Tuesday, August 16, 2011

SPIRIT -山中湖 #2-

山中湖合宿も2日目を終了。
IBMラグビー部の作田さん・西山さんが急遽参戦してくれたこともあって、非常に気づきの多い時間を過ごせたのではないかと思う。こうしてラグビーがつないでくれる人の縁に、心から感謝したい。

今日の練習は、全体としてみれば昨日よりもクオリティの高いものになった。2人の猛者によるところも大きいけれど、やはり選手自身が「昨日のモードを越えていかないといけない」という意識を持って臨めたということだと思う。この点では、まずは一歩ずつでも前進かなと。その上で、この日の練習全体を振り返った時のキーワードとして、真っ先に頭に浮かぶのはSPIRITという言葉だ。つまり、魂だね。

この日の午後はAvsBでのADだったのだけれど、体育会ラグビー部におけるAチームとBチームには厳然たる差があるはずだ。実際の実力云々の前に、Bチームは公式戦でジャージを着られない。チームの代表として公式戦を戦う権利を持つのがAチームであって、(決してBチーム以下の責任感とチームへの貢献を否定するものではないけれど)背負うものはどうしても違う。
Aチームである、というのはそういうことで、その一線を絶対に譲らない、あるいはBチームにとっては半歩でもいいからその一線の先に喰い込んでみせるという気概が、チームを成長させる。
そして、これこそがスピリットの生まれるポイントだ。
今はまだ、ここが弱いんだ。
スピリットがないというよりも、ごく一部の限られた人間のスピリットに、その他大勢のメンバーが依存している感じがする。自分自身の中から、内発的に生まれるスピリットが正直かなり甘いのだと思う。
例えば、現時点で何人かのAメンバーが怪我人をしているのだけれど、繰り上がってAチームにいるメンバーに、危機感が感じられない。「やつが復帰する前に俺の評価を固めてみせる」という意志も見えないし、そういう行動もしていない。2倍練習しようという気もないならば、最初からAチームのジャージを着るなよと。
Bチームには1年生も何人か加わっていたのだけれど、幾つかのシーンでは彼等のアタックに切られている。それでは通用しないよ、と身体で示してやるのがAチームの責務であり、またスピリットだろう。普通にパスをつながれて、「あの場面はどうだったか」とかはっきり言って関係ない。何でもいいからAチームの意地だけで止めてみせろよと。

ここが今の課題だね。
スピリットを他人に依存してはいけない。
それは、端的に格好悪い。
自らの意志で、闘う集団に変えていかないと。

Monday, August 15, 2011

山中湖 #1

山中湖合宿、初日が終了。
今日の総括をまとめておきたい。

まず、チームとして今すべきこと。
端的に言えばそれは、decipline(規律)という言葉が全てかなと感じている。
例えば、セット。クラブチームとの合同練習でも、先にセットできていない。普段の練習で意識づけされていないのだから当然だ。こういうのは、日常を変えない限り変わらない。ラインを1本廻したら、ジョグバックしてセットしてから休む。フィットネスのメニューでも、1本終えたら苦しくてもジョグセット。こういう基本的なポイントを変えていかないと。「意識」というのはある意味ずるい言葉で、その先の行動を隠蔽してしまう側面もあって、そこに踏み込めないのは、結局のところ弱さなんです。
セットだけじゃない。小さなことだと、練習の開始時間も緩い。決められた時間にきちんと始まっていない。合同練習の終了後をどのように過ごすのか、例えばその時間は休憩なのかチームトークなのか、といったことが厳密にコントロールされていない。コーチの立場でこちらが仕切っても良いのかもしれないけれど、基本的に正式コーチでも何でもない今の自分の立ち位置からすると、学生自身の主体的なマネジメントをやはり期待したい。

具体的なプレーでいうと、FWは中間走とスタート。接点もまだまだ甘いけれど、接点を自ら予測して、そこに到達できないことにはスキルも生きてこない。今のFWのコンタクト・スキルは正直なところ決して高くないけれど、早いセットときちんとしたスタートダッシュができれば、今のレベルでももっと出来ることはあるはずだ。
BKは、とにかく精度だね。イージーミスが多すぎる。要するに、ハーフスピードかつノープレッシャーでの練習では意味がないということだと思う。練習におけるプレッシャーを高めないといけない。これもセットと同じで、意識ひとつと言いながらも、意識だけでは変わらない。

結局のところ、全ては練習の密度なんです。

Monday, July 04, 2011

Standard

長谷部誠著『心を整える。』(幻冬舎)、読了。
http://p.tl/ndeR

サッカーW杯南アフリカ大会で日本代表のゲームキャプテンを務めた長谷部選手。
そのサッカーへの熱意、プロフェッショナルとしての拘り、自身の持ち味を最大限に生かすための工夫、そして心のあり方。そういったものが、素直に綴られている。

目次をざっと読むだけで、何度も首肯してしまう。
アスリートとしてのレベルも拘り方も全く異なるけれど、自分自身がずっとラグビーを続けてきた中での感覚を思い浮かべながら読んでみて、「そうだよなぁ」と素直に心に沁み込んでくるメッセージが多かった。勿論、人間性はそれぞれなので、長谷部選手のスタイルが合う人もいれば、そうでない人もいるだろうけれど。

ただ、アスリートとして「パフォーマンス」に対する意識が徹底していて、全くブレがないのは、それだけでも素晴らしいことだと思う。諸々全てを「自分に紐付けて」考えている点も、とても気持ちの良い姿勢だよね。

書かれているポイントは、スポーツをする人間には非常に分かりやすい。
でも、ここで思うんだよね。
プロフェッショナルを目指すのは、ビジネスも同じだろう、って。
ビジネスだけじゃない。1人の人間として、結果に責任を負う生き方を志すならば、結局のところ目指すものは同じなんじゃないか、って。

譲れない一線を、どこに引くか。
長谷部選手はそれを、「プロフェッショナル」という一点に定めたのだと思います。
「心を整える」という表題は、彼にとってそれこそがプロフェッショナルであり続けるための必須条件だったからだと、俺はそう解釈しています。

だから必要なのは、きっとノウハウじゃない。
本当に必要なのは、自分自身の生き方に求めるスタンダードなんです。


今、必要なこと。

この週末で、東大ラグビー部/名古屋大ラグビー部共に、春シーズンを終了した。
東大ラグビー部は、東北大との定期戦に敗れてしまい、やや残念な終わり方になってしまったみたい。ビデオできちんと確認してみないと。残された時間は少ないからね。

名古屋大ラグビー部は、7/2(土)に南山大とのゲームがあった。
下級生主体で臨んだ春シーズンの最終戦は、45-26で勝つことができました。
特に失点の仕方がやや淡白だったのは残念だったけれど、収穫もあったかな。

試合終了後、学生に話したんだ。
「開幕当初に想像していた7月のレベルと、今日現在の自分達のレベルを比較するならば、どこまで到達しているのかな」って。

「目標にしてきた継続プレーが出来るようになってきた部分はあります。
でも、まだ足りない部分も多いと思ってます。」
キャプテンは、率直にそう答えてくれた。

悪くない。成長の実感も、課題意識も、素直に出てきたものだと思う。
でもね、本当はもっと丁寧に考えたいポイントなんだ。
「それで、今のペースをキープしていけば、『A2リーグ全勝/A1リーグ昇格』という年初に掲げたチーム目標には、揺るぎない自信を持って向かっていけますか」
俺が聞きたいのはただ一点、これだけなんです。

