Monday, September 30, 2019

ただラグビーであれば








今、明らかにラグビーが熱くなっている。

初の日本開催となったラグビーW杯、そしてジャパンの躍進で、ラグビーに対する国内の関心が大きく高まっているのが日々感じられて、これまでラグビーを真剣に観たことがなかった多くの方々がジャパンに勇気づけられているこの現実を、心から嬉しく思っている。そして、ラグビーという競技の根幹を成す精神性、あるいはラグビー憲章が定める5つの原則を見事に体現するような数多くのエピソードが、ライブで、多くのファンの眼前で実際に表現され、それらがSNSを含むメディアを通じて世界中で共有されていくことを、1人のラグビー人として非常に誇らしく思う。ラグビーをやっていて、本当に良かったと。

でも、そんな今だからこそ、そろそろ書いておきたい。

俺はサッカーもアメフトも好きだと。
バスケットやバレーボールも、陸上や柔道も同じように好きだと。
ただ単純に、俺にとってラグビーは世界で最も面白く、そして最も尊いスポーツだと思うだけで、それぞれの競技にそれぞれ固有の魅力と尊さがあり、どの競技にあっても本物のアスリートは美しく、そういう諸々を俺はリスペクトしている。競技自体も、その競技を大切に思う人々のことも。

激しいコンタクトを厭わず、すぐに起き上がって戦うのがラグビー。
レフリーをリスペクトし、そのジャッジを根本の部分で信頼するからこそ、あらゆる状況下において規律をもって応じようと最大限に努めるのが、本物のラグビー。
ノーサイドの瞬間、敵味方を問わず全力を尽くした人間をお互いに讃え合うのが、ワールドクラスから草の根まで、洋の東西を問わず広く共有されている真のラグビー文化。

その通りだ。
でも、わざわざサッカーと比較して云々するのはうんざりだ。
俺としては、その手の話はもうあまり耳にしたくない。
何かと比較しなくても、ラグビーは純粋に尊いと思うからだ。

ただ、ラグビーがラグビーであれば、それでいいじゃないか。
リスペクトの精神が本物なのであれば、ラグビーというクローズドな世界のみに閉じることなく、ラグビーの外側を生きる人達や、ラグビー以外のあらゆる競技にも等しく同じ誠意をもって向き合っていくことこそ、ラグビーを愛する人々がすべきことじゃないか。

唯一、バスケットのフリースローでアウェイの相手にブーイングを浴びせる慣習だけは正直感心しない(というか、俺としては全く好きになれない)けれど、でもバスケットも大好きだ。Bリーグを一度でも見れば、きっと伝わるはずだ。

RWC 2019を通して、本物のリスペクトを。

Sunday, September 29, 2019

最高の一戦、そして次の戦いへ。








本当に素晴らしい一戦だった。
Japan 19-12 Ireland (16:15 K.O. @エコパスタジアム)

紛れもなく世界トップクラスの強豪を相手に、真っ向から戦い抜いたジャパンへの称賛が溢れる中で、俺が付け加えられることは殆ど何もない。渾身のディフェンス。決して切れない集中力。決定的な瞬間にあって本当は生じてもおかしくない一抹の不安さえ圧倒的な自信と無心で凌駕してみせた圧巻のパフォーマンス。奇しくも一昨日書いたように、ジャイアント・キリングと言わせない戦いぶりだった。

プレーヤーで言えば、やはりマイケル・リーチ、そしてトンプソン・ルークだろう。マフィの負傷によって、おそらくは想定よりも大分早めの時間からグラウンドに立ったリーチ。直後のアタック・シークエンスの中で、右オープンへのワイド展開から敵陣22mあたりで生じたラックに、左斜め後方から凄まじい勢いで全身を打ち込むようなクリーンアウトを見た瞬間、リーチがこの試合で獅子となることを確信した。そして、トンプソン・ルークの仕事量とタフネス。リーチがインサイドからビハインドタックルで刺さった直後に、次のシェイプランナーをトンプソンが浴びせ倒すシーンが幾つあっただろうか。加えて、この日のジャパンを救った自陣深くでの相手ラインアウトのスティール。38歳にして驚きの、でもある意味では「相変わらずの」パフォーマンス。やはり引退撤回を考えた方がいいかもしれない。

ゲーム展開で言えば、この日のジャパンにとって最も大きかったのは、一度も連続失点をしなかったことだ。一度失点しても、3点ずつ返して喰らいつく。スコアで先行したのはようやく後半20分を迎える頃だったが、それまで常にワンプレーで逆転可能な圏内をキープしたことで、80分間の全体を通してハイ・プレッシャーを貫くことができた。こういう展開の時にキツいのは、「普通に戦えば勝利する」と思われている側だ。そして、ラスト20分を残して遂にスコアで優位に立ったジャパン。結果的に、これ以上ない絶妙のタイミング。まさに勝負の綾となった。とはいえ、ラスト20分で勝ち切るのも当然ながら相当に難しい。その意味でも、とにかくジャパンは純粋に素晴らしかった。

このアップセットで日本中、いや世界中を沸かせたジャパン。
歓喜の余韻も残る中ではあるが、俺としては、ここから先のことに思いを巡らせてみたい。
つまりサモア戦、そしてスコットランド戦のことを。

今回の勝利で、決勝トーナメント進出に向けて大きく前進したのは事実だ。メディアや世論を含めて、国内のモードも今日を境に大きく変わっていくだろう。ただ、ジェイミーからすれば、この先の2試合の舵取りは決して簡単ではなく、むしろ非常にデリケートな局面に入っていくと思う。アイルランドを撃破したとはいえ、スコットランドも、そしてサモアさえも、決して勝利が約束された相手ではないからだ。例えば、サモアに対するジャパンの通算対戦成績は4勝11敗。国内ファンの多くはその事実を知らないが、サモア代表の猛者たちはジャパンを「倒せない相手」だと思ったことは、おそらく一度もないはずだ。乗ってきた時のサモアは、恐ろしく強い。スコットランドは、言うまでもないだろう。前回の2015年大会で、「ブライトンの奇跡」を果たしても、なおジャパンの決勝トーナメント進出を阻んだ因縁の相手がスコットランドだ。当然ながら、彼らは既に具体的なイメージを描いているはずだ。最終戦でジャパンに勝利して、アイルランドと共に3チームが3勝1敗で並ぶ可能性をー。要するに、まだ一息つけるような状況では決してないのが、ジャパンの現在地だ。そういう中で、このアイルランド戦の勝利が生み出すモメンタムを、どのようにキープしていくかがポイントになってくる。心の中の小さな隙さえ見逃すことなく、モメンタムは崩さない。このバランス感が、ここからは最重要になってくる。

そしてもう一点が、特にベテラン勢のコンディショニングだ。例えば堀江やトンプソンのこの2試合を通じての消耗度は、やはり相応に高いと考えるべきだろう。FWでは姫野やラピース、BKでも中村、ラファエレの両CTBはフルタイムで身体を張り続けている。最終戦に山場のスコットランドを残す状況下で、最も疲労の高まる第3戦のサモア戦に、どういう布陣で来るのか。そして、そのメンバリングにジェイミーはどのような意味づけを与えるのか。ここが注目されるポイントになってくる。ただし、最も優先すべきは明らかにモメンタムだ。つまり、モメンタムを犠牲にするようなメンバー変更ならしない方がマシだというのが、俺の基本的な考え方だ。

ここからは、あくまで個人的な想像でしかないのだけれど、俺なりに考えてみたい。

例えば、堀江はおそらくスターターから動かさない。今のFWの安定感はリーチと堀江の2人に負う部分が極めて大きいからだ。でも、実はロシア戦の後半ラストに登場した坂手は、短時間ながら非常に安定した良いパフォーマンスを見せている。ゲーム展開にもよるが、サモア戦で坂手のプレータイムをどの程度取れるかは結構重要なポイントだと思う。トンプソンは、俺ならリザーブに一旦戻す。これも「トンプソンを休ませるため」ではなく、サモアと戦う上でヘル・ウヴェまたはヴィンピーの爆発力が求められているのだと、ポジティブなメッセージで統一したい。SHについては、俺としては茂野の出番が来るのかなと予想している。サモアを崩す上で最も狙うべきは彼らのディシプリンの部分であり、そのためには崩し切るスピード、クイックネスが肝になってくる。今のジャパンのSHの中で、最も「速さ」を武器にできるのは間違いなく茂野で、そして茂野のプレータイムを作ることは、結果的にスコットランド戦を見据えて戦略の幅を確立することにも繋がると思う。中村、ラファエレの両CTBは、このW杯を通じて休ませることはできない。この2人でなければ、「ジャパンのBK」になってこないだろう。

いずれにせよ、次のサモア戦に向けた準備はもう始まっている。
間違いなくジェイミーは、もう次のことしか考えていないはずだ。

Friday, September 27, 2019

RWC 2019 日本vsアイルランド - 私的プレビュー








戦法に絶対はない。だが、絶対を信じない者は敗北する。
大西鐵之祐(元ラグビー日本代表監督、1916-1995)

ジャイアント・キリングとはもう言わせない。
でも、アップセットへの挑戦であることには変わりない。
明日はそういう戦いになります。9/28(土)日本vsアイルランド@エコパスタジアム(静岡)、運命のキックオフは16:15です。

今週時点のWorld Rugby RankingではABsに首位を譲ったものの、依然として世界No.2を誇るアイルランドの強さは本物です。ジャパンにとっては、今大会(RWC 2019)の運命を左右する最大の難所といっても過言ではありません。結果はもちろん重要。勝敗のみでなく、ボーナスポイントの有無も今後の展開に大きく影響してきます。でも、そういう諸々の前に、今にフォーカスするしかない。最終戦のスコットランド戦を考える前に、今この瞬間に全力を捧げて、全員が出し切るプロセス(All Out)を共有することでしか生まれない結束を勝ち取らない限り、明日を描くことはできない。W杯とは、そういう場所です。

何よりも最初に知っておきたい、アイルランドのこと ー

ところで、RWC 2019の参加チームはいくつかご存知ですか。20の「国・地域」です。20ヶ国ではない。その象徴たる存在が、実はアイルランドです。
アイルランド独立戦争(1919-1922)を経て連合王国(*)の一部として残った北部アルスター6州とアイルランド共和国とに分断され、その後も紛争の続いたアイルランドは、南北関係において極めて複雑な政治的背景を抱えています。でも、そうした中でラグビーは南北の垣根を超えた存在としてあり続けた歴史があります。独立戦争終結前に設立されていたIRFU(アイルランドラグビー協会)は、分断後の国境を無視し、統一チームとして戦い続ける道を選びます。

明日、ジャパンが戦うチームというのは、そういうチームです。アイルランド共和国代表ではなく、「1つのアイルランド」の誇りを胸に結束した男達です。試合前の"国歌"斉唱で歌われるのは、国歌ではなく”Ireland's Call"。「1つのアイルランド代表」のために作られた特別な歌です。静岡の地に"Ireland's Call"が響き渡るというそれだけで、もう感動を抑えられません。

