随分久しぶりに、プライベートでの旅行に行ってきたんだ。
ちょっとした休暇を取って、3泊4日での小旅行。行き先は、八丈島。
今回の旅行の中で自分なりに感じたことを、この場に書き綴ることにします。
4月28日(金)
10時30分羽田発の飛行機に乗り込み、11時40分くらいには八丈島に到着していた。もっと遠い印象があったのだけれど、実際にはわずか1時間程度で辿り着ける訳で、移動は本当にあっという間だった。機内で軽く眠っていたら、起きた時にはもう島に到着している感じだ。
八丈島空港に降り立つ。最初に感じたのは、気候的には、普段暮らしている東京の街とさほど変わらないということ。若干暖かい程度で、特段の差はないように感じた。ただし、あくまでそれは初日の印象だ。実際には4日間の旅を通じて、気候的な違いをはっきりと感じることが出来た。
パンフレットの言葉を借りるならば「亜熱帯」。八丈は、やっぱり亜熱帯の島なんだ。
単純に、植物が違う。椰子の木が至るところに生い茂っており、他にも名前を知らない植物が数多く見られ、ちょっとした南国の心地がする。全般的な印象として、非常にカラフルな植生だ。また、空気の張りつめ具合や透明感といったものも、所謂「都内」とは明らかに違う。(八丈島も東京都なので、書き方は正確ではないけれど。)
12時頃にホテルに到着すると、まずはダイビングが出来るところを探すことにした。翌日から天気は下り坂という予報だったので、初日の午後に潜るのが一番楽しめるのではないかと思ったんだ。フロントにお願いして、午後で受付可能な体験ダイビングのツアーを紹介してもらい、なんとか14時からのツアーに予約を取ることが出来た。ツアーの時間は全体で約1時間半ということで、さすがに短いような気もしたけれど、折角の機会なので、お願いすることにしたんだ。
14時までの空いた時間で、昼飯を食べに行く。ホテルから15分ほど歩いて向かった先は、「一休庵」という蕎麦屋。八丈島では「明日葉蕎麦」が名物と聞いて、この機会に食べてみようと思ったんだ。明日葉を練り込んだ細麺の蕎麦で、特別美味いということもなかったけれど、きちんと葉の味を感じる麺で、悪くはなかったかな。
昼飯を済ませると、いよいよ体験ダイビング。"Project Wave"という会社のツアーで、迎えに来てくれたインストラクターの2人に連れられて、早速八丈島の海に向かった。実際に始まってみると、午後に潜るのはパートナーとおれの2人だけだったので、自分達のペースで動くことが出来て、その意味では非常に気楽で良かったね。
パートナーは過去に2度ダイビングの経験があるが、おれは今回が初めてだった。彼女はAUS、沖縄と潜ってきた経験から「初めて潜る場所はとても重要」といつも口にしていたけれど、八丈島が選択として良かったのかどうかは、おれには分からない。
インストラクターの指示のもと、ウェットスーツに着替えると、早速水に浸かって簡単に説明を受けていく。マスク、フィン、タンクといった装備を身に付けた後、呼吸の仕方や耳抜きといった基本的なガイドを受けると、いよいよインストラクターに寄り添いながら、八丈島の海に潜っていった。事前の説明は本当にラフなもので、若干心配ではあったけれど、実際に潜ってみると特に問題なく楽しむことが出来た。
海の中ではマンツーマンでインストラクターが寄り添って、進行方向や深さをコントロールしていく。自分ですることは呼吸と耳抜き、あとは顔の向きを変えることくらいだ。珊瑚やイソギンチャク、様々な熱帯魚を見ながらおよそ30分、八丈の海を味わっていく。熱帯魚の数はそれほど多くなかったけれど、カラフルで綺麗だった。
さて、所感。
陸からは見ることの出来ない海の景色は悪くなかった。
ただ、おれが最も強く感じたのは「不自由感」とでもいうものだった。
せいぜい5m程度の深さまで潜る為に、人間はあれほどの装備を必要としてしまういう事実。それでもなお海中を見たいという人間の好奇心にも驚くけれど、実際に装備を身に付けてみて初めて体感したあの不自由さには、少し思うところがあった。
単純にスーツの窮屈さや呼吸の問題もあると思う。また、インストラクターに自分の身の全てを預けるような体験コースだったことで、自分の意思で動くことの出来ない不自由もあった。加えて、言葉を発することが出来ないコミュニケーションの制約。海ゆえの不自由は非常に多く、それは当然のことだと思う。でも、その不自由を背負ってさえ、人間が辿り着けるのは、大海原の中の、本当に手の届きそうなところにある、わずかばかりのエリアだったりするのだからね。
ダイビングは五感の制約がとても大きい。聴覚、嗅覚、触覚といった比較的身体に対してダイレクトな感覚が閉じられていて、楽しみのほぼ全てが視覚に依拠している。
だからこそ、潜る海で決してしまう部分は強いのかもしれない。その意味では、八丈の海の表情は、それほど強い魅力を持って迫っては来なかったのかな、とも思う。
体験ダイビングではなく、きちんとライセンスを取得して、経験を重ねていけば違うのかもしれない。自分の意思で動き、自分の意思で海を堪能する。海の美しさを自分から探していく過程というのは、きっと楽しいだろうと思うけれど。
なにぶん初めての体験で、新鮮な楽しさは勿論あったけれど、今回のツアーに関して言うと、個人的には微妙な感じが残ってしまったね。本格的にライセンスを取得するとなると、現段階ではちょっと悩んでしまうかな。
ダイビングの後は、ホテルに戻って夕食。島寿司やお刺身といった海の幸中心の晩飯を食べると、食後は翌日のプランを決めたりしながら、部屋でゆっくりと過ごした。
そして翌日以降は、八丈島のもうひとつの自然、山を廻っていくことになります。
八丈島の景色を、おれの視点から。(海の写真はないけれど。)
http://www.23hq.com/Fukatsu/album/637324
Friday, April 28, 2006
Monday, April 24, 2006
失敗について
私は実験において失敗など一度たりともしていない。
これでは電球は光らないという発見を、今までに2万回してきたのだ。
成功するまで続けず、途中で諦めてしまえば、それで失敗である。
学生時代、買った文庫本の栞に松下幸之助のこの言葉が書かれていたんだ。
当時、豪徳寺に借りていた木造アパートの柱にセロハンテープで貼ってました。
今でも素晴らしい言葉だと思う。そう生きていきたいよね。
これでは電球は光らないという発見を、今までに2万回してきたのだ。
トーマス・アルヴァ・エジソン
成功するまで続けず、途中で諦めてしまえば、それで失敗である。
松下幸之助
学生時代、買った文庫本の栞に松下幸之助のこの言葉が書かれていたんだ。
当時、豪徳寺に借りていた木造アパートの柱にセロハンテープで貼ってました。
今でも素晴らしい言葉だと思う。そう生きていきたいよね。
Sunday, April 23, 2006
自分の今を知る
4/23(日)練習 16:00-18:00 @酒井スポーツ広場
小田急線の本厚木駅からバスで5分。相模川の河川敷に広がる芝生のグラウンドに10数名のメンバーが集まって、約2時間の練習を行った。今日の練習場所は本当に直前まで確保できていなかったのだけれど、よく見つかったと思う。確かにアクセスは不便な場所だけれど、クラブチームにとってグラウンドは死活問題だからね。こうしてグラウンド確保に奔走してくれる人達の存在があって、初めてラグビーできます。
ありがとう。
これからも、神様がいるからきっと大丈夫。(これは私信だけれど。)
今日の練習は、個人的には楽しかった。
参加人数が少なく、ほぼタッチフット主体の練習になったけれど、少ない人数ゆえに考えざるを得ない要素が沢山あって、そのことが練習の価値を高めてくれた。
この日の練習でも、少なくない数のミスをした。下手だなーと自分でも思う。
悔しいけれど、仕方ないね。それが今の自分のレベルだから。
