Tuesday, June 07, 2005

魂を生きる

世界最高齢、71歳でのヨット単独無寄港世界1周の達成から一夜。
斉藤さんが、今朝のニュース番組に生出演していたのだけれど、その中で、すごく印象に残った言葉があったんだ。

234日の航海を終えた愛艇「酒呑童子Ⅱ」の上から、斉藤さんはスタジオのアナウンサーの質問に答えていくのだけれど、ひとしきり愛艇の状況や、航海中の食事に関する話題を終えたところで、アナウンサーがこんな質問をしたんだ。
「今回の航海で得たものは、なんですか?」
それに対して斉藤さんは、特に考え込む様な素振りもなく、ごく自然な態度で淡々と答えるのだけれど、その時の斉藤さんの言葉に、すごく新鮮な感覚を覚えたんだ。
斉藤さんの答えは、ひとこと。

「なにもないよ」

この時に、心底思った。この人は、ただやりたかったんだ、って。
ただやりたい。この思いこそ原点だよね。斉藤さんは、決してなにかを得る為に海に出たのではないんだ。ただ、どうしようもなくチャレンジしたかったんだ。それはきっと、いっさいの打算が介在しない純真無垢の欲求。斉藤さんは、そんな自分のコアの欲求に誰よりも実直だったんだろうな。
あの言葉を聞いた瞬間、そんなふうに思った。

それにしても、アナウンサーの質問。
こういう質問には、一定の答えが返ってくることを最初から前提にしているようなところがあるよね。
「挑戦し続けることの大切さを改めて知ったことですね」
「幾つになっても、挑戦し続ければ絶対に夢は叶うんだ、という自信ですね」
例えばこんな答えというのが、質問者や、それを見ている側の人間の中で、最初からある程度期待されているような感じがする。こういうところは、とても日本的なコミュニケーションだと思うのだけれど、答える前から、答えに対してある程度の「期待値の幅」が忍び込ませてあるような質問というのは、実はかなりあるよね。
よく友達に話していたのは、野球のヒーローインタビュー。
あれなんかは、そもそも質問をしない。
「初球のストレート — 狙ってました。」なんて言われると、
「そうですね。前の打席では内角を詰まらされていたんでね、同じ配球が来るだろうと狙ってましたね。」なんて返してしまう。
考えてみれば、とても不思議なコミュニケーションだと思う。もっと言えば、そもそもコミュニケーションと言えるのかどうかも怪しいかもしれない。

斉藤さんの答えは、その期待値に収まっていかない。そこがきっと、斉藤さんの魅力なのだと思う。少なくともおれは、そういう姿勢は格好良いと思う。
「なにもないよ」という言葉は、期待値の外側にある。それはとりもなおさず、斉藤さんが「周囲の期待値」ではなくて「自分の魂」を言葉にしている、ということだと思う。そして言葉は、その人そのもの。自分の魂を語る斉藤さんは、自分の魂を生きている人でもあるんだろうなって、そう思った。

それが、格好良いんだね。