わない。愚直に、ひたむきにプレーして、きちんと勝利をものにしたいね。

それから。
以前にも書いたけれど、千葉県代表は、昨年まで所属していた社会人チームのメンバー数名と、おれのようなOBが若干名、それに習志野自衛隊のメンバーが加わって構成されている。関東予選への参加にあたっては、協会からも一定の支援があるのだけれど、それに加えて、千葉代表にメンバーを派遣している社会人チームからの手厚い支援があって、そのことに対して、改めて新鮮な驚きを覚えるんだ。
前日のゲームのDVDが各自に配布され、自分のプレーをチェックできる。相手チームの1回戦の試合ぶりも、同じくDVDで確認できる。試合の前後には、補食としてバナナや、ゼリータイプの栄養補助食品が用意されているし、トレーナーも派遣してもらっていて、選手のコンディショニングにも気を遣ってもらっている。
もちろんそれは、基本的におれの為じゃない。社会人チームから参加してくれているメンバーのコンディショニングを気遣ってのことであって、それはトップリーグを目指すクラブとしては、当然の対応なのかもしれない。
でもさ、やっぱりすごいと思うよ。
おれのように、クラブラグビーへと身を転じた人間には、それがどれほど恵まれたことなのかが、痛いほどに分かるからね。
バナナやゼリーだけじゃない。もっとシンプルな素晴らしさが、そこらじゅうにあるんだ。
照明の完備された人工芝のグラウンドで、日々練習が出来る。
そしてゲームの舞台として、江戸川陸上競技場という、素晴らしい天然芝のグラウンドが用意されている。
そんなことのひとつひとつが、特に下位リーグを戦う大多数のクラブラガーにとって、手の届かない向こう側の出来事なんだ。

ありがとうございます。
江戸川でプレーできる環境を与えてもらったことに、本当に感謝しています。

Saturday, August 20, 2005

名言#2

ネットで拾った名言を。

自分がこうして欲しいと思うのと同じことを、他の人々にしてはいけない。
なぜなら、彼らの趣味はあなたの趣味と同じではないかも知れないのだから。
バーナード・ショウ

良い言葉には、足すべきものがないね。

皮膚のコード

田口ランディさんのエッセイ集『できればムカつかずに生きたい』、ほぼ読了。
一部のエッセイを飛ばしてしまったので、「ほぼ」なんだけどね。

田口ランディという人が、基本的に好きだ。
「分からない」ということに対して真摯であろうとする姿勢が、きっと好きなんだと思う。

エッセイの中でランディさんはこんなことを言っている。

私を私として成り立たせているのは、皮膚の内と外で生じる猛烈な「違和」によってである。皮膚は世界の違和にさらされていて、それを常に刺激として脳に送り、脳はそれをフィードバックしているから「私」という個体の存在を意識できる。
(田口ランディ『できればムカつかずに生きたい』280p)


皮膚は、自分と自分でないものとの境界。
オセロの黒を辿っていくと、結局白を辿ってしまうように、「自分でないもの」の違和を辿ることによって、「自分」というものを確認していく。
でもその時、自分でないものに対しては、結局は「分からない」というスタンスを貫く。
ここが、ランディさんの最大の魅力だ。

分かったつもりにならない。
たとえ相手が肉親であっても、親友であっても、簡単に分かったつもりにならない。
彼女の父親は「おまえほど冷たい女はいない」と言うそうだけれど、その言葉とは裏腹に、こういう態度は極めて真摯だと思うし、きっと彼女の父親も、どこかそう思っているんじゃないかと、おれは勝手に想像している。

世界の違和にさらされた皮膚が、脳に対して送るフィードバックは、きっと皮膚によって違う。それこそがさ、きっと皮膚の存在する意味なんだよ。外部の刺激をダイレクトに受容するんじゃなくて、「皮膚」という変換コードを通すことこそが、きっと世界の多様性なんだと思う。そう考えるなら、皮膚感覚に優れている、というのは、言葉を変えれば、自分の皮膚に織り込まれた変換コードを正確に見据えている、ということなのかもしれないね。それは同時に、他者の皮膚に埋め込まれたコードに対しては「想像する他はない」という態度を貫くことでもあると思う。

そんなわけで、田口ランディは皮膚感覚に優れた作家だと思うわけです。

Wednesday, August 17, 2005

富士登山

10年以上振りに合宿のない夏休み。
休み慣れていなくて、計画的にはいかなかったけれど、富士山を踏破してきた。
ラグビー、STOMP、ラグビー、映画、富士登山。
13日からの5連休も、こんな感じであっという間に終わってしまったけれど、富士登山はとても価値ある体験になった。高山病はしんどかったけれど、初めて目にした雲海、そして山頂から拝んだ御来光は本当に見事なものだったよ。

このことは、機をみてまた書こうと思います。

Monday, August 15, 2005

STOMP所感

STOMP Japan Tour 2005 ―
後輩の薦めで、STOMPの日本公演を観に行ってきた。
その後輩が「どうですか?」ってメールをくれるまで、STOMPというパフォーマンス・グループのことをおれは知らなかったのだけれど、いい機会だと思ったし、今までのおれにはなかった角度からの刺激があるんじゃないかという期待感もあって、誘いに乗ってみたんだ。

台詞のない舞台。
モップやバケツ、シガレットケースやビニール袋、そして自らの身体。あらゆるものから生み出される様々な音だけで構成されたパフォーマンス。
叩く。打ち付ける。擦る。振リまわす。掃く。壊す。揺する。
それぞれのモノに対して、いろんなアプローチで作用を働かせ、そこから響き出す音を重ね合わせて、リズムとビートを創り出していく。
ざっと言うなら、そんなパフォーマンス・グループがSTOMPだ。

結論から言うと、クオリティの高いパフォーマンスで、凄く良かった。
パフォーマーとしての完成度が高く、迫力と躍動感があって、単純に楽しかった。

2時間近い彼らのパフォーマンスを観ていて、思ったことがある。
ひとつは、コミュニケーションという作業は、本来とてもフィジカルなものだということ。
STOMPの舞台には、基本的に台詞が存在しない。つまり、8人のメンバーは、舞台上で会話を交わすことがない。もちろん全くのゼロではないし、ある程度シチュエーションが練り込まれていて、身振りやちょっとしたサインでその意図を明示するようなシーンは幾つか存在する。でも、基本的には「音」がすべてだ。1人がモップで床を掃く。その擦れる音に合わせて、別の1人もモップを動かす。そうしてモップの擦れる音が連鎖的に響き出すと、今度は誰かがモップの柄を床に打ち付ける。今度は別のエネルギーを持った打撃音が鳴り響いて、また別のリズムを創り出していく。

それが「コミュニケーション」という作業を強烈に感じさせるんだ。

コミュニケーションという作業が、言語に偏りすぎているのかもしれない。もっとフィジカルな、身体に直接訴えかけるようなものが、原初のコミュニケーションなのかなって、そんなことを思ったりした。そして、ちょっと話は逸れてしまうけれど、そういうコミュニケーションの身体性を意識させる世界がもうひとつあるとすれば、それがスポーツなのかもしれないね。

もうひとつは、都市における「音」ということ。
都市がいかに「音」を埋没させているだろう、と思わずにはいられなかった。

以前から気になっていた渋谷という街の騒音。軒を連ねる店のどれもが、大音量の音楽ともいえない音楽を垂れ流す。駅前に街宣車を停めて、マイク片手にがなり立てる右翼グループ。およそ考えられる限りの騒音がすべて集まった感じだよね。

STOMPの公演の中に、紙袋・ビニール袋・紙コップなんかを組み合わせて3人でリズムを合わせるシーンがあった。2時間の公演の中では比較的小粒な、送りバントのようなシーンだったのだけれど、個人的には印象に残っているんだ。持ち帰りのハンバーガーを詰めるような紙袋から、音のセッションが始まるわけ。センター街の道端にごろごろ転がっているような、なんでもない紙袋からね。
音は、あるいは音のきっかけは、きっと身の廻りのあらゆるところにあるんだ。それはSTOMPのキーメッセージでもあると思う。彼らがいわゆる日用品から音を創っていくのは、ひとつには「音をおれたちの日常に返す」ということじゃないかと、おれは勝手に考えているからね。

都市は、そこに生きる人間の日常から、そんな音を奪っているんじゃないか。
この日のSTOMPのパフォーマンスを観て、漠然とそんなことを考えてしまった。


観て良かった。彼らのパフォーマンスがすごく刺激的だった。
ただ、本当のところを言うと、ぞくっとはしなかったね。
感覚的なことになってしまうけれど、鳥肌というのは、もうひとつ奥の方かもしれない。

Saturday, August 13, 2005

新しいということ ― 『ライン』読了

村上龍さんの中期の小説『ライン』、読了。

自分の中のある枠組みの中に閉じて、その中で作品を書き続けている作家は少なくないと思う。読む側としては、期待値から大きくずれないという安心感もあるだろうし、一定の娯楽的価値は提示されるのだけれど、そこに新しさを感じることはない。

最近でいうと、例えば石田衣良なんかは典型的だ。

彼の出世作でもあり、ベストセラーとなった『池袋ウエストゲートパーク』は、スピード感と瑞々しさがあって、おもしろい小説だった。その後、この作品はシリーズ化され、続編が次々に発表されているのだけれど、どれをとってもそれなりに安定していて、一定の娯楽的なおもしろさを持ち併せている。
でもそれらは、ほとんど決定的なほどに、新しくないんだ。
IWGPシリーズは、その優れたキャラクター設定ゆえに、大きくは外れない。作品世界の枠組みがきちんと定まっていて、構成そのものが既に読者の期待値のある一定の部分を満たしている。マコトやタカシといったメインキャラクターの存在感は際立っていて、都度ストーリーが異なるとはいえ、読者の期待を裏切ることはない。

しかし、逆にそれこそが、石田衣良という作家の現時点での限界を感じさせてしまう。

IWGPという枠組みの中で書けることは、もうほとんどないと思う。少なくとも、新しい何かを書く余地は多くないはずだ。今後もIWGPシリーズを書き続けていくとすれば、それは同時に、石田衣良という作家の中に「新しい枠組み」を創リ出すエネルギーが枯渇していることを、図らずも示してしまうんじゃないかな。

それで、村上龍。
龍さんの恐ろしさは、絶えることなく提示されるその「新しさ」にこそある。小説のコアの部分にある問題意識や感性は、同時期の作品である程度共有されているケースもみられるけれど、作品それぞれの枠組みが、いつも決定的に違う。
『ライン』は、まさにその「新しさ」が際立っている作品だった。

正直に言って、あまりに良すぎて感想が書けない。
その斬新さの中に横たわる圧倒的な作品世界を、きちんと消化できていない。
ある種の歪みや空虚さを抱えた人間たちが、図らずも織り成していく「ライン」には、目を背けられないような何かがあるんだ。でもそれを表現する言葉を、残念ながら今のおれは持っていないんだ。

きっとこの小説は、何ヵ月後か、あるいは何年後になるのか分からないけれど、もう一度読むことになるんじゃないかという気がします。

イメージ#2

パートナーがイメージを書き溜めている。

Flickrにアップロードした作品も、既に30枚を越えた。Flickrのフリーアカウントは、1ヶ月に利用できるデータ容量が20MBに制限されているのだけれど、6月に開始して以来、2ヶ月連続で容量を使い切っている。やっぱり、好きなんだろうね。

発熱した時に脳裏に浮かんだという「光の粒」をアクリルで描いてくれたので、アップロードしておいた。本当はもうひとつ「モザイク」のイメージもあったのだけれど、それは紙に落とし込めるほどに鮮明ではないらしい。光の粒が溢れ出した後に、サブリミナルのようにさっと浮かんだだけで、絵にしようとした瞬間に、実際に浮かんだはずのイメージとの乖離が浮き彫りになってしまうんだって。

そういうビジュアルな感覚はおれには弱いので、ちょっと羨ましかったりもするね。

http://www.flickr.com/photos/pommedeterre/
(linksの"Flickr photos"からも入れます。)

Monday, August 08, 2005

キューバの歌声と民主主義について

今日は残念なニュースがふたつあった。

ひとつは、イブライム・フェレールが亡くなったこと。
キューバの伝説的な老音楽家たちがライ・クーダーのもとに結集して生まれたプロジェクト"Buena Vista Social Club"のボーカリスト。
国交なき国のカーネギーホールで実現された彼らのコンサートの映像は、同名のドキュメンタリー映画のなかに収められている。深い皺を刻んだ彼らの表情は一様に輝いていて、純粋に格好良く、その佇まいにはどこか身震いしてしまうような魅力があった。イブライム・フェレールはその中心にいて、歌声には、その顔の深い皺に違わぬ奥行きがあった。享年78歳。DVDを観て虜になって、即座にCDを買いに行ったのはつい最近のことのように思う。おれにとって、その死はちょっと早すぎたね。

ささやかながら、黙祷を捧げます。
その最後の表情が安らかなものであってほしいと思っています。


もうひとつは、がらりと趣が変わるけれど、郵政民営化法案の否決。
郵貯という巨大国家金融を解体する千載一遇のチャンスのはずだったんだ。

結果的に、参議院では予想を上回る大差で法案は否決されたのだけれど、おれには反対派議員がこれほど強硬に郵政民営化を拒む理由というものが、最後まで分からなかった。彼らによって語られた理由はとても合理的だとは思えなかったし、その主張のほとんどは、議論におけるスタート地点が既に間違っているように感じた。

でも、郵政民営化そのものを議論する前に、まずは国会議員であるということの当然の前提というものを、改めて考えてみる必要があるんじゃないか。

国会議員の最大にしてほとんど唯一の任務は、世論を政治に正しく反映させることだと思う。必ずしもそれが最善の手段かどうかは分からないけれど、民主主義とはそういうものだし、国家の基本法たる日本国憲法は、はっきりと民主主義を標榜している。民主主義の精神、あるいはその意思決定プロセスに対する議論は当然あり得ると思うけれど、現行制度下においては、民主主義は常に尊重されるべきだ。

こうした民主主義の精神の下にあって問われるのは、有権者との「契約」に責任を持ってこれを遵守すること、そしてもうひとつは「国民への信頼」ということだと思う。

有権者との間の「契約」というのは、言うまでもなく選挙公約だ。選挙公約が有権者との「契約」であるという認識すら持たない議員は、そもそも存在意義がない。もちろん、契約が正しく履行されないことに対して明確な拒否メッセージを発しない有権者の側にも一定の責任はあると思うけれど。

「国民への信頼」というのは、民主主義が必ずしも衆愚政治に帰結しないということを担保する重要な条件だと思う。結果として衆愚政治に堕することはあるかもしれないけれど、民主主義が成立し得る重要な条件のひとつは、有権者の合理的判断力を信頼することであり、また国民の能力を過小評価しないことだと思う。

こうして考えていくと、法案そのものの是非を問う以前に、幾つかの疑問が生じる。
ひとつは、公約をどう考えるのか、ということ。
その政治手法、法案の具体的内容は別にしても、この1点において、小泉純一郎は正しいと思う。郵政民営化は、明確に小泉政権の公約だった。確かに小泉は、その他の公約を幾つか反故にしている。例えば、国債30兆円枠などは、ほとんど議論されることもなく、いとも簡単に破棄されることになった。しかし、だからと言って、郵政民営化が「公約」であるという事実の重みは変わることがない。公約は「絶対に」履行されなければならない、という民主主義の基本中の基本に対して、反対派の議員はどう考えていたのだろう。
こうした態度は、もうひとつの「国民への信頼」へと繋がっていく。公約の重要性に対する認識の欠落は、とりもなおさず、有権者に対する冒涜を意味している。そして、突きつめていけば、それは民主主義そのものへの冒涜でもあると思う。

