Monday, February 27, 2006

プラネタリウム

作ってみたんだ。
http://shop.gakken.co.jp/otonanokagaku/magazine/vol09.html

大人の科学マガジンの付録なのだけれど、かなり良いです。
思った以上に綺麗な星空が投影されます。
彼女のいない大学生が部屋にひとつ置いておいたらいいかもしれない。
いや、それだとちょっと作為的かなー。

Sunday, February 26, 2006

壷光る

書きたいことは沢山あったはずなのに、機を逃すと書けないものだね。

もう1週間も前になるけれど、ある美術展に足を向けた。
東京美術倶楽部創立100周年記念「大いなる遺産 美の伝統展」というやつだ。
御成門の駅から歩いてすぐのところにある東京美術倶楽部。恥ずかしながら、おれはその存在すら知らなかったのだけれど、明治40年4月に設立された由緒ある会社のようで、日本の優れた美術品の保存・活用を通じて日本美術の発展に貢献すべく活動してきたそうだ。その東京美術倶楽部が、創立100周年を記念して、国宝を中心とする古美術品や、近代日本絵画の名作を数多く集めた展覧会を開催しているということで、会期終了間際に出掛けていったんだ。

様々な作品があった。
富岡鉄斎、横山大観、上村松園、青木繁、竹久夢二、奥村土牛、岸田劉生。
近代絵画の大御所の名前がずらっと並んでいた。
展示作品はどれも質が高く、内容の濃いものになっていた。正直に言うと、近代日本画というのは、観ていてそれほどおもしろいものだとは思わないけれど、その仕事の繊細さや丁寧さ、あるいは色彩や構図の巧みさといったものが明確に感じ取れる作品が多く、極めて良質の展示内容だったと思う。
印象に残っているものを挙げるならば、三岸好太郎と中川一政。どちらの作家も、その作品を直接目にするのは今回が初めてだった。三岸好太郎の作品「雲の上を飛ぶ蝶」では、そのタイトルの通り、雲海の上に広がる青い空を、色とりどりの蝶が舞っている。絶妙な拡がりを持ったその構成と、舞い飛ぶ蝶々の姿は、どこか人間の想像力の拡がりと自由を暗示しているようでもあった。中川一政の作品は、大胆な筆遣いと色彩で荒々しく描かれた「駒ケ岳」。ごつごつとした駒ケ岳の山肌が力強く描かれ、自然の持つパワーが伝わってくる良い作品だった。

絵画の他にも、多くの展示品が並んでいた。
国宝の絵巻物や陶器、書や屏風も多数あり、全体として見応えのある内容だった。
でもね、その中でも一際輝くものがあったんだ。
ただその作品の為だけに、この展覧会はあったのだと思えるような、そんな作品。

それが「花魚扁壷」と名づけられた河合寛次郎の作品だ。

生まれて初めて自分の目で実際に観た寛次郎の作品は、衝撃的だった。
作品の佇まい、フォルム、釉薬の質感、どれもが素晴らしかった。一目見た瞬間に寛次郎の作品と分かるような独特の雰囲気と洗練された美しさを併せ持つその壷は、本当に黄金色に光っていた。少なくともおれにはそう見えた。
壷にあれほど感動したのは初めてだった。繊細にして素朴。河合寛次郎という人間の魅力が詰まっているようで、その作品を観られたことが本当に嬉しかった。

また寛次郎の作品を観たい。
寛次郎自らが建築・設計し、殆どの家具をデザインし、生涯を終えるまでそこで数々の作品の製作に携わったという建物が京都に今も残され、河合寛次郎記念館として一般に公開されている。
いつか行ってみたい。出来れば近いうちに。

Monday, February 20, 2006

早稲田の挑戦

タマリバの同期を誘って、秩父宮ラグビー場に足を運んだ。
日本選手権準決勝、東芝府中 vs 早稲田大学。

先週末の2回戦で、トップリーグ4位のトヨタ自動車を28-24で破り、学生チームによる18年振りの社会人チーム撃破という快挙を果たした早稲田の更なる挑戦。対する東芝府中は、トップリーグ、マイクロソフトカップを制した社会人の王者であり、特にFWを中心とした激しさと破壊力は圧倒的だ。間違いなく国内最強のチームだろう。

