Thursday, August 16, 2012

『昭和16年夏の敗戦』


昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)


  • 作者: 猪瀬 直樹、undefined、猪瀬 直樹のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら
  • 出版社: 中央公論新社 (2010/06)
  • 発売日: 2010/06


ずっと気になっていながら、なぜだか手に取っていなかった。
そういう本が、数え切れないほどある。
昨日、日本橋丸善をふらついていて、ふと思い立った。ちょうど『失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇』を読了した直後だったのが影響したのかもしれない。そう、今こそ読まなければいけない。そう直感して、2Fの文庫本コーナーに向かった。
そして、レジで支払いを済ませた頃にふと気づいた。
そういえば8月15日じゃないか、って。

それが本書。猪瀬直樹氏の『昭和16年夏の敗戦』だ。
本との出会いも、人との出会いのように不思議なものがあると、つくづく思う。
その意味でも本来は昨晩読了したかったのだけれど、残念ながら1日遅れとなってしまった。ただ、間違いなく言えることがある。
読んでよかった。

昭和16年夏の敗戦。つまり、1941年だ。
玉音放送が流れた昭和20年夏、その4年前の敗戦ということになる。

昭和15年9月30日、勅令により内閣総理大臣直轄の組織として「総力戦研究所」が開設される。翌16年4月、第一期研究生として召集されたのは、官僚27名(文官22名、武官5名)、民間8名、皇族1名の総勢36名。全員が30代半ばまでの若手、各分野で10年近い現場経験を持った一線級のエリートだった。
7月12日。研究生に「第一回総力戦机上演習第二期演習情況及課題」が提示される。この「机上演習」こそが画期的だった。つまり、シミュレーション。具体的な事実、当時の機密資料も含む本物のデータに基づいて、与えられたシナリオから想定される展開を予測する。36名の研究生は、<模擬内閣>を組閣して各々の役職を定め、<閣議>の場で徹底的に議論を戦わせる。そして、<模擬内閣>として導いた政策判断を所員(つまり教官)にぶつける。
重要なのは、この第一回机上演習で与えられたテーマだ。
「英米の対青国(日本)輸出禁止という経済封鎖に直面した場合、南方(オランダの植民地であるインドネシアのボルネオ、スマトラ島など)の資源を武力で確保するという方向で切り抜けたら、どうなるか」
石油に代表される資源を輸入に依存していた日本の南進政策、それは必然的に「日米開戦」を意味していた。つまり36名の若き研究員は、日本の運命を決することになる12月8日を前にして、日米が開戦すればどうなるのかを、ひたすらに考え、シミュレーションしていたということだ。そして、その結論は明らかだった。
8月27日、<模擬内閣>は第三次近衛内閣の閣僚を前に、これまでの机上演習から導いた結論を報告する。そして、その報告が終わると、当時陸軍相だった東條英機は立ち上がり、彼らに語りかけた。
「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようなものではないのであります。(中略)なお、この机上演習の経過を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります。」

その後の現実は、誰もが知るとおりだ。
ただ、驚くべきことにその現実は、総力戦研究所で展開されたシミュレーションの結果とあまりにも酷似していた。そう、昭和16年夏の敗戦と。

それが何を意味しているのか。
日米開戦とは、そして東條英機とは何だったのか。
昭和16年夏の敗戦をもって、昭和20年夏の敗戦を回避できなかった日本とは。

そういうことが、非常に鋭く、綿密な取材に基づいた厚みを持って綴られている。
やはり、今、読んでよかった。