Thursday, July 12, 2012

『[完全版] 下山事件 最後の証言』


下山事件完全版―最後の証言 (祥伝社文庫 し 8-3)




  • 作者: 柴田 哲孝、undefined、柴田 哲孝のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら

  • 出版社: 祥伝社 (2007/07)

  • 発売日: 2007/07


矢板玄。
戦後、東京都中央区室町のライカビルを本拠地に、貿易を生業とした「亜細亜産業」の総帥だった男。歴史の表舞台に出ることなく、戦後日本の激動の渦中を強かに渡り抜いた時代の証人。いや、むしろその人生こそが「時代」であったというような、本物の傑物。その矢板玄と、1人対峙する。
「貴様、何者だ」
次の瞬間、矢板は左手に握った日本刀を振り下ろし、眼前に坐る男の顔の前で止めた。
「もう一度、訊く。貴様、何者だ」
矢板と対峙していたのは、柴田哲孝。本書の著者であり、戦後史最大の謎とされる「下山事件」の真相に迫る宿命を負ったジャーナリスト。彼は、鬼の形相で威圧する矢板を前に、動くことができなかった。
しかし次の瞬間、本人でさえ信じられない言葉が口を衝く。
「いい刀ですね」

下山事件。昭和24年7月5日、突如として消息不明となった初代国鉄総裁の下山定則が、翌7月6日未明に常磐線の北千住~綾瀬間の線路上で轢死体となって発見された事件。当時の国鉄は10万人規模の人員整理の渦中にあり、下山は失踪前日の7月4日、第一次人員整理者約3万人の名簿を公表していた。労働組合との極限の交渉。労働左派の憤怒。GHQによる占領政策と反共工作。日本政府の政治的思惑。様々な時代背景が交錯する中、警視庁捜査一課は早々に自殺説に傾倒。捜査二課は他殺説の線で捜査を推し進めようとするが、昭和25年7月、警視庁は捜査官の大半を他署へ転出させる。この瞬間、下山事件はその真相が解明されることなく、事実上迷宮入りすることになった。

下山事件が起きた当時の戦後日本史には、様々な伏流がある。その1つが、当時の日本を形成したといっても過言ではない人間達が頻繁に訪れたサロン的側面を持つ貿易会社、亜細亜産業。本書は、その亜細亜産業で重要な任務を果たした人間を祖父に持つ著者が、下山事件の全貌を追った迫真のノンフィクションだ。

断言してもいい。間違いなく面白い。
勿論、下山事件の「事件性」もある。本書は他殺説に拠っているが、事実として、今なおその真相は明らかになっていない。幾多の謀略、プロパガンダを丁寧に読み解きながら、小さな矛盾と大きな潮流の狭間で揺れ動く推理の過程は、まさしく「小説より奇なり」と言っていい。
でも、本書の魅力はそれだけではない。
尊敬する祖父、柴田宏は事件に関与していたのか。著者の純粋な出発点はそれだった。しかし著者が本書の筆を置いた時、そこに描かれていたのは、著者の当初の意図を凌駕する壮大なものだった。
それはつまり、日本国そのもの。戦後日本の源流だ。吉田茂。佐藤栄作。白洲次郎。三浦儀一。児玉誉士夫。田中清玄。沢田美喜。ウィロビー。キャノン。シャグノン。そして勿論、矢板玄。そういう傑物達の生きた時代が、錯綜し複雑に織り成された時代の糸が、本書には綴られている。
それを可能にしたのは、「いい刀ですね」と言ってのけた著者の胆力だ。

素晴らしい1冊です。