Wednesday, January 11, 2012

『弱者の兵法』

野村克也著『弱者の兵法』(アスペクト文庫)

本日読了。
名将、野村克也が綴った勝負の哲学であり、野球という枠に留まらない組織論。
非常に面白く、あっという間に読み切ってしまった。

前中日監督の落合博満が「プロ野球界広しといえど、『野球』を語れるのはノムさんだけだ」と語ったという挿話が出てくるが、確かに落合博満の著書『采配』、『コーチング』を読む限り、この2人には多くの共通点がある。

1つは、徹頭徹尾「勝負師」である、ということ。
2人とも、勝負に対する拘りが生半可ではない。自身の仕事を、「野球」ではなく「勝負(そして、結果としての『勝利』)」と捉えていることが、言葉の端々から強烈に感じられる。本人達の弁はともかくとして、おそらく類稀なる天性の素質を備えていたはずのこの2人は、素質そのものではなくて、傑出したその「活かし方」によって、勝負をモノにした。そのことに対する自負心、あるいは(良い意味での)プライドは非常に明快で、読んでいて気持ちがいい。「つまらないプライド」が醸し出す不快感を全く感じないのは、さほど野球に詳しくない人間が読んでいても、その言葉の背後に「生き様」が垣間見えるからだろう。

もう1つの共通点は、徹頭徹尾「人間」である、ということ。
2人とも、同じ勝負の舞台に立つ仲間に対して、非常に優しい。俺自身はラグビーの経験が長くて、プロ野球の世界は殆ど知らないけれど、それでも、これほどまでに優しい指導者というのは極めて稀だと思う。いや、表面的には厳しく、怖い監督だったのかもしれない。現に、野村克也が監督だった当時のヤクルトの主砲、池山隆寛は「当時の監督は、かなり怖かった」と後々になって語ったそうだ。それでも、著書を読んでいる限り、この2人の指導者に共通する「優しさ」というものを感じずにはいられない。それはきっと、「選手を(あるいは選手の努力を)決して見限らない」という姿勢を貫徹されていることによるものだと思う。
これは、言葉にしてしまうと簡単だけれど、本来とても難しいことだと思っている。

野村克也は本書の中で、「人は無視・賞賛・非難の段階で試される」と語っている。
実力のない人間は、目にも留まらない。
ある程度、見込みが出てくると、自信を与えるために賞賛される。
しかし、賞賛ばかりで勘違いをさせないために、核となる人間は、あえて非難する。

選手への深い愛情がなければ、このプロセスは廻らないだろう。
本当に素晴らしいことだと、俺は思います。

そして、これを裏返せば、プレーヤーの心意気も見えてくるよね。
無視に腐っている暇があるなら、基礎練習を積み重ねて、地力を培わないと。
賞賛に酔っている暇があるなら、その先にきっと待ち構えている壁を意識しないと。
非難に沈んでいる暇があるなら、非難してくれる人間の愛情を意気に感じないと。

まずは自分自身の仕事から。
2012年は、この意識を心に刻み込んで過ごしたいと思います。