Monday, September 29, 2008

無為

んー。
今日は勿体ない1日を過ごしてしまった。
なんとなく、エネルギーが分散してしまっているような・・・。
仕事に対して、ちょっと受身になってしまっていたのかもしれない。
齋藤孝じゃないけれど、「身体」から入らないと。

Sunday, September 28, 2008

明暗

今週末のラグビー。
駒場WMMのトップクラブリーグ緒戦と、東大ラグビー部の対抗戦があった。
どちらにも参加できなかったのだけれど、明暗が分かれる結果となった。

駒場WMMは、北海道バーバリアンズを37-29で撃破。
後半40分に逆転というから、激戦だったのだと思うけれど、勝って良かった。
東京都4部からスタートしたチームは、まだ公式戦で負けていない。
この勢いに自分自身も上手く適応して、今シーズンも勝負していきたい。
次は10/13(月・祝)、高麗クラブとのゲーム。
個人的に乗り遅れたけれど、次は行きます。まずは22人に潜り込まないと。

そして、東大ラグビー部。
対抗戦第2戦、明学大とのゲームは残念ながら26-12で敗戦となった。
インターネットで結果を知っただけで、映像を見ていないけれど、非常に悔しい。
入手次第、映像を確認するつもりだけれど、この敗戦を糧にするしかないね。
対抗戦2部には、昨年降格してきた青学大を除けば、飛び抜けたチームはない。
10回勝負したら、5勝5敗するようなチームばかりだ。
これを10勝、少なくとも9勝1敗に引き上げないといけない。
ただ、そのために必要な努力というのは、5勝5敗を拾うのとは全然違うんだ。
もっと逞しいチームになってほしいし、その為のサポートをしていきたい。

いずれにしても、まずは映像を見ることだね。
チームの今の課題を洗い出すのがスタートラインだから。

Wednesday, September 24, 2008

ルワンダの涙

久しぶりに、パートナーと映画を観た。
「難民映画祭2008名古屋」において公開された『ルワンダの涙』という作品だ。
http://www.rffn.org/index.html
http://www.r-namida.jp/index.html

1994年、ルワンダで実際に起こった凄惨な虐殺を描いた作品。
人間がこれほどまで残酷になってしまうという現実に、言葉を失った。
奇跡的に生き延びたツチ族の人間も存在するが、それをもってReliefとは言えない。
フツ族とツチ族の間にある絶望的なまでの断絶/歪んだ憎悪と人間性の喪失。
ルワンダの今を、恥ずかしながらおれは全く知らない。
今まで知ろうともしなかった。
ルワンダの「今」はどうなのだろうか。
断絶の氷解が想像の枠外としても、どこかに融和のきっかけはあるのだろうか。

Tuesday, September 16, 2008

おしらせ

パートナーのアトリエのアドレスを変更しました。
Treasuryuka
今後はこちらまで。

Sunday, September 14, 2008

シーズン開幕

2日間、ラグビーに明け暮れてしまった。
パートナーには迷惑をかけてしまったけれど、有意義な2日間だった。

9月13日、土曜日。
まずは、11:30から1時間程度で、東大ラグビー部Jr.メンバーのコーチングをした。
1vs1のタックル練習をしたのだけれど、思った以上にスキルは低かった。
タックルを教えるのは、とても難しい。
様々なアプローチがあり、正解はないのだけれど、あるチームのある時点を明確に意識して考えた時に、ある程度の妥当性は判断できると思う。ただ、この日の練習メニューそのものや、コーチング・アプローチは必ずしも適切ではなかったかもしれない。
コーチの齋藤さんと練習後に議論して、少し考え直した。
本質は間違っていないと思うのだけれど、アプローチをもう一度整理してみたい。

