Friday, May 25, 2012

『(日本人)』


(日本人)




  • 作者: 橘 玲、undefined、橘 玲のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら

  • 出版社: 幻冬舎

  • 発売日: 2012/5/11


昨日読了。面白かった。
橘玲というとやはり『マネーロンダリング』の印象が強く、「金融を語ってナンボの作家」といった辛口評価も多いようだけれど、俺は良い本だと思う。

論旨をざっとまとめると、以下のポイントに集約される。

・日本人は、日本人論を語る時に「日本人の特殊性」を前提にしているが、そこで語られる特徴の大半は、アジア圏で広く見られるものだ。また、例えば和を重んじる文化などは農耕社会における必然であり、日本の特殊性とは言えない。
・日本社会は「空気(世間=ムラ社会)」と「水(世俗性)」で構成されるが、日本人を世界の中で決定的に特徴づけるのは、「空気」ではなく「水」の方だ。実際、日本人は世界的に見ても極めて個人主義的で、世俗的だ。(世俗的とはつまり、損得勘定でモノを考えるということだ。)
・日本における「イエ」の束縛とは、それがなければ共同体としての一体感を維持できないほどに、日本が個人主義的な無縁社会だからだ。
・グローバル社会におけるデファクトはグローバル・スタンダードであり、グローバル空間においては、ローカルルールはグローバル・スタンダードに対抗できない。
・グローバル・スタンダードとはリベラル・デモクラシーであり、それはつまり自由と平等に絶対の正義を求める思想だ。(ただし、それぞれの重みづけに応じて複数の立場が存在する。)
・日本人、日本社会は今、周辺からグローバル・スタンダードの浸食を受けている。中央からではなく、周辺から徐々に浸食されているのは、本質的にローカルなイエ社会であり、グローバル・スタンダードの本質に沿った統治が(国家・企業といったあらゆるレイヤーにおいて)中央に浸透していないからだ。これが、今の日本の閉塞感へと繋がっている。

取り扱われているトピックがやや広すぎて、思索の全体像を追いかけづらい嫌いもあるけれど、「一般的な印象として」語られる日本というものを一旦措いて、改めて日本人、日本社会を見つめ直してみる上で、なかなか新鮮な導きを与えてくれる1冊になっている。また、グローバル社会というものシンプルに分かりやすく整理する、という点でも悪くないと思う。やや正確性に欠けるとしても。

本書の場合、その結論は重要じゃない。
過程こそが重要な1冊だと思います。

Sunday, May 13, 2012

本質から本質に向かう発想


早稲田大学中沢塾の「リーダーシップ工学」




  • 作者: 中沢 弘、undefined、中沢 弘のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら

  • 出版社: 講談社 (2002/10)

  • 発売日: 2002/10


早稲田大学名誉教授で、エンジニアのためのリーダーシップ教育「中沢塾」を主催されている中沢弘さんの著作。「リーダーシップ工学」という表題の通り、従来は文系的なアプローチで語られてきたリーダーシップというものを、工学的手法をベースに再定義すると共に、そのあり方と具体的方法論に踏み込んだ内容で、非常に面白かった。エンジニアではないけれど、エンジニアと共に日々仕事をしていることもあって、アプローチ自体も非常に馴染みやすいものだった。

やはりコアとなるのは「メタコンセプト発想法」、そして「トータル設計」だ。これに「人間中心(Human-Oriented)」を加えると、ほぼ中沢さんの骨子になってくる。
メタコンセプト発想法とは、ある課題に対して、同一レベルでの対症療法的な解決を考えるのではなく、その課題の背景にある真の目的(メタコンセプト)を導出して、それに対するアイデアを幅広く出していくアプローチだ。これは非常に有益で、日常的にメタレベルで考える癖をつけていくのは、とても大切なことだと思う。勿論、簡単なことではないけれど。
トータル設計とは、何か新たな機能的要求が与えられた時に、既存システムをベースとした一部修正や機能追加で対応する(付加設計)のでも、既存の複数システムを組み合わせて新たな機能要求を充足する(組み合わせ設計)のでも、また機能的要求は一切変更せずに、更なる最適化だけを目指す(改良設計)でもなくて、(従来の機能要求も併せて)全てをゼロベースで考えて、全体最適化を目指すアプローチだ。これも非常に大切な考え方だと思う。エンジニアリングの本来の醍醐味というのは、こういうところにあるのだろう。(俺自身は、残念ながらエンジニアではないけれど。)

多くの場合、既存リソースという制約に縛られた対症療法的な発想に基づいて、既存リソースという制約の中で実現できる対症療法的な設計を行うんだよね。そしてそれは、リソースへの投資を行うのがお客様であるという点で、ある意味では仕方ないことでもあって。トータル設計の価値をお客様に認めていただき、リソースへの投資、そして(リスクを含めた)チャレンジの価値と意義を合意できなければ、青写真はいつまで経っても青写真のままなのだから。
でも、一方で、やはりそうじゃない、という心意気は持ち続けたい。
そういう発想のベースを、自分自身の中にきちんと根付かせていきたい。
日々の仕事で頭をフル稼働できているかというと、まだ足りないところが多いなあと(ちょうど今日なんかも)思うのだけれど、フル稼働させる時のスタート地点と、目指すゴールをどうセットするか。

いつだって、本質から考える。
本質の方向に向かって、考える。
まあそういうことなのかなと、思います。難しいけど。

『日本の銀行に未来はあるのか』


日本の銀行に未来はあるのか




  • 作者: 津田 倫男

  • 出版社: 洋泉社

  • 発売日: 2012/4/24


津田倫男さんの著作を読むのは、気づけばこれで3冊目になるのだけれど、正直に言うとちょっと微妙な感じがしている。Wikiによると、三和銀行(現:三菱東京UFJ銀行)に入行後、社費留学生としてスタンフォード大学に留学して1985年にMBAを取得。帰国後、1994年にケミカルバンク(JPモルガン・チェースの前身)、1997年にソシエテ・ジェネラル銀行、2000年(平成12年)にデル・ベンチャーズに転職し、その後は独立とのことで、第一線のバンカーとして活躍してこられた方なのだと思うけれど、その論考は読者の期待よりもちょっと手前すぎるような印象だ。

日本の銀行の置かれた環境は厳しい。
地方銀行のレゾンデートルが定義しづらくなっている。

例えばそういうことは、本書を待たずとも、どこでも言われている。
地方銀行自身も、危機意識(少なくとも漠たる不安感)は当然抱えている。
問題は、それが構造要因(例えば人口減少という社会構造、資金ニーズの低迷というマクロ経済構造、リスク投資に消極的な文化的構造、色のないカネを横並びで扱ってきた業界構造)に基づくトレンドだということであり、商品性による差異化がとても難しい銀行にとって、構造を打開するシナリオが思うように見出だせないということだ。それでも、明日も明後日も、変わらず銀行は店を開く。

じゃあ、どうすればいいんですか。
読者が期待するのは、それに対する著者の仮説なんだけどね。
率直に言って、ここが殆ど綴られていないのが、ちょっと残念だ。