今日感じたのは、自分のスキルや判断力のレベルを、自分自身できちんと把握してプレーするということ。例えば、タイトなプレッシャーの中でのパススキルは、プレーにゆとりを与え、判断する時間をより長く確保できる。パススキルに自信がある人間は、より相手DFに近い間合いまでパスの判断を猶予できる。それはつまり、プレーの選択肢を幅広く残しておけるということで、ゆえに相手DFは狙いを絞れない。
しかし、その前提はスキルだ。
ぎりぎりの間合いでもパスをつなげるという自信がどうしても必要になる。
自分のスキルを把握するということはつまり、パスの判断を猶予できるデッドラインを自覚してプレーすることだと思う。自分のスキルをベースに、確実な判断をすることで、プレーの精度は上がっていくはずだ。逆に自分自身の判断のラインを認識しない人間は、それゆえにミスをしてしまう。
もちろん、この判断のラインをより相手DFの懐に近い位置に持つ為に、日々の練習の中でチャレンジしていくことは重要なことだと思う。でも、前提となる「今」のレベルを知らなければ、ミスはきっと繰り返されるだろうし、自分が「何に」チャレンジしているのかさえも、きっと分からないだろう。
とにかく、ミスをしない。
とてもシンプルで、でも非常に難しいこの目標に、少しずつ近づいていきたい。
その為に、ミスの原因を自分で突き詰めるというのは、きっとそういうことなんだね。
小田急線の本厚木駅からバスで5分。相模川の河川敷に広がる芝生のグラウンドに10数名のメンバーが集まって、約2時間の練習を行った。今日の練習場所は本当に直前まで確保できていなかったのだけれど、よく見つかったと思う。確かにアクセスは不便な場所だけれど、クラブチームにとってグラウンドは死活問題だからね。こうしてグラウンド確保に奔走してくれる人達の存在があって、初めてラグビーできます。
ありがとう。
これからも、神様がいるからきっと大丈夫。(これは私信だけれど。)
今日の練習は、個人的には楽しかった。
参加人数が少なく、ほぼタッチフット主体の練習になったけれど、少ない人数ゆえに考えざるを得ない要素が沢山あって、そのことが練習の価値を高めてくれた。
この日の練習でも、少なくない数のミスをした。下手だなーと自分でも思う。
悔しいけれど、仕方ないね。それが今の自分のレベルだから。
今日感じたのは、自分のスキルや判断力のレベルを、自分自身できちんと把握してプレーするということ。例えば、タイトなプレッシャーの中でのパススキルは、プレーにゆとりを与え、判断する時間をより長く確保できる。パススキルに自信がある人間は、より相手DFに近い間合いまでパスの判断を猶予できる。それはつまり、プレーの選択肢を幅広く残しておけるということで、ゆえに相手DFは狙いを絞れない。
しかし、その前提はスキルだ。
ぎりぎりの間合いでもパスをつなげるという自信がどうしても必要になる。
自分のスキルを把握するということはつまり、パスの判断を猶予できるデッドラインを自覚してプレーすることだと思う。自分のスキルをベースに、確実な判断をすることで、プレーの精度は上がっていくはずだ。逆に自分自身の判断のラインを認識しない人間は、それゆえにミスをしてしまう。
もちろん、この判断のラインをより相手DFの懐に近い位置に持つ為に、日々の練習の中でチャレンジしていくことは重要なことだと思う。でも、前提となる「今」のレベルを知らなければ、ミスはきっと繰り返されるだろうし、自分が「何に」チャレンジしているのかさえも、きっと分からないだろう。
とにかく、ミスをしない。
とてもシンプルで、でも非常に難しいこの目標に、少しずつ近づいていきたい。
その為に、ミスの原因を自分で突き詰めるというのは、きっとそういうことなんだね。
春の目標
4月22日(土)練習 9:00-11:00 @辰巳の森ラグビー場
相変わらず自分のプレーの精度が低い。ミス、そしてミス。いつも同じだ。
練習に参加する人数。周囲のプレーヤーのレベル。チーム全体としての練習の質。今シーズンから新加入のメンバーとの意思疎通。すべて関係ない。
ただ、自分が下手くそなだけだ。
自分にとっての春の目標を、2つに絞ります。
この場に書き残すことで、自分の意識に刻み込みたい。
この2つを決して忘れずに、残された春シーズンの練習に臨みたいと思います。
1.ミスをしない
集中力、あるいは意識の持ち方をちょっと変えるだけで防げるミスが幾つもある。
決して高度な練習をしている訳ではなく、今起きているミスの殆どは、自分の内側に理由を含んでいるものだと思う。とにかく、そいつをゼロにしたい。
ゼロにしようと常に意識する。そして、それでも起きるミスの原因を徹底的に反省し、練習の中で消していく。そのプロセスを、グラウンドにおける自分の標準にする。
これが出来なければ、今のおれを誰も信用しないと思うんだ。
もともと上手くないんだから。
2.タックルを踏み込む
学生の頃、タックル練習でよく「飛び込め」と言われた。
今考えれば、全く違う。タックルは飛び込んだら終わりだ。踏み込まないといけない。
タマリバでは「Up, Watch, Up」を合言葉にしている。まず相手との間合いを詰める。そこでウォッチして、相手の動きに反応する。そして、相手が自分のタックルレンジに入ったところで、前に踏み込んで倒す。基本的なことだけれど、タマリバではこれをチームの決めごととして、全体練習のメニューの中で常に意識づけが図られている。
Upは出来る。Watchも出来ると思う。でも、最後のUpが出来ない。
この最後の踏み込みこそが、昨年から持ち越している、おれの最大の課題です。
春はとにかく前に出たい。
目的を持った失敗を重ねて、何度も繰り返して、自分のタックルを身に付けたい。
たった2つだけです。
目的意識を持ち、自分の課題を常に意識して、上手くなる為の練習をしていきたい。
相変わらず自分のプレーの精度が低い。ミス、そしてミス。いつも同じだ。
練習に参加する人数。周囲のプレーヤーのレベル。チーム全体としての練習の質。今シーズンから新加入のメンバーとの意思疎通。すべて関係ない。
ただ、自分が下手くそなだけだ。
自分にとっての春の目標を、2つに絞ります。
この場に書き残すことで、自分の意識に刻み込みたい。
この2つを決して忘れずに、残された春シーズンの練習に臨みたいと思います。
1.ミスをしない
集中力、あるいは意識の持ち方をちょっと変えるだけで防げるミスが幾つもある。
決して高度な練習をしている訳ではなく、今起きているミスの殆どは、自分の内側に理由を含んでいるものだと思う。とにかく、そいつをゼロにしたい。
ゼロにしようと常に意識する。そして、それでも起きるミスの原因を徹底的に反省し、練習の中で消していく。そのプロセスを、グラウンドにおける自分の標準にする。
これが出来なければ、今のおれを誰も信用しないと思うんだ。
もともと上手くないんだから。
2.タックルを踏み込む
学生の頃、タックル練習でよく「飛び込め」と言われた。
今考えれば、全く違う。タックルは飛び込んだら終わりだ。踏み込まないといけない。
タマリバでは「Up, Watch, Up」を合言葉にしている。まず相手との間合いを詰める。そこでウォッチして、相手の動きに反応する。そして、相手が自分のタックルレンジに入ったところで、前に踏み込んで倒す。基本的なことだけれど、タマリバではこれをチームの決めごととして、全体練習のメニューの中で常に意識づけが図られている。
Upは出来る。Watchも出来ると思う。でも、最後のUpが出来ない。
この最後の踏み込みこそが、昨年から持ち越している、おれの最大の課題です。
春はとにかく前に出たい。
目的を持った失敗を重ねて、何度も繰り返して、自分のタックルを身に付けたい。
たった2つだけです。
目的意識を持ち、自分の課題を常に意識して、上手くなる為の練習をしていきたい。
Sunday, April 16, 2006
召喚と憑依
昨年10月以来となる、人生2度目のタップダンス鑑賞。
セヴィアン・グローバーというタップダンサーのソロ公演だ。
Savion Glover in CLASSICAL SAVION @東京国際フォーラム Hall C
タップダンスの世界については、恥ずかしながら全く知らない。