その後、13:00からは、翌日に今シーズンの開幕戦を控えたAチームの練習を観て、チームの雰囲気や仕上がり具合をチェックしていく。試合前日なので軽めのメニューだけれど、久しぶりに練習をみると、思うところも多く、様々な気づきがあった。
15:30までにジャージ授与式まで終えると、16:00からは駒場WMMの練習。
自分自身がプレーするのは久しぶりで、多少身体は重かった。
コンタクトプレーが完全に落ちてしまっているので、戻していかないと。
タックルの際の踏み込みが浅くて、フィジカルも以前より弱くなっているので、どうしても思ったようなタックルができない。1mと言わず、もう1歩でも深く踏み込めれば、全然違うのだけれど。こればかりは、グラウンドで取り戻していくしかないね。

9月14日、日曜日。
10:00-11:00で駒場WMMの練習に参加した。
前日に痛感した踏み込みの浅さを少しでも矯正しようと意識したのだけれど、自分の思うようなタックルはできなかった。肩先だけで行ってしまっている。
最近トップリーグをJ-Sportsでよく観ているけれど、接点でも踏み込みや、間合いの詰め方/詰めるスピード、踏み込んでからの激しさは、さすがに凄い。
同じことはできないけれど、イメージをもって今後の練習に臨んでいきたい。

練習を早めに切り上げて、シャワーを浴びた後、駒場から朝霞に向かう。
東大ラグビー部の今シーズンの開幕戦だからね。

東京大 30-17 武蔵大
14:00 K.O.@武蔵大学朝霞グラウンド

昨年5位の武蔵大が相手だったけれど、辛くも勝利をものにした。
まずは開幕戦をきちんと勝利できたことは、チームにとって大きかった。
内容そのものは、正直に言って決して良くなかった。
自分たちの強みを見失ってしまい、相手のペースに呑まれる時間帯が多かった。
まずはディフェンスを立て直すことだね。
前に素早く出て、鋭くプレッシャーをかけることが、今年のチームの生命線。
その為に必要な、ポジショニング/ノミネート/ブレイクが、全く出来ていなかった。
これは修正できるはずだし、修正しなければいけない。
昨日の練習から、その予兆はあったんだ。
結局のところ、練習の緩慢はゲームに如実に出てしまうからね。
もっと細部にこだわって、もっと1つ1つの動きを大切にしていこう。
きっと強くなれるはず。

次のゲームは2週間後。相手は昨年苦杯を嘗めた明治学院大だ。
雪辱戦だね。ディフェンスで圧倒して、チームを完成させていこう。

book-self

先日、自宅の2階に本棚を作ったので、今度はインターネットで。
book-self
読んだ本のことを、少しずつでも記録していこうと思って。
"books make myself" であり、"bookshelf" でもあれば良いかなと。
パートナーは「自分自身を予約するんだね」と言っていたけれど。

Sunday, September 07, 2008

休日

久しぶりの更新。
今週末はどこにも出掛けず、ゆっくりと過ごした。
近所のジャスコで本棚を買って、溢れ返っていた本を整理したくらいだ。
おかげで2階は、とても気持ちの良い部屋になった。

トップリーグが開幕したけれど、J-Sportsで3試合ほど観戦した。
サントリーvs三洋電機、九州電力vsコカコーラ、IBMvsサニックスの3試合だ。
新ルール対応に加えて、レフリング変更が大きく左右しそうだ。
特にシーリングは、チームとして意識を徹底しないと、かなり取られる気がする。
セットプレーは非常に重要になるが、特にラインアウトの獲得率はキーポイントになるかもしれない。新ルールでALL menが増えてくると、ショート・ラインアウトを活用したムーブでの獲得は相対的に難しくなるような気がする。サイズに劣るチームの生きる道を本気で考えないといけない。

3試合を観て感じたのは、ゲームは「構成するもの」だということ。
どの試合も、ゲームの構成に長けていたチームが勝利を拾ったように思う。
典型的なのはエリア・マネジメントだけれど、勿論それだけではなくて。
「理由をもって攻める」ということだと思うのだけれど、これが難しいんだ。

今後のトップリーグの展開が、楽しみです。

Monday, August 04, 2008

film atmosphere

1週間以上も前のことになってしまったけれど・・・。
8月2日、土曜日。
パートナーと2人で、久しぶりに映画を観に行った。
アルベール・ラモリス監督作品、『赤い風船』と『白い馬』の2本だ。