秩父宮のスタンドは満員の観客で埋め尽くされた。
そして、圧倒的多数のファンの声援が早稲田に向けられた。
早稲田のプレーのひとつひとつに歓声とどよめきが起こり、随所に見られた好プレーに対して惜しみない拍手が送られた。
でも、きっと多くの人間は、どこかで早稲田の敗北を予感していた。早稲田の可能性に期待しながら、それでも最後は東芝府中が圧倒するだろうと思っていた。
そして、実際に東芝府中は43-0で早稲田を零封してみせた。
東芝府中は勝つべくして勝った。完勝だった、と言っていいだろう。


ここからは、あくまでおれの私論だ。
異論は当然あると思うけれど、おれの所感を書き残しておきたい。

東芝府中に挑みかかった早稲田の姿には、強く心を打つものがあった。
トヨタ自動車を撃破してみせた先週のゲームとは比較にならない感動があった。

前半の40分間、東芝府中の猛攻を12点に抑えてみせたディフェンス。
サイズ・パワーで劣る集団が、次々に湧き出るように必死のタックルを繰り返す。
鍛え抜かれた狂気のタックル、と言えばいいのか。積み重ねた練習に裏付けられたスキルと能力に自信を持って、そこに、勝利への執念と、ゴールラインを絶対に割らせないという魂が取り憑いたような、凄まじいタックルだった。
中でも特筆すべき選手を挙げるとすれば、内橋、後藤の両LOとWTBの菅野。
内橋、後藤の両LOの仕事量は、本当に凄まじいばかりだった。
あらゆるポイントに彼らの姿があり、仲間が抜かれた時に常にカバーリングしていたのも、やはり彼らだった。上に入るべき時は上に、下に入るべき時は下に、判断力と技術を持ってタックルを使い分け、鍛え上げられたフィジカルの強さを生かして激しいプレーを繰り返していた。そしてWTBの菅野。自分自身の「間合い」を持つ人間の、切れのあるタックル。瞬間的なスピードをもって相手の懐に突き刺さり、幾度となく東芝府中の攻撃を寸断した。

それでも、後半に入ると崩れた。
結果的に43点を奪われ、明日の新聞には「東芝府中、圧勝」の文字が並ぶだろう。
東芝府中、完勝。その通りだ。既に書いた通り、東芝は勝つべくして勝った。
東芝府中には早稲田を上回るフィジカルの強さと自信があり、経験があった。分厚い壁のようなディフェンスラインは大きく崩れることなく、終始ゲームの主導権を握って離さなかった。彼らには社会人王者のプライドと意地があり、なにより自信があった。
それは、紛れもなく、チームとしての「実力の差」だったと思う。

それでも、おれは思うわけです。
それは真実の一端ではあるけれど、もう一端の真実もあるだろうって。

トヨタ自動車に対しては、勝つべくして勝った。
あのゲームは、互角に戦えるだけの実力を備えたチームが、「洗練と徹底」で勝利を掴んだゲームだった。計算され尽くした「挑戦」であり、その体現だった。
今日のゲームは違う。
明確な格上への挑戦であり、計算を越えたところでの勝負だった。その結果が43-0というスコアであり、それが全てかも知れないけれど、そこには確かな光明があった。計算の先に向かう確かな意志に満ちていた。

それは確かに強く心を打つものだったと、おれは思います。
本当に素晴らしいゲームだった。

Sunday, February 12, 2006

感動について

パートナーと一緒に上野に出掛ける。
彼女が勤める画廊のオーナーに薦められて向かったのは、東京国立博物館で開催されている『書の至宝展』だ。王羲之に始まり、聖徳太子、空海、良寛といった書家の作品が多数展示されており、平日でも大勢が列を成していると聞いていたので、少し早めの時間から出掛けることにした。

正直に言うと、書には全く興味がなかったんだ。
彼女が無料招待券を持っていなかったら、間違いなく行かなかった。
それでも、足りない自分の分のチケットを買って一緒に観ようと思ったのは、もしかすると新たな発見があるかもしれないと思ったから、ではなくて、単純に彼女にひとりで行かせるのは可哀想かなと思ったからだった。

それで感想はというと、残念ながらつまらなかった。
ただ、必ずしも展示された書がつまらなかったという訳ではないんだ。
正確に言うと、つまらなかったのかどうかすらもよく分からない。
というのは、実は殆ど作品が見えなかったんだよね。人混みに囲まれてしまって。

