Sunday, September 30, 2012

リーダーシップの中核は、いつだって人間。 - 『コカ・コーラ 叩き上げの復活経営』

コカ・コーラ 叩き上げの復活経営 (ハヤカワ・ノンフィクション)




  • 作者: ネビル イズデル、デイビッド ビーズリー、Neville Isdell、David Beasley、関 美和
  • 出版社: 早川書房
  • 発売日: 2012/9/7


  • リーダーとは、つまり何だろうか。本書を読みながら、そんなことを考えてみた。
    そして、私なりに辿り着いた(暫定的な)答えを、この場に書きとめてみたい。


    人によって中心に据えられ、人を中心に据えることでそれに報いる存在。
    それこそが、リーダーではないかと。


    ネビル・イズデル。2004年6月、当時泥沼に喘いでいたコカ・コーラのCEOに就任し、5年間の在任期間中に見事な再建を果たした経営者だ。当初から5年限定を明言していた彼は、2009年にその言葉どおり引退し、ムーター・ケントにCEOの座を引き継いでいる。
    本書はそんな彼が、自身の半生を綴った物語だ。彼は約40年間に及ぶビジネスキャリアを、常にコカ・コーラと共に歩んだ生え抜きの存在であり、その半生はコカ・コーラの歴史そのものと密接にリンクしている。彼が活躍した時代とは、コカ・コーラにとっても、そして世界史においても大きな変革が重なった激動の時代であり、奇しくも彼はその最前線に常にいた。それゆえ本書はコカ・コーラと世界のストーリーでもあり、それ自体も極めて刺激的なのだが、やはり本書の一番の醍醐味は、ネビル・イズデルという1人の人間そのものに、そして彼がコカ・コーラと世界に対して果たした誇り高きコミットメントの数々にこそ求められるべきだろう。彼自身が、本書の冒頭でこう語っているように。
    この本はよくあるビジネス本とも自伝とも違う。個人的なストーリー、と言った方がいいだろう。あなたの知らない(インサイド)コカ・コーラの旅へようこそ。わたしの人生の物語と、危機と希望と興奮に満ちたグローバルビジネスの未来を楽しんでいただければ幸いである。

    そして彼は、その「個人的なストーリー」において、彼のために献身を惜しまない仲間との出会いにいつも恵まれていた。人が活きる場所を整えることで、いつでも人を守ろうとした。組織における自身の立場を問わず、いつだって毅然としたリーダーであり続けた。コカ・コーラを復活へと導いた舵取りはもちろん素晴らしいが、ある意味ではストーリーの集大成にすぎない。ストーリーの中核は、人間の魅力であり、魅力的な人間だ。ネビルを支え、導いた人間。共に戦い、争った人間。豪胆をもって試した先達。時には陥れようとした人間。偶然、同じ場所で同じ空気を吸った人間。本書のストーリーを彩るこれらの共演者達は、誰もがとても魅力的だけれど、舞台の中心にいつもいた肝心の主演を忘れることはできない。


    そう、ネビル・イズデルは人間として魅力的だった。
    それはきっと、彼が人間を信頼していたからだ。
    本書には、そうした彼のスタンスを示す印象的なエピソードが溢れている。


    たとえば、ゲイリー・フェイヤード。ネビルがCEOに就任した2004年、コカ・コーラは売上水増問題で米証券取引委員会(SEC)の捜査を受けていた。この問題を内部告発した社員が直前の人員整理で解雇され、その後コカ・コーラに対して訴訟を起こしたのが発端だった。当時CFOだったゲイリーは解雇を止めようとしたが間に合わず、捜査が進むにつれて、SECがゲイリー個人に対して民事訴訟を起こす可能性が高まっていく。辞めざるをえないと判断したゲイリーは辞表を提出するが、ネビルはゲイリーを終始守り抜いた。立場や組織のために、罪なきものに罪を着せない。完全に正しい会計開示をもってSECと和解した後、ゲイリーは今もCFOとして活躍している。

    あるいは、東欧でビジネスを共にしたかけがえのない右腕、ムーター・ケント。1996年、財務アドバイザーによる勝手な自社株の空売りによって、彼はインサイダー取引疑惑で当局の捜査を受けていた。ネビルはそれを、単純なミスだったと信じていたが、ムーターは将来有望だったはずのキャリアを閉ざされた。その彼の人間性とポテンシャルを信頼し、自身の後継者として呼び戻したのもネビルだった。つまらないキャリアの傷などではなく、本質を見抜いて、人を信じ抜く彼の姿勢は、この言葉に表れているだろう。
    コカ・コーラ社の全権をムーターに引き継いだとき、よくこう訊かれた。「あなたの功績はなんですか?」と。
    わたしの答えは簡単なものだった。
    「後継者が成功しなければ、功績などありません」
    それから二年たったいま、この本を執筆しながら、わたしは自信を持ってこう言える。「ミッション完了」と。
    他にも紹介したいエピソードは尽きることがない。
    ヨハネスブルグで雇い入れた初の黒人販売マネージャー、アーネスト・ムチュニュの才能を見抜き、茨の道と知りつつも「挑戦の機会を得よ」と諭したその思い。フィリピン時代、現地のカルチャーへの深い洞察をもってビジネスを支えたキング・キングとの信頼関係。元CEOドナルド・キーオに対しても、大胆かつ毅然と意見を戦わせるタフネス。何人かの役員達を冷静に見極め、様々な周辺環境に配慮しながらも譲ることなくシビアに切っていく度胸と覚悟。どれもがとても魅力的であり、それぞれのエピソードの中に、ネビル・イズデルという傑出したリーダーの人間性を垣間見ることができるはずだ。

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    本物のリーダーとは何か



  • 作者: ウォレン・ベニス、Warren Bennis、バート・ナナス、Bart Nanus、伊東奈美子
  • 出版社: 海と月社
  • 発売日: 2011/5/26


  • リーダーシップを考える上で、個人的に外せない1冊。「マネジャーはものごとを正しく行い、リーダーは正しいことをする」というウォレン・ベニスの名言は、端的にして、リーダーシップの核心を鋭く衝いている。常に「正しいこと」をしようとしたネビル・イズデルは、やはり本質的な意味において、真のリーダーだったのではないだろうか。


    逆境を生き抜くリーダーシップ



  • 作者: ケン・アイバーソン、Ken Iverson、(序文)ウォレン・ベニス、Warren Bennis、近藤隆文
  • 出版社: 海と月社
  • 発売日: 2011/7/26