郵政民営化の是非を巡る今回の政争が奇しくも露呈したのは、日本における民主主義がほとんど死にかかっている、ということだと思う。このことは、郵政民営化法案の行方以上に、決定的に重要だった。

でも、それだけではない。
それに加えて、当然ながら、郵政民営化法案そのものも極めて重要なものだった。

民営化に対して強硬に反対する理由は、どうしても理解できない。
民間に出来ることを、なぜ国家がする必要があるのだろう。民営化によって国民の生活基盤が破壊される、という主張は明確に嘘だ。まず、「国民」という言葉自体が、ある種の嘘を内包している。都市部に暮らす人間は、実態としてほとんど民営化の影響を受けないだろう。「国民」という言葉が本当に意味している層を、具体的に明示すべきだ。過疎地域におけるサービスレベルの低下がたびたび主張されるけれど、これは民間の実力を明らかに過小評価している。日本に対する誇りを声高に唱える国会議員自身が、日本企業の持つ実力に対する信頼を欠いていると思う。
郵貯・簡保という巨大国家金融の存在は、日本の金融業界の在り方を大きく歪めてしまっている。グローバリゼーションと自由競争という大きな流れは変えられない。それは善悪の問題ではなく、資本主義社会の必然の帰結だ。そうであるなら、考えるべきは、そうした国際社会の潮流の中で、いかに制度を柔軟に対応させていくか、ということだと思う。「保守」ということを誤解してはいけない。環境や時代背景が日々刻々と変化する中で、本当に守るべきものを守り通す為には、変化に柔軟に対応できなければならない。その意味で、「革新」こそが保守の本流のはずだ。

結果的に法案は否決されて、衆議院は即日解散された。
法案の否決はとても残念だけれど、解散は当然の帰結だよね。
報道ステーションの中で古館さんが「衆議院総選挙にかかるコストは500億円とも言われる。こうした情勢下にあって、このタイミングでの解散というのはどうだったのか」といったコメントをしていたけれど、もしも日本における民主主義の復権にこの解散が寄与するのであれば、500億円なんて安いものです。

少なくともおれは、そういう気持ちで次の選挙に臨もうと思っています。

Sunday, August 07, 2005

光の粒とモザイク

昨晩から、パートナーが38.5℃の熱を出して寝込んでしまった。
氷嚢で頭冷やして、横になって、水分をこまめに摂取して、一晩寝たら体温はぐっと下がったので、とりあえずほっとしている。

でもさ、熱って判断が難しいよね。
うちのパートナーは、普段から病気のことを調べるのが好きなようで、TVやインターネットでまめに知識を詰め込んでいるのだけれど、熱を出して、ベッドに横になっている状況でも、しんどそうな顔をして言うわけ。

「『急な発熱』でインターネット検索して」

実際に検索してみたけれど、「急な発熱」の原因として考えられる病気なんて、それこそ数え切れないほどあるんだ。とてもじゃないけれど、素人のおれに判断できるものではない。幸いなことに、おれの母親は看護婦をしているので、電話でいろいろ確認することは出来るけれど、母親にしても実際に症状を診られる訳ではないし、初期症状だけでは判断に限界があるよね。

おれなんかは、水分と栄養をきちんと摂って、ちゃんと寝れば熱は下がると基本的に思っているので、「原因が分かっても治る訳じゃないので、とにかく寝たら?」って言うのだけれど、彼女はどうしても調べたいみたいで。
翌朝になって、若干熱が下がって楽になると、もう自分でネット検索をしていて、「急な頭痛」「胃痛」「押さえる」なんてキーワードを入力している。「『押さえる』ってなに?」と聞くと、「下腹部を押さえた時に、胃に痛みが出るんだ」なんて説明してくれて。
すごい執念だよね。
やっぱりおれは、寝れば治ると思うんだけどさ。

でも、今回のことで思ったこともある。
パートナーの病気について、おれは「おれ基準」で判断しがちだなって。
(別に病気に限った話ではないかもしれないけれど。)
そもそもおれは、あまり病気をしない方で、病院というやつも好きじゃないので、基本的には自然に治るのを待つようにしている。それが風邪のような軽度のものならよいのだけれど、例えば、本当に救急車を呼ばなければいけないような場合には、もしかしたら判断がひとつ遅れてしまうかもしれない。熱ひとつ考えてみても、それが本当は何の兆候なのかは簡単には判断できないからね。
人間の自然治癒能力はかなりのものだと思っているけれど、そのことを過信してしまうと、重要な場面での判断が微妙にずれてしまうかもしれないね。

熱は下がったとはいえ、パートナーには今日も1日、ゆっくり横になってもらった。
CDを聴きながらベットに寝転んでいたら、光の粒とモザイクが見えた、って。
CDが喚起したのか、病気が喚起したのか分からないけれど、体調が完全に戻ったら、そのイメージを描いてもらおうかなと思っています。

無題

書けない。
今週はほとんど書けなかった。書くべきことは、たくさんあったはずなのに。
まあ、そんな日もあるね。

Tuesday, August 02, 2005

名言

今日出会った名言を、ふたつだけ。
書きたいことはたくさんあるけれど、また機を改めて書くことにします。


希望とは一般に信じられていることとは反対で、あきらめにも等しいものである。
そして、生きることは、あきらめないことである。
― アルベール・カミュ(玄田有史「ニートのこと・希望のこと」より)


天才とは九十九パーセントが発汗であり、残りの一パーセントが霊感である。
― トーマス・エジソン(寺山修司『ポケットに名言を』より)


玄田有史さんのことは、実は以前から気になっていたんだ。
『ニート ― フリーターでもなく失業者でもなく』で一躍有名になったけれど、東京大学社会科学研究所で始まった「希望学プロジェクト」においても、中心メンバーとして活躍されているそうだ。
「ニートのこと・希望のこと」は、その基本的なスタンスが掴める良い文章だった。
近いうちに、一度著作に目を通してみようかなと思っています。
http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/think.html

Sunday, July 31, 2005

フィリップス・コレクション

ひさしぶりに、絵を観てきた。
六本木ヒルズの森美術館で開催されているフィリップス・コレクション展。

もともとおれは、それほど美術館が好きなわけではなかった。
両親ともに絵を観ることを趣味にしているし、親父は描くのも上手い。家にはいくつかの画集があって、比較的幼い頃から絵に触れる機会は少なくなかったと思うのだけれど、正直に言って、自分から絵を観に行こうと思うことはほとんどなかった。今となっては、最初のきっかけは思い出せないけれど、おそらくミレーの『落ち穂拾い』じゃないかと思う。『落ち穂拾い』は、横長のカンバスに描かれた「秋」が有名だけれど、実はもうひとつ、縦長のカンバスに描かれた「夏」があるんだ。高校を卒業する直前の1996年3月に、山梨県立美術館が購入して、おれはその絵を観るために、大学入試の合格発表が行われる前に、山梨に行った。結局その絵は公開前で観られなかったし、大学入試は見事に滑っていたけれど。

長くなったけれど、とにかくその頃から、年に数回は、主にひとりで絵を観に行くようになった。(数回といっても、片手で十分数えられる程度だけれど。)東京で一人暮らしを始めた頃で、両親は「せっかく都会にいるのだから、いい絵をどんどん見たらいい」と言っていたのだけれど、ちょっとだけ、そうだな、って思うようになった。そんなおれが、絵に対する興味を少しずつ強めていったのは、ほとんどうちのパートナーの影響だよね。

それで、フィリップス・コレクション展。
結構な数の作品が展示されていて、かつ蒼々たる画家の作品が並んでいた。
印象に残っているのは、クロード・モネの『ヴェトゥイユへの道』という作品。黄色を中心とした淡い色づかいで描かれた一本の道。光の優しさが心地よく、美しく、そしてどこか暖かい。
それから、「踊り子」を描いたドガの作品。ドガは「踊り子」をモチーフにした幾つもの作品を残していることで有名だけれど、実際に観るのは初めてだった。ふたりの踊り子が稽古する姿を描いたものだったのだけれど、うちのパートナーは「完璧な構図だ」と、その素晴らしさに感動していたね。
他にもルノワール、デ・キリコ、セザンヌ、ゴッホといった画家の作品がずらりと並んでいて、見応えのある展覧会。ちょっとうまく纏まりすぎているきらいがないでもないけれど、十分に魅力的な作品が数多く並ぶ、とても質の高いコレクションだと思う。

ちなみに。
展示のいちばん最後の方に並んだ3つのピカソの作品。その圧倒的な魅力。
ピカソは天才だね。

Friday, July 29, 2005

簡単に認めない

昨日、松田さんに言われたひとことが頭にこびりついている。
「簡単に認めたらあかんねん」

岡山で開催される今年の国体。その本戦への出場権をかけた関東予選が8月末に行われるのだけれど、おれは千葉県代表のメンバーとして出場するつもりだ。
千葉県代表は、昨年までおれが所属していたチームの現役メンバー数名と若手OB、それから習志野自衛隊のメンバーで構成された混成チームだ。全員が揃う機会はほとんどないけれど、毎週木曜日には八千代台のグラウンドに集まって、週に1度の全体練習をすることになっている。

八千代台は、昨年まで所属していたチームのホームグラウンドなので、当然よく知った顔で溢れ返っている。久しぶりに元チームメイトと会って、お互いの現在を話していると、いつも刺激を受ける。当たり前のことだけれど、日本一を目指して日々練習に打ち込んでいる人間の集団は、やっぱりいいものです。

松田さんは、そのチームのテクニカル・スタッフ。
練習や試合の映像編集・分析を担当している、映像処理のスペシャリストだ。
お会いするのも随分久しぶりで、昨日の練習前に、挨拶を兼ねて少し話したんんだ。松田さんは、おれが今期タマリバでプレーすることを知っていて、そこから色々と話したのだけれど、何気ない言葉の中に、興味深い観点がたくさんあって、とても刺激的だった。不思議なもので、昨年までの3年間、毎日のように顔を合わせていたはずなのに、松田さんから、松田さんの「観点」を引き出すような会話は、あまり出来なかったような気がする。今にして思えば、当時のおれは、自分自身の中で勝手に線を引いて、その先に自分を持っていこうとしていなかったのかもね。

「タマリバでは試合に出られそうか」と聞かれて、いい選手も少なくないので、分かりませんけど・・・って言った時だった。

「そこがおまえの良くないとこ。簡単に認めてしまったら、あかんねん。」

この時、はっと気づいた。自分の内側に潜むコアの部分にベクトルを向ける姿勢が、まだ全然足りなかったんだという事実に、瞬間的に気づかされたんだ。

「認める」ことにも、レベルがあると思う。自分の実力を、例えば同じポジションのライバルと冷静に比較した時に、悔しいけれど自分の方がその時点で劣っていることは当然あり得る。その時に、その事実を厳粛に受け止めた上で、彼我の差を埋める為に全身全霊を込めてなされる試みこそが「努力」と呼ばれるものだと思う。
自分より凄いやつはいない、という自負がある人間も、きっと同じだ。自分が思い描く「理想」との間に厳然と存在するギャップ。そこに到達することは不可能と思えるほどに圧倒的なギャップを前にしてなお、その矛盾を埋めるべく前に進もうとする。書いていて気がついたけれど、これはまさに「ハバナ・モード」と呼ばれる姿勢だよね。
その意味では、「認める」のは、チャレンジのひとつの重要なファクターかもしれない。

でも同時に、認め方によっては、それはチャレンジを形骸化させることにもなる。
周囲を「いい選手」だと認めることで、レギュラーの座を奪えなかった時の言い訳を、自分の中に先に準備してしまう。例えばそういうことだ。結果に対する言い訳を最初から持っているのだとしたら、チャレンジの意味は全然ないよね。
松田さんが言おうとしたのは、おそらくそういう「認め方」のことじゃないかと思う。

認めるのは、あくまでその時点での彼我のギャップだ。
その先の結果であったり、ネガティブな可能性は、簡単に認めてはいけない。
松田さんの言葉を受けておれが感じたのは、そういうことだった。


ちなみに松田さんのコメントには、もうひとつ興味深いものがあった。

「小さいものが大きいものに勝つことはある。
でもラグビーでは、弱いものが強いものに勝つことはない。」

この言葉の意味するところが正確に伝わるかどうか分からないけれど、東大ラグビー部の現役のみんなに聞かせてあげたい言葉だと思った。
おれが育った東大ラグビー部は、コンプレックスの塊のような集団だった。当時はまだ対抗戦1部に所属していて、早稲田、明治、慶応といった強豪校と公式戦を戦っていたのだけれど、スポーツ推薦のない東大は、センス・経験・パワー・サイズ全てにおいて相手に劣るということを、いつも前提にしていた。俺達にはセンスがない。パワーもサイズもない。それはある種の強烈なコンプレックスとなって、いつもチーム内に存在していた。でも、5年間でたった2度だけ勝利した時、そのコンプレックスは「弱い」ということを意味してはいなかった。むしろ、コンプレックスを克服する戦略を突きつめ、徹底的に練習することで、コーチの水上さんがシーズンを通して言い続けた「Confidence(自信)」へと逆に変えていっていたと思う。
でも、そんな瞬間ばかりじゃない。2勝19敗という学生時代のおれの戦績がすべてを物語っている。自分達のことを、自分達自身で勝手に「弱者」と考えてしまった試合が何度もあった。振り返ってみても、水上さんの指導が始まってから最初の2年間は公式戦全敗だ。水上さんのいう「自信」という言葉の意味を知る為に、東大には3年という時間が必要だったんだ。

当時はそこまで考えなかった。社会人ラグビーという新たな世界を経験したことで、初めておれは、当時の自分達を相対化できるようになったような気がするんだ。
この違いに気づいた時、きっとそれが「東大のラグビー」ってやつのスタートラインなんだよ。たとえ自覚的じゃなかったとしても。

Thursday, July 28, 2005

網走に行く前に

まずはこれを読んでみてほしい。
http://www.suzukirugby.com/column/index.html

60年前の先輩は、戦時下においてもラグビーをしていたんだね。
恥ずかしながら、このコラムを読むまで知らなかった。
自分を育ててくれたチームの歴史。
チームの一時代を支えてくれた先輩たちの魂と、ラグビーへの思い。
感傷的になるのは好きではないけれど、思わず目頭が熱くなってしまった。

そういう魅力が、確かにラグビーにはあるんだ。
うまく言葉に出来ないけれど、ラグビーは人生のすぐ傍にいつもあって、逆に人生もまたラグビーのすぐ傍にあるような、そんな魅力に溢れている。
小寺さんに言わせれば、「ラ」の世界ってやつですね。

昨年まで所属していたチームの仲間は、土曜日から網走で合宿に入るらしい。
「夏に大いに鍛えよ」ってやつを、まさに地で行くことになるんだろうね。
いいじゃん。
肩が外れるくらいタックルできる「自由」ってやつを謳歌してきてください。