で、肝心の見どころは ー
全てです。とにかく"Ireland's Call"から見てください。

ジャパンの勝機はどこに ー
アイルランドのような格上の強豪と戦う際には、幾つかの鉄則があります。
まずは、ロースコアの戦いに持ち込むことです。アイルランドは、初戦でスコットランドをほぼ完璧に封じ込めています。135本のタックルに対して、ミスタックルはわずかに8本。94%を超える驚異のタックル成功率です。つまり、簡単にはスコアできない。イメージとしては、20点のラインで争わない限り勝機はないと思います。では、どうするか。最も重要なのは、相手ボールの時間を減らすこと(Possession)、そして敵陣でプレーすること(Territory)の2つになってきます。この2つは全てのゲームで重要な指標ですが、格上を相手に主導権を取るのは容易ではありません。当たり前のことを当たり前にできるのが、本当に強いチームなんです。ジャパンはまず、ここに挑むことになります。

もう1つは、小さくてもいいのでスコアで先行すること。4年前の南ア(ブライトンの奇跡)とは違います。相手は開催国でもあるジャパンをきちんと警戒しています。小さくてもスコアでアドバンテージを取って、相手が追う展開に持っていくのが理想です。そして後半20分頃にまだリードを保っているか、少なくとも均衡状態を守れていれば、その時初めてアイルランドは背中に崖っぷちを見ることになります。

改めて、注目選手は ー
ウィリアム・トゥポウ、そしてトモさんことトンプソン・ルークの2人は大丈夫ですよね。この試合ではもう1人、FBに入った山中亮平を挙げておきたいです。前回の2015年W杯では、開幕直前に代表を外されるという悲運を経験するも、見事に這い上がってきた天才。いや、天才と言ってしまうと本当は失礼なのかもしれません。それだけの時間を積み上げてきた1人なのだと思います。
ダイナミックなランと、距離のあるキック。パスの能力も高いです。一方で、ロースコアの戦いとは"Aggressiveness"だけではないので、この部分をチームの最後尾からどのようにオーガナイズできるかが、明日の生命線になってきます。


また長くなりましたが、明日が待ち遠しくて仕方ないですね。

(*) グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国

Sunday, September 22, 2019

RWC開幕 - ジャパンの展望

RWC 2019 Opening Match
Japan 30-10 Russia (19:45 K.O. @東京スタジアム)

世界を代表する20ヶ国が誇るワールドクラスのトップラガー達が、今日までの4年間で積み重ねてきた全てを懸けて臨む「人類最高の真剣勝負」が幕を開けた。
それが、ワールドカップ。東京で、ジャパンがこの戦いの幕を切って落とす日がこうして訪れたことを、まずは心から祝福し、そしてこの日のために全力を注いでいただいた関係者の方々に感謝したい。
これからの40日間は、間違いなく最高の時間になるはずだ。

さて、肝心のオープニング・ゲーム。少々遅くなったけれど、改めて振り返ってみたい。
キックオフ早々にミスから先制点を許して以降、特に前半は揺らめく流れを掴み切れない展開が終始続いたジャパン。それでも後半は、地力の差を見せてスコアを引き離し、ボーナスポイントも獲得することが出来た。終わってみれば、危なげない勝利だったと言っていいのではないかと思う。正直、不安定だった前半でさえ、foundationalな部分の厚みではジャパン優勢は明らかで、それはグラウンド上の選手達もおそらく同様の感覚だったはずだ。ただ、この試合はW杯のオープニング・マッチだった。当然ながら、この瞬間に4年分の闘志を凝縮させてくるのはジャパンだけではないということだ。

いずれにせよ、勝ち点5を確保しての勝利ということで、まずは好発進という受け止め方が全般的には多いかなと感じている。プレー精度には明らかに課題があったのも事実だけれど、ホーム開催ということもあり、国内のメディア/ファンは総じてポジティブに評価している印象だ。こういう部分も、ホームの利点の1つかなと思う。俺自身は、本音ではもう少し冷静に見ているが、ジャパンがこのゲームで勝ち取った「3つのプラス」について触れておきたい。

まずは、ウィリアム・トゥポウだ。前半早々のキャッチミスには、日本中のファンが天を仰いだことだろう。ただ、最もキツかったのは当然ながらトゥポウ自身だったはずだ。
俺が良かったと心から思っているのは、ジャパンの最初のトライで、松島へのラストパスを繋いだのがトゥポウだったことだ。あれでチームも、そしてトゥポウ自身もきっと救われた。
トゥポウのプレーは、その後もベストコンディションの時の安定を取り戻していたとは言えず、終始どこか揺らぎがあったのは事実だ。それでも彼は、決して潰れてはいけない選手だ。チームとしても、トゥポウにいかに早く切り替えさせるかを考えないといけない。なぜなら、W杯は1人のFBだけで戦い切れるような場所ではないからだ。山中が良くても、場合によっては松島でバックアップできるとしても、トゥポウの価値は変わらない。その意味で、俺はあのラストパスに光明を感じている。

2点目は、ベテランの存在。前半から続く流動的なゲーム展開を落ち着かせ、日本に流れを持ってきたのは、間違いなく2人のベテランだ。トンプソン・ルークと田中史朗。この2人が投入された時、TV画面越しにも「空気の変化」を感じた。プレーの面では、特に田中の投入が大きかったと思う。円熟味を増すゲームコントロールは本当に素晴らしく、1つひとつのプレーの判断も的確だった。

そして最後は、やはりリザーブメンバーの躍動だ。上記の2人以外にも、松田や山中は表情からして違っていた。松田はプレータイムこそ長くはなかったけれど、もしかするとこの試合を機にもう一皮剥けるのではないかと思わせるような迫力を見せていた。どちらかというとオールラウンダーとしての側面が評価されてきたタイプだが、この日の輝きは、強気かつキレのあるランで、これはジャパンにとっては間違いなく好材料だと思う。中島イシレリ、具智元の両PRも、ゲーム展開を左右する重要なシーンで、それも自陣22mライン付近のスクラムからの投入という痺れるタイミングだったけれど、見事に期待に応えたことで、ジャパンの戦いの幅をもう一段厚くすることになった。

ちなみに、松島のPlayer of the Matchは文句なしなのだけれど、俺としては、この日のジャパンを立て直したキーマンは姫野だったと思っている。強気全開。素晴らしいランとキャリーだった。アイツに渡せば必ずボールを前に運んでくれる。その安心感が、どのゲームにも必ずある悪い流れの時間帯では特に重要になってくる。それが自分に与えられたミッションなのだと明確に理解し、その通りの仕事を忠実にやり切ったのがこの日の姫野だった。実際にStatsを見ても姫野の存在感は明らかだ。まあ、もともと大舞台に強いタイプなのは分かっていたけれど、彼は遠くない将来に海外のプロリーグで戦う道を切り開くような気がしないでもない。

さて、次は現時点の世界No.1であるアイルランド。
端的に言えば、ジャパンは戦いやすい状態になったと思う。ロシア戦を見ても分かる通り、基本的に「挑戦者」の方が有利だ。アイルランド戦に関しては、メンタリティの観点でジャパンに守りの要素は一切不要だ。格下相手に充実のパフォーマンスで圧倒した際に、その自信が格上相手への修正を時として阻害することがあるけれど、今はその懸念もないだろう。ロシア戦のジャパンは、納得感のあるパフォーマンスを全然示していないし、そのことは選手自身も同様に考えているはずだ。
その上で、ここから何を修正するか。ハイボール処理に限らず、ミクロな修正箇所は多い。また、インターナショナルレベルの戦いでは対戦相手やレフリーの分析と、それに対するアジャストを相当やるはずだ。でも、結局のところ人間が1週間という短期間にフォーカスできるポイントは、2つか3つが限界だと思う。それで十分だし、今はそう戦うべきだ。

俺だったら、ブレイクダウンをもう一度立て直す。ロシア戦は明らかに集散が遅く、ユニットで戦えていない場面が多かった。特別なプレーよりも、当たり前のプレーをどこまで当たり前にできるか。色々あるにせよ、突き詰めてしまえば、アイルランド戦の勝機はこの点にかかってくるだろう。誰が出ても、すべきことは変わらない。

あとは、今日のアイルランドvsスコットランドを見てから考えよう。

Thursday, September 19, 2019

Rugby World Cup 2019 私的プレビュー








世界で3番目に大きく、世界で最も人間を興奮させるスポーツの祭典が、明日開幕します。
それも、この日本でー。
ラグビーW杯2019は、今日の時点で(ジャンルを問わず)人類が表現できる最高レベルのパフォーマンスの競演なので、人間という生物の奥底を知りたいのであれば、必ず見ることをお勧めします。そんな訳で、残り24時間を切ったオープニングに向けて、独断と偏見も織り交ぜながらプライベート・プレビューを皆様にお届けしようかなと。

そもそもジャパンとは ー
ラグビー日本代表は、1930年に初めて結成されて以来、90年近い歴史と伝統を持つチームです。"Brave Blossoms (勇敢なる桜の戦士) "という愛称でも親しまれていますが、大半のラグビーファンは「ジャパン」と呼んでいます。最新の世界ランキングは10位。31人のメンバーで構成されていて、うち15人が外国出身選手です。このことは後ほど触れます。

世界のラグビー、そして日本の立ち位置 ー
ラグビーで世界的に有名なのは、やはりAll Blacks (ABs)。ニュージーランド代表チームの愛称で、「人類最強」と言われています。このNZに加えて、オーストラリア(ワラビース)、前回2015年大会で日本が大金星を挙げた南アフリカ(スプリングボクス)を加えた南半球3ヶ国は、圧巻の強さを誇ります。更にラグビー発祥国でもあるイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドに大陸の王者フランスを加えた北半球5ヶ国も、依然として世界のラグビーをリードする存在として君臨しています。

ラグビー界ではこの8ヶ国が"Tier1"と呼ばれていて、日本を含む"Tier2 Nations"とは別格の存在という状況がずっと続いています。極論すれば、ラグビーユニオン創設以降の100年とは、Tier1の100年だったと言っても過言ではありません。

今回のW杯では、ジャパンの予選リーグ突破(ベスト8進出)に期待が集まっていますが、言い換えれば"Tier1 Era"への挑戦ということもできます。 メディアの煽りを横目に断言しますが、この戦いはそんなに甘くありません。それでも、予選リーグ同組のアイルランド(世界1位)スコットランド(7位)に真っ向勝負する実力をつけてきたのが、今のジャパンです。「ジャイアント・キリング」ではなく、がっぷり四つで。このマインドで世界と勝負することになります。

ラグビー憲章。その中でも"Respect"と、その象徴としての多様性 ー
World Rugby(国際ラグビーを統括する協会組織)は、ラグビーに携わる全ての人間が根幹に持つ5つの原則を「ラグビー憲章」として発表しています。非常にラグビーらしい部分で、私たちは「ただ勝利のためだけに」プレーする訳ではありません。また、この5原則は実際のプレーに関することに留まらず、競技全体を通底する価値観として、ナショナルレベルから草の根レベルまで、本当に多くのチームに幅広く共有されています。

