Saturday, August 20, 2005

皮膚のコード

田口ランディさんのエッセイ集『できればムカつかずに生きたい』、ほぼ読了。
一部のエッセイを飛ばしてしまったので、「ほぼ」なんだけどね。

田口ランディという人が、基本的に好きだ。
「分からない」ということに対して真摯であろうとする姿勢が、きっと好きなんだと思う。

エッセイの中でランディさんはこんなことを言っている。

私を私として成り立たせているのは、皮膚の内と外で生じる猛烈な「違和」によってである。皮膚は世界の違和にさらされていて、それを常に刺激として脳に送り、脳はそれをフィードバックしているから「私」という個体の存在を意識できる。
(田口ランディ『できればムカつかずに生きたい』280p)


皮膚は、自分と自分でないものとの境界。
オセロの黒を辿っていくと、結局白を辿ってしまうように、「自分でないもの」の違和を辿ることによって、「自分」というものを確認していく。
でもその時、自分でないものに対しては、結局は「分からない」というスタンスを貫く。
ここが、ランディさんの最大の魅力だ。

分かったつもりにならない。
たとえ相手が肉親であっても、親友であっても、簡単に分かったつもりにならない。
彼女の父親は「おまえほど冷たい女はいない」と言うそうだけれど、その言葉とは裏腹に、こういう態度は極めて真摯だと思うし、きっと彼女の父親も、どこかそう思っているんじゃないかと、おれは勝手に想像している。

世界の違和にさらされた皮膚が、脳に対して送るフィードバックは、きっと皮膚によって違う。それこそがさ、きっと皮膚の存在する意味なんだよ。外部の刺激をダイレクトに受容するんじゃなくて、「皮膚」という変換コードを通すことこそが、きっと世界の多様性なんだと思う。そう考えるなら、皮膚感覚に優れている、というのは、言葉を変えれば、自分の皮膚に織り込まれた変換コードを正確に見据えている、ということなのかもしれないね。それは同時に、他者の皮膚に埋め込まれたコードに対しては「想像する他はない」という態度を貫くことでもあると思う。

そんなわけで、田口ランディは皮膚感覚に優れた作家だと思うわけです。