パートナーの薦めのもと、生まれて初めてライブ・ステージに足を運んだ前回。あの時の熊谷和徳のタップ "TAP ME CRAZY" が、タップダンスについておれの知っているほぼ全てだ。そんな訳で、恥ずかしながらセヴィアン・グローバーというタップダンサーのことも、実は何ひとつ知らなかった。
セヴィアン・グローバーは、1996年のブロードウェイ・ミュージカル「ノイズ&ファンク(Bring In 'Da Noise, Bring In 'Da Funk)」でのトニー賞受賞以降、数々の賞を獲得してタップ界の頂点に君臨しており、「タップの神」と呼ばれているそうだ。そのセヴィアン・グローバーによる今回の日本公演 "Savion Glover in CLASSICAL SAVION" は、クラシック音楽とタップダンスとのコラボレーション・ステージで、13人で編成されたオーケストラの奏でるクラシックの名曲に、彼が踏むタップのリズムを融合させていく形式で構成されている。2005年1月のNY公演においてこの新作が演じられた際に、観衆から大絶賛を浴びたそうだ。
さて、東京国際フォーラムで行われた日本公演。
2時間弱のパフォーマンスが終わると、大多数の観衆が立ち上がり、スタンディング・オベーションが起こった。アンコールはなかったけれど、最前列の観客と握手を交わすセヴィアンの姿には悲鳴のような声も降り注いでいた。
でも、隣で一緒に鑑賞していたパートナーは席を立たなかった。
そしておれ自身も、どこか満たされない感覚を残したまま2時間を終えてしまった。
ちなみに、社会人ラグビー時代の後輩とその彼女も一緒だったのだけれど、彼ら2人も同じような感想を口にしていた。その意味では、必ずしもおれの個人的な感覚だけの問題ではないような気がしている。
たった2回のタップ鑑賞だけれど、これほど違うとは思わなかった。
熊谷和徳とセヴィアン・グローバー、2人のタップの方向性は明らかに違うと感じた。
セヴィアン・グローバーは「召喚」のタップだ。
彼の中には、自分が演じるべきタップが確立している。観衆の前で彼が踏むべきステップは、彼の自我の世界の中で完成し、完結しているように感じる。洗練され、磨き上げられた技術と彼自身の感性をベースに、セヴィアンとして「セヴィアン」たることを表現する為のパフォーマンスは、すべてセヴィアン・グローバーという人間の自我の中で構成され、それが観衆に対して突きつけられるような感覚だ。
彼にとっての音楽は、自身のパフォーマンスを最大限に高める触媒のようであり、音楽に溶け合っていくというよりも、ステップを踏む上で彼の求める音楽を、彼自身が呼び出していくイメージの方が近い。無音の状態のもとにあって、セヴィアンの自我の中で演じるべきタップのリズムが決められていく。そして彼が小さくステップを踏み始めると、そのリズムはオーケストラへと波及していく。「分かるだろう、このリズムが呼び出す音の世界が」といった具合に、彼によって音が「召喚」される。
だから彼は、ステージにおいて決して自分をゼロにしない。常に「1」だ。そして、その「1」の世界は、きっとセヴィアン・グローバーという人間にしか創り上げることの出来ない「極み」の世界なのだと思う。残念ながら、今のおれにはそれを感じ取る感性はなかったけれど。
対照的に、熊谷のタップは「憑依」のタップだ。
熊谷は時に、ステージにおいて自分をゼロにする。少なくとも彼の表情は、そういう世界観を見事なまでに体現している。熊谷のタップには、セヴィアン・グローバーのように強烈に自我を突きつけてくる感覚はない。そうではなくて、何かが彼の中に降りてきて、取り憑いて、そしてその憑依した何かが彼の身体を借りてステップを創り出していくような、そういう独特の雰囲気が漂っている。
だから、熊谷のアウトプットはきっと定まらない。緻密なレッスンによる定められた公演であったとしても、少なくとも観衆の前で繰り広げられる世界には、定まらない感覚がどこかに潜んでいる。熊谷にとっての音楽はきっと、ある種のインプットだ。音楽だけではない。その場の空気、観衆の表情や気配。ちょっとした囁きや小さな雑音。そういったあらゆるものが、ゼロになった熊谷に取り憑いて、憑依することで新しい何かが創り出される。ある瞬間に存在する、オンリーワンの世界をインプットに、熊谷和徳というタップダンサー自身が触媒となって、新しいひとつの表現が構成される。
それこそが、たった1度しか観たことはないけれど、おれにとっての熊谷和徳の魅力であり、直感的には、彼以外のタップダンサーが持ち得ない、彼ゆえの世界なのだと思っている。セヴィアンのタップとは、まさしく正反対の志向だろう。
セヴィアン・グローバーの公演は、残念ながら満ち足りないものが残った。
しかし、セヴィアン・グローバーという、ひとつの方向性で頂点に君臨する人間のパフォーマンスを観たことで、自分がタップに求めていたものが明確になった。
もう一度、改めて熊谷和徳のタップを観たいです。そして、突き抜けてほしい。
セヴィアン・グローバーというタップダンサーのソロ公演だ。
Savion Glover in CLASSICAL SAVION @東京国際フォーラム Hall C
タップダンスの世界については、恥ずかしながら全く知らない。
パートナーの薦めのもと、生まれて初めてライブ・ステージに足を運んだ前回。あの時の熊谷和徳のタップ "TAP ME CRAZY" が、タップダンスについておれの知っているほぼ全てだ。そんな訳で、恥ずかしながらセヴィアン・グローバーというタップダンサーのことも、実は何ひとつ知らなかった。
セヴィアン・グローバーは、1996年のブロードウェイ・ミュージカル「ノイズ&ファンク(Bring In 'Da Noise, Bring In 'Da Funk)」でのトニー賞受賞以降、数々の賞を獲得してタップ界の頂点に君臨しており、「タップの神」と呼ばれているそうだ。そのセヴィアン・グローバーによる今回の日本公演 "Savion Glover in CLASSICAL SAVION" は、クラシック音楽とタップダンスとのコラボレーション・ステージで、13人で編成されたオーケストラの奏でるクラシックの名曲に、彼が踏むタップのリズムを融合させていく形式で構成されている。2005年1月のNY公演においてこの新作が演じられた際に、観衆から大絶賛を浴びたそうだ。
さて、東京国際フォーラムで行われた日本公演。
2時間弱のパフォーマンスが終わると、大多数の観衆が立ち上がり、スタンディング・オベーションが起こった。アンコールはなかったけれど、最前列の観客と握手を交わすセヴィアンの姿には悲鳴のような声も降り注いでいた。
でも、隣で一緒に鑑賞していたパートナーは席を立たなかった。
そしておれ自身も、どこか満たされない感覚を残したまま2時間を終えてしまった。
ちなみに、社会人ラグビー時代の後輩とその彼女も一緒だったのだけれど、彼ら2人も同じような感想を口にしていた。その意味では、必ずしもおれの個人的な感覚だけの問題ではないような気がしている。
たった2回のタップ鑑賞だけれど、これほど違うとは思わなかった。
熊谷和徳とセヴィアン・グローバー、2人のタップの方向性は明らかに違うと感じた。
セヴィアン・グローバーは「召喚」のタップだ。
彼の中には、自分が演じるべきタップが確立している。観衆の前で彼が踏むべきステップは、彼の自我の世界の中で完成し、完結しているように感じる。洗練され、磨き上げられた技術と彼自身の感性をベースに、セヴィアンとして「セヴィアン」たることを表現する為のパフォーマンスは、すべてセヴィアン・グローバーという人間の自我の中で構成され、それが観衆に対して突きつけられるような感覚だ。
彼にとっての音楽は、自身のパフォーマンスを最大限に高める触媒のようであり、音楽に溶け合っていくというよりも、ステップを踏む上で彼の求める音楽を、彼自身が呼び出していくイメージの方が近い。無音の状態のもとにあって、セヴィアンの自我の中で演じるべきタップのリズムが決められていく。そして彼が小さくステップを踏み始めると、そのリズムはオーケストラへと波及していく。「分かるだろう、このリズムが呼び出す音の世界が」といった具合に、彼によって音が「召喚」される。
