Monday, January 13, 2014

大学ラグビー決勝。

ラグビー大学選手権決勝。
帝京大 41―34 早稲田大(13:00K.O. @国立競技場)

タマリバ時代の仲間3人と久しぶりに再会して、皆でTVでの観戦となった。
個人的な印象だけでいえば、帝京大の完勝だと思う。最終スコアは7点差といっても、実際には危なげない勝利だった。早稲田大の関係者には申し訳ないけれど、底力の差はもっとあるのではないだろうか。ただ、これが選手権決勝だ。きっとそれは、"One of them"では語れないゲームなのだと思う。「それでも帝京大は終始落ち着いていた」とか、「慌てる様子もなかった」といった論評が既に多々見られているけれど、このゲームが特別だというのは、帝京大にとっても変わらない。彼らもきっと死に物狂いだったと思う。でも、それでいいじゃないか。冷静と狂気は、必ずしも相反しないのだから。

ただ思うのは、そういうアンビバレントな状態を上手にマネージする術として、帝京大は1つひとつのプレーと戦術から入っていくアプローチを明確に志向しているような気がする。「狂えよ」という思想がまずあって、その先に「コントロールされた狂気とは、どのようなプレーなのか」というように発想が展開していくのではなくて、とにかくまずは執拗にプレーのクオリティを追求する。ヒット、そしてブレイクダウン。1mの戦いに、フィジカルと技術の双方から具体的にこだわっていく。そこが自分たちの寄って立つ場所だと分かっているからこそ、譲らない。その「譲らなさ」がいつしか冷静と狂気のアンビバレンツを超えていく。帝京大のチーム作りでは、その根幹において、こうした展開が志向されているような気がする。

早稲田大にとっては、やはり中盤でのペナルティが痛かった。前半の反則数は、両チーム共に5つと変わらない。後半に至っては、帝京大の方が明らかに反則数が多かった。ただ、問題は数ではなくてフェーズ、そしてエリアだ。早稲田大が前半に犯した5つの反則のうち、3つくらいは中盤エリアでのもので、これだけで自陣22mラインの内側でプレーせざるを得ない時間帯が大幅に増えてしまった。スクラムの反則についてはちょっとコメントできないが、このあたりがもう少しコントロールされていれば、もっと面白いゲーム展開になっていたような気がする。

アタックに関して言えば、準決勝の筑波大戦よりも遥かによかったと思う。筑波大戦を観た時には、正直に言って、「早稲田大からは、もはやストレートランは消えたのか」と思ってしまうほど、ライン展開に魅力を感じなかったのだが、今回の決勝では、例えばWTBの荻野選手が見せたようなプレー、つまりラインの展開力というよりも、小さなダミーと積極性でどんどん切りに行くようなアタックが見えてきて、これが奏功していたような感じがする。WTBを大外で使うというのはある意味では定型化されたラグビー観でしかなくて、結局のところ、「個が活きる場所がどこにあるのか」をベースに構成されたアタックの方が、相手にとっては遥かに脅威なのだと思う。1人のラグビーファンとして素直な気持ちを語るならば、来シーズンはそんなアタックをもっと見せてもらいたいなあと思っている。

まあでも、やはり決勝戦だ。総じていいゲームだった。
タマリバ時代の仲間で、今は日本ラグビー協会の仕事をしている勝田から、色々な視点でゲームに対するコメントを聴かせてもらえたのも、個人的にはすごく楽しかった。ラグビーの見方や着眼点も人それぞれで、様々なバックボーンを持った人間とラグビーを話していると、それだけで新たな気づきがあるものだ。タマリバ時代の出会いに、改めて感謝しないと。

うん、やっぱりラグビーは面白い。
間違いなく、世界で最も面白いスポーツだ。

Sunday, January 05, 2014

『コンテナ物語』

昨年7月に勤務先で異動になってから、激減したものがある。
それは、本にふれる量。読書量そのものも大幅に、もう悲しくなるほどに減ってしまったのだけれど、それだけではなくて、例えば書店に足を向けること自体が激減した。勤務形態の変化もあって、それまで毎週欠かさずに覗いていた日本橋丸善さえすっかりご無沙汰になってしまい、静かに読み続けているHONZと、その他幾つかの書評サイト程度しか、自分の中で本へのアクセスをキープできなかった。
そのことは、ちょっと後悔している。

そんな訳で、「失われた6ヶ月を取り戻すつもりで」ということでもないのだけれど、この年末年始は、久しぶりに幾つかの本を読んだ。2013年12月中に読み始めていた本もあって、旧年中に読了できなかったのは多少残念ではあるのだけれど、結果的にそれが、本年の「読了初」をかなり幸福なものにしてくれたので、まあいいかなと思っている。

元旦の夜を満たしてくれた本年の1冊目は、昨年から通勤鞄に忍ばせていた本書だ。

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

  • 作者: マルク・レビンソン, 村井 章子
  • 出版社: 日経BP社
  • 発売日: 2007/1/18

  • さすが成毛眞さんの「オールタイムベスト10」にランクインする名著。最近ではdankogaiもレビューを書いているが、間違いなくお勧めできる1冊だ。コンテナの発明が、ロジスティクスの分野にもたらした革命と、それが真の意味で革命となるまでの軌跡が、非常に精緻に綴られている。なかなか集中して読む機会が取れなかったのだが、一旦読み始めたら、もう一気にページを繰ってしまった。

