同期と珍しく食事をして、また終電。
終電に乗ると、blogを書きたくなります。
東京で午後から予定されていた社内会議のために、少し早めに新幹線で移動。日本橋まで足を延ばして、1人で鶏料理「ぼんぼり」のランチを食べていると、店内に流れてきたのは川村結花さんのカバーによる『夜空ノムコウ』だった。
この曲を書いたシンガーソングライター、知ってますか。
ちなみに作詞はスガシカオです。
カウンターで食事をしていたのが自分ひとりだったこともあって、妙にしんみりしてしまった。学生の頃、今ではさっぱり使われなくなったMDで何度も聴いた川村結花さんのカバーも懐かしくて。『unforgettable』とか、すごく好きだったのを思い出します。
「あの頃の未来に、僕等は立っているのかな」とスガシカオは問いかけるけれど、あの頃の自分には未来なんてなかった。本当に、ただ「今」しかなくて、今を必死に生きていた。言葉にしてしまうと恥ずかしいけれど、本当にそんな感じだった。とにかく喰らいついていかなければ、明日は自分のロッカーがなくなっているかもしれない。大柄な男の身体ひとつと、多少の荷物が収まる程度のほんの小さなロッカーを守るために、毎日がバトルだった。
小さなロッカーが、当時の自分には全てだった。
そして掛けられたネームプレートは、ある種の自己証明だった。
おれ、まだここにいます、って。
もっと必死に生きられる。
フィジカルな世界よりも多少分かりづらいけれど、自分の居場所はやっぱり、自分で掻き分けて、掴んで、喰らいついて、そして繋ぎとめるものだ。
居場所は、そこにずっとある訳じゃない。
スガシカオのように感傷はできない。妥協も感傷もしている余裕さえなかった当時が、今の自分の原点のはずなんだ。20代の貴重な時間を捧げて学び取ったはずのことを、簡単に忘れていてはいけない。
妥協している暇さえないような人生を。
妥協しない、ではなくて。