目標とのギャップや、今現在の自分達の立ち位置を、厳密に見据えること。
それはとても知性的な営みで、そして東大/名古屋大の双方に、今最も必要なこと。
ギャップを明確にしなければ、行動につなげることができない。
そしてここが重要なのだけれど、ギャップ認識が多少ずれていたとしても、それはそれで構わない。自分達が考え抜いた末に導いた結論と心中できるならば、それは合理性よりもきっと強い。心中できるほどの信念は、簡単には折れないからね。

ただ、コーチとしては今が勝負です。
もちろんそれは、学生との勝負。
俺には俺の信念があるので、ぶつけ合いをしないとね。
学生の思考には、本気と覚悟を要求するつもり。こちらも考え抜くつもりなので。

Sunday, June 19, 2011

目を逸らさない

昨日は名古屋大ラグビー部の定期戦だった。
名阪戦と呼ばれる大阪大とのゲームは、春シーズンの最も重要なゲーム。昨年は敗戦しているので、今年は雪辱を果たしたかった。
でも結果は、7-15。
8点の差は、埋まらなかった。

試合後に感想を聞かれた選手達は、不完全燃焼だとこぼした。自分達の実力や、練習してきたことを出し切れなかったと。周囲の人間も「勝てる相手だった」と話していた。自分達のラグビーをきちんとできれば、絶対に勝てたはずだって。

でも、俺は思うんです。
それができないのが、今のチームの課題だよって。
自分達の実力というのは、「グラウンドで表現できるもの」のことで、試合で表現できないのは、厳しい言い方をすれば実力がないからだよ、って。

みんな、どこかで逃げてしまうんだ。
「本当はもっと実力があるのだけれど、うまく発揮できなかった」という総括は、8点分の実力差だったという現実から、ある意味で目を逸らしているんです。
持っているものの全てを発揮するということは、思っているほど簡単じゃない。日々の練習で全てを出し切る姿勢、試合のためにベストの準備を怠らない生き方、そういうものがあって初めて出来ることなんだ。
それをきちんとできるのが、本当の実力。
できないのもまた、実力なんです。

この日の選手達のプレーは、決して悪くなかった。ゲームの綾を失う残念なプレーも幾つかあったけれど、総じて気持ちの入ったパフォーマンスだった。

それでも、届かなかった8点。
ここから、逃げちゃダメなんです。
この8点を埋めるために、明日からの日々に全力を尽くすことこそが、ラグビー部の醍醐味なのだから。


Monday, June 06, 2011

チーム

6月4日(土)
名古屋大 45-12 名古屋学院大(14:00K.O. @名古屋学院大グラウンド)

名学大は昨シーズンにA1から陥落して、今シーズンは同じA2を戦うチーム。
本来は1つの目標になる相手だけれど、失礼を承知で言うならば、この日の名学大はそういうチームではなかった。試合前のアップを見ていて、十分戦えると思った。ゲーム開始直後に、その思いは確信に変わった。その意味では、メンバー構成が若干不安定ながらもきちんと勝利したことは収穫。ただ、このゲームを象徴しているのは、むしろ失った12点の方だ。

19-5で折り返したハーフタイムに、ちょっと厳しいコメントをしたんだ。
「全然甘いゲームだ」って。
前半40分間を通して危ないシーンも殆どなく、3つのトライを奪って戻ってきた選手の感覚はきっと違っただろう。でも俺としては、全く納得できないゲームだった。むしろ、選手自身に前半のパフォーマンスを「甘かった」と自己評価している様子がなかったことが、残念でならなかった。

ハーフタイムに言ったのは、「自分達自身でゲームを壊している」ということ。
開始早々にバックスが無責任なプレーをして、大外でボールをロストする。
カウンターアタックでロングゲインした味方に対して、サポートが寄って来ない。
自分達のミスから自陣に張り付いてしまうと、ディフェンスでは反則の連続。
順目に走るのがチームの約束なのに、順目にスタートを切らないフォワード。
スクラムを何度もターンオーバーできるような有利な状況で、この程度のスコアにしかならないのは、こうした当たり前のことが出来ていないからだった。

「すべきことをきちんとしていない」というだけで、つまらないゲームになるんだ。チームの為になぜ必死にならないんだ。責任感のないプレーするなよ。試合前の円陣で「名学粉砕」と檄を飛ばしたのは何だったんだ。本当に粉砕する気あるのか。

このくらいは言ったかな。
この程度のプレーで、自分達の実力を過大評価も過小評価もしてほしくなかった。
自分達のプレーが凄い訳じゃない。過大評価するようなものじゃない。
でも、意識ひとつでもっと上のプレーができる。
この程度で「結構できてきた」なんて過小評価もしてほしくない。
「自分達が今、持っているもの」をきちんと認識して、その全てを出してプレーする。
それこそが、大学ラグビーにとって最も大切なことだと思うんだ。

「自分達」というのは自分だけじゃない。
チームとして戦うことで、パフォーマンスが最大化されるような、そんなチームを名古屋大には目指してほしい。ただ15人が同じグラウンドにいる、というだけならば、チームでも何でもない。チームというのは、お互いの間に信頼関係があって、だからこそ1人ひとりのメンバーが自身の責任に集中できるような、仲間が最高のプレーをするために自分自身を犠牲にできるような、そういうものだと思うんだ。

バックスの1次攻撃で、CTBがラインブレイクする。
相手のディフェンス網が機能せず、そのまま独走になったとする。
俺が見たいのは、それでもCTBに対してサポートしてくる人間なんだ。CTBが抜けた瞬間、FBと対峙した時に彼をサポートするためのスタートを切っている人間を見たい。彼が1人では状況を打開できずにクロスキックを転がした時のために、遠く離れたポイントから真っ直ぐ押し上げてくるロックの姿を見たいし、仮にトライライン直前で追いつかれてしまったとしても、そのボールを即座にダイブパスで逆目に戻せるハーフが見たいんだ。

フォワードが、密集戦で必死のディフェンスからターンオーバーをしたとする。
このボールを絶対に落とさないという覚悟で展開してほしいんだ。ジャッカルしてくれたフランカーがポイントから頭を上げた時のために、絶対にやつのいる場所よりも前にボールを運ぶのだという必死さを持ってほしい。そのボールをもし落としてしまったならば、絶対にセービングしてほしいし、翌日以降の練習では、他の選手よりも30分早く来てキャッチングの練習をしてほしい。

信頼関係の芽というのは、そういう小さなことの中にある。
とても小さなこと、でも絶対に譲ってはいけないことに、正面切って拘っていくことで、信頼関係は培われていく。ただ同じグラウンドにいるだけで、自然と生まれるような簡単なものじゃない。
そしてこれこそが、「チーム」となるための必須条件だ。

名古屋大ラグビー部は、厳しい見方をすれば、まだチームになりきっていないんだ。
みんな真面目で一生懸命なのはよく知っているのだけれど、信頼関係に基づいた「チーム」を作っていくためには、それだけでは足りないんだ。
信頼って、もっと厳しいものだから。

でも、この日のゲームはきっと、1つの気づきを与えてくれたと思う。
6月の1ヶ月間が、とても大切です。
夏合宿までに、もう1つ上のレベルの厳しさに向き合ってもらいたいです。

Friday, June 03, 2011

綺麗に考えない

最近、組織というものについてよく考える。
直接のきっかけは社内のあるタスクなのだけれど、冷静に考えると「全社」といったスケールでなくても、例えば「部門」や「チーム」も組織であることに変わりはないのだから、思考の題材に事欠くことはないし、意外と身近に貴重なヒントがあるのではないかと思っている。