だから彼は、ステージにおいて決して自分をゼロにしない。常に「1」だ。そして、その「1」の世界は、きっとセヴィアン・グローバーという人間にしか創り上げることの出来ない「極み」の世界なのだと思う。残念ながら、今のおれにはそれを感じ取る感性はなかったけれど。
対照的に、熊谷のタップは「憑依」のタップだ。
熊谷は時に、ステージにおいて自分をゼロにする。少なくとも彼の表情は、そういう世界観を見事なまでに体現している。熊谷のタップには、セヴィアン・グローバーのように強烈に自我を突きつけてくる感覚はない。そうではなくて、何かが彼の中に降りてきて、取り憑いて、そしてその憑依した何かが彼の身体を借りてステップを創り出していくような、そういう独特の雰囲気が漂っている。
だから、熊谷のアウトプットはきっと定まらない。緻密なレッスンによる定められた公演であったとしても、少なくとも観衆の前で繰り広げられる世界には、定まらない感覚がどこかに潜んでいる。熊谷にとっての音楽はきっと、ある種のインプットだ。音楽だけではない。その場の空気、観衆の表情や気配。ちょっとした囁きや小さな雑音。そういったあらゆるものが、ゼロになった熊谷に取り憑いて、憑依することで新しい何かが創り出される。ある瞬間に存在する、オンリーワンの世界をインプットに、熊谷和徳というタップダンサー自身が触媒となって、新しいひとつの表現が構成される。
それこそが、たった1度しか観たことはないけれど、おれにとっての熊谷和徳の魅力であり、直感的には、彼以外のタップダンサーが持ち得ない、彼ゆえの世界なのだと思っている。セヴィアンのタップとは、まさしく正反対の志向だろう。
セヴィアン・グローバーの公演は、残念ながら満ち足りないものが残った。
しかし、セヴィアン・グローバーという、ひとつの方向性で頂点に君臨する人間のパフォーマンスを観たことで、自分がタップに求めていたものが明確になった。
もう一度、改めて熊谷和徳のタップを観たいです。そして、突き抜けてほしい。
Sunday, April 09, 2006
背伸びしない
久しぶりに劇場で映画を観た。
三谷幸喜監督の最新作『THE有頂天ホテル』ね。
大晦日の夜、あるホテルで繰り広げられる様々な人間模様をコメディタッチで描いた作品。それぞれの事情やバックグラウンドを持つ人間達が、「ホテル」という舞台の中で、意図せざる奇妙な偶然の流れに翻弄されながら複雑に絡み合っていく。誰かの行為が、本人の与り知らないところで別の誰かの救いとなったり、あるいは他人の心の葛藤に向き合うことで、自分自身の心の葛藤が浮き彫りにされたり、そうやって織り成されていく小さなドラマが全編に渡ってうまく散りばめられている。
信頼できる後輩の評価とはちょっと違うのだけれど、個人的には良い映画だと思う。
この映画のメッセージは極めてシンプルなもので、つまりは「自分に嘘をつかない」ということが全てだ。「嘘」と言うと言い過ぎかも知れないけれど、自分自身の思いに正面から向き合おうとしない、ということがある種の嘘であるならば、概ねこのフレーズにエッセンスは集約されると思う。
それぞれの登場人物が抱える思いや葛藤は異なるけれど、皆どこかで自分を押し隠している。背伸びをしている人間もいれば、着飾る人間もいる。卑屈になるやつや、自分の弱さを認められないやつもいる。事情は皆違う。当然ながら、それぞれにとっての救いは個人的なもので、誰しもに共通する救いが提示される訳ではない。夢に向かう自信を取り戻して救いを得る人間がいれば、夢の次に向かった世界で真摯に生きてきたその生き方を素直に認められることで救いを得る人間もいる。
そういう世界観は、悪くないと思うんだ。
ホテルという舞台設定。
日常の生活空間とは違う、ちょっと背伸びした世界。それでいて、家という日常空間にいる時のように安らげる場所であって欲しいと願うホテルマンの「おかえりなさいませ」という一言が、背伸びのない世界への肯定へと導いていく。
そして、コメディ。
他人の背伸びは、傍から見れば思わず笑ってしまうな滑稽なものだったりもする。各人各様の思いの中から生まれる「背伸びした自分」というものを、コメディの形式で優しく笑い飛ばすことで、人間らしさを演出していくような感覚。
というとちょっと言い過ぎではあるけれど、人間味ある良い映画だと思います。
三谷幸喜監督の最新作『THE有頂天ホテル』ね。
大晦日の夜、あるホテルで繰り広げられる様々な人間模様をコメディタッチで描いた作品。それぞれの事情やバックグラウンドを持つ人間達が、「ホテル」という舞台の中で、意図せざる奇妙な偶然の流れに翻弄されながら複雑に絡み合っていく。誰かの行為が、本人の与り知らないところで別の誰かの救いとなったり、あるいは他人の心の葛藤に向き合うことで、自分自身の心の葛藤が浮き彫りにされたり、そうやって織り成されていく小さなドラマが全編に渡ってうまく散りばめられている。
信頼できる後輩の評価とはちょっと違うのだけれど、個人的には良い映画だと思う。
この映画のメッセージは極めてシンプルなもので、つまりは「自分に嘘をつかない」ということが全てだ。「嘘」と言うと言い過ぎかも知れないけれど、自分自身の思いに正面から向き合おうとしない、ということがある種の嘘であるならば、概ねこのフレーズにエッセンスは集約されると思う。
それぞれの登場人物が抱える思いや葛藤は異なるけれど、皆どこかで自分を押し隠している。背伸びをしている人間もいれば、着飾る人間もいる。卑屈になるやつや、自分の弱さを認められないやつもいる。事情は皆違う。当然ながら、それぞれにとっての救いは個人的なもので、誰しもに共通する救いが提示される訳ではない。夢に向かう自信を取り戻して救いを得る人間がいれば、夢の次に向かった世界で真摯に生きてきたその生き方を素直に認められることで救いを得る人間もいる。
そういう世界観は、悪くないと思うんだ。
ホテルという舞台設定。
日常の生活空間とは違う、ちょっと背伸びした世界。それでいて、家という日常空間にいる時のように安らげる場所であって欲しいと願うホテルマンの「おかえりなさいませ」という一言が、背伸びのない世界への肯定へと導いていく。
そして、コメディ。
他人の背伸びは、傍から見れば思わず笑ってしまうな滑稽なものだったりもする。各人各様の思いの中から生まれる「背伸びした自分」というものを、コメディの形式で優しく笑い飛ばすことで、人間らしさを演出していくような感覚。
というとちょっと言い過ぎではあるけれど、人間味ある良い映画だと思います。
Monday, April 03, 2006
神奈川セブンス
4月2日(日)神奈川セブンス@保土ヶ谷ラグビー場
香港10'sを終えて帰国したメンバーも合流して、タマリバクラブとしては今シーズン最初となる公式戦に参加した。毎年この時期に行われる神奈川セブンスだ。
三菱重工相模原、栗田工業、キヤノンといった社会人チームに加え、学生からは関東学院大学、クラブチームからは湘南フジクラブも参加して、全16チームで行われる7人制のトーナメント。タマリバからはA、Bの2チームがエントリーしたのだけれど、おれ自身はBチームのゲームキャプテンを務めることになった。
試合の結果としては、残念なものになってしまった。
Bチームは1回戦で三菱重工相模原に負けてしまった。先制トライを奪い、僅差で前半を折り返したものの、後半に入ると開いてしまった。その後に行われた三菱重工横浜との敗者戦には圧勝したけれど、1回戦敗退というのは変わらないからね。なんとかもう少し重工相模原に喰い下がってみせたかった。
Aチームは、1回戦こそ三菱重工横浜相手に60点近くを奪って完封したものの、2回戦で三菱重工相模原に逆転負けを喫してしまった。チームとしての練習不足は否めないけれど、なんとなく歯車が噛み合わないままゲームが終わってしまった。来週にはYCACセブンスという由緒ある大会が控えているので、限られた時間の中で各自が修正点を考えて、チームとしてのコンディションを高めていくしかないね。
さて、Bチーム。
この大会をBチームでプレーしたことは、結果的には自分にとってよかった。
