Monday, February 26, 2007

『不都合な真実』

昨日のことだけれど、アル・ゴア米国元副大統領と地球温暖化をテーマにしたドキュメンタリー映画『不都合な真実』を鑑賞した。場所は、TOHOシネマズ六本木ヒルズ。
http://www.futsugou.jp/

良い映画だったと思う。
正直に言うと、ちょっと泣けたかな。

地球温暖化への警鐘という意味では、特別に新しいメッセージはなかったのかもしれない。非常に巧みで魅力的なアル・ゴアのプレゼンテーションは、観る人間の心に訴えるものがあるが、そこで語られている内容は、多くの人間にとって、既にある程度認識している事実ではないかと思う。もちろん、実際に世界中で起こっている異常気象や氷床の溶解、干上がった湖沼の映像を突きつけられると、その傷跡の大きさであったり、問題の重要性といったことに、改めて気づかされるのだけれど。

でも、そういうことではないんだ。
この映画において、心を打つもの。それは、アル・ゴアという人間の信念。
「もう手遅れでは?」という懐疑派に応じたゴアの言葉がとても印象的だった。

「否定」はいつの間にか「絶望」へと飛躍してしまう。

彼は絶望しない。自分自身の信念に対して率直であり、常に自分が「今すべきこと」という現在の視点で語っている。地球規模の問題、大多数の人間にとって「自分自身の問題」として考えることが困難な問題に対して、あれほどストレートに、強い信念を持ってコミットメントを果たしていく、その姿こそが、本当に感動的なのだと思う。

映画の終幕において、スクリーンに浮かび上がる言葉も素晴らしい。
誰の言葉だったか忘れてしまったけれど。

あなたが祈りを信じるならば、人々が変わる勇気を持てることを祈ろう。

Sunday, February 25, 2007

新しいシーズン

日本選手権1回戦で関東学院大に敗れてから約1ヶ月。
多くのチームが、2007-2008の新たなシーズンをスタートさせている。

さて、今シーズン。
昨シーズンの終了直後から色々と悩み、考えた末の結論として、東大ラグビー部のコーチをすることを決断した。タマリバクラブでのプレーは今季は出来なくなるけれど、今までとは違う立場で、コーチとしてラグビーに向き合っていくことは、自分自身にとっても非常に良いチャンスだと思ったし、自分を育ててくれた東大ラグビー部に対する恩返しの思いもあって、コーチングに挑戦することを選択した。

タマリバの仲間にはとても申し訳なく思っているし、今シーズン一緒にプレー出来ないのはちょっと寂しいけれど、おれにとってこの1年間は、新たな経験を積んで、自分を成長させるチャンスに満ちた1年になると思っているし、そうしなければいけない。
「現役は今しか出来ない」というのは紛れもない真実だけれど、「今」コーチをする、という経験だって、今しか出来ないからね。決して無駄になんてしない。

コーチは本当に初めての経験なので、正直に言って分からないことばかりだ。
でも、コーチングを受けた経験はある。
三笠監督は「自分はコーチングを受けた経験がない」と言っていたけれど、東大ラグビー部OBの大半は三笠監督と同じような環境で学生時代を過ごしているのだろう。そういう意味では、水上さんという素晴らしい指導者に巡り会った平成11年卒以降の世代は、このチームにおいて、極めて恵まれた経験をしているのだと思う。
水上さんに出会ったことで、自分自身の人生は全く違うものになった。水上さんへの感謝は、言葉には尽くせない。ラグビーというスポーツの見方・捉え方のベースは今でも水上さんの発想がベースになっているし、何よりラグビーを通じて、ラグビーという世界に閉じていない、本当に多くの大切なことを教えてもらった。

その大切な経験を、少しでも東大ラグビー部に還元すること。
それが、この1年間の目標になります。
学生の為に出来ることに全力で取り組んで、チームを強くしていきたい。
その過程で、学生に成長の舞台を作ってあげたいし、自分自身も成長していきたい。
前途は、多難だけどね。

Tuesday, February 20, 2007

流花展 acrylic and pastel

ちょっとした宣伝を。
パートナーが初の「個展」を開催します。
高田馬場のCafeに、彼女が描いた作品が幾つか展示されます。
ちょっとした時間があれば、是非Ben's Cafeに珈琲を飲みに来てください。
店内の壁に架けられた絵を、ちらっと見渡しに来てみてください。

