Friday, January 27, 2012

『「上から目線」の時代』

冷泉彰彦著『「上から目線」の時代』(講談社現代新書)

昨日読了。
冷泉彰彦さんの記述はやや冗長な感じもして、社会批評的な著作が苦手な人には多少読みづらいかもしれない。メールマガジン『JMM』の記事は基本的に面白く、毎週読んでいるけれど、新書となると、なかなかこってりした感じもあるかなと。

前著『「関係の空気」 「場の空気」』の続編に近い位置づけの1冊。
数年前、KYという言葉が流行した頃は「空気の時代」だった。空気がコミュニケーションを支配する時代。小泉総理(当時)が、改革の「空気」で席巻した時代。
しかし、昨今では「空気」が消滅しかけている。空気が醸成されるのは、ある種の共通感覚が成立しているからだけれど、今は空気だけで事が解決できないという「困難の感覚」が蔓延してきている。そうなると、従来は「空気」の存在を前提としていたコミュニケーションそのものが困難を伴うようになり、より慎重にコミュニケーションを取らなければ、結果として衝突を引き起こしてしまう。それを回避するための1つの手段が「目線」のコントロール(目線を合わせることによる「対等な関係性」の印象づけ)であり、そんな時代だからこそ、「上から目線」というものが敬遠されるのだ、というのが著者の見立てだ。
うん、やっぱりちょっと冗長かなあ。

まあでも、「KY」とか「空気」とか、「上から目線」とか、ほんと息苦しいなあと思う。
「空気」に支配されるのも正直勘弁だけれど、確かに「上から目線」という言葉の重苦しさもなかなかのものがある。著者も言うように、これは「日本語」という言語の特性によるところも大きいのかもしれない。(外国語に明るくないので、正確なところは分からないけど。)

日常生活においても、仕事においても「目線」はとても重要で、(自分がきちんと出来ているかどうかは別として)目線への配慮は避けられないことなのだけれど、本当は、素直に話していることの中身でコミュニケーションできれば、その方が個人的にはいいのになあ、と思うことはあります。あなたはあなたで、貴殿でも貴職でもなく、私は私で、小生でも小職でもなく、ただ"You and I"であってくれればいいのに、と。
(ちなみに俺は、この4つの言葉は使わないようにしています。)