  • 1965年、倒産寸前だったアメリカの小さな製鉄所ニューコアの社長に就任し、全米2位の鉄鋼メーカーへと押し上げた稀代の名経営者、ケン・アイバーソン。リーダーシップというものに対する彼の哲学と行動が、惜しみなく綴られている。前掲のウォレン・ベニスも序文を寄せており、非常に読み応えのある1冊だ。

    Wednesday, September 26, 2012

    バレエシューズ



    昨日のこと。

    バレエを習いたいと言っていたハンナ。
    パートナーが、近くのバレエ教室に連れていってあげた。体験コースに参加させてあげようと。

    体験コースとはいえ、最低限の服装を用意する必要があって。
    幼稚園の体操服だったり、普段着のワンピースという訳にもいかないようで、色々考えた末、手軽な値段のバレエ服とシューズ、それからバッグを買ってあげることにした。
    まだ入会前ではあったけれど、ハンナを連れて一緒に見学もしてあって、その後もハンナは「バレエやりたい!」と繰り返していたので、その言葉を信じて、ささやかなプレゼントとして。

    でも、ダメだった。

    初めての体験コース。ずっと頑張って、一生懸命に初めてのバレエをしていたハンナは、その日のコースが終わる間際になって、突然、ぽろぽろと泣き出してしまったそうだ。
    「もうやだ・・・。帰りたい」って。
    その場にいなかった俺は想像する他ないのだけれど、何かきっかけがあったのかもしれない。
    ずっと我慢していたけれど、最後の最後になって、何かが溢れ出してしまったのかも。
    そして泣きじゃくって、母親に気持ちをぶつけて。

    パートナーもショックだったようで、とても落ち込んでいた。
    下見もして、ハンナの意志も確認していたのに、って。
    仕方のないことだし、誰のせいでもないのだけれど、それでも落ち込んだりするのがヒトだよね。


    きっとそれは、子供と一緒に生きていれば、普通にあることなんだと思うんだ。
    小さなことなのかもしれない。
    やってみたら、やっぱりイヤだった。起きたのは、ただ、それだけのことだから。

    でも、そうじゃないんだ。
    やっぱりそれは、小さなことではないんだよね。
    パートナーは、ハンナのことを一生懸命に考えてくれたのだから。
    そしてハンナもきっと、一生懸命に泣いたのだから。
    小さな身体と、まだ小さなキャパの心を振り絞って、一生懸命に泣いたんだよね。


    同じようなことが、今後もあるかもしれない。
    ハンナの人生を決めるのはハンナ自身で、どこまでいっても親ではないはずだから。
    最後は、本人が決めればいい。
    でも、パートナーがハンナのことを思ってくれているという事実は、大切にしてあげたい。
    結果として、ハンナの選択が親の思いとは違っていったとしても、そこにパートナーのやさしさがあったということを、きちんと家族で受け止めていってあげたい。


    またどこかで、バレエシューズを履きたくなるかもしれないよね。

    『本人伝説』

    本人伝説
    • 作者: 南 伸坊、南 文子
    • 出版社: 文藝春秋
    • 発売日: 2012/9/7

    先日のHONZ朝会で紹介された1冊。
    日本橋丸善で見つけて、思わず衝動買いしてしまった。

    オススメ。ほんと陽気で楽しい本です。
    特徴をよく捉えてるんだよね。かなりムリなものもあるけど、それがまた面白い。ダルビッシュや浅田真央あたりは完全にムリな感じで、なぜそこで<本人術>を駆使しようとしてしまったのか全く理解できないレベルだ。そういうどうでもいいことを100%本気でやり切ってしまうのが素敵だよね。 

    森村泰昌さんのアートを思い出すけれど、趣向は全く異なっている。
    同じようなことをしていても、全くぶつからないのは、南伸坊にムリがないからだろう。
    ムリもなにも、完全に遊んでいるからね。

    Thursday, September 20, 2012

    マチを考える2冊。『都市と消費とディズニーの夢』、そして『町の忘れもの』

    都市と消費とディズニーの夢  ショッピングモーライゼーションの時代 (oneテーマ21)



  • 作者: 速水 健朗
  • 出版社: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/8/10

  • 町の忘れもの (ちくま新書)



  • 作者: なぎら 健壱
  • 出版社: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/9/5



  • 街と町は、違う。
    私とあたしも、違う。
    そして空地と空き地も、きっとどこか違う。

    最初の1冊が取り扱うのは、「(公ではない)私が変えていく街」だ。
    そこでは、空地は地価と収益性でシビアに評価され、市場の論理に翻弄される。

    2冊目は「あたしがぶらつき、シャッターを切った町」の物語だ。
    そこには、そもそも空き地がほとんど残っていないけれど、残された数少ない空き地の中に、あたしは郷愁を見出していく。



    さて、まずは街の話をしよう。

    ショッピングモーライゼーション。『都市と消費とディズニーの夢』の著者、速水健郎の造語だ。彼は本書の中で、ショッピングモールが生まれた歴史的背景と現代に至るまでの変遷を辿りながら、一般的には郊外都市型の商業施設として認知されているショッピングモールが、単なる消費の拠点に留まらないという事実を明らかにしている。それは現代において、都市計画そのものとも密接に結びついており、著者はそうした一連のムーブメントを「ショッピングモーライゼーション」と定義することで、都市・消費・そして住生活といったものの「今」を探ろうとしている。

    ただ、その全体像を捉えるためには、まずはショッピングモールが生まれた背景を押さえておく必要がある。キーとなるのは「モータリゼーション」、つまり自動車の普及による社会の変容だ。

    アメリカでモータリゼーションが始まったのは1920年代といわれるが、自動車の普及率が急増したのは1950年代だ。この頃、アメリカ社会には2つの意味で大きな変化が生じていた。

    1つは、都心の荒廃だ。地方から大量に流入してきた労働者、そして第二次世界大戦中になされた政策転換によって大幅に増えた移民労働者で溢れかえる都市の中心部。失業の憂き目にあった者たちは路上生活者として住みつき、移民達は都心近くにスラムを形成していった。こうした流れの中で、都心の治安は急速に悪化し、従来そこにあったコミュニティとしての機能が失われていった。

    そしてもう1つが、都市のスプロール化だ。自動車の普及とフリーウェイ/ハイウェイといった道路インフラの発展によって、都市は郊外へと拡散していき、中流階級の住民たちは、都心を離れた場所に新しく生まれた市街地へと移っていった。これは同時に、都心の空洞化をもたらすと共に、中央なき無秩序な拡散は、結果として経済活動全体の非効率を増長させていくことになった。