誰もがお金を払って観に来ているのだから、じっくり鑑賞したい気持ちは分かる。
それでも、この展覧会の人混みは異常だったと思う。
あれほど混んでいるのに、誰も先に進もうとしない。他の人間のことを誰も考えない。それに加えて、大多数の作品が目線よりも低い位置に展示されているので、間近を取り囲んでいる人間にしか作品が届かない。甲骨文字のような、少なくともおれからすれば、繁々と見るようなものではないと思ってしまうものの前にさえ、二重三重に人が連なっていたのだから、王羲之や空海など殆ど観られたものではなかった。

ああなってしまうと、もう駄目だね。心が閉じてしまう。
「日々是感動」こそがスタートだったはずなのに、その想いとは正反対だよね。
展示されていた多くの作品に対する印象が、ほとんど皆無です。
もう一度、静かな部屋で観ることが出来たら違うのかも知れないけれど。


その後は、西洋美術館の中にある「すいれん」でランチを食べて、上野の街を適当に散策して歩き、みはしで餡蜜を食べて帰ってきた。みはしの餡蜜は美味しいけれど、杏餡蜜は酸味がちょっと強いので、あまりお薦めじゃないね。


夕方。
自宅に戻ってまず珈琲を入れると、録画してあったVHSのビデオテープを巻き戻す。
録画したのはもちろん、ラグビー日本選手権大会の2回戦。
早稲田大学 vs トヨタ自動車(14:00K.O. @秩父宮ラグビー場)

実際に観に行った人も多いと思う。注目されたゲームだったからね。
結果は早稲田 28-24 トヨタ自動車。学生による18年振りの社会人撃破となった。

試合の詳細には敢えて触れないけれど、素晴らしいゲームだった。
スコアを見れば苦しみながら捥ぎ取った勝利だけれど、早稲田は勝つべくして勝ったように見えた。彼等は周到な準備を重ね、戦略と意志統一を徹底し、目標を最後まで忘れなかった。あのチームが、次のシーズンのタマリバの目標になるんだね。

最後に、この試合を観て思い出されたイチロー選手の言葉と、学生時代にラグビーを通じて知り合ったある方がくれたメールを、ここに書いておきます。


特別なことをするために特別なことをするのではない。
特別なことをするために普段どおりの当たり前のことをする。

三年前、学生王者が社会人に勝つと思った人がいただろうか。でも彼らは本気で信じ続けた。正直今はクラブチームが勝つと思ってる人はいない。でも目標を持ち続けることで真実は覆る。来年の健闘を祈る!

ウェイト

寝過ぎてしまった。
昨晩1:30にベッドに入り、今日の12:30に起きる。朝飯とも昼飯ともつかない食事を摂って、14:30くらいに再びベッドに潜り込むと、起きた時にはもう17:30だった。
14時間も寝てしまうとは、自分が思っている以上に疲れていたのかなー。

身体の疲れも取れたところで、久しぶりに東京武道館へ行ってウェイトをした。
本当に長い間ウェイトをしていなかった気がする。身体がこれ以上痩せ細っていくのには耐えられないので、今年はなんとかウェイトの時間を確保するようにしたい。
平日にどの程度トレーニングできるかがポイントなんだよね。

ちなみに。
今更ながらジャイログリップを買ってしまった。(知ってますか?)
パートナーはすぐに廻せるようになったけれど、おれは半日くらいかかった。
最初はそのことが悔しかったのだけれど、今ではおれの方が高速で回転させるので、結局のところおれの勝利のようです。

Sunday, February 05, 2006

40点の差

2006年2月4日(土)
第43回日本ラグビーフットボール選手権大会、1回戦。
タマリバクラブ 7-47 早稲田大学(14:00 K.O. @秩父宮ラグビー場)

ずっと目標にしてきた試合は、あっという間に終わってしまった。
試合後に残ったものは、40点という点差と、自分への悔しさだった。

早稲田戦を迎えるまでの1週間は、素晴らしいものだった。
何人かの先輩や仲間がメッセージをくれた。
それまで個人的なメールをもらったことなどなかった人達が、メールをくれた。
社会人ラグビーで共にプレーした先輩も、激励の言葉をくれた。
一緒に1年間を戦ったメンバーからの決意表明が次々とメールボックスを埋めていき、業務時間中にも関わらず、何度も泣きそうになった。

