Sunday, July 24, 2005

イサム・ノグチ

日曜日といえばやっぱり「日曜美術館」だよね。
今日取り上げられていたのは、彫刻家イサム・ノグチと広島の原爆慰霊碑。

広島の平和記念公園。
この公園を設計したのは建築家の丹下健三なのだけれど、丹下はその設計の一部について、実はイサム・ノグチに依頼をしていたんだ。
例えば、公園に架かるふたつの橋。
被爆者の魂を安らかなる地へと運ぶ「舟」をイメージした鎮魂の橋「ゆく」。これから世界に羽ばたく新しい生命へと降り注ぐ「太陽」をイメージした希望の橋「つくる」。ふたつの橋は、それぞれに異なるイメージのもとに創られたものだけれど、どちらも同じように素朴で、洗練されていて、伸びやかで、そして優しい。イサム・ノグチらしさを感じさせる、しなやかなデザインの橋だ。

それで、原爆慰霊碑。
この放送を見て初めて知ったのだけれど、丹下はこの慰霊碑のデザインも、イサム・ノグチに任せるつもりだったそうだ。日本とアメリカのふたつの母国を持つ人間として、イサム・ノグチはこの仕事に強烈なモチベーションを持って取り組んだ。原爆を落とした国"アメリカ"の人間としての「罪の意識」を抱きながら、被爆した国"日本"の人間として、その鎮魂のために、全身全霊を込めて製作に取り掛かったそうだ。

でも、イサム・ノグチの原爆慰霊碑は、ついに現実のものとはならなかった。
着工直前になって、広島平和都市専門委員会がイサム・ノグチの作品を拒否したことが、その理由だった。拒否の判断に至った経緯には不透明な部分も多いそうだが、結果的には、丹下のデザインによる慰霊碑が選ばれることになったんだ。

イサム・ノグチの構想した幻の原爆慰霊碑。そのモデルは現在に遺されている。
それは、TVの画面越しに観ても、本当に素晴らしかった。
黒花崗岩を削って創りあげられた、一点の乱れもなく美しいアーチ。磨き上げられた表面は、被爆者たちのすべての魂をやさしく包み込んでいくような、そんな輝きで溢れている。静かで、深みのある優しさを備えた、素晴らしいデザインだった。

イサム・ノグチが拒否された本当の理由については、正確なことは知らない。芸術的な観点から丹下のデザインに変更された、というのが表向きの理由になっているようだけれど、番組の中では、委員会のメンバーの1人が当時のことを書いた手記の内容が紹介されていた。

原爆慰霊碑は、なんとしても日本人の手による製作としたい。
イサム・ノグチがアメリカ人であることは、決して忘れられてはならない。

実際の委員会の決断において、こういったことが影響したのかどうか、判断するだけの情報をおれは持っていない。でも、もしもイサム・ノグチが拒否された理由のひとつが彼の中のアメリカにあるのだとしたら、それほど虚しいことはないね。

イサム・ノグチの幻の慰霊碑、実現してほしかったな。
自分の目で実際に見て、茶室をイメージしたという鎮魂のための空間で、被爆者への黙祷を捧げたかった。残念ながらもう叶うことはないけれど。