この中の1つに「尊重 (Respect)」が挙げられていますが、これを象徴するのが、実は外国出身選手の存在です。ラグビーでは、国代表への選出基準として、①出生地が当該国である、②両親または祖父母の1人が当該国生まれ、③本人が3年以上続けて当該国に居住、という3つのうち1つを満たせば、国籍を問わず国代表としてのプレー資格を得られます。つまり、国籍主義ではないんです。同じ思いを持って戦う人間は、国籍を問わず仲間として認めるということです。

今回のジャパンには、上記の通り15人の外国出身選手がいますが、これは日本に限った話でもなく、海外の主要国においても一定数の外国出身選手が存在するのが実情です。ラグビーW杯の時期になると、デジャブのように外国出身選手のことが話題にされることに私自身は正直辟易していますが、「誰であれ、人間として対等に扱う」というフェアネスとオープンなスタンスが、他者への尊重へと繋がっていきます。ちなみに、これは有名な話ですが、ラグビー日本代表では国歌の練習も(外国出身選手の1人で、主将でもあるリーチ・マイケルの主導のもと)行っていますし、さざれ石の見学もしています。
全ては、心を1つにするために。

で、肝心の見どころは ー
全てです。一瞬たりとも見所でない瞬間はありません。

それでもあえて、1つ挙げるならば ー
特にテレビで見られる方は、選手の表情に注目してください。特に後半20分あたりですね。
上記の通り、予選リーグも強豪との対戦が続きます。このレベルで、楽に勝てるような試合など1つもありません。でも、本当に勝負できるチームは、苦しい時の表情だったり選手間のコミュニケーションに明らかな違いがあります。矛盾するような言い方ですが、予想された苦境やしんどい状況を"エンジョイ"できる人間の数が、ぎりぎりの勝負を左右します。

注目選手は、トンプソン・ルーク(LO)ですかね。トモさんの愛称で親しまれているNZ出身の38歳。今大会を最後に引退を表明していますが、開幕戦のロシア戦(9/20)もベンチ入りしています。
ここから先は、飲みながら話すと2時間コースになりますが、彼のプレーに幾度となく涙腺を緩ませたラグビーファンは相当数に上ります。Tier1レベルの強豪を相手に、実況アナウンサーが何度も「またもトンプソン!」なんて言っていたら、その試合には勝機があります。

ズバリ優勝予想は ー
ABsです。2011/2015と連覇を成し遂げ、今大会で史上初の3連覇を狙っています。
人類最強と目される彼らですが、実はつい最近、2009年11月から10年近く守ってきた世界ランキング1位の座を明け渡しています。盤石の布陣かというと、必ずしもそうとは言い切れません。こうした背景もあって、ジャーナリストの中にもABsの3連覇は難しいだろうという向きが少なくありません。そもそも連覇自体が極めて難しく、世界中の強豪から徹底的に分析・対策されるABsにとっては黄信号だろうと。

でも、私の見方は逆です。彼らは世界No.1から落ちたことで、不必要なプレッシャーから解放され、それでも決して枯れることのない程よいプライドと、圧倒的な危機感を手に入れた。ABsも人間なので、心で動き、心に動かされます。

単に誰かに「植えつけられた」危機感でなく、本当の崖っぷちに立つことになった世界最強集団が、どのようなパフォーマンスを見せてくれるのか。今から楽しみでなりません。

まずは、明日の開幕戦からですね。

Wednesday, August 07, 2019

Jargon

ここ最近、仕事をしていて知識のアップデートが必要なことが非常に多い。
これはIT業界の常でもあって、今に始まったことではないのだけれど、Red Hat買収のアナウンスメントに前後して、明らかに環境が変化してきているのを感じる。環境というのは、業界全体としてのテクノロジートレンドも当然だけれど、そうした中での自分自身の立ち位置であったり、役割やミッションであったり、つまりは"my business"のことだ。

端的に、かなり面白い流れになりつつあると思っている。
毎日のように知らないことに出会うからだ。
こんなことをblogに書いてしまうと怒られそうだが、ビジネス・マネジメントばかりに躍起になっている場合じゃない。幸いにも社内外で素晴らしいアーキテクト/エンジニアの方々と一緒に仕事をする機会に恵まれているのだから、徹底的にのめり込まないと勿体ない。IBMは明らかに変わろうとしていて、それが戦略的に上手く行くかどうかは正直分からないが、会社が変革するから自分が変わる訳じゃない。新たなテクノロジーやソリューションに対して、そのReadinessが確定してから行動するのではなくて、自分で確かめるアプローチをどこまで志向できるかで、今後、自分自身が出来ること、あるいは組織の中で果たして行けることは大きく変わってくるような気がしている。

ところで、IT業界にはジャーゴン、あるいはバズワードがつきものだ。
最近だとSOAとマイクロサービスは何が違うのかとか、多大な投資を行って整備してきたSOAPのバックエンド連携をAPI化することに必然性はあるのかとか、疎結合化/共通コンポーネント化など10年以上前から言われていることだとか、データレイクと称してステージングレイヤーに大量のデータを重複保持させて、エンタープライズレベルでのデータ・プラットフォームは本当に最適化の方向に向かっているのかとか、まあそういう類の話が社内外で常に話題に挙がってくる。とにかく日々キャッチーなコンセプトが登場し、それは本当に新しいのかという懐疑論が差し挟まれ、モノによっては「2年後には用語自体が消えているだろう」という冷めた見方が広がり、一方でそれなりにコンセプトが浸透してくると5年前の類似コンセプトを引きながら「要するに」で語れるポイントだけを頭に叩き込むような、そういう流れを辿ったITトレンドは枚挙に遑がない。

でも思うのは、そういう玉石混淆のITトレンドの"Why"には、自分自身の思考をアップデートする上で結構なヒントがあるということだ。バズワードだったとしても、バズワードが求められたテクニカルな背景はあるものだ。それを自分で調べてみて、アーキテクトに聞いてみる。このプロセスが本当に面白く、そしてこのプロセスは結果として、ITに関する知識の習得だけではなく、コアの思考力そのものに繋がっていくような気がしている。更に面白いのが、コードを書いたことのない人間であっても、ITインフラを構築したことのない人間であっても、やはりその視点からの「思考の余地」が必ずあることだ。

そんな訳で、IT業界の営業というのも、やっぱり相応に面白い。
時にITゼネコンと揶揄されるような会社だったとしても。
まあでも、エンジニアはもっと面白そうだという潜在意識は、常に消し去れないね。

Saturday, August 03, 2019

勝手に事業部通信 Vol.12(8/2/19)

「誰も興味なさそうな曲を今日も爆音で流すわ」
ー チャラン・ポ・ランタン『最高』(アルバム『ドロン・ド・ロンド』収録)

初めてチャラン・ポ・ランタンの曲を聴いたのは、ほんの2ヶ月ほど前のことです。子どもが通っている小学校のチャリティーコンサート。小さな体育館でのライブという、ある意味で特別感に包まれた感じで。
素晴らしく伸びやかな歌声の妹/ももと、アコーディオン弾きの姉/小春による姉妹ユニットで、非常に独特な世界観で幅広く活動されている、ということも2ヶ月前までは全く知りませんでした。
皆さんは、聴いたことがありますか。

ライブなので合間にMCがあるのですが、なかなか激しい幼少期だったそうで、子ども達に冗談めかして話してくれた自分たちの小学生時代の思い出が、まあワイルドなんです。特にアコーディオンを担当する姉の小春さんは、子どもの頃はとにかく「先に足が出るタイプ」で、学校の友達を毎日のように蹴り飛ばして、学校の先生たちにも悪態ばかりついていたそうです。当時、小春さんの最初の担任だったのが今の校長先生なのですが、カガセン(香川先生)の愛称で誰からも愛されているような優しい先生で、小春さんも言ってました。「カガセン、正直大変だったでしょ」って(笑)。

ただ、彼女には救いがありました。
小学校1年生の頃、親に連れられて見に行ったサーカスで初めて目にした蛇腹の楽器に魅了された小春さんは、お母さんにお願いしたそうです。「あの楽器が欲しい」って。
そして、その年のクリスマス。憧れのアコーディオンは、本当に彼女の元に届きます。
「7歳のクリスマスにサンタさんが(アコーディオンを)届けてくれて、その日から今日まで、本当に毎日弾いてます。」
トークタイムにそう語っていたのが、ものすごく印象的でした。本当に好きなことに、心の向くまま思い切り没頭する時間というのは、きっと自分を安心して解放できる大切なひとときでもあったんですね。
ちなみに、7歳のクリスマスから1日も欠かさず弾き続けた日々が奏でるアコーディオンの音色は、もう本当に素晴らしいものでした。

とはいえ、荒れまくって友達を蹴り飛ばしていた少女がアコーディオンに救われたとして、「それって美談なのか」という声も聞こえてきそうです。当時蹴られた友達にしてみれば、迷惑でしかなかったはずでしょ、と。心の葛藤を誰彼構わずぶつけた日々を受け入れてくれた学校や家庭があって、彼女は初めて生かされたのかもしれないけれど、1人の個性のために「周囲の我慢」を前提とするような考え方には、違和感を持つ人も少なくないと思います。

これに対して、興味深いアプローチをされている先生がいます。
木村泰子さん。いわゆるインクルーシブ教育を掲げる大阪市立大空小学校の初代校長先生です。
大空小学校の取り組みには非常に心を打たれるものが多々あるのですが、例えば教室の中でじっとしていられず、机をガタガタと揺らして騒ぐ子どもがいたとして、その子は何かに困っているからガタガタと机を揺らすのだと、木村さんは考えるそうです。周囲の子にとっては授業の邪魔だからと排除するのではなく、その子の「困りごと」をどうすれば取り除いてあげられるかを考える。
更には、そうして友達の困りごとに想像力を働かせるという行為こそが、周囲の子ども達を成長させるのだと、木村さんは言います。ワガママでも身勝手でもなくて、困ってるんだよと。その困りごとの背景は、時に本人も自覚していなかったり、学校以外の社会や家庭にrootがあったりして、周囲の人間には理解しづらいからこそ、想像力が大切なんだよと。

そんな学校で育った子ども達は、その子のガタガタが始まると、皆がさっと机を離して距離を取るんだそうです。それに対して、木村先生が「そんなふうにして距離を取ってその子から離れたら、かわいそうじゃないの?」と問いかけると、子ども達は即座にこう切り返してきたといいます。
「先生、全然分かってないな。アイツ、困ってんねん。困って暴れてモノ投げて、それが俺らに当たって誰かが怪我でもしたら、アイツ、余計に困るやろ。だから、離れてやらなあかんねん。」


