Sunday, July 31, 2005

フィリップス・コレクション

ひさしぶりに、絵を観てきた。
六本木ヒルズの森美術館で開催されているフィリップス・コレクション展。

もともとおれは、それほど美術館が好きなわけではなかった。
両親ともに絵を観ることを趣味にしているし、親父は描くのも上手い。家にはいくつかの画集があって、比較的幼い頃から絵に触れる機会は少なくなかったと思うのだけれど、正直に言って、自分から絵を観に行こうと思うことはほとんどなかった。今となっては、最初のきっかけは思い出せないけれど、おそらくミレーの『落ち穂拾い』じゃないかと思う。『落ち穂拾い』は、横長のカンバスに描かれた「秋」が有名だけれど、実はもうひとつ、縦長のカンバスに描かれた「夏」があるんだ。高校を卒業する直前の1996年3月に、山梨県立美術館が購入して、おれはその絵を観るために、大学入試の合格発表が行われる前に、山梨に行った。結局その絵は公開前で観られなかったし、大学入試は見事に滑っていたけれど。

長くなったけれど、とにかくその頃から、年に数回は、主にひとりで絵を観に行くようになった。(数回といっても、片手で十分数えられる程度だけれど。)東京で一人暮らしを始めた頃で、両親は「せっかく都会にいるのだから、いい絵をどんどん見たらいい」と言っていたのだけれど、ちょっとだけ、そうだな、って思うようになった。そんなおれが、絵に対する興味を少しずつ強めていったのは、ほとんどうちのパートナーの影響だよね。

それで、フィリップス・コレクション展。
結構な数の作品が展示されていて、かつ蒼々たる画家の作品が並んでいた。
印象に残っているのは、クロード・モネの『ヴェトゥイユへの道』という作品。黄色を中心とした淡い色づかいで描かれた一本の道。光の優しさが心地よく、美しく、そしてどこか暖かい。
それから、「踊り子」を描いたドガの作品。ドガは「踊り子」をモチーフにした幾つもの作品を残していることで有名だけれど、実際に観るのは初めてだった。ふたりの踊り子が稽古する姿を描いたものだったのだけれど、うちのパートナーは「完璧な構図だ」と、その素晴らしさに感動していたね。
他にもルノワール、デ・キリコ、セザンヌ、ゴッホといった画家の作品がずらりと並んでいて、見応えのある展覧会。ちょっとうまく纏まりすぎているきらいがないでもないけれど、十分に魅力的な作品が数多く並ぶ、とても質の高いコレクションだと思う。

ちなみに。
展示のいちばん最後の方に並んだ3つのピカソの作品。その圧倒的な魅力。
ピカソは天才だね。

Friday, July 29, 2005

簡単に認めない

昨日、松田さんに言われたひとことが頭にこびりついている。
「簡単に認めたらあかんねん」

岡山で開催される今年の国体。その本戦への出場権をかけた関東予選が8月末に行われるのだけれど、おれは千葉県代表のメンバーとして出場するつもりだ。
千葉県代表は、昨年までおれが所属していたチームの現役メンバー数名と若手OB、それから習志野自衛隊のメンバーで構成された混成チームだ。全員が揃う機会はほとんどないけれど、毎週木曜日には八千代台のグラウンドに集まって、週に1度の全体練習をすることになっている。

八千代台は、昨年まで所属していたチームのホームグラウンドなので、当然よく知った顔で溢れ返っている。久しぶりに元チームメイトと会って、お互いの現在を話していると、いつも刺激を受ける。当たり前のことだけれど、日本一を目指して日々練習に打ち込んでいる人間の集団は、やっぱりいいものです。

松田さんは、そのチームのテクニカル・スタッフ。
練習や試合の映像編集・分析を担当している、映像処理のスペシャリストだ。
お会いするのも随分久しぶりで、昨日の練習前に、挨拶を兼ねて少し話したんんだ。松田さんは、おれが今期タマリバでプレーすることを知っていて、そこから色々と話したのだけれど、何気ない言葉の中に、興味深い観点がたくさんあって、とても刺激的だった。不思議なもので、昨年までの3年間、毎日のように顔を合わせていたはずなのに、松田さんから、松田さんの「観点」を引き出すような会話は、あまり出来なかったような気がする。今にして思えば、当時のおれは、自分自身の中で勝手に線を引いて、その先に自分を持っていこうとしていなかったのかもね。

「タマリバでは試合に出られそうか」と聞かれて、いい選手も少なくないので、分かりませんけど・・・って言った時だった。

「そこがおまえの良くないとこ。簡単に認めてしまったら、あかんねん。」

この時、はっと気づいた。自分の内側に潜むコアの部分にベクトルを向ける姿勢が、まだ全然足りなかったんだという事実に、瞬間的に気づかされたんだ。

「認める」ことにも、レベルがあると思う。自分の実力を、例えば同じポジションのライバルと冷静に比較した時に、悔しいけれど自分の方がその時点で劣っていることは当然あり得る。その時に、その事実を厳粛に受け止めた上で、彼我の差を埋める為に全身全霊を込めてなされる試みこそが「努力」と呼ばれるものだと思う。
自分より凄いやつはいない、という自負がある人間も、きっと同じだ。自分が思い描く「理想」との間に厳然と存在するギャップ。そこに到達することは不可能と思えるほどに圧倒的なギャップを前にしてなお、その矛盾を埋めるべく前に進もうとする。書いていて気がついたけれど、これはまさに「ハバナ・モード」と呼ばれる姿勢だよね。
その意味では、「認める」のは、チャレンジのひとつの重要なファクターかもしれない。

でも同時に、認め方によっては、それはチャレンジを形骸化させることにもなる。
周囲を「いい選手」だと認めることで、レギュラーの座を奪えなかった時の言い訳を、自分の中に先に準備してしまう。例えばそういうことだ。結果に対する言い訳を最初から持っているのだとしたら、チャレンジの意味は全然ないよね。
松田さんが言おうとしたのは、おそらくそういう「認め方」のことじゃないかと思う。

認めるのは、あくまでその時点での彼我のギャップだ。
その先の結果であったり、ネガティブな可能性は、簡単に認めてはいけない。
松田さんの言葉を受けておれが感じたのは、そういうことだった。


ちなみに松田さんのコメントには、もうひとつ興味深いものがあった。

「小さいものが大きいものに勝つことはある。
でもラグビーでは、弱いものが強いものに勝つことはない。」

この言葉の意味するところが正確に伝わるかどうか分からないけれど、東大ラグビー部の現役のみんなに聞かせてあげたい言葉だと思った。
おれが育った東大ラグビー部は、コンプレックスの塊のような集団だった。当時はまだ対抗戦1部に所属していて、早稲田、明治、慶応といった強豪校と公式戦を戦っていたのだけれど、スポーツ推薦のない東大は、センス・経験・パワー・サイズ全てにおいて相手に劣るということを、いつも前提にしていた。俺達にはセンスがない。パワーもサイズもない。それはある種の強烈なコンプレックスとなって、いつもチーム内に存在していた。でも、5年間でたった2度だけ勝利した時、そのコンプレックスは「弱い」ということを意味してはいなかった。むしろ、コンプレックスを克服する戦略を突きつめ、徹底的に練習することで、コーチの水上さんがシーズンを通して言い続けた「Confidence(自信)」へと逆に変えていっていたと思う。
でも、そんな瞬間ばかりじゃない。2勝19敗という学生時代のおれの戦績がすべてを物語っている。自分達のことを、自分達自身で勝手に「弱者」と考えてしまった試合が何度もあった。振り返ってみても、水上さんの指導が始まってから最初の2年間は公式戦全敗だ。水上さんのいう「自信」という言葉の意味を知る為に、東大には3年という時間が必要だったんだ。

当時はそこまで考えなかった。社会人ラグビーという新たな世界を経験したことで、初めておれは、当時の自分達を相対化できるようになったような気がするんだ。
この違いに気づいた時、きっとそれが「東大のラグビー」ってやつのスタートラインなんだよ。たとえ自覚的じゃなかったとしても。

