松岡正剛さんの『誰も知らない世界と日本のまちがい』(春秋社)、読了。
『17歳のための世界と日本の見方』の続編として、国民国家(ネーション・ステート)誕生以降の近現代史を中心に、現代社会を読み解く思索の鍵が綴られている。
前作に劣らず、非常に刺激的だった。
ただ、前作と比較すると多少コンプレックスだったね。
それは「近現代」そのものがコンプレックスだということかもしれないけれど。
グローバル資本主義/新自由主義というものが無批判に受容され、支配的な空気となって蔓延する現代日本に対して、松岡正剛さんは疑問を投げかける。
歴史と文化の多様性を無視して、「自由主義」の名のもとに、一面的な価値観が世界を覆い尽くすのは「まちがい」ではないかと。
こうした松岡正剛さんの問題提起を前にして、ふと思い出したのは、社会学者の宮台真司さんが、自身の著作において語っていた「ラディカルな自由主義」ということだ。
端的に言うならば、「自由を否定する自由を認める」という立場だよね。
自分自身はこの立場が結構好きで、本来の自由主義とはそうあるべきではないかと考えているのだけれど、自由を相対化することが「空気として」許されない土壌というのは、実は結構息苦しいのかもしれないね。
自由を相対化した先に何を見出すか、ということは別にしても。