ちなみに、藤島大さんのこの連載は、それぞれは小粒ながらも、ラグビーへの愛情に溢れた良いものが多い。その中でもおれが特に良いと思うのは、第6回の「想像力とユーモアの笛を」ってやつだね。ラグビーの根底にいつもなければならない「人間への尊厳」というものを、改めて思い出させてくれる。「人間への眼差し」というのは、ラグビーのあり方が変わりつつある今、もう一度立ち返るべき原点かもしれないね。
他にも、「練習の倫理」(第11回)や「いい選手について」(第13回)なんかも良質のコラムだ。ただラグビーの表層を捉えるのではなく、その裏側に横たわるメンタリティや人間性へと常に視点を向ける藤島大さんの姿勢は、優しさと繊細さに満ちていて、とても好感が持てる。ラグビーを大切に扱う人だということが、言葉の端々から伝わってくるからね。藤島大さんのラグビー観には賛否それぞれあると思うけれど、一読の価値は十分にあると思います。

Wednesday, July 27, 2005

『書を捨てよ、町へ出よう』読了

寺山修司の評論集『書を捨てよ、町へ出よう』、読了。

以前からずっと気になっていた作品。
これまでなぜか、手に取ることがなかったけれど、書店の棚を眺めていると、いつも必ず目にとまる。そして、その度に「まだだな」と思い、別の文庫に手を伸ばす。そういうことを、これまで何度も繰り返してきた。
本には、不思議と「出会うタイミング」というやつがあると思う。今になって、なぜか読んでみようと思ったのも、どこか縁のようなものかもしれない。きっと今までは、作品を受け入れる準備ってやつが、まだおれ自身の中に出来ていなかったのだろうと思ったりもする。

いざ読み終えてみて。
きっと学生の頃に読んでいたら、まったく違う感想を抱いたと思う。
今のおれは、寺山修司の基本的な姿勢、あるいはポリシーといったものを、とても正直で、格好良いと思う。詩人寺山修司の言葉は、表情豊かで、時に荒々しくもあり、時に穏やかでもある。鋭利でもあり、また朴訥でもある。でも、その言葉の根底におれが感じるものは、「真っ直ぐさ」のようなものなんだ。

「真っ直ぐ」というのは、寺山修司であることに「真っ直ぐ」であるという感じかな。
そういう真っ直ぐさを、おれはとても格好良いと思うし、そこにこそ寺山修司という人間の魅力を感じてしまう。それはきっと、「真っ直ぐ」ということの意味について、学生時代よりもちょっとだけ考えられるようになったからでもあると思う。

自分であることに「真っ直ぐ」である人間は、どうしたって魅力的だよ。
結果としての行動や、生き様や、成功や挫折や、そういうものとは関係なく、ただそれだけで十分に魅力的だと思う。

ちなみに、作品の中で、ファイティング原田とアマ王者の桜井の対戦を想像して語ったところがあるんだ。桜井というボクサーのことはまったく知らなかったし、ファイティング原田にしても、現役時代の試合を見た訳でもないので、お互いの当時の実力など、正直言って分かるはずがない。でも、実現することのなかったこの対戦を想像する中で、寺山修司の語った結末がとても良いね。あくまで想像を語ったものだけれど、その最後の言葉は紛れもなく真実だと思う。

ここだけでも、本屋で立ち読みする価値はあると思うよ。

Sunday, July 24, 2005

イサム・ノグチ

日曜日といえばやっぱり「日曜美術館」だよね。
今日取り上げられていたのは、彫刻家イサム・ノグチと広島の原爆慰霊碑。

広島の平和記念公園。
この公園を設計したのは建築家の丹下健三なのだけれど、丹下はその設計の一部について、実はイサム・ノグチに依頼をしていたんだ。
例えば、公園に架かるふたつの橋。
被爆者の魂を安らかなる地へと運ぶ「舟」をイメージした鎮魂の橋「ゆく」。これから世界に羽ばたく新しい生命へと降り注ぐ「太陽」をイメージした希望の橋「つくる」。ふたつの橋は、それぞれに異なるイメージのもとに創られたものだけれど、どちらも同じように素朴で、洗練されていて、伸びやかで、そして優しい。イサム・ノグチらしさを感じさせる、しなやかなデザインの橋だ。

それで、原爆慰霊碑。
この放送を見て初めて知ったのだけれど、丹下はこの慰霊碑のデザインも、イサム・ノグチに任せるつもりだったそうだ。日本とアメリカのふたつの母国を持つ人間として、イサム・ノグチはこの仕事に強烈なモチベーションを持って取り組んだ。原爆を落とした国"アメリカ"の人間としての「罪の意識」を抱きながら、被爆した国"日本"の人間として、その鎮魂のために、全身全霊を込めて製作に取り掛かったそうだ。

でも、イサム・ノグチの原爆慰霊碑は、ついに現実のものとはならなかった。
着工直前になって、広島平和都市専門委員会がイサム・ノグチの作品を拒否したことが、その理由だった。拒否の判断に至った経緯には不透明な部分も多いそうだが、結果的には、丹下のデザインによる慰霊碑が選ばれることになったんだ。

イサム・ノグチの構想した幻の原爆慰霊碑。そのモデルは現在に遺されている。
それは、TVの画面越しに観ても、本当に素晴らしかった。
黒花崗岩を削って創りあげられた、一点の乱れもなく美しいアーチ。磨き上げられた表面は、被爆者たちのすべての魂をやさしく包み込んでいくような、そんな輝きで溢れている。静かで、深みのある優しさを備えた、素晴らしいデザインだった。

イサム・ノグチが拒否された本当の理由については、正確なことは知らない。芸術的な観点から丹下のデザインに変更された、というのが表向きの理由になっているようだけれど、番組の中では、委員会のメンバーの1人が当時のことを書いた手記の内容が紹介されていた。

原爆慰霊碑は、なんとしても日本人の手による製作としたい。
イサム・ノグチがアメリカ人であることは、決して忘れられてはならない。

実際の委員会の決断において、こういったことが影響したのかどうか、判断するだけの情報をおれは持っていない。でも、もしもイサム・ノグチが拒否された理由のひとつが彼の中のアメリカにあるのだとしたら、それほど虚しいことはないね。

イサム・ノグチの幻の慰霊碑、実現してほしかったな。
自分の目で実際に見て、茶室をイメージしたという鎮魂のための空間で、被爆者への黙祷を捧げたかった。残念ながらもう叶うことはないけれど。

意図を持つ

タマリバクラブの活動の一環として、横須賀高校ラグビー教室に参加してきた。

横須賀高校は、名門の桐蔭学園を筆頭とした激戦区の神奈川県で、花園出場を目指して頑張っている公立高校。選手のみんなは、タマリバと練習できるのを楽しみにしてくれていたみたい。クラブチームとはいえ、タマリバにはかなりの実績を持つ選手も少なくないので、彼らにとっても刺激になったと思う。タマリバのメンバーにとっても、これから先何年も活躍していく選手達が、こうして期待してくれるというのは、やっぱり嬉しいことだよね。
そんな訳で、予定時間を大幅にオーバーして、3時間近く、みっちり練習してきた。

練習全体をコーディネートしてくれたのは、SHの吾朗さん。
最近タマリバでもよく話すようになった先輩のひとりで、ラグビーに対してとにかく真摯に向かう姿勢にいつも刺激を受けている。今日の練習でも、進め方やコーチングのポイントが事前にかなり練られていて、すごく濃密な内容になっていた。日常生活の中から自分の時間を割いて、事前にこれだけ準備しておくのは、実際にはかなり大変なことだと思うんだ。たった一度の練習を有意義なものにする為に、それなりの時間を費やして準備をしてくれたことは、吾朗さんが練習中に右手に抱えていたメモを見れば、誰にだって分かるはずだ。そういうことのひとつひとつが、選手達からの信頼に繋がっていくんだろうね。高校生は、きっと嬉しかったと思います。

ラグビーを教えるのは、とても難しいよね。
ラグビーのプレーにはいろんな考え方があって、ひとつの正解は存在しない。メンバーの特徴や個性、相手チームのスタイル、現時点での選手のスキルレベルや経験、その時のチーム状態やモチベーション。そういった諸々の要素によって、教えられるプレーや教え方、伝えたいキーメッセージが変わってくる。そういう諸条件を見極めて、限られた時間の中で、ポイントを絞ってメッセージしないと、教える側の自己満足で終わってしまう。何をいつ、どのように伝えるか。それも押し着せるのではなくて、選手自身が考えて、何かに気づくためのきっかけを準備するように仕向けていく為に、どういう方法論を取るか。そこまで考えて、判断しながら進めていかなければならない。そういう意味では、コーチングというのは極めて知的な作業だと思う。

そして、だからこそコーチングは、逆に自分が学ぶきっかけにもなる。
教えるために、考える。考えてみると、それまで明確に意図せずにしていたプレーの意味に、改めて気づいたりもする。意図を持って、考えてやっているプレーでなければ、説明できないからね。

意図を持ってプレーすることには、すごく大切な意味がある。つまりね、「意図を持っている」ということは「自分の意図を他人に伝えられる」ということでもあるんだ。するとそこで、お互いの意図の確認という作業が生まれる。これが「コミュニケーション」だよね。ラグビーは15人でするスポーツなので、グラウンドには15の意図がある。でも、チームの目的はたったひとつ、「ゲームに勝つ」ということ。だから、15の意図を、1つの「チームの意図」に纏め上げていくことが必要になる。コミュニケーションというのは、その為に欠かすことの出来ない最大の要素だよね。
意図のないところに、コミュニケーションはないと思うんだ。

今日の練習に参加したタマリバのメンバーの中には、大学生も数名いたのだけれど、今日のコーチングの経験は、彼らの刺激にもなったみたい。「自分も初めて聞くようなことがたくさんあった」って。それだけじゃない。高校生から飛んでくるシンプルで難しい質問。どうやるんですか、と質問されても上手く説明できないプレー。そういう諸々に向かうことで、きっと自分達の方が考えちゃったと思う。
おれ自身も同じで、高校生に聞かれた幾つかの質問には、どきっとしてしまった。10年以上もプレーを続けているのに、改めて質問されると戸惑ってしまうことがたくさんあるのだから、ラグビーは本当に難しくて、奥が深くて、そしてやっぱりおもしろいスポーツだと思う。いい勉強になりました。

ちなみに。
自分達の練習として最後にやったタッチフットは、最悪の出来だった。両チームともミスばかりで、集中力も低くて。せっかくオフにこうして時間を割いて集まっているのだから、もっと練習の質を高めないと勿体ないよね。確かに高校生も数名混じっていたし、全体としてのレベルは高くなかったけれど、そういう問題じゃないんだ。
自分のプレーにもっと集中して、自分からやればいいんだから。

Tuesday, July 19, 2005

『ハバナ・モード』読了

村上龍さんの最新エッセイ集『ハバナ・モード』、読了。
20年以上も連載の続いている「すべての男は消耗品である」シリーズのVol.7ね。

改めて書くまでもなく、抜群に良い作品。
龍さんのエッセイは、初期の頃の作品も良いものが多いけれど、ここ数年の作品の方が圧倒的におもしろいと思う。初期の頃のように、イメージを鋭利なイメージのまま言葉にしていったようなエッセイは少なくなったかもしれないけれど、とどまることのない問題意識と、それに対する思考の厚み、次々に提起される世界の切り取り方、そういったものは初期の作品を完全に凌駕していると思う。

この作品の中で、利根川進さんの言葉に触れている章がある。
昨年8月に刊行された対談集『人生における成功者の定義と条件』において、利根川さんが語った言葉だ。

「本当にむずかしくて重要なのは、問いを考えることだ」

決められた問いに対する答えを探すことは、ある程度訓練すれば誰にでも出来る。でも、「問い」そのものを考えることは、簡単には出来ない。問いを考える為には、そもそも何が分からないのかを分かっていなければいけないからね。
問いは、誰もが立てられるものじゃない。問いを立てる為には、問いを立てるに足るだけの前提知識や経験が必要となる。そうした前提を獲得する為には、相当の労力が必要だし、問い続けるスタミナも必要になる。なにより、圧倒的なまでの知的好奇心と「分からない」ということへの徹底的なこだわりがなければ、「問う」という姿勢は不可能だと思う。

翻ってみると、龍さんのエッセイにはまさに「問い」が溢れている。
そして、そのことにおれはいつも驚かされてしまう。
「問う」という姿勢、あるいは態度が、龍さんの生き方そのものになっているような、そんな雰囲気がエッセイから滲み出ている。

龍さんの考え方や、発想の仕方に対して違和感を感じる人は少なくないかもしれない。エッセイの中で語られる様々な事柄に対して取りうるスタンスは、それこそ人それぞれのものだと思うし、そのこと自体は特に問題ではなく、むしろ当然のことだと思う。ただ、このエッセイにおいて設問されている数々の「問い」そのものは、有無を言わせぬ迫力を持っているし、「問い」として非常に有効なものばかりだ。このエッセイに限らず、ここ数年の龍さんのエッセイの最大の魅力は、まさにこの点にこそあるのかもしれない。

それから、今回の作品について言うと、まず「ハバナ・モード」という言葉自体が抜群に良いよね。「ハバナ・モード」というのは、龍さんの言葉を借りると「何とかなるだろうという曖昧でポジティブな前提と、このままではどうしようもないという絶望との乖離の中にあって、その2つの矛盾を混在させ、限りなくゼロに近い可能性に少しでも近づく為に、不断の努力をする」態度、といったことになるかな。ちょっと分かりづらいかもしれないけれど、龍さんはこのことをして「危機に瀕した国家や個人が取りうるおそらく唯一の基本戦略だと思う」と書いている。「危機感」というキーワードを読み解く上で、非常に重要なファクターになってくると思う。

とにかく、相変わらず珠玉のエッセイ集であることは間違いないね。
読了したおれの次の課題は、「『ハバナ・モード』を生きられるか」ということになると思います。

ミルフィーユ

今年4回目の渋谷ユーロスペースで、久しぶりの映画。
内田けんじ監督作品「運命じゃない人」
http://www.pia.co.jp/pff/unmei/index.html

最近彼女にふられてしまった宮田。
宮田の昔からの親友で、探偵事務所を構える神田。
他に好きな人が出来たと言って、宮田を捨てていったあゆみ。
昨日まで婚約していたのに、突然ひとりぼっちになってしまった真紀。
台所事情は芳しくなくとも、メンツは守らなければならないヤクザの浅井。
便利屋の山ちゃん。
それぞれの思い、それぞれの考えや目論見、そういったものの間に生じたほんのちょっとした「ずれ」が複雑に絡み合って、それぞれの生活に思わぬ展開を引き起こしていく。スクリーンの外側の視点からみれば、すべてが1本の糸として繋がっていくのだけれど、スクリーンの中の登場人物には、それぞれ自分自身にしか見えない糸があって、そのそれぞれが、他とは違う色をしている。
その色の配分が、軽妙で心地良い作品だね。

うちのパートナーは、「ミルフィーユのような映画だ」と言ってた。
ミルフィーユのように幾重にも層が折り重なっていて、立体的な作品だって。
すぐ食べ物に例えてしまうんだけど、悪くない表現かなとも思う。