場所は、新栄町から徒歩5分ほどのところにある名演小劇場。
50席ほどの古くて小さなシアターだけど、雰囲気のあるところだ。
名古屋にも、少ないながらも魅力的なミニシアターがあるんだね。

『白い馬』は、1953年カンヌ国際映画祭グランプリ作品。
そして『赤い風船』は1956年のカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品。
アルベール・ラモリスという名前さえ、この映画を観るまで知らなかった。
50年近く前のフランス映画に、転勤先の名古屋で出会えたのも、嬉しい偶然だ。

作品は、36分+40分の短編。
どちらも素晴らしかった。
1時間にも満たない映像世界において、語り過ぎず、でも語り尽くされている。
表現というのはつまり、こういうことなのかなと、思った。

「映像詩」と呼ばれる表現世界に触れて、改めて映像の持つ深い魅力に驚いた。
映像というよりも、「絵/画」、あるいは「描」の方が近いかもしれない。
スクリーン上に、世界観が描かれているような感じがするんだ。
台詞も殆ど存在しない、レトロで美しいフィルム。
まさに"film"だ。殆ど忘れられかけている映像そのものの魅力が溢れていた。

必ずしもハッピーエンドではないけれど、心を洗われる思いがする。
それはストーリーの力というよりも、映像の力ではないかと思ったりするんだ。
『赤い風船』のあまりに美しいラストシーン。
本当に素晴らしかった。


そんな訳で、微力ながら「赤い風船応援団」に名を連ねることにしました。
Click the red ballon! (右側の下の方にあります。)
飛んでくる風船の中には、時々スペシャル風船があって、それをクリックして、住所を記入して申し込むと、本物の「赤い風船」が届くそうです。

Monday, July 21, 2008

チック・コリア

久しぶりに新しいCDを買った。
"CRYSTAL SILENCE" by Gary Burton & Chick Corea
http://www.universal-music.co.jp/jazz/best200/UCCU-5076.html

チック・コリアは、高校時代に音楽の授業で習った記憶が、微かに残っている。
キース・ジャレットと並び称されるジャズ・ピアニストの天才だと。
その後、キース・ジャレットについては、ひょんなことから名盤"Köln Concert"を聴くことになり、その情感溢れる旋律の美しさに心を奪われてしまったのだけれど、チック・コリアの音楽に触れる機会はなかったんだ。
東京出張からの帰り途、品川駅構内のCDショップが目に映ると、何故だか急にCDを1枚買いたくなった。随分新しいCDを買っていなかったので、この機会にと思って、新幹線の待ち時間を潰しながら適当に探し始めると、チック・コリアの名前があった。
数枚の作品が置いてあったのだけれど、"CRYSTAL SILENCE"を買った。
チック・コリアの楽曲は聴いたことがなかったので、直感に頼って。

聴いてみると、素晴らしかった。
キース・ジャレットとはまた違う魅力があるね。
"CRYSTAL SILENCE"に関して言えば、クリアで透明感のある音に驚いた。
ゲイリー・バートンの奏でるヴィブラフォンの硬質な音も絶妙だ。
旋律は全般的に静謐な印象で、その中に情感を丁寧に織り込んだような感じだ。
長谷川潔の銅版画に描かれた小鳥が羽ばたくようなイメージ。
ちょっと違うかもしれないけれど。

高校の授業で、確かに聴いたはずなんだ。
名前は忘れず覚えていたのに、旋律の印象が全くなかったのは何故だろう。
でも、名前だけでも微かな記憶に残っていたから、15年後にCDを買うことになった。
あの時の先生に感謝しないといけないね。

Saturday, July 19, 2008

コーチング・コース#2

前回のコメントが誤解を招いてしまったようで・・・。
名古屋開催コースの運営をしてくださったある方から丁寧なメールを頂いた。
暑い中、ワラタスのコーチング・スタッフを日本に招待いただき、当日の運営にご尽力いただいた方にとって、自分の書き方は気分を害するものだったかもしれない。
そのことは、本当に申し訳なく思っています。
また今更ですが、当日は本当にありがとうございました。


