Tuesday, December 06, 2005

冒険者カストロ

久しぶりに本を読んだ。1冊の本をきちんと読破したのは本当に久しぶりだ。
『冒険者カストロ』
佐々木穣という作家が描いたフィデル・カストロのノンフィクション作品だ。

1956年12月、亡命先のメキシコから、ひとりの革命家とその同志達が、彼らの母国キューバに上陸する。彼らは、事実上のアメリカの傀儡政権であったバティスタ軍事独裁政府を打倒すべく、2年近くに渡ってゲリラ闘争を繰り広げる。
シエラ・マエストラでの戦いに勝利し、革命の狼煙を上げると、圧政に苦しむ農民達の絶大な支持の受けた革命軍は反バティスタ闘争の勢いを加速していく。サンタ・クララを陥落させ、革命軍の勝利を決定づけると、1959年1月1日、バティスタはドミニカへと亡命する。そして翌日、首都ハバナの陥落をもってキューバ革命は完遂されるのだが、その中心にいたのが、言うまでもなくフィデル・カストロとチェ・ゲバラだ。

フィデルとゲバラは、共にキューバ革命を指導した伝説的革命家だが、その後の2人の人生は対照的なものとなった。キューバ革命の純粋な精神の最後の砦であり、第三世界への革命運動の展開を通じて、「もっと多くのベトナムを」創ることを生涯の理想としたゲバラは、後にカストロへの決別の手紙を認め、キューバを離れることになる。コンゴの革命を指導すると、その後はボリビアでのゲリラ戦争に携わっていく。しかし、ゲリラ戦の最中、ボリビア政府軍に捕獲され、理想への道半ばにして不幸にも銃殺されてしまう。
一方でフィデルは、キューバ革命を守り通す為に、独裁体制の基盤を築き上げると、アメリカ資本を接収し、資産の国有化を推進していく。大国アメリカと渡り合う為に共産主義というイデオロギーすら利用し、ソビエトとの関係を強化していく。キューバ危機の13日間を経てフルシチョフに対する信頼は失いながらも、その政治的交渉力を持ってソビエトから最大限の譲歩を引き出してみせる。

フィデル・カストロは、今もなおキューバ共産党の第1書紀として国家を指揮するキューバの国家元首であり、独裁者だ。政治的なことをあまり書くつもりはないし、その評価は様々だろうと思うけれど、類い稀なカリスマ性と政治センスを兼ね備えた闘士であることは間違いないと思う。そうでなければ、カリブ海の小国キューバが、鼻先の大国アメリカの経済封鎖の下にあって、今日に至るまで共産主義による独裁体制を存続させることは出来なかっただろう。

よく言われるように、チェ・ゲバラは革命の地に命を失ったことで、伝説となった。
「革命家」という言葉が想起させるものを、最も体現してみせたのがゲバラだった。
でも、そこにはもう1人の英雄がいた。キューバ革命を政治的に守り通す為に、独裁者として君臨する道を選んだフィデル・カストロは、自らの命を賭してバティスタ独裁の打倒の為に戦い、キューバ革命を勝利へと導いた紛れもない英雄だった。


『冒険者カストロ』は、そのフィデル・カストロという人間の半生を描いたノンフィクション作品だ。その生い立ちに始まり、キューバ革命に至るまでの道程、革命後の政治的選択、ゲバラとの出会いと決別、そういったことが綿密な取材のもとに丁寧に描写されている。革命家としての輝かしい功績だけが注目されがちだが、ゲバラと共に率いた革命の道程は困難を極めるものだった。モンカダ兵営の襲撃に失敗して、メキシコに亡命した時には、わずか12名しか革命の戦士はいなかったのだ。(正確な人数には諸説あるようだけれど。)そうした絶望的な状況下にあっても、己の信念に妥協することなく、目的の実現の為に常に行動し続けた人間の迫力というものが、淡々と続く描写の中からも伝わってくる。それは、飾りつけを施すまでもなく魅力的なフィデル・カストロの生き方に対して、ただひたすらに丹念に、正確に書こうとする、そのスタンス故のことかもしれない。本当のことを言うと、革命が成就した後の記述が少ないのが少し残念ではあるけれど、一読の価値は十分にある作品だと思います。


ちなみに、念の為に書いておくけれど、共産主義に対する思い入れやシンパシーはおれにはない。更に言えば、共産主義に限らず、特定の政治的信条やイデオロギーに対する傾倒といったことも、自分自身ではないと思っている。
何が言いたいかと言うと、フィデル・カストロの魅力はその政治的思想にある訳ではないということ。少なくとも本書を読む限り、誰が何と言おうと、フィデルの生き方は圧倒的で、熱情的で、戦略的で、目的に対して反妥協的で、つまりは極めて魅力的だ。
繰り返すけれど、それは政治的信条とは関係ないはずのものだと思います。