すごく低予算で作られた映画だというけれど、非常によく練られていて、人間味のある作品に仕上がっていると思う。主人公の宮田ってやつが、とにかく優しい男なのだけれど、ミルフィーユの層の中にあって、その優しさは馬鹿みたいでもあり、ほっとしたりもして、結構悪くない感じだ。
それから、単純に笑える作品でもある。ところどころに織り込まれたユーモアは、かなり笑えるものが多いね。コメディとしても、センスが良いと思う。便利屋山ちゃんが最初に登場するシーンなんか、隣の人は5分近くも笑い続けてたからね。

そんな訳で、派手ではないけれど、とても丁寧に作られた良い作品だった。
ユーロスペースは、会員になると全ての上映作品が1,000円で観られるのだけれど、良質な作品も多いし、絶対に損はしないので、会員登録必須だと思います。

Monday, July 18, 2005

春、終了。

長かった今年の春が、昨日をもってようやく終わった。
タマリバクラブの春シーズンを締め括るのは、7/16-17の八幡平遠征。

今年の6月にタマリバクラブに参加して1ヶ月、今回が初めての遠征。
遥々岩手県は八幡平まで赴いた訳だけれど、2万円近くを自己負担しなければならないこの遠征に40人近くが参加するのだから、改めてトップクラブのメンバーがラグビーにかける情熱というものが伝わってくるよね。

今回の遠征の最大の目的は、もちろん釜石シーウェイブスとのゲーム。
八幡平ラグビーフェスタ2005のメインゲームとして組まれたこのカードは、タマリバクラブにとって、今年の春シーズンを締め括るとともに、春のチャレンジの全てを試す最高の舞台として位置づけられていたんだ。
釜石SWのような知名度のあるクラブとは、そう簡単にはゲームを組むことが出来ない状況の中で、訪れたチャンス。昨年まで一緒にプレーしていたメンバーからすれば、それほど魅力的なカードではないかもしれないけれど、このクラブにとっても、そして今のおれにとっても、願ってもないチャンスだったことは確かだ。
6月14日に初めて練習に参加して以来、ずっと楽しみにしてたゲームだからね。

首脳陣からメンバーが発表されたのは、試合前日の15日。前半40分のみだけれど、インサイドCTBとして出番をもらえたことで、俄然気持ちが高ぶっていった。今さら怯えることもない。とにかくタックルしよう。チャンスをものにしよう。40分間という限られた時間の中で、今の自分を思い切り試してやろう。そう思って、遠征に臨んだ。


7月16日 15:00K.O. タマリバクラブvs釜石SW @松尾村陸上競技場
タマリバ 33-42 釜石SW

結果はというと、悔やまれる惜敗。
釜石SWのメンバーはよく分からないけれど、FLとSOに外国人を擁していたことを考えても、ほぼ1本目だったと思う。タマリバとしても名を上げる絶好の舞台が整っていた訳だけれど、残念ながら白星を取りこぼしてしまった。

前半早々に先制トライを奪い、基本的には常に先行しながらゲームを進めていたのだけれど、前半20分を過ぎたあたりで、こちらのミスからトライを連取され逆転を許してしまい、そのまま前半は19-21で折り返す。
後半に入ると、常に後手に廻ってのゲーム展開。幾つかチャンスはあったのだけれど、トライに結び付かない。逆に釜石SWは、タマリバのDFの綻びを着実にトライに繋げて、点差を広げていく。タマリバも終盤2トライを奪って追い上げたものの、残念ながら及ばず、33-42での敗戦となった。

悔しい。本当にチャンスだったんだ。
負け惜しみみたいで格好悪いけれど、釜石SWが強かったわけじゃない。おれたちがそれ以上に弱かった。ゲームに臨む上で、既に自らの内に敗因を持っていたような、そんなゲームだった。
個人的にも、煮え切らない40分間になってしまった。何度か大きくゲインラインを突破した。タックルも特別悪かったわけじゃない。けれど、ゲームの流れを大きく狂わせてしまうミスがあった。仕事量自体も全然多くなかった。ひとつひとつのプレー、あるいはプレーの合間の動きが全体的にどこか緩慢で、とにかく走れていなかった。

試合後、FLの小山と話した。これじゃまずいな、って。
お互い気持ちは同じだったみたい。今の状態では、ラグビーを楽しむところまで至っていないと思った。悔しいし、煮え切らないゲームだったけれど、今の自分のレベルや課題は改めてよく分かった。その程度のものだ、ってことが。

とにかく、もう一度やり直しです。秋の公式戦に向けて、練習するしかないね。


7月17日 10:00K.O. タマリバvs岩手選抜 @鬼清水グラウンド

釜石SWとのゲームの翌日は、Bチームvs岩手選抜のゲーム。前日もゲームをしているというのに、9:00ウォーミングアップ開始で、10:00には試合が始まるのだから、すごいハードスケジュールだよね。
タマリバは基本的にBチーム主体のメンバー構成で、Aチームのメンバー数名は、このゲームには出場しなかったのだけれど、おれは80分間フル出場した。2日間で120分もゲームをするのは、本当に久しぶりのことだったよ。

それで結果はというと、圧勝。
詳細は覚えていないけれど、90点以上奪っての勝利だった。
このゲームで良かったのは、おれが大学5年の時に1年で入部してきたSOのミヤハラという後輩と、4年振りに一緒にプレーしたことだね。ミヤハラは1年で入部した時から良い選手で、即座にレギュラーになったので、そのシーズンの対抗戦を共に戦ったのだけれど、その4年後に、こうして同じチームでプレーできるとは、当時は思ってもいなかったからね。
おれが言うのもなんだけれど、ミヤハラは本当に上手くなった。4年前とは別人のような動きだ。大学ラグビー部での日々の練習に対して、真摯に取り組んできた土台の上に、「タマリバ」という新しいチームのエッセンスが加わることで、更に実力を伸ばした。プレーのひとつひとつを見れば、本当に真剣にラグビーに向かってきたことが誰にだって分かる、とても良い選手だと思う。
そのミヤハラと、4年振りにSO-CTBを組んだのだけれど、本当に楽しかった。細部を合わせて臨んだゲームではなかったけれど、4年前とは比較にならないくらいに息が合ったように感じた。この試合、ミヤハラは大活躍で、4本か5本トライしたんじゃないかな。ボールを持てば抜けるような、そんな感じだった。おれはというと、この後輩のアシストを得ながら2トライ。おもしろいように抜けたけれど、あれはパスで抜かせてもらったようなものだ、ということにしておきます。

全体的にはミスも多かったし、圧勝しながら21失点と課題の残るゲームでもあった。それでも、春の最終戦という意味では、気持ち良くシーズンを終えることの出来る良いゲームだった。

そんな訳で、1泊2日の八幡平遠征も無事に終了。おれの「春」はようやく終わった。
悔しくもあり、煮え切らない部分もあったけれど、それ以上に収穫も多く、自分の今のレベルがよく分かった春シーズンだった。この遠征をもって、タマリバはしばらくオフに入るのだけれど、フィットネスが落ちてしまうのもまずいし、駒場にはちょくちょく顔を出そうかと思ってます。

既に日程の発表された秋の公式戦が楽しみだね。

Friday, July 15, 2005

空について

あるメールマガジンで目にした、和田一夫さんの言葉。
和田一夫さんというのは、ヤオハンの創始者ね。

四方八方ふさがれば、それで終わったと思う前に天を仰ぐことです。
「ああ、空がまだあるな」とね。

メールマガジンでこの言葉を目にしたのは、昨日の朝のこと。心に響く言葉だったので、しばらくそのことを考えていたのだけれど、ふと思ったんだ。
背伸びをする必要はないんだ、って。
ちょっとだけ目線を上に向ければ、きっと空は見える。それだけでいいんじゃないか。

空って、どこから空なんだろう。
空はおれらにとって、すごく高くて、大きくて、広いものだよね。
でも同時に、すごく近くて、目の前に、ほんのすぐ傍にあるものだとも思うんだ。
大空と、手の届くすぐ傍の空間との間に、境界なんてないんだからさ。

実は気になって、「空」の定義を調べてみたんだ。
三省堂「大辞林」第二版の定義は、”地上をとりまく、広がりのある空間”。
つまり、広がりこそが「空」なんだね。
すぐ傍にある空間だって、上空の広がりとつながっているんだからさ、きっと人間の側が、勝手に狭いエリアだけを切り取って見ているだけなんだ。

Wednesday, July 13, 2005

Context

『SPEED』を読み終えて次に手に取ったのは、やっぱりまた村上龍さん。
まだ出たばかりの新刊エッセイ集『ハバナ・モード』ってやつね。

全体を通しての感想は、読み終えた時に改めて書こうと思う。まだ3分の1くらいしか読み進めていないけれど、思わず唸ってしまう観点や指摘に溢れていて、相変わらず刺激的な作品であることは間違いない。
ただ、既に読んだ数章の中で、特に考えさせられる指摘があったので、そのことだけは忘れないうちに書いておこうと思って。

もう随分前のことのように感じるけれど、昨年の暮れに、ライブドアによる近鉄球団買収の意向表明を発端として、IT企業のプロ野球への参入が話題となった。近鉄とオリックスの合併によって生まれた新規参入枠をライブドアと楽天が争い、結果的には楽天がプロ野球界への参入を果たすことになった。また、ダイエーの経営問題に端を発した事業再編のひとつとして、福岡ダイエーホークスがソフトバンクに売却された。こうした一連の経緯は、その頃、連日のようにメディアを賑わせていたよね。

あの時、大手既成メディアの報道は、基本的に旧態依然のプロ野球界vsライブドア、あるいはライブドアvs楽天、といった対立軸を設定して、誰が勝者となるのか、という議論ばかりをしていた。そして、ライブドアや楽天といった企業は、旧体質に風穴を開ける救世主のような報道のされ方だったように思う。彼らが日本の閉塞感の少なくともある部分を打ち破ってくれるんじゃないか。そんな期待感のようなものが、その当時のメディアにおける報道の基調となっていた。

でも、『ハバナ・モード』の中の「幻の改革と変化」という章において、龍さんはまったく異なる指摘をしているんだ。ここは大切なので、正確に引用したい。
(ブログにおけるこうした引用に著作権上の問題がある場合には、即座に削除するので、知ってる人がいたら教えてください。)

彼らのようないわゆるITの勝ち組でさえも、プロ野球のような人気衰退媒体に頼るしかないという現実は、破壊や革新を待ち望む子どもや若者にさらなる閉塞を生むことになった。もうフロンティアはないのだというメッセージを送っているのと同じだから、その罪は深い。(村上龍 『ハバナ・モード』 38p)


プロ野球界に新風を巻き起こしたはずの彼らは、若者にさらなる閉塞を生み出した。
この指摘には、思わず唸ってしまった。
その当時のメディアに、こういう観点での議論は一切なかったと思う。分かりやすい対立軸を設定することでしか、起きている事象に向かうことが出来なかった。それは言い換えるなら、「改革」や「革新」、あるいは「閉塞」という言葉に対して、メディアがその正確な定義を持っていなかった、ということかもしれない。これはメディアだけの問題ではなくて、受け手側である日本人のほとんどが、こうした観点を持ち合わせていなかったんじゃないかと思う。
誤解のないように書いておくけれど、龍さんの指摘こそが真実を語っている、と言いたい訳じゃない。龍さんの指摘は、あくまで龍さん個人のものだし、それに同意する人もいれば、拒絶する人もいると思う。いろいろな考え方や判断があっていいし、あってしかるべきだ。おれが言いたいのは、なにかを議論する時に、正確な文脈で、正確な定義を持って語ろうとする態度というのが、決定的に重要だということなんだ。

龍さんは、自分の中に「文脈」を持っている人なのだと、改めて感じた。
文脈というのは、事象の裏に横たわる流れのようなもの。
龍さんは、これまで常識的なレベルで成立していた曖昧な文脈を越えて、その先に自分自身の文脈を構築し、その文脈において世界を切り取っているのだと思う。
そして、「文脈を持つ」ということは、正確な定義をもとに、厳密に今を切り取ろうとする態度の中にしか、きっとないんだ。

そしてこれこそが、たぶん村上龍さんという作家の最大の価値だと思うんだ。

Monday, July 11, 2005

来週に向けて

練習@駒沢大学玉川グラウンド 10:00-13:00

タマリバの練習に参加するようになって、初めての遅刻。
駒沢大学Gって言われたら、駒沢大学駅で降りちゃうよね。まさか二子玉川からバスだとは思わなかった。釜石SW戦前の最後の練習だというのに、結局25分ほど遅れてしまって、さすがにショックだった。

人工芝のグラウンドが若干濡れていたこともあって、今日はボールが手につかなかった。もともとハンドリングは得意じゃないので、グラウンドのせいばかりでもないけれど。
その代わり、タックルは昨日よりも全然良かった。アタックでのボールタッチは少なかったけれど、収穫のある内容になったね。チーム全体としても、釜石SW戦が控えていることもあって、気持ちの入った良い練習になっていた。ディフェンスは普段以上にタイトだったし、悪くない内容だったと思う。

あとは、来週やるだけだね。メンバーに入るといいけど。

Sunday, July 10, 2005

SPEED

金城一紀さんの最新作『SPEED』、読了。

金城さんのこれまでの作品は、すべて読んでいる。
最初に読んだのは、大学時代のチームメイトが薦めてくれた『GO』という作品。その頃はまだ社会人ラグビーでプレーを続けていたのだけれど、確かある日の練習終了後に、携帯にメールが入ったんだ。いますぐ買って帰れ、って。
いろんな意味で信頼しているやつの薦めだったから、その日の帰りに八千代台の書店で買って帰った。京成線の特急に乗って、頁を開いて読み始めて・・・

そしたら、抜群だったんだ。

『GO』はその後、窪塚洋介主演・宮藤官九郎脚本で映画化されて、話題になった。詳しくは憶えていないけれど、各種の映画賞を総ナメにしたはずなので、映画を観た人は多いかもしれない。でもさ、もし原作を読んでいないのなら、明日の帰りにでも本屋に寄って、手に取ってみてほしい。瑞々しくて、スピード感に溢れていて、鋭利な刃のようにエッジが効いていて、そしてストレートに心に訴かけてきて、とにかく素晴らしい作品なので。

そんな訳で、『GO』の読了後は、既に発表されている金城さんの作品をとにかく読みふけった。とは言っても、金城さんの作品は、まだ数自体が多くないんだ。『対話篇』を読んで、『レヴォリューションNo.3』を読んで、『フライ,ダディ,フライ』を読んだら、それで終わりだからね。

『レヴォリューションNo.3』と『フライ,ダディ,フライ』は、連作になっている。5人の高校生を中心としたチーム「ゾンビーズ」が、誰かが決めた世界を飛び出して、自分たちの世界を創るために暴れまわる。ひとことで言うと、そんな物語だ。

『SPEED』は、このゾンビーズ・シリーズの続編。ヒロシを失って4人となったゾンビーズと、偶然出会ったひとり女子高生とが織り成す、新たな跳躍の物語。「跳躍」というのは、誰かが決めた世界からの跳躍、ということだけど。

やっぱり、瑞々しさに溢れている。作品全体としての完成度は『フライ,ダディ,フライ』に劣ると思うけれど、十分に魅力的な作品。ゾンビーズの(特に舜臣の)言葉は、鋭くて、妥協がなくて、でもいつだって優しさが忍び込ませてあって、とても格好良いね。