豪州ファンデーション(レベル1)コースを受講して感じたことを、改めて纏めたい。
小寺さんがコメントをくれたように、コースの内容は「ベーシック」そのものだった。
パス、キャッチ、ラン、コンタクトといったIndividual Skillに加えて、ラック/モールやスクラム、ラインアウト等のUnit Skill、リスタート(キックオフ/ドロップアウト)やチーム・アタックなどのTeam Skill、更にはルールの理解やコーチングの基礎理念まで網羅的にカバーした内容で、1日という限られた時間の中で可能な限り、ラグビーの全ての構成要素を「ベーシック」という切り口で捉え直すことが目的のコースだ。

目新しいことは多くない、と前回のコメントに書いた。
(厳密には幾つかあるのだけれど、詳細まではここでは書かない。)
ただ、そのことに不満を感じた訳でも、意義を感じなかった訳でもない。
むしろ、ベーシックとは本来そういうものだと思う。
例えば、社会人ラグビー時代に豪州ワラタスのコーチが練習に来てくださったことがあるけれど、その時の指導内容は、今回のコースと極めて高い類似性があった。
様々な環境で15年近くラグビーをしていると、様々な出会いがあるからね。

本当は「目新しさ」が重要な訳ではないんだ。
目新しさに無批判に溺れてしまうことの方が、遥かに危険だから。
「基礎を徹底する」ということは、精度/正確性にこだわることであり、プレッシャー下においてもぶれないスキル・レベルにまで落とし込むことだと思う。
それは、目新しさとは正反対のもので、地道で、持続的なものなのだと思う。
その意味では、豪州ワラタスのコーチング・スタッフの姿勢には敬服する他ない。
基礎への徹底と、その熱意は本当に素晴らしかった。
今回のコースの最大の意義は、この点にこそあるのだと思う。

今回のコースを経て、自分が考えているのは、その手前なのかもしれない。
「ベーシック」というものにも、取捨選択があるのではないか、ということなんだ。
チームが異なれば、選手のレベルも置かれた環境も異なる。
民族が異なれば、身体特性も心理的な特徴も全く異なる。
更に言えば、ラグビーと向き合う理由だって、人それぞれ異なる。
その時、ラグビーにおいて志向する「ベーシック」にも差異はあるんじゃないか。
勿論、普遍的なものだってあるだろう。
結局、ラグビーであることは変わらないのだから。
でも一方で、それぞれのチームにとって、選択的なものや、可変的なものがあっても良いのではないかと、おれは思うんだ。
徹底するベーシックには、水準と順序があるような気がするんです。
そして、あるチームにとっては、より大胆な選択もあり得るような気がするんです。

今回のコースを最大限に生かす為にも、ベーシックを忘れてはいけない。
彼等のベーシックへの姿勢を忘れずに、チームに落とし込むのがコーチの役割だ。
でもその前に、立ち止まって考えてみることが大切だと思うんだ。
何故それがベーシックなのか、って。

Saturday, July 12, 2008

休日

久しぶりの休日。
朝早く起きて、コメダ珈琲店にモーニングを食べに行った。
名古屋ではとても有名な喫茶店で、本店が近くにあるんだ。
ハンバーガーはかなりのビッグサイズだったね。
あとは自宅でのんびりと、寛ぎながら過ごした。
録画してあったパシフィック・ネーションズ・カップのオーストラリアA vs ニュージーランド・マオリを観て、少し寝て、今度はフランツ・カフカ原作の映画『城』を観て。
こんなにゆっくりしたのは、随分久しぶりな気がします。

『城』は未完の小説なのだけれど、映画も原作に忠実で、きちんと未完で終わる。
小説はそれでも良いのだけれど、映画だとしっくりと来ない感じがするね。
映画としての『城』というか、『城』の映画性が、正直あまり見出せなかった。

Monday, July 07, 2008

コーチング・コース

7月5日、土曜日。
豊田自動織機大府グラウンドにて、コーチング講習を受けてきた。
豪州ファウンデーション(レベル1)コーチング・コースというもので、コース終了後、テストと30時間のコーチング・レポートを提出すると、豪州NSW州協会公認のコーチング資格を取得できる。

