6月24日、日曜日。東大ラグビー部、春の定期戦。
東京大 0-49 防衛大(14:00K.O. @防衛大学グラウンド)
ショックだった。
チームで決めたことを徹底できず、屈辱的な敗北を喫してしまった。
ずっと勝っていないことで自信を失っている。
勝つという経験によって初めて自信は得られるのかもしれないけれど、格上の相手、過去に負け続けている相手から初めての勝利をつかもうとするならば、実績に頼ることなんて出来ない。結果はついてくる、と信じるに足る何かが必要になると思うんだ。
学生時代の同期の凹さんは、「自信がなければ無心」と言った。
無心で何をするのか。ただ練習してきたことだけを、無心でやり切るんだよね。
時間は刻一刻と過ぎていく。
開幕まで残り3ヶ月を切ったけれど、出来る限り積み上げていくしかないね。
Monday, June 25, 2007
Saturday, June 23, 2007
トリュフォー
6月23日、土曜日。
東大ラグビー部の練習が思ったよりも早く終わったので、渋谷に寄って映画を観た。
シネマヴェーラで公開されているフランソワ・トリュフォー監督作品。
『大人は判ってくれない』と『終電車』の2本立てだ。
http://www.cinemavera.com/programs.html
『大人は判ってくれない』は1959年の作品。
親の愛に包まれなかった少年アントワーヌ・ドワネルの虚しい反抗の物語だ。
少年ドワネルの切なく虚しい心の叫び。
映画においてそれは決して語られ過ぎることなく、でも強く、はっきりと語られる。
その語られ方が素晴らしく、とても印象的な作品だった。
映像そのものにも感銘を受けた。スクリーンに映し出されるモノクロームが美しくて。
写真のようだった。写真を撮るようになったからそう感じるのかもしれないけれど。
映画というのはつまり、静止画の連続なのだとでもいうように、瞬間を構成するカットのひとつひとつが綺麗で、魅力的なモノクローム写真のようだった。
人形劇に興じる子供達をとらえたカットなんて、最高だった。
この作品における重要性は決して高くない部分かもしれないけれど。
続けて観たのが『終電車』、こちらは1980年に製作されたフルカラーの作品だ。
『大人は判ってくれない』とは全く違った意味で、やはり非常に良い映画だった。
第2次大戦中、ドイツ軍の占領下のパリにあって、モンマルトル劇場の地下に身を潜める演出家ルカ・シュタイナーと、その妻にして女座長、更には主演女優としてルカのいない劇場を支えるマリオン・シュタイナー、そしてマリオンの相手役であり、レジスタンスとコンタクトを持つ男優ベルナール・グランジェ。この3人を中心に展開される戦時下の劇場での物語で、基本的には愛の物語なのだと思う。
終わりのみえない地下での潜伏に耐えられず、地上に出ようとするルカを、叩きつけてでも喰い止めて、そしてベッドで彼に寄り添うマリオン。批評家ダリアンを殴り飛ばし、レジスタンスへと踏み出すベルナールを平手打ちするしかなかったマリオンの思いと、その後の感情の交錯。そして、彼女が行き着いた結末としてのラストシーン。
深みのある展開と、どうしようもなく人間であり、ひとりの女性である結末。
素晴らしい作品だった。
こういう映画をもっと観たい。
映像そのものが語りかけてくるような、物語が「人間」を浮かび上がらせるような。
フランソワ・トリュフォー監督の作品も、もっと観てみたくなりました。
東大ラグビー部の練習が思ったよりも早く終わったので、渋谷に寄って映画を観た。
シネマヴェーラで公開されているフランソワ・トリュフォー監督作品。
『大人は判ってくれない』と『終電車』の2本立てだ。
http://www.cinemavera.com/programs.html
『大人は判ってくれない』は1959年の作品。
親の愛に包まれなかった少年アントワーヌ・ドワネルの虚しい反抗の物語だ。