    ショッピングモールとは、こうした2つの問題を抱えていた当時のアメリカ社会で生まれた新たな商業施設だった。1950年代という時代の産物であるショッピングモールは、その後、現代世界における都市のあり方を大きく変えていくことになるのだが、その構想における思想的背景や目的、あるいは成立と成長の軌跡を知るために、本書では主に2人の天才の足跡を辿っている。



    まずは「ショッピングモールの生みの親」とされる建築家、ビクター・グルーエンだ。
    上述したとおり、まさしく社会の変容の渦中にあった1954年、ミシガン州のサウスフィールド郊外に「ノースランド・センター」がオープンする。この施設を設計したのがグルーエンなのだが、彼は敷地の周囲を7,500台収容の巨大駐車場で取り囲むと、博物館や美術館を思わせる建造物に様々なオブジェや噴水、花壇などを配した総合的な環境づくりを行っていく。そして、施設の中核には運営元となったハドソン百貨店が据えられ、周囲の遊歩道には各種の専門店が軒を連ねていく。そして、エリア内にはBGMを流すことで、快適で楽しい環境を演出していくのだ。これはまさに、現代のショッピングモールの原型と言えるものだろう。

    グルーエンは、単なる郊外型の商業施設を志向した訳ではなかった。彼は、かつての都心で失われた公共性、人間の交流を取り戻そうとしていた。大型駐車場を配したのは、エリア内で歩車分離を実現することで、モータリゼーション以前にあった人間的なコミュニティを再現するためだった。彼にとってショッピングモールとは、「郊外の新たなダウンタウン」だったのだ。



    もう1人は、長きにわたって世界最大の入場者数を誇るテーマパーク「ディズニーパーク」を生んだ男。言わずと知れたウォルト・ディズニーだ。

    ロサンゼルス近郊のアナハイム市南西部において、彼がディズニーランドをオープンさせたのが1955年。奇しくもグルーエン設計のノースランド・センターがオープンした翌年だ。ディズニーランドは遊園地とは区別され、「テーマパーク」と呼ばれるが、ウォルトはディズニーランドというテーマパーク事業の展開において、明確なビジョンを持っていた。外部世界の建物が極力視界に入らないように配慮された設計。ストリートの道幅も奥側をわずかに狭め、アーケードショップの2階部分を小さくすることで郷愁を誘う「強化遠近法」の活用。ファンタジーランドやフロンティアランド、トゥモローランドといった「物語(ナラティブ)」の導入による「現在」の排除。こうした様々な仕掛けが徹底されて、ディズニーはひとつの大きな世界観を形成しているが、その核心にあったウォルトの問題意識は、実はビクター・グルーエンのそれと極めて近いものだった。

    それは端的に言えば、ノスタルジーだ。彼は保守主義者であり、大量生産・大量消費時代のアメリカが失ったものを取り戻そうとしていたのだ。都心の崩壊に心を痛めていたウォルトは、「テーマパーク」という形で新たな「都市」そのものを作ろうとした。最終的に実現こそしなかったものの、ウォルトは理想都市の構想を「EPCOT(Experimental Prototype Community of Tommorow)」というコードでまとめていて、それはディズニーランドの思想的バックボーンとなっていた。そして彼が、EPCOTの中核に据えるコア施設として熱心に研究していたのは、あのグルーエンによるショッピングモールだったのだ。



    その後、ショッピングモールとテーマパークは、その底流にある問題意識をブレンドさせ、相互に影響を与え合いながら共に発展していくことになる。ショッピングモールは、物語(ナラティブ)の導入によって「テーマパーク性」を帯びていった。最近の事例で言えば、東京スカイツリーのショッピングモール「ソラマチ」が浅草仲見世通りを模しているのが典型だろう。強化遠近法のようなテーマパーク的手法を用いた視覚的演出も、モールにおいて一般化してきている。一方で、テーマパークもショッピングモールとの融合が進んでいった。これは付言するまでもないことだと思う。

    この流れは日々加速して、現代では都市計画そのものにショッピングモール的な手法が導入されている。そう、これこそが「ショッピングモーライゼーション」の本質なのだ。大量消費社会の到来と市場競争の激化によって、都市の機能を官だけで担っていくことはもはや困難な時代となった。収益性を度外視した都市計画は成立し得ない。いまや官公庁の庁舎や病院にスターバックスがあり、主要駅や空港がショッピングモール化しているのが、現代という時代なのだ。


    ===
    その時、街にあった「空地」はコインパーキングとなり、収益性の波に飲まれていくだろう。
    でもあたしは、違う目でその景色を見ていた。その目が追っていたのは、今のコインパーキングではなくて、昔の「空き地」だった。あたしというのは、勿論レビュアーのことではない。『町の忘れもの』の著者、なぎら健壱だ。

    本書は、前掲書とは全く異なるタイプの1冊だ。
    なぎら健壱が、目的もなくただ自由に町を歩き、目に留まった懐かしいモノや場所をシャッターに収めていく。そう、いわゆるスナップだ。モノクロでプリントされた静かで温かい写真の数々に添えられた著者のエッセイは、何を論じるでもなく、何を主張するでもなく、ただノスタルジックで、温かい。硬めの本ばかりを読んでいると、ふとした瞬間、なぜだか急に手に取ってみたくなる。そういう類の本だと、個人的には感じている。

    私自身は、当然ながら著者と同時代を生きてきた訳ではないが、本書を読み進めていく中で改めて思った。私が生まれ育った当時の豊橋の町には、色々な古いものがまだ残っていたのだと。

    ざっとリストしてみよう。
    ドブ。蝿帳。ハエ取り紙。コンクリートの滑り台。宅配ヤクルトの箱。リヤカー。木製の雨戸と戸袋。チンチン電車。どれもがとても懐かしい。

    今でこそドブは使われていないが、子供の頃はドブだらけだった。道路でサッカーボールを蹴っていて、よくコンクリートの蓋がされていないドブに落としたものだ。蝿帳は、実家では今も使っている。学校から帰ってくると、最初に開けるのは蝿帳だった。母がそっと中に置いてくれていたおやつがいつも楽しみだった。ハエ取り紙もまだキッチンに吊り下げられていた気がする。私はあのベタベタする感じが嫌いで、できればやめてほしいと思っているけれど。宅配ヤクルトこそ取っていなかったが、牛乳は宅配をお願いしていた。牛乳瓶を入れる小さな赤い箱が懐かしい。リヤカーは実家の倉庫に眠っている。先日帰省した時に、当時2歳の娘を乗せてあげたら喜んでいた。木製の雨戸はなかなかの曲者だ。台風が来ても、戸袋から出すだけで一苦労なのだから。チンチン電車は、今日も豊橋の市街を元気に走っている。どこまで乗っても大人150円だ。

