Friday, July 29, 2005

簡単に認めない

昨日、松田さんに言われたひとことが頭にこびりついている。
「簡単に認めたらあかんねん」

岡山で開催される今年の国体。その本戦への出場権をかけた関東予選が8月末に行われるのだけれど、おれは千葉県代表のメンバーとして出場するつもりだ。
千葉県代表は、昨年までおれが所属していたチームの現役メンバー数名と若手OB、それから習志野自衛隊のメンバーで構成された混成チームだ。全員が揃う機会はほとんどないけれど、毎週木曜日には八千代台のグラウンドに集まって、週に1度の全体練習をすることになっている。

八千代台は、昨年まで所属していたチームのホームグラウンドなので、当然よく知った顔で溢れ返っている。久しぶりに元チームメイトと会って、お互いの現在を話していると、いつも刺激を受ける。当たり前のことだけれど、日本一を目指して日々練習に打ち込んでいる人間の集団は、やっぱりいいものです。

松田さんは、そのチームのテクニカル・スタッフ。
練習や試合の映像編集・分析を担当している、映像処理のスペシャリストだ。
お会いするのも随分久しぶりで、昨日の練習前に、挨拶を兼ねて少し話したんんだ。松田さんは、おれが今期タマリバでプレーすることを知っていて、そこから色々と話したのだけれど、何気ない言葉の中に、興味深い観点がたくさんあって、とても刺激的だった。不思議なもので、昨年までの3年間、毎日のように顔を合わせていたはずなのに、松田さんから、松田さんの「観点」を引き出すような会話は、あまり出来なかったような気がする。今にして思えば、当時のおれは、自分自身の中で勝手に線を引いて、その先に自分を持っていこうとしていなかったのかもね。

「タマリバでは試合に出られそうか」と聞かれて、いい選手も少なくないので、分かりませんけど・・・って言った時だった。

「そこがおまえの良くないとこ。簡単に認めてしまったら、あかんねん。」

この時、はっと気づいた。自分の内側に潜むコアの部分にベクトルを向ける姿勢が、まだ全然足りなかったんだという事実に、瞬間的に気づかされたんだ。

「認める」ことにも、レベルがあると思う。自分の実力を、例えば同じポジションのライバルと冷静に比較した時に、悔しいけれど自分の方がその時点で劣っていることは当然あり得る。その時に、その事実を厳粛に受け止めた上で、彼我の差を埋める為に全身全霊を込めてなされる試みこそが「努力」と呼ばれるものだと思う。
自分より凄いやつはいない、という自負がある人間も、きっと同じだ。自分が思い描く「理想」との間に厳然と存在するギャップ。そこに到達することは不可能と思えるほどに圧倒的なギャップを前にしてなお、その矛盾を埋めるべく前に進もうとする。書いていて気がついたけれど、これはまさに「ハバナ・モード」と呼ばれる姿勢だよね。
その意味では、「認める」のは、チャレンジのひとつの重要なファクターかもしれない。

でも同時に、認め方によっては、それはチャレンジを形骸化させることにもなる。
周囲を「いい選手」だと認めることで、レギュラーの座を奪えなかった時の言い訳を、自分の中に先に準備してしまう。例えばそういうことだ。結果に対する言い訳を最初から持っているのだとしたら、チャレンジの意味は全然ないよね。
松田さんが言おうとしたのは、おそらくそういう「認め方」のことじゃないかと思う。

認めるのは、あくまでその時点での彼我のギャップだ。
その先の結果であったり、ネガティブな可能性は、簡単に認めてはいけない。
松田さんの言葉を受けておれが感じたのは、そういうことだった。


ちなみに松田さんのコメントには、もうひとつ興味深いものがあった。

「小さいものが大きいものに勝つことはある。
でもラグビーでは、弱いものが強いものに勝つことはない。」

この言葉の意味するところが正確に伝わるかどうか分からないけれど、東大ラグビー部の現役のみんなに聞かせてあげたい言葉だと思った。
おれが育った東大ラグビー部は、コンプレックスの塊のような集団だった。当時はまだ対抗戦1部に所属していて、早稲田、明治、慶応といった強豪校と公式戦を戦っていたのだけれど、スポーツ推薦のない東大は、センス・経験・パワー・サイズ全てにおいて相手に劣るということを、いつも前提にしていた。俺達にはセンスがない。パワーもサイズもない。それはある種の強烈なコンプレックスとなって、いつもチーム内に存在していた。でも、5年間でたった2度だけ勝利した時、そのコンプレックスは「弱い」ということを意味してはいなかった。むしろ、コンプレックスを克服する戦略を突きつめ、徹底的に練習することで、コーチの水上さんがシーズンを通して言い続けた「Confidence(自信)」へと逆に変えていっていたと思う。
でも、そんな瞬間ばかりじゃない。2勝19敗という学生時代のおれの戦績がすべてを物語っている。自分達のことを、自分達自身で勝手に「弱者」と考えてしまった試合が何度もあった。振り返ってみても、水上さんの指導が始まってから最初の2年間は公式戦全敗だ。水上さんのいう「自信」という言葉の意味を知る為に、東大には3年という時間が必要だったんだ。

当時はそこまで考えなかった。社会人ラグビーという新たな世界を経験したことで、初めておれは、当時の自分達を相対化できるようになったような気がするんだ。
この違いに気づいた時、きっとそれが「東大のラグビー」ってやつのスタートラインなんだよ。たとえ自覚的じゃなかったとしても。