Wednesday, October 26, 2005

異なるプロトコル

生まれて初めて、タップダンスをライブで見た。
"TAP ME CRAZY"、演じたのは同じ年齢のタップダンサー、熊谷和徳だ。

タップのことは、ほとんど何も知らない。
彼がタップの世界でどう評価されているのか、どういう方向性を目指しているのか、その背景に何があるのか、そういった諸々のことを、おれは本当に何も知らなかった。

観に行こうと言ったのは、パートナーだ。
タップダンスに限らず、今まで触れたことのないエリアを覗いてみたい、という気持ちは最近殊に強いのだけれど、タップダンスの公演に足を向けることになるとは、自分でも思っていなかった。正直なところを言うと、7月の中頃に彼のタップを初めて観に行って、感動のあまり涙したという彼女の薦めに乗っかってみた、というのが本当のところだ。ただ、しばらく前にSTOMPの公演を観ていたこともあって、おそらく彼らと近いエリアで異なる方向性を持ったパフォーマーであるような気がして、日を追うごとに興味が湧き上がってきていたことは事実だ。

公演の会場となったのは、渋谷のパルコ劇場。名前は忘れてしまったけれど、熊谷和徳が尊敬してやまないタップダンサーが、日本で唯一公演を行った舞台だそうだ。500席近い席数があるのだけれど、パートナーが先行予約でチケットを押さえてくれたこともあって、前から2列目という抜群のポジションだった。

2時間近い公演は、まずはDJとキーボードによる音楽で始まる。
コーネリアスを思い出すようなリズムとメロディの重なりが、開演を演出する。
すると突然に、観客席後方の通路に、熊谷和徳が姿を見せる。
そして、スポットライトに照らされた彼が、階段の途上に敷かれたボードの上で、音楽に合わせて最初のステップを始めた瞬間に、この公演は本当の意味で幕を開ける。

今回の公演では、コラボレーションがひとつのテーマになっていた。
オープニングの流れのままに、最初はDJ・キーボードの奏でる音楽とのコラボレーション・タップのセッションが2つほど続く。2つは異なるトーンの曲調で構成されていて、合わせて照明も赤から青へと切り替わっていく。そうした全てを感じ取って、それに共鳴するように、彼は両足を板に打ちつける音だけで、全体とコラボレートしていく。
そして次は、彼の仲間のダンサー4人が登場して、5人でのチーム・ダンス。それが終わると、今度はスティーブというパーカッショニストとの即興でのコラボレーションだ。
ドラム缶を叩くリズムに乗って、即興で繰り広げられる熊谷和徳のタップ。後で「何も決めていなかった」と本人が言っていた通り、随所に即興ゆえの面白さが織り込まれながら、非常に見応えのあるセッションが繰り広げられる。彼のタップもさることながら、助っ人のスティーブも、きっとかなりのパフォーマーなのだと思う。

その後、中段ほどで一度メンバー紹介があって、更にステージは続いていく。
地球の誕生した瞬間を想起させるような曲調と青白い光の中で、ボードの上に砂を撒いて演じられたソロ・セッションや、タップシューズを脱いで、素足が板と擦れ合う音を聴かせるセッションもあり、タップの様々な可能性に挑んでいくようなパフォーマンスが展開される。ちょっとしたトークの後、最後に改めてメンバーの紹介があって、それぞれが個人としてのパフォーマンスを披露していく。DJやキーボードだけでなく、仲間のタップダンサー達も一斉に壇上に上がると、全員がリズムを重ねてボルテージを高めていって、遂にエンディングとなるんだ。観客が総立ちとなる中、アンコールも2度ほどあって、全体としては非常に見応えもあり、内容の濃いステージだった。


この公演の感想を書くのは難しい。
というのは、自分の中で2つの感情が入り混じっていたからだ。

まず、なによりも最初に、彼のタップは素晴らしいと思った。
もちろん、生まれて初めてタップを観たおれには、タップを評価する基準もなければ資格もない。それ以前に、そもそもタップを偉そうに論じるつもりなど全くない。
おれが最高に良いと思ったのは、その表情なんだ。
彼は時折、まるで抜け殻になったかのような表情になる。正確に言うと、身体から自我が離脱していって、なにか別のものが降り憑いたような表情、といった感じだ。踊っているというよりも、彼我の世界から降りてきた何かが彼を躍らせているような、あるいは彼の身体を借りて踊っているような、そんな雰囲気を醸し出している。
それは表情のせいだけではないかもしれないし、おれが勝手にそう感じただけのことかもしれない。それでもやはり、彼の持つ雰囲気は特別だったと思う。申し訳ないけれど、少なくとも彼の仲間のダンサーには、1人として同じ雰囲気を持っている人間はいなかった。「タップダンス」というのがひとつのコラボレーション、コミュニケーションの方法だとするならば、彼は他の人間とは違うレベルでコミュニケーションをしていたような気がする。コミュニケーションのプロトコルがそもそも違う、という感じだ。

その一方で、公演が終わった後、おれにはもうひとつ別の感想があったんだ。
「もっと突き抜けてほしかったな」って。

オープニングの2つのセッションでは、DJとキーボードをバックに、ソロのタップダンスが展開された。その時の音楽はあくまで触媒のようなもので、コラボレーションでありながら、基本的には彼の「個」としてのタップが観る側に突きつけられていた。取り憑かれたようなタップは洗練された迫力があり、違うプロトコルの世界へと突き進んでいって、そのまま戻って来られなくなってしまいそうな、そんな魅力があった。
というよりも、初めてタップを目にしたおれにとっては、そのことこそが最大の魅力だったんだ。誰も理解しなかったとしても、自分が求めるレベルのプロトコルを貫き通してしまうような、そんな突き抜ける感じがね。

でも、次の瞬間、彼の仲間のダンサー4人が登場してチーム・ダンスとなった時に、彼はふっとその雰囲気を変えたように感じたんだ。少なくともおれは、直感的にそう思った。誤解を恐れずに言えば、きっと彼は、レベルをひとつ下げたんだ。それはダンスのレベルではなくて、コミュニケーションのレベルだけれど。

そのことが、本当はすごく残念だった。
彼には、もしかしたら彼しか理解することのないプロトコルの世界を突っ走ってもらいたかった。コラボレーションを否定するつもりは全然ないけれど、コラボレートする為に、ひとつ階段を降りて来る必要は、少なくとも熊谷和徳という人間にはないような気がしたんだ。セッションの全てがそうだったとは思わないけれど、突き抜けてしまいそうな雰囲気を強烈に醸し出している人だったからこそ、余計にその思いは強かった。
ただ、アーティストと呼ばれるような人に対して、そういう思いを抱いたこと自体が、ほぼ初めてに近いことだったので、そのことに自分で驚いたのと同時に、熊谷和徳という人の魅力をひしひしと感じることになったけれど。


いずれにしても、考えさせられる公演だったね。
そして単純に、良い公演だった。