    あなたの周囲に、まだ残っているものはあるだろうか。

    何もかもが、「ショッピングモーライゼーション」の余波にあって消えかけている。
    それは仕方がないことかもしれない。いずれにせよ、都市の変貌は明日も続いていき、老朽化したものや、今では使途がなくなってしまったものたちは、時代と共に駆逐されていく他ないのかもしれない。

    ただ、本書を読んでひとつ言えることがあるとするならば、まだ町には残っている。決して多くはないかもしれないけれど、確実に。少なくとも、なぎら健壱が構えたシャッターの先には、そういったノスタルジックなもの達が存在しているのだから。



    もしかすると、私達には見えていないだけなのかもしれない。
    町の郷愁というものが。古さの中にある価値というものが。時代の残り香とでもいうものが。

    改めて、町をゆっくりふらついてみるのも悪くなさそうだ。
    降りたことのない駅で降りて、スマホの電源をオフにして、ショッピングモーライゼーションと都市の将来に思いを馳せながら、町を歩いてみたくなる。
    そう、あのグルーエンとウォルトの根底にあったものも、結局のところ、ノスタルジーだったのだから。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    商店街は、ある意味でショッピングモールの対極と捉えられているものだ。日本の多くの商店街がシャッター通りと化している一方で、地域住民の努力もあって復活を遂げようとしている商店街もある。本書は日本において商店街が形成された社会的背景から把握するための良書だろう。山本尚毅が以前HONZでレビューしている。

    商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)




  • 作者: 新 雅史
  • 出版社: 光文社
  • 発売日: 2012/5/17


  • 高松丸亀町商店街の再興に携わった都市計画家、西郷真理子氏の著作。この分野で活躍する女性は多くないというが、彼女はそのコミュニケーション能力を如何なく発揮しながら、商店街の再生を担っていく。非常に平易な言葉で綴られているが、とても興味深い1冊だ。

    まちづくりマネジメントはこう行え 2011年10月 (仕事学のすすめ)




  • 作者: 西郷 真理子、勝間 和代
  • 出版社: NHK出版
  • 発売日: 2011/9/23
  • Thursday, September 13, 2012

    今月読む本(私版)

    ちなみに、朝会に持っていった本を。

    まずは、一巡目で紹介した3冊だ。 
    藤島大さんの新刊。 既出のエッセイも多いけれど、もう一度きちんと読み返すつもりだ。
    ちょっと斜め読みしてみたけれど、相変わらず1行目は素晴らしい。

    ラグビーの情景
    • 作者: 藤島 大
    • 出版社: ベースボールマガジン社 (2012/09)
    • 発売日: 2012/09

    これは取られたくないなあ。
    必ずレビューを書こうと思っている1冊です。なるべく近いうちに。

    コカ・コーラ 叩き上げの復活経営 (ハヤカワ・ノンフィクション)
    • 作者: ネビル・イズデル、ビーズリー デイビッド、関 美和
    • 出版社: 早川書房
    • 発売日: 2012/9/7

    これが当然のように(しかも7月の朝会本と)かぶってくるのがHONZなのかと。
    ただ、レビューは上がってないと思うんだよなあ。装丁からも、面白い匂いが漂っています。

    F機関‐アジア解放を夢みた特務機関長の手記‐
    • 作者: 藤原岩市
    • 出版社: バジリコ
    • 発売日: 2012/6/29

    二巡目で紹介した追加の1冊。
    麻木久仁子さんの鞄にも同じものが入っていた。
    ノンフィクションというよりもエセー。こういう本は一定の頻度で読みたくなるものです。

    町の忘れもの (ちくま新書)
    • 作者: なぎら 健壱
    • 出版社: 筑摩書房
    • 発売日: 2012/9/5

    なぎら健壱さんの著作との対比が、自分の中でちょっと面白くなってきている1冊。
    読んでみないと評価はできないけれど、なんとなく頭の中でいいブレンドが起きるかも。

    都市と消費とディズニーの夢  ショッピングモーライゼーションの時代 (oneテーマ21)
    • 作者: 速水 健朗
    • 出版社: 角川書店(角川グループパブリッシング)
    • 発売日: 2012/8/10

    新刊というにはちょっと古いかな。そもそも単行本の初版刊行は1997年なので。
    高度成長。生まれる前の時代。そして今、個人的には「腹に落とさないといけない時代」なのかなという気が、ちょっとしている今日この頃だ。

    高度成長 (中公文庫)
    • 作者: 吉川 洋
    • 出版社: 中央公論新社
    • 発売日: 2012/4/21

    ベタかなと思って、HONZでは紹介しなかった1冊。
    映画化されて話題になっているが、素直に面白そうだなあと思った。
    帯がまた素敵なんだよね。父親が車椅子で生活している俺としては、ぐっと来るものがあった。

    A Second Wind
    • 作者: フィリップ・ポッツォ・ディ・ボルゴ、田内 志文
    • 出版社: アチーブメント出版
    • 発売日: 2012/8/30

    買うことも、読むことも、紹介すべきか否かも悩んだ1冊。
    結局、紹介はしなかったけれど、もう読み終えてしまった。ちょっと日を措いて、考えてみたい。

    生きぞこない …… エリートビジネスマンの「どん底」からの脱出記
    • 作者: 北嶋一郎
    • 出版社: ポプラ社
    • 発売日: 2012/6/5

    山本直毅さんが紹介されていた1冊。
    朝会でも話したのだけれど、プーチンを扱ったところは物凄く面白い。

    混乱の本質 叛逆するリアル 民主主義・移民・宗教・債務危機 (プロジェクト・シンジケート叢書1) (PROJECT・SYNDICATE)
    • 作者: ジョージ ソロス、ジョセフ E スティグリッツ、クリスティーヌ ラガルド、ジャン=クロード トリシェ、トニー ブレア、徳川 家広
    • 出版社: 土曜社; 初版
    • 発売日: 2012/8/25

    HONZ公開朝会


    HONZ公開朝会@下北沢。
    http://honz.jp/14605

    HONZ参加が決まってから初の朝会で、そもそも何をする場なのかも正確には分からないまま臨んだのだけれど、凄かった。率直に言って、かなり面白かった。
    ほぼ全メンバーと顔を合わせてのご挨拶ができたのも、初参加の俺にとっては嬉しかった。ちなみに、総勢17人が1つのテーブルを囲んで座っていくのだけれど、目の前に座っていたのは麻木久仁子さん。ふつうに座っていたことに、そして持ち込んだ本が1冊かぶったことに、今更ながらちょっとびっくり。大阪から参戦の仲野先生にお会いできたのも嬉しかった。HONZ加入前に読んだ仲野先生の著書はかなり面白かったのだけれど、どうやらそれ以上に本人が面白いという可能性大みたいで。