~流花展~
会期:2007.3.3(土)~2007.3.16(金)
日~木 11:30-23:30、金・土 11:30-24:30

会場:Ben's Cafe
Tel/Fax 03-3202-2445
〒169-0075 東京都新宿区高田馬場1-29-21
http://www.benscafe.com/ja/index.html

Wednesday, February 14, 2007

権利と感謝

2月12日(月)トップリーグ入替戦(12:00K.O.@秩父宮ラグビー場)
日本IBMビッグブルー 29-29 近鉄ライナーズ

IBMにとっては、本当に崖っぷちから手繰り寄せた引き分けだった。
後半の試合展開は完全に相手のペースだったし、傍からみれば、自分たちの流れをつかむ「きっかけ」は幾つかあったはずなのに、それを自ら潰してしまって、焦燥の深みに飲み込まれていったような印象で、限りなく負けに近い引き分けだったのかもしれない。
でも、本当に良かったよね。
後半41分に最後の同点トライをもぎ取った執念と意地が、やっぱり良かった。
入替戦は結果がすべてだから。

クラブチームでラグビーを続けていると、気づかされることが幾つもあるのだけれど、昨日の試合を観て、試合後に多くの関係者や昔の仲間と話して、頭をよぎったのは「権利」と「感謝」ということだった。
トップリーグの一角であり続ける、ということは「権利」だと思う。その価値は、言葉にするまでもない。国内最高峰のリーグで、秩父宮の観衆の前で、トップレベルへの挑戦ができることの魅力は、そこらに転がっているようなものでは決してないからね。でも、権利はただでは手に入らない。与えられるものではなくて、手にするものだ。そして、それはひとりで勝ち取るものではなくて、あるいはプレーヤーだけで勝ち取るものではなくて、その背後にはとても多くの人のサポートがあるのだと思う。当たり前のことだけれど。
トップリーグという「権利」は、誰しもが手に出来るものじゃない。そして、それを支援してくれるスタッフやサポーターの厚みや深み、優しさと熱意も、誰もが享受できるものじゃない。

だから、選手はきっと、みんな幸せだろうなーと思って。
なにひとつ、当たり前のものなんてないのだから。

今シーズン、お疲れ様でした。
ラグビーは、やっぱり最高におもしろいね。

Tuesday, February 06, 2007

「不安」について

この2週間ほど、著作を読んだり映像作品に触れたりしながら、いろいろと考えごとをしている。自分自身の頭の中が整理できていないけれど、「不安」というのがひとつのキーワードかなと思う。
不安と恐怖は違う。人は具体的な対象に対して恐怖する。不安はむしろ、対象がないことで惹起される。先が見えない。自分を脅かすものの存在を量れない。寄って立つに足る絶対的な価値観が成立しない。そういう状況において、「不安」の空気が社会全体にゆっくりと、でも確かに蔓延していく。
そういう状況下にある社会において、その病理を象徴するような事象があったり、今この瞬間にも進行している様々な問題があったりするのだけれど、その事実に対して、自分が如何に無頓着に生きてきたのかということを、こうした作品に接するたびに痛感せざるを得ない。

[著作]
森達也『ぼくはいくじなしと、ここに宣言する』(青土社)
森達也『日本国憲法』(太田出版)
辺見庸『不安の世紀から』(角川文庫)

[映像作品]
森達也監督作品『A』

個々の作品の感想は、別途まとめてみたい。
辺見庸さんの著作は久しぶりに読んだけれど、非常に刺激的な対談集だった。
オウム真理教の広報副部長である荒木浩さんを中心に、オウムの内側から一連の事件を問い直した森達也さんの映像作品『A』は、一見の価値が十分にあると思う。映像作品としてのセンスは脇に置いておくとして、ドキュメンタリーと客観性、いわゆる正義というものを見つめ直すうえで、示唆に富んだシーンが幾つもあった。1995年、もう10年以上も前の事件だけれど、少なくともおれにとっては、今改めて観る、その必要性を感じられる作品だった。