なんか仕事と全く関係ない話になってしまいましたが、最近そんなことばかり考えています。
優しさというのは、結局何なのかなとか。好きなことに思い切りチャレンジして、自分の意思を全力で表現するのがワガママだとしたら、ワガママのない社会って面白いのかなとか。
もう2019年も8月に入って、いよいよ本格的に夏休みシーズンですが、心身はゆっくり休めながら、個人的にはこのあたりが夏休みの宿題になりそうです。会社組織であっても、やっぱり優しさがベースにあってほしいなと思いますしね。

Thursday, July 25, 2019

Challenge

「みんな笑ってるけど、普段の練習ではそこまでやってないだけやで」
周囲で見学していたメンバーから失笑が漏れた瞬間、大西さんが発した言葉の中に、東大ラグビー部が本当の意味で気づかなければいけない本質的な課題の1つが凝縮されていた。そして、俺自身も痛感させられた。このチームにヘッドコーチとして携わることの意味を、あの一言で改めて突きつけられたのだと。

俺が社会人ラグビーで挑戦していた頃のヘッドコーチだった大西一平さん。
この日は朝から駒場まで足を運んでくれて、一通りチームの練習が終わった後で、いくつかの練習をセッション形式で行っていただいたのだけれど、その1つがセッター/ランナーのコンビネーションでDFを突破する練習だった。といっても構成自体は極めてシンプルで、ボールキャリアーが2人のDFプレーヤーの間のスペースに接近する。相手がゲートを埋めてきた瞬間、接近した状況の中でペネトレーターにパスを放る。要するに、オーソドックスな接近プレーのベーシックだ。パスで抜くには接近する。その際の接近の仕方や間合いの取り方には色々なスタイルはあるにせよ、「DFラインにどこまで接近できるか」がラインブレイクの成否を分けるのは、時代を問わず変わらない。そして、接近を単純なクラッシュにせず、接近しながらも判断とプレーオプションをキープする。これが鉄則だ。

大西さんの指示の下、このシンプルなドリルを実際にやってみる。4つのDFユニットを用意して、1つずつ連続で破っていくのだけれど、パスが1つも繋がらない。キャッチミスの前に、パスがランナーに渡らないシーンが続く。その時、周囲からそれとなく漏れた失笑を、大西さんは決して見逃すことなく、メンバーのマインドを本質に引き戻した。

あの瞬間、選手たちは何を感じただろうか。その時の自分の心の動きを正確に再現して、振り返ってみることは、きっと大きな意義があるはずだ。なぜなら、多くの場合、目に見える形で具体的に表現される人間の言動の奥底には、もっと繊細な心の働きや揺れ動きがあり、そういう自分自身の心の反応に自覚的でない限り、本当の意味で自分を変えていくのは難しいからだ。

シチュエーション自体には、伏線になる要素が複数存在していたのも事実だ。
例えば、計画外の練習だった。あるいは、多少なりともコンタクトの側面が入ってくることを事前に聞かされていなかった。 こういう部分は、往々にして心の動きを左右する。思わぬ瞬間に、突かれたくない部分を見逃さない鋭い言葉が飛んできて、ハッとした瞬間、心が揺れる。「いや、聞いてなかったんですけど」みたいな、例えばそういう感じで。あの時、グラウンドでそう感じていた選手がいたかどうかは分からないが、一般論として、こういう心の反応というのは、はっきり言ってしまえばどこにでもある。でも、そういう「自分に対する小さな言い訳」に対して自覚的であろうと努める人間は、極めて少ない。人間というのは、それほど強い生き物ではないからだ。

本当の意味でラグビーというゲームに必要なスキルを獲得するために、必要なチャレンジとは何なのか。今やっている練習は、練習のための練習になっていないか。今できることをベースに考えるのではなく、すべきことをベースに構成できているか。よくラグビーの世界で言われる「チャレンジした結果としてのミス」を重ねていると胸を張って言い切れるだけのチャレンジを、日々の練習の中で続けられているか。

そういう本質的な問いかけが、あの言葉だったのだと、俺は捉えている。そして 、同時にそれは俺自身に与えられた宿題でもある。本気のチャレンジに魅力を感じて駒場のグラウンドに足を運び続けているという意味では、選手/スタッフだけでなく、俺自身も同じだからだ。そのことを決して忘れずに、自戒の念を込めて。

でも、すべきことは変わらない。突き進むだけだ。

Friday, May 24, 2019

勝手に事業部通信 Vol.11 (5/24/19)

You are not the code you write.
(あなたが書いたコードへの批判は、あなた自身への批判ではない。)
ー プログラマーの格言

先日、ラインマネージャー研修で3時間ほどの講義と簡単なワークショップに参加してきました。
"Positive Leadership Edge"というコースで、リーダーシップ自体はコア・コンピテンシーの1つだと思うのですが、リーダーシップを具体的なアクションに落とし込む上で必要とされる指針やマインドセット、コミュニケーションにおいて意識すべき基本的なポイントなどをざっと流していくもので、率直な感想としては、比較的面白い研修でした。

この3時間のコンテンツの中で、色々なキーワードが紹介されていたのですが、その中に"5 Positive, 1 Negative"というのがあったんです。要するに、組織運営においては時に厳しいメッセージも必要であり、5:1程度のバランスでネガティブにも触れるのがリーダーシップの要諦だということですね。この研修に参加されていた複数のラインの方が「このように分かりやすく『理想のメッセージ比率』をガイドされたことはなく、非常に参考になった」といったコメントをされていました。

でも、私としては、心に多少の引っ掛かりがあるんです。
というのも、この言葉を聞いた直後の1st Impressionが頭から離れないんですよね。
"1 Negative"って、本当に必要なのか。別に"Full Positive"でいいんじゃないかなと。

人はそれぞれバックグラウンドも価値観も違うので、チームで仕事をしていれば様々なギャップが生じるもので、それ自体は自然なことだと思います。そして、単純に依拠する価値観の違いによって生じるギャップで、それ自体に優劣など存在しないといった類のものもあれば、スキルや経験の蓄積によって生じるギャップで、ある程度まで補正するのが正しいケースもあると思います。

例えば、私が大学ラグビー部のコーチをする時に、選手たち自身の胸の内に、チャレンジしてみたい戦略や戦術なんかがある程度まで浮かんでいるとします。やってみたいという思い自体を「正しいか、否か」という視点で批評することなどできないので、私が語りかける言葉は「うん、やってみようか」しかありません。プレーするのは、選手たち自身ですから。でも、やりたいことに対して、実際にやっていることや、あるいは選手が取っているアプローチが明らかに乖離してしまっていると感じれば、修正をかけていく。明らかに間違ったプレーというのも、確かに存在しますからね。

ただ、これを"Negative"にする必要はあるのでしょうか。
ライン/非ラインなど関係なく、仕事をしていて生じるギャップへの向き合い方として、あるいはチーム・ビルディングというプロセスにおいて、ネガティブを全部まとめてポジティブに変換できないものでしょうか。子どもにオセロを教える時に、取られてしまった黒石のことではなく、どこに白石を置いてあげれば色が反転するかを伝えるのと同じように。

いつもラグビーの話になってしまって、自分の抽斗の少なさに我ながら呆れてしまうのですが、ラグビーのコーチングにおいては、ボールをよく落とす特定の選手に対して「落とすな」とも「ボールを落としすぎだ」とも言いません。少なくとも、私は言わないようにしています。理由は単純で、本人が一番分かっているからです。(チーム全体に対しては、ムードを引き締めるために伝えることはあります。)
そうではなくて、「ハンズアップして構えておくと、キャッチ率が上がるよ」に変えていく。あるいは「ランニングはいいから、あれが取れるようになると相手には脅威だね」にしていくんです。
私の中では勝手に「可能性トーク」と命名しているのですが、要するに「今、目の前にある課題」をそのまま語るのではなく、「それがちょっとでもプラスに改善した時に見えてくるはずの明日」を語るようにしたいなと。まあ、こんなふうに書いておきながら、実際の自分はそうやって生きられない瞬間の連続だったりもして、いつになったら人として成熟できるのかなあと途方に暮れる毎日ですけど。

チームで活動していて、お互いが本気になれば、厳しい指摘が飛んできたり、時に激しいぶつかり合いになったりというのも普通のことです。馴れ合いで仕事するのはプロフェッショナルではないと思います。でも、一通り厳しさと本音の衝突があった次の瞬間に、オセロの黒石を反転させるような言葉が自然と続いていくような組織の方が、やっぱりいいんじゃないかなという気がします。なにより、その方が心地よいですしね。

大型連休で溜まっていた業務の波が押し寄せてきて、誰もが疲労を溜め込んでいる頃かなと思いますが、週末はゆっくりリフレッシュして、この1週間に生じたあらゆるコミュニケーションを振り返りながら、本当は打てたかもしれない「起死回生の一手」を探してみるのも面白いかな、なんて個人的には考えています。良い一手には、たった1つの石だけで盤面を埋めていた黒石を一気に白くしてしまうパワーがある訳ですから。

残念ながら、オセロの名手には到底なれませんけど。

Friday, April 05, 2019

勝手に事業部通信 Vol.10 (4/5/19)

早く着きたいなら1人で行きなさい。遠くまで行きたいなら、みんなで行きなさい。
ー アフリカの諺

慌ただしかった1Qもあっという間に終わり、もう4月。新元号も発表されて、日本全体がフレッシュな心で新たな日常へと向かっていく中で、もはやタイムリーな話ではないのですが、遡ること2週間ほど前の3月下旬、6歳になるうちの子が幼稚園を卒園したんです。もちろん休暇を取って卒園式に参加したのですが、なかなか楽しい幼稚園で、子ども達からの歌の発表があったり、保護者と先生方で一緒に作り上げた劇があったりとコンテンツの充実度は驚きのレベルでした。
ただ、個人的に心に沁みたのは、式次第を一通り終えて、子ども達が自分の教室に戻ってから、担任の先生がプレゼントしてくれた「最後の読み聞かせ」だったんですよね。
『そらのいろって』(ピーター・レイノルズ作画、なかがわちひろ訳)という絵本、皆さんはご存知ですか。クラスのみんなで図書館の壁に絵を描くことになって、どうしても「空を描きたい」と思ったマリソルが絵の具箱を見ると、青がなかったというお話です。

良質の絵本を教訓で読んでしまったら本当につまらないのですが、空の色はもっと自由に見てもいいんだよ、というのが当然ながらよく語られるメッセージで。
でも、本当にいいなと思うのは、その後なんですよね。
「マリソルは絵の具を筆でかきまぜて、全く新しい色を作った。」という一節が、もう本当に堪らない。思わず感じ入ってしまった私は、「いつか書かなければ」と勝手に思っていました。

自由に考えよう。固定観念に囚われず、大胆に発想しよう。
どことなく閉塞感がないとも言えない時代にあって、テクノロジーに求められるものも堅牢性と信頼性から変革/改革 (Disruption / Transformation) へとシフトする中で、こういうメッセージが声高に語られることが増えてきています。IBMらしい言葉だと、"Think Big, Think Bold" といった感じですよね。