Thursday, July 28, 2005

網走に行く前に

まずはこれを読んでみてほしい。
http://www.suzukirugby.com/column/index.html

60年前の先輩は、戦時下においてもラグビーをしていたんだね。
恥ずかしながら、このコラムを読むまで知らなかった。
自分を育ててくれたチームの歴史。
チームの一時代を支えてくれた先輩たちの魂と、ラグビーへの思い。
感傷的になるのは好きではないけれど、思わず目頭が熱くなってしまった。

そういう魅力が、確かにラグビーにはあるんだ。
うまく言葉に出来ないけれど、ラグビーは人生のすぐ傍にいつもあって、逆に人生もまたラグビーのすぐ傍にあるような、そんな魅力に溢れている。
小寺さんに言わせれば、「ラ」の世界ってやつですね。

昨年まで所属していたチームの仲間は、土曜日から網走で合宿に入るらしい。
「夏に大いに鍛えよ」ってやつを、まさに地で行くことになるんだろうね。
いいじゃん。
肩が外れるくらいタックルできる「自由」ってやつを謳歌してきてください。


ちなみに、藤島大さんのこの連載は、それぞれは小粒ながらも、ラグビーへの愛情に溢れた良いものが多い。その中でもおれが特に良いと思うのは、第6回の「想像力とユーモアの笛を」ってやつだね。ラグビーの根底にいつもなければならない「人間への尊厳」というものを、改めて思い出させてくれる。「人間への眼差し」というのは、ラグビーのあり方が変わりつつある今、もう一度立ち返るべき原点かもしれないね。
他にも、「練習の倫理」(第11回)や「いい選手について」(第13回)なんかも良質のコラムだ。ただラグビーの表層を捉えるのではなく、その裏側に横たわるメンタリティや人間性へと常に視点を向ける藤島大さんの姿勢は、優しさと繊細さに満ちていて、とても好感が持てる。ラグビーを大切に扱う人だということが、言葉の端々から伝わってくるからね。藤島大さんのラグビー観には賛否それぞれあると思うけれど、一読の価値は十分にあると思います。

Wednesday, July 27, 2005

『書を捨てよ、町へ出よう』読了

寺山修司の評論集『書を捨てよ、町へ出よう』、読了。

以前からずっと気になっていた作品。
これまでなぜか、手に取ることがなかったけれど、書店の棚を眺めていると、いつも必ず目にとまる。そして、その度に「まだだな」と思い、別の文庫に手を伸ばす。そういうことを、これまで何度も繰り返してきた。
本には、不思議と「出会うタイミング」というやつがあると思う。今になって、なぜか読んでみようと思ったのも、どこか縁のようなものかもしれない。きっと今までは、作品を受け入れる準備ってやつが、まだおれ自身の中に出来ていなかったのだろうと思ったりもする。

いざ読み終えてみて。
きっと学生の頃に読んでいたら、まったく違う感想を抱いたと思う。
今のおれは、寺山修司の基本的な姿勢、あるいはポリシーといったものを、とても正直で、格好良いと思う。詩人寺山修司の言葉は、表情豊かで、時に荒々しくもあり、時に穏やかでもある。鋭利でもあり、また朴訥でもある。でも、その言葉の根底におれが感じるものは、「真っ直ぐさ」のようなものなんだ。

「真っ直ぐ」というのは、寺山修司であることに「真っ直ぐ」であるという感じかな。
そういう真っ直ぐさを、おれはとても格好良いと思うし、そこにこそ寺山修司という人間の魅力を感じてしまう。それはきっと、「真っ直ぐ」ということの意味について、学生時代よりもちょっとだけ考えられるようになったからでもあると思う。

自分であることに「真っ直ぐ」である人間は、どうしたって魅力的だよ。
結果としての行動や、生き様や、成功や挫折や、そういうものとは関係なく、ただそれだけで十分に魅力的だと思う。

ちなみに、作品の中で、ファイティング原田とアマ王者の桜井の対戦を想像して語ったところがあるんだ。桜井というボクサーのことはまったく知らなかったし、ファイティング原田にしても、現役時代の試合を見た訳でもないので、お互いの当時の実力など、正直言って分かるはずがない。でも、実現することのなかったこの対戦を想像する中で、寺山修司の語った結末がとても良いね。あくまで想像を語ったものだけれど、その最後の言葉は紛れもなく真実だと思う。

ここだけでも、本屋で立ち読みする価値はあると思うよ。

Sunday, July 24, 2005

イサム・ノグチ

日曜日といえばやっぱり「日曜美術館」だよね。
今日取り上げられていたのは、彫刻家イサム・ノグチと広島の原爆慰霊碑。

広島の平和記念公園。
この公園を設計したのは建築家の丹下健三なのだけれど、丹下はその設計の一部について、実はイサム・ノグチに依頼をしていたんだ。
例えば、公園に架かるふたつの橋。
被爆者の魂を安らかなる地へと運ぶ「舟」をイメージした鎮魂の橋「ゆく」。これから世界に羽ばたく新しい生命へと降り注ぐ「太陽」をイメージした希望の橋「つくる」。ふたつの橋は、それぞれに異なるイメージのもとに創られたものだけれど、どちらも同じように素朴で、洗練されていて、伸びやかで、そして優しい。イサム・ノグチらしさを感じさせる、しなやかなデザインの橋だ。

それで、原爆慰霊碑。
この放送を見て初めて知ったのだけれど、丹下はこの慰霊碑のデザインも、イサム・ノグチに任せるつもりだったそうだ。日本とアメリカのふたつの母国を持つ人間として、イサム・ノグチはこの仕事に強烈なモチベーションを持って取り組んだ。原爆を落とした国"アメリカ"の人間としての「罪の意識」を抱きながら、被爆した国"日本"の人間として、その鎮魂のために、全身全霊を込めて製作に取り掛かったそうだ。

でも、イサム・ノグチの原爆慰霊碑は、ついに現実のものとはならなかった。
着工直前になって、広島平和都市専門委員会がイサム・ノグチの作品を拒否したことが、その理由だった。拒否の判断に至った経緯には不透明な部分も多いそうだが、結果的には、丹下のデザインによる慰霊碑が選ばれることになったんだ。

イサム・ノグチの構想した幻の原爆慰霊碑。そのモデルは現在に遺されている。
それは、TVの画面越しに観ても、本当に素晴らしかった。
黒花崗岩を削って創りあげられた、一点の乱れもなく美しいアーチ。磨き上げられた表面は、被爆者たちのすべての魂をやさしく包み込んでいくような、そんな輝きで溢れている。静かで、深みのある優しさを備えた、素晴らしいデザインだった。

イサム・ノグチが拒否された本当の理由については、正確なことは知らない。芸術的な観点から丹下のデザインに変更された、というのが表向きの理由になっているようだけれど、番組の中では、委員会のメンバーの1人が当時のことを書いた手記の内容が紹介されていた。

原爆慰霊碑は、なんとしても日本人の手による製作としたい。
イサム・ノグチがアメリカ人であることは、決して忘れられてはならない。

実際の委員会の決断において、こういったことが影響したのかどうか、判断するだけの情報をおれは持っていない。でも、もしもイサム・ノグチが拒否された理由のひとつが彼の中のアメリカにあるのだとしたら、それほど虚しいことはないね。

イサム・ノグチの幻の慰霊碑、実現してほしかったな。
自分の目で実際に見て、茶室をイメージしたという鎮魂のための空間で、被爆者への黙祷を捧げたかった。残念ながらもう叶うことはないけれど。

意図を持つ

タマリバクラブの活動の一環として、横須賀高校ラグビー教室に参加してきた。

横須賀高校は、名門の桐蔭学園を筆頭とした激戦区の神奈川県で、花園出場を目指して頑張っている公立高校。選手のみんなは、タマリバと練習できるのを楽しみにしてくれていたみたい。クラブチームとはいえ、タマリバにはかなりの実績を持つ選手も少なくないので、彼らにとっても刺激になったと思う。タマリバのメンバーにとっても、これから先何年も活躍していく選手達が、こうして期待してくれるというのは、やっぱり嬉しいことだよね。
そんな訳で、予定時間を大幅にオーバーして、3時間近く、みっちり練習してきた。