    本書を読んで感じたのは、dankogaiのいう「パンドラの箱」というやつは、結局は一度空いてしまえばもう元に戻ることはない、ということだ。コンテナリゼーションによるロジスティクスの標準化、効率化、自動化、省力化はまさに革命的で、コンテナが本格的に登場する以前の世界では考えられなかった決定的なコスト削減を実現することになるのだが、同時にそれは、従来型スキームの崩壊を意味していた。例えばコンテナに仕事を奪われることになった港湾労働者達の組合や、海上輸送における価格統制、港湾開発予算の策定と回収スキーム、鉄道やトラックといった他の輸送形態との競争と協業。こうしたあらゆる領域で、まさに「スキーム」が崩壊し、再構成されていく。後世からみれば必然の流れであったとしても、当事者たちの抵抗は本当に凄まじい。そして、もう一方の当事者、つまり革命を仕掛ける側の人間たちも、必ずしも順調に新たなスキームを立ち上げられた訳ではなくて、数限りない失敗を繰り返し、少なくない人間達が、「従来型」の人間達とは異なる形で、身を滅ぼしたりもしている。それでも、コンテナリゼーションはもはや不可逆のトレンドだった。時に停滞があったとしても、頑強なレジスタンスの壁に何度となく跳ね返されたとしても、もう戻れない。

    イノベーションというのは結局のところ、そういうものなのかもしれない。
    それは、たとえその波に綺麗に乗れないと分かっていても、抵抗の先に未来がないものであり、推進者の類稀なる行動力と(結果としての)栄枯盛衰によってしかその種を実らせることができないものなのかもしれない。

    Saturday, January 04, 2014

    Our year

    三が日が終わろうとしている。
    新たな1年も既に3日が過ぎ去ってしまったということだけれど、そもそもベースの価値観として、「特別でない毎日を、特別なものにするために、毎日を過ごす」ことが大切だと考えている俺としては、突き詰めて言ってしまうと、三が日さえ特別なものという訳でもなくて。この3日間に限らず、2014年という1年間を、「365回の今日の連続」と捉えて、今日を大切にしていきたいと思っている。

    まあでも、そうは言いながらも、今年の抱負というか、「今、思うこと」を言葉にしてみようかなと。

    昨年の暮れ、ある親友に宛てた年賀状を書いていてふと浮かんだ言葉がある。
    "Our year"、「俺たちの年」というやつだ。
    昨年末に突然浮かんできたというよりも、実際にはここ1~2年間はずっと頭の片隅にあったことなのだけれど、一個人としての自分自身をもっと成長させることもさることながら、ここ最近、「俺たち」で何かをしていきたい、という思いが少しずつ強くなってきている。俺たち、というのは言葉を変えると「世代」だ。この世代で、動かしていきたい。最も身近には仕事(更には、その延長としての会社)を、ということなのだけれど、それだけではなくて、プライベートの活動であったり、コミュニティであったり、様々な場所でそう感じることが増えてきた。

    昔は、「世代」という意識が全くなかった。もう10年以上も昔のことなので記憶が曖昧だが、「若者には、もはや『世代』という感覚がない。なぜならば、世代で(「別世代」という)共通敵と戦う時代ではなくなったからだ」といったような主旨のエッセイを読んだことがある。おそらくは村上龍のエッセイだったと思うのだけれど、当時の俺は、その言葉を比較的素直に受け入れていた。いや、受け入れていたというよりも、実際には「熱病」に近かったのかもしれない。世代という概念そのものを否定する感性に、どこか魅力を感じていたのだと思う。

    それなのに今、当時から10数年の月日を経て、30代後半に差し掛かってきた俺は、親友に宛てた年賀状に書いている。"Our year"だと。俺たちの1年にしようぜと。それって何なのかなと、久しぶりに帰省した愛知の実家で、家族との年末年始をゆっくりと過ごしながら、自分なりにつらつらと考えていた。

    そして一旦の着地点として行き着いた結論は、ごく当然のことだった。
    「世代」というのは、共通敵との対峙によって確立されるものではなくて、仲間の延長概念なのだと。同じ頃に産まれて、同じような場所で過ごしてきた仲間であったり、まさに今、同じ場所で生きている仲間がいて、そういう仲間への意識を敷衍していくと、自分の知らない別の場所にも、自分と同じ頃に産まれて、大きな意味では自分と同じような葛藤を抱いている人がいるのだという当たり前の事実に行き着いていって、そうして気づいた時には、小さな仲間意識だったものが、世代という意識の種とでもいうようなものになっていくのではないだろうか。

    共通敵は、いなくてもいい。
    社会学者がよく言うような「大きな物語」なんて、なくてもいい。
    同じ頃に、同じような場所で、同じように自分自身と向き合ってきた仲間がいて、そういう仲間と"Our year"を積み重ねていくことが出来たならば、それだけでいいじゃないか。たとえ今の居場所が人それぞれであっても、そういう仲間は間違いなくいるのだから。

    そして、そういう仲間に恵まれただけでも、すごく幸せなことなのだから。