    ラグビーの縁もある。大学ラグビー部の先輩が内藤さんの会社の同期だったり、俺がコーチした選手の1人が今年入社した会社で久保さんの近くにいたりして。色々なところで、知らないところで、ラグビーが小さなきっかけを連鎖させてくれることがある。ほんと感謝です。

    さて、選書。
    メンバーの「今月読む本」だ。
    今日の感想はこれに尽きるのだけれど、ちょっと尋常じゃないレベルだった。「選書にレベルなんてあるのか」と思うかもしれないけれど、もう明確にあるんです。「狙った」選書も勿論あるのだけれど、その狙い方にも作法がある感じがするんだよね。作法というのは形式的制約のことではなくて、クオリティ・スタンダードとでもいうようなことなのだけれど。

    まあいいや。とにかく、単純に楽しかっただけではなくて、かなり驚いた。
    自分のチョイスもそこそこに、また他の本に手が伸びてしまいそうです。
    比較的オーソドックスな(笑)俺の選書は、今後どうなっていくのかなあ。

    Monday, September 10, 2012

    『「銀行マン」のいない銀行が4年連続顧客満足度1位になる理由』



    本書の表題を一目見て、ふと思わなかっただろうか。

    そういえば、最後に銀行マンと会ったのはいつのことだったろうか、と。

    そしてそれは、おそらく極めて普通の感覚だ。
    事業家でもなければ企業で財務部門に勤務している訳でもなく、個人として住宅の購入も特に考えていないとすると、日常生活において銀行マンと会うことなどまずないだろう。特別な事情がないのに銀行マンと頻繁に会う人間となると、思いつくケースは1つしかない。つまりあなた自身か、もしくはあなたの家族が銀行マンというケースだ。

    そう、多くの一般人にとって銀行マンというのは、ある意味で「そもそも、レアな存在」なのだ。

    それはつまり、銀行にとってリテールビジネスはずっと中核ではなかったということを示している。個人顧客から預金を募り、集めた資金で企業に融資する。これが銀行のメインビジネスだ。預金には金利がつくことからも明らかなように、銀行のバランスシートでは「預金=負債」だ。貸し手がない資金余りの状況であれば、個人顧客など必要ない。極論してしまえば、そういうモデルだった。今でこそ個人向けの様々な金融サービスが存在し、銀行窓口でも投信や保険が買える時代になったが、それでもなお、明確なリテール戦略を掲げている銀行はいまだ少数派というのが偽らざる現実だろう。

    そこで本書だ。ソニー銀行。「銀行マンのいない銀行」、つまりネット銀行。その中でも唯一のメーカー系銀行だ。
    そんなソニー銀行が、4年連続で顧客満足度1位になっているというのだ。

    本来はその驚きの理由を書かなければならないのだけれど、正直に白状しておこう。

    全くもって、驚くことじゃない。

    なぜならば、ソニー銀行のサイトが他行のそれを凌駕しているのは、誰が見ても明らかだからだ。本当に良く出来ている。そして、店舗を持たない彼らにとっては、サイトこそが主戦場。要するに、彼らは主戦場で勝ち名乗りをきちんと上げているのだ。

    例えば、人生通帳というサービスがある。私自身も日々愛用しているが、本当に使い勝手がいい。いわゆる「アカウント・アグリゲーション」というもので、他行口座も含めた全口座残高や保有外貨の状況、各種クレジットカードの引落し額までワンページで簡単に把握することができる。メイン口座については、カレンダー形式で資金移動(引き出しや入金)が表示される仕組みで、日々の口座の動きを直感的に掴みやすい。ソニー銀行の提供するサービスは他にもあるが、個人的な感想だけでいえば、これだけで十分に「顧客満足度1位」の価値があると思っている。

    もちろん、ネット銀行としての制約は多々存在する。公共料金の引き落としは、今でも対応していない。ローン商品も限定的だ。投信や保険を購入する際の相談窓口もなければ、貸金庫もない。そもそも店舗がないのだ。それでも、主戦場では決して負けない。徹底された顧客視点で、上手にユーザーの気持ちに寄り添ったサービスを展開している。

    なぜそれが可能だったのか。それが本書のテーマだ。

    答えをここで書いてしまっては、つまらないだろう。ただ言えるのは、結局は「ヒト」だということだ。破綻した山一證券の元社員で、創業以来社長を務めている石井茂氏の思いがコアとなって、そこにノウハウを持った人間達が集い、「フェアな銀行を作る」という理念のもとに、彼らのスキルと思いがブレンドされていく。本書を読んでいると、その時の現場はきっと充実感に満ち溢れていたのだろうと、素直に思うのだ。

    Sunday, September 09, 2012

    『ナビゲーション』

    ナビゲーション 「位置情報」が世界を変える (集英社新書)
    • 作者: 山本 昇
    • 出版社: 集英社
    • 発売日: 2012/8/17


    こちらもなかなか面白かった。

    大航海時代以降、現代に至るまでの「ナビゲーション」に関するイノベーションの変遷を平易にまとめた1冊。今では当たり前の日常を生きていくうえでの前提技術になってしまっているGPSについても、その基本的な方式と課題のさわりといったあたりが分かりやすく整理されていて、有意義な内容になっている。

    それにしても、この手のトピックを齧ってみるきっかけとしては、新書というコンテンツはかなりフィット感があるよね。最近は新書レーベルの乱立もあって、好奇心の芽というのが、すごく育てやすくなっているような気がするなあ。

    『宋文洲猛語録』

    宋文洲猛語録
    • 作者: 宋 文洲
    • 出版社: ダイヤモンド社
    • 発売日: 2012/8/31


    実はずっと悩んでいる1冊。
    この本を書く時のイメージはもう明確にあって、書き方で遊べそうな感じがしているのだけれど、まあどこまでいっても語録なので、ちょっと考えてしまうかな。ただ、悪くない語録です。 

    宋文洲さんというのは、とても面白い方だと思います。なんというのかな、エッジの効いた小気味良い言葉がたくさんあって。本書はあっという間に読めてしまうけれど、決して退屈はしないかなと。twitterや過去の著作等で宋文洲さんの言説に触れたことがない人だと、ハッとさせられる言葉も多々あるはずです。

