Wednesday, August 31, 2005

『69 -sixty nine-』

日曜日の夜のことなので、もう3日前になってしまうのだけれど、久しぶりにDVDをレンタルしてきて映画を観たんだ。村上龍さん原作の映画化で話題になった『69』ね。

劇場公開されていた頃、おれはこの映画を観ることに少なからず抵抗があった。原作となった同名の小説のテイストを壊されたくないという思いが強かったからね。

村上龍さんの『69』は、本当に素晴らしい小説だった。
1969年、当時高校生だった龍さん自身の実体験をもとに構成された自伝的小説。
大学紛争が全盛だった時代。ベトナム戦争に反対する若者たちが「ラブアンドピース」を謳った時代。ツェッペリンやサイモンとガーファンクルのレコードを聴き、巨匠ゴダールの映画に触れる中で、新しいカルチャーが踊り始めた、そんな時代。
佐世保に暮らす高校生のケン、そして切れ者の相方アダマの2人が中心となって、映画・音楽・ダンスすべてが渾然一体となったフェスティバルを長崎の地でやってしまおうと動き出す。そのうちにケンは、愛しのレディ・ジェーンの気を惹く為に、そしてなにより今を楽しむ為に、学校の屋上をバリケード封鎖しようと考える。アダマやイワサ、他にも多くの仲間がケンの語る壮大なアイデアに乗っかって、彼らは夏休みのある日の夜、学校に忍び込むんだ。

当たり前のことだけれど、おれは1969年という時代を生きていない。
今となっては、その時代をもう一度生きることなど誰にも出来ないし、当時の空気を吸うことだって出来ない。だから、当時を懐かしむといった思いもなければ、その当時が良い時代だったのかどうかも分からない。シンプルな感覚としては、今の方が、きっと圧倒的に恵まれた、良い時代なんだろうと思っていたりもする。
でもね、それでも伝わってくるんだ。1969年という時代の空気のようなものが。そして同時に、高校生という時期だからこその、青春の瑞々しさ、馬鹿らしくてくだらなくて、でもストレートで溢れんばかりのエネルギーが、この小説には詰まっているんだ。

単純におもしろく、腹を抱えて笑えるような小説でもあるけれど、それだけじゃない。
小説としての質も高く、どこか気持ちがくすぐったくなるような、良質の作品なんだ。

そんな『69』の映画化。
結論から言うと、とても良い映画だった。
原作のテイストが忠実に再現されていて、原作が醸し出していた「1969年」という時代の匂いが、当時を知らないおれにも伝わってくるような作品に仕上がっていた。宮藤官九郎の脚本も良く、原作のユーモアを上手くアレンジしながら、その核となるテイストはきちんと大切に残すような、そんな構成になっていたように思う。
オープニングもお洒落で魅力的なものだし、ケンの嘘の使い方も上手いね。
(原作では、語り手であるケンがよく嘘をつくんだ。「というのは嘘で」というフレーズが、何度となく出てくる。この「嘘をつく」という行為自体が、作品世界のなかで極めて重要で、そこにこそケンの、そして『69』という世界の魅力があるんだ。)

おもしろいよ。
単純に笑えるだけじゃなくて、普段は心の奥の方にしまってあるなにかをちょっとくすぐられるような、なぜかちょっぴり嬉しくなるような、そんな映画だ。

シンプルで単純な楽しさを、繊細に丁寧に構成しようという姿勢が、おれは好きです。