Friday, June 24, 2005

「おれのプロ」再考

久しぶりに、本を買った。
松永真理さんのエッセイ集、『なぜ仕事をするの?』

松永真理さんといえば、やっぱり『iモード事件』が有名だよね。"iモード”の名付け親として、その新しいサービスが誕生するまでの顛末を綴ったこの作品は、過去に単行本で読んだけれど、とてもおもしろかった印象が残っている。そんな松永さんが、仕事に対するスタンスを問いかけたこのエッセイ集のことは、実はずっと前から気にはなっていたのだけれど、なぜかいつも、まだ手に取るタイミングじゃないような気がして、今日まで読めていなかったんだ。
本と出会うタイミングというのは、とても大切だと思う。興味があっても、なぜかレジに持っていけない本って、結構あるよね。特に深く考えるわけでなく、なんとなく「今じゃない」と思ったり、あるいは、それまでと変わらずに書棚に並んでいたはずなのに、ある時突然のように目に留まったりもする。本には、不思議とそういう引力のようなものがあると思う。まあでも、今になってこの作品を手に取るあたり、おれも悩んでいるのかな。

それで、松永さんのエッセイ集。
まだ買ったばかりで、1/3も読めていないけれど、ひとつ印象に残ることばがあったんだ。
世間一般の思い描くような「ふつうの姿」(それが何を意味するのかは、突き詰めるとよく分からないけれど)を目的に置くのではなくて、「自分自身」のために生きることを目的にしようと、22歳の時に決意した松永さんは、以後18年に渡ってビジネスの世界で活躍していくことになるのだけれど、その18年の経験の中で、こう考えるようになるんだ。
退屈するかしないかの違いというのは、プロかアマチュアかの違いなんじゃないか。そして、プロの条件というのは、やることを自分で見つけて、そこに向上心を持って、かつそれを持続できることではないか、って。

以前この場で、書いたことがある。
すごい人はたくさんいるけれど、おれには彼らと同じことは出来ない。でも逆に、おれにしか出来ないことだってある。だからおれは、「おれのプロ」を目指さないといけない、って。宮藤官九郎の言葉に惹かれた時だったね。
松永さんの言葉から発想していくと、おれのプロであろうとするならば、「おれが」やることを、おれ自身で見つけないといけない。おれがやること。それに対して正直に生きていれば、途絶えることのない向上心なんて、勝手についてくるような気がする。
だから、きっとプロは誰だって「おれのプロ」なんだ。

やることは、なんだっていいんだ。大切なのは、自分の正直に対して、そして自分の不正直に対しても、決して目を逸らさないことだと思う。そして、徹底的に自分の「正直」を突き詰めていくんだ。おれが自分で選んで進んでいく、おれの人生だからね。

そんな訳で、改めておれは、おれのプロを目指すことにします。