    『人はお金だけでは動かない』 - 人間に立ち返る経済学の現在


    人はお金だけでは動かない―経済学で学ぶビジネスと人生




    • 作者: ノルベルト・ヘーリング、オラフ・シュトルベック、大竹 文雄、熊谷 淳子
    • 出版社: エヌティティ出版
    • 発売日: 2012/8/27


    「ところで―」
    男が問いかけてくる。「君は1日に、どのくらいテレビを見るのかね。」
    そして、諭すような口調で続ける。「30分未満がいい。長いことテレビを見ていると不幸になる。2時間半も見ようものなら、もはや両脚をどっぷりと不幸に埋めているようなものだ。」

    すると、別の男が横から口を挟む。
    「それでも、仮に君が左利きだったとするならば、運命は変わってくるかもしれないね。君に学位があるならば尚更だ。なにせ学位がある左利きの男は、同じ条件の右利きよりも15パーセント多く稼ぐというのだから。」

     本当にそうだろうか、という疑問が頭をもたげてくる。
    人の幸せは、必ずしもカネじゃない。たとえ俺の年収が倍になったとしても、他の皆が3倍になっていたら、きっと俺は惨めな思いをするだろう。絶対額の多寡だけで、幸せなんて本当に語れるのか。

    そんなことをぼんやりと考えていると、隣に座っていた紳士がつぶやく。
     「そういえば君はオランダで育ったんだったね。君のその高い身長もお国柄というわけか。最近のアメリカ人は横に大きいばかりで、身も心も小さいヤツばかりさ。」

     さて、ここで質問だ。決まった答えなどないのだから、自由に考えてみてほしい。
     彼らは何者で、今、どこにいるのだろうか。

    この問いに、本書は1つの回答を提示している。
    つまり、彼らは経済学者であり、そして実験室で語り合っている、ということだ。

    本書の原題は『Ökonomie 2.0(英訳はEconomics 2.0)』、つまり新たな経済学だ。ではその特徴、つまり経済学における「2.0性」とは何だろうか。この点については、アクセル・オッケンフェルが寄せた端的にしてクリアな序章「ドグマからデータへ」の一節に、見事に凝縮されている。


    この二○年、経済学はめざましい進化を遂げた。経済学者は、人間や人間がかかえる問題にだんだん歩み寄っている。(中略)ドグマではなくデータこそ現代経済学の共通項だ。こうした進歩の原動力は、ゲーム理論と、それを検証する実験経済学という、ふたつの新しい科学的方法が見いだされ、用いられるようになったことだ。

    人間というものを、経済合理性に基づいて、常に自己利益の最大化を目指して合理的に行動する「ホモ・エコノミクス」として捉えることを暗黙の前提としていた従来型の経済学から、もはや経済学は大きな変貌を遂げている。今、経済学は「人間」に立ち返ろうとしている。必ずしも合理的でもなければ公正でもなく、社交的で、いつだって隣人のことが気になって仕方がない、そんなごく当たり前の人間というものに。ただし、彼らは心理学者でもなければ、文学者でも、社会学者でもない。あくまで経済学者だ。そんな彼らにとっての「人間」、あるいは「人間性」というのは、結局のところ、膨大なデータと高度な数学的手法の先に差し込む一筋の光のようなものなのかもしれない。

    こうして「人間」をその研究の中心に据えることになった現代経済学が取り扱うテーマは、極めて多岐に渡っている。最低賃金と失業、グローバル化、金融市場、企業経営、人事評価といったお決まりのテーマは勿論のこと、文化、宗教、スポーツ、あるいは身長や容姿、男女の性差に至るまで、あらゆる物事が「経済学的に」研究されている。こうなってくると、いまや経済学が問題にしない問題を探す方が困難なのかもしれない。

    ここでようやく、冒頭の男達のことをもう一度振り返ってみよう。

    スイスの経済学者ブルーノ・フライの研究チームによると、テレビの視聴時間と幸福感には相関性があるそうだ。誰しもが、自分にとってちょうどいいと思う程度にテレビを見ているつもりかもしれないが、実際には多くの人はテレビの視聴時間をうまく管理できず、やや見すぎてしまうそうだ。彼らの研究結果は、1日の視聴時間が30分未満の人は、もっと長い時間をテレビに費やしている人たちよりも幸福度が高いことを示している。ただし、退職者や失業者といった自由な時間の持ち主達だと、テレビの視聴時間と生活満足度に相関関係はないようだ。

    『ジャーナル・オブ・ファイナンス』という著名誌に掲載された3人の研究者による論文「利き手と稼ぎ(Handedness and Earnings)」によると、左利きの人は、対等の右利きの人よりも平均して15パーセント多く稼ぐ。ただ、本書では「少なくとも(そして唯一)、男性で学位がある場合の結果だ」という紹介になっている。この胡散臭さはなかなかのものだ。

    「幸福の経済学」には様々な系譜があるようだ。リチャード・レイヤードはその信奉者として、現代の成果主義社会は人を幸せにしないと主張している。オーソドックスな学説とは異なるのかもしれないが、限界所得税率の引き上げによって、幸福を蝕む過度の競争をなくすべきだというポジションを取っている。その一方で、満足や幸福に関する人の認知などあてにならず、アンケートで幸せだと回答した人間が本当に幸せとは限らないと考えるアマルティア・センのような学者もいる。これはただ1つの正解に収斂していく類の問題ではないとは思うけれど、少なくとも、カネだけが全てではないというのは、実感としても真実なのだろう。

    1人あたりの国民所得でみれば、アメリカはヨーロッパ諸国を凌駕している。それでも、アメリカ人の生活水準がヨーロッパ人よりも本当に高いのか、という点について言えば、大いに疑問の余地がありそうだ。人体測定学者による研究が進んだ結果、20世紀初頭には世界で最も背が高かったアメリカ人は、1960年以降その成長をストップさせてしまい、女性に至っては平均身長が縮んできているということが明らかになった。現在、世界一の高身長を誇るのはオランダ人だが、わずか140年前には、彼らの平均身長はアメリカ人と比較して7cmも低かったという。今ではアメリカ人よりも6cm高いというのだから、生活水準というのもなかなか捉えがたい代物だ。

    本書では、他にも豊富な実験例が紹介されている。経済学という言葉の響きに構えずに、所詮はカネの話だという偏見に縛られずに、気軽に読んでみてほしい。人間という原点に立ち返ろうとする経済学の地平が、平易な言葉の端々からきっと垣間見えてくるはずだ。

    ただし、1日のテレビ視聴時間が30分未満で左利きのオランダ人がハッピーかどうかは、私には分からない。


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    本書にも解説を寄せている大竹文雄氏の好著。
    経済学を身近なものにしてくれるという点で、本書は外すことができない。