少年ドワネルの切なく虚しい心の叫び。
映画においてそれは決して語られ過ぎることなく、でも強く、はっきりと語られる。
その語られ方が素晴らしく、とても印象的な作品だった。
映像そのものにも感銘を受けた。スクリーンに映し出されるモノクロームが美しくて。
写真のようだった。写真を撮るようになったからそう感じるのかもしれないけれど。
映画というのはつまり、静止画の連続なのだとでもいうように、瞬間を構成するカットのひとつひとつが綺麗で、魅力的なモノクローム写真のようだった。
人形劇に興じる子供達をとらえたカットなんて、最高だった。
この作品における重要性は決して高くない部分かもしれないけれど。
続けて観たのが『終電車』、こちらは1980年に製作されたフルカラーの作品だ。
『大人は判ってくれない』とは全く違った意味で、やはり非常に良い映画だった。
第2次大戦中、ドイツ軍の占領下のパリにあって、モンマルトル劇場の地下に身を潜める演出家ルカ・シュタイナーと、その妻にして女座長、更には主演女優としてルカのいない劇場を支えるマリオン・シュタイナー、そしてマリオンの相手役であり、レジスタンスとコンタクトを持つ男優ベルナール・グランジェ。この3人を中心に展開される戦時下の劇場での物語で、基本的には愛の物語なのだと思う。
終わりのみえない地下での潜伏に耐えられず、地上に出ようとするルカを、叩きつけてでも喰い止めて、そしてベッドで彼に寄り添うマリオン。批評家ダリアンを殴り飛ばし、レジスタンスへと踏み出すベルナールを平手打ちするしかなかったマリオンの思いと、その後の感情の交錯。そして、彼女が行き着いた結末としてのラストシーン。
深みのある展開と、どうしようもなく人間であり、ひとりの女性である結末。
素晴らしい作品だった。
こういう映画をもっと観たい。
映像そのものが語りかけてくるような、物語が「人間」を浮かび上がらせるような。
フランソワ・トリュフォー監督の作品も、もっと観てみたくなりました。
Friday, June 22, 2007
Golden Circle
仕事を終えて家に帰り、TVをスイッチを入れたら、偶然流れていたんだ。
寺岡呼人主宰のライブイベント"Golden Circle Vol.10"
http://www.goldencircle.jp/
寺岡呼人、ユーミン、ゆず(北川悠仁、岩沢厚治)、桜井和寿の5人が歌っていた。
それがね、なんだかすごく、楽しそうだったんだ。
ライブは勿論だけれど、スタジオセッションであったり、このイベントの為の新曲『ミュージック』を5人で膝突き合わせて創り上げていく過程なんかも、とても楽しそうで。
羨ましくなってしまうような、とてもいい感じだった。
5人によるゆずの『夏色』を聴いていたら、なんだか感激してしまって。
お揃いのTシャツも、なんとも言えない懐かしい匂いがして、素敵だった。
寺岡呼人主宰のライブイベント"Golden Circle Vol.10"
http://www.goldencircle.jp/
寺岡呼人、ユーミン、ゆず(北川悠仁、岩沢厚治)、桜井和寿の5人が歌っていた。
それがね、なんだかすごく、楽しそうだったんだ。
ライブは勿論だけれど、スタジオセッションであったり、このイベントの為の新曲『ミュージック』を5人で膝突き合わせて創り上げていく過程なんかも、とても楽しそうで。
羨ましくなってしまうような、とてもいい感じだった。
5人によるゆずの『夏色』を聴いていたら、なんだか感激してしまって。
お揃いのTシャツも、なんとも言えない懐かしい匂いがして、素敵だった。
Sunday, June 17, 2007
ちなみに
およそ3ヶ月ぶりに髪を切った。
それから、50mm/F1.4のレンズを1本買った。
1万円もしない中古のレンズだけれど、ファインダーを覗くとすごく明るくて。
ちょっとしたことだけれど、嬉しいのです。
それから、50mm/F1.4のレンズを1本買った。