Aチームには司令塔としてゲームをコントロールできる人間がいる。黙っていても豊富な運動量でチームを支えてくれるFWの選手がいる。それを考えると、Aチームの方が圧倒的にプレーしやすい。でも一方で、そういう選手に頼り切ってしまう部分があることも事実なんだ。ゲームメーカーの動きを感じてさえいれば、彼らが相手のDFを崩してくれる。フィットネスが落ちて苦しい状況でも、彼らが指示を出してチームを引っ張ってくれる。存在感のある選手に対してのそうした「依存」は、程度の差こそあれ、Aチームの選手にも少なくない割合で見られるものだと思う。
Bにはないからね。依存する先がそもそもない。
むしろゲームキャプテンとして、自分がチームを鼓舞していかなければならない。
それは今の自分にとって、いい経験となったと思う。
もちろん、納得できるレベルまで出来た訳では全然ないのだけれど、Bチームのメンバー10人が、それぞれに現在置かれている状況の中で一生懸命にプレーしてくれたことが、ゲームキャプテンとして嬉しかった。
それにしても、今日改めて思ったけれど、セブンスは苦手です。
香港10'sを終えて帰国したメンバーも合流して、タマリバクラブとしては今シーズン最初となる公式戦に参加した。毎年この時期に行われる神奈川セブンスだ。
三菱重工相模原、栗田工業、キヤノンといった社会人チームに加え、学生からは関東学院大学、クラブチームからは湘南フジクラブも参加して、全16チームで行われる7人制のトーナメント。タマリバからはA、Bの2チームがエントリーしたのだけれど、おれ自身はBチームのゲームキャプテンを務めることになった。
試合の結果としては、残念なものになってしまった。
Bチームは1回戦で三菱重工相模原に負けてしまった。先制トライを奪い、僅差で前半を折り返したものの、後半に入ると開いてしまった。その後に行われた三菱重工横浜との敗者戦には圧勝したけれど、1回戦敗退というのは変わらないからね。なんとかもう少し重工相模原に喰い下がってみせたかった。
Aチームは、1回戦こそ三菱重工横浜相手に60点近くを奪って完封したものの、2回戦で三菱重工相模原に逆転負けを喫してしまった。チームとしての練習不足は否めないけれど、なんとなく歯車が噛み合わないままゲームが終わってしまった。来週にはYCACセブンスという由緒ある大会が控えているので、限られた時間の中で各自が修正点を考えて、チームとしてのコンディションを高めていくしかないね。
さて、Bチーム。
この大会をBチームでプレーしたことは、結果的には自分にとってよかった。
Aチームには司令塔としてゲームをコントロールできる人間がいる。黙っていても豊富な運動量でチームを支えてくれるFWの選手がいる。それを考えると、Aチームの方が圧倒的にプレーしやすい。でも一方で、そういう選手に頼り切ってしまう部分があることも事実なんだ。ゲームメーカーの動きを感じてさえいれば、彼らが相手のDFを崩してくれる。フィットネスが落ちて苦しい状況でも、彼らが指示を出してチームを引っ張ってくれる。存在感のある選手に対してのそうした「依存」は、程度の差こそあれ、Aチームの選手にも少なくない割合で見られるものだと思う。
Bにはないからね。依存する先がそもそもない。
むしろゲームキャプテンとして、自分がチームを鼓舞していかなければならない。
それは今の自分にとって、いい経験となったと思う。
もちろん、納得できるレベルまで出来た訳では全然ないのだけれど、Bチームのメンバー10人が、それぞれに現在置かれている状況の中で一生懸命にプレーしてくれたことが、ゲームキャプテンとして嬉しかった。
それにしても、今日改めて思ったけれど、セブンスは苦手です。
Friday, March 31, 2006
パワーが出ない
何故だか分からないけれど、左半身の筋力が突然落ちてしまった。
特段思い当たるふしは何もないのに、右半身の半分くらいしかパワーが出ない。
アームカールもショルダープレスも、本当に半分しか上がらなくなってしまった。
そんな訳で、ちょっと困っています。
特段思い当たるふしは何もないのに、右半身の半分くらいしかパワーが出ない。
アームカールもショルダープレスも、本当に半分しか上がらなくなってしまった。
そんな訳で、ちょっと困っています。
Saturday, March 25, 2006
色を塗る
パートナーに触発されて、カンバスに色を塗ってみた。
画廊で働くうちのパートナーは、自分でも絵を描き溜めている。自宅の一室をアトリエにして、ケントパネルにアクリル絵の具でイメージを描いていくのだけれど、仕事帰りの疲れた身体でも、驚くほどの集中力でいつも机に向かっている。この1年間ほどで、100枚近くの絵を描いているのだから、絵を描くことが本当に好きなのだと思う。
描き続ける中で、彼女の好奇心であったり、描くことへのこだわりは日に日に高まっていて、最近では遂にカンバスに絵を描くようになった。そして、ずっと欲しがっていたイーゼルもようやく買い揃えることが出来て、アトリエとして使っている4畳半の小部屋は、今では完全にアーティスティックな空間となった。
カンバスとイーゼル。
この2つが揃うと、絵筆を持ったことのない人間でも、描いてみたくなるよね。
だから、真っ白なカンバスを1枚だけもらって、やってみることにしたんだ。
断っておくけれど、絵を描いた訳ではないんだ。
真っ白なカンバス全体に、青のアクリル絵の具で色を塗っていっただけだ。
カンバスに絵を描く時には、まず下塗りをして、その上に色を重ねていくそうなのだけれど、おれがやってみたのはその「下塗り」にあたる作業だ。パレットに青の絵の具を落とし、メディウムと少量の水を混ぜ合わせて適度な軟らかさにする。そして、平刷毛で丁寧に延ばしながら、カンバスを塗っていくんだ。
そしたら、思った以上におもしろかった。
カンバスの上で刷毛を滑らせていくだけの作業がこれほど楽しいとは思わなかった。
不思議と心が落ち着いていく。ちょっと大仰な言い方をすると、ある種のカタルシスのような感覚があって非常に心地よく、同時に新鮮な驚きがあった。
やってみるものだね。
ただの下塗りの青だけれど、上手くは描けない。平刷毛を思うように扱うことはとても難しいし、青一色であっても、その濃淡や深みはイメージ通りに作り出せない。それでも、刷毛の動かし方や絵の具の延び具合が生み出す「1点もの」のムラにどこか愛着さえ沸いてきて、自分の気持ちがクリアになっていくような感覚があるんだ。
ただそれだけのことが楽しいのだから、数多くの色を自在に重ね併せて、自分の中のイメージを具現化していく作業というのは、きっとどこか特別な感覚なのだろう。
残念ながらおれにその能力はないけれど、また「下塗り」はしてみたい。
画廊で働くうちのパートナーは、自分でも絵を描き溜めている。自宅の一室をアトリエにして、ケントパネルにアクリル絵の具でイメージを描いていくのだけれど、仕事帰りの疲れた身体でも、驚くほどの集中力でいつも机に向かっている。この1年間ほどで、100枚近くの絵を描いているのだから、絵を描くことが本当に好きなのだと思う。
描き続ける中で、彼女の好奇心であったり、描くことへのこだわりは日に日に高まっていて、最近では遂にカンバスに絵を描くようになった。そして、ずっと欲しがっていたイーゼルもようやく買い揃えることが出来て、アトリエとして使っている4畳半の小部屋は、今では完全にアーティスティックな空間となった。
カンバスとイーゼル。
この2つが揃うと、絵筆を持ったことのない人間でも、描いてみたくなるよね。
だから、真っ白なカンバスを1枚だけもらって、やってみることにしたんだ。
断っておくけれど、絵を描いた訳ではないんだ。
真っ白なカンバス全体に、青のアクリル絵の具で色を塗っていっただけだ。
カンバスに絵を描く時には、まず下塗りをして、その上に色を重ねていくそうなのだけれど、おれがやってみたのはその「下塗り」にあたる作業だ。パレットに青の絵の具を落とし、メディウムと少量の水を混ぜ合わせて適度な軟らかさにする。そして、平刷毛で丁寧に延ばしながら、カンバスを塗っていくんだ。