きっかけは、先週末の名古屋大戦。
試合終了後のアフターマッチファンクションで、名古屋大コーチの星野君と話していて、このコースの存在を教えてもらった。彼は名古屋大でのコーチングの傍ら、名古屋クラブで自身もプレーしていて、おれは何度か一緒に練習をさせてもらったことがあったんだ。
このコースの存在を聞けたのは、とてもラッキーだった。
申込期限後にも関わらず、色々と動いてくれて、彼にはとても感謝しています。本当にありがとう。

朝9時から夕方18時くらいまで、みっちりとコースが行われた。
ベーシック・ドリルの勉強があったり、ラグビーの基本的なスキルに関する講義があったり、大半の時間はグラウンド上で過ごした。

参考になったことの1つとして。
パスの放り方のセッションがあったんだけど、Vertical/Horizontalという2つの放り方が紹介されたんだ。TVで観ている豪州代表のパスの仕方は確かに日本人とは違うのだけれど、なんとなく仕組みがイメージできた。ただ、Horizontal Styleが日本人にも向いているのかどうかは、良く分からない。手の長さだったり、身体の柔軟性だったり、色々なことを考慮しないといけないのだろうね。更に言えば、多くの人間が高校生からラグビーを始める環境において、どのようなアプローチが良いのかも、十分に考えた方がいいような気がする。

今回のコースには、社会人時代の先輩、肥後さんも参加していた。
終了後に金山で軽く呑みながら、コーチングの実際のところを色々と聞かせてもらったのだけれど、参考になることが沢山あった。
フルタイムコーチとして過ごす日々というのは、苦労の絶えないものだと思うけれど、それだけの魅力と喜びが、きっとあるのだろう。

Sunday, June 29, 2008

名古屋大戦

久しぶりの更新。
なかなか書けなくて・・・。

6月29日、日曜日。
東大ラグビー部の春シーズン最終戦があったんだ。
東京大 24-0 名古屋大(13:00 K.O.@名古屋大グラウンド)

生憎の雨だったけれど、零封できたのは良かったね。
学生のみんな、春シーズンお疲れ様でした。
でも、彼等はもっと出来るはずなんだ。
今年のチームの課題がはっきりと浮かび上がったのは、ある意味では収穫だったのだけれど、見ていて歯痒さも残るゲームだったね。
まずは1週間、身体を休めながら、自分達の課題を整理しよう。
今日のゲームの中に、ヒントは沢山あるはずだからね。

ちなみに。
Aチームの試合終了後、Bチームも20分ハーフの試合をしたんだ。
怪我人続出の学生だけでは人数が足りず、おれも前半だけプレーした。
ゲームは残念ながら負けてしまったのだけれど、とても楽しかった。
レベルは低かったけれど、学生と共にラグビーができる機会は滅多にないからね。
入部して3ヶ月程度の1年生も、同じグラウンドにいた。
彼等がこのゲームから何かを掴んで、成長していくのが楽しみです。

Tuesday, June 03, 2008

『察知力』

中村俊輔著『察知力』(幻冬社新書)、読了。

幼少期から中学/高校時代、その後のJリーグ時代を経て、セルティックでプレーしている現在に至るまで、中村俊輔のサッカー人生の軌跡が綴られた自伝的エッセイ。
特別なことは言っていないと思うけれど、なかなか面白かった。
報道/メディアから想像される中村俊輔のイメージとは異なる部分が多かったね。

「特別なことは言っていない」というのは、「特別じゃない」ということじゃない。
著作を読んで思ったけれど、中村俊輔は、プロのアスリートとして当然のことを、当然に遂行してきたプレーヤーだからこそ、特別な存在になったのだということ。
「『ガムシャラにやる』だけじゃ足りない」という言葉は、非常に印象的だった。
何をどのように頑張るのか。何故そこにこだわるのか。
考え抜いて、その上で、時間を惜しまず練習する。
とても難しいことだけれど、やはり一流のプロフェッショナルは流石だね。

