Sunday, November 03, 2013

何をミスとするのか

昨晩は寝つきが悪かったので、あきらめて色々と考えてみた。
ジャパンとオールブラックスとの一戦のことを。
録画観戦なので、秩父宮で直接観られた方からすると肌感覚で違う部分があるかもしれないけれど、とりあえず個人的な感想として綴ってみようかなと。

「ミスをしたら、勝てない」
ゲーム全体の印象としては、つまるところ、そう感じた人が多かったのではないだろうか。もちろん、ミスが全てではないのは明らかだけれど、一方で、単純なミスがそのまま失点に繋がってしまい、自ら流れを手放してしまったのも事実だ。そのこと自体は、やはり惜しまれてならない。

ただ、このゲームを観ていると、思わずにはいられなかった。
「そもそも、何をもってミスとするのか」ということを。

具体的に、想像してみたい。
ハーフタイムを終えて迎えた後半のピッチ。自分たちよりもサイズに優れた格上を相手に、22点差を追う展開。劣勢でも、チームはタイトにプレーしていたとする。まずは3トライ・3ゴールの射程圏に入りたい。そのためには、辛くても仕掛けよう。テンポを上げて、フェーズに拘って。でも、簡単じゃない。我慢のポイントで、FWが枯れてくる。でも、今なんだ。ラックの最後尾に顔をのぞかせたボールをハーフが掻き出して、これ以上ないテンポで走り込んできたペネトレーターにパスアウト。でも、そのフェーズで彼は孤立して、ボールを奪われてしまう。

誰のミスだろうか。そもそも、ミスだろうか。
孤立したランナーのミスなのか。サポートが遅れたファースト・アライバル・プレーヤーのミスなのか。実はアライバルさえ出来なかったフローター、あるいはボールキープに意識を切り替えることができなかった近場のバックスのミスだろうか。もしかすると、孤立するリスクがある選手にパスアウトしたハーフの判断ミスかもしれないのだろうか。

この日のジャパンがそうだった、と言いたい訳ではない。あくまで想像のシーンだ。でも、この試合を観ていて俺は、「ミスに対する目線」ということを考えずにはいられなかった。

ノックオン。ハイパントのキャッチミス。確かに惜しまれるし、残念ではあるのだけれど、個人的には「たぶん、そこじゃない」という気がしている。田中史朗は、FWが枯れていても、消耗度が脳裏にインプットされていても、自分の理想のパスを出そうとしたのではないかなと。ヘンドリック・ツイはスクラム、ラインアウトで仲間が必死のファイトをしていることを十分承知の上で、ブレイクダウンに言い訳をしようとはしなかったのではないかと。例えばそういう勝手な想像を、どうしてもしてしまうのだ。今のジャパンは、ミスに対する目線をよりシビアにしていくチームのはずだから。

NZのディフェンダーは、孤立したジャパンのランナーをきちんと仕留めると、ほぼ確実にターンオーバーに持っていく。彼らにとって、このシチュエーションでボールを奪うのは当然のことで、「ここで奪えないようならば、それはミスである」という目線が当たり前のように共有されている。現場に行っていなくても、きっと間違いないだろう。プレーがそう物語っていたからだ。

自分にとってのラグビー観も、そうやって捉え直していきたい。
ミスしたら、勝てない。でもきっと、それだけでは思考停止なんだ。
ミスに対する目線をどこに持つのか。
そこに思想と、日々の練習に裏付けられた確かな信念が必要なんだね。