これから読む後輩がいるので、細かなことは書かない。
ひとつだけ書くなら、ゾンビーズの親友で情報屋のアギーが運転する車の中で、山下が泣き出すシーン。アギーは、ゾンビーズと岡本さん(主人公の女子高生ね)を乗せて、車を運転していて、音楽をかけようとカーステレオに手を延ばすんだ。エレキギターのイントロが流れ出す。するとアギーは、やべっ、と呟いて、すぐに曲を変えようとパネルを操作するんだ。でも山下は、もう堪えられずに泣き出してしまう。
その曲は、ヒロシの大好きな曲だったんだ。ヒロシっていうのは、病気で死んでしまったゾンビーズの親友で、『レヴォリューションNo.3』において、彼らはヒロシの為に、女子高の屋上から花火を上げるんだ。

このシーンが、おれは最高に好きだよ。涙なくしては読めない。
ヒロシってやつは、いいやつだったんだ。『SPEED』においても、ヒロシのことはたびたび語られるけれど、それほどゾンビーズにとって大切な存在なんだ。
だからさ、もしゾンビース・シリーズを読んだことがないのであれば、まずは『レヴォリューションNo.3』を読んでみてほしい。この作品こそが、ゾンビーズの原点だから。(『フライ,ダディ,フライ』には敢えて触れないけれど、『レヴォリューションNo.3』を読み終えたのに『フライ,ダディ,フライ』を手に取らないなんてことは、あり得ないよね。)

そしたらきっと、このシーンで涙すると思うよ。

今日の反省

練習@辰巳グラウンド 13:00-16:00

いつも通りのメニュー。
来週に迫った釜石SWとのゲームに向けて、なんとか首脳陣にアピールしようと思っていた。ずっと楽しみにしていたゲームだけれど、そもそもメンバーに選ばれないことには、チャンスもないからね。
今日の課題は、ボディコントロール。10分×3本のミニゲームにおいて、この部分での自分の緩さが出てしまった。
10年以上ラグビーを続けてきて、今さら気づくことでもないけれど、コンタクトした時のボールの扱い方が上手くないね。ボールは何より大事。何度教わったことだろう。

同じことを繰り返さないように、明日の練習では意識してプレーしないとね。

Saturday, July 09, 2005

Sleipnir

ちょっと前から、Sleipnirというブラウザを使っている。
Internet Explorerと比較すると、圧倒的に使いやすいんだ。
Sleipnirは、Internet Explorerのエンジンで動く高機能タブブラウザで、柔軟なカスタマイズも可能だし、動作も軽快で速い。エンジンは切替可能なのだけれど、デフォルトではIEを利用する設定になっているので、画面表示の問題もほとんどないし、ブックマークなんかも自動的にインポートされる。そもそもIEにはタブブラウジング機能がないので、随分不自由してたからね。
そんな訳でとても快適なブラウザなので、お薦めです。
http://sleipnir.pos.to/

それでね、Sleipnirには幾つかのプラグインがあるんだ。
プラグインというのは、アプリケーションに追加機能を実装する為のプログラム。Sleipnirでいうと、例えばIEのブックマークが自動的にインポートされる機能。あれなんかは、Sleipnirに標準で組み込まれているプラグインの機能だよね。IEだと、例えばGoogleやYahooが提供しているツールバーなんかはよく知られているよね。とても便利だし、実際に使っている人も多いんじゃないかと思う。
Sleipnirのプラグインの幾つかは、既に標準でブラウザに組み込まれているのだけれど、つい先日、実はすごくいいやつを発見したんだ。(遅いかもしれないけど)
それが、"RSSバー for Sleipnir"ってやつ。こいつがものすごく便利なんだ。

RSSリーダーには、幾つかの種類があるんだ。
ひとつはメーラー型。メールソフトに類似したアプリケーションを起動させておくタイプね。それから、ブラウザ型というのもある。これは、その名の通りブラウザに組み込んで使うタイプだ。他にもニュースティッカーといって、証券会社のビルでよく見かける、株価情報を随時流している電光掲示板のようなバーをデスクトップ上に常駐させておいて、自分の登録したサイトのニュースを流し続けるタイプもある。
今までおれは、メーラー型のRSSリーダー(Goo RSSリーダー)を使っていたのだけれど、常に起動させておいて、時間が空くたびにアプリケーションを切り替えるのは結構面倒だったんだ。RSSリーダーとしての機能に不自由はなかったけれど、ちょっと重たい気もしたしね。
なにより、ブラウザとRSSリーダーを両方とも起動させておく意味を感じなくて。RSSリーダーには、過去の記事をキャッシュしておく機能があるのだけれど、その時のニュースをオンタイムで参照するだけなら、ブラウザ型で充分だからね。
それで、いろいろ探して試していたら、こいつに行き着いたというわけ。

これは本当にいいよ。とても便利で、なにより使いやすい。
Sleipnirでは、画面の左側にエクスプローラバーを表示させることが出来る。基本的には、ここにブックマークが表示されるのだけれど、「RSSバー for Sleipnir」を導入すると、ここをワンクリックでRSSリーダーに切り替えることが出来るんだ。自分がよく訪れるサイトを登録しておけば、エクスプローラバー上で最新記事を簡単に確認できるし、実際にニュースを参照する時には、新しいタブが立ち上がるだけで、表示を切り替える必要もないし、新規ウィンドウだらけになることもないんだ。

ブラウザなんてどれも変わらないと思うかもしれないけれど、こういうツールを使ってみるのも悪くないと思うよ。詳しくは書かないけれど、新しい機能を備えたツールというのは、それだけで想像力を刺激するからね。

生きる

ひさしぶりに、素晴らしいTV番組を観た。
テレビ東京『たけしの誰でもピカソ』
~前衛アートのミューズ 奇跡の芸術を生む草間彌生~

昨年秋、東京国立近代美術館で開催された『草間彌生展 -永遠の現在』
草間彌生さんの作品を実際に目にしたのは、この時が初めてだった。
その時の感動は、今でもはっきり覚えているよ。本当に素晴らしかったんだ。

草間さんは、幼少の頃から強迫神経症に悩まされ、視界が水玉や網目模様に覆われる幻覚であったり、あるいは動植物が語りかけてくる幻聴の体験に苦しんだという。その頃の幻覚体験への執着を、草間さんは独自の前衛的芸術へと昇華させ、今日に至るまで一貫して、水玉と網目模様をモチーフにした作品を創り続けている。

京橋で観た「永遠の現在」―
そこには、草間彌生さんの初期の頃から今日までの作品群が網羅的に展示されており、水玉と網目模様が織り成す圧倒的なまでの美の世界が、そこで具現化されていた。ほとんどそれは、まったく別の新しい世界のような感覚。草間彌生というひとは、自身の前衛的芸術において、ひとつの美の形式を創り上げたというより、草間彌生という「世界」そのものを創造してしまったんだ。
おれにとっては、それくらいに圧倒的だった。

インスタレーションも素晴らしかった。
インスタレーションというのは、「場」そのものを総体として呈示する芸術的空間のこと。この展示会でいうと、鏡張りの暗闇の中に無数の電飾を吊るした「水上の蛍」という作品があるのだけれど、この作品が与えてくれた感動は今でも忘れない。信じられないほどに美しい空間。闇の中で自分と空間が同化していくような感覚。それは今までに触れたことのない世界で、今までに抱いたことのない感覚だったんだ。

それ以来、草間彌生さんはおれの最も好きな芸術家のひとりになった。

その草間さんが、今日の『誰でもピカソ』で取り上げられ、草間さん自身も出演されていたんだ。真っ赤な髪をして、赤に白の水玉の衣装を纏ってね。
草間さんのこれまでの人生が紹介され、草間さんの作品の数々と、草間作品の最大のテーマである「自己消滅」が取り上げられ、草間さん自身が、自分の言葉を語る。わずか1時間の番組だけれど、終始刺激的な内容だった。晩飯を食べながら観ていたのだけれど、おれの箸は止まってばかりだったよ。

草間さんを観て、思った。これこそが「生きる」ってことなんだ。
それに比べたら、おれなんか全然「生きてる」うちに入らないな、って。

水玉の幻覚から逃れる為には、草間さんには表現しかなかった。
だから草間さんは、どんな状況にあっても描き続けた。
それこそが彼女の世界だったし、そこにしか彼女の生きる世界は存在しなかった。
常に前衛的であり続けた。原体験としての水玉と網目模様に徹底的に執着し続けた。草間さんの言葉には、それは彼女にとって「生きること」そのものだったのだ、という響きがあった。その姿に、圧倒された。

番組の最後に、今回の出演の記念として、スタジオのどこかに草間さんに絵を描いてもらうことになった。草間さんは、出演者が登場する扉に、黒のペンで人間の横顔を描いたのだけれど、その絵も素晴らしかったよ。いともたやすい様子でペンを走らせ描いた3つの横顔。そして草間さんは、その傍にこんな言葉を添えたんだ。

「私は、人類最高の先駆者となる」
「無限の水玉は増殖し、永遠に栄える」

紛れもない天才だと思った。
今年は7月末から10月にかけて松本市美術館で『草間彌生 魂のおきどころ』と題された展示会があるみたい。お盆休みにでも行ってみようかと考えてます。

http://www.yayoi-kusama.jp/j/information/index.html

Wednesday, July 06, 2005

星廻り

7月4日、米国独立記念日。
この日、米航空宇宙局(NASA)の彗星探査機ディープインパクトによるテンペル第一彗星へのインパクト探査が行われた。直径1m、重量372kgの銅製の衝突体(インパクター)を探査機から放出して、彗星に衝突させる実験で、太陽系の起源を解明する手掛かりとして期待されているらしい。彗星の中には、太陽系が誕生した頃の物質が保たれていると考えられているので、インパクターの激突によって内部から噴出する物質や、露出するクレーターの構成を調査することによって、多くの謎の解明が進むのではと注目されている。激突の様子やクレーターの映像は、探査機から望遠鏡で観測されて地上に送信される他、ハッブル宇宙望遠鏡などからも観測されているそうだ。

このニュースに対して、おれとしては特別な感情もなく、淡々とTVの報道を追っていたのだけれど、うちのパートナーは、このニュースにすごく違和感を感じたそうだ。
それはあまりに愚かな行為じゃないか、と。

彼女が真っ先に考えたのは、「星廻り」ということなんだ。人類の預かり知らない流れ、見えない流れとしての「星廻り」が変わってしまうんじゃないか。彗星は誰のものでもないし、そうした人知の及ばぬ先のなにかを変えてしまうかもしれない行為をしていい理由はどこにあるのか、って。
彼女はこの時点では、今回の衝突実験によって彗星は消滅してしまうと思っていたらしい。実際に調べてみると、インパクトとしては、大型トラックに蚊が衝突するようなもので、彗星の軌道自体に影響はないようだ。すごい勘違いといえばそれまでなのだけれど、でも「星廻り」というのは、やっぱりおもしろい考え方だよね。

彗星はなくならないよ、と伝えると、彼女はこんなことを言った。
「宇宙っていうのは、きっとすごく繊細なんじゃないか」
「あらゆるものが絶妙のバランスを保っているのだとしたら、それが崩れてしまうんじゃないか」

こういうことって、あるかもしれないよね。
少なくとも、ないと言い切る根拠はないような気がするんだ。
おれ自身は、星廻りであったり、見えない「流れ」であったり、そういった感覚は強くないけれど、きっとあると思うよ。あってもいいと思う。
星廻りで生きるつもりはないけれど、結果としてそれが星廻りなのかもしれないし、それでも構わない。ただね、自分が感じないというそれだけのことで、科学が立証しないというそれだけの理由で、否定したり無視したり冒涜してはいけないなにかが、きっとあると思うんだ。

もっと言えばさ、きっとそういうものの方が多いんだよ。

Sunday, July 03, 2005

橋本のダンス

村上龍さんのエッセイ集『誰にでもできる恋愛』、読了。

もともとは、うちのパートナーが買ってきた文庫本で、薦められるままに読んだ。それにしても、相変わらず龍さんばっかり読んでいるよね。

このエッセイにおいて語られているのは、タイトルから想像するような恋愛指南では全然ないんだ。このタイトルは、「誰にでもできる恋愛などない」ということを逆説的に語ったもので、実際には「現代において恋愛がいかに困難であるか」ということが、様々な切り口で指摘されている。

この分野は得意じゃないので、あまり書きたくないのだけれど、恋愛ってとても個人的な営みだよね。そういう「個」と「個」の関係が成立する為には、そもそも「自立した個人」というものが前提になる。このエッセイ全体を通して一貫して主張されているのは、ただこの一点に尽きる。

龍さんは言っている。
夫に頼りきった主婦より、売春婦の方がわたしは好きだ、って。

おれは恥ずかしながら売春婦の世話になったことはないけれど、この気持ちはとてもよく分かるよ。精神的な、あるいは経済的な自立が出来ていないという事実は、結局のところ、お互いの関係性そのものを変質させてしまうような気がするんだ。

さらに龍さんは、こんなふうにも語っている。
「恋愛していなくても充実して生きることができる人だけが、充実した恋愛の可能性を持っている。」

この感覚は、どこまで伝わるだろう。恥ずかしいので、これ以上は書かないけれど、こういうある意味では残酷な真実をきちんと書ける作家は、決して多くないと思う。

この作品では、「恋愛」をひとつのテーマに据えながらも、日本経済や国際社会や、様々な話題が取り上げられている。その中でも興味深かったのは、橋本龍太郎のダンスについてのエッセイ。
橋本龍太郎が首相として、バーミンガムでのG8のサミットに出席した時のことなのだけれど、イギリスのブレア首相の主催でコンサートが開かれたんだ。立派な劇場の2階席に、クリントンやブレアと並んで橋本がいた。そこでね、The Beatlesの"All You Need is Love"が演奏されたんだって。その時に、クリントンやブレアは上手に身体を動かして踊っていたのだけれど、日本の橋本首相は、まるで盆踊りのように身体をくねらせて、にこにこしながら踊っていたそうだ。その様子がTVニュースで放送されたのを見た龍さんは「おぞましい、悪魔のような動きだった」と書いている。
このことが意味しているのは、橋本龍太郎という人間の国際感覚の欠如と、自分が外からどう見られているかという意識の欠落だよね。グローバリゼーションと実力主義社会が拡がっていく中で、これからの時代を生き抜く為に求められる国際競争力。日本の総理大臣に、そのことがまったく認知されていなかったという事実は、ある意味で決定的だったと龍さんは考えている。なぜなら、そういう国際競争力を備えた、恋愛の対象となりうる男性というものが、日本において絶滅寸前の状態に陥っている、ということを、あの橋本のダンスが象徴していた、というわけ。

「これから日本の女は恋愛をあきらめるのではないか」
「橋本は踊るべきではなかった。これで少子化と老齢化社会がいっそう加速するだろう」

最後には、ここまで書いてしまうのだからね。
もちろん賛否両論あるとは思う。この考え方が全てではないし、エッセイとして纏め上げる為のデフォルメが加えられているので、批判的な見解は大いにあり得ると思う。でも、TVニュースで流れたおそらく数秒のダンスから、ここまで思考を拡げていく人間がいる、ということはやっぱり凄いと思うよ。単なる笑い話で終わってしまうようなところから、「じゃあ、あなたは国際競争力、持ってますか」という危機感まで繋げていくのだから、やっぱり刺激的なエッセイです。