そしたら、思った以上におもしろかった。
カンバスの上で刷毛を滑らせていくだけの作業がこれほど楽しいとは思わなかった。
不思議と心が落ち着いていく。ちょっと大仰な言い方をすると、ある種のカタルシスのような感覚があって非常に心地よく、同時に新鮮な驚きがあった。
やってみるものだね。
ただの下塗りの青だけれど、上手くは描けない。平刷毛を思うように扱うことはとても難しいし、青一色であっても、その濃淡や深みはイメージ通りに作り出せない。それでも、刷毛の動かし方や絵の具の延び具合が生み出す「1点もの」のムラにどこか愛着さえ沸いてきて、自分の気持ちがクリアになっていくような感覚があるんだ。
ただそれだけのことが楽しいのだから、数多くの色を自在に重ね併せて、自分の中のイメージを具現化していく作業というのは、きっとどこか特別な感覚なのだろう。
残念ながらおれにその能力はないけれど、また「下塗り」はしてみたい。
Sunday, March 12, 2006
岩盤浴
生まれて初めて岩盤浴なるものを体験した。
六本木ロアビル5階にあるストーンスパ「磊の温泉」というところね。
http://www.i-ismspa.com/top.html
低温のサウナに敷き詰められた温かい石の上で寝そべっているだけなのだけれど、非常に気持ちよいです。15分程度入ったら、水分補給をしながら10分ほど休憩して、また15分の入浴。これを2~3回繰り返すと、身体中から汗が噴き出してくる。
室内にはリラクゼーション音楽が耳障りでない音量で静かに流れていて、心地よい寛ぎ空間となっているので、大量の汗を噴き出しながらも、思わず眠ってしまいそうになる。石のベッドは寝心地が悪そうだと最初は思ったけれど、実際に寝転がってみると、多少ごつごつするくらいで、すぐに慣れてしまう。
疲れも取れそうです。
流れ出る汗を感じながら、「疲労というのは物質かもしれない」なんて考えたりして。
練習や試合の後に、ゆっくり時間をかけて行くのもいいかもしれないね。
ちなみに、今日の練習はいまひとつだった。
昨年からずっと同じことだけれど、単純なミスが多かったね。
香港10'sのメンバーがYCACとのゲームで不参加だったので、人数も少なかったのだけれど、主力の彼らがいないだけで、途端に練習のクオリティが下がってしまう。裏を返せば、普段の練習の質を高めるという点において、キーマンとなる数人の選手のパフォーマンスにどれほど依存しているか、ということだよね。
自分自身のパフォーマンスは、自分自身の自覚で持っていかないと。
六本木ロアビル5階にあるストーンスパ「磊の温泉」というところね。
http://www.i-ismspa.com/top.html
低温のサウナに敷き詰められた温かい石の上で寝そべっているだけなのだけれど、非常に気持ちよいです。15分程度入ったら、水分補給をしながら10分ほど休憩して、また15分の入浴。これを2~3回繰り返すと、身体中から汗が噴き出してくる。
室内にはリラクゼーション音楽が耳障りでない音量で静かに流れていて、心地よい寛ぎ空間となっているので、大量の汗を噴き出しながらも、思わず眠ってしまいそうになる。石のベッドは寝心地が悪そうだと最初は思ったけれど、実際に寝転がってみると、多少ごつごつするくらいで、すぐに慣れてしまう。
疲れも取れそうです。
流れ出る汗を感じながら、「疲労というのは物質かもしれない」なんて考えたりして。
練習や試合の後に、ゆっくり時間をかけて行くのもいいかもしれないね。
ちなみに、今日の練習はいまひとつだった。
昨年からずっと同じことだけれど、単純なミスが多かったね。
香港10'sのメンバーがYCACとのゲームで不参加だったので、人数も少なかったのだけれど、主力の彼らがいないだけで、途端に練習のクオリティが下がってしまう。裏を返せば、普段の練習の質を高めるという点において、キーマンとなる数人の選手のパフォーマンスにどれほど依存しているか、ということだよね。
自分自身のパフォーマンスは、自分自身の自覚で持っていかないと。
Saturday, March 11, 2006
逃げない
WMMの先輩に教えてもらった言葉に心をとられてしまった。
『スラムダンク勝利学』の辻秀一さんによるメンタル・トレーニングの講義の中で語られたものだそうだ。とても興味深い内容なので、以下に転載させていただこうかと。
達成したい「目標」に向けて頑張るプロセスには、
カラダにも、ココロにも「負荷」がかかるのが常。
筋トレにしたって、勉強にしたって、
結果を出す為には苦しいプロセスを踏まなきゃならない。
でも、中にはどうしても「逃げて」しまう人がいる。
特に「ココロ」の負荷から逃げることって実は多い。
だって、他人にはバレないから。
何も実行できていなくたって、頑張るフリをしていれば良いから。
一生懸命な素振りをしてれば良いから。
筋トレや練習をサボったら、すぐにバレる。
でも、ちょっと他の事を考えて集中していなくても、
外側の態度に出なければ、他人にはバレにくい。
このココロのサボり=「逃げ」には4つのタイプがある。
①「今」やることから逃げる
明日からやるさ。そうさ、僕はやらなきゃいけないってことは分かってる。
でも今日はどうしてもできない事情があるのさ。明日から絶対やるって。
②「目標」自体を無くす
あんなの目指して頑張ってどうするのさ?意味無いっしょ。
そんなことよりもっとタメになることがあるはずさ!
③考えない
とにかく目の前のことを集中して、ツライことも、楽しいことも忘れて、
無我夢中でやればいいんでしょ。筋トレだって、練習だって、勉強だって、
意味なんかよく分からないけど、こなせば良いんでしょ。
④我慢する
やっぱり世の中根性っすよ。耐えればいいんでしょ。苦しいけど。
でも、何でこんなことやり始めたんだっけな~?ま、あとちょっとで終わるし、いいか。
もうお分かりのように、以上のような「逃げ」をしていたら、
成長は無いし、結果(パフォーマンス)も伴わない。
はっとした。心のど真ん中を射抜かれてしまった。
今まで自分はどれほど逃げてきただろう。「逃げている」という事実にどれほど自覚的であっただろうかと考えた時、本当に恥ずかしくなってしまった。
逃げてちゃ駄目だね。せっかく生きているのだから。自分の可能性に挑戦できる環境でラグビーを続けることを選択したのは、他ならぬ自分自身なのだから。
3月12日(土)、明日からタマリバの新しいシーズンが本格的に始まる。
新主将によって語られた今年度のシーズン・テーマは「こだわり」。
グラウンドの上では勿論のこと、日常生活を含めて細部まで徹底的に拘り抜こうと。
それはつまり、「逃げない」ということだと思うんだ。
限られた時間の中でもっと自分を成長させる為に、自分の気持ちにきちんと正面切って向き合うことをテーマとして、新たな1年間をスタートさせたいと思います。
『スラムダンク勝利学』の辻秀一さんによるメンタル・トレーニングの講義の中で語られたものだそうだ。とても興味深い内容なので、以下に転載させていただこうかと。
達成したい「目標」に向けて頑張るプロセスには、
カラダにも、ココロにも「負荷」がかかるのが常。
筋トレにしたって、勉強にしたって、
結果を出す為には苦しいプロセスを踏まなきゃならない。
でも、中にはどうしても「逃げて」しまう人がいる。
特に「ココロ」の負荷から逃げることって実は多い。
だって、他人にはバレないから。
何も実行できていなくたって、頑張るフリをしていれば良いから。
一生懸命な素振りをしてれば良いから。
筋トレや練習をサボったら、すぐにバレる。
でも、ちょっと他の事を考えて集中していなくても、
外側の態度に出なければ、他人にはバレにくい。
このココロのサボり=「逃げ」には4つのタイプがある。
①「今」やることから逃げる
明日からやるさ。そうさ、僕はやらなきゃいけないってことは分かってる。
でも今日はどうしてもできない事情があるのさ。明日から絶対やるって。
②「目標」自体を無くす
あんなの目指して頑張ってどうするのさ?意味無いっしょ。
そんなことよりもっとタメになることがあるはずさ!
