Thursday, May 26, 2005

「知る」のは難しい

「知る」というのは、なかなか難しいなーと、最近よく思う。

例えば、歴史。
相変わらず小室直樹さんの『痛快!憲法学』を読んでいるのだけれど、その中で戦国武将と茶の湯のことについて触れている部分があるんだ。小室さんによると、戦国武将の中で、織田信長ほど茶道に熱心だった人物はいないという。確かに高校の日本史の教科書なんかに目を通せば「信長が茶の湯を奨励した」みたいな無味乾燥な記述があったりするけれど、それはなぜだったのか、そのことが意味するのはなんだったのか、というのは書かれていない。
小室さんは、こんなふうに教えてくれる。戦国時代というのは「土地フェティシズム」の時代だったんだって。「土地フェティシズム」というのはつまり、土地こそが財産、という考え方のこと。広大な土地を持つものこそが裕福だと思われていた。だから、戦国武将たちにしてみれば、たとえ千石でも一万石でもいいから、自分の領土を広げたい。でも、日本の国土は限られているので、結局はパイの奪い合いとなり、明けても暮れても戦争が続くことになる。
信長はそのことが分かっていたんだ。だから、土地こそ財産、という発想を変えない限り、天下統一して争いを鎮めることは出来ないと考えた。その為に「楽市楽座」によって、商品経済を推し進めようとしたりするのだけれど、茶の湯の推奨も、本当の目的はこの点にこそあった。
つまり、土地以外の価値を部下に植えつけるんだ。千利休を重用し、部下を積極的に茶会に招待する。茶の湯というのが、いかに高尚で素晴らしいものか、部下に教え込んでいくわけ。そうして茶の湯の価値を浸透させた後に、信長は、戦功を挙げた武将への褒美として、茶器を与えるようになる。あの利休が惚れ込む茶器である、って。こうして信長は、戦功の褒美は「土地」であるという当時の常識を覆していったんだ。土地で褒美を与える為には、その土地を獲得する為に戦争しなければならないからね。

これが、小室さんの説明。
びっくりするくらい、おもしろい。こんなふうに歴史をみたことは今までなかった。すごいと思ったし、「歴史を知る」というのは、まさにこういうことなんだと思った。字面だけをみていても、歴史の歴史たる地平には辿り着かないな、って。

これと同じようなことを感じているものが、実はあるんだ。
随分前からおれは、PCに「RSSリーダー」を導入していて、ネット上のニュースや業界動向はこれで追うように努めているのだけれど、このニュースを「読む」ということがとても難しいんだ。最近はあまり時間がなくて、そもそも思うように目を通せていないけれど、"asahi.com"や"NIKKEI NET"の最新記事は、RSSリーダーでいつでもチェックできるようにしてある。でも、その短いニュースの中に、どれほどの背景や、意味が含まれているんだろうと考えた時に、自分の「読む」力がまだ全然足りないような気がするんだ。ネット上のニュースなんて死ぬほどある。情報収集に割ける時間は限られているし、すべてを丹念に読む必要も、意味もない。それでも、その限られたソースと時間をもっとうまく活用して、より多くを引き出す、あるいはよりきちんと「知る」ことは可能なんじゃないかと思うんだ。その為には、おれの持ってるベースが全然足りてないような気がして。

だからおれは、小室さんの「知る」姿勢、「学ぶ」姿勢が、本当にすごいと思うんだ。