練習全体をコーディネートしてくれたのは、SHの吾朗さん。
最近タマリバでもよく話すようになった先輩のひとりで、ラグビーに対してとにかく真摯に向かう姿勢にいつも刺激を受けている。今日の練習でも、進め方やコーチングのポイントが事前にかなり練られていて、すごく濃密な内容になっていた。日常生活の中から自分の時間を割いて、事前にこれだけ準備しておくのは、実際にはかなり大変なことだと思うんだ。たった一度の練習を有意義なものにする為に、それなりの時間を費やして準備をしてくれたことは、吾朗さんが練習中に右手に抱えていたメモを見れば、誰にだって分かるはずだ。そういうことのひとつひとつが、選手達からの信頼に繋がっていくんだろうね。高校生は、きっと嬉しかったと思います。

ラグビーを教えるのは、とても難しいよね。
ラグビーのプレーにはいろんな考え方があって、ひとつの正解は存在しない。メンバーの特徴や個性、相手チームのスタイル、現時点での選手のスキルレベルや経験、その時のチーム状態やモチベーション。そういった諸々の要素によって、教えられるプレーや教え方、伝えたいキーメッセージが変わってくる。そういう諸条件を見極めて、限られた時間の中で、ポイントを絞ってメッセージしないと、教える側の自己満足で終わってしまう。何をいつ、どのように伝えるか。それも押し着せるのではなくて、選手自身が考えて、何かに気づくためのきっかけを準備するように仕向けていく為に、どういう方法論を取るか。そこまで考えて、判断しながら進めていかなければならない。そういう意味では、コーチングというのは極めて知的な作業だと思う。

そして、だからこそコーチングは、逆に自分が学ぶきっかけにもなる。
教えるために、考える。考えてみると、それまで明確に意図せずにしていたプレーの意味に、改めて気づいたりもする。意図を持って、考えてやっているプレーでなければ、説明できないからね。

意図を持ってプレーすることには、すごく大切な意味がある。つまりね、「意図を持っている」ということは「自分の意図を他人に伝えられる」ということでもあるんだ。するとそこで、お互いの意図の確認という作業が生まれる。これが「コミュニケーション」だよね。ラグビーは15人でするスポーツなので、グラウンドには15の意図がある。でも、チームの目的はたったひとつ、「ゲームに勝つ」ということ。だから、15の意図を、1つの「チームの意図」に纏め上げていくことが必要になる。コミュニケーションというのは、その為に欠かすことの出来ない最大の要素だよね。
意図のないところに、コミュニケーションはないと思うんだ。

今日の練習に参加したタマリバのメンバーの中には、大学生も数名いたのだけれど、今日のコーチングの経験は、彼らの刺激にもなったみたい。「自分も初めて聞くようなことがたくさんあった」って。それだけじゃない。高校生から飛んでくるシンプルで難しい質問。どうやるんですか、と質問されても上手く説明できないプレー。そういう諸々に向かうことで、きっと自分達の方が考えちゃったと思う。
おれ自身も同じで、高校生に聞かれた幾つかの質問には、どきっとしてしまった。10年以上もプレーを続けているのに、改めて質問されると戸惑ってしまうことがたくさんあるのだから、ラグビーは本当に難しくて、奥が深くて、そしてやっぱりおもしろいスポーツだと思う。いい勉強になりました。

ちなみに。
自分達の練習として最後にやったタッチフットは、最悪の出来だった。両チームともミスばかりで、集中力も低くて。せっかくオフにこうして時間を割いて集まっているのだから、もっと練習の質を高めないと勿体ないよね。確かに高校生も数名混じっていたし、全体としてのレベルは高くなかったけれど、そういう問題じゃないんだ。
自分のプレーにもっと集中して、自分からやればいいんだから。

Tuesday, July 19, 2005

『ハバナ・モード』読了

村上龍さんの最新エッセイ集『ハバナ・モード』、読了。
20年以上も連載の続いている「すべての男は消耗品である」シリーズのVol.7ね。

改めて書くまでもなく、抜群に良い作品。
龍さんのエッセイは、初期の頃の作品も良いものが多いけれど、ここ数年の作品の方が圧倒的におもしろいと思う。初期の頃のように、イメージを鋭利なイメージのまま言葉にしていったようなエッセイは少なくなったかもしれないけれど、とどまることのない問題意識と、それに対する思考の厚み、次々に提起される世界の切り取り方、そういったものは初期の作品を完全に凌駕していると思う。

この作品の中で、利根川進さんの言葉に触れている章がある。
昨年8月に刊行された対談集『人生における成功者の定義と条件』において、利根川さんが語った言葉だ。

「本当にむずかしくて重要なのは、問いを考えることだ」

決められた問いに対する答えを探すことは、ある程度訓練すれば誰にでも出来る。でも、「問い」そのものを考えることは、簡単には出来ない。問いを考える為には、そもそも何が分からないのかを分かっていなければいけないからね。
問いは、誰もが立てられるものじゃない。問いを立てる為には、問いを立てるに足るだけの前提知識や経験が必要となる。そうした前提を獲得する為には、相当の労力が必要だし、問い続けるスタミナも必要になる。なにより、圧倒的なまでの知的好奇心と「分からない」ということへの徹底的なこだわりがなければ、「問う」という姿勢は不可能だと思う。

翻ってみると、龍さんのエッセイにはまさに「問い」が溢れている。
そして、そのことにおれはいつも驚かされてしまう。
「問う」という姿勢、あるいは態度が、龍さんの生き方そのものになっているような、そんな雰囲気がエッセイから滲み出ている。

龍さんの考え方や、発想の仕方に対して違和感を感じる人は少なくないかもしれない。エッセイの中で語られる様々な事柄に対して取りうるスタンスは、それこそ人それぞれのものだと思うし、そのこと自体は特に問題ではなく、むしろ当然のことだと思う。ただ、このエッセイにおいて設問されている数々の「問い」そのものは、有無を言わせぬ迫力を持っているし、「問い」として非常に有効なものばかりだ。このエッセイに限らず、ここ数年の龍さんのエッセイの最大の魅力は、まさにこの点にこそあるのかもしれない。

それから、今回の作品について言うと、まず「ハバナ・モード」という言葉自体が抜群に良いよね。「ハバナ・モード」というのは、龍さんの言葉を借りると「何とかなるだろうという曖昧でポジティブな前提と、このままではどうしようもないという絶望との乖離の中にあって、その2つの矛盾を混在させ、限りなくゼロに近い可能性に少しでも近づく為に、不断の努力をする」態度、といったことになるかな。ちょっと分かりづらいかもしれないけれど、龍さんはこのことをして「危機に瀕した国家や個人が取りうるおそらく唯一の基本戦略だと思う」と書いている。「危機感」というキーワードを読み解く上で、非常に重要なファクターになってくると思う。

とにかく、相変わらず珠玉のエッセイ集であることは間違いないね。
読了したおれの次の課題は、「『ハバナ・モード』を生きられるか」ということになると思います。

ミルフィーユ

今年4回目の渋谷ユーロスペースで、久しぶりの映画。
内田けんじ監督作品「運命じゃない人」
http://www.pia.co.jp/pff/unmei/index.html

最近彼女にふられてしまった宮田。
宮田の昔からの親友で、探偵事務所を構える神田。
他に好きな人が出来たと言って、宮田を捨てていったあゆみ。
昨日まで婚約していたのに、突然ひとりぼっちになってしまった真紀。
台所事情は芳しくなくとも、メンツは守らなければならないヤクザの浅井。
便利屋の山ちゃん。
それぞれの思い、それぞれの考えや目論見、そういったものの間に生じたほんのちょっとした「ずれ」が複雑に絡み合って、それぞれの生活に思わぬ展開を引き起こしていく。スクリーンの外側の視点からみれば、すべてが1本の糸として繋がっていくのだけれど、スクリーンの中の登場人物には、それぞれ自分自身にしか見えない糸があって、そのそれぞれが、他とは違う色をしている。
その色の配分が、軽妙で心地良い作品だね。