    競争と公平感―市場経済の本当のメリット (中公新書)




    • 作者: 大竹 文雄、、大竹 文雄のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら
    • 出版社: 中央公論新社 (2010/03)
    • 発売日: 2010/03


    日本のビジネスマンにとって、行動経済学というものを知るきっかけを作ってくれた1冊。『予想どおりに不合理』というのも言い得て妙なタイトルだ。読者の興味を巧みに引き寄せながら、常識的な感覚というものを裏返してみせてくれる。

    予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」




    • 作者: ダン アリエリー、、ダン アリエリーのAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら、Dan Ariely、熊谷 淳子
    • 出版社: 早川書房
    • 発売日: 2008/11/21


    一方で、正反対のタイトルでもベストセラーに名を連ねてくるのが経済学らしいところだ。「経済学は、ふたりの研究者がまったく正反対の結論に達してノーベル賞を受賞した唯一の学問である」というのも頷ける。

    人は意外に合理的 新しい経済学で日常生活を読み解く




    • 作者: ティム ハーフォード、、ティム ハーフォードのAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら、遠藤 真美
    • 出版社: 武田ランダムハウスジャパン
    • 発売日: 2008/11/20

    Saturday, September 08, 2012

    『おもかげ復元師』

    おもかげ復元師 (一般書)
    • 作者: 笹原留似子
    • 出版社: ポプラ社
    • 発売日: 2012/8/7


    本を読んで泣くことなんて、1年間でどれほどあるだろうか。
    本では泣けないという人もいるかもしれない。

    私は本書のページを繰り始めてすぐに、目蓋を湿らせてしまうことになった。
    不覚にも、滅多にない偶然が重なって座ることができた朝7時台の田園都市線で。

    でも、それでも読み進めるのを止めることができなかった。
    通勤電車はミスチョイスだったと思いながら、心が釘付けになってしまった。

    本書の著者である笹原留似子さんをご存知だろうか。
    彼女の職業は、納棺師。最近では「復元納棺師」と名乗ることもあるそうだ。亡くなった人を棺へと納める時に、その人の顔を、出来る限り生前の状態に近づけるように復元させていく。遺体の状態も様々で、痛ましく悲惨な最期を遂げられたような場合だと、親族でさえ目を当てることさえできないようなこともある。ウジ虫がわいてしまい、腐臭が漂っているような酷い状態の遺体もある。それでも笹原さんは、心を尽くして、1人ひとりの遺体を、丁寧に復元させていく。生前の姿を教えてくれる写真さえなかったとしても、顔面に刻まれた皺を1本ずつ辿りながら、深い傷跡を綿花で埋めて、ファンデーションをして、髪を丁寧に洗い流して。

    大切な人を失って、それでも生き続けなければならない遺族にとって、それが最期の面会なのだから。

    おもかげを復元させてあげることで、生前のあの人と、最後にもう一度、向き合える。
    そして遺された人達は、様々な形で閉じ込めていた思い、伝えられなかった思いを心から溢れさせ、涙を流して、故人との大切な時間を甦らせながら、「死」という辛い現実を少しずつ受け入れていく。
    死に直面するのは誰しもが辛い。でも、おもかげに救われることだってある。いや、おもかげこそが、と言った方がいいかもしれない。笹原さんは「死に向き合う」ということの意味を誰よりも深く受け止めているからこそ、「おもかげ復元師」として携わることになった全ての瞬間に、自らの心の全てを注ぎ込む。

    東日本大震災の傷跡も生々しい3月20日、彼女は陸前高田市にある遺体安置所に向かう。そこで彼女の目に飛び込んできたのは、3歳くらいの少女の遺体。小さな納体袋には「身元不明」の文字。既に死後変化が始まっていたその小さな遺体を前にして、彼女は「戻してあげたい」と心から願う。復元させてあげることはできる。技術も、そして道具もある。でも、叶わない。運命は残酷だ。身元不明の遺体に触れることは、法律で禁じられていたからだ。何もしてあげることができないまま、彼女は現場を後にせざるを得なかった。

    その後、彼女は「復元ボランティア」として、数多くの遺族達のために、数多くの遺体を復元していく。
    彼女自身よりも残された遺族の方がよく知っている、「生前のあの人の笑顔」を取り戻すために。

    大切な人の死を受け入れるのは、とても辛く悲しいことだ。
    でも、大切な人の死を受け入れていくことで、遺された人はきっと心に刻み込む。
    あの人と過ごした最高の時間を。
    決して忘れることのない素晴らしい思い出を。
    そして、今も自分が生きているということが、紛れもなく奇跡だということを。


    本書が多くの人に読まれることを願ってやまない。
    切ない物語だけれど、読み終えた時に、きっと心のどこかを綺麗に洗い流してくれるはずだから。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    こちらも読んでみてほしい。笹原さんが現場で描かれた絵日記だ。
    こうして復元された笑顔は、遺された人達が笑顔を取り戻すきっかけなのだ。

    おもかげ復元師の震災絵日記 (一般書)
    • 作者: 笹原留似子
    • 出版社: ポプラ社
    • 発売日: 2012/8/7

    Sunday, September 02, 2012

    『僕は写真の楽しさを全力で伝えたい!』

    ややHONZ的ではない本のことを。



    実は、写真はとても好きだ。昔はそうでもなかったけれど、最近は写真を見ることも、撮ることも、アルバムにすることも、とても楽しいものだと常々思っている。ただ、撮ってプリントする量は、ここのところかなり減ってしまったけれど。iphoneは良くも悪くも気軽すぎるので。 さて、青山裕企。『ソラリーマン』や『スクールガール・コンプレックス』で話題になった若手写真家だ。本書は、そんな著者が肩肘張らずに友達感覚で語った「写真へのいざない」といったところだろうか。新書だけれど、カラー写真が幾つも散りばめられていて、パラパラと眺めているだけでもそれなりに楽しめるのは、結構うれしい。

    著者自身が書いているように、写真は、撮る人が違えば決して同じものにはならない。
    それは「写真には『視点』が写るからだ」という著者の指摘は、極めてオーソドックスな写真観で、全くその通りだと思う。なので、ちょっと俗っぽい書き方になってしまうけれど、例えば「スクールガール」を撮る時に、ここだよなあと思うポイントなんかも当然違うんだよね。
    そう考えた時に、俺、ちょっとポイントが違うかも、とか思ってみたりして。
    まあ、これ以上色々書いても仕方ないかな(笑)。

