Saturday, June 04, 2005

『痛快!憲法学』読了

小室直樹さんの『痛快!憲法学』を、先日ついに読み切った。
あまりに刺激的で、ほとんど感動してしまうほどだった。
ちょっと分量は多いけれど、出来る限り多くの人に読んでほしい一冊だね。

そもそも、憲法はなぜ必要なのだろう。
小室さんの説明は、こんな基本的な質問から始まる。
小室さんによると、法というのは「誰かに対して書かれた強制的な命令」というように定義される。どんな法にも対象がある。対象となる「誰か」は法によって異なるけれど、その「誰か」は必ず法を守らなければならないし、法によって一定の縛りを受けることになる。
それならば、憲法は誰に対して書かれたものなのか。
小室さんは、明確にこういうわけ。憲法とは「国家」を縛る法である、って。
ホッブスは国家権力を「リヴァイアサン」と形容したけれど、国家権力の持つ力は恐るべきものがある。近代国家には、軍隊や警察といった暴力装置を持ち、ひとたび暴走を許せば、国民の基本的人権など容易に奪うだけの権力を備えている。そんな怪物を縛りつけ、国民の基本的人権を守り抜く為に、憲法は存在するんだ。
こんな憲法の基礎すら、自分の中で明確に落とし込まれている人間は少ないだろうと思う。おれ自身がまさにそうだった。日本では改憲論議が起こり始めているけれど、憲法の意味すら知らないようでは、改憲論の是非を問う以前の問題だよね。

おれは、憲法の存在理由が語られた1章・2章で完全にまいってしまったのだけれど、ここから先もすごい。
国家を縛る法としての「憲法」を語る為には、まずは憲法の発祥たる中性ヨーロッパにおいて「国家」というものがいかにして生まれたのかを知らなければならない。そして、その「国家」がリヴァイアサンとなる過程を知らなければならない。さらには、その後の近代革命とジョン・ロックの「社会契約説」によって方向づけられた近代国家の新たな道筋を、そして民主主義の意味も知らなければならない。そして、こうしたことを本質的に理解する為には、すべての前提たるキリスト教と予定説を知らなければならない。
このようにして、小室さんは憲法の本質に深く迫り込んでいく。
しかも、とても易しいことばで。
するとその時、初めて見えてくることがある。それは、日本国憲法の現在。日本における憲法の問題がいったいどこにあるのか、現在の日本はどのような状況に置かれているのか、そういったことが、今までとは違った形で浮かびあがってくるんだ。
こうした思考の過程を辿っていくのは、本当に刺激的だよね。

ずっと思ってきたことではあるけれど、この本を読んで、改めて日本が民主主義国家でも自由主義国家でもないことが分かった。小室さんは「近代国家ですらない」とまで言っている。日本が背負った問題の根は、あまりに深く、途方に暮れてしまうほどだね。
それから、もうひとつ痛感したこと。おれ自身、歴史を知らなすぎるね。この本を読んで、歴史から学ぶということの意味、そして歴史を知らなければ、そもそも「考える」地平にすら立てないことがある、ということを痛切に感じた。当たり前のことだけれど、歴史というのは、教科書に書かれたただの記述なんかでは全然ないね。

憲法だけじゃない。今まで無自覚に常識と思ってきたことが次々と覆されていく、そんな一冊。そしてこの本は、「考える」というのがどのような作業なのかということを、まさに小室さん自身の「思考の跡」をもって示してくれる。まさに「知」の詰まった作品。
是非、読んでみてほしいです。