うちのパートナーは、「ミルフィーユのような映画だ」と言ってた。
ミルフィーユのように幾重にも層が折り重なっていて、立体的な作品だって。
すぐ食べ物に例えてしまうんだけど、悪くない表現かなとも思う。

すごく低予算で作られた映画だというけれど、非常によく練られていて、人間味のある作品に仕上がっていると思う。主人公の宮田ってやつが、とにかく優しい男なのだけれど、ミルフィーユの層の中にあって、その優しさは馬鹿みたいでもあり、ほっとしたりもして、結構悪くない感じだ。
それから、単純に笑える作品でもある。ところどころに織り込まれたユーモアは、かなり笑えるものが多いね。コメディとしても、センスが良いと思う。便利屋山ちゃんが最初に登場するシーンなんか、隣の人は5分近くも笑い続けてたからね。

そんな訳で、派手ではないけれど、とても丁寧に作られた良い作品だった。
ユーロスペースは、会員になると全ての上映作品が1,000円で観られるのだけれど、良質な作品も多いし、絶対に損はしないので、会員登録必須だと思います。

Monday, July 18, 2005

春、終了。

長かった今年の春が、昨日をもってようやく終わった。
タマリバクラブの春シーズンを締め括るのは、7/16-17の八幡平遠征。

今年の6月にタマリバクラブに参加して1ヶ月、今回が初めての遠征。
遥々岩手県は八幡平まで赴いた訳だけれど、2万円近くを自己負担しなければならないこの遠征に40人近くが参加するのだから、改めてトップクラブのメンバーがラグビーにかける情熱というものが伝わってくるよね。

今回の遠征の最大の目的は、もちろん釜石シーウェイブスとのゲーム。
八幡平ラグビーフェスタ2005のメインゲームとして組まれたこのカードは、タマリバクラブにとって、今年の春シーズンを締め括るとともに、春のチャレンジの全てを試す最高の舞台として位置づけられていたんだ。
釜石SWのような知名度のあるクラブとは、そう簡単にはゲームを組むことが出来ない状況の中で、訪れたチャンス。昨年まで一緒にプレーしていたメンバーからすれば、それほど魅力的なカードではないかもしれないけれど、このクラブにとっても、そして今のおれにとっても、願ってもないチャンスだったことは確かだ。
6月14日に初めて練習に参加して以来、ずっと楽しみにしてたゲームだからね。

首脳陣からメンバーが発表されたのは、試合前日の15日。前半40分のみだけれど、インサイドCTBとして出番をもらえたことで、俄然気持ちが高ぶっていった。今さら怯えることもない。とにかくタックルしよう。チャンスをものにしよう。40分間という限られた時間の中で、今の自分を思い切り試してやろう。そう思って、遠征に臨んだ。


7月16日 15:00K.O. タマリバクラブvs釜石SW @松尾村陸上競技場
タマリバ 33-42 釜石SW

結果はというと、悔やまれる惜敗。
釜石SWのメンバーはよく分からないけれど、FLとSOに外国人を擁していたことを考えても、ほぼ1本目だったと思う。タマリバとしても名を上げる絶好の舞台が整っていた訳だけれど、残念ながら白星を取りこぼしてしまった。

前半早々に先制トライを奪い、基本的には常に先行しながらゲームを進めていたのだけれど、前半20分を過ぎたあたりで、こちらのミスからトライを連取され逆転を許してしまい、そのまま前半は19-21で折り返す。
後半に入ると、常に後手に廻ってのゲーム展開。幾つかチャンスはあったのだけれど、トライに結び付かない。逆に釜石SWは、タマリバのDFの綻びを着実にトライに繋げて、点差を広げていく。タマリバも終盤2トライを奪って追い上げたものの、残念ながら及ばず、33-42での敗戦となった。

悔しい。本当にチャンスだったんだ。
負け惜しみみたいで格好悪いけれど、釜石SWが強かったわけじゃない。おれたちがそれ以上に弱かった。ゲームに臨む上で、既に自らの内に敗因を持っていたような、そんなゲームだった。
個人的にも、煮え切らない40分間になってしまった。何度か大きくゲインラインを突破した。タックルも特別悪かったわけじゃない。けれど、ゲームの流れを大きく狂わせてしまうミスがあった。仕事量自体も全然多くなかった。ひとつひとつのプレー、あるいはプレーの合間の動きが全体的にどこか緩慢で、とにかく走れていなかった。

試合後、FLの小山と話した。これじゃまずいな、って。
お互い気持ちは同じだったみたい。今の状態では、ラグビーを楽しむところまで至っていないと思った。悔しいし、煮え切らないゲームだったけれど、今の自分のレベルや課題は改めてよく分かった。その程度のものだ、ってことが。

とにかく、もう一度やり直しです。秋の公式戦に向けて、練習するしかないね。


7月17日 10:00K.O. タマリバvs岩手選抜 @鬼清水グラウンド

釜石SWとのゲームの翌日は、Bチームvs岩手選抜のゲーム。前日もゲームをしているというのに、9:00ウォーミングアップ開始で、10:00には試合が始まるのだから、すごいハードスケジュールだよね。
タマリバは基本的にBチーム主体のメンバー構成で、Aチームのメンバー数名は、このゲームには出場しなかったのだけれど、おれは80分間フル出場した。2日間で120分もゲームをするのは、本当に久しぶりのことだったよ。

それで結果はというと、圧勝。
詳細は覚えていないけれど、90点以上奪っての勝利だった。
このゲームで良かったのは、おれが大学5年の時に1年で入部してきたSOのミヤハラという後輩と、4年振りに一緒にプレーしたことだね。ミヤハラは1年で入部した時から良い選手で、即座にレギュラーになったので、そのシーズンの対抗戦を共に戦ったのだけれど、その4年後に、こうして同じチームでプレーできるとは、当時は思ってもいなかったからね。
おれが言うのもなんだけれど、ミヤハラは本当に上手くなった。4年前とは別人のような動きだ。大学ラグビー部での日々の練習に対して、真摯に取り組んできた土台の上に、「タマリバ」という新しいチームのエッセンスが加わることで、更に実力を伸ばした。プレーのひとつひとつを見れば、本当に真剣にラグビーに向かってきたことが誰にだって分かる、とても良い選手だと思う。
そのミヤハラと、4年振りにSO-CTBを組んだのだけれど、本当に楽しかった。細部を合わせて臨んだゲームではなかったけれど、4年前とは比較にならないくらいに息が合ったように感じた。この試合、ミヤハラは大活躍で、4本か5本トライしたんじゃないかな。ボールを持てば抜けるような、そんな感じだった。おれはというと、この後輩のアシストを得ながら2トライ。おもしろいように抜けたけれど、あれはパスで抜かせてもらったようなものだ、ということにしておきます。

全体的にはミスも多かったし、圧勝しながら21失点と課題の残るゲームでもあった。それでも、春の最終戦という意味では、気持ち良くシーズンを終えることの出来る良いゲームだった。

そんな訳で、1泊2日の八幡平遠征も無事に終了。おれの「春」はようやく終わった。
悔しくもあり、煮え切らない部分もあったけれど、それ以上に収穫も多く、自分の今のレベルがよく分かった春シーズンだった。この遠征をもって、タマリバはしばらくオフに入るのだけれど、フィットネスが落ちてしまうのもまずいし、駒場にはちょくちょく顔を出そうかと思ってます。

既に日程の発表された秋の公式戦が楽しみだね。

Friday, July 15, 2005

空について

あるメールマガジンで目にした、和田一夫さんの言葉。
和田一夫さんというのは、ヤオハンの創始者ね。

四方八方ふさがれば、それで終わったと思う前に天を仰ぐことです。
「ああ、空がまだあるな」とね。

メールマガジンでこの言葉を目にしたのは、昨日の朝のこと。心に響く言葉だったので、しばらくそのことを考えていたのだけれど、ふと思ったんだ。
背伸びをする必要はないんだ、って。
ちょっとだけ目線を上に向ければ、きっと空は見える。それだけでいいんじゃないか。