1万円もしない中古のレンズだけれど、ファインダーを覗くとすごく明るくて。
ちょっとしたことだけれど、嬉しいのです。
ル・コルビュジエ
6月17日、日曜日。
麻疹の影響で大学のキャンパスが封鎖されてしまい、久しぶりのオフに。
自由な時間を過ごす良い機会なので、楽しみにしていた展覧会に足を運んだ。
森美術館で開催中の『ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡』だ。
20世紀を代表する建築家、ル・コルビュジエの辿った軌跡。
彼が携わった数々の建築作品、或いはプロジェクトの紹介のみならず、生涯に渡って描き続けた多くの絵画作品、そして彫刻作品なども数多く展示されている。
ル・コルビュジエという偉大な建築家を、「建築」という枠組みにとらわれずに、もう少し俯瞰的な視点から見る、垣間見る、斜めから見たり、覗き見たりする。
展覧会を構成する10のセクションのそれぞれが非常に興味深く、ル・コルビュジエという人間が抱いていた、信じられない程に壮大で伸びやかなイマジネーション、そして丁寧かつ緻密にイメージを具現化していく構想力が随所に感じられて、とても魅力的な展覧会だった。滅多に買わないカタログを買ってしまったからね。
でもやっぱり、ル・コルビュジエは建築家だと思う。
「むしろ画家と呼ばれたかった」と日曜美術館の副題は言うけれど、やっぱりおれは、どうしたって建築家だと思う。絵画も面白いものが多いけれど、それが三次元の世界へと踏み出した彫刻の方が、作品として魅力的だし、その創造性が、典型的な三次元の創作である「建築」に至って、ル・コルビュジエの本領は真に発揮されるのだと、強く感じてしまった。
学生時代、科学史・科学哲学という変わった学科を専攻していたのだけれど、後輩のある女の子の卒業論文のテーマが「ル・コルビュジエ」だったんだ。後輩と言っても、おれは留年していたから、時を同じくして卒業したんだけどね。
記憶が曖昧だけれど、確か彼女の発表の参考資料に、ル・コルビュジエが設計した自動車のスライドがあったような気がするんだ。おそらく、今回の展示のなかにあった『最小限自動車《マキシマム》』だと思う。そのフォルムを眼にするのは随分久しぶりだったけれど、その洗練されたデザインは非常に格好良かった。
彼女は10年前くらいから、こういう世界観に興味を持っていたんだなーと思って。
ちょっと懐かしくなりました。
麻疹の影響で大学のキャンパスが封鎖されてしまい、久しぶりのオフに。
自由な時間を過ごす良い機会なので、楽しみにしていた展覧会に足を運んだ。
森美術館で開催中の『ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡』だ。
20世紀を代表する建築家、ル・コルビュジエの辿った軌跡。
彼が携わった数々の建築作品、或いはプロジェクトの紹介のみならず、生涯に渡って描き続けた多くの絵画作品、そして彫刻作品なども数多く展示されている。
ル・コルビュジエという偉大な建築家を、「建築」という枠組みにとらわれずに、もう少し俯瞰的な視点から見る、垣間見る、斜めから見たり、覗き見たりする。
展覧会を構成する10のセクションのそれぞれが非常に興味深く、ル・コルビュジエという人間が抱いていた、信じられない程に壮大で伸びやかなイマジネーション、そして丁寧かつ緻密にイメージを具現化していく構想力が随所に感じられて、とても魅力的な展覧会だった。滅多に買わないカタログを買ってしまったからね。
でもやっぱり、ル・コルビュジエは建築家だと思う。
「むしろ画家と呼ばれたかった」と日曜美術館の副題は言うけれど、やっぱりおれは、どうしたって建築家だと思う。絵画も面白いものが多いけれど、それが三次元の世界へと踏み出した彫刻の方が、作品として魅力的だし、その創造性が、典型的な三次元の創作である「建築」に至って、ル・コルビュジエの本領は真に発揮されるのだと、強く感じてしまった。
