久しぶりに小説を読んでいる。
小川洋子さんの『まぶた』という短編集だ。
恥ずかしながら、小川洋子という人のことをつい最近まで知らなかった。1991年に『妊娠カレンダー』という作品で芥川賞を受賞し、最近では『博士の愛した数式』で話題になった女性作家だけれど、1991年当時のおれは、小説というものにまったく興味を持っていなかったからね。今にして思えば、本当に勿体なかったと思うけれど。
短編小説は、長編小説とはまったく違う。
読んでいていつも思うけれど、ふたつはまったく異なる書かれ方をしている、あるいはされるべきだと思う。よい長編を書く作家が、必ずしも良い短編を書くとは限らない。どちらかと言えば、良質の短編を書く作家は決して多くないように感じている。
良い短編は、過不足のない感じがする。書きすぎていないけれど、書くべきことはすべて書いてある。言葉を変えると、一字一句まですべてが、必要なものだけで構成されているような、そんな感じだ。そしてそのことが、短編のエッセンスを際立たせる。丁寧に、繊細に選ばれた言葉のひとつひとつが、作品のキーとなるエッセンスに彩りを与える為に最適な形で配置されている、という感覚が、作品に味わい深さを加えていく。
良い短編というのは、そういうものだよね。
さて、小川洋子さんの短編集『まぶた』。
まだ読み終えていないけれど、結論から言うと、非常に良質の短編集だと思う。この作品に収められた全ての短編は、基本的には喪失の物語で、どの作品をとっても、描写される世界のどこかに「空気すらないような」空白感があるのだけれど、それでいて同時に、ささやかな幸福感もある。そのアンビバレントな感覚の同居が絶妙で、読み終えた瞬間に周りのすべての音がなくなるような、そんな独特の読後感がある。もちろんそれは、「丁寧に、無駄なく選ばれた言葉を、最適な形で構成する」という作業によって、より一層際立っているのだけれど。
久しぶりに、良質の短編を書く作家に出会ったかもしれない。
今さらなにを、という感はあるけれど。