Sunday, July 03, 2005

橋本のダンス

村上龍さんのエッセイ集『誰にでもできる恋愛』、読了。

もともとは、うちのパートナーが買ってきた文庫本で、薦められるままに読んだ。それにしても、相変わらず龍さんばっかり読んでいるよね。

このエッセイにおいて語られているのは、タイトルから想像するような恋愛指南では全然ないんだ。このタイトルは、「誰にでもできる恋愛などない」ということを逆説的に語ったもので、実際には「現代において恋愛がいかに困難であるか」ということが、様々な切り口で指摘されている。

この分野は得意じゃないので、あまり書きたくないのだけれど、恋愛ってとても個人的な営みだよね。そういう「個」と「個」の関係が成立する為には、そもそも「自立した個人」というものが前提になる。このエッセイ全体を通して一貫して主張されているのは、ただこの一点に尽きる。

龍さんは言っている。
夫に頼りきった主婦より、売春婦の方がわたしは好きだ、って。

おれは恥ずかしながら売春婦の世話になったことはないけれど、この気持ちはとてもよく分かるよ。精神的な、あるいは経済的な自立が出来ていないという事実は、結局のところ、お互いの関係性そのものを変質させてしまうような気がするんだ。

さらに龍さんは、こんなふうにも語っている。
「恋愛していなくても充実して生きることができる人だけが、充実した恋愛の可能性を持っている。」

この感覚は、どこまで伝わるだろう。恥ずかしいので、これ以上は書かないけれど、こういうある意味では残酷な真実をきちんと書ける作家は、決して多くないと思う。

この作品では、「恋愛」をひとつのテーマに据えながらも、日本経済や国際社会や、様々な話題が取り上げられている。その中でも興味深かったのは、橋本龍太郎のダンスについてのエッセイ。
橋本龍太郎が首相として、バーミンガムでのG8のサミットに出席した時のことなのだけれど、イギリスのブレア首相の主催でコンサートが開かれたんだ。立派な劇場の2階席に、クリントンやブレアと並んで橋本がいた。そこでね、The Beatlesの"All You Need is Love"が演奏されたんだって。その時に、クリントンやブレアは上手に身体を動かして踊っていたのだけれど、日本の橋本首相は、まるで盆踊りのように身体をくねらせて、にこにこしながら踊っていたそうだ。その様子がTVニュースで放送されたのを見た龍さんは「おぞましい、悪魔のような動きだった」と書いている。
このことが意味しているのは、橋本龍太郎という人間の国際感覚の欠如と、自分が外からどう見られているかという意識の欠落だよね。グローバリゼーションと実力主義社会が拡がっていく中で、これからの時代を生き抜く為に求められる国際競争力。日本の総理大臣に、そのことがまったく認知されていなかったという事実は、ある意味で決定的だったと龍さんは考えている。なぜなら、そういう国際競争力を備えた、恋愛の対象となりうる男性というものが、日本において絶滅寸前の状態に陥っている、ということを、あの橋本のダンスが象徴していた、というわけ。

「これから日本の女は恋愛をあきらめるのではないか」
「橋本は踊るべきではなかった。これで少子化と老齢化社会がいっそう加速するだろう」

最後には、ここまで書いてしまうのだからね。
もちろん賛否両論あるとは思う。この考え方が全てではないし、エッセイとして纏め上げる為のデフォルメが加えられているので、批判的な見解は大いにあり得ると思う。でも、TVニュースで流れたおそらく数秒のダンスから、ここまで思考を拡げていく人間がいる、ということはやっぱり凄いと思うよ。単なる笑い話で終わってしまうようなところから、「じゃあ、あなたは国際競争力、持ってますか」という危機感まで繋げていくのだから、やっぱり刺激的なエッセイです。

すぐ読めるし、なにより単純に面白い。恋愛のことはとりあえず置いておいても、十分に刺激的なエッセイ。いちど手に取ってみてもいい作品だと思うよ。