Saturday, June 25, 2005

カルチャー

練習@辰巳の森海浜公園、13:00 - 16:00

タマリバの練習に参加するのは、今日が2回目なのだけれど、だいぶ違和感なく入っていけるようになった。相変わらず練習ではよく走るし、加えて今日のような暑さだと相当しんどいけれど、自分が上手くなる為の練習が出来る数少ない環境だと思うし、ポジティブに取り組めている気がする。
今日の練習メニューは、基本的に前回と同じだった。ルールを様々に変えながら、タッチフットをしばらく続けた後で、10分×3セットのミニゲーム。前回の練習と比べると、グランドにいる人数も少なかったし、全体的にコンタクトプレーが緩かったような気もするけれど、得るものも多い練習だった。とりあえず今のおれは、フィットネスが圧倒的に足りてないね。すぐに足が止まってしまう。平日にどれくらい時間を取れるか分からないけれど、なんとか自分で補っていかないと、ちょっとまずいなと思っている。

でね、今日はひとつ思ったことがあるんだ。
それは、「カルチャー」ということ。
高校からラグビーを始めて大学、社会人と続けてきたけれど、それぞれのチームに「カルチャー」というのがある。そして、その中でも大学ラグビー、社会人ラグビーで所属した2つのチームは、独特なカルチャーを持つチームだったように思う。
大学時代のチームには、「いかに弱者が勝つか」という風土があった。これは、おれが2年の時から指導にあたってくれた水上さんの思想によるところが大きいと思う。これは言い換えるなら、前提を受け入れた上で、その中で「勝つ為の戦略」を徹底的に突き詰める、という方向性だと思う。この頃の経験は、その後のおれの生き方を方向づけることになったし、そのことを教えてくれた水上さんを、おれは今でも尊敬している。そしてもうひとつ、このチームには「魂では絶対に負けてはいけない」というカルチャーがあった。例えばタックルでは、「刺さる」ことに最も重きが置かれた。このふたつの要素から必然的に受け継がれることになった典型的なプレーが「東大型シャロー」だと思う。少なくともおれは、シャローは嫌いじゃないけれど。
社会人のチームは、「いかに強者になるか」をいつも志向していたような気がする。15人のベストプレーヤーを揃えれば、それがベストチームだ、という考え方だったと思う。強者がいつだって勝つ。これが全ての前提だった。だから、全てのトレーニングは、基本的には「強者になる為に」行われていた。そして、強者の条件のひとつとして「安定感」を強く求めた。魂を持って臨むのは、グランドに立つ上での前提であって、特別なことじゃない。それを常に持続し、安定したパフォーマンスを発揮できなければ、トップレベルでは闘えない。こうした「強さ」こそが求められていた。

もちろん、こういう書き方は誤解を招くかもしれない。人それぞれに感じ方は違うだろうし、実際にはこれほど単純に色分け出来ないだろうと思う。正確でないところもあるかもしれない。でも、少なくともおれはそう感じたし、このカルチャーの違いは、おれにとってものすごく大きかった。そして、大学ラグビーを終えた後に、こうした異なるカルチャーのチームに所属する選択をしたことは、結果的におれの財産になった。
なにが言いたいかというと、それは唯一の方向性ではなくて、ひとつのカルチャーだと思えた、ということなんだ。おれは社会人でプレーを続けたことによって、学生時代を相対化できた。あの頃のカルチャーや方向性、水上さんが全身全霊を込めて注ぎ込んだ魂は大好きだったし、今でもおれの心の支えだけれど、一方で、当時の自分にはそのカルチャーに甘んじていた部分がある、という事実にも気づくことが出来た。

水上さんは、本当にたくさんのことを教えてくれた。闘うためのメンタリティと、豊富な経験に裏打ちされた基本スキルを、当時の東大に叩き込んでくれた。でも、水上さんの底は、もっと全然奥にあることが、社会人を経験したことで初めて分かった。水上さんの頭の中にはきっと、もっとたくさんの選択肢が用意されていたと思うし、もう一歩踏み込んだレベルまで見据えてコーチングすることも出来たのだと思う。そういう底の深さを持ちながら、当時の東大の状況やレベル、メンバーの個性を考えて、水上さんは意図的に教え方や、教えるプレーを選択したのだというふうに、おれは考えるようになった。そう感じることが出来たのは、やっぱり社会人ラグビーを経験したからだと思う。

そして、タマリバ。
このチームにも、独特のカルチャーがある。今日の練習には、SOの福田さんが参加していたこともあって、そういう一面を強烈に感じた。福田さんは、タマリバや当時の早稲田の魂を象徴したような人だからね。
ラグビーには、いろんな考え方や方向性があっていいと思う。大きくて速くて巧いやつが勝つ、というだけなら、そういう選手だけを引っ張ってくればいい。様々なカルチャーがあって、様々な可能性があるはずだと思う。その時にさ、それを「カルチャー」だと考えられるようになったのは、ひとつ大きな変化かなと思って。他のカルチャーに触れてきたからこそ、相対化できる部分というのがあるし、それはラグビーを考えるひとつのきっかけにもなるからね。

とりとめのない文章になってしまったけれど、ラグビーにおける「カルチャー」ということを感じた1日だった。