学生時代、科学史・科学哲学という変わった学科を専攻していたのだけれど、後輩のある女の子の卒業論文のテーマが「ル・コルビュジエ」だったんだ。後輩と言っても、おれは留年していたから、時を同じくして卒業したんだけどね。
記憶が曖昧だけれど、確か彼女の発表の参考資料に、ル・コルビュジエが設計した自動車のスライドがあったような気がするんだ。おそらく、今回の展示のなかにあった『最小限自動車《マキシマム》』だと思う。そのフォルムを眼にするのは随分久しぶりだったけれど、その洗練されたデザインは非常に格好良かった。
彼女は10年前くらいから、こういう世界観に興味を持っていたんだなーと思って。
ちょっと懐かしくなりました。
Saturday, June 16, 2007
67 反撃
清澄白河にあるアートスペース、タカ・イシイギャラリー(Taka Ishi Gallery)。
夕方の18時を越えた頃になんとか辿り着いた。
目的は、アラーキーこと荒木経惟さんの写真展「67 反撃」だ。
Nobuyoshi Araki "67 Shooting Back"
67歳のアラーキーが、67カメラで撮った約100点の写真が、空間を埋め尽くす。
そのほとんどは、カラーで撮られた女性たちのヌードだ。
ヌードといっても様々で、爬虫類の模型を画面に配置したものや、女性を縛り上げたもの、或いは吊るし上げたものも多かった。スタジオで撮影されたものもあれば、屋外のものもある。ホテルのベッドでの写真があるかと思えば、プライベートな部屋の片隅で撮られたような「私写真」もある。脱いだ下着をテレビの上に置いて、生まれたままの状態でレンズに対峙させてみたりね。
ああいう写真を女性が観たら、どう感じるのか分からないけれど、間違いなく言えることが1つあるとすれば、被写体の女性たちの眼が、違った。少なくとも、男のおれにはそう感じられた。艶かしくて、どこか強さのある眼というのかな。
すべての写真が良かったとは思わないし、首を傾げたくなる写真もあるのだけれど、モデルの女性たちの眼の強さを観ていると、アラーキーの凄みが伝わってくる。女性たちの眼を変えてしまう「被写体との距離感」は、どの作品にも共通するアラーキーの写真の魅力で、67歳とはとても思えないバイタリティが溢れ出しているよね。
特に気になったのは、打ちっ放しのコンクリート壁の前に置かれた青いソファの上で、裸のまま膝を組んで座っている女の子の写真。とてもかわいい子なのだけれど、どこか寂しそうな眼をしていて、裸になることを決意するまでに彼女が生きた時間を、思わず想像してしまった。
どうすれば、あんな写真が撮れるのだろう。
夕方の18時を越えた頃になんとか辿り着いた。
目的は、アラーキーこと荒木経惟さんの写真展「67 反撃」だ。
Nobuyoshi Araki "67 Shooting Back"
67歳のアラーキーが、67カメラで撮った約100点の写真が、空間を埋め尽くす。
そのほとんどは、カラーで撮られた女性たちのヌードだ。
ヌードといっても様々で、爬虫類の模型を画面に配置したものや、女性を縛り上げたもの、或いは吊るし上げたものも多かった。スタジオで撮影されたものもあれば、屋外のものもある。ホテルのベッドでの写真があるかと思えば、プライベートな部屋の片隅で撮られたような「私写真」もある。脱いだ下着をテレビの上に置いて、生まれたままの状態でレンズに対峙させてみたりね。
ああいう写真を女性が観たら、どう感じるのか分からないけれど、間違いなく言えることが1つあるとすれば、被写体の女性たちの眼が、違った。少なくとも、男のおれにはそう感じられた。艶かしくて、どこか強さのある眼というのかな。