よい組織とは、つまり何だろう。
一昨日、会社のあるべき姿をどう考えるのかということについて、自身が所属するチームを含めて、10のチームが発表を行ったのだけれど、ほぼ全てのチームの発想が非常に類似していた。大きく纏めてしまえば、「高い能力を備えた個々人が有機的に繋がり、顧客志向で目標を共有して活動する組織」といった感じかなと思う。こう整理してしまうと、誰ひとりとして反論しないだろう。「それが実現できれば素晴らしい」ということには、正面切って疑問を差し挟む余地がないからだ。

ただ、ここで少し立ち止まりたくなる。
あまりに普遍的な整理の中に、何かが隠蔽されているような感じがするんだ。
例えば、顧客とは誰なのか。
自社にとって利益をもたらさないユーザーは顧客なのか。現時点で利益を享受できていないのは、自社の活動に問題があるからなのか。本来リーチすべきではなかった、という可能性はないのか。業界・業態・企業規模が異なる多様な顧客を、「顧客」の一言で括ってしまってもよいのか。そして、その一括りの考察は有意なのか。
(ちなみに、「顧客」という言葉には「国民」と似た違和感を感じる時がある。つまり、本当のところそれが誰なのかはよく分からない、ということなのだけれど。)
あるいは、組織の目標とは何なのか。
企業であれば、一般的には「付加価値の創出」ということになるのかなと思う。更には、その価値創出プロセスが将来にわたって発展的に継承される、という点を加えれば教科書的な解答としては十分だろう。
でもそれは、つまり何なのか。単純に、絶対値としての粗利益なのだろうか。そうだとすれば、例えばメセナ活動などはどのように位置づければよいのだろうか。また、施策はどこまで目標と整合している必要があるのだろうか。桶屋を儲けさせるために風を起こすような活動は、合目的的だと言えるのだろうか。逆に、合目的的な施策が全てなのだろうか。

なかなか思うように、自分の考えを整理できない。
とにかく、拭い難い違和感が残るんだ。あまりに綺麗に整理してしまうことに。

「顧客」なんていない。存在するのは常に「ある顧客」だ。
「社員」なんていない。存在するのは常に「ある社員」だ。
組織というのは結局のところ、そういった「ある個人」の総体なのだという基本的なスタンスが、思考を整理する過程の中で失われているような気がして、その先へと素直に向かうことができないんだ。顧客への視点も同様で、顧客ニーズや顧客にとっての価値というのも、「ある顧客」にとってのニーズであり価値であるということが、本質的に重要だと思う。属性の近い顧客が類似したニーズを抱えていたり、求める価値を共有していることはあっても、「私を」(あるいは「当社を」)見てくれている、ということがいつの世も価値の本質だったりする訳で、特殊性を排除して、一般論のみで顧客を考えていても、その先の道筋を見出せるような気がしない。

組織を考える時に、ある特性を持った個、あるいは小集団にまで降りていくことは、どうしても必要だと思う。それが基本的なスタンスとしてあった上で、本当に踏み込んで考えるべきポイントは、その先にあるような気がするんだ。

「特殊」へのアプローチを、組織全体のマクロ的な目標といかに整合させるか。
組織全体へのフィードバックを見据えた「特殊」へのアプローチは、どうあるべきか。

自分の中の違和感を紐解いていくきっかけは、この辺りにあるのかもしれない。
長々と書いてみて、結局うまく纏まらないのだけれど、今はそんなことを漠然と考えています。

Thursday, May 26, 2011

本気

最近、社内のタスクで経営層への施策提言を考えている。10人で議論して、年末に最終報告なのだけれど、なかなか難しい。

1万人規模の組織によい影響を与える変革というのは、どういうものだろう。50人の組織に対するアプローチとは、明らかに違うだろう。1万人となれば、もはやマスだからだ。

マスに対する施策を考えると、ふとした瞬間に「どこにでもいそうだけれど、実はどこにも存在しない誰か」への施策になってしまいそうな違和感が頭をかすめる。「会社に対するロイヤリティが低く、業務知識やスキルも不足しているものの、グローバルビジネスに対する意欲はあって、社内でのチーミングには悪戦苦闘しつつ取り組んでいるが、結局は短期の売上目標に縛られてしまい、大きな目線での仕事に時間を割けない」、そんな個人ってつまりは誰なんですか、みたいな感じだ。要するに、顔が浮かばない。1万人規模になると、具体的な特定の個人をイメージして施策をまとめるのはさすがに難しいけれど、もう少し丁寧なセグメンテーションが必要かもしれない。
パレートの法則でいえば、上位20%の人間と、その他の80%の人間では、抱いている課題も組織への依存度も全く異なるように思う。この差をきちんと意識しておかないと、結果的にはどちらの層にとってもフィット感のない中途半端な施策になってしまうような気がしている。

一方で、やはり最後は「人」だろうという見方もできる。トップの交替が劇的な変革をもたらした大企業の事例は枚挙に暇がない。
これはきっと50人の組織とも共通するポイントで、結局のところ「熱は伝播する」ということだろう。熱を持ったリーダーの存在が、組織全体を活性化させるのは間違いない。必ずしも組織のトップでなくとも、様々なレイヤーにそれぞれのリーダーがいればいい。ただ、一点思うのは、リーダーにとって、スキルもさることながら、熱の方がより重要なのではないかということだ。

1万人規模の組織を考えると、業務上の様々な課題に対するスキルパーソンは、きっとどこかにはいるだろう。要するに、課題に直面した時に、最も適切なスキルパーソンを探り当てることができれば、リーダーにとって「スキルは代替してもらえる」ということになる。探り当てるためのある程度の仕組みは必要だと思うけれど。

本当の課題は、その先だと思うんだ。
「そいつを本気にさせられますか。」
今リーダーは、そう問われている気がしてならない。周囲を本気にさせる熱を持たなければ、どれほど見事な仕組みがあっても飾り物でしかない。仕組みそのものよりも、仕組みに魂を入れることに、組織としてもっと向き合う必要があるのかもしれない。

そう考えていくと、真の課題は「20%のリーダーさえ、さほど熱を持っていない」、あるいは「持っている熱をうまく表出できない組織風土がある」ということなのかもしれない。
これは、シビアな課題だよね。

20%をまさしく「本気」にさせる施策というように、絞り込んで考えてみようかな。
もちろん、本気で。



Saturday, May 07, 2011

春合宿総括 #2

昨日に続いて、東大ラグビー部春合宿の総括を。
グラウンド・パフォーマンス以外の部分で感じた点も纏めておきたい。

まずはチーム運営、あるいは組織のあり方について。
東大ラグビー部のようにリソース(選手・コーチ等の人的リソースのみでなく、時間・運営予算等も含む)が限られた組織にとって、効率的な運営は重要なポイントだ。ただ、「効率的」というのも2つの要素があると思っている。1つはいわゆる「選択と集中」で、無駄なことをせずに、有意義な施策にリソースを集中するということ。もう1つは、選択した施策それ自体の意義を高めること。この双方を追いかける必要がある。