空って、どこから空なんだろう。
空はおれらにとって、すごく高くて、大きくて、広いものだよね。
でも同時に、すごく近くて、目の前に、ほんのすぐ傍にあるものだとも思うんだ。
大空と、手の届くすぐ傍の空間との間に、境界なんてないんだからさ。

実は気になって、「空」の定義を調べてみたんだ。
三省堂「大辞林」第二版の定義は、”地上をとりまく、広がりのある空間”。
つまり、広がりこそが「空」なんだね。
すぐ傍にある空間だって、上空の広がりとつながっているんだからさ、きっと人間の側が、勝手に狭いエリアだけを切り取って見ているだけなんだ。

Wednesday, July 13, 2005

Context

『SPEED』を読み終えて次に手に取ったのは、やっぱりまた村上龍さん。
まだ出たばかりの新刊エッセイ集『ハバナ・モード』ってやつね。

全体を通しての感想は、読み終えた時に改めて書こうと思う。まだ3分の1くらいしか読み進めていないけれど、思わず唸ってしまう観点や指摘に溢れていて、相変わらず刺激的な作品であることは間違いない。
ただ、既に読んだ数章の中で、特に考えさせられる指摘があったので、そのことだけは忘れないうちに書いておこうと思って。

もう随分前のことのように感じるけれど、昨年の暮れに、ライブドアによる近鉄球団買収の意向表明を発端として、IT企業のプロ野球への参入が話題となった。近鉄とオリックスの合併によって生まれた新規参入枠をライブドアと楽天が争い、結果的には楽天がプロ野球界への参入を果たすことになった。また、ダイエーの経営問題に端を発した事業再編のひとつとして、福岡ダイエーホークスがソフトバンクに売却された。こうした一連の経緯は、その頃、連日のようにメディアを賑わせていたよね。

あの時、大手既成メディアの報道は、基本的に旧態依然のプロ野球界vsライブドア、あるいはライブドアvs楽天、といった対立軸を設定して、誰が勝者となるのか、という議論ばかりをしていた。そして、ライブドアや楽天といった企業は、旧体質に風穴を開ける救世主のような報道のされ方だったように思う。彼らが日本の閉塞感の少なくともある部分を打ち破ってくれるんじゃないか。そんな期待感のようなものが、その当時のメディアにおける報道の基調となっていた。

でも、『ハバナ・モード』の中の「幻の改革と変化」という章において、龍さんはまったく異なる指摘をしているんだ。ここは大切なので、正確に引用したい。
(ブログにおけるこうした引用に著作権上の問題がある場合には、即座に削除するので、知ってる人がいたら教えてください。)

彼らのようないわゆるITの勝ち組でさえも、プロ野球のような人気衰退媒体に頼るしかないという現実は、破壊や革新を待ち望む子どもや若者にさらなる閉塞を生むことになった。もうフロンティアはないのだというメッセージを送っているのと同じだから、その罪は深い。(村上龍 『ハバナ・モード』 38p)


プロ野球界に新風を巻き起こしたはずの彼らは、若者にさらなる閉塞を生み出した。
この指摘には、思わず唸ってしまった。
その当時のメディアに、こういう観点での議論は一切なかったと思う。分かりやすい対立軸を設定することでしか、起きている事象に向かうことが出来なかった。それは言い換えるなら、「改革」や「革新」、あるいは「閉塞」という言葉に対して、メディアがその正確な定義を持っていなかった、ということかもしれない。これはメディアだけの問題ではなくて、受け手側である日本人のほとんどが、こうした観点を持ち合わせていなかったんじゃないかと思う。
誤解のないように書いておくけれど、龍さんの指摘こそが真実を語っている、と言いたい訳じゃない。龍さんの指摘は、あくまで龍さん個人のものだし、それに同意する人もいれば、拒絶する人もいると思う。いろいろな考え方や判断があっていいし、あってしかるべきだ。おれが言いたいのは、なにかを議論する時に、正確な文脈で、正確な定義を持って語ろうとする態度というのが、決定的に重要だということなんだ。

龍さんは、自分の中に「文脈」を持っている人なのだと、改めて感じた。
文脈というのは、事象の裏に横たわる流れのようなもの。
龍さんは、これまで常識的なレベルで成立していた曖昧な文脈を越えて、その先に自分自身の文脈を構築し、その文脈において世界を切り取っているのだと思う。
そして、「文脈を持つ」ということは、正確な定義をもとに、厳密に今を切り取ろうとする態度の中にしか、きっとないんだ。

そしてこれこそが、たぶん村上龍さんという作家の最大の価値だと思うんだ。

Monday, July 11, 2005

来週に向けて

練習@駒沢大学玉川グラウンド 10:00-13:00

タマリバの練習に参加するようになって、初めての遅刻。
駒沢大学Gって言われたら、駒沢大学駅で降りちゃうよね。まさか二子玉川からバスだとは思わなかった。釜石SW戦前の最後の練習だというのに、結局25分ほど遅れてしまって、さすがにショックだった。

人工芝のグラウンドが若干濡れていたこともあって、今日はボールが手につかなかった。もともとハンドリングは得意じゃないので、グラウンドのせいばかりでもないけれど。
その代わり、タックルは昨日よりも全然良かった。アタックでのボールタッチは少なかったけれど、収穫のある内容になったね。チーム全体としても、釜石SW戦が控えていることもあって、気持ちの入った良い練習になっていた。ディフェンスは普段以上にタイトだったし、悪くない内容だったと思う。

あとは、来週やるだけだね。メンバーに入るといいけど。

Sunday, July 10, 2005

SPEED

金城一紀さんの最新作『SPEED』、読了。

金城さんのこれまでの作品は、すべて読んでいる。
最初に読んだのは、大学時代のチームメイトが薦めてくれた『GO』という作品。その頃はまだ社会人ラグビーでプレーを続けていたのだけれど、確かある日の練習終了後に、携帯にメールが入ったんだ。いますぐ買って帰れ、って。
いろんな意味で信頼しているやつの薦めだったから、その日の帰りに八千代台の書店で買って帰った。京成線の特急に乗って、頁を開いて読み始めて・・・

そしたら、抜群だったんだ。

『GO』はその後、窪塚洋介主演・宮藤官九郎脚本で映画化されて、話題になった。詳しくは憶えていないけれど、各種の映画賞を総ナメにしたはずなので、映画を観た人は多いかもしれない。でもさ、もし原作を読んでいないのなら、明日の帰りにでも本屋に寄って、手に取ってみてほしい。瑞々しくて、スピード感に溢れていて、鋭利な刃のようにエッジが効いていて、そしてストレートに心に訴かけてきて、とにかく素晴らしい作品なので。

そんな訳で、『GO』の読了後は、既に発表されている金城さんの作品をとにかく読みふけった。とは言っても、金城さんの作品は、まだ数自体が多くないんだ。『対話篇』を読んで、『レヴォリューションNo.3』を読んで、『フライ,ダディ,フライ』を読んだら、それで終わりだからね。

『レヴォリューションNo.3』と『フライ,ダディ,フライ』は、連作になっている。5人の高校生を中心としたチーム「ゾンビーズ」が、誰かが決めた世界を飛び出して、自分たちの世界を創るために暴れまわる。ひとことで言うと、そんな物語だ。

『SPEED』は、このゾンビーズ・シリーズの続編。ヒロシを失って4人となったゾンビーズと、偶然出会ったひとり女子高生とが織り成す、新たな跳躍の物語。「跳躍」というのは、誰かが決めた世界からの跳躍、ということだけど。

やっぱり、瑞々しさに溢れている。作品全体としての完成度は『フライ,ダディ,フライ』に劣ると思うけれど、十分に魅力的な作品。ゾンビーズの(特に舜臣の)言葉は、鋭くて、妥協がなくて、でもいつだって優しさが忍び込ませてあって、とても格好良いね。