Sunday, May 25, 2008

マリオ・ジャコメッリ

久しぶりに日曜美術館を見たんだ。
「この人が語る私の愛する写真家 辺見庸 私とマリオ・ジャコメッリ」
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2008/0525/index.html

ジャコメッリはプロの写真家ではない。
週末にカメラを持つアマチュア・カメラマンだったそうだ。
すべてモノクロームのプリント。
時に粗く、時に鋭く、時に静かで、時に激しい。
印象的なプリントだった。

辺見庸さんの視点には、心に深く問いかけてくるものがあった。
思ったのは、「簡単に分かってはいけない」ということだ。
辺見庸さんは2004年、講演中に脳出血で倒れ、長期入院生活を送ることになる。
その時の経験が、辺見庸さんの問いかける視座の根幹にあるのだと思う。
ジャコメッリの写真には、一面的でない訴求力の深みがあって、歳月を経た後にそのプリントをもう一度目にしたら、きっと自分への立ち現れ方は異なっているだろう。
決して辿り着かない深みのようなものを、強烈に感じさせるプリントだった。

写真というものを、改めて考えさせられるね。
実際のプリントを見てみたかった。

Saturday, May 24, 2008

鈴木邦男という生き方

理論社が発行している「よりみちパン!セ」シリーズを3冊読了。

小熊英二著『日本という国』(よりみちパン!セ04)
鈴木邦男著『失敗の愛国心』(よりみちパン!セ34)
森村泰昌著『「美しい」ってなんだろう?―美術のすすめ』(よりみちパン!セ26)

「よりみちパン!セ」シリーズは、なかなか面白いね。
少年少女のために書かれた平易な文章で、それでいて本質を失っていない。
はっとすることや、新鮮な驚きを感じることが沢山あって、読み耽ってしまう。

特に衝撃だったのは、鈴木邦男さんの『失敗の愛国心』だね。
自分の知らない世界に、本当に様々な人生があるのだと思い知らされる。
四十年間、右翼の活動家として生きてきた人間の、実直なる言葉が溢れている。

鈴木邦男という人間の思想的信条に共感できるかどうかは問題ではなくて、「彼は、自分が考える『正義』を突き進んできた」という端的な事実こそが重要なのだと思う。

正義なんて、どこまで行っても相対的なものだからね。
法治国家における「法の正義」だって、結局のところ、誰かが決めただけのことでしかないのだと思う。立場が違えば、法を犯す「正義」が成立する地平もあるだろう。

重要なのは、正義を絶対化しないこと。
そして、その認識の上に立って、己の信念としての正義を見つめ直してみること。
四十年間という長い歳月を、右翼の運動家として激しく生き抜いてきた鈴木さんは、この著作を通じて、そんなことを伝えようとしたのかあと、読んでいて思った。
鈴木邦男という「生き方」が、強烈な迫力をもって、突きつけられているよ。
とにかく、凄いです。

Sunday, May 18, 2008

上智戦

5月18日、日曜日。個人的には春シーズン初の練習試合だった。
駒場WMM 50-14 上智大(11:00 K.O.@駒場ラグビー場)

収穫と課題がはっきりしたゲームだった。
後半は危なげなく、ある程度コントロールされたゲームが出来た。
前半は度重なるミスから自滅してしまった。
この差を埋めて、コンスタントにゲームをコントロールすることが、今後の課題だね。

前半は、あらゆるフェーズでミスが頻発した。
接点の間際、あるいは接点の中で、意図的にボールを放していくことで、ラックを極力避けて継続することを狙ったのだけれど、思うようにパスが繋がらなかった。
ゲームの評価として間違ってはいないけれど、それだけではないよね。
もっとイージーなミスが沢山あったはずだ。
接点でのボールコントロールミスやノックオン。接点でのスイープミス。
単純なハンドリングエラーも多かった。
こういったミスの方が、致命的だ。
コミュニケーションの問題じゃない。プレーヤーとしての責任の問題だと思う。