ラストゲーム

久しぶりの更新。

タマリバクラブの2006-2007シーズンが終わった。

2007年2月3日(土)日本選手権1回戦
タマリバクラブ 17-47 関東学院大学(14:00K.O. @秩父宮ラグビー場)

自分自身の出番はなかった。
ベンチに入ることもなく、メインスタンドで応援していた。
昨年の高村の決意表明を思い出すよね。
「一年間、ちゃんと自分と戦った22人。それが出来なかったその他大勢。」
自分自身の弱い部分ばかりが浮き彫りになって、泥沼にはまり込んで、なんとかしようともがいてみるのだけれど、自分を変えることが出来ないままに終わってしまった、そんな1年間だった。

関東学院大とのゲームは、悔しい結果ではあったけれど、とても良いゲームだったと思う。試合後の打上げで、当然のことのように、考えるまでもなく自然と言葉が流れ出てくるような感じで「明日から」と口にした康治さんが、とても印象的だった。

それから。
チームの運営を支えてくれたスタッフやトレーナーの皆さん。ゲームに出られなくても、気にかけて応援してくださった皆様。驚異の鍼師、小林先生。グラウンドを提供してくれた東大ラグビー部。そしてもちろん、家族。
この1年間を支えてくれた多くの人たちに。
本当にありがとうございました。

Saturday, November 25, 2006

重工戦

11月25日(土)
タマリバ vs 三菱重工相模原(11:00 K.O. @三菱重工相模原グラウンド)

前半のみの出場。その前半のスコアは12-14、1ゴール差で敗れた。
自分自身、上手くいかないけれど、なんとかするしかない。
主将が試合後に言っていたように、もっと泥臭いプレーしないと。精神論ではなくて。

Friday, November 17, 2006

無力感のキープ

11月12日(日)東日本トップクラブリーグ決勝。
タマリバ 28-24 北海道バーバリアンズ(12:00K.O. @秩父宮ラグビー場)

酷いゲームだった。
後半ロスタイムに辛うじて逆転して勝利を拾ったものの、内容は完全に負けていた。北海道バーバリアンズが終始ゲームを支配し、「タマリバのラグビー」なんてものは、80分間の何処にも存在しなかった。「結果的に負けなかった」というだけで、負ける時の典型的なパターンだった。

タマリバの現時点での実力は、このラインだということだね。
それ以上でも以下でもなく、このゲームのパフォーマンスが全てだ。
単純に実力が足りないんだ。意識の問題だけではないと、おれは思う。
勿論、まずは自分自身を変えていくしかないのだけれど。


そういえば、村上龍さんの小説『ラブ&ポップ』の中に、印象的な言葉があったんだ。

「何かが欲しい、という思いをキープするのは、その何かが今の自分にはないという無力感をキープすることで、それはとても難しい」
(村上龍『ラブ&ポップ』、幻冬社文庫、221頁)

小説の主人公である裕美は、15万の指輪を欲しいと強く思い、援助交際をする。結果的に指輪を手に入れることは出来ないのだけれど、お金さえ準備できれば、すぐにでもその指輪を買うことが出来たんだよね。
もしそれが「スキル」や「フィットネス」だったら、或いは更に踏み込んで「地力」や「タフネス」だったとしたら・・。
そういうことを考えながら、1月の全国大会に向けて、練習がまた始まります。

Tuesday, November 07, 2006

東京人生

11月4日(土)、ある写真展を観に行ってきた。
江戸東京博物館で開催されている荒木経惟さんの回顧展『東京人生』ね。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/about/josetsu/dai2/2006/1017/1017.html

感動した。
「シャッターを切る」という単純で誰にでも出来る行為の結末が、何故これほど違うのだろうと、何度となく息を呑んでしまった。持っている幾つかの写真集に収められている作品も何点かあったけれど、回顧展という全体のなかに位置づけられることによって、それぞれの作品がまた違った面持ちを浮かべていて、新鮮であり、作品の魅力を再発見したような感覚だった。