でも、自由に考えればいいと言われても、どこから考えればいいか分からない。固定観念を捨てようと言われても、どこまでが固定観念でどこから社会常識なのか、実は自分自身でもよく分かっていない。
それが人間だったりするんじゃないかと思うこと、ないでしょうか。斬新なアイデアとか、誰も思いつかなかったようなコンセプトとか、そんなの近くに転がってないよって。
もっと身近なところでも、日常の営業活動や1つひとつのご提案、Account Planningのような場面を思い返してみても、「自由な発想で」なんて言われることの方がむしろ重荷だったりすることも、あったりなかったりで。

なんて、どのみち行き場のない思いだと分かっていながら、とりとめもなくそんなことを考えている金曜日の夜に、もしかするとあの絵本はヒントをくれるのかなと思ったりもするんです。
新しい色を作るには、かきまぜてみるのがいいのかなと。
自分の色は変わってなくても、出来上がりの色は新しい色になっている訳ですから。
1人で考えていたら、誰にブレーキを踏まれることもなくどこか自由なように感じるけれど、本当は他者の意見や性格、こだわりや執着のような一見すると「制約」に見えてしまうものをブレンドした方が、アウトプットはむしろ自由なのかなと。

これだけ多様なメンバーが揃ったチームなので、週明けからもまた続いていく日常業務の至る場面で「混ざる機会」は溢れているのだと思います。そう言いながら、私自身さほど社交的でもなくて、無駄に気を使って声をかけられないとかも(一応)あったりで、何かを大上段から言える訳でも、言うつもりもないのですが、いつもよりもう一歩だけ、自分から混ざってみたり、小さな瞬間にメールではなくて電話で声のやり取りをしたり、そんなところからも「チーム全体の発想力」は少しずつ変わっていくのかもしれないですよね。

4月。新たな仲間として、新入社員の内田さんも事業部メンバーに加わってくれたので、皆でやり取りをして、混ざっていけるといいかなと思います。
絵の具箱に今までなかった色が、1つ増えたのですから。

Saturday, February 09, 2019

勝手に事業部通信 Vol.9 (2/9/19)

成功は必ずしも約束されていないが、成長は必ず約束されている。
ー アルベルト・ザッケローニ(サッカー監督、1953-)

「そういえば、ブロックチェーンって最近あまり聞かないね。」
日頃からビジネスの現場でお客様と向き合って次世代のITを提案し続けている私たちでさえ、ふとそんな雑感を抱くことはあるのではないでしょうか。
私自身はデジタル部という立場上、ブロックチェーン関連の案件であったり、あるいは案件のタネのようなものに今でも複数携わっていますが、革命的なテクノロジーとしてIT業界全体が一斉に乗り出したブロックチェーンが、リアルなお客様の業務変革へと繋がった事例となると、今もって殆ど思い当たらないという人が大半ではないかと思います。
Cognitive/AIも、残念ながらこれと同じような構造に陥っている印象は否めないのかもしれません。「新たなユースケース、あるんですか」といった呟き声が、どこからか聞こえてきそうです。

でも一方で、エストニアのような事例もあります。
バルト三国の1つで、人口わずか134万人という北欧の小国ですが、世界で最もブロックチェーン・フレンドリーな国家としてその名を轟かせているIT先進国でもあります。

エストニアといえば電子政府(e-Goverment, e-Estonia)が有名で、行政サービスの実に99%が24/365で稼働するオンラインシステムで完結するといいます。
(ちなみにオンラインで処理できない手続きは結婚/離婚/不動産売却の3つのみで、これらに対応していない理由は「人生の一大事を早まってはいけないから」とのこと。人間的ですよね。)
これを可能にする仕組みの1つが国民IDです。すべての国民に11桁のID番号が付与され、このIDをキーとしてあらゆる行政サービス、更には民間サービスも繋がっていくのですが、エストニアでは赤ちゃんが産まれると病院がオンラインシステムで国民登録手続きを申請し、生後10分でその子に紐づくID番号が生成されます。そして、この国民IDをベースにしながら、様々な官民の分散データベースをセキュアに連携させるプラットフォームとして開発された"X-Road"を導入することで、出生に限らず選挙から納税に至るまでのあらゆる手続き、あるいは学校でのテスト記録やあらゆる医療情報の参照、更には民間銀行のオンラインバンキングとの連携まで、この国民IDのみで可能な世界が実現されています。

ここまで来ると、今度は情報セキュリティが気になりますよね。国民IDに紐づけられたあらゆるパーソナルデータは、本当にセキュアに管理されるのかと。ここで登場するのが2007年に設立されたGuardtime社という民間企業が開発した「KSI (Keyless Signature Infrastructure)ブロックチェーン」と呼ばれるテクノロジーです。実はエストニアは、2007年に大規模なサイバーアタックを浴びて多くのサービスが機能不全に陥ったことがあり、これを契機としてKSIが導入されると共に、国家レベルでのブロックチェーン採用の動きが加速していくんです。

エストニアの話は非常に面白くて、詳しくはここ最近読んだ久々のお勧め本『ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけたつまらなくない未来』(小島健志 著、孫泰蔵 監修、 ダイヤモンド社)を読んでみてほしいのですが、要するに、「もう未来ではなくなっている場所」も実際に存在するんです。

「ブロックチェーンもAIも、まだどこまで行っても眉唾だ」というのも、1つのポジショニングではあると思います。もっと言ってしまえば、こういう先進テクロノジーに限らずとも、IBMとして実績の裏付けが十分に蓄積されていない最新ソリューションやミドルウェア、最近ではAWSやOpenShift、Containarizationからマイクロサービスに至るまで、先端技術と呼ばれるものの多くが、どこか同じようなコンテクストのもとで、多少斜めに見られることも少なくないですよね。そして、そういう冷静かつリアリスティックな視座というのは、私たちにとって間違いなく必要なものでもあると思います。バズワードに踊るのは、お客様をバスワードで踊らせてしまうことでもありますので。

でも、BAUから解放されてリラックスできる週末の昼下がりなどは、そういうクールな視点を一旦頭の片隅に追いやって、例えばビル・ゲイツのこんな言葉に耳を傾けてみてもいいのかもしれません。
「人類史上の進歩のほとんどは、不可能を受け入れなかった人々によって達成された」

ザックが成長を約束している人間というのは、どういう人だと思いますか。
そう問われることがあれば、私なら迷わずこう答えます。
不可能を受け入れないという選択から目を逸らさなかった人なのかもしれないですね、と。

でも本当は、そこまで大袈裟な話でなくても、新しいチャレンジに向き合って、結果的に成功ばかりではなかったり、トラブルに苦しんだりすることも少なかったりしたとして、そこから目を背けないというだけで、きっと成長は約束されているような気がします。
そして、苦しみの渦中にいる人にとって「成長の約束」だけで心が洗われる訳でもないのかもしれないけれど、それでもきっと未来には繋がっていると思います。

Monday, December 31, 2018

勝手に事業部通信 Vol.8 (12/31/18)

「人はね 向かい合ってる人からは本当は身につくものは学べないのよ 本当に教えたいなら うしろから」 ー 末次由紀『ちはやふる (40) 』(講談社 BE LOVE KC)

最近、スポーツの世界では選手の自主性を重視した効率的な練習運営がフォーカスされているのをご存知でしょうか。

例えば、静岡聖光学院ラグビー部。1日60分の練習を週3回しかできない制約条件のもとで花園(全国高校ラグビー)への切符を勝ち取ると、12/28に行われた1回戦も突破して話題を集めています。彼らのアプローチは、徹底的な密度の追求。すべきことだけにフォーカスして、不要なものを削ぎ落としていくことによって、60分を凝縮させていくんです。

あるいは、帝京大学ラグビー部も近年非常に注目されているチームです。今シーズンは3年ぶりに公式戦での黒星を喫しましたが、未踏の大学選手権V10に向けて着々とチームを進化させています。
チームを率いる岩出雅之監督のアプローチは、楽しさへのこだわりと、上下関係を再構築したフラットな組織運営の2つです。新入部員として初めて入寮した1年生をあらゆる雑用から解放し、4年生に雑用を担ってもらうのと併せて、練習の合間には3人トークというスモールミーティングを学年縦割りで頻繁に行って、相互理解を深めていきます。
もちろん、こうした分かりやすいカルチャー変革だけが常勝軍団を作った訳ではないですが、チームの躍進を支える大きな原動力となっていたのは間違いありません。

いわゆる体育会的な上意下達モードの硬直的組織から、新たな世代の選手たちにフィットした柔軟な組織へ。誰かに与えられた課題を精神論でこなすだけのチームから、自分たちで主体的に考える選手を育てるためにコーチが支え、見守るチームへ。
こうした流れは、ラグビーに限らず多くのスポーツで注目されていて、実際に各レベルのトップチームが明確な成果を挙げてきています。箱根駅伝で有名な青山学院大の陸上競技部なども、その1つですね。

とはいえ、体育会的なものが全否定されている訳でもありません。理由は単純で、効率的に成長しても、成長の量が足りなければ結局勝てないからです。
結果へのコミットや勝利への徹底的なこだわりは、単に「心地よい組織」だと決して持ち得ないもので、そして、勝利する者たちは唯一つの例外もなく、勝利に対して徹底的にこだわっています。

でも、間違いなく言えるのは「『部活』ではもう勝てない」ということです。自発性が中心になければ、強いチームは生まれない。そしてもう一点、強い個人が集まったチームが必ずしも強いとは限らないというのも興味深いポイントです。組織のフラット化、上意下達からの脱却を通じて、世代を超えたメンバーがOne Teamとなって初めて、トップレベルを生き抜く戦闘集団になります。

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2018年も大晦日を迎えて、今年1年間をゆっくりと振り返っている方も多いことと思いますが、自分自身だけでなくチーム全体、あるいは事業部全体という視点に立つと、やはり思うんです。
「チームで強くなる」という部分で、スポーツの世界で起きていることがヒントになるのではないかと。明日から始まる2019年には、更にレベルアップできることが沢山あるような気がするんです。

IBMは「個の成長」に積極的にコミットしてきた会社だと思います。
研修やe-learningに限らず、メンタリングや各種の社内プログラムも含めて、会社が用意してきたコンテンツの充実度は、おそらく世の大半の企業を凌駕しているのではないでしょうか。
一方で、チームを育てること、あるいは強いチームへと成長させることは、ほぼ現場に一任されてきているように感じます。"IBM Experience"を通じて逞しく生き残ったヤツが集まれば、それこそが強いチームでしょ、みたいな。

本当にそうなんでしょうか。チーム力って、もっと引き上げていけないんでしょうか。
全員が自発性を持っていて、上意下達でない形で「 1人ひとりの思い」がきちんと表現されるような。あるいは、「目標に対するこだわり」と「自分たちがやりがいを感じる仕事に向かう楽しさ」が同居するような。そういうチームって、会社という組織の中にあっても、目指していくための道筋がきっとあるのではないでしょうか。