すべての写真が良かったとは思わないし、首を傾げたくなる写真もあるのだけれど、モデルの女性たちの眼の強さを観ていると、アラーキーの凄みが伝わってくる。女性たちの眼を変えてしまう「被写体との距離感」は、どの作品にも共通するアラーキーの写真の魅力で、67歳とはとても思えないバイタリティが溢れ出しているよね。
特に気になったのは、打ちっ放しのコンクリート壁の前に置かれた青いソファの上で、裸のまま膝を組んで座っている女の子の写真。とてもかわいい子なのだけれど、どこか寂しそうな眼をしていて、裸になることを決意するまでに彼女が生きた時間を、思わず想像してしまった。
どうすれば、あんな写真が撮れるのだろう。
Monday, June 11, 2007
「今」というリソース
6月10日(日)大学ラグビー国公立大会・準決勝
東京大 22-23 東京工業大(14:00K.O. @駒場ラグビー場)
悔しい。納得できない敗戦。
自分達の積み上げてきたものを誰も信じようとしない。練習を信じようとしない。
信じるに足るだけの積み上げが、まだないんだね。
でも、これが今のチームの現実。過ぎてしまった時間は取り戻せない。
この瞬間からが、次の勝負です。
肚を決めるしかない。時間は限られているからね。
春シーズンも残り3週間。
とにかく「今」というリソースの価値を徹底的に追い求めてほしい。
体格にも素質にも、経験にも恵まれない東大が唯一持っているリソースなのだから。
自分自身も、もっと成長しないといけない。
今だからこそ言える言葉、今こそすべき変革、今しか出来ない練習。
コーチが「今」をシビアにみていなかったら、きっと何も伝えることなんて出来ない。
試行錯誤が続くけれど、コーチとして「今」に敏感に反応できるだけのベーシックを、自分の中に積み上げていきたい。
東京大 22-23 東京工業大(14:00K.O. @駒場ラグビー場)
悔しい。納得できない敗戦。
自分達の積み上げてきたものを誰も信じようとしない。練習を信じようとしない。
信じるに足るだけの積み上げが、まだないんだね。
でも、これが今のチームの現実。過ぎてしまった時間は取り戻せない。
この瞬間からが、次の勝負です。
肚を決めるしかない。時間は限られているからね。
春シーズンも残り3週間。
とにかく「今」というリソースの価値を徹底的に追い求めてほしい。
体格にも素質にも、経験にも恵まれない東大が唯一持っているリソースなのだから。
自分自身も、もっと成長しないといけない。
今だからこそ言える言葉、今こそすべき変革、今しか出来ない練習。
コーチが「今」をシビアにみていなかったら、きっと何も伝えることなんて出来ない。
試行錯誤が続くけれど、コーチとして「今」に敏感に反応できるだけのベーシックを、自分の中に積み上げていきたい。
Saturday, June 09, 2007
藤森照信
久しぶりの更新。
6月11日、土曜日。
武蔵工大との1年試合を観戦後、シャワーを浴びて急いで初台へと向かう。
東京オペラシティのアートギャラリーで開催中の企画展「藤森建築と路上観察」ね。
建築史家の藤森照信さんに、以前から興味があった、という訳ではないんだ。
というよりも、恥ずかしながら、藤森照信さんの存在さえ、数日前まで知らなかった。
建築の世界に踏み出した友達が、薦めてくれたんだよね。
結論から言うと、素晴らしかった。
建築を知らないおれにとっても、わくわくする世界がそこには広がっていた。
この展覧会は、昨年の第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展で開催された「藤森建築と路上観察:誰も知らない日本の建築と都市」をベースとした帰国展で、内容を大別すると、藤森建築のこれまでの作品群を纏めた第1部と、路上観察の第2部で構成されている。第1部では、代表的な作品の写真を中心として、模型作品や学生時代の卒業制作、プロジェクト作品等が多数展示されている。第2部になると、藤森さんの他に赤瀬川源平、南伸坊、松田哲夫、林丈二等をメンバーに加えた「路上観察学会」の写真作品が展示されている。路上、或いは街中にあるちょっと面白いものや、趣きのあるもの達を、メンバー各自の独特の世界観で切り取っていく。こちらはシンプルに楽しめるものが多いね。「ジャコメッティ」の標題をつけられたひょろひょろの狛犬とか。