以前にも書いたけれど、荒木経惟という人は、とてもやさしいのだと思う。
写真を観ていると、対象との抜群の距離感が伝わってくるんだ。
ぬくもりとやさしさ、そして生まれ持った親近感をもって、すっと相手との心の距離をすり寄せていくような、アラーキーの人間的な暖かさを、どの写真からも感じ取ることが出来る。当然会ったことも話したこともないわけで、全ては作品からの勝手な想像にすぎないけれど、それでもどうしたってそう思ってしまう。そして、魅力的な写真の数々を観ているうちに、やがて自分自身の内面にベクトルが向いていく。すぐに自分の殻に閉じこもって、相手との距離感をつめていけない自分の弱さに対して、強烈なメッセージというか、変わるための最初の一歩への励ましをもらっているような気がして、うれしさと、人のあたたかさと、むずがゆさとが織り混ざったような気持ちになるんだ。

紛れもなく天才。
自らを「写神」といって憚らないそのバイタリティと想像力は、感動的です。

Sunday, October 29, 2006

瑞々しさをつかむ

村上龍さんの小説『ラブ&ポップ』読了。

龍さんの小説を読むのは久しぶりだったけれど、相変わらず素晴らしかった。
援助交際を扱った小説で、発表当時はセンセーショナルな作品として話題になったような記憶がある。庵野秀明監督作品として映画化もされていて、龍さんの数多い著作のなかでも認知度の特に高い作品のひとつではないかと思うけれど、そういったことではなくて、この作品は純粋に魅力的であり、繊細で瑞々しく、丁寧で構成力に富んでいて、つまりは単純に良い小説だった。

自分が高校生の頃は、どうだっただろう。
がちがちに頭が固くて、意固地で、青くて、今以上に何も知らなくて、この小説に登場する4人の女子高生たちのような繊細で研ぎ澄まされた感性に対する眼差しは持っていなかったのだろうと思う。ラグビー部の仲間と過ごす毎日が楽しくて、ただそのことばかりを考えていたからね。

同じ制服を着て、似たような化粧と髪型で街を歩く女子高生の集団を眺めているうちに、「女子高生」という言葉だけでは語れない多様な感性が、ひとつの象徴的なイメージとなって自分の中で固定化され、収斂されていく。それはきっと、殆ど全ての人間にとって、ある程度は避けられない無自覚的な意識の作用なのだと思うけれど、それだけでは、やっぱりどこか寂しい。例えばこの小説に描かれた4人の女子高生の瑞々しさやデリカシー、自分を取り囲む世界への眼差しのようなものを、勝手な解釈で一般化して、固定的な概念に埋没させてしまうのは、想像力の怠慢だよね。結局は、自分自身の無自覚的な認識に対して、はっきりと自覚的に、意識的に抗い続けていくしかないのだと思う。

村上龍さんという人はたぶん、ずっとそうして日々を生きているんだろう。

Monday, October 23, 2006

誰も知らない

柳楽優弥少年がカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞したことで話題となった、是枝裕和監督の映画『誰も知らない』をDVDで観た。

ありきたりな感想になってしまうけれど、切ない映画だった。
「情」に飢え、渇望する4人の子供達の姿が痛ましく、そして切ない。
親の愛情、仲間の友情、街の人情。情にも様々な形があると思うけれど、最も身近な存在であるはずの母親の愛情が、ニグレクトによって奪われてしまった4人の子供達は、決定的に情に飢えていた。
彼らが降り注がれる情にもっと恵まれていたならば、と思う。
ラストカットにささやかな希望の一端が垣間見えるのかもしれないけれど。

それから。
この映画も観ていて、もうひとつ感じたことがある。
それは、とても写真的だということ。
静かに流れるスライドショーに、物語を載せたような印象だった。
ひとつひとつのカットの構図と対象の配置、或いはフレームに注がれる光と画面の色調、そういった様々な要素が極めて写真に近いと感じた。繊細で美しいカットが幾つもあって、そのやさしさが物語の切なさと相まって、独特の作品世界を創り出していた。写真もそうだけれど、すべてのベースは光なのだなあと、映像に魅入りながら、光の美しさに思った。

三鷹戦

10月22日(日)東日本トップクラブリーグ第4戦
タマリバ 46-7 三鷹オールカマーズ(12:00K.O. @岩崎電気グラウンド)

リーグ戦の最終戦、まずはきちんと白星をつかんだ。
次は11月12日、秩父宮での決勝戦。相手はもちろん北海道バーバリアンズだ。
やるべきことは2つだけ。
まずはレギュラーをつかむこと。そして、試合で圧倒すること。