すぐ読めるし、なにより単純に面白い。恋愛のことはとりあえず置いておいても、十分に刺激的なエッセイ。いちど手に取ってみてもいい作品だと思うよ。

総括

土曜、日曜と連戦。
タマリバクラブのメンバーとして、初めて試合に出場することができた。

7/2 ピッグノーズ10's @岩崎電気(株)茨城製作所ラグビー場

午前10時頃に自宅を出て、電車に揺られること2時間半、茨城県真壁郡大和村というところに向かう。大和村は予想以上の田舎で、無人駅を降りるとすぐ目の前はもう林だ。脇の小道を15分ほど歩き進めると、岩崎電気のグラウンドが見えてくるのだけれど、それ以外には本当になにもない村で、コンビニはおろか、道といえる道がないんだからね。もともと何も知らなかったおれは、出場の意思表示をした時には、東京で開催される大会だと思い込んでいたんだ。まさか遥か茨城まで来ることになるとは思ってもいなかったのだけれど、こういうのもクラブラグビーの醍醐味かもね。

肝心の結果はというと、優勝。
あまり強いクラブもなくて、順当に勝利した感じだった。
おれ自身はというと、1回戦から決勝までの3試合全てで、前半のみの出場。ハーフの7分(決勝は10分)に集中して、とにかく走り廻るようにとの指示があったので、そのことだけを考えてプレーした。
全体としての出来は、まずまずかな。特にミスもなかったし、タマリバでの初めてのゲームにしては、コミュニケーションもスムーズに取れたように思う。ただ、相変わらずフィットネスが足りてないね。いつも課題は同じ。とにかくフィットネスが戻っていない。たかだか10分なんだからさ、もっと自分から仕事を探していかないとね。
ちなみに、この日は2つ嬉しいことがあった。
ひとつは、また知り合いが増えたこと。この日初めて会ったSHの泰さんは、学生時代にヤオさんや作田さんと一緒にプレーしていたんだよね。試合が始まる前にいろいろと話をしたのだけれど、こういう瞬間に、社会人での3年間がおれの可能性を拡げてくれたことをすごく実感するんだ。おれにはこれまで、ラグビー界の知り合いが全然いなかったのだけれど、社会人ラグビーを経験したことによって、こうしてクラブに来ても、思わぬ方向から繋がっていったりするからね。
もうひとつは、素晴らしいタックルを見たこと。BKの中心メンバーのひとり、竹山選手の抜群のタックル2発ね。
これには痺れた。決して身体は大きくないけれど、抜群のタイミングで刺さっていた。なにが凄いって、ターゲットを決めてからツメ切るまでのスピードと加速力が際立っている。先にスペースを奪って、相手のパワーが最も弱い瞬間を狙って矢のように刺さるあのタックルは、相当のものだったよ。あの感覚を、おれも盗んでいきたいね。

大会の決勝は、T2K(Team 2000)との試合になったのだけれど、このチームはなかなか面白いメンバーだった。東田さんとか、三洋電機の21歳の新外国人とか、社会人のトップチームのOBが多数名を連ねるチームで、とても豪華な顔ぶれだった。T2Kは毎年この大会に参加しているそうで、昨年の決勝では、オト3兄弟の活躍もあって、タマリバを29-14で破っているらしい。今年はオト3兄弟も参加していなかったし、40歳以上のメンバーもいて、平均年齢もだいぶ高かったので、全体としてのチーム力でタマリバが上回ったということだと思う。

そんな訳で、なかなか楽しい大会だった。
でもやっぱり、おれには15人制の方が向いているような気もするね。


7/3 vs立正大学 13:00K.O. @立正大学熊谷グラウンド

昨日からの連戦。
昨日は10人制だったこともあって、実質的にはタマリバクラブでの「緒戦」だと思って、気持ちを引き締めてゲームに臨んだ。インサイドCTBでの出場ということもあって、とにかくタイトで激しいプレーをしようと。そして、秋の公式戦でチャンスをもらう為に、なんとかアピールしようと狙っていた。

結果はというと、残念ながら負けてしまった。
正確なスコアは覚えていないけれど、36-19くらいじゃないかな。

悔しい。絶対に勝ちたかった。勝てるゲームだと思う。
でも、結果がすべてを物語っている。悔しいけど、まだこんなものなんだね。
確かにスカーという外国人FWはパンチのあるプレーヤーだったし、密集でもしつこいプレーをしてくるチームだったけれど、でも敗因はきっとそこじゃない。正直言って、どこで負けたのか反省がきちんと出来ていないのだけれど、タマリバ側のちょっと緩い部分を、相手はきちんとスコアにしていった、というだけのことだと思う。
おれも、いちど抜かれた。SO福田さんのキックをキャッチして突進してきたスカーにやられた。膝に飛び込んだけれど、すり抜けられてしまった。あのレベルの選手は、今はどのチームにもいる。再来週には八幡平遠征があって、釜石SWとのゲームが組まれているけれど、あいつが倒せなかったら、釜石SW戦も同じことになるよね。だから次は、もっと集中力を持って、もっと踏み込んで、もっといいタックルをしたい。
それから個人的には、絶好のトライチャンスをひとつ逃してしまった。
敵陣ゴール前の右オープンから、昨年までのチームでいう「B」で完全に抜けたのだけれど、スピードに乗り過ぎて、転んでしまった。ここは大事なポイントなので繰り返しておくけれど、「スピードに乗り過ぎて」転んでしまった。自信を持っているプレーだし、我ながら切れてたんだけどね。あれは惜しかった。

とにかく、まだまだです。
もっと仕事して、もっと走って、もっとアピールしないと、タマリバでのチャンスは掴めそうにないね。そんな訳で、これからもモチベーションを高く持って、「上手くなる為に」練習をしていこうと思ってます。

Friday, July 01, 2005

国体に向けて

今年の8月、国体の関東予選がある。
おれは昨年に引き続いて、千葉県代表のメンバーとして参加するつもりだ。

国体の千葉県代表は、昨年までおれが所属していたチームと、習志野自衛隊ラグビー部の合同チームで構成されている。うちのチームからは、現役が数名と、OBが10名程度参加することになっているのだけれど、おれは比較的若手で動けるOBということで、チームのスタッフから声を掛けてもらったんだ。

千葉県代表、いいじゃん。ラグビーやってて、初の代表だよ。
社会人チームのメンバーの中にはごろごろいた高校ジャパンや、U19代表や、関東代表や、さらには日本代表や、そういった格好良いものでは全然ないけれど、おれの身の丈には丁度いいよ。ラグビーにおける国体の位置づけは低いけれど、「国民体育大会」なんだからさ、胸張ってやろうと思っています。

そんな訳で、今日の業務終了後に、約半年ぶりに八千代台のグラウンドに足を運んだ。7月の中頃からは、毎週木曜日の業務終了後に、国体に向けた練習を行うことになっているのだけれど、今日がその1回目の集合日だったんだ。仕事との兼ね合いもあって、どうしても時間は遅くなってしまうけれど、やっぱり平日に練習できるのは素晴らしいことだよね。

今日は残念ながら、あまり人数が集まらなかったのだけれど、高校生とのタッチフットは楽しかった。1時間ほどだったかな。フィットネスはそう簡単には戻らなくて、結構しんどかったけれど、それ以上に、木曜日にボールを持って走れることの歓びの方が大きかった。今後の練習にも、出来る限り参加していきたいと思ってます。

タッチフットは、ヤオさん、干城さん、小川さん、工藤さんといった、昨年まで一緒にプレーしていた先輩が加わってくれたのだけれど、やっぱり巧いね。ああいう軽やかでセンスを感じさせる動きは、クラブラグビーではあまり見掛けることがない。小川さんがきちんと外に余らせて放ったパスがあったのだけれど、あれなんか抜群だった。せっかくタマリバで練習を続けていくのだから、ああいうパスが放れるセンターを目指して練習しないといけないね。

それから、久しぶりに昨年までのチームメイトと顔を合わせることが出来たのも、個人的には良かった。クラブとはいえ、上手くなる為のラグビーを続けているおれにとって、社会人でトップリーグを目指すチームのメンバーというのは、十分に刺激的だからね。ただ、皆が口を揃えて「痩せた」と言うのは、やっぱりちと悔しかった。本人が思っている以上に痩せたんだろうね。今の状況では、なかなかウェイトに時間を割けないのだけれど、なんとかラグビーに必要な最低限の筋力は維持しないといけない。週に1回でも、毎週続けることが出来れば、かなり違うかもしれないからね。(意外と難しいんだ。)

そんな訳で、7月中旬からの木曜日は、出来る限り八千代台のグラウンドに足を運ぼうと思ってます。

Tuesday, June 28, 2005

子供はおもしろい

お客様先へと向かうバスの中でのこと。
バスには4人掛けのボックスシートがあるのだけれど、おれの向かいに2人の小学生の女の子が座ってたんだ。たぶん1年生か2年生くらいじゃないかな。ふたりは仲良しらしく、楽しそうにおしゃべりをしていたのだけれど、それがおもしろくて。

「ねぇ、世界でいちばん嫌いなのってなーに?」
「んー、ないなぁー。・・・キムチ?」
「えー、ちがうよー。『もの』じゃなくて、『こと』だよ」
「『こと』かぁ・・・」
「あたしはね、宿題」
「えー、なんで?」
「だってね、勉強はね、学校でやってね、宿題はね、家でやればいいんだけどね、時間のムダだしね・・・」
「でもー、例えばねー、クロスワードみたいなのがあってね、それでね、数字を埋めていってね、計算とかしてね、それでね、ああやってこうやってね、そんなのだったら、おもしろいでしょ」
「ちがうよー、それは『遊び』じゃん」

子供って、おもしろいね。
まず、世界でいちばん嫌いなのが「キムチ」なんだからさ。今となっては、小学生の頃の自分がなにを考えていたかなんて、全然思い出せないけれど、お化けとか、ゴリラとかさ、もっとあるような気がするよね。
これだけでも十分に微笑ましい話なのだけれど、その後のやりとりにはちょっと感心してしまった。「それは『遊び』じゃん」っていう、そのことばがとても良かったんだよね。
だって、その通りだよ。遊びだと思う。これは、ラグビー部のメンバーが「練習」という名の遊びをしているのと同じことだよね。こうやってやる宿題は、きっと身になるんじゃないかと思う。
この女の子は、漢字ドリルが嫌いなんだって。きっと、ただの作業だとしか思えないんだろうね。そういえば、漢字ドリルはおれも大嫌いで、実はほとんどやらなかった。おれは小さい頃、新聞のスポーツ欄で漢字を覚えたんだ。小学校の低学年の頃から、スポーツ欄だけは隈なく読んでいたので、漢字なんて知らないうちに覚えていたよ。

遊びにしてしまう、というのは、かなり本質を射抜いているよね。
そんな子供の発想に、ちょっと感動です。
キムチ、食べられるようになるといいね。

Sunday, June 26, 2005

WMMへ

練習@保土ヶ谷公園ラグビー場、9:00 - 12:00

昨日、今日と暑い日が続いている。今の自分の状態だと、2日連続の練習に加えてこの暑さとなると、正直応えるね。しかも、保土ヶ谷で9:00だよ。6:30に起きて朝飯を食べて、家を出たのは朝の7:00だからね。ふだん会社に行く時よりも早いのだけれど、こういう時に限ってちゃんと起きちゃうから不思議だよね。

練習は、相変わらずのメニュー。自分の課題も相変わらずで、仕事量がまだ少ないことだね。フィットネスの低下に加えて、今日はうだるような暑さだったこともあって、思った以上に足が止まってしまった。自分が意図しているプレーの半分くらいにしかコミットできていない感じがする。こればかりは、もう一度時間をかけて、フィットネスを戻していかないとどうにもならないね。来週は10人制のゲームもあるようだし、それまでの1週間の間に少しでも走る時間を作って、自分で持っていくしかないと思っている。

練習中もAチームのメンバーは、やっぱりよく走っている。さらに言うと、走るタイミングがいい選手が多い。プレーが連続して息が乱れている時でも、チャンスとみるとすっとスピードを上げていく。社会人でも同じことをよく感じたけれど、上手い選手を見ていると、走るべきポイントがよく分かっている感じがする。それに対して、自分の走り方を考えてみると、そうやって狙う意識は全然足りていない。それに、せっかく走っている時でさえ、密集でだぶついてしまうシーンが結構多い。大西さんが見ていたら、確実に切れられてるね。

今後は、そういう部分をもっと考えて練習したいと思ってます。

それから、ひとつ嬉しいことがあった。
今日の練習には、3年前まで重工相模原に所属していて、今はタマリバでプレーしている山本肇さんが参加していた。これまで特に接点があった訳ではないのだけれど、いい機会だと思って、練習後に話し掛けて、挨拶をしたんだ。社会人を引退してからの経緯をひとしきり話した後、先日の駒場WMMとの試合のことが話題になった。肇さんもこのゲームにタマリバのWTBとして出場していたからね。
「いやー、あのチームは強かったよね」
肇さんは、そう言ってくれました。これは、本当に嬉しかった。タックルは凶器だった、とも言ってくれた。厳しいゲームだったけれど、なんとか勝利を掴んだことで、WMMはクラブラグビーでの認知度を高め始めたのだと思うよ。あの時ゲームに出ていたメンバーにとっては、きっと自信に繋がる言葉だと思う。おれ自身もWMMのCTBとして出場していた身として、すごく嬉しかった。

でも、あのゲームは通過点だよね。
クラブラグビーという限られた時間だけれど、お互い切磋琢磨して、やっていきましょ。

Saturday, June 25, 2005

カルチャー

練習@辰巳の森海浜公園、13:00 - 16:00

タマリバの練習に参加するのは、今日が2回目なのだけれど、だいぶ違和感なく入っていけるようになった。相変わらず練習ではよく走るし、加えて今日のような暑さだと相当しんどいけれど、自分が上手くなる為の練習が出来る数少ない環境だと思うし、ポジティブに取り組めている気がする。
今日の練習メニューは、基本的に前回と同じだった。ルールを様々に変えながら、タッチフットをしばらく続けた後で、10分×3セットのミニゲーム。前回の練習と比べると、グランドにいる人数も少なかったし、全体的にコンタクトプレーが緩かったような気もするけれど、得るものも多い練習だった。とりあえず今のおれは、フィットネスが圧倒的に足りてないね。すぐに足が止まってしまう。平日にどれくらい時間を取れるか分からないけれど、なんとか自分で補っていかないと、ちょっとまずいなと思っている。

でね、今日はひとつ思ったことがあるんだ。
それは、「カルチャー」ということ。
高校からラグビーを始めて大学、社会人と続けてきたけれど、それぞれのチームに「カルチャー」というのがある。そして、その中でも大学ラグビー、社会人ラグビーで所属した2つのチームは、独特なカルチャーを持つチームだったように思う。
大学時代のチームには、「いかに弱者が勝つか」という風土があった。これは、おれが2年の時から指導にあたってくれた水上さんの思想によるところが大きいと思う。これは言い換えるなら、前提を受け入れた上で、その中で「勝つ為の戦略」を徹底的に突き詰める、という方向性だと思う。この頃の経験は、その後のおれの生き方を方向づけることになったし、そのことを教えてくれた水上さんを、おれは今でも尊敬している。そしてもうひとつ、このチームには「魂では絶対に負けてはいけない」というカルチャーがあった。例えばタックルでは、「刺さる」ことに最も重きが置かれた。このふたつの要素から必然的に受け継がれることになった典型的なプレーが「東大型シャロー」だと思う。少なくともおれは、シャローは嫌いじゃないけれど。
社会人のチームは、「いかに強者になるか」をいつも志向していたような気がする。15人のベストプレーヤーを揃えれば、それがベストチームだ、という考え方だったと思う。強者がいつだって勝つ。これが全ての前提だった。だから、全てのトレーニングは、基本的には「強者になる為に」行われていた。そして、強者の条件のひとつとして「安定感」を強く求めた。魂を持って臨むのは、グランドに立つ上での前提であって、特別なことじゃない。それを常に持続し、安定したパフォーマンスを発揮できなければ、トップレベルでは闘えない。こうした「強さ」こそが求められていた。