これから読む後輩がいるので、細かなことは書かない。
ひとつだけ書くなら、ゾンビーズの親友で情報屋のアギーが運転する車の中で、山下が泣き出すシーン。アギーは、ゾンビーズと岡本さん(主人公の女子高生ね)を乗せて、車を運転していて、音楽をかけようとカーステレオに手を延ばすんだ。エレキギターのイントロが流れ出す。するとアギーは、やべっ、と呟いて、すぐに曲を変えようとパネルを操作するんだ。でも山下は、もう堪えられずに泣き出してしまう。
その曲は、ヒロシの大好きな曲だったんだ。ヒロシっていうのは、病気で死んでしまったゾンビーズの親友で、『レヴォリューションNo.3』において、彼らはヒロシの為に、女子高の屋上から花火を上げるんだ。

このシーンが、おれは最高に好きだよ。涙なくしては読めない。
ヒロシってやつは、いいやつだったんだ。『SPEED』においても、ヒロシのことはたびたび語られるけれど、それほどゾンビーズにとって大切な存在なんだ。
だからさ、もしゾンビース・シリーズを読んだことがないのであれば、まずは『レヴォリューションNo.3』を読んでみてほしい。この作品こそが、ゾンビーズの原点だから。(『フライ,ダディ,フライ』には敢えて触れないけれど、『レヴォリューションNo.3』を読み終えたのに『フライ,ダディ,フライ』を手に取らないなんてことは、あり得ないよね。)

そしたらきっと、このシーンで涙すると思うよ。

今日の反省

練習@辰巳グラウンド 13:00-16:00

いつも通りのメニュー。
来週に迫った釜石SWとのゲームに向けて、なんとか首脳陣にアピールしようと思っていた。ずっと楽しみにしていたゲームだけれど、そもそもメンバーに選ばれないことには、チャンスもないからね。
今日の課題は、ボディコントロール。10分×3本のミニゲームにおいて、この部分での自分の緩さが出てしまった。
10年以上ラグビーを続けてきて、今さら気づくことでもないけれど、コンタクトした時のボールの扱い方が上手くないね。ボールは何より大事。何度教わったことだろう。

同じことを繰り返さないように、明日の練習では意識してプレーしないとね。

Saturday, July 09, 2005

Sleipnir

ちょっと前から、Sleipnirというブラウザを使っている。
Internet Explorerと比較すると、圧倒的に使いやすいんだ。
Sleipnirは、Internet Explorerのエンジンで動く高機能タブブラウザで、柔軟なカスタマイズも可能だし、動作も軽快で速い。エンジンは切替可能なのだけれど、デフォルトではIEを利用する設定になっているので、画面表示の問題もほとんどないし、ブックマークなんかも自動的にインポートされる。そもそもIEにはタブブラウジング機能がないので、随分不自由してたからね。
そんな訳でとても快適なブラウザなので、お薦めです。
http://sleipnir.pos.to/

それでね、Sleipnirには幾つかのプラグインがあるんだ。
プラグインというのは、アプリケーションに追加機能を実装する為のプログラム。Sleipnirでいうと、例えばIEのブックマークが自動的にインポートされる機能。あれなんかは、Sleipnirに標準で組み込まれているプラグインの機能だよね。IEだと、例えばGoogleやYahooが提供しているツールバーなんかはよく知られているよね。とても便利だし、実際に使っている人も多いんじゃないかと思う。
Sleipnirのプラグインの幾つかは、既に標準でブラウザに組み込まれているのだけれど、つい先日、実はすごくいいやつを発見したんだ。(遅いかもしれないけど)
それが、"RSSバー for Sleipnir"ってやつ。こいつがものすごく便利なんだ。

RSSリーダーには、幾つかの種類があるんだ。
ひとつはメーラー型。メールソフトに類似したアプリケーションを起動させておくタイプね。それから、ブラウザ型というのもある。これは、その名の通りブラウザに組み込んで使うタイプだ。他にもニュースティッカーといって、証券会社のビルでよく見かける、株価情報を随時流している電光掲示板のようなバーをデスクトップ上に常駐させておいて、自分の登録したサイトのニュースを流し続けるタイプもある。
今までおれは、メーラー型のRSSリーダー(Goo RSSリーダー)を使っていたのだけれど、常に起動させておいて、時間が空くたびにアプリケーションを切り替えるのは結構面倒だったんだ。RSSリーダーとしての機能に不自由はなかったけれど、ちょっと重たい気もしたしね。
なにより、ブラウザとRSSリーダーを両方とも起動させておく意味を感じなくて。RSSリーダーには、過去の記事をキャッシュしておく機能があるのだけれど、その時のニュースをオンタイムで参照するだけなら、ブラウザ型で充分だからね。
それで、いろいろ探して試していたら、こいつに行き着いたというわけ。

これは本当にいいよ。とても便利で、なにより使いやすい。
Sleipnirでは、画面の左側にエクスプローラバーを表示させることが出来る。基本的には、ここにブックマークが表示されるのだけれど、「RSSバー for Sleipnir」を導入すると、ここをワンクリックでRSSリーダーに切り替えることが出来るんだ。自分がよく訪れるサイトを登録しておけば、エクスプローラバー上で最新記事を簡単に確認できるし、実際にニュースを参照する時には、新しいタブが立ち上がるだけで、表示を切り替える必要もないし、新規ウィンドウだらけになることもないんだ。

ブラウザなんてどれも変わらないと思うかもしれないけれど、こういうツールを使ってみるのも悪くないと思うよ。詳しくは書かないけれど、新しい機能を備えたツールというのは、それだけで想像力を刺激するからね。

生きる

ひさしぶりに、素晴らしいTV番組を観た。
テレビ東京『たけしの誰でもピカソ』
~前衛アートのミューズ 奇跡の芸術を生む草間彌生~

昨年秋、東京国立近代美術館で開催された『草間彌生展 -永遠の現在』
草間彌生さんの作品を実際に目にしたのは、この時が初めてだった。
その時の感動は、今でもはっきり覚えているよ。本当に素晴らしかったんだ。

草間さんは、幼少の頃から強迫神経症に悩まされ、視界が水玉や網目模様に覆われる幻覚であったり、あるいは動植物が語りかけてくる幻聴の体験に苦しんだという。その頃の幻覚体験への執着を、草間さんは独自の前衛的芸術へと昇華させ、今日に至るまで一貫して、水玉と網目模様をモチーフにした作品を創り続けている。

京橋で観た「永遠の現在」―
そこには、草間彌生さんの初期の頃から今日までの作品群が網羅的に展示されており、水玉と網目模様が織り成す圧倒的なまでの美の世界が、そこで具現化されていた。ほとんどそれは、まったく別の新しい世界のような感覚。草間彌生というひとは、自身の前衛的芸術において、ひとつの美の形式を創り上げたというより、草間彌生という「世界」そのものを創造してしまったんだ。
おれにとっては、それくらいに圧倒的だった。

インスタレーションも素晴らしかった。
インスタレーションというのは、「場」そのものを総体として呈示する芸術的空間のこと。この展示会でいうと、鏡張りの暗闇の中に無数の電飾を吊るした「水上の蛍」という作品があるのだけれど、この作品が与えてくれた感動は今でも忘れない。信じられないほどに美しい空間。闇の中で自分と空間が同化していくような感覚。それは今までに触れたことのない世界で、今までに抱いたことのない感覚だったんだ。

それ以来、草間彌生さんはおれの最も好きな芸術家のひとりになった。

その草間さんが、今日の『誰でもピカソ』で取り上げられ、草間さん自身も出演されていたんだ。真っ赤な髪をして、赤に白の水玉の衣装を纏ってね。
草間さんのこれまでの人生が紹介され、草間さんの作品の数々と、草間作品の最大のテーマである「自己消滅」が取り上げられ、草間さん自身が、自分の言葉を語る。わずか1時間の番組だけれど、終始刺激的な内容だった。晩飯を食べながら観ていたのだけれど、おれの箸は止まってばかりだったよ。