そんなことを考えながら、1月2日は全国大学ラグビー選手権の準決勝を毎年見ています。
巷に溢れるコンテンツの中で、1月2日に最高の彩りを与えてくれるのは、昔からラグビーと決まっていますので。

いずれにしても、まずは自発性ですよね。
誰かに依存せずに、誰もが自発的に考えて行動することをチーム全体が受け入れていくような風通しの良いチームを、皆で一緒に作りたいですよね。

皆さま、良いお年を。

Tuesday, December 11, 2018

勝手に事業部通信 Vol.7 (12/11/18)

何かをして何も起こらなかった時、飛ぶ可能性は上がっている。
ー 若林正恭(オードリー)『完全版 社会人大学 人見知り学部卒業見込』(角川文庫)

数年前のこと。Sales Learning(営業研修担当)部門が企画して、JMAC(日本能率協会コンサルティング)主催の異業種交流型研修にIBMとして参加していた時期があったそうです。
つい昨日、この企画に携わっていた(私にとっての)大先輩とお会いした際に伺ったエピソードは、非常に興味深く、そして考えさせられるものでした。

この研修は1社5名のチームで、5社合計25名が参加する形式だったそうです。IBMでは、Sales Learningから営業組織のリーダーにノミネーションを依頼して、クロスインダストリーのチーム構成で臨んでいました。
研修の中では複数のワークショップを行うのですが、各社のメンバー5人で行うものもあれば、各社1名ずつ分かれて、5社5名のチームを5つ作って行うアクティビティもあったりと、内容を伺っているだけでも非常に工夫に富んだプログラム構成となっているのがよく分かるのですが、最後にA社からB社へ、B社からC社へ、といった形で、各社チームが他の参加企業向けに具体的な提案を行うのだそうです。

IBMの提案はどうだったか。
この最終提案ワークショップを通じて、IBMメンバーはどのように動いていたのか。
言葉を変えれば、他企業と比較した際のIBM営業チームのカラーが、こういう活動の中で浮き彫りになっていく訳です。私は俄然、興味が湧いてきました。自分たち自身も、同じカルチャーの中で育った同じ営業の仲間ですから。

当時を振り返って、IBMチームはいつも研修の講師陣に褒められていたと、その方は教えてくれました。
「IBMの方は、関連資料の収集や検索に始まって、準備がすごく早いですね。それから、すぐに役割分担をしてパッと作業着手される手際は本当に素晴らしいですね」と。
でも一方で、IBMチームが参加5社の中でNo.1を取ることは、数年間の参加を通じて一度もなかったといいます。常に2番か3番だったと。プレゼンテーションは上手いのに。

「魂が入ってないんだよ」

常にうまくやる。綺麗に、効率的に捌く。でも、心を打たない。残念ながらそれがIBMの姿だったと。今はもう会社を退かれた尊敬すべき先輩のメッセージは、私の胸に突き刺さるものでした。
もし事業部メンバーや、関連チームの皆様の中にこの研修に参加した方がいらっしゃったとしたら、現場に直接関わっていた訳でもない私が、このように勝手に書き連ねることの非礼をお詫びしなければと思っています。でも、どこかに自覚症状があったりするんです。自分自身も含めて、日々に忙殺される中で、こういう傾向にきちんと抗えないでいる部分がどこかあるのかなと。
効率ばかりが優先されて、「知見の横展開」という耳障りの良い謳い文句の下、自ら考え抜くことが疎かになってしまった提案書の行く末を、私たちはよく知っているはずなのに。

本当に追求すべきは、クオリティ。効率よくつまらないものを大量生産するくらいなら、魂の入った1枚を徹底的に考え抜きたいです。たとえそれが、思い切り非効率な形でしか作れなかったとしても。

オードリーの若林さんは、ブレイクしたばかりの頃、プレゼントで「黒ひげ危機一発」をもらったことがあるそうです。(著書を読む限り)さほど社交的でもなかった彼は、自宅で1人、剣を刺していた。でも、黒ひげのおっさんが飛び出しても、1人なので盛り上がらない。しばらく続けていると、ゲームの趣旨が変わってきて「如何に早く黒ひげを飛ばすか」を考えながら、ひたすら剣を刺す若林さん。その瞬間、彼が気づいたのが冒頭の言葉だったそうです。漫才が受けなくて、何度もスタイルを変えて新たな挑戦を繰り返しながら、オードリーは1つ目の樽に必死で剣を刺し続けていたのだと。そうやって穴を1つずつ埋めていって、今の漫才の原型が形成された時、初めて最初のおっさんが飛んだのだと。

キャラクターも性格も、住む世界も違うけれど、同じように生きたいとは思います。
樽があるならば、剣を刺し続けないと。たとえ非効率に見えたとしても。

Thursday, September 27, 2018

勝手に事業部通信 Vol.5 (9/21/18)

「ブルース・リーになる試験はない。」
ー 山田玲司『非属の才能』(光文社新書)

先日、NHKである聾学校を取り扱ったドキュメンタリーを見る機会がありました。
聾学校という存在は当然知っていながら、これまで聾唖の方と接する機会は殆どないまま生きてきた私にとって、実際の聾学校での日常は全てのシーンが驚きの連続でした。
番組の中で描き出されていたのは、耳の不自由な子ども達にとっては「ごくありふれた日常」なのかもしれません。でも、ありふれた日常を安心して生きるためには、居場所が必要なんですよね。
子ども達を教える先生も、彼らと同じように音のない世界を生きてきた人生の先輩。きっと、子ども達にとって必要なのが「居場所」なのだということを、誰よりもよく分かってあげられる先生なのだと思います。
そんな素晴らしい先生に支えられ、「安心して、そこにいていいんだよ」と言ってもらえる場所があることで、子ども達は逞しく成長していきます。もちろん、ドキュメンタリーで映像化されるのは生活のほんの1コマで、映像の外側にある日常に想いを馳せる時に、軽々しく安易な言葉でまとめてしまってはいけないのだと思っていますが・・・。

「もし音が聞こえるようになる薬を神様がくれるとしたら、あなたは飲みたいですか」

子ども達に問いかけられた質問です。興味深いことに、半数の子は「飲みたくない」と答えたそうです。今の自分でいい。今の自分が好きだから、と。
飲みたいと答えた子の言葉も、心に響きます。「自分は音のない世界のことを知っている。だから次は、音のある世界のことも知ってみたい。」

飾り気のない素直な自己肯定。聾唖の子ども達のように、ある意味で明確なハンディキャップを抱えて生きる人にとって、安心して「所属」できることの意味と価値はどれほど大きいだろうと感じずにはいられませんでした。
でも、ふと思うんです。それって聾唖の子ども達だけでなく、誰にとっても言えることなんじゃないかなと。老若男女を問わず、学生/社会人の別を問わず、所属への安心は、自分を生きるための出発点なのかもしれません。

一方で、「非属」という考え方もあります。実はここ最近、個人的にずっと考え続けていることです。(元々属すのは苦手なタイプなので・・・。)
山田玲司さんは有名な漫画家ですが、漫画家の言葉は基本的に面白いものが多いんです。それは多くの場合、「自分たちはマイノリティである」という意識から来ているように感じます。
要するに、同調圧力への抵抗なんですよね。人と同じである必要はないと。誰も分かってくれなくても、自分が本当にやりたいことに忠実に生きればいいんだよと。
才能があるから非属が許されるのではなく、非属そのものが才能を作るのだと、山田さんは言います。より正確には、誰もが持っている自分自身の能力/個性を削り落さないための姿勢こそが非属である、ということかもしれません。

所属と非属。一見すると、相反する概念ですよね。
聾学校という場所に所属することで、小さな瞬間の中に「受け入れられる喜び」を抱きながら日常を過ごす子ども達。
学校なんて同調圧力の塊のような場所であって、その狭い世界で受け入れられるために自分を削る必要はないという漫画家。
2つの全く異なるタイプの心の叫びから、私たちは何を見出していけばいいのかなと、そんなことをこの1ヶ月近くぼんやりと考えています。まあ、考えてどうなる訳でもないんですけど。

でも、本当はこの2つは矛盾しないんだと思うんです。
会社での生活においても、いや、もっと身近に所属する事業部や営業部、更には担当チームといった単位で、まずは所属への安心感があってほしい。
その上で、こういう大きな組織/チームであっても、自分のスタイルを持って、自分らしく仕事ができて、「まあ、あれがあいつのスタンスなんだよな」みたいな小さな居場所があって。
表現を変えると、非属のままで属すことの許される場所。そういうのも悪くないんじゃないかなと、個人的には思うんです。

所属を支えるのは、きっと関心です。
「誰かは見てくれている」というのが、つまりは安心感ですから。

非属を支えるのは、きっと寛容です。
非属な人たちはマイノリティであり、寛容がなければ時に潰れてしまいます。

でも、もう一歩踏み込んでみると、寛容は関心から始まるような気がするんです。自分とは異なる価値観への興味があって初めて、人は寛容になれるのではないかなと。

隣の人の仕事に、関心を。
実はそういう小さな一歩から、何かが変わっていくのかもしれないですよね。

Tuesday, September 25, 2018

勝手に事業部通信 Vol.4 (6/30/18)

「困っているひとがいたら、今、即、助けなさい
ー 森川すいめい『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』(青土社)
 
発端は、1990年9月15日付の朝日新聞(地方版)に掲載された興味深い記事だったそうです。
< 老人の自殺、17年間ゼロ ここが違う徳島・海部町 >
この記事に注目したのが、当時慶應大学大学院修士課程で自殺予防因子の研究をしていた岡檀さん。彼女は実際に海部町を訪れてフィールドワークを行い、海部町の何が違うのか、自分自身の目で調査を始めます。その後、彼女の研究成果は『生き心地の良い町』(講談社)という名著となって世に知られることになり、これに感銘を受けた精神科医の森川すいめいさんが、改めて岡さんの足跡を辿るように海部町へと向かいます。

日本全国の自殺率を市区町村別に見ると、最も自殺率の低い上位10地区のうち、9つは「島」なのだそうです。物理的に海に囲まれた、ある意味では閉じた空間ですよね。
そして、トップ10で唯一の島ではない地域というのが、実は徳島県の海部町なんです。これだけでも、好奇心がくすぐられてたまらない。
森川さんは精神科医として「生きやすさ」ということをずっと考えていたそうです。自殺率の低さがすなわち生きやすさかどうかは分からないけれど、ひとが自殺まで追い込まれない町にはきっと、何かヒントがあるのでは。
こうして始まった学術的にもあまり類例のない自殺希少地域のフィールドワーク。岡さん、森川さんという2人がそこで見たものは、何だったのか。ちょっと興味、沸いてきませんか。