例えば、「あった方が良い」というレベルのスキル練習を捨てて、「なくてはならない」スキルの習得だけに特化する、というのが前者の考え方だ。今のチームで言うと、例えば「ブレイクダウンの判断」にフォーカスした練習は捨てるべきかもしれない。昨日書いたように、ブレイクダウン自体の強化をしなければ、判断を要求される状況に持っていくことさえ出来ないからだ。まずは状況を問わず、ブレイクダウンの局面では強くヒットする原則を確立するのが先決だろう。その上で初めて、ヒットの圧力だけではコンテストできない局面というものが見えてくる。この順序を間違えてはいけない。
「守・破・離」という言葉があるが、判断とはある意味では「破」の段階だと言えなくもない。個々のプレーのレベルで考えるならば、「守」とは型の理解で良いからだ。型通りでは上手くいかないという「判断」、あるいは型が前提とする局面ではないという「判断」があって初めて「破」に至るとするならば、まずは「守」を徹底することを優先すべき時期ではないかと思う。
要するに、ブレイクダウンの見極めを意識する前に、筋力・体幹の強化を含めたパワーアップと、身体の芯でヒットするスキルの向上に心血を注ぐべきだ。

後者の観点でいうと、例えばブレイクダウンの強化に具体的に取り組むとして、どのように練習を構成すれば最も多くを得られるか、といった点をもっと突き詰めたい。練習メニューに競争の要素を加えたり、バリエーションを幾つか用意して飽きさせないように工夫することは、今すぐにでも出来る。メンバーのモチベーションも意識して、目的意識の明確な練習運営を心がけることで、もっとチーム運営を良いものにしていけるだろうと感じている。
今回は1泊2日の合宿参加で、計2回しか練習を見ていないので、あまり踏み込んだことは言えないが、その中でも幾つか気になった点がある。
例えば、大雨に見舞われた3日午後に、キックチェースの練習があった。合宿を迎えるにあたって、首脳陣が事前に課題として設定していたポイントではあるのだが、大雨の影響でキック自体が精彩を欠いてしまい、練習の意図が曖昧になってしまった。勿論、雨でも試合は行われるので、無駄な練習だったとは言わない。しかし、悪天候/グラウンド状態といった環境制約のもとで練習するならば、練習の主旨をフレキシブルに修正して、それをメンバーに伝えた上で臨む必要があったと思う。折角チームとして「取り組む」と決めた練習の効率が、練習の運び方次第で大きく損なわれてしまうこともある。意図や目的というのは、最初の設定だけに捉われず、柔軟に見直しをかけていくのが、効率的運営のポイントだと思う。
ちなみに翌4日の午前中は、午後のOB戦に向けて、前日の大雨で水浸しとなってしまったグラウンドの整備に充てられた。本来は短めの練習を予定していたが、この判断自体は仕方ないものだったと思う。それでも、グラウンド整備だけで、部員/OBの全員が常時動きっ放しという程の作業量はなかったような気がする。何人かの選手の手は止まっていて、雑談に興じてしまう姿も散見されていた。
例えば俺だったら、FW/BKでメンバーを分けて、それぞれ15分程度でもボールを使った練習を行ってからグラウンド整備を終了させることを考える。グラウンドの脇に雑草で覆われたエリアがあるので、ミニドリルやグリッドのようなメニューであれば十分可能だったはずだ。
泥だらけのグラウンドで、素足になって水溜りを散らしたりしていると、「このグラウンドで試合するのは嫌だなぁ」と誰だって思う。その心理状態のまま午前を終えて、そのまま試合前のウォーミングアップに合わせてグラウンドに出てきても、アップの効率が落ちてしまう。勿論、それでもきちんと気持ちを作ってくるのが自立した選手だということも出来るけれど、チーム運営という観点でみれば、10分程度でもトップダッシュでボールに触れることで、「午後は闘争だ」という心理状態に持っていくことを首脳陣が中心となって考えても良かったと思う。それで、グラウンド整備が大きく遅滞するというようなことも、実際にはなかったのだから。

これらはあくまで一例で、俺の考えが正解だったかどうかも分からない。ただ、いずれにせよ組織運営の効率を高めることを考えた時に重要なのは、目的意識をもって選択すること、その選択が最大限に活かされる心理状態/モチベーションを意図的に演出すること、そして状況が変化したならば当初の設定を柔軟に変更することの3点ではないかと思う。
今回参加した2日間について厳しい見方をすれば、3点のいずれも十分ではなかったかもしれない。でも、それは今から変えればいい。まずは、もう一度「今」を正視して、腹を据えて「選択」することだ。何をするかが固まってくれば、その後の運営はある程度コントロールしやすくなるはずだし、この点こそコーチング・スタッフが尽力すべきポイントだ。学生首脳陣のみで抱え込まずに、監督・コーチ陣を含めた「東大ラグビー部」という組織全体で取り組んでいけばいい。

俺自身は残念ながらもはや正式なコーチではないけれど、今回感じたことは、もう少し具体的な提言として首脳陣に伝えたいと思っています。今更、立場に引っ込んでいても仕方ないからね。

Thursday, May 05, 2011

春合宿総括 #1

5月3日(火)・4日(水)
東大ラグビー部春合宿@東大検見川グラウンド。

今シーズンは東大ラグビー部のコーチングスタッフから正式に退いているのだけれど、思うところあって久しぶりに春合宿に参加してきた。3日の午後が大雨だったのは残念だったけれど、4日午後のOB戦だけでなく、その前日の練習/ミーティングを見られたことで、非常に多くの気づきがあった。
長くなるが、忘れないうちに個人的に感じたことを纏めておきたい。
基本的に、学生は一生懸命練習していることを理解した上で、あえて課題点を中心に整理してみたい。

まず、素直な今のチーム力について。
主要メンバーの怪我や、東日本大震災の影響で暫く練習ができなかった点を差し引いても、苦しい状況なのは間違いない。春シーズンも残すところ2ヶ月程度だが、この期間で幾つかの重要な課題を修正することが急務だと感じている。
まずは、接点。ブレイクダウンの圧力が致命的に欠けている。
『ラグビークリニック』最新号の中でエディー・ジョーンズも言っているが、ラグビーにおける接点の70%はラックだ。ショートパスで継続するノーラック・ラグビーを志向するとしても、ラックの基本的スキルは依然として重要で、避けることは出来ない。マイボール/敵ボールを問わず、ラックの練習にもっと取り組む必要があると思う。
その時、何に拘って練習するか。現在のラックの最大の課題は、ラックフェーズに対する「ヒット」が殆どないことだと思う。身体の芯をヒットさせて、クリーンアウトするという基本的な部分が欠落しているように感じる。アーリーコミットは非常に重要なスキルなのだけれど、「アーリー」ばかりが強調されていて、「コミット」が極めて甘い印象だ。(実際には、さほど「アーリー」でさえない、という点も課題だけれど。)
個々のスキルのレベルで重要な点は幾つかあるが、ラックに対して自身がフルコミットできる間合いを身体で覚えること、最も強い姿勢(ボディ・ポジション)を身体で覚えること、コンタクトの瞬間は常にその姿勢を取れるように身体に刷り込むことの3点がメインかなと思う。いずれにしても、身体で習得することが大切だ。
今は、間合いも姿勢もない。間合いについては、「人それぞれ違う」という事実をきちんと認識したい。ボールキャリアーに対するサポートの深さや幅は、それによって当然異なってくる。短い距離/少ないステップで加速できる方が、当然有利なポジションを取れることになる。まずは「強いコミット」に重きを置いた場合、自分がどの間合いで動けば良いのかを覚えることが重要だ。姿勢については、コンタクトの基本姿勢を習得するのは勿論だけれど、動きながら「基本姿勢に戻す」という点にも拘った方がいい。そういった身体の使い方を体得できるようなメニューを組み入れるのも良いかもしれない。