    Saturday, September 01, 2012

    『OPEN』 - 悲痛で、そして甘美な英雄アガシの半生



    OPEN―アンドレ・アガシの自叙伝





    • 作者: アンドレ アガシ、Andre Agassi、川口 由紀子


    • 出版社: ベースボールマガジン社 (2012/05)


    • 発売日: 2012/05




    • 想像してみてほしい。

      産まれて間もない息子が眠るベビーベッドの上からテニスボールのモビールを吊るし、息子の右手に卓球のラケットをくくりつけて「ボールを打ってごらん」と語りかけたというテニス狂の父親に育てられ、テニスをしたいかと誰からも問われることのないままに、テニスが人生そのものとなっていった少年のことを。

      わずか7歳にして、「ドラゴン」と名づけられた改造ボールマシーンが放つ剛球をひたすらに打ち返す日々を強要され、リターンをネットにかけようものなら、元ボクサーで暴力気質の父親から割れんばかりの怒声を浴びせられるという極限状態を生き抜くしかなかった悲しき天才のことを。

      その後、若干16歳にしてプロのテニスプレーヤーに転向すると、本人にとって必ずしも順風満帆と言える戦績ではなかったとしても、世界のトップランカーであり続け、そのキャリアにおいて全米・全豪・全仏・ウィンブルドンの4大大会を全て制覇。1995年のアトランタ五輪でも金メダルに輝き、男子シングルス史上初の「ゴールデンスラム」を達成したプレーヤーとなりながら、一度として心の底からテニスを好きだと言うことができず、誰にも明かすことのない本心では、常にテニスを嫌悪しなければならかった英雄のことを。

      それが、アンドレ・アガシだ。

      彼には、天賦の才能があった。そして、本人が望むと望まざるとに拘らず、その才能を開花させるための土壌があった。彼の父親は、7歳の少年アンドレに平然と言ってのけたのだ。
      「毎日2500個のボールを打てば、1週間で1万7500個、そして1年の終わりには100万個近くのボールを打つことになる。年に100万個のボールを打つ子は無敵の子となるだろう。」

      そして彼は、本当に打った。その半生において、何百万、何千万個ものボールを。

      本書『OPEN』は、そんなアガシの自叙伝だ。

      1986年にプロとしてデビューしたアガシの戦績は華々しい。ATPツアー(シングルス)通算60勝。ATPランキング1位に101週に渡り君臨。4大大会通算8勝(全豪4回、全米2回、全仏・ウィンブルドン各1回)は、ジミー・コナーズやイワン・レンドルと並んで世界8位タイだ。一時は極度の不調に陥り、ランキングを141位まで落としたこともあったが、その後見事な復活を果たし、2006年9月の全米オープン3回戦敗退をもって36歳で引退するまで、同世代のプレーヤーの中で最も長い間、現役としてプレーを続けた。男子プロテニス界の英雄だった彼は、そのプレーのみならず、独創的なファッションやヘアスタイルでも話題を集め、カリスマ的な存在でもあった。27歳にして美人女優ブルック・シールズと結婚。悲しいかな2人の関係はわずか2年間で破綻を迎えるものの、後には女子プロテニス界のスーパースターであり、当時、世界中の誰もかもを(おそらくはテニスに興味がない人達さえも)魅了したシュテファニー・グラフと再婚を果たしている。

      こう書いてしまえば、本書は「英雄譚」ということになるのかもしれない。
      でも、そうではない。決して本書は英雄がその英雄性を綴ったものではないのだ。

      むしろその人生の物語は、読む側の胸を裂くほどにナイーブで痛々しく、繊細で悲しく、アガシ自身の言葉を借りれば「矛盾に満ちて」いる。そして本書の表題通りに、彼はその人生を「OPEN」に、赤裸々に綴っている。自らが抱え続けた苦しみ、葛藤、さらけ出すことなく人生を終えることもできたであろう一人間としての弱み、そうしたものを隠すことなく、ストレートに吐露している。それゆえに、本書は多くのスーパースターの自叙伝とは一線を画しており、紛れもなく傑作だと言えるだろう。

      それでも、不思議なことに、やはり本書を「ピースの片側」だけで読むことはできない。それはおそらく、アガシ自身にとっても本意ではないだろう。本書のエンディングにおいて、アガシはこう語っている。
      「僕は矛盾したことを言っているって?それはいい。では僕は矛盾したことを言おう。(中略)人生は両極の間のテニスの試合である。勝つことと負けること、愛と嫌悪、開くと閉じる。それは早い段階で、その痛々しい事実を認識する助けとなる。それから自分の中に正反対のものである両極を認識する。そしてもしそれらを受け入れることができないとしても、あるいはそれらに甘んじることができないとしても、少なくともそれらを受け入れて、前に進むことだ。してはいけないことは、それを無視することである。


      本書はアガシの悲痛な心の叫びであり、それは間違いなく読む側の胸に迫るのだけれど、一方でアガシの半生は、どこか甘美なのだ。

      アガシの周囲には、素晴らしい仲間が常にいた。例えば、専属トレーナーとしてアガシの傷ついた心身を誰よりもやさしく癒したギル・レイエス。(後にアガシは、グラフとの間に授かった息子ジェイデンに「ギル」というミドルネームをつけることになる。)あるいは、ツアー転戦中も常にアガシの心の支えであり続けた牧師、J.P.ことジョン・パレンティ。アガシをプロテニスプレーヤーとしての栄光へと導いた名コーチ、ブラッド・ギルバート。同時代に生き、同じコートの上に立つことでお互いの輝きを高めあった最高のライバル、ピート・サンプラス。そして、アガシにとって最高のパートナーであり人生の伴侶となったシュテファニー・グラフ。

      そういう魅力的な人間達に囲まれて、お互いに心を通わせあいながら、アガシはスーパースターとしての日々を生きる。その過程で多くのことを学び、愛情の意味を知る。そう、本書は愛情の物語でもあるのだ。心から嫌ったテニスの世界で、誰よりも長い21年間もの現役生活を送ることになったのはある種の皮肉かもしれないが、やはりテニスは彼の人生の中核であり、テニスこそが彼の大切な「チーム」との出会いを与えてくれた。アンドレ・アガシという1人の人間を優しく受け入れ、常に愛情をもって応じてくれたかけがえのない仲間達は、紛れもなく最高のものだった。だからこそ、本書の甘美さに偽りはないのだ。

      読んでみてほしい。そして、追体験してみてほしい。
      テニス界の英雄アンドレ・アガシの人間性に満ち溢れた、「ピースの両側」を備えた人生を。