Monday, December 12, 2005

社会学にふれる

『波状言論S改』という鼎談集を買って、今読み進めている。
批評家の東浩紀が、同僚の社会学者である鈴木謙介と共に、宮台真司、北田暁大、大澤真幸という3名の社会学者と対談した内容を纏めたものだ。

正直に言うと、とても難しい。
考えながら、一歩ずつ議論を辿っていかなければ、読み進めることが出来ない。
更に言えば、どれほど丹念に読み進めたとしても、内容をきちんと理解したと言える自信はまったくない。たぶん無理だ。ルーマンもハーバーマスも知らないおれには、おそらく理解の限界があるのだろうと思う。

それなのに、なぜか読みたくなるんだ。
議論のディテールは分からなくても、考えることを読者に要求するような、知的刺激が詰まっているからだろう。

考えてみれば、社会学というものに興味を持ったのは初めてかもしれない。社会学者の著作に目を通すような経験も、これまでは殆どなかった。この本に出会ったのも偶然のことで、最初から「社会学」の世界に足を踏み入れようという意志があった訳ではないんだ。目的もなく本屋をうろついていた時に、偶然目に留まって、そのタイトルに惹かれて手に取って頁を捲っていると、その中の一行が頭に飛び込んできた。
それは、東浩紀が、過去の宮台真司の思想的立場を端的に要約したもので、「オウムになるかコギャルになるかの二つしかないなら、コギャルになるしかないだろう」という言葉だったのだけれど、宮台真司のことを何も知らなかったおれにとっても、その言葉はとても興味深く、即座に買ってしまったんだ。

まだ自分の考えが整理できない。
宮台真司の展開する議論についていこうともがいているけれど、簡単ではない。
議論の前提となる概念を、きちんと理解できない。
そういうベースの欠落がはっきり分かってしまって辛いけれど、でも刺激的だ。
こういう感覚は久しぶりで、ちょっと嬉しい。
「分からない」ということを大切に、丁寧に読み進めていきたい。