接点を考える上でもう1つ重要なのは、ファーストタックルの精度と圧力だ。これも当然のことだけれど、ファーストタックルが劣勢の局面では、ブレイクダウンでのコンテストはとても難しい。まずは有利な形で倒すことに、もっと拘る必要があるだろう。
例えば、ダブルタックル。昨今はどのチームも意識的にダブルタックルさせているが、タックルフェーズで2人がコミットしながら接点を押し込まれては意味がない。2人入ることが目的ではなくて、ボールキャリアー1人に対して2人でコミットすることで、接点を押し返すことが目的のはずなのに、最終的な接点の決着にチームとして拘っていない。タックルの成立シーンだけを追ってゲームの映像をチェックしてみれば、色々なことが見えてくるはずだ。
今のチームの最大の課題は、最後に1歩踏み込めないこと。これはチーム全体の課題だけれど、個人レベルで改善できる点でもある。いわゆる「追い込み練」を数多くこなすのが、結果的には一番の早道だと、個人的には思うけれど。

接点以外にも課題は様々あるが、もう1点挙げるとすれば、ラグビーの構造をもっと理解することが必要だと思う。例えばBKの観点で言えば、「ラインの深さ」に対する基礎的な理解が不足している。ラインの深さとは、ポジションの深さではなくて、ボールの軌道の深さなのだけれど、シチュエーションに応じたボールの軌道の深さが意識されていない。更に言うと、「自分達にとって理想的なボールの軌道」というイメージが、そもそも固まっていない印象だ。ポジショニングに理由をもって、パスの軌道をコントロールできるようにならないと、BKの攻撃が構成できない。このあたりは、言葉で表現するのが難しいけれど。
FWも同様で、例えば各ポジションの基本的なランニングコースが理解されていない。東大のようにサイズに劣るチームの場合、仕事量を増やすことが決定的に重要なのだけれど、コースを理解していない為に、仕事の機会そのものをロスしている。リーダーが中心となってチームの原則を徹底することが必要だと思う。夏合宿以降では、遅すぎる。ポジショナル・スキルに至る前の段階で、例えばラックからブレイクした際のコース取りや、バッキングアップにおける基本的な考え方等は、ラグビー・プレーヤーとして全員が押さえておくべきものだと思う。

本当に長くなってしまったので、その他は明日以降に改めて書こうかな。

Thursday, April 21, 2011

『デフレの正体』

藻谷浩介『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』 (角川oneテーマ21)、読了。
このblogを更新するのも随分久しぶりだけれど、少し整理しておこうかなと。

論旨は極めてシンプルだ。
・人口ピラミッドから明らかなように、日本は生産年齢人口の急激な減少に直面している。

・出産適齢期の女性の数自体が減少している為、出生率の多少の向上では、問題は解消しない。
・生産年齢人口の減少は、日本国内における総消費の減少に直結している。
・1,400兆円とも言われる日本国内の個人金融資産のうち、1,000兆円以上が65歳以上に集中している。
・この世代の最優先課題は、医療・介護等の備えであり、貯蓄はある意味でコールオプションのようなものだ。
・こうした「投資されない資産」は、どこかで毀損することも考慮しなければならない。
・現在の日本国内のデフレとは、内需の中核を担う生産年齢層の減少に伴う供給過剰が主因である。

これに対する処方箋として、論理的には以下3つの観点で改善を図る他ないというのが著者の立場だ。
・生産年齢人口の減少を、可能な限り緩やかなものにする。
・生産年齢人口に該当する世代の個人所得総額を維持し、更には増加させる。
・生産年齢人口および高齢者による個人消費の総額を維持し、更には増加させる。

そして具体的に、①高齢富裕層から若者への所得移転、②女性の社会参加・就労促進、③外国人観光客・短期定住客の受入という3つの施策へと議論が展開される。

非常に分かりやすく、かつ妥当な主張ではないかと思う。
人口オーナスが、日本が直面している最重要課題であることは、疑問を差し挟む余地もない。
ただ一点だけ、読んでいて気になったことがある。こうして提示された施策は、マクロ的にみれば合理的なのだけれど、ミクロでみれば不合理なのではないか、少なくとも不合理に見えてしまうのではないか、ということだ。

少々不正確な記述になってしまうけれど、例えば社員の給与総額を現状維持するよう努めるべきだ、という主張があるとする。人口オーナスの時代においては、新たに生産年齢に差し掛かる世代の総人口よりも、常に退職世代の総人口の方が多い状況が続くため、給与総額がキープされていれば、1人あたり給与は増大することになる。こうした取り組みによって、内需拡大を図っていくべきだ、というのが1つの考え方として提示されている。非正規雇用の低賃金労働者を増加させて、社員の給与総額を低減させていけば、結局はその企業の国内売上高も減少せざるを得ないのだと。
構造としては正しいのだけれど、ゲーム理論的に考えると、こういう施策は、国内全産業・全企業が足並みを揃えて対応する時に、初めて合理的と判断されるのではないだろうか。そして、結局のところ囚人のジレンマに陥って、日本全体が緩やかな停滞を続けていくのではないだろうか。

企業は、あくまでも企業としての合理性に基づいて行動するのだと思う。
今問われているのは、それが必ずしも国家の合理性と整合しない時に、日本人・日本社会はどう舵を切るのか、ということではないかと感じている。そこで求められるのは、リーダーシップかもしれないし、あるいは社会形態そのものの変革だったりするのかもしれない。その意味では、著者の思索の「その先」にこそ、本当は興味があるところです。

Saturday, January 29, 2011

目標

さて、今更ながら今年の個人的な目標を、ここに書き留めておきたい。
まずは英語。半年間で、TOEICを860まで持っていきます。
もうこれは願望ではなく、決意表明。出来なかったら恥ずかしいけれど。
もう1つは、ラグビー。
名古屋大コーチとして、昨シーズン以上のチームへと飛躍させていきたい。
そして東大との定期戦は、申し訳ないけれど勝たせてもらいます。

随分長い間、blogを更新できていなかった。
新しい1年の決意を書くつもりだったのに、気づけばもう1月が終わろうとしている。
やっぱり、思い立った日に書かないとダメだね。

2011年という1年は、おれにとって本当に大切な1年になると思う。
というよりも、必ずそうしてみせる。
何故だか分からないけれど、人生が動き出している感じがするんだ。
人生というと大袈裟かもしれないけれど、今後30年の自分自身の生き方を左右するような、道筋は見えなくても、歩き出す方角が定まっていくような、そんな時期に差し掛かってきているような気がする。まさに「今」なのだと、いつも思っている。

最近は、多少波乱含みの仕事が多い。
今週は特に酷かったので、1時間程度しか寝られない日もあった。
でも正直なところ、忙しいという感じはさほどしない。
冷静に考えてみると、自分自身の判断と行動で動けることが、ある程度まで増えてきたのが大きいと思う。結果がどうであれ、自分で納得して受け入れられる、ということが増えてきた。自分がオーナーシップを取れば、忙しいと思うこともさほどない。

今でも失敗や早合点は少なくない。結論を出さない会議が嫌いなので、徹底的に結論を求めようとして強引だと言われることも多い。「難しい」に代表される「対案なき消極的否定」も好きではないので、否応なく自分で対案を考えることになる。(そして「会社」という場では、更にPowerPointへの落とし込みまで要求される。)
でも、そういうプロセスは結構楽しい。
自分を変えていく、或いは自分の色をより鮮明にしていくための機会かもしれない。