草間さんを観て、思った。これこそが「生きる」ってことなんだ。
それに比べたら、おれなんか全然「生きてる」うちに入らないな、って。

水玉の幻覚から逃れる為には、草間さんには表現しかなかった。
だから草間さんは、どんな状況にあっても描き続けた。
それこそが彼女の世界だったし、そこにしか彼女の生きる世界は存在しなかった。
常に前衛的であり続けた。原体験としての水玉と網目模様に徹底的に執着し続けた。草間さんの言葉には、それは彼女にとって「生きること」そのものだったのだ、という響きがあった。その姿に、圧倒された。

番組の最後に、今回の出演の記念として、スタジオのどこかに草間さんに絵を描いてもらうことになった。草間さんは、出演者が登場する扉に、黒のペンで人間の横顔を描いたのだけれど、その絵も素晴らしかったよ。いともたやすい様子でペンを走らせ描いた3つの横顔。そして草間さんは、その傍にこんな言葉を添えたんだ。

「私は、人類最高の先駆者となる」
「無限の水玉は増殖し、永遠に栄える」

紛れもない天才だと思った。
今年は7月末から10月にかけて松本市美術館で『草間彌生 魂のおきどころ』と題された展示会があるみたい。お盆休みにでも行ってみようかと考えてます。

http://www.yayoi-kusama.jp/j/information/index.html

Wednesday, July 06, 2005

星廻り

7月4日、米国独立記念日。
この日、米航空宇宙局(NASA)の彗星探査機ディープインパクトによるテンペル第一彗星へのインパクト探査が行われた。直径1m、重量372kgの銅製の衝突体(インパクター)を探査機から放出して、彗星に衝突させる実験で、太陽系の起源を解明する手掛かりとして期待されているらしい。彗星の中には、太陽系が誕生した頃の物質が保たれていると考えられているので、インパクターの激突によって内部から噴出する物質や、露出するクレーターの構成を調査することによって、多くの謎の解明が進むのではと注目されている。激突の様子やクレーターの映像は、探査機から望遠鏡で観測されて地上に送信される他、ハッブル宇宙望遠鏡などからも観測されているそうだ。

このニュースに対して、おれとしては特別な感情もなく、淡々とTVの報道を追っていたのだけれど、うちのパートナーは、このニュースにすごく違和感を感じたそうだ。
それはあまりに愚かな行為じゃないか、と。

彼女が真っ先に考えたのは、「星廻り」ということなんだ。人類の預かり知らない流れ、見えない流れとしての「星廻り」が変わってしまうんじゃないか。彗星は誰のものでもないし、そうした人知の及ばぬ先のなにかを変えてしまうかもしれない行為をしていい理由はどこにあるのか、って。
彼女はこの時点では、今回の衝突実験によって彗星は消滅してしまうと思っていたらしい。実際に調べてみると、インパクトとしては、大型トラックに蚊が衝突するようなもので、彗星の軌道自体に影響はないようだ。すごい勘違いといえばそれまでなのだけれど、でも「星廻り」というのは、やっぱりおもしろい考え方だよね。

彗星はなくならないよ、と伝えると、彼女はこんなことを言った。
「宇宙っていうのは、きっとすごく繊細なんじゃないか」
「あらゆるものが絶妙のバランスを保っているのだとしたら、それが崩れてしまうんじゃないか」

こういうことって、あるかもしれないよね。
少なくとも、ないと言い切る根拠はないような気がするんだ。
おれ自身は、星廻りであったり、見えない「流れ」であったり、そういった感覚は強くないけれど、きっとあると思うよ。あってもいいと思う。
星廻りで生きるつもりはないけれど、結果としてそれが星廻りなのかもしれないし、それでも構わない。ただね、自分が感じないというそれだけのことで、科学が立証しないというそれだけの理由で、否定したり無視したり冒涜してはいけないなにかが、きっとあると思うんだ。

もっと言えばさ、きっとそういうものの方が多いんだよ。

Sunday, July 03, 2005

橋本のダンス

村上龍さんのエッセイ集『誰にでもできる恋愛』、読了。

もともとは、うちのパートナーが買ってきた文庫本で、薦められるままに読んだ。それにしても、相変わらず龍さんばっかり読んでいるよね。

このエッセイにおいて語られているのは、タイトルから想像するような恋愛指南では全然ないんだ。このタイトルは、「誰にでもできる恋愛などない」ということを逆説的に語ったもので、実際には「現代において恋愛がいかに困難であるか」ということが、様々な切り口で指摘されている。

この分野は得意じゃないので、あまり書きたくないのだけれど、恋愛ってとても個人的な営みだよね。そういう「個」と「個」の関係が成立する為には、そもそも「自立した個人」というものが前提になる。このエッセイ全体を通して一貫して主張されているのは、ただこの一点に尽きる。

龍さんは言っている。
夫に頼りきった主婦より、売春婦の方がわたしは好きだ、って。

おれは恥ずかしながら売春婦の世話になったことはないけれど、この気持ちはとてもよく分かるよ。精神的な、あるいは経済的な自立が出来ていないという事実は、結局のところ、お互いの関係性そのものを変質させてしまうような気がするんだ。

さらに龍さんは、こんなふうにも語っている。
「恋愛していなくても充実して生きることができる人だけが、充実した恋愛の可能性を持っている。」

この感覚は、どこまで伝わるだろう。恥ずかしいので、これ以上は書かないけれど、こういうある意味では残酷な真実をきちんと書ける作家は、決して多くないと思う。

この作品では、「恋愛」をひとつのテーマに据えながらも、日本経済や国際社会や、様々な話題が取り上げられている。その中でも興味深かったのは、橋本龍太郎のダンスについてのエッセイ。
橋本龍太郎が首相として、バーミンガムでのG8のサミットに出席した時のことなのだけれど、イギリスのブレア首相の主催でコンサートが開かれたんだ。立派な劇場の2階席に、クリントンやブレアと並んで橋本がいた。そこでね、The Beatlesの"All You Need is Love"が演奏されたんだって。その時に、クリントンやブレアは上手に身体を動かして踊っていたのだけれど、日本の橋本首相は、まるで盆踊りのように身体をくねらせて、にこにこしながら踊っていたそうだ。その様子がTVニュースで放送されたのを見た龍さんは「おぞましい、悪魔のような動きだった」と書いている。
このことが意味しているのは、橋本龍太郎という人間の国際感覚の欠如と、自分が外からどう見られているかという意識の欠落だよね。グローバリゼーションと実力主義社会が拡がっていく中で、これからの時代を生き抜く為に求められる国際競争力。日本の総理大臣に、そのことがまったく認知されていなかったという事実は、ある意味で決定的だったと龍さんは考えている。なぜなら、そういう国際競争力を備えた、恋愛の対象となりうる男性というものが、日本において絶滅寸前の状態に陥っている、ということを、あの橋本のダンスが象徴していた、というわけ。

「これから日本の女は恋愛をあきらめるのではないか」
「橋本は踊るべきではなかった。これで少子化と老齢化社会がいっそう加速するだろう」

最後には、ここまで書いてしまうのだからね。
もちろん賛否両論あるとは思う。この考え方が全てではないし、エッセイとして纏め上げる為のデフォルメが加えられているので、批判的な見解は大いにあり得ると思う。でも、TVニュースで流れたおそらく数秒のダンスから、ここまで思考を拡げていく人間がいる、ということはやっぱり凄いと思うよ。単なる笑い話で終わってしまうようなところから、「じゃあ、あなたは国際競争力、持ってますか」という危機感まで繋げていくのだから、やっぱり刺激的なエッセイです。

すぐ読めるし、なにより単純に面白い。恋愛のことはとりあえず置いておいても、十分に刺激的なエッセイ。いちど手に取ってみてもいい作品だと思うよ。

総括

土曜、日曜と連戦。
タマリバクラブのメンバーとして、初めて試合に出場することができた。

7/2 ピッグノーズ10's @岩崎電気(株)茨城製作所ラグビー場

午前10時頃に自宅を出て、電車に揺られること2時間半、茨城県真壁郡大和村というところに向かう。大和村は予想以上の田舎で、無人駅を降りるとすぐ目の前はもう林だ。脇の小道を15分ほど歩き進めると、岩崎電気のグラウンドが見えてくるのだけれど、それ以外には本当になにもない村で、コンビニはおろか、道といえる道がないんだからね。もともと何も知らなかったおれは、出場の意思表示をした時には、東京で開催される大会だと思い込んでいたんだ。まさか遥か茨城まで来ることになるとは思ってもいなかったのだけれど、こういうのもクラブラグビーの醍醐味かもね。