日曜のゲームでも、やはり課題が残った。
ずっと分かっていながら修正できない点があるんだ。プレーしていて、「違う」ということは明確に意識できるのだけれど、身体が反応しない。今の自分にとっての最大の課題は、そのギャップを埋めることだね。残っているチャンスは今週末のYC&AC戦を残すのみだけれど、少しでも自分のイメージに近づけるように、目的意識を持ってゲームに臨みたい。大西さんが昔よく言っていたように、動物的に。

Saturday, October 21, 2006

空中庭園

角田光代さんの小説が原作の映画『空中庭園』を観た。
つい最近、小説を読み終えた後輩が連絡をくれたのをきっかけに、どうしても観たくなって。ちょうど今の気分にもマッチしていたからね。

原作となった小説『空中庭園』が、おれはとても好きだ。
この小説のよさは、距離感と温度。京橋家というひとつの家族を構成する人間たちの距離感と、そこに見えたり隠れたり、あるいは隠し切れなかったりする心の温度が、とても丁寧に描かれている。とてもやさしい小説だと思う。

それで、映画について。
おれ個人の感想としては、映像が語り過ぎている気がするかな。制作者側の意図が透けてみえてしまう部分が、逆にノイズになっているように感じた。それでも小泉今日子、鈴木杏、大楠道代といった女優が肝となるシーンを見事に演じ切っていることで、特に後段は見応えのある作品になっていると思う。
作品のなかに登場するコウという少年がおれは好きで、映画の中での描かれ方に期待を持っていたのだけれど、若干イメージが違ったのは残念だった。もう少し乾いた雰囲気があって、モノクロームの写真のようなイメージだったんだけどね。ミーナから建築物の写真を大量に譲り受けるシーンがなかったのも、ちょっと残念だった。映画全体の中では脇のストーリーかもしれないけれど、コウの建築物への志向のなかに、彼のやさしさと切なさが垣間見えるような、そんな印象を持っていたからね。

もういちど、小説読み返してみようかな。

Thursday, October 19, 2006

記憶

今日はなんだかしんみりしてしまう1日だった。
随分久しぶりに「いつかのメリークリスマス」なんかをかけてしまったりしてね。

そんな時に、実家の母から連絡があった。
昨日、叔父さんが亡くなったそうだ。
恥ずかしながら顔も思い出すことが出来ないけれど、刃物職人だった。
「信光」と銘打たれた包丁。
実家で使っていたことが朧気に、でも確かな感覚を伴って思い出されます。

滅多にないくらい早く帰宅して、近所を歩いた。
カメラを首にぶら下げて、すっかり日が暮れた後の街を数枚撮った。
シャッターを切るたびに、少しだけ自分の内側が洗われていくような気がするんだ。
パレットの、絵の具が乗っていないスペースが、ちょっとだけ増えていくように。
いくら洗っても、混ざってぐちゃぐちゃになって、固まった絵の具は取れなくて、綺麗さっぱりとはいかないけれど。

おれは基本的に、昔のことを覚えていない。
保育園や小学校の記憶はほとんど皆無に等しく、高校の卒業旅行でさえ断片的な記憶しかない。幼少期の記憶の欠落は異常なほどで、本当に何も覚えていない。唯一覚えているのは、保育園の頃に、マーチングバンドの練習で先生に怒られて、3時のおやつが無しになってしまったことくらいだ。それ以外に覚えている数少ない記憶も、実際には物心がついた後、親や友達との会話をベースに自我が再構成した部分が少なくないのではないかと思っている。

きっとこれからも、今までと同じように多くのものが記憶からこぼれ落ちていくだろう。
そのことが哀しい訳ではないんだ。勿論全く哀しみがないといえば嘘になるけれど、失うことのない記憶だってあるはずだし、失いながら、別のなにかを記憶に留めて、そうやってしか生きられないからね。
おれが撮った写真の中には、何かが残ってくれるのかな。