今できることは何だろう。
本当は考えるまでもなくて、納得できる答えは1つだけなんだ。
それは、できること全てに必死になること。
処世術を考える暇もないくらいに。
組織の理不尽や不合理を嘆く暇もないくらいに。
「所詮サラリーマンだから」という大嫌いな言葉を聞き流す暇もないくらいに。

日頃から一緒に仕事をしている先輩が、タクシーの車中で呟いていた。
権限がない立場で人に動いてもらう為に、人格者を目指したいのだと。
冗談交じりの言葉なのだけれど、おれの考え方は違うんだ。
そもそも人は、権限だけで単純に動かされるようなものじゃない。権限に対しては、面従腹背が世の常だ。

人を動かすのは、人の必死だと思う。
仲間の必死のために、自分も必死になるのがチームワークだと思う。
会社がつまらない人間ばかりなら、自分が隗になればいい。
(そんなこともないと、おれ自身は思うけれど。)
必死というと重苦しいけれど、たぶん本質はすごくシンプルなことなんだ。

きっと、ラグビーのようにすればいいんだよね。

Monday, October 18, 2010

detail

10月17日、日曜日。東海学生A2リーグ、第3節。
名古屋大 65-5 南山大(14:00K.O. @長良川球技メドウ)

今シーズン4試合目で、ようやく初勝利。
力量差のある相手ではあったけれど、きちんと勝利できたのは良かった。
きちんと、というのは点差ではなくて、チームの方針を意識して闘えたということだ。後半にリザーブとの入替をしても、ゲームは安定的にコントロールできていた。恒常的に2チームを構成できず、どうしてもBチームの経験が蓄積できないチーム事情を考えると、これも収穫だった。

とはいえ、本当に大切なのはこの先だ。
東海学生リーグはやや特殊な構成となっていて、6チームで構成されるA2リーグの中から上位2チームがA1との入替リーグに望み、残る4チームで総当たりの順位決定リーグを闘うことになる。最終的なリーグ順位はこれによって決まるのだが、要するに同じチームと2回闘う必要がある訳だ。つまり、相手の力量や手の内をある程度知った上で、如何にして再戦をモノにできるかが問われることになる。

A2というリーグをみると、南山大を除いて、どこもチームの力量が拮抗している。現時点では中部大が頭1つ抜け出しているが、彼等でさえ明確な力量差を持っている訳ではない。10回ゲームすれば、5勝5敗になるようなチームばかりだ。

チームが本当に強くなるためには、これを10勝に、少なくとも9勝1敗にしていかないといけない。このレベルの相手に1度勝つことは、実はそれほど難しくない。恒常的に、安定して勝てる力をつけるのは、それとは全く異なるレベルのことなんだ。
今年はもう可能性がなくなってしまったが、A1という上位リーグを目指すにはこのレベル、つまり「何度戦っても勝てる」レベルにまでチームを持っていくことが必要になる。

開幕戦からの3試合を振り返ると、どのゲームにも勝機はあった。
勝負の世界にifはないけれど、ゲームの綾次第では3勝していてもおかしくはない。
でも実際には、3敗している。紛れもない現実だ。これが何を意味するか。

まだ、ゲームの綾を取れない。これも1つの見方だろう。
でも本当は、綾で勝つレベルでは足りない。ベーシックできちんと勝たないといけない。
この差はとても大きくて、それに気づかないと、「上位リーグ昇格」を本当の意味でのチーム目標に設定できない。チームが拘るべき「ベーシック」をどこに設定するか、自分達自身を追い込む目線の厳しさは、こんなところから決まってくる。

今シーズンに残されたゲームは4試合。
来週の淑徳大戦を終えると、A2の順位決定リーグが始まってくる。
この4試合をきちんと勝ち抜いて、チームを1つずつ高めていかないといけない。
昨シーズンよりも順位を上げて、名古屋大のベーシックを確立していくことが大切だ。

そのために必要なのは、実はとてもシンプルで単純なことだと思っている。
detailに拘ること、これに尽きる。
ブレイクダウンで低くヒットする。倒れない。
プレーが終わったら、すぐ次のスタートを切る。
抜かれないタックルではなくて、倒すタックル。倒した後、自分が先に起き上がる。
ダウンボールを丁寧に。SHのために、優しくダウンボールする。
SOがキックした瞬間に、チェースするCTBはトップスピードになっている。
SHは自分の手からボールが離れた瞬間、次のポイントに向けてスタートを切っている。

結局のところ、ベーシックというのはこうした小さなdetailの蓄積でしかないんだ。
だからこそ、小さなコンテスト、小さなサポートプレーに妥協しない。ゲームの綾というのは、実はこういう小さな局面の中にこそ転がっていることが多い。これを常に相手よりも1歩早くモノにしていくことで、チームに自信が生まれてくる。それが22人全員に広がっていくことで、チームの厚みになっていくんだ。ベーシックとはそういうもので、これを80分間継続できる実力をつけていかなければいけない。
そして、そのためにすべきことは分かりきっている。
日々の練習において、detailに徹底的に拘っていくことだ。

練習のクオリティを決めるのは、detailなんです。

Monday, September 13, 2010

トイレの神様

植村花菜さんというシンガーのことが、以前から好きだった。
荒井由美の名曲『やさしさに包まれたなら』のカバーを聴いたのが最初だった。
http://chainmusic.blogspot.com/2006/05/blog-post.html

先日、日本経済新聞社の現役デスクと元記者の方による社内研修があった。
その時に配布されたテキストの末尾に、日経MJヒット商品番付が掲載されていたのだけれど、2010年上期のランキングの一番下に、小さく彼女の名前があった。
「トイレの神様(植村花菜)」って。

研修の中で触れられることも、グループディスカッションで誰かがコメントすることもなかったけれど、とても気になった。『やさしさに包まれたなら』のシングルを買って何度も聴いたのは、もう4年前のことだった。最近では声のない音楽ばかりを聴いていて、あの時買ったシングルを聴くことは、もうほとんどなくなっていた。その後、成長著しい帆南がCDの棚に手を延ばしてしまうこともあって、リビングに置くCDの枚数を減らしてしまい、もう今では、日常的に流しているCDの棚に置いてさえいない。でも、素敵な声の女性だったなぁと、とても嬉しい気持ちになった。

今日、折角の日曜日にも拘らず、軽井沢で合宿研修があった。
アントレプレナーセンター代表取締役社長の福島正伸氏による講演を聴いて、本当は1泊した後、翌日のセッションに臨むところを、業務が入ってしまった為に、夕方過ぎで軽井沢を後にした。新幹線で東京に戻り、晴海のビジネスホテルにチェックイン。晩ご飯をコンビニで買った弁当で済ませると、PCを立ち上げてちょっとした仕事に取り掛かった。

そうしたら、何故だかトイレの神様のことが気になって。
You Tubeで聴いたんだ。

トイレの神様/植村花菜
http://www.youtube.com/watch?v=Z2VoEN1iooE

泣けてしまうような、とても素晴らしい曲だった。
だから今晩は、もう十数回もこの曲をリピートしてしまっている。
4年前にblogに書いた感想は、今でも変わっていなかった。
じんわりと沁み込んでいくような歌声。声そのものが、もう本当に魅力的だ。
詩も勿論良いのだけれど、ただの詩ならば読めばいい。
やはり声だと思う。声が、詩を本当に良いものにしているような感じがする。

