Tuesday, June 29, 2010

小さくても。

何人かの友達から、パワハラ被害の経験を聞いたことがある。センシティブな話題なので具体的なことを書くつもりはないけれど、少なくない数の同年代の仲間が、近しい境遇を経験しているような気がする。

自分自身は、今のところ幸いにも内輪でのハラスメントはなく、個人の裁量をある程度尊重してもらいながら仕事できる状況ではある。別の要因で生じた軋轢で苦しんだことはあり、それは個人的にはとてもしんどい経験だったけれど、逃げ場を見出せない内部のハラスメントの辛さはきっと比較にならないレベルのものだろうと思う。

今まさに悩んでいる友達もいる。
本当に酷い。許しがたい環境に置かれている。

正面切って戦えない状況にいることを知った上で、そういう人だけを確信犯的に狙い撃つように人格攻撃を仕掛ける。パフォーマンスそのものではなく、人格にまで踏み込んでくるのが、この手のハラスメントの常套手段だ。おれの友達のケースに関して言えば、パフォーマンスにさえ問題があったとはとても思えない。

思い出した言葉がある。
観点は違うのだけど、宋文洲さんの言葉だ。

『信じていたことも、信じなくなることも、いいことだ。
それが真剣に考えた結果であれば。』

逃げられるならば、逃げるのも大切な選択肢だと思う。真剣どころか、絶望的な状況で苦しんだ末の逃避を、否定するものなんて何もない。でもきっと、すぐには逃げることさえできないことの方が多いような気がする。
だからこそ、せめて「気持ちの逃げ場」だけはあってほしいなあと思います。小さくても、ひとつだけでも。