Sunday, October 09, 2005

トリエンナーレと草間彌生について

2001年に続き、今年が2度目の開催となるモダンアートの祭典に行ってきた。
「横浜トリエンナーレ2005」 アートサーカス-日常からの跳躍-
http://www.yokohama2005.jp/jp/

横浜山下埠頭の3号・4号上屋をメイン会場に、総勢86名のアーティストによる71の作品・プロジェクトが集う。そのほとんどをおれは知らなかったけれど、例えば奈良美智のように、既に世界的に活躍しているアーティストも多数参加しているようだ。

みなとみらい線の終点、元町・中華街駅を降りて、埠頭へと足を進める。
ちょうど同じ日に開催されていた「ワールドフェスタ・ヨコハマ2005」で寄り道をして、トルコの屋台で買ったビーフケバブを食べた後に、すぐ隣のメイン会場に向かう。
受付でチケットを渡して、左手に横浜港を見ながら、メイン会場へと続く道を歩くのだけれど、頭上には紅白のストライプによる三角旗がどこまでも延びていって、トリエンナーレの会場に足を向けることを祝福するように、風に吹かれ、はためいている。
ダニエル・ビュランによるインスタレーション「海辺の16,150の光彩」だ。
見事なまでに美しいこのインスタレーションの下を歩いていくと、期待で気持ちが昂ぶっていく。そして、10分ほど歩いて倉庫に辿り着くと、その先がいよいよメイン会場だ。
3号・4号上屋は、6つのパーティションに分かれていて、それぞれに大小様々なアート作品が展示されている。「倉庫」という空間には確かに特殊な雰囲気があって、例えば屋根の高さや、あるいは打ちっ放しのコンクリート壁といったものが、美術館にはない独特の感覚を醸していく。展示された作品の中には、そうした「空間性」のようなものを巧みに取り込んで、作品自体の価値にしているものも幾つか見られた。

良い試みだと思う。
別にアートを語るつもりはないし、その資格もないけれど、完成度の高い優れた作品や、ちょっと独特な観点から世界を捉えたようなおもしろい作品もあった。

ただ、その数は残念ながら多くはなかったね。
モダンアートと言えないような作品も少なくなかったと思っている。
それはとても単純なことで、わくわくしないんだ。創作の手法はモダンアートかもしれないけれど、そこで表現されているものは決してモダンではなくて、むしろ極めて陳腐だったりもする。あるいは逆に、独特の視点から世界を捉え直そうという意図は伝わるのだけれど、表現としての完成度が低かったりする。
誤解してほしくないけれど、モダンアートは個人的には好きだ。モダンアートという分野そのものがつまらない訳ではないと思うし、どちらかと言えば伝統的・教科書的な絵画よりもずっとおもしろいと思っている。
だから、正直に言うと、ちょっと残念だった。
ダニエル・ビュランのインスタレーションの素晴らしさ故に、尚更そう感じてしまう。

そんな中にあって、図らずも改めて感じたことがある。
草間彌生という人の、凄さ。
会場に展示された71の作品・プロジェクトの中の幾つかには、はっきりと草間彌生の存在を感じた。もう何十年も前に彼女が創り上げたオブセッショナル・アートの世界観そのものを踏襲したような作品が、「現代アートの祭典」を謳う横浜トリエンナーレにおいて展示されているという事実に、ある種の衝撃さえ覚えた。
そして、そのどれと比較しても、草間彌生の作品の方が決定的に新しかった。
会場に彼女の作品が展示されていた訳ではないのに、なぜか存在感があったんだ。それは単純に、おれが草間彌生の作品を好きだからなのかもしれないけれど。

「新しい」ということは、簡単ではないね。