聴いてみてください。
きっと、何度も聴きたくなってしまうと思います。

Monday, August 30, 2010

Open Officeと野村誠

この週末は、帆南を連れて2つのイベントに参加した。
どちらも楽しくて、良い思い出になりました。






まずは金曜日。
この日は会社の"Open Office"に家族を招待したんだ。
毎年このくらいの時期に開催されているOpen Officeだが、参加するのは今回が初めてだった。帆南も1歳7ヶ月を過ぎて、かなり自由に動き回ったりできる頃なので、ちょうど良かったかなと思う。
名古屋事業所は規模も小さいので、子供向けの企画は2つだけだったけれど、自分で簡易プログラムを作って玩具のクルマを走らせる"ROBOLABO"は、小学生くらいの子供達が楽しそうに遊んでいた。当然ながら帆南にはまだ難しいのだけれど、プログラムの制御でくるりと方向を変えるクルマに興味津々の様子だった。その後、自席のあるフロアまで上がって、日々お世話になっている2人の秘書さんに挨拶に行くと、最初は少し緊張気味だった帆南もすぐに2人に慣れてしまって、もう大喜びで遊び回っていた。ヒトが少なくてかなり寂しい名古屋のフロアだけれど、ある意味ではおおらかな場所でもあって、こういうイベントでは、フロア全体が1つの家族のような優しさがある。そんな訳で、どこか温もりの感じられる楽しい1日になった。






そして、土曜日。
今度はあいちトリエンナーレで展開されているパフォーマンス・アートの1つ、野村誠さんの『プールの音楽会』に参加してきた。愛知芸術文化センターの近くにある富士中学校の3階建て校舎の屋上プールが、その舞台。25m、5レーンの小さなプールに100名の観客を集めて、野村誠さん率いる総勢12人のパフォーマーが5曲を「演奏」するのだけれど、なかなか楽しい音楽会になった。
クロールやバタフライで泳ぐスイマーのキックやスクロール。跳ね散る水飛沫。飛び込み台やプールの縁を叩く音。プールの中を歩きながら演奏されるピアニカやリコーダー。小さなプールの中で作り出される様々な音が集められて、1つのパフォーマンスとして構成されていく。観る方も真剣勝負といったぎりぎりの感じでは全くなくて、むしろ肩の力を抜いて、パフォーマー自身が「楽しみながら演じる」ということに重きを置いて、「楽しむ」ということ自体を伝えようとしている感じだった。
30分程度の短い音楽会だったけれど、ところどころユーモアもあって、素直に楽しみながら観ることができた。誰かが作ったゲームがなくても、お金をかけなくても、こんな些細なことでヒトは真剣に遊べるんだよ、って。

ちなみに、屋上プールというのがまた良かったんだ。
あの小さな飛び込み台。中学校のプールでさえ、飛び込み台ってあんなに低かったかなあ。そして、太陽の光をたくさん浴びて、きらきらと光り輝いていた水面。中学生の頃をもう思い出せないけれど、あの時、プールはこんなにも綺麗だったのかなあ。

なんだかとても、いい感じだった。
あの屋上のプールが。

Saturday, July 17, 2010

モリコロパーク

帆南を連れて、パートナーと3人でおでかけに。
向かった先は、愛・地球博記念公園。通称モリコロパークだ。
http://www.aichi-toshi.or.jp/park/park(HP)/morikoro/index.html

2005年の愛・地球博以来なので、訪れるのは5年振りになる。
訪れてみて、特に万博を思い出すこともなかったけれど、とても楽しかった。

公園内に、愛知県児童総合センターという施設がある。
http://www.acc-aichi.org/
リニモの愛・地球博記念公園駅を降りて、最初に向かった先がここなのだけれど、かなり遊べる場所で、もう満喫してしまった。 床下に潜れる穴があったり、中2階をぐるりと囲んだトンネルへと繋がるタワーがあったりして、子供にはもう堪らない。ようやく1歳6ヶ月の帆南には少しばかり難しいものが多いけれど、大人が一緒ならば十分遊べるし、そもそも大人にとっても楽しい。ラクダのこぶのように盛り上がった黄色の小さなスペースがあるのだけど、帆南と同じくらいの年齢から小学生未満くらいまでの子供が、本当にたくさんいて、それぞれに走り廻ったり、すべり台のようにして滑って遊んでいた。ただそれだけのことなのだけれど、子供達は本当に楽しそうで、見ているだけで微笑ましくなるね。
パートナーとも話したのだけれど、子供が産まれてから今日までに訪れた場所の中で、最も遊びやすくて楽しいスペースの1つだ。大人の発想でできた電気の「オモチャ」で無理に子供を遊ばせようとするのではなくて、子供がただ自然に走って、潜って、隠れて、滑って、ごろんと横になって、そういったことをそっとお手伝いしてくれるような造りが、とても気持ちいいなぁと。特別企画のようなプログラムもかなり豊富にあるようなので、また日を改めて遊びに来るつもりだ。

さっと昼食を食べた後、今度は児童総合センターのすぐ傍にある愛知国際児童記念館へ。家を出た時には知らなかったのだけれど、ちょうど今日から「借りぐらしのアリエッティー展」が開催されていて、折角の機会なので見に行ったんだ。遊び疲れた帆南はベビーカーで眠ってくれていたので、落ち着いてゆっくりと見ることができた。
全体としては小さな展示なのだけれど、本当に良かった。
製作資料として展示されていた何点かのラフスケッチが素晴らしかったんだ。
クロッキーかなぁ。すっと引かれた線が本当に美しい。そして、添えられたメモがまた魅力的で、人間味に溢れた温かい思いが感じられる。繊細な年頃の少女の表情を、とても丁寧に、心の動き方のディテールまで注意を向けながら、1つひとつ描いているというのが、ある意味ではラフスケッチゆえに伝わってくるのかもしれない。
綺麗なスケッチだったなぁ。

ちょうどタイミングも良かったけれど、本当に良い公園です。
1日では廻り切れないので、もう一度、公園の魅力発掘に行かないと。

Wednesday, July 07, 2010

ENGLISH

最近、英語の社内公用語化が話題になっている。
楽天やファーストリテイリングといった企業の事例が報じられているが、企業活動の全面的な英語化については賛否両論あるようだ。

今日、担当しているお客様の常務を訪問する機会があった。
サービス事業を担当しているアメリカ人の専務自らが、お客様先を訪れた。
外国人役員との同行コールは、営業職としての8年間で初めての経験だった。

お客様も最初はやや緊張気味だったが、既に馴染みのある日本人の執行役員が同席していたことに加え、通訳の方の丁寧な対応もあり、お客様コールそのものは穏当に流れ、申し分のないものとなった。英語そのものを極めて慎重かつ緩やかに話してもらったことも大きかったと思う。ただ、こうして実際にコールに同行してみて、自分自身の置かれた状況が明確に変化してきていることを改めて実感した。大きな潮流としては随分前からはっきりしていたことで、今更気づくようなことでもないのだけれど、ドメスティックにビジネスを展開されている企業の役員に対して、このようなコールをセットする機会は極めて稀なのが正直なところだ。それゆえに、ある意味では「保護されていた」にすぎないのだけれど。