もちろん、こういう書き方は誤解を招くかもしれない。人それぞれに感じ方は違うだろうし、実際にはこれほど単純に色分け出来ないだろうと思う。正確でないところもあるかもしれない。でも、少なくともおれはそう感じたし、このカルチャーの違いは、おれにとってものすごく大きかった。そして、大学ラグビーを終えた後に、こうした異なるカルチャーのチームに所属する選択をしたことは、結果的におれの財産になった。
なにが言いたいかというと、それは唯一の方向性ではなくて、ひとつのカルチャーだと思えた、ということなんだ。おれは社会人でプレーを続けたことによって、学生時代を相対化できた。あの頃のカルチャーや方向性、水上さんが全身全霊を込めて注ぎ込んだ魂は大好きだったし、今でもおれの心の支えだけれど、一方で、当時の自分にはそのカルチャーに甘んじていた部分がある、という事実にも気づくことが出来た。

水上さんは、本当にたくさんのことを教えてくれた。闘うためのメンタリティと、豊富な経験に裏打ちされた基本スキルを、当時の東大に叩き込んでくれた。でも、水上さんの底は、もっと全然奥にあることが、社会人を経験したことで初めて分かった。水上さんの頭の中にはきっと、もっとたくさんの選択肢が用意されていたと思うし、もう一歩踏み込んだレベルまで見据えてコーチングすることも出来たのだと思う。そういう底の深さを持ちながら、当時の東大の状況やレベル、メンバーの個性を考えて、水上さんは意図的に教え方や、教えるプレーを選択したのだというふうに、おれは考えるようになった。そう感じることが出来たのは、やっぱり社会人ラグビーを経験したからだと思う。

そして、タマリバ。
このチームにも、独特のカルチャーがある。今日の練習には、SOの福田さんが参加していたこともあって、そういう一面を強烈に感じた。福田さんは、タマリバや当時の早稲田の魂を象徴したような人だからね。
ラグビーには、いろんな考え方や方向性があっていいと思う。大きくて速くて巧いやつが勝つ、というだけなら、そういう選手だけを引っ張ってくればいい。様々なカルチャーがあって、様々な可能性があるはずだと思う。その時にさ、それを「カルチャー」だと考えられるようになったのは、ひとつ大きな変化かなと思って。他のカルチャーに触れてきたからこそ、相対化できる部分というのがあるし、それはラグビーを考えるひとつのきっかけにもなるからね。

とりとめのない文章になってしまったけれど、ラグビーにおける「カルチャー」ということを感じた1日だった。

Friday, June 24, 2005

che

うちのパートナーは、本を薦めるのが結構上手い。
よく一緒に本屋さんに行くのだけれど、特に狙っている本もなくて、あてもなく探している時に、「これ、どう?」と何気なく薦めてくれる作品が、その時のおれの気分にぴったりとフィットすることが多くて。
随分前になるけれど、そんなふうにして読みはじめて、心を鷲掴みにされてしまった作品があるんだ。
それが、戸井十月さんの『チェ・ゲバラの遥かな旅』—

1959年1月1日、アメリカの傀儡だったバティスタ独裁政権が、フェデル・カストロ率いる人民軍によって打倒された。このキューバ革命において、カストロと共にゲリラ戦を率いて、サンタクララの決戦を見事に勝利へと導いてみせた伝説的な革命家、それがエルネスト・チェ・ゲバラ。戸井さんの作品は、そのゲバラの生涯を辿っていくように、彼の生い立ちからボリビアでの早すぎる死までを丹念に綴ったノンフィクションだ。
ゲバラという人間の、その溢れんばかりの夢。飽くなきまでの理想の追求。軍事政権の圧政に苦しむ世界中の人々の為に、惜しみなく己の全てを捧げてみせる、その生き方。どうしたって心を揺さぶられるゲバラの魅力、39歳という若さでこの世を去ったカリスマを、現在も幾多の人々が慕い続けている理由が、この本には詰まっている。
ゲバラは、もともとキューバの人間じゃない。アルゼンチンの裕福な家庭に生まれた、喘息持ちの少年だった。喘息には幼い頃から悩まされ続け、結局彼はその苦しみと生涯に渡って付き合っていくことになる。革命の最中にあっても薬を手放すことの出来なかったゲバラだけれど、彼は子供の頃、咳が止まらないのを見て薬を飲ませようとした父親に対して、「限界まで薬を飲ませないでくれ」と言って、自分が本当に耐えられなくなるまで、決して薬を飲もうとしなかったそうだ。生きる為に、この病に勝ってみせたい、という決意。幼少期にして既に、そこまでの矜持を持っていたと知って、本当にただ驚くばかりだ。
ゲバラは学生時代、先輩のアルベルトと共に、バイクでの南米大陸横断の旅に出る。映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』は、この旅をめぐる物語がモチーフとなっているよね。この旅を通じて彼は、南米社会の現実の姿を目の当たりにし、己の知見と信念を確固たるものにしていく。そして後に、フィデル・カストロというもうひとりのカリスマと出会い、キューバ革命運動に参画していくことになる。
アルゼンチン人のゲバラが、キューバ国民を解放する為に、身を挺してゲリラ戦争を率いる。国籍などで枠に嵌めることなど出来ない、その大いなる理想と志。己の信念に対する純真を失うことなく、その実現の為に自ら先頭に立って行動していくその生き方は、きっと多くの人間に勇気を与えたはずだと思う。

キューバ革命を成就させた後、ゲバラはカストロへの「別れの手紙」を書いて、己の理想の為に闘い続ける道を選ぶ。そして、ボリビア革命運動に参加するのだけれど、その戦場にあってボリビア軍兵士に捕えられ、39歳という若さで還らぬ人となる。

その早すぎる死は、確かにゲバラのカリスマ性を増幅させたかもしれない。ゲバラの描いた社会主義という理想郷に対して、一線を引いてしまう人も多くいると思う。でも、それでもゲバラの魅力は決して色褪せない。少なくともおれは、戸井さんの作品を通じて知ったゲバラの姿に、強く心を揺さぶられたし、死後30年以上を経た今もなお、ゲバラを慕ってやまない人間が数多くいることが、ゲバラという人間の持つ輝きが圧倒的だったことを示していると思う。

今、おれの部屋に1冊のフォトブックがある。以前に渋谷で開催されたチェ・ゲバラ写真展に行った時に、会場で買ってきたものだ。この本のいちばん最後の方に、ゲバラの顔写真のプラカードを掲げたキューバの民衆が、列を成して行進していく姿を撮った写真があるのだけれど、会場でこの写真を目にした瞬間、おれは本当に涙が出そうになった。ひとりの革命家が、これほどまでに愛され、慕われているのだと思った瞬間、抑えられない感動に胸を打たれた。

ゲバラが今でも多くの人間の心を揺さぶるのは、きっとその思想ではなく、その姿勢。描いた理想ではなくて、理想の為に生きたその生き方だと思う。だから30年以上の時を経た現代においても、色褪せることがないのだろう。

ゲバラのことを知らない人がいるなら、彼の写真を探してみてほしい。比較的大きな書店であれば、ゲバラのフォトブックは幾らでも置いてある。それから、壁一面にゲバラの肖像画が描かれたビルが建っている、キューバの街並を収めた写真を探してみてほしい。あれほど輝きを放った目をしている人間は他にいないと思うし、あの街並を見たならば、きっとキューバに行きたくなると思う。なにより単純に、格好良いからね。

だからおれは、いちどキューバに行ってみたいと、本当に思ってます。
ゲバラの生きた世界の空気をこの胸に吸ってみたいと、よく空想しています。

某先輩の挑発に、見事に乗ってしまったね。

「おれのプロ」再考

久しぶりに、本を買った。
松永真理さんのエッセイ集、『なぜ仕事をするの?』

松永真理さんといえば、やっぱり『iモード事件』が有名だよね。"iモード”の名付け親として、その新しいサービスが誕生するまでの顛末を綴ったこの作品は、過去に単行本で読んだけれど、とてもおもしろかった印象が残っている。そんな松永さんが、仕事に対するスタンスを問いかけたこのエッセイ集のことは、実はずっと前から気にはなっていたのだけれど、なぜかいつも、まだ手に取るタイミングじゃないような気がして、今日まで読めていなかったんだ。
本と出会うタイミングというのは、とても大切だと思う。興味があっても、なぜかレジに持っていけない本って、結構あるよね。特に深く考えるわけでなく、なんとなく「今じゃない」と思ったり、あるいは、それまでと変わらずに書棚に並んでいたはずなのに、ある時突然のように目に留まったりもする。本には、不思議とそういう引力のようなものがあると思う。まあでも、今になってこの作品を手に取るあたり、おれも悩んでいるのかな。

それで、松永さんのエッセイ集。
まだ買ったばかりで、1/3も読めていないけれど、ひとつ印象に残ることばがあったんだ。
世間一般の思い描くような「ふつうの姿」(それが何を意味するのかは、突き詰めるとよく分からないけれど)を目的に置くのではなくて、「自分自身」のために生きることを目的にしようと、22歳の時に決意した松永さんは、以後18年に渡ってビジネスの世界で活躍していくことになるのだけれど、その18年の経験の中で、こう考えるようになるんだ。
退屈するかしないかの違いというのは、プロかアマチュアかの違いなんじゃないか。そして、プロの条件というのは、やることを自分で見つけて、そこに向上心を持って、かつそれを持続できることではないか、って。

以前この場で、書いたことがある。
すごい人はたくさんいるけれど、おれには彼らと同じことは出来ない。でも逆に、おれにしか出来ないことだってある。だからおれは、「おれのプロ」を目指さないといけない、って。宮藤官九郎の言葉に惹かれた時だったね。
松永さんの言葉から発想していくと、おれのプロであろうとするならば、「おれが」やることを、おれ自身で見つけないといけない。おれがやること。それに対して正直に生きていれば、途絶えることのない向上心なんて、勝手についてくるような気がする。
だから、きっとプロは誰だって「おれのプロ」なんだ。

やることは、なんだっていいんだ。大切なのは、自分の正直に対して、そして自分の不正直に対しても、決して目を逸らさないことだと思う。そして、徹底的に自分の「正直」を突き詰めていくんだ。おれが自分で選んで進んでいく、おれの人生だからね。

そんな訳で、改めておれは、おれのプロを目指すことにします。

Thursday, June 23, 2005

抵抗勢力

社内のある方と仕事の打ち合わせをしていて、思ったことがある。
おれ自身が、抵抗勢力になりかけてるかもしれない。

実は今、お客様に対してある提案をしようとしている。その為の準備として、今日の夕方、ご提案ソリューションの担当者と打ち合わせをしたのだけれど、その打ち合わせにおいて、担当者と自分との間で意見が食い違ったんだ。
この担当者はスキルも高く、経験豊富なスペシャリストだった。それに対しておれはと言うと、残念ながら圧倒的なスキル不足が否めない若輩者、といった感じだ。なので、基本的におれとしては、担当者のスキルと成功体験をうまく活用できるような方向に進めていきたいと思っていた。
ただ、担当者とおれとでは、立場が違うんだよね。この担当者のミッションは、担当のソリューションを拡販すること。それに対しておれのミッションは、特定のお客様に対してサービスを提供すること。だから、おれの方が立場上、お客様に近いわけ。そうすると、お客様が現在置かれている環境や、お客様のカルチャー、あるいは経営上の課題やニーズといったことについては、当然ながら、おれの方が深く理解していなければならないよね。それは会社がおれに課している責任だと思うし、実際におれの方が状況を把握している、という自負もあるんだ。(とはいえ、必要なレベルにはまだ全然到達しないけれど。)

ただ、それ故に思ってしまうことがあるんだ。
はっきり言ってしまえば、提案の困難さだよね。

この担当者は、すごく大きなビジョンを持っていた。それは単なる夢物語で終わるような話ではなくて、具体的な筋書きを持ったビジョンだった。お客様の発した言葉に単純に応じただけの提案をするのではなくて、そこからより大きな絵を描こうとしていた。それはとても正しい態度だと思ったし、この方の高いスキルがあればこそのブループリントだった。
でもおれは、その時に別のことを考えてしまった。それは、過去の経緯。ここ数年続いている厳しい環境を考えた時に、どうしてもそのブループリントをお客様にぶつける「難しさ」が先に立ってしまったんだ。これまで幾度となく、同じような提案が浮かんでは消えていった。その呪縛からおれは、どうしても抜け出せなかった。そして結局、1時間以上も続いた打ち合わせの中で、明確な方向感も出せないままに終わってしまったんだ。

帰ってきて考え直すなかで、思った。おれが抵抗勢力になってる、って。
そして、うちのパートナーの「別に失うものもないし、やり方変えて失敗してもいいじゃん」って言葉を聞いた時に、その思いはさらに強くなっていった。抵抗勢力って、いちばん嫌いだったのにね。
やってみなきゃ、分からない。「難しい理由」から始める必要はないんだ。

そのことに気づくきっかけを与えてくれたことが、今日いちばんの収穫でした。

Sunday, June 19, 2005

友達へ

結婚おめでとう。

あのタックルとセービングは、トップリーグでも充分に通用したはずだと、今でも思ってます。

四股を踏む

昨日のことだけれど、実は新宿のクラブに行ってきた。
別にクラブに行きたかった訳ではなくて、そこで開催されたイベントが目的なんだ。
現役力士ブロガー「普天王」のどすこい異業種交流会、ってやつね。

このイベントのことを知ったのは、先輩の祐造さんから届いた案内メールがきっかけ。祐造さんは、「チーム普天王」と呼ばれる普天王関のサポートメンバーの1人なんだ。チーム普天王のメンバー5名のバックグラウンドは様々で、それぞれが自分の専門分野を生かしたサポート活動をしているらしい。その中で祐造さんは、自らが開発したスポーツ映像分析ソフト"Power Analysis"を活用して、普天王関の取組の分析をしているんだ。(相変わらず、この人の行動力と実行力には驚かされてしまう。)

普天王関は、先の五月場所で11勝4敗の好成績を挙げて、敢闘賞を受賞している。今は前頭10枚目だけれど、来場所には大きく番付を上げてくるみたい。結果が全ての厳しい相撲の世界で、白星を重ねて這い上がり、こうして自分の地位を築いていく。そして三賞受賞。角界に挑みながら、最後まで入幕できずに引退していく力士がどれほどいるだろう。それを考えただけでも、本当にすごい結果を残していると思う。