Monday, October 09, 2006

豪徳寺

タマリバの練習を終えた後、豪徳寺を訪ねた。
学生時代の5年間を過ごしたこの街も、訪れるのは5年振りだ。

小田急線のホームに降り立って、駅の改札を出た途端、驚いてしまった。
駅前の一角が、当時とまったく違う街並になってしまっていたんだ。
マクドナルド。タリーズ。サンマルクカフェ。デニーズ。当時はなかったチェーン店が駅前に乱立していた。その一方で、当時よく晩飯を食べたキッチン南海は潰れてしまっていた。自転車の駐輪場が経堂へと向かう線路沿いに整備されて、路面の舗装も大幅に進んでいて、総じて綺麗になっていたように思う。
ただ、なんだか匂いがなくなってしまった。
どの街も同じような風景になっていく。経堂でなく、梅が丘でない豪徳寺があってもいいじゃないかと、おれなんかは思うのだけれど、時代の必然なのだろうか。路地を少し分け入っていけば、当時とそれほど変わらない懐かしい街並が残っているのだけれど、プラスチックのような質感の覆いかぶさるエリアは、時間の経過とともに、今後もっと広がっていくことだろう。少し寂しかったりもするけれど。

Cafe Djangoにも立ち寄った。学生時代に何度か足を運んだ喫茶店。
ここは変わっていなかった。マスターの表情も5年前と変わりなく、昔からの空気が店内に上手に閉じ込められているような感覚だった。豪徳寺が誇るお洒落な喫茶店だと勝手に思っているのだけれど、相変わらず上品で居心地の良い空間だった。
昔はバニラリキュールをほんの少し加えたエスプレッソがあったんだ。初めて飲んだ時の感激が忘れられず、メニューを探したのだけれど、今はもう扱っていなかった。絶妙な香りとほのかな甘みがあって、本当に美味しい珈琲だったので、楽しみにしていたのだが、ちょっと残念。マスターにその話をしたら、「よく覚えてますね」と懐かしそうな笑顔で応じてくれた。人柄の伝わる優しい表情。とても嬉しかった。
またいつか、立ち寄ろう。数ヵ月後かもしれないし、数年後かもしれないけれど。
http://www3.ocn.ne.jp/~flower/django.html

Sunday, October 08, 2006

公式戦 #2

10月8日(日)東日本トップクラブリーグ第2戦
タマリバ 74-23 高麗クラブ(13:00K.O. @水戸ツインフィールド)

後半からの出場。ベンチスタートは久しぶりだけれど、居心地が悪いね。
まだCTBとして信頼感がないということだと肝に銘じて、今後も練習していきたい。
グラウンドの外側から観たあの前半を忘れずに。

Tuesday, October 03, 2006

スナップ

スナップ写真を少しずつ撮り溜めている。
今はスナップを撮ることが単純に楽しくて、写真のことが頭から離れない。


毎週末、タマリバの練習を終えた後は、カメラを持って街に出るようにしている。
Nikonの一眼レフを肩から下げて、中古のLeicaをジーンズのポケットに突っ込んで。
撮りたいと思った瞬間にシャッターを切るのは思った以上に難しい。技術的な問題も当然ながら多々あるのだけれど、それ以上に、どこかで自分自身にブレーキをかけてしまっているのだと思う。
自分を護りながら撮っているような感覚。何を護っているのかは分からないけれど。
その先に行けたらきっと、写真を撮ることがもっと楽しくなるような気がします。

次はどこに行こうかな。

http://app.tabblo.com/studio/person/fukatsus/
既に気づいてくれた人も幾人かいるけれど、Linkにも追加したので是非。

Wednesday, September 27, 2006

Monday, September 25, 2006

Profitではなくて

村上龍さん編集長のメールマガジン「JMM」を読んでいるのだけれど、9/25(月)の連載のあとがきに、興味深いコメントがあった。JMMというメディアの運営が利益を生まない状況を語った龍さんに対して、龍さんと共著も出版している伊藤穣一さんが語った言葉だ。ちょっと長くなるけれど、JMMから引用してみたい。

『「インターネットはあまりに民主的なメディアなので儲からないし、儲けようと思うのは間違いだ。儲からなくても、つまりprofitがなくても、JMMによって、村上さんは、またJMMそのものも、valueを獲得している。それが大事なんじゃないかな」というようなニュアンスのことを言われて、目が覚めたような気がしました。』
(JMM [Japan Mail Media] No.394 Monday Editionより)