全てをこの場で紹介できないのですが、海部町には興味深い特徴が幾つもあるんです。
例えば、人口の決して多くない小さな町ゆえに、隣近所はほとんど皆が知ったもの同士。噂はすぐに町中に広がります。でも、実は皆が非常に緊密に繋がっているかというとそうではなくて、挨拶程度の間柄が大半なのだそうです。
逆に言えば、誰にでも挨拶はするんです。挨拶程度の緩いつながりが多方面に広がっていて、誰かが何かで困ったときに、どこかには助けてくれる人がいるんです。

海部町の人は、困っている人がいたら、相手がどう思うかを考える前に助けます。大切なのは、自分がどうしたいかなのだと。そして、見返りなど誰も考えていない。「助けっぱなし、助けられっぱなし」なのだそうです。
また、「できることは助ける、できないことは相談する」「困っていることが解決するまでかかわる」という2つの考え方も町中に根付いているといいます。
つまり「それ、私の仕事じゃないんで」という考え方は海部町にはないんですよね。人間関係は「密ではなく疎」なのに、困っているひとは決して放置しないんです。

第2四半期も終わって、週明けから2018年も下半期に突入ですが、ここで一度仕切り直して、組織やチームの形をもう一度考え直してみる時に、海部町には大切なヒントが詰まっているような気が(個人的には)しています。
コミュニケーションのスタイルは人それぞれで、多様な考え方があるのが自然なことなので、一概に正解がある訳ではないのだと思うのですが、例えば、挨拶程度の緩やかなつながりでも、人は孤独感から救われたり、助けられるのだいうことは知っておいても良いのかなと思います。ベタな繋がりじゃなくても、まずは挨拶からでもいいのかもしれないですね。

Monday, September 24, 2018

勝手に事業部通信 Vol.3 (5/26/18)

「ルールに従っとるのがフェアだという人がありますが、そんなもんフェアじゃありません。ルールは人間が作ったものであります。だからそれによって善悪を決めるのはジャスティスのジャストであります。」 ー 大西鐵之祐(元ラグビー日本代表監督/早稲田大学最終講義より)

コンプライアンスなんて、本当につまらない概念だ。
そう思ったことがある人は、実際には少なくないのではないでしょうか。正直に白状すると、私もその1人です。ただ、コンプライアンスを軽視している訳ではありません。私が思うのは、「コンプライアンスを遵守していれば、それで事足りている」という発想のつまらなさです。

ここ最近、巷間を騒がせている日大アメフト部の問題。fbなどを眺めていても、様々な批判や論評、コメントで溢れ返っています。
あまりにもスポーツの原点から乖離した悪質なタックルであり、その後の(タックルをした)当事者による謝罪、また監督・コーチの記者会見に至るまで、どこまでも哀しい顛末に誰もが胸を痛めているように思います。将来を嘱望された若きアスリートをあれほどまでに追い込んでしまう組織。たとえ指示があったとしても、最後の一線で踏み止まることができなかった選手。そして、自らの非を公の場で謝罪した選手さえ守ってあげられない指導陣。今でも競技スポーツの世界に携わっている身としては、この悲しい問題そのものを、これ以上語りたくありません。

ただ、私としては思うんです。ちょっとだけ視点を変えてみると、これと同じような構図は世間の至るところに蔓延しているのではないかと。
誰かの指示があったから、その通りに行動する。そういうルールだから、単純に従う。本当に大切にすべき価値観よりも、空気が優先される。どれもrootは同じですよね。「自分の頭で考えずに、誰かに判断を依存する」という意味で。
国内トップクラスのアメフトのゲームで起きてしまった不幸な事故だったから、世間からの批判を集中砲火のように浴びているだけで、自分自身の日常の小さな瞬間に、同じようなrootが全くないと言い切れる人間が、一体どれほどいるのだろうかと思わずにはいられません。人なんて、究極、そんなに強くないですからね。

往年の日本ラグビー黄金期にあって名将と呼ばれた大西鐵之祐さんは、その著書の中でも語っています。ジャストとフェアは違うと。
本当のフェアネスは、ルールに従うこと(合法性/just)ではない。
たとえ合法であったとしても、人間への尊厳に照らして自ら考え、魂が「No」だと言えば踏み止まる。ルールのような誰かの価値観ではなく、自分の責任と判断で、人間性を常に優先する姿勢こそがフェアネスだというんです。

コンプライアンスを遵守することは、合法性という観点で決して軽視されてはいけないと思います。でも一方で、コンプライアンスを遵守していれば良いというのは、思考の放棄ではないかとも思うんです。
そして、思考を止めてしまった先にあるのは、あの不幸な事件にあるものと相似形なのかもしれないと。
思考と判断は決して止めない。そして、決して誰かに委ねない。(よくアメフトと混同される)ラグビー人の1人として、そんなことを思う毎日です。

Sunday, September 23, 2018

勝手に事業部通信 Vol.2 (5/2/18)

2003年度 Jリーグ2nd Stage 第10節。
ジェフ市原 ○ 2-1 ● ベガルタ仙台 @仙台スタジアム
(得点者/ 仙台: 岩本 輝雄 (55分), 市原: 佐藤 勇人 (60分, 87分))

このシーズンのJ1 2nd Stageは歴史に残る激闘で、最終第15節はWikipediaにも残されているほどなのですが、それに先立っての第10節、ジェフ市原vsベガルタ仙台の試合終了後に、忘れられない名言が生まれていたことを、皆さんはご存知でしょうか。

「2点を取ったのは佐藤でも勇人でもなく、ジェフというチームが挙げたものだ。私はそう考えている。」 ー イビチャ・オシム

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私たちの事業部でも3月末に組織変更があり、4月から新たな体制がスタートしています。
これから日々を積み重ねていく中で、事業部全体としてもそうですが、組織の中でこういうサブチームが次々に生まれてきたら、きっと仕事は楽しいんじゃないかなと個人的には思ったりします。
想像ですが、きっと佐藤選手はチームで然るべき祝福を受けていたと思うんです。「ナイスゴール!お前の決定力がチームを救ったよ」と。個人としてのスキルとパフォーマンスなくして、チームの成長も、成功もないですから。
でも、その上で2点を挙げたのはジェフだとオシムは言うんです。つまり、個人を讃える文化と本物のチームワークは矛盾しないんですよね。

来週からGWが始まりますが、連休中に頭を巡らせてみたい個人的なテーマになりそうです。こういうチームというのは、どうすれば作っていけるのかなと。
結局のところ、事業部のカルチャーであれ、チームの雰囲気であれ、組織の空気を作っていくのはそこにいる個人でしかないので、まずは一個人としての自分を見つめ直してみようと思います。
まあ、半分くらいは今年から携わっているラグビー部のカルチャーをどうやって醸成していけるかな、という問題意識だったりもするのですが・・・。

GWでゆっくり休めそうな人もいれば、業務の都合上カレンダー通りの方もいると思いますので、勝手なことは言えませんが、日々チームで仕事をしている私たちが、一旦日常を離れて「一個人」としてリフレッシュして、普段とはちょっと違う視点で日常を振り返ってみたりして、また改めてチームとしての日常が始まった時に、すっきりした気持ちで「個人が個人を讃えつつ、チームとしてプロセスと成果を共有できる空気」が箱崎の22Fを満たしていたら、やっぱりいいなあと思います。

それでは皆様、良い連休を。

Saturday, September 22, 2018

勝手に事業部通信 Vol.1 (4/10/18)

ふりむくな、ふりむくな、後ろには夢がない。 ー 寺山修司『さらばハイセイコー』より

4月4日、水曜日。
遠くIBM Germanyから来てくれたSalvatore Romeoというイタリア生まれのSMEと一緒に、丸の内のお客様をコールしてきました。
時刻は午前11時。有意義なコールを終えたばかりの、JPタワーの車寄せ。この後、箱崎で予定しているお客様とのワークショップは13時スタート。
まずはランチでも、なんて考えていると、ふと聞かれたんです。「日本に行くなら桜を見てきなよって友達に言われてさ。どこか良い場所あるかな」って。"Sakura"は9,000kmも彼方のドイツでもやはり有名なんですね。

さてと、桜のシーズン。今年は寂しい別れも多くありました。
でも、一方で新たな出会いもあって、もう後ろを振り向くことも、その必要性も、私の中ではなくなっています。
私たちの事業部にも、2人の新入社員が来てくれました。もう覚えてもらえましたか。4/1から、私たちの仲間です。22Fで見かけたら、気軽に声をかけてあげてください。
2人のアドバイザーと共に、私も一緒になって5人で成長していきたいと思っています。一緒に輪に加わってくれる方がいるなら、いつでも大歓迎です。
後ろには夢がないけれど、この5人には前しかありませんので。

そういえば、最近こんなことがありました。
私は今年から大学ラグビーのヘッドコーチをしているのですが、キャプテンを中心とした首脳陣が課していたウェイト・トレーニングの目標値を3月末までに達成できなかった選手が、5人いたんです。
主将は2月にシーズンインした際、「目標に届かなければ、一定期間の練習参加を禁止する」とチームに宣言していました。でも、本当にノルマ未達成の選手が5人も出るとはおそらく考えていなかった。
貴重な戦力を5人失う。本当は一緒にグラウンドに立ってほしい。でも、俺たちは簡単な気持ちでこの宣言をした訳じゃない。深い葛藤が、首脳陣メンバーを苦しめて。
その後、チームはどうなったと思いますか。
あるいは、皆さんならこの状況でどうすべきだと思いますか。

決めたことを安易に撤回すれば、リーダーの言葉は重みを失う。そうかもしれません。
一方で、結果はともかく一生懸命やってきたヤツらだったのだとしたら、過去の宣言にこだわらなくてもいいんじゃないか。当然、そんなアプローチもあるかもしれません。

でも、私としては思うんです。どちらにしても過去のことだと。
5人に改めて伝えるメッセージは、「達成できなかった過去」ではなくて「達成できれば叶うかもしれない明日」なんじゃないかなと。ペナルティを課すにしても、あるいは撤回するにしても。

新入社員の2人とは、「前にあるもの」を共有したいと思います。
事業部の皆さんからも、2人が明日きっと経験することを話してもらえれば嬉しいです。後ろには、夢がありません。

Thursday, October 22, 2015

私的オールブラックス戦プレビュー

昨日久しぶりにblogをアップしたことで、自分だけの淡い記憶としてそっと残しておくつもりだった「私的スコットランド戦プレビュー」にもアクセスが流れていたようだ。結果的には予想と全く異なる展開になってしまい、非常に恥ずかしい限りだが、もう一度やってみることにしよう。南アの視点を想像しながら、「私的オールブラックス戦プレビュー」を。

