Wednesday, February 11, 2009

"I have a dream"

NHKでマーティン・ルーサー・キングJr.のドキュメンタリーを観て、思った。
「I Have a Dream ~キング牧師のアメリカ市民革命~」
(2月11日放送、NHK『その時歴史が動いた』)
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2009_02.html

1つは、つまりは「制度」の問題だということ。
JFKによって公民権法が成立したことが、直截的には世界を変えた。
公営バスのボイコットにしても、制度を変えることを明確に志向していた。
人権思想の啓蒙を通じて人々の意識を変えようとする一方で、制度を変革する為の戦略と具体的施策を、常人の域を越えた熱意で推し進めていった。
制度からの自由ではなく、制度自体を変革することで、自由を担保しようとした。

「制度」との距離を見据えていないが故の迷走は、至るところにあるような気がする。
つまらない話だけれど、会社のような組織でも、同じような構造があるね。

もう1つは、「感染動機」ということ。
『14歳からの社会学』(宮台真司著、世界文化社)を読んで、共感したことだけれど。
動機には、3つのタイプがある。
まずは、競争動機。つまりは、競争に勝利することの喜びを源泉とする動機。
次に来るのが、理解動機。物事を知る/分かること自体の喜びを源泉とする動機。
この2つは、体験的にも分かり易いよね。
ただ、重要なものが残っている。それが「感染動機」だ。
宮台さんの場合、小室直樹と廣松渉という2人の賢人に感染したのだそうだ。
尊敬する人間に感染し、自己の思考/思想を同一化していく。
今、小室直樹ならばどう考えるだろう。廣松渉はどう生きるだろう、というように。
感染した人間の視点を想像し、そこから世界を見つめ、そういった思考の過程を自分のものとして結晶化していく。そしてある時、卒業する。感染していた人間の視点から自由になって、その時に初めて、知識や思考は自分自身のものとなっていく。

マーティン・ルーサー・キングJr.にとってそれは、マハトマ・ガンジーだった。
そういった主旨のコメントがあった訳ではないが、そんな感じがした。
「個性」の時代が喧伝される中で、「感染」はその本質を誤解されている気がする。
感染こそが、変革の契機なのだと、おれは思います。
マーティン・ルーサー・キングJr.においてさえ、ガンジーという源流があったんだ。
オリジナルというのは、感染と離脱の過程にしかないのだと思う。

ちなみに。
あの有名な演説は、今でもインターネットで聴くことが出来ます。
Martin Luther King, Jr. "I have a dream"
もう何度となく聴いた。
番組では伝わらない、本当の演説の魅力が満ち溢れています。
初めて聴いた時には、英語もろくに聴き取れないのに、鳥肌が立ったからね。