そんな普天王関の「もっと多くの人に相撲を好きになってもらいたい」という思いから始まった、このイベント。いい機会だし、ある意味チャンスかなと思って。祐造さんのメールを読んだ瞬間に、ほとんど即決だった。それで、うちのパートナーと、昨年までのチームメイトを誘って、一緒に行ってきたんだ。


感想はというと、正直に言ってしまうと、ちょっと微妙な感じだった。
少なくとも、イメージしていたものではなかったかな。

とはいえ、おれ個人としては、それなりに楽しかったんだ。祐造さんが運営に携わっていることもあって、関わりのある人達が結構いたからね。
例えば、栄養士の生天目さん。おれが引退した後のことだけど、東大ラグビー部の栄養面のサポートをしてくださっていて、社会人ではNECグリーンロケッツの栄養士をしていたこともあるんだって。今は法政大学のラグビー部のサポートをしてる、って言ってた。ラグビーの世界に繋がりがとても広く、とても気さくで格好良い女性。たくさん話せて楽しかったです。松岡さん誘って、呑みにでも行きたいですね。
それから、タニくんが来てくれた。うちのパートナーの高校時代の後輩で、大学の山岳部では、見事に8,000m級を踏破してしまったすごい経験の持ち主。タニくんと会うのは1年振りくらいで、しかも昨日が2回目だったのだけれど、話していてすごく楽しかった。最近はほとんど山に行っていないようだけれど、ライターの仕事が充実しているみたいで、いい表情してたね。
他にも大学の後輩や、学生時代にお世話になったマネージャーさんも参加していて、久しぶりに会った人も多かった。そういう意味では良い機会だったし、悪くなかったんじゃないかと思う。

でも、イベント自体の微妙な感じというのは、やっぱり拭い難いものがあった。
それはたぶん、「異業種交流会」というところから来ていたような気がするんだ。
異業種交流というと聞こえはいいけれど、実際に会場で繰り広げられていたのは、「交流」とは異なる感じだった。もちろんそれが全てではないし、実際の交流も盛んに行われていたと思うけれど、違和感を感じるシーンが多かったのは事実だ。
交流には、パワーがいると思うんだ。交流するふたりの間を流れるものって、刺激だと思う。自分と違うフィールドにいるやつの生き方や、考え方や、人間的魅力や、試みや、そういったものが刺激となって、自分の心に流れ込んでくる。でも、相手が刺激を発してくれるのは、自分の中に相手を刺激させるなにかがある時だと思う。
パワーがなかったら、交流なんて出来ないんじゃないかな。
名刺交換をすることが交流じゃない。一方的に自分を宣伝して、ここぞとばかりにエゴの押し売りをするのは、「交流」を誤解しているんじゃないかと思う。
タニくんの紹介で知り合った編集者の紺野さんは、そのことをして「なるほどレベル」と表現していた。

とりあえず乾杯をする。名刺交換をして、話し始める。「今わたし、ある大学のサークルに所属していて、メンバーの皆とこんなプロジェクトをやっているんです。こんな理想を持って、皆で楽しく運営していて、だからあなたにも是非来てみてほしい。」
そして、答える。「なるほど」って。

誰とでも交流なんて出来ない。交流するには、パワーがいるんです。
詳しくは知らないけれど、「チーム普天王」のメンバーだって、普天王の心意気に惚れ込んだからこそ、それぞれが自分のエネルギーを注ぎ込んでサポート活動を行い、交流をしているのだと思う。イベントの出発点だって、きっとそこにあったはずだから。異業種交流会によって、交流の難しさを知る、というのも皮肉な話ではあるけどね。

でもね、嬉しかったこともあるんだ。
ひとつは、普天王関と握手をしたこと。名刺を渡して、手形の捺された色紙を貰った。スポーツの世界で輝きを発している人に出会うのは、とにかく単純に嬉しいよね。
そしてもうひとつは、四股を見たこと。イベントの最後に、ステージの上で普天王関が四股を踏んでみせたのだけれど、それが本当に良かった。どっしりとして、安定していて。本気で踏んだものではないかもしれないけれど、必ずしも相撲に興味があって参加している人達ばかりではなく、イベントにおける相撲の位置づけが曖昧になっていた中で、あの四股を目の当たりに出来たのは、純粋に嬉しかった。
2時間半のイベントの中で、最も感動したのが、あの四股だったよ。今の位置まで駆け上がるのに、何度四股を踏んできたんだろう。笑顔で踏んでくれた四股だけれど、その安定感の後ろにあるものを思った時に、「凄さ」を感じずにはいられない。

あざーす。
次の場所での活躍、期待しています。

Saturday, June 18, 2005

その先を考える

"Three Questions"という考え方があるらしい。
同じチームのメンバーとして一緒に仕事をしている先輩が、教えてくれた。

"Three Questions"というのは、『三度「なぜ」を考える』ということ。
三度考えれば、大方の問題はクリアできるはずだ。そして、それは裏を返せば、三度問うまでは簡単に分かった気になってはいけない、ということでもある。仕事上のトラブルがあって、解決が困難な問題が発生したときに、そんなことを話してくれた。

いい言葉だと思う。
なにか問題が起こったとする。誰だって、まずはその原因を考えてみるだろう。でも、そこで思い至った原因の先まで、さらに掘り下げていく。原因というのは、なにか別の原因から導き出された結果だからね。そうやって因果関係を辿っていくことで初めて、その問題を引き起こした本当の原因が見えてくる。そこまで遡らなければ、きっと同じ問題は繰り返されるだろうし、本質的な意味での「対策」というのは浮かび上がってこないと思う。

でも、この先輩のことばの肝は、そこじゃないんだ。
忘れてはいけないのは、「三度考える」のはとてもタフな作業だ、ということ。
考えるのは、分かりたいからだ。でも、分かるまで考え続けるというのは、本当にしんどい作業だと思う。最後まで分からないかもしれない。分かったつもりになる方がずっと簡単だし、それに、分かった気にさせてくれるものは、至る所に転がっている。
例えば、慣習やルール。今までそうだった。ルール上そうなっている。こう言い切ってしまうことで、分かった気になってしまう。こういう態度は、会社組織にはとても多いよね。決してその先に踏み込んでいこうとしない。なぜ今までそうしてきたのか。その背景にはどういった目的があって、どういった風土が影響しているのか。そして、今後もその慣習を続けていくことは、本当に適切な態度なのか。そうやって問い進んでいくことをせずに、慣習やルールで片付けてしまうことが、どれほど多いだろう。

この言葉を教えてくれた先輩は、言ってた。「問い続けるのは、お客様の為だ」って。お客様にご迷惑をかける可能性のある問題が起こった時に、分かったつもりで終わってしまったら、本当の意味でのお客様への貢献など出来ない。そしてこの先輩は、さらにこう付け加えた。
「お客様が困るか、自分が困るか。自分が困るだけなら、大したことじゃない。」
つまり、情熱。
実際には、解決しない問題だってあるかもしれない。でも、根本まで踏み込んで問題を解決しようと努めなかったら、お客様に迷惑をかけることになる。お客様の為に、情熱を持って仕事しているからこそ、この先輩は三度考えるんだ。
そのことを目の当たりにして、本当にすごいと思ったよ。
ちょっと困っちゃうくらい話の長い先輩だけど、その情熱を、単純にすごいと思った。

"Three Questions"の先にあるのは、情熱。
本質をつかまえたいという強い意志と、問い続けるタフネス。
きっとそれこそが、「考える」ということなんだね。

Thursday, June 16, 2005

Japanese

パートナーのアトリエを作っていて、思ったことがある。
それは、「日本語」という特殊性と、閉鎖性。

アトリエには、"Flickr"というフォトシェアリング・ツールを使っている。Flickrを選んだのは、Bloggerに写真を載せることが出来るからだ。実はBloggerは、写真を表示させる機能を標準では備えていないので、Flickrであったり、Helloであったり、そういった別のツールを使う必要が生じてくるんだよね。過去に載せた数少ない写真は、Helloというツールを使って載せたのだけれど、困ったことに、こいつはMacでは動作しない。それで、自宅のMacからでも写真を載せることが出来るようにと思って、Flickrのアカウントを作ったんだ。とはいいながら、基本的にこのブログは文章のみでいこうと思っているのだけれど。

そんな訳で、Flickrを使い始めてみたのだけれど、実際に使ってみると、想像以上によいツールだった。もともとはBloggerに写真を載せることが目的だったのだけれど、フォトシェアリングには想像していた以上のおもしろさがあるような気がしてきて。
例えばFlickrなら、同じ興味を持っている人、同じ音楽を聴く人、あるいは同じ地域に住んでいる人、そういった人を探していって、その人の撮った写真にアクセスしたり、コメントを残したり、そういったことが可能だ。あるいは、写真にタグをつけておけば、キーワード検索で、あるテーマの写真を片っ端から拾ってくることも出来る。Contactといって、ブログでいう「読者」にあたるようなものもあったりする。
でね、ちょっとそういうので遊んでみたりしていたのだけれど、そこで「日本語」というのがひとつの壁になるんだ。というのは、すごく単純なことだけれど、Flickrは英語のツールなので、圧倒的に英語圏のユーザーが多いんだよね。もちろん「写真」そのものには言語は関係ないけれど、フォトシェアリングから発展していくコミュニケーションの大部分は、英語によるものだろうと思う。
実はこれは、Bloggerも同じなんだ。Bloggerは最近インターフェースが日本語対応して、日本人にも使いやすくなったけれど、既存のアカウントのほとんどは英語圏の人間のものだと思う。だから、日本語をベースにして広げていくのは難しいよね。

おれ自身は、不特定多数のアクセスを集めたいとは全然思っていないけれど、「日本語」というだけでコミュニケーションに一定の制限が生まれるという事実は、とても重要だと思う。このインパクトはほとんど圧倒的だ。
「日本語」という言語は、ごく限られた範囲でしか理解されない。それは言い方を変えれば、ごく限られた範囲でしか勝負できないということでもあると思う。そして、これにはふたつの側面があるんだよね。
ひとつは、自分の勝負できる場所が単純に制限される、ということ。
もうひとつは、逆に日本語が使えない人間には上がってこれない勝負の舞台もある、ということ。
例えば、営業なんかはまさにそうだよね。日本でトップセールスだったとしても、英語が使えない限り、その営業スキルをもって世界での勝負に繰り出していくことはできない。その一方で、日本のセールスマンは、海外のセールスマンとの競争から守られているよね。彼らが日本語を話せない、という単純な事実によって。

BloggerやFlickrといったツールを使っていると、やっぱりそのことに若干のもどかしさを覚えるんだ。「日本語」というただそれだけの事実によって、こうしたツールが持つ魅力の少なくともある部分は、大幅に失われてしまっているような気がして。それは結局のところ、日本語が本質的に持っている特殊性であり、閉鎖性なのかもしれない。
それでもおれは、日本語で書き続けるし、日本語でしか書けない。
ただ、「日本語で書く」というのがどういうことなのかは忘れちゃいけないと、そう思ってます。

Wednesday, June 15, 2005

裁判と報道について

児童性的虐待の罪に問われていたマイケル・ジャクソンに対して、無罪評決が下されたのだけれど、このことに関する今日の報道を見ていて、ちょっと引っ掛かったことがふたつあるんだ。

ひとつは、今朝のニュース番組でのこと。
現地の裁判所前から中継していたキャスターのコメントなのだけれど。
「もともと十分な証拠の提示がなく、起訴自体の正当性が疑われた中での判決は、大方の予想通り、全面無罪となりました。」

正直に言って、おれはこのニュースに強い関心がなかったので、これまでの報道の経緯が分からないのだけれど、「起訴自体の正当性が疑われ」ているという指摘は、従来から報道されていたことなのだろうか。「大方の予想」では無罪と考えられていた、という事実も、実はこのコメントで初めて知った。いろいろ調べてみると、どうやら米国の専門家の間では「10の罪状のうち2〜3は有罪では」というのが大方の見方だったようだけれど、そのことも知らなかった。
こういうことって、マイケル・ジャクソンが起訴されてから今日に至るまでの間に、どんなふうに報道されていたのだろう。知っている人がいれば(というか、恥ずかしながらおれはよく知らないので)、是非教えてほしい。
というのは、おれ自身の感覚では、彼が起訴された時点で、既に有罪が確定しているかのような報道のされ方だった印象があったので、このコメントに違和感を感じてしまったんだよね。無罪判決が出た途端に態度が反転したような、そんな感じがして。
過去の報道に対するおれの認識が正しいかどうかがそもそも怪しいので、迂闊なことは言いたくないのだけれど、ちょっとだけ「怖さ」を感じたコメントだった。

もうひとつは、報道ステーションでの古館さんのコメント。
「結局、金を持っている人間が有能な弁護士をつければ、裁判に勝ててしまうんですかね。」

これには、はっきりと違和感を覚えた。この発言は、絶対におかしいと思う。
小室直樹さんの『痛快!憲法学』が教えてくれたことだけれど、弁護士の力を借りて、裁判の場で己の潔白を証明するのは、全国民にあまねく認められた当然の権利だ。どんな状況下にあっても尊重されなければいけない、基本的人権。その人が資産を持っているかどうか、あるいは弁護士にどれだけの対価を払ったか、そんなことによって歪められてはいけないものだと思う。
小室さんの『痛快!憲法学』の中で、すごく印象に残った一節がある。

裁判で裁かれるのは、被告ではありません。行政権力の代理人たる検察官なのです。

裁判官が本当に判断すべきなのは、検察側に落ち度がなかったかどうかだ。検察側の説明に一点の曇りもないか、あるいは立証の手続きに問題がないかどうか、そのことをこそ裁くべきなんだ。基本的に、犯罪の立証責任は検察側にある。その立証のロジックや手続きにおいてひとつでも法律上の問題があったならば、検察側の主張は退けられるべきだ。疑わしきは罰せず、これこそが大原則だと思う。
検察というのは、国家権力を代理するものだ。国家には、凄まじい権力がある。ひとたび権力の暴走を許せば、国民の基本的人権なんて簡単に蹂躙される。警察と軍隊という暴力装置を持っていることだけでも、国家権力の力の恐ろしさは分かるはずだ。そんな怪物たる国家だからこそ、ホッブスは「リヴァイアサン」と表現した訳だよね。
だからこそ、国家権力の暴走を食い止め、国民の基本的人権を守り抜くために、権力は法の縛りを受けなければいけない。裁判という、司法権の行使される場において、この原則が失われてしまうとしたら、これほど恐ろしいことはないと思う。

弁護士による弁護を受ける、というのは、「権力の恐ろしさ」を前提としているからこそ導き出される、全国民の当然の権利だ。そのことが、公の電波の上でこれほどまでにないがしろにされる、というのは、かなり問題があると思う。
さらに言うなら、報道機関の使命のひとつは、権力の監視にこそあるはずだと思う。マスコミによる監視機能が働くからこそ、権力のいたずらな濫用は許されない。本来そうした役割を担うべき報道機関が、むしろ権力側の立場に立ったかの報道をすること自体に、そもそも疑問がある。「国民のために」なんて言葉は、言葉だけじゃないか。

はっきり言っておれ自身は、別にこの裁判自体に特別な興味はない。
マイケル・ジャクソンに対する特別な感情もないし、真実がどうであったかはおれには知りようがない。
それでもさ、やっぱりどこかおかしいと思うよ。
長々と書いてしまったけれど、ちょっとした「怖さ」を感じた出来事だった。