スタート地点は、スプリングボクスの「今」だ。ゲームプランの出発点は、常に「自分たち」だと思っている。相手から入ってしまった時点で、既に相手の土俵なのだから。

南アのチーム状態は確実に上がってきている。最大の要因はもちろんジャパン戦に違いないのだけれど、ジャパン戦とそれ以降で南アが変えたのは何だろうか。
もちろん、デュプレアだ。SHのスターターにデュプレアが入ることで、ゲーム全体の構成力が格段に高まった。構成力というのは、ゲームプランの遂行能力というよりも、大局的な洞察力と局面での判断力の総和といったイメージで俺としては捉えている。ゲームプランは大切だが、どこまで行ってもプランでしかない。グラウンドにおけるベスト・チョイスは、必ずしもプランと一致しなかったりもする。そういう意味では、やや抽象的な表現になってしまうが、デュプレアがリードすることで、タフ・ファイトの南アに「老獪」という新たな武器が加わった。ウェールズ戦を見ても、チームのデュプレアに対する信頼感が伝わってくる。タイトなディフェンスも戻ってきている。またいつもの妄想で申し訳ないが、俺がコーチだったらミーティングでのメッセージは決まっている。
「ジャパン戦とそれ以降では、もう別のチームだ。あの日以降、君たちは4試合でわずか2トライしか奪われていない。平均失点はわずか10点。誇るべきタイトファイトだ。それでもメディアの誰ひとりとして、日本に敗れたチームが王者に勝つとは思っていないだろう。でも、NZはまだ厳しい試合を1つもしていない。俺たちは負けて失うものはないのに、勝てる流れも、勝つ準備も出来ている。歴史に名を刻めるお前たちがうらやましいよ。」
いやまあ、HCのメイヤーはもっと直球で檄を飛ばすのかもしれないけれど。

こういう流れの時は、自分に立ち返るのが鉄則だ。自分たちがすべきことに、ただ集中する。
南アにとってそれは、相手に恐怖心とフィジカルな痛みを徹底的に植えつけるディフェンスと、デュプレアに対するあくなき信頼ということになるだろう。ゲームメイクなんて、デュプレアに任せてしまえばいい。SOのポラードとのコンビで、この2人がすべてリードしてくれる。あとの13人はただ野獣であればいい。こう書いてしまうと、これほどまでに複雑化したラグビーにおける戦略の重要性を無視した議論だと怒られてしまいそうだが、戦略面での緻密な分析と準備など、当然してくるに決まっている。このレベルの選手たちは、忘れたくても忘れられないほどに、戦略の意味も、個々のプレーに対するアジャストの仕方も、身体が覚えているから大丈夫だ。

とはいえ、本音を言うと、オールブラックスを分析できるほどの蓄積が残念ながら俺の中にないだけだったりもする。そもそも、オールブラックスのゲームも2試合(ジョージア戦、そしてフランス戦)しか観ていないので、イメージも具体的なソースも限られてくる。それでもなんとか考えてみると、NZはどことなく、ブレイクダウンにあまり人を割かないイメージがある。非常に良い意味で、スマートなラグビーだと思う。一方の南アは、アタックもディフェンスも、ブレイクダウンでは思い切り勝負してしまうのがいいんじゃないか。アタックはPick&Goのようなプレーも積極的に織り交ぜながら、「密集近辺」というよりも「密集そのものでの戦い」を執拗に繰り返していくのが効果的ではないかと思う。マイボールでもカウンターラックのように押し込んで、ラックの真上というかど真ん中をピックしていくような。まあ、あくまでイメージだけど。最近では「リサイクルベース」というのがアタックの主流になってきているが、もうそういう言葉はどうでもいい。俺たちは「パンチベース」だと。そういう開き直ったアタックを見せてほしい。ディフェンスも同様で、絡めると思ったら絡みにいこうぜと。アライメントもパンチもどちらも重要だが、悩んだらパンチを優先しようぜと。こういう匙加減でゲームを組んでいくのが、南アにとってはよいのかなという気がする。

書いているうちに、もはやプレビューでも何でもない個人的かつ希望的観測になってきてしまった。
まあでも、それでいいかな。こうして想像を膨らませながら観るラグビーもまた格別だ。

オールブラックスは本当に素晴らしく、圧倒的な強さを持っていると思う。
でも、2011年W杯の決勝だって、誰がもフランスでは歯が立たないと予想していたんだ。
最後にメイヤーに代わって、届くことのないメッセージを勝手に書き残しておこう。
「W杯の歴史にアップセットは存在する。でも、一度も苦しまずに優勝したチームは存在しない。」

Wednesday, October 21, 2015

rugby respects people, people respects rugby.

ちょっと煮え切らないものがあるので、書いてみたい。
オーストラリアvsスコットランド戦における「誤審」のことを。

まずはシンプルに、事実だけを整理してみよう。
34-32でスコットランドがリードしたまま迎えた後半38分。最後までゲームの行方が分からないぎりぎりの状況の中、スコットランドが不遇にもノックオンオフサイドを取られてしまう。結果的にこれがオーストラリアの逆転PGとなって勝負は決したのだけれど、映像による事後検証の結果、オーストラリアの選手が事前にボールに触れていたことが明らかになった。つまり、ファクトベースではミスジャッジだった。スコットランドの選手たちは、笛の直後にグラウンド上でTMOを要求したが、トライに至るような場面ではなかったために、レフリーのジュベールは要求を受け入れなかった。スコットランドにとっては悲劇的だったノーサイドの直後、ジュベールは足早にグラウンドを去り、その姿勢も多くの批判を浴びた。そして最終的に、World Rugbyはジュベールの判断がミスジャッジだったと公式に認める声明を発表した。これが一連の顛末だ。

その上で、俺のポジションも明確にしておきたい。
確かにミスジャッジだった。これは映像が残っている以上、否定しがたい事実だ。でも、あくまでミスジャッジであり、アンフェアなジャッジではなかったと思う。それでも「プアなジャッジだった」という批判はあるかもしれないが、仮にそうだとしても、この日のグラウンドはジュベールに委ねられていた。この事実は変わらない。また、スコットランドのTMO要求を受け入れなかったのも、ルールに即った対応として正当に認められるべきスタンスだと思う。ジュベールにグラウンドで両軍の奮闘を讃えてもらいたかった、というのは俺も多くの人と同じ感覚だ。ただ、World Rugbyの公式声明については、正直に言って、なくてもよかったのかなと思っている。理由はシンプルで、ジュベールはもう既に十分な辱め(制裁)を受けていたと思うからだ。

ラグビージャーナリストの村上晃一さんは、Blogの中で書いている。
http://www.jsports.co.jp/rugby/loverugby/post-2314/

「おそらく、この問題を長引かせないために早めに発表したと思われる。それはレフリーを守る意味も含まれているだろう。(中略)今回の発表は良かったと感じている。間違いは認め、今後のレフリング技術のレベルアップに生かすべきだと思うからだ。」

断言するが、レフリング技術の向上と今回の声明は関係ない。あの声明がなくても、ジュベールは心に消せない傷を負ったんだ。誰も裁定をせず、永遠の闇として白黒がつけられないままにあの瞬間が葬られたとしても、ジュベール自身の心には、「彼にとっての真実」がいつまでも残るはずだ。実際にボールに触れてしまったオーストラリアのSHフィップスが、一切を語らなかったとしても指に残る感触を消すことができないのと同じように。

ジュベールは今後、ノックオンのたびに胸のどこかに疼きを覚えることになるのかもしれない。ナショナルマッチ、それも4年に一度のW杯で、ラスト2分をわずか2点差で迎えたQuarter Finalの笛を吹く人間の矜持というのは、きっとそういうものだと思う。それで十分じゃないか。もうカタはついた。これ以上、ジュベールに何を期待しようというのか。レフリング全体の向上を語るのであれば、ジュベールという一個人をスケープゴートにする必要はないはずだ。

「レフリーも人間であり、人間はミスをするものだ。」
よく耳にする台詞だ。でも、レフリーの人間性に人間的な眼差しを向けて、「ラグビーに人間の笛を」というのであれば、当事者であるジュベール自身の心に、もっと思いを巡らせてもいいはずだ。

今回のミスジャッジは非常にセンシティブな状況下だったこともあり、多くのコメントや論評が目に入ってくるが、ジュベールの内面にフォーカスした議論は全く見られない。

人間性へのあくなき尊厳をベースに考えるならば、最も大切なのは「徹底的に潰さない」ことだと思うんだ。結論をつけて、オフィシャルにミスだったという烙印まで与えることに、どうしても意味を見出せない。プレーヤーも、ファンも、協会関係者なども含めた全ての人間が、自分の心に問いかけて、自分の中でカタをつければいいじゃないか。

俺は人間的にラグビーを楽しみたいので、例えばあの瞬間、ファンが「バカヤロウ、ジュベール!」と野次を投げ飛ばしても、「それがラグビー」というスタンスだ。むしろ、そんな光景を味わい深いとさえ思う。右手に掴んだビール缶を握りつぶして、誰にともなく怒りをぶちまける。そんなファンだって、ラグビーのことは大好きだ。スコットランドを心から愛する人たちだからこそ、沸々と燃え上がる怒りを止められない。それで、いいと思うんだ。

でも、パブに流れついて仲間としこたま飲んで、思いつく限りの文句を吐いた後、ふと考える。
もっと辛いのは、スコットランド代表として戦ったメンバー自身なんだよな、と。
誇るべきスコットランドの英雄たちは、ラグビーに携わる人間を心から愛していて、ラグビーの文化を大切にする集団だからこそ、この辛い現実を黙って受け入れていくことになるんだよな、と。
その時には、もう仕方ないじゃないか。そうして、ファンも自分自身の中で、カタをつけていく。いつまでも引き摺って正解に頓着するのは、野暮だと思うんだ。


その上で、もう1つの人間性についても触れてみたい。

今回のケースで、TMOを求める心理はよく分かる。なぜなら、テクニカルに可能だからだ。「映像があって、実際にTMOという制度が存在するのに、なぜ適用しないのか」、そう考えるのは人間の性そのもので、十分に予想された反応だと思っている。それでも、ジュベールがこのシーンでTMOを採用しなかったのは、ルールに則っている以上、議論の対象外だろう。本当の問題は、こうしたケースを鑑みて、ラグビーは今後TMOをどのように位置づけるのか、ということだ。

俺の率直な感覚でいえば、TMOなきラグビーへの回帰は、もう世界が受け入れないと思う。つまりは、ミニマムで現状維持であって、その適用領域を拡大するか否かという議論になってくるような気がする。TMOの頻発によってゲーム全体のテンポが奪われているとの指摘もあるが、TMOが「公平性の担保」のみでなく、いまやエンターテイメントの側面を持っているのも紛れもない事実だろう。それに、事実を知りたいという「人間の性」を封じ込められるとも思えない。本質的にパンドラの箱のようなものなんだ。今回のノックオンオフサイドの特徴は、映像があれば「解釈を介さずに、ほぼ一意に判定される」という点にあるが、こういう類のプレーは、基本的にTMOとの相性がいいはずだ。この手のプレーを対象とするか否かが焦点の1つで、自分自身のスタンスはまだ明確に決めかねているが、いずれにせよ難しい議論だと思う。

でも、それでも、2019年に日本で笛を吹いてくれるのは、やっぱり人間だ。
ラグビーに、そしてグラウンドに立っている全ての人たちに、心からリスペクトを。