個人的には、とにかく藤森さんの建築作品が刺激的だった。
藤森作品を観ること自体が(写真も含めて)初めてだったのだけれど、非常に独特で力強い作品が多かった。「自然素材の活用」といった大きな括りの前に、単純に「木」が持っているバイタリティをうまく解放しているイメージだね。
個人的に印象に残ったのは、熊本県立農業大学校の学生寮の中にある食堂。天井の高い空間の中を、何本もの赤松が屹立しているのだけれど、それが格好良くて。
他にも、例えば数々の茶室。上手く表現できないけれど、とても人間的だよね。
それから、『東京計画2107』も凄かった。父親が建築家なので、小さい頃から自宅でよく模型作品を観ていたけれど、こういったプロジェクト模型を観る機会は、これまで多くなかったからね。「地球温暖化の果てに水没した東京」という構想力もさることながら、模型そのものにパワーがあって、とても魅力的だった。
薦めてくれた友達に感謝。
今度は写真ではなくて、実際の藤森建築を観てみたいね。
6月11日、土曜日。
武蔵工大との1年試合を観戦後、シャワーを浴びて急いで初台へと向かう。
東京オペラシティのアートギャラリーで開催中の企画展「藤森建築と路上観察」ね。
建築史家の藤森照信さんに、以前から興味があった、という訳ではないんだ。
というよりも、恥ずかしながら、藤森照信さんの存在さえ、数日前まで知らなかった。
建築の世界に踏み出した友達が、薦めてくれたんだよね。
結論から言うと、素晴らしかった。
建築を知らないおれにとっても、わくわくする世界がそこには広がっていた。
この展覧会は、昨年の第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展で開催された「藤森建築と路上観察:誰も知らない日本の建築と都市」をベースとした帰国展で、内容を大別すると、藤森建築のこれまでの作品群を纏めた第1部と、路上観察の第2部で構成されている。第1部では、代表的な作品の写真を中心として、模型作品や学生時代の卒業制作、プロジェクト作品等が多数展示されている。第2部になると、藤森さんの他に赤瀬川源平、南伸坊、松田哲夫、林丈二等をメンバーに加えた「路上観察学会」の写真作品が展示されている。路上、或いは街中にあるちょっと面白いものや、趣きのあるもの達を、メンバー各自の独特の世界観で切り取っていく。こちらはシンプルに楽しめるものが多いね。「ジャコメッティ」の標題をつけられたひょろひょろの狛犬とか。
個人的には、とにかく藤森さんの建築作品が刺激的だった。
藤森作品を観ること自体が(写真も含めて)初めてだったのだけれど、非常に独特で力強い作品が多かった。「自然素材の活用」といった大きな括りの前に、単純に「木」が持っているバイタリティをうまく解放しているイメージだね。
個人的に印象に残ったのは、熊本県立農業大学校の学生寮の中にある食堂。天井の高い空間の中を、何本もの赤松が屹立しているのだけれど、それが格好良くて。
他にも、例えば数々の茶室。上手く表現できないけれど、とても人間的だよね。
それから、『東京計画2107』も凄かった。父親が建築家なので、小さい頃から自宅でよく模型作品を観ていたけれど、こういったプロジェクト模型を観る機会は、これまで多くなかったからね。「地球温暖化の果てに水没した東京」という構想力もさることながら、模型そのものにパワーがあって、とても魅力的だった。
薦めてくれた友達に感謝。
今度は写真ではなくて、実際の藤森建築を観てみたいね。
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