決意表明。
考える必要もなく、書くことは決まった。
日本選手権の舞台にタマリバが辿り着いたのは、今シーズンの公式戦を勝ち抜いたメンバーだけの力ではない。チーム創設以来の数年間を支え続けた人達の存在と、日々の練習を共にした多くの仲間の存在があって初めて、この場所は用意されたのだという当然の事実へと、自然に気持ちが向かっていった。
だから、そういう人達の思いに恥じないプレーをしなければいけない。
自分に与えられた責任を果たして、最高のパフォーマンスをしてみせる。
12番での出場が決まった時、最初に思ったのは、そういうことだった。


後半34分。交替が告げられ、ベンチに戻った。
先輩が渡してくれたベンチウォーマーに袖を通しながら、グラウンドを眺める。
既に40点差がついていた。
そして暫くして試合終了の笛が鳴り、今シーズンのタマリバの挑戦は終わった。

悔しかった。
単純なことで、まだ自分自身が足りていないことを思い知らされた。
パスもタックルも、スピードもフィットネスも、自分に対する自信もきっと、まだ足りていなかったのだと思う。先輩に教えてもらった「プレー責任」というやつを、日本選手権の舞台で完遂するだけの土台が、現時点のおれには、まだ足りなかった。
もっと練習するしかないね。自分自身が、もっと成長するしかない。

タマリバクラブとしても、次のシーズンはこの40点がターゲットになるのだと思う。
これからまた1年間かけて、この差を一歩ずつ埋めていくしかないね。
決して小さくはない40点の差を埋める為の日々を、これからまた始めます。



以下、追伸。

試合を終えた翌日、パートナーが録画していたTV東京の『美の巨人たち』という番組を観た。河合寛次郎という陶工を扱った内容で、相変わらず寛次郎の作品は素晴らしいものばかりだったのだけれど、それ以上におれの心に留まったのは、寛次郎の美への態度そのものだった。

寛次郎が若い頃に目指していたのは、中国古来の陶磁器の美だった。寛次郎は、目標とする中国や朝鮮の陶磁の手法に独自の感性を織り込み、斬新な作品を創り上げていく。それは陶芸界に大きな衝撃を与え、結果的に寛次郎は若くして天才の評価を得ることになる。

しかし、その一方で寛次郎自身は、奇妙な思いに駆られていくことになる。結局は先達の模倣ではないのか、中国の古典美をどこまで追い求めても、それを越える作品には辿り着かないのではないか、と。
そして葛藤の末に3年を経た寛次郎は、別の地平へと行き着くことになる。

きっかけは、どこかの展覧会で見かけた茶碗だった。生活の中で使う為に、機能的に形を整えただけのものが、なお美しい。そのことに衝撃を受けた寛次郎は、生活の中に深く根を張った美、即ち「民藝」の世界へと傾倒していったんだ。
美を追い求めず、それでいて美しい、という境地。有名の美を求めず、無名の美を追求し続け、生涯に渡って無名であろうとしたが、その才能ゆえに無名たりえなかった天才。それが、河合寛次郎という人間だったそうだ。


何故こんなことを書いているのか。
それは、タマリバの今後のことを、少しだけ重ね合わせてしまったからだ。
思いつきの域を出ないレベルだけれど。

タマリバは、どのような方向性で今後「強さ」を目指していくのだろう。
例えば、経験と才能の豊かな選手に声を掛けて、良い人材を集める。
あるいは、全体での練習時間をもっと増やしていく。
そういった努力は惜しむべきではないと思うし、強くなる為には不可欠だと思う。
ただ、その方向性だけで突き進んだ時に待っているのは、人材と練習量では、どこまで行っても大学や社会人の強豪には勝てない、という事実かもしれない。大学ラグビーや社会人のトップリーグは、全国から選ばれた才能ある選手達が、ラグビーの為に生活の全ての時間を捧げる世界だからね。

クラブチームの可能性を、どこに見出していけばいいのだろう。
どこかにあるはずなんだ。
寛次郎が「美」の地平を変えてしまったようなことを、「強さ」でも出来ないだろうか。
もちろん簡単には出来ないだろうけれど、それでも、クラブチームゆえの「強さ」というエッセンスは、どこかに成立し得る地平があると思うんだよね。

その具体的なビジョンは全然ないので、あくまで希望に過ぎないけれど。