Wednesday, July 06, 2005

星廻り

7月4日、米国独立記念日。
この日、米航空宇宙局(NASA)の彗星探査機ディープインパクトによるテンペル第一彗星へのインパクト探査が行われた。直径1m、重量372kgの銅製の衝突体(インパクター)を探査機から放出して、彗星に衝突させる実験で、太陽系の起源を解明する手掛かりとして期待されているらしい。彗星の中には、太陽系が誕生した頃の物質が保たれていると考えられているので、インパクターの激突によって内部から噴出する物質や、露出するクレーターの構成を調査することによって、多くの謎の解明が進むのではと注目されている。激突の様子やクレーターの映像は、探査機から望遠鏡で観測されて地上に送信される他、ハッブル宇宙望遠鏡などからも観測されているそうだ。

このニュースに対して、おれとしては特別な感情もなく、淡々とTVの報道を追っていたのだけれど、うちのパートナーは、このニュースにすごく違和感を感じたそうだ。
それはあまりに愚かな行為じゃないか、と。

彼女が真っ先に考えたのは、「星廻り」ということなんだ。人類の預かり知らない流れ、見えない流れとしての「星廻り」が変わってしまうんじゃないか。彗星は誰のものでもないし、そうした人知の及ばぬ先のなにかを変えてしまうかもしれない行為をしていい理由はどこにあるのか、って。
彼女はこの時点では、今回の衝突実験によって彗星は消滅してしまうと思っていたらしい。実際に調べてみると、インパクトとしては、大型トラックに蚊が衝突するようなもので、彗星の軌道自体に影響はないようだ。すごい勘違いといえばそれまでなのだけれど、でも「星廻り」というのは、やっぱりおもしろい考え方だよね。

彗星はなくならないよ、と伝えると、彼女はこんなことを言った。
「宇宙っていうのは、きっとすごく繊細なんじゃないか」
「あらゆるものが絶妙のバランスを保っているのだとしたら、それが崩れてしまうんじゃないか」

こういうことって、あるかもしれないよね。
少なくとも、ないと言い切る根拠はないような気がするんだ。
おれ自身は、星廻りであったり、見えない「流れ」であったり、そういった感覚は強くないけれど、きっとあると思うよ。あってもいいと思う。
星廻りで生きるつもりはないけれど、結果としてそれが星廻りなのかもしれないし、それでも構わない。ただね、自分が感じないというそれだけのことで、科学が立証しないというそれだけの理由で、否定したり無視したり冒涜してはいけないなにかが、きっとあると思うんだ。

もっと言えばさ、きっとそういうものの方が多いんだよ。