肝心の結果はというと、優勝。
あまり強いクラブもなくて、順当に勝利した感じだった。
おれ自身はというと、1回戦から決勝までの3試合全てで、前半のみの出場。ハーフの7分(決勝は10分)に集中して、とにかく走り廻るようにとの指示があったので、そのことだけを考えてプレーした。
全体としての出来は、まずまずかな。特にミスもなかったし、タマリバでの初めてのゲームにしては、コミュニケーションもスムーズに取れたように思う。ただ、相変わらずフィットネスが足りてないね。いつも課題は同じ。とにかくフィットネスが戻っていない。たかだか10分なんだからさ、もっと自分から仕事を探していかないとね。
ちなみに、この日は2つ嬉しいことがあった。
ひとつは、また知り合いが増えたこと。この日初めて会ったSHの泰さんは、学生時代にヤオさんや作田さんと一緒にプレーしていたんだよね。試合が始まる前にいろいろと話をしたのだけれど、こういう瞬間に、社会人での3年間がおれの可能性を拡げてくれたことをすごく実感するんだ。おれにはこれまで、ラグビー界の知り合いが全然いなかったのだけれど、社会人ラグビーを経験したことによって、こうしてクラブに来ても、思わぬ方向から繋がっていったりするからね。
もうひとつは、素晴らしいタックルを見たこと。BKの中心メンバーのひとり、竹山選手の抜群のタックル2発ね。
これには痺れた。決して身体は大きくないけれど、抜群のタイミングで刺さっていた。なにが凄いって、ターゲットを決めてからツメ切るまでのスピードと加速力が際立っている。先にスペースを奪って、相手のパワーが最も弱い瞬間を狙って矢のように刺さるあのタックルは、相当のものだったよ。あの感覚を、おれも盗んでいきたいね。

大会の決勝は、T2K(Team 2000)との試合になったのだけれど、このチームはなかなか面白いメンバーだった。東田さんとか、三洋電機の21歳の新外国人とか、社会人のトップチームのOBが多数名を連ねるチームで、とても豪華な顔ぶれだった。T2Kは毎年この大会に参加しているそうで、昨年の決勝では、オト3兄弟の活躍もあって、タマリバを29-14で破っているらしい。今年はオト3兄弟も参加していなかったし、40歳以上のメンバーもいて、平均年齢もだいぶ高かったので、全体としてのチーム力でタマリバが上回ったということだと思う。

そんな訳で、なかなか楽しい大会だった。
でもやっぱり、おれには15人制の方が向いているような気もするね。


7/3 vs立正大学 13:00K.O. @立正大学熊谷グラウンド

昨日からの連戦。
昨日は10人制だったこともあって、実質的にはタマリバクラブでの「緒戦」だと思って、気持ちを引き締めてゲームに臨んだ。インサイドCTBでの出場ということもあって、とにかくタイトで激しいプレーをしようと。そして、秋の公式戦でチャンスをもらう為に、なんとかアピールしようと狙っていた。

結果はというと、残念ながら負けてしまった。
正確なスコアは覚えていないけれど、36-19くらいじゃないかな。

悔しい。絶対に勝ちたかった。勝てるゲームだと思う。
でも、結果がすべてを物語っている。悔しいけど、まだこんなものなんだね。
確かにスカーという外国人FWはパンチのあるプレーヤーだったし、密集でもしつこいプレーをしてくるチームだったけれど、でも敗因はきっとそこじゃない。正直言って、どこで負けたのか反省がきちんと出来ていないのだけれど、タマリバ側のちょっと緩い部分を、相手はきちんとスコアにしていった、というだけのことだと思う。
おれも、いちど抜かれた。SO福田さんのキックをキャッチして突進してきたスカーにやられた。膝に飛び込んだけれど、すり抜けられてしまった。あのレベルの選手は、今はどのチームにもいる。再来週には八幡平遠征があって、釜石SWとのゲームが組まれているけれど、あいつが倒せなかったら、釜石SW戦も同じことになるよね。だから次は、もっと集中力を持って、もっと踏み込んで、もっといいタックルをしたい。
それから個人的には、絶好のトライチャンスをひとつ逃してしまった。
敵陣ゴール前の右オープンから、昨年までのチームでいう「B」で完全に抜けたのだけれど、スピードに乗り過ぎて、転んでしまった。ここは大事なポイントなので繰り返しておくけれど、「スピードに乗り過ぎて」転んでしまった。自信を持っているプレーだし、我ながら切れてたんだけどね。あれは惜しかった。

とにかく、まだまだです。
もっと仕事して、もっと走って、もっとアピールしないと、タマリバでのチャンスは掴めそうにないね。そんな訳で、これからもモチベーションを高く持って、「上手くなる為に」練習をしていこうと思ってます。

Friday, July 01, 2005

国体に向けて

今年の8月、国体の関東予選がある。
おれは昨年に引き続いて、千葉県代表のメンバーとして参加するつもりだ。

国体の千葉県代表は、昨年までおれが所属していたチームと、習志野自衛隊ラグビー部の合同チームで構成されている。うちのチームからは、現役が数名と、OBが10名程度参加することになっているのだけれど、おれは比較的若手で動けるOBということで、チームのスタッフから声を掛けてもらったんだ。

千葉県代表、いいじゃん。ラグビーやってて、初の代表だよ。
社会人チームのメンバーの中にはごろごろいた高校ジャパンや、U19代表や、関東代表や、さらには日本代表や、そういった格好良いものでは全然ないけれど、おれの身の丈には丁度いいよ。ラグビーにおける国体の位置づけは低いけれど、「国民体育大会」なんだからさ、胸張ってやろうと思っています。

そんな訳で、今日の業務終了後に、約半年ぶりに八千代台のグラウンドに足を運んだ。7月の中頃からは、毎週木曜日の業務終了後に、国体に向けた練習を行うことになっているのだけれど、今日がその1回目の集合日だったんだ。仕事との兼ね合いもあって、どうしても時間は遅くなってしまうけれど、やっぱり平日に練習できるのは素晴らしいことだよね。

今日は残念ながら、あまり人数が集まらなかったのだけれど、高校生とのタッチフットは楽しかった。1時間ほどだったかな。フィットネスはそう簡単には戻らなくて、結構しんどかったけれど、それ以上に、木曜日にボールを持って走れることの歓びの方が大きかった。今後の練習にも、出来る限り参加していきたいと思ってます。

タッチフットは、ヤオさん、干城さん、小川さん、工藤さんといった、昨年まで一緒にプレーしていた先輩が加わってくれたのだけれど、やっぱり巧いね。ああいう軽やかでセンスを感じさせる動きは、クラブラグビーではあまり見掛けることがない。小川さんがきちんと外に余らせて放ったパスがあったのだけれど、あれなんか抜群だった。せっかくタマリバで練習を続けていくのだから、ああいうパスが放れるセンターを目指して練習しないといけないね。

それから、久しぶりに昨年までのチームメイトと顔を合わせることが出来たのも、個人的には良かった。クラブとはいえ、上手くなる為のラグビーを続けているおれにとって、社会人でトップリーグを目指すチームのメンバーというのは、十分に刺激的だからね。ただ、皆が口を揃えて「痩せた」と言うのは、やっぱりちと悔しかった。本人が思っている以上に痩せたんだろうね。今の状況では、なかなかウェイトに時間を割けないのだけれど、なんとかラグビーに必要な最低限の筋力は維持しないといけない。週に1回でも、毎週続けることが出来れば、かなり違うかもしれないからね。(意外と難しいんだ。)

そんな訳で、7月中旬からの木曜日は、出来る限り八千代台のグラウンドに足を運ぼうと思ってます。