③考えない
とにかく目の前のことを集中して、ツライことも、楽しいことも忘れて、
無我夢中でやればいいんでしょ。筋トレだって、練習だって、勉強だって、
意味なんかよく分からないけど、こなせば良いんでしょ。
④我慢する
やっぱり世の中根性っすよ。耐えればいいんでしょ。苦しいけど。
でも、何でこんなことやり始めたんだっけな~?ま、あとちょっとで終わるし、いいか。
もうお分かりのように、以上のような「逃げ」をしていたら、
成長は無いし、結果(パフォーマンス)も伴わない。
はっとした。心のど真ん中を射抜かれてしまった。
今まで自分はどれほど逃げてきただろう。「逃げている」という事実にどれほど自覚的であっただろうかと考えた時、本当に恥ずかしくなってしまった。
逃げてちゃ駄目だね。せっかく生きているのだから。自分の可能性に挑戦できる環境でラグビーを続けることを選択したのは、他ならぬ自分自身なのだから。
3月12日(土)、明日からタマリバの新しいシーズンが本格的に始まる。
新主将によって語られた今年度のシーズン・テーマは「こだわり」。
グラウンドの上では勿論のこと、日常生活を含めて細部まで徹底的に拘り抜こうと。
それはつまり、「逃げない」ということだと思うんだ。
限られた時間の中でもっと自分を成長させる為に、自分の気持ちにきちんと正面切って向き合うことをテーマとして、新たな1年間をスタートさせたいと思います。
Monday, March 06, 2006
長谷川潔
長谷川潔という銅版画家がいる。
ちょっとした経緯があって気になっていた作家なのだけれど、タイミングよくNHKの「日曜美術館」で取り上げてくれたので、20:00からの再放送を自宅で見たんだ。
おれの感想を一言で言うなら「静謐」。静かすぎるほどに静かだ。
静物画と呼ばれる作品は巷に多数あるけれど、これほどまでに静かな作品世界を創り上げた作家は少ないのではないかと思う。そしてその世界観は、どこかはかない。
例えば、ひとつの林檎を描くとする。林檎の表面には艶やかさがあり、自然が創り出すカーブには生命力が溢れており、きっと表皮の内側には瑞々しさがある。
長谷川潔の作品は、違う。
生命を泥臭く捉えるのではなくて、ひとつの「理」と捉える独特の感覚に満ちている。
洗練され研ぎ澄まされた感性で、理をひとつずつ切り抜いていくような、その独特の雰囲気がとても興味深く、魅力的だと感じた。
横浜美術館で「長谷川潔展」が行われているそうなので、行ってみようかな。
http://www.yma.city.yokohama.jp/
ちょっとした経緯があって気になっていた作家なのだけれど、タイミングよくNHKの「日曜美術館」で取り上げてくれたので、20:00からの再放送を自宅で見たんだ。
おれの感想を一言で言うなら「静謐」。静かすぎるほどに静かだ。
静物画と呼ばれる作品は巷に多数あるけれど、これほどまでに静かな作品世界を創り上げた作家は少ないのではないかと思う。そしてその世界観は、どこかはかない。
例えば、ひとつの林檎を描くとする。林檎の表面には艶やかさがあり、自然が創り出すカーブには生命力が溢れており、きっと表皮の内側には瑞々しさがある。
長谷川潔の作品は、違う。
生命を泥臭く捉えるのではなくて、ひとつの「理」と捉える独特の感覚に満ちている。
洗練され研ぎ澄まされた感性で、理をひとつずつ切り抜いていくような、その独特の雰囲気がとても興味深く、魅力的だと感じた。
横浜美術館で「長谷川潔展」が行われているそうなので、行ってみようかな。
http://www.yma.city.yokohama.jp/
Monday, February 27, 2006
プラネタリウム
作ってみたんだ。
http://shop.gakken.co.jp/otonanokagaku/magazine/vol09.html
大人の科学マガジンの付録なのだけれど、かなり良いです。
思った以上に綺麗な星空が投影されます。
彼女のいない大学生が部屋にひとつ置いておいたらいいかもしれない。
いや、それだとちょっと作為的かなー。
http://shop.gakken.co.jp/otonanokagaku/magazine/vol09.html
大人の科学マガジンの付録なのだけれど、かなり良いです。
思った以上に綺麗な星空が投影されます。
彼女のいない大学生が部屋にひとつ置いておいたらいいかもしれない。
いや、それだとちょっと作為的かなー。
Sunday, February 26, 2006
壷光る
書きたいことは沢山あったはずなのに、機を逃すと書けないものだね。
もう1週間も前になるけれど、ある美術展に足を向けた。
東京美術倶楽部創立100周年記念「大いなる遺産 美の伝統展」というやつだ。
御成門の駅から歩いてすぐのところにある東京美術倶楽部。恥ずかしながら、おれはその存在すら知らなかったのだけれど、明治40年4月に設立された由緒ある会社のようで、日本の優れた美術品の保存・活用を通じて日本美術の発展に貢献すべく活動してきたそうだ。その東京美術倶楽部が、創立100周年を記念して、国宝を中心とする古美術品や、近代日本絵画の名作を数多く集めた展覧会を開催しているということで、会期終了間際に出掛けていったんだ。
様々な作品があった。
富岡鉄斎、横山大観、上村松園、青木繁、竹久夢二、奥村土牛、岸田劉生。
近代絵画の大御所の名前がずらっと並んでいた。
展示作品はどれも質が高く、内容の濃いものになっていた。正直に言うと、近代日本画というのは、観ていてそれほどおもしろいものだとは思わないけれど、その仕事の繊細さや丁寧さ、あるいは色彩や構図の巧みさといったものが明確に感じ取れる作品が多く、極めて良質の展示内容だったと思う。
印象に残っているものを挙げるならば、三岸好太郎と中川一政。どちらの作家も、その作品を直接目にするのは今回が初めてだった。三岸好太郎の作品「雲の上を飛ぶ蝶」では、そのタイトルの通り、雲海の上に広がる青い空を、色とりどりの蝶が舞っている。絶妙な拡がりを持ったその構成と、舞い飛ぶ蝶々の姿は、どこか人間の想像力の拡がりと自由を暗示しているようでもあった。中川一政の作品は、大胆な筆遣いと色彩で荒々しく描かれた「駒ケ岳」。ごつごつとした駒ケ岳の山肌が力強く描かれ、自然の持つパワーが伝わってくる良い作品だった。
絵画の他にも、多くの展示品が並んでいた。
国宝の絵巻物や陶器、書や屏風も多数あり、全体として見応えのある内容だった。
でもね、その中でも一際輝くものがあったんだ。
ただその作品の為だけに、この展覧会はあったのだと思えるような、そんな作品。
それが「花魚扁壷」と名づけられた河合寛次郎の作品だ。
生まれて初めて自分の目で実際に観た寛次郎の作品は、衝撃的だった。
作品の佇まい、フォルム、釉薬の質感、どれもが素晴らしかった。一目見た瞬間に寛次郎の作品と分かるような独特の雰囲気と洗練された美しさを併せ持つその壷は、本当に黄金色に光っていた。少なくともおれにはそう見えた。
壷にあれほど感動したのは初めてだった。繊細にして素朴。河合寛次郎という人間の魅力が詰まっているようで、その作品を観られたことが本当に嬉しかった。
また寛次郎の作品を観たい。
寛次郎自らが建築・設計し、殆どの家具をデザインし、生涯を終えるまでそこで数々の作品の製作に携わったという建物が京都に今も残され、河合寛次郎記念館として一般に公開されている。
いつか行ってみたい。出来れば近いうちに。
もう1週間も前になるけれど、ある美術展に足を向けた。
