昨日のことだけれど、ちょっと嬉しくなることがあった。
ふだんはそれほど遅くない時間に会社を出ているのだけれど、昨日はどうしても処理すべき仕事を溜め込んでいて、深夜まで会社を離れることが出来なかった。24時を廻ったあたりで業務を終えて、急いで最寄駅に向かう。そして、そこから最終電車を乗り継いで家へと帰ったのだけれど、途中で3回ほど乗り換えをしなければならないんだ。最終電車で帰ることなど滅多にないので、乗り継ぎの仕方や時間を何度も確認したのだけれど、3回の乗り換えの中の1つ、北千住駅での乗り換えの時間が、実際には2分しかないことが分かったんだ。上野から常磐線快速の松戸行き最終電車に乗って、北千住で降りるのが1時2分。そこから千代田線のホームに向かい、1時4分に北千住発の各駅停車松戸行き最終電車に乗らなければいけない。
絶対に1時4分の電車を逃したくなかったおれは、北千住で常磐線の快速を降りると、千代田線のホームに向かって急いだ。申し訳ないと思いながらも、通路の人混みを掻き分けて、前に少しでもスペースが出来たら走ってね。そして、北千住駅で発車時刻を待っている最終電車に乗り込んだんだ。
でも、電車は発車しない。
電光掲示板の時間は1時5分になっているのに、発車しようとしないんだ。
その時に、ホームから駅員さんのナレーションが聞こえてくる。
「常磐線からの乗り換えが終わり次第発車いたしますので、今暫くお待ちください」って。
最終電車に乗り過ごすことのないように、駅員が気を利かせてくれていたんだ。もう次の電車がない「最終電車」だからこそ、1時4分発という決められたダイヤに則って運行するのではなくて、幅を持たせたルールの運用をしてくれた。東京での生活も今年で9年目になるけれど、時刻表通りに運行しない電車に出会ったのは初めてのことだった。
急いで乗り込もうとした乗客の目の前で扉が閉まっても、絶対に扉を開けないのが東京の電車だと思っていた。可能な限りダイヤに忠実な運行をすることが最大にして唯一の価値であるような雰囲気があり、不可避な要因が働かない限り、発車時刻を意図的に遅らせるような対応が出来る組織だとは思っていなかった。
ダイヤ通りに運行する方が楽だ。
ルールという後ろ盾に従うことは、日本的な文脈の中ではローリスクな選択だという発想は未だ根強く残っていて、特に鉄道会社のような組織は、その最たる例だと思っていた。
だからこそ、意外だった。そして、ちょっと嬉しかった。