個人的には、思ったよりもプレーできたような気がする。
川合さん、本間と一緒にゲームに出られたのは、やはり楽しかった。川合さんと両センターを組むなんて、社会人時代にもなかったけれど、比較的上手くいったかな。
社会人ラグビーを引退して約3年間。
こうしてまた同じグラウンドでラグビーできるとは、当時は思っていなかった。
この3年間、様々な環境で必死に続けてきて、本当に良かった。
今シーズンの1年間でもっと上手くなろうと、改めて思える1日になりました。

まず最初の課題は、フィットネスを高めることだね。
プレーの合間の運動量が、どうしても落ちてしまう。
メイクラインの遅れがミスを呼んでいたケースも少なくないと思う。
FWが枯れている状況を認識していながら、足が止まってしまうシーンもあった。
フィットネスを上げるだけで、もう少しプレーの選択肢が増えるような気がします。

Wednesday, May 14, 2008

人間が撮る

菅原一剛さんの著作を通じて知った、「ほぼ日」にわか写真部。
http://www.1101.com/niwaka_photo/index.html
ほぼ日刊イトイ新聞で提供されているコンテンツの1つなんだけどね。
菅原一剛さんが講師となって展開される対談で、これがとても面白いんだ。

たとえば。
「おいしそうな写真を撮るには?」という問いに、菅原さんは明快に答える。
「おいしそうだなあと思って撮ることです」って。

素晴らしいよね。
こういう人間的で温かく、魅力的な言葉が、プロのカメラマンによって語られることに、とても嬉しい気持ちになってしまう。写真に対する眼差しが、とてもやさしくて。

写真を全く撮らない人は、少ないと思う。
デジカメはかなり普及しているし、携帯でも綺麗な写真が撮れるからね。
写真と接する機会は、実は日常的の中に溢れているはずなんだ。
だからきっと、菅原さんの想いには、沢山の響き方があるのだと思う。
シンプルな言葉の中に、深いやさしさと写真に対する想いがつまっています。

龍さんのエッセイ

村上龍さんの新刊エッセイを読了。
『それでもわたしは、恋がしたい 幸福になりたい お金も欲しい』(幻冬舎)

相変わらず、シンプルな思考が面白いね。
20代~30代前半の若手女性からの様々な質問に、村上龍さんが自らの視点で回答していく形式で、雑誌の連載をベースに再構成した作品なのだけれど、明確に読者を想定した書き方が、なかなか興味深い。
ただ、本来の読者層ではない自分にとっては、どうでもいい話題も多いけどね。
それでも、剥き出しの質問に対する龍さんの捌き方は、やはり面白い。
男が読んでも、それなりに説得的に感じることがあるんじゃないかと思います。

Tuesday, May 13, 2008

一面化への抵抗

松岡正剛さんの『誰も知らない世界と日本のまちがい』(春秋社)、読了。
『17歳のための世界と日本の見方』の続編として、国民国家(ネーション・ステート)誕生以降の近現代史を中心に、現代社会を読み解く思索の鍵が綴られている。

前作に劣らず、非常に刺激的だった。
ただ、前作と比較すると多少コンプレックスだったね。
それは「近現代」そのものがコンプレックスだということかもしれないけれど。

グローバル資本主義/新自由主義というものが無批判に受容され、支配的な空気となって蔓延する現代日本に対して、松岡正剛さんは疑問を投げかける。
歴史と文化の多様性を無視して、「自由主義」の名のもとに、一面的な価値観が世界を覆い尽くすのは「まちがい」ではないかと。
こうした松岡正剛さんの問題提起を前にして、ふと思い出したのは、社会学者の宮台真司さんが、自身の著作において語っていた「ラディカルな自由主義」ということだ。
端的に言うならば、「自由を否定する自由を認める」という立場だよね。
自分自身はこの立場が結構好きで、本来の自由主義とはそうあるべきではないかと考えているのだけれど、自由を相対化することが「空気として」許されない土壌というのは、実は結構息苦しいのかもしれないね。
自由を相対化した先に何を見出すか、ということは別にしても。