要するに、お客様へのサービスを組成する上で、重要な決定権限を持つ人間が、外国人役員にシフトしている訳だ。ほぼ国内市場に閉じたビジネスを展開されているお客様であっても、外国人役員が総責任者として「お客様のダイレクトな声」を聞こうとするのは、会社が提供する「サービス」自体がグローバルの枠組みの中で組成されているからに他ならない。システム開発の世界では、中国やインドの技術者を活用したオフショア開発が既に一般的になっているが、こうしたデリバリー・スキームのグローバル化に留まらず、プライシングやマネジメントそのものがグローバル化している。

国内をメインとする「現場」では、 英語への抵抗は依然として強い。
「英語はできても、仕事ができない人間」というのが、格好の標的にされている。
でも、もう今後は逆が成立しなくなるかもしれない。つまり、「英語ができなくても、仕事ができる」という状態が想定しづらくなるかもしれない。
英語ができないということは、ドメスティックなビジネスを展開されているお客様に対してさえ、必要な「サービス」を組成するための直接交渉力を、社内で持っていないということだ。自分の担当するお客様にとってのベストを纏め上げるために、英語ができる人間による代理交渉が必要になる。正直、これでは仕事の醍醐味も、更には「仕事力」そのものさえ、大きく毀損してしまうだろう。

英語公用語化の是非は知らない。
ただ、安易な批判の前に、個人としての準備が必須かもしれない。
なかなか巧くならないけれど。

Saturday, July 03, 2010

ALL




7月3日、土曜日。
オール東大 32-7 Imperial College London(16:00K.O@駒場ラグビー場)

ずっと楽しみにしていたゲーム。きちんと勝利できて、まずは良かった。
怪我人が出たこともあって、CTBで80分間フル出場となったが、フルでプレーするのは本当に久しぶりで、さすがにかなり疲れた。ノックオン2回、イージーなタックルミスもあって、個人的な出来は散々だったけれど、最低限の仕事はできたかなとも思う。

こういう体験を、東大ラグビー部として大切にしていきたい。
一昨年のエジンバラ大戦に続いての国際交流マッチ。まさにラグビーの醍醐味だ。
そして、現役・OB混成チームで戦うということ。これも極めてラグビーらしい、素晴らしいことだ。急造メンバーでも本気で勝ちに行く。難しいことはできないけれど、低いタックルと素早い出足で止める。OBはフィットネスに不安があろうとも、自分達が学生の頃に練習してきたプレーに拘って、今できることをする。今の東大にとって、様々な意味で経験値を積むきっかけになったのではないかと思う。
スターター15人の中で、現役のメンバーは4人。留年組を含めると7人になる。最近は現役のレベルが落ちてきていると言われているけれど、今日のゲームでは皆、良いプレーをしていた。周囲のプレーヤーが変わると、発揮される個性・パフォーマンスも変わってくる。OB側にとっても、普段は共にゲームに出ることのない現役メンバーとプレーすることで、彼等からエネルギーをもらうことができる。現役の選手と一緒に本気でゲームをできるのは、おれたちにとっても嬉しく、そして単純にとても楽しいことだ。

同期では、宋が前半のFLで出場した。
開始早々のキックオフであまりに美しいアーリータックルを決め、即座にシンビンを喰らっていたけれど、グラウンド内外での存在感は相変わらずだった。今でもプレーを続けている最後の同期。一緒に試合をする機会はめっきり減ってしまったが、そういう意味でも今日は楽しかった。

また次の機会のために、トレーニングしないと。
こういう貴重なゲームに召集してもらえることを幸運と思って。

高校時代

昨晩は、久しぶりに高校時代のラグビー部の仲間数人が集まって、東京駅構内の蕎麦屋で軽く呑んだ。おれは少々遅れて参加したのだが、ラグビー部時代の思い出話が次々に飛び出して、かなり楽しかった。感傷ではなくて、高校ラグビーというのは、何度聞いても笑いが止まらない逸話が本当にたくさんあるものなんです。これは母校時習館だけではなくて、多くの高校チームには、似たようなエピソードが幾つも転がっているだろうと思う。

初めての試合でチャンスにふとボールが渡ってしまい、どうすれば良いのか分からず、まだディフェンダーは誰も来ていないのに、何を血迷ったかいきなり地面に倒れ込み、「ラック」と叫んで綺麗なダウンボールをした後輩がいた。「1人ラック」というこの伝説のプレーは、今でも語り草になっている。ラックドリルに忠実にプレーするのは、如何にも真面目な時習館らしい。

モールサイドを突破しようと、ボールを持ち出してサイドアタックを仕掛けようとした瞬間、先輩の発した「行くな」の声に気圧されてすごすごとモールに戻り、アクシデンタル・オフサイドを取られた同期がいる。彼は、意図的に笑いを取るのは全くもって不得手だが、行動そのものが誘う笑いには素晴らしいものがある。とある練習試合で彼は、ポスト正面からの相手コンバージョンをチャージしようと果敢に走り出した。次の瞬間、相手キッカーの明らかなミスキックが超低弾道で彼の頭を撃ち抜き、どう考えても入るはずのなかったキックが、見事に上方へと弾道を変化させて入ってしまった。この奇跡は「ラグビー界初の自殺点」と呼ばれ、おそらくギネスブックにも申請できるだろう。

自分でも忘れていたエピソードも出てきた。当時おれはチームのキャプテンをしていたのだけれど、ある時、試合中の「チャンス」コールについて、みんなに提案をしたんだ。俺達は、相手がミスすると「チャンス」と言うが、実際にはほとんどチャンスになっていない。俺達レベルのチームにとって、相手のミスは本当は"Chance"ではない。"Opportunity"でしかないんだ。「オポチュ」なんだ、と。それで俺達は、暫くの間、練習の時にミスが起きると「オポチュ」と叫んでいた。今聞いても本当に馬鹿らしくて、また当時のおれがいかにも言いそうなことで笑えてくる。

東大ラグビー部に入ってから宋に聞いた灘高のエピソードも面白い。
当時はショートラインアウトが流行り出した頃で、4menや5menといった配置をどこのチームも取り入れていたのだが、灘高では、それならば2men(ツーメン)でもいいじゃないかという話になったそうだ。そこから議論は更に発展し、極論すれば1men(ワンメン)でもいいのではないか、と言い出す奴が現れた。すると「いや、ワンはメンじゃねえよ」という適切な突っ込みが入り、一旦「ワンマン」となったところで、「その場合はa man(アマン)じゃないのか」という灘高らしい知的な突っ込みが続いて、最終的に「アマン」というサインが生まれたそうだ。ラインアウトはルール上、1人では成立しないので、ゲームでは勿論レフリーに止められたという。

他にも次から次へとエピソードが溢れてくる。
高校ラグビーほど愉快な場所はないかもしれない。本当に楽しい思い出ばかりだ。
当時は「本気で勝負する」ということの意味を、まだ知らなかった。勝利に対して本気で拘っていたとは言い難く、気づきさえあれば、本当はもっと違うラグビーが出来たのかもしれない。でも、自分達で創っていったチームは、とても楽しかった。自由だったし、(自分自身を含めて)脇道が好きなちょっと独特なキャラクターが多かった。そして、少なくとも一生懸命ではあった。
あの自由気儘な学校で偶然始めたラグビーを、今でも続けているのだから、人生は分からない。「オポチュ」コールを採り入れていたような人間が、大学・社会人での決定的な体験を通して、一廻り下の学生と今でも一緒にグラウンドにいられるのだから、ラッキーだったなあと思う。

いつか機会があれば、高校ラグビーの世界もいいかもしれない。
今度はコーチとして。