Value, not Profit.
この違いに敏感でいたい。伊藤穣一さんがこの言葉を発する時に、あるいは村上龍さんがこの言葉を受け止めた時に、きっと彼らには”value"に対する自身の軸があったはずだ。valueはとても個人的で、プライベートで、それゆえにアイデンティティの根幹に関わってくるものだと思う。「なにをvalueと位置づけるのか」という問いそのものが既に、その人間の本質を内包しており、更に言えば、その問いに対する姿勢こそが「生き方」と言われるものだろう。

valueは時に、profitへと還元される。"profitable value"として、そこから派生するprofitの総量をもって、valueが計測されていく。
でも、どこかでprofitに落とし込めない地平があるはずだ。
どこまでいってもprofitに還元できない最後の上澄みのようなvalue、きっとそれは、今のおれが最も切実に追いかけているものなんだ。

Sunday, September 24, 2006

レンジファインダー

いつものようにタマリバの練習を終えた後、新宿に向かった。
中古カメラを探しに行こうと思って。

最初に買った一眼レフカメラ「Nikon FM10」はとても使い易く、初心者のおれにとって全く不自由のないカメラなので、気に入って毎週末鞄に入れて持ち歩いている。なんだか照れ臭くてなかなか出来ないのだけれど、自分にとって気になる風景や街並に出遭った時に、いつでもシャッターを切るようにしたいと思って。レンズは35-70/F3.5の安価なズームレンズ一本しかないけれど、今のおれにはこれだけで十分だ。

ただ、一眼レフカメラは、どうしても本体が大きいんだ。FM10は一眼レフの中ではかなりコンパクトな部類だと思うけれど、それでも例えば通勤鞄に忍ばせておいて、移動時間や帰り道に写真を撮ろうと思っても、さすがに通勤鞄に入るサイズではない。それから、シャッター音が少し大きい。音自体はとても気に入っているのだけれど、街中や電車で他人を撮ったりすると、結構目立ってしまうと思う。
そんな訳で、もっと気軽に携行出来て、シャッター音の小さなカメラが欲しくて、新宿駅西口側にある中古カメラショップに初めて行ってみたんだ。

求めるものを考えると、コンパクトカメラが適切だったのかもしれない。
カメラを持って街に繰り出して、気に向いた瞬間にシャッターを切っていくには、最も向いているような気もしていた。高性能なコンパクトカメラだと、おれには十分すぎるくらいの機能を備えているし、影響されやすいおれは、森山大道さんが主に利用しているというRicoh GR21なんかが気になったりもしてね。

でも、実際に店頭にずらっと並んだ中古カメラを見較べて、色々な機種を実際に触らせてもらって、販売員の方の説明を詳しく聞いているうちに、どうしようもなくレンジファインダーカメラというものに心を奪われてしまった。

コンパクトなデザインと手頃な価格で最初に目に留まったのは、Zolkyというロシア製のカメラだった。ショーケースから出してもらって、説明を受けながら実際にシャッターを切ってみる。二重像を重ねていくレンジファインダー独特の焦点の合わせ方が面白く、また戦後間もない頃に作られた機械式のカメラで、電池なしで全て動かせる精緻な設計に、思わず虜になってしまった。
ただ、Zolkyは二重像が薄くて焦点が合わせづらく、若干難ありだったので、販売員の方に他の手頃なカメラをリストアップしてもらい、とにかく触って、覗いて、シャッターを切ってみた。ショップの方には随分手間をかけさせてしまったけれど、実際に幾つものカメラを手に持ってみると、ショーケースの向こうに眺めている時とは印象が全く違って、それが純粋に楽しかった。

それで、随分考えた末に、1台のカメラを買ったんだ。
Leica ⅡCというレンジファインダー、それから50mm/F3.5の標準レンズね。
中古品のなかでも極めて安価なものを選択したとはいえ、決して安い買い物ではなかったけれど、本当に嬉しかった。なにせ1948年に製造されたカメラなので、当然傷も多いし、スローシャッター機能もなければ露出計もない、本当にベーシックなものだけれど、とにかく愛着の沸くカメラだったんだ。外観の傷などはむしろ「戦後」を生き抜いた格好良さに見えてしまうくらいだ。

操作はちょっと難しそうだけれど、少しずつ慣れていきたい。
きちんと使いこなせるようにして、モノクロームの写真を沢山撮ってみたい。