東京美術倶楽部創立100周年記念「大いなる遺産 美の伝統展」というやつだ。
御成門の駅から歩いてすぐのところにある東京美術倶楽部。恥ずかしながら、おれはその存在すら知らなかったのだけれど、明治40年4月に設立された由緒ある会社のようで、日本の優れた美術品の保存・活用を通じて日本美術の発展に貢献すべく活動してきたそうだ。その東京美術倶楽部が、創立100周年を記念して、国宝を中心とする古美術品や、近代日本絵画の名作を数多く集めた展覧会を開催しているということで、会期終了間際に出掛けていったんだ。
様々な作品があった。
富岡鉄斎、横山大観、上村松園、青木繁、竹久夢二、奥村土牛、岸田劉生。
近代絵画の大御所の名前がずらっと並んでいた。
展示作品はどれも質が高く、内容の濃いものになっていた。正直に言うと、近代日本画というのは、観ていてそれほどおもしろいものだとは思わないけれど、その仕事の繊細さや丁寧さ、あるいは色彩や構図の巧みさといったものが明確に感じ取れる作品が多く、極めて良質の展示内容だったと思う。
印象に残っているものを挙げるならば、三岸好太郎と中川一政。どちらの作家も、その作品を直接目にするのは今回が初めてだった。三岸好太郎の作品「雲の上を飛ぶ蝶」では、そのタイトルの通り、雲海の上に広がる青い空を、色とりどりの蝶が舞っている。絶妙な拡がりを持ったその構成と、舞い飛ぶ蝶々の姿は、どこか人間の想像力の拡がりと自由を暗示しているようでもあった。中川一政の作品は、大胆な筆遣いと色彩で荒々しく描かれた「駒ケ岳」。ごつごつとした駒ケ岳の山肌が力強く描かれ、自然の持つパワーが伝わってくる良い作品だった。
絵画の他にも、多くの展示品が並んでいた。
国宝の絵巻物や陶器、書や屏風も多数あり、全体として見応えのある内容だった。
でもね、その中でも一際輝くものがあったんだ。
ただその作品の為だけに、この展覧会はあったのだと思えるような、そんな作品。
それが「花魚扁壷」と名づけられた河合寛次郎の作品だ。
生まれて初めて自分の目で実際に観た寛次郎の作品は、衝撃的だった。
作品の佇まい、フォルム、釉薬の質感、どれもが素晴らしかった。一目見た瞬間に寛次郎の作品と分かるような独特の雰囲気と洗練された美しさを併せ持つその壷は、本当に黄金色に光っていた。少なくともおれにはそう見えた。
壷にあれほど感動したのは初めてだった。繊細にして素朴。河合寛次郎という人間の魅力が詰まっているようで、その作品を観られたことが本当に嬉しかった。
また寛次郎の作品を観たい。
寛次郎自らが建築・設計し、殆どの家具をデザインし、生涯を終えるまでそこで数々の作品の製作に携わったという建物が京都に今も残され、河合寛次郎記念館として一般に公開されている。
いつか行ってみたい。出来れば近いうちに。
Monday, February 20, 2006
早稲田の挑戦
タマリバの同期を誘って、秩父宮ラグビー場に足を運んだ。
日本選手権準決勝、東芝府中 vs 早稲田大学。
先週末の2回戦で、トップリーグ4位のトヨタ自動車を28-24で破り、学生チームによる18年振りの社会人チーム撃破という快挙を果たした早稲田の更なる挑戦。対する東芝府中は、トップリーグ、マイクロソフトカップを制した社会人の王者であり、特にFWを中心とした激しさと破壊力は圧倒的だ。間違いなく国内最強のチームだろう。
秩父宮のスタンドは満員の観客で埋め尽くされた。
そして、圧倒的多数のファンの声援が早稲田に向けられた。
早稲田のプレーのひとつひとつに歓声とどよめきが起こり、随所に見られた好プレーに対して惜しみない拍手が送られた。
でも、きっと多くの人間は、どこかで早稲田の敗北を予感していた。早稲田の可能性に期待しながら、それでも最後は東芝府中が圧倒するだろうと思っていた。
そして、実際に東芝府中は43-0で早稲田を零封してみせた。
東芝府中は勝つべくして勝った。完勝だった、と言っていいだろう。
ここからは、あくまでおれの私論だ。
異論は当然あると思うけれど、おれの所感を書き残しておきたい。
東芝府中に挑みかかった早稲田の姿には、強く心を打つものがあった。
トヨタ自動車を撃破してみせた先週のゲームとは比較にならない感動があった。
前半の40分間、東芝府中の猛攻を12点に抑えてみせたディフェンス。
サイズ・パワーで劣る集団が、次々に湧き出るように必死のタックルを繰り返す。
鍛え抜かれた狂気のタックル、と言えばいいのか。積み重ねた練習に裏付けられたスキルと能力に自信を持って、そこに、勝利への執念と、ゴールラインを絶対に割らせないという魂が取り憑いたような、凄まじいタックルだった。
中でも特筆すべき選手を挙げるとすれば、内橋、後藤の両LOとWTBの菅野。
内橋、後藤の両LOの仕事量は、本当に凄まじいばかりだった。
あらゆるポイントに彼らの姿があり、仲間が抜かれた時に常にカバーリングしていたのも、やはり彼らだった。上に入るべき時は上に、下に入るべき時は下に、判断力と技術を持ってタックルを使い分け、鍛え上げられたフィジカルの強さを生かして激しいプレーを繰り返していた。そしてWTBの菅野。自分自身の「間合い」を持つ人間の、切れのあるタックル。瞬間的なスピードをもって相手の懐に突き刺さり、幾度となく東芝府中の攻撃を寸断した。
それでも、後半に入ると崩れた。
結果的に43点を奪われ、明日の新聞には「東芝府中、圧勝」の文字が並ぶだろう。
東芝府中、完勝。その通りだ。既に書いた通り、東芝は勝つべくして勝った。
東芝府中には早稲田を上回るフィジカルの強さと自信があり、経験があった。分厚い壁のようなディフェンスラインは大きく崩れることなく、終始ゲームの主導権を握って離さなかった。彼らには社会人王者のプライドと意地があり、なにより自信があった。
それは、紛れもなく、チームとしての「実力の差」だったと思う。
それでも、おれは思うわけです。
それは真実の一端ではあるけれど、もう一端の真実もあるだろうって。
トヨタ自動車に対しては、勝つべくして勝った。
あのゲームは、互角に戦えるだけの実力を備えたチームが、「洗練と徹底」で勝利を掴んだゲームだった。計算され尽くした「挑戦」であり、その体現だった。
今日のゲームは違う。
明確な格上への挑戦であり、計算を越えたところでの勝負だった。その結果が43-0というスコアであり、それが全てかも知れないけれど、そこには確かな光明があった。計算の先に向かう確かな意志に満ちていた。
それは確かに強く心を打つものだったと、おれは思います。
本当に素晴らしいゲームだった。
日本選手権準決勝、東芝府中 vs 早稲田大学。
先週末の2回戦で、トップリーグ4位のトヨタ自動車を28-24で破り、学生チームによる18年振りの社会人チーム撃破という快挙を果たした早稲田の更なる挑戦。対する東芝府中は、トップリーグ、マイクロソフトカップを制した社会人の王者であり、特にFWを中心とした激しさと破壊力は圧倒的だ。間違いなく国内最強のチームだろう。
秩父宮のスタンドは満員の観客で埋め尽くされた。
そして、圧倒的多数のファンの声援が早稲田に向けられた。
早稲田のプレーのひとつひとつに歓声とどよめきが起こり、随所に見られた好プレーに対して惜しみない拍手が送られた。
でも、きっと多くの人間は、どこかで早稲田の敗北を予感していた。早稲田の可能性に期待しながら、それでも最後は東芝府中が圧倒するだろうと思っていた。
そして、実際に東芝府中は43-0で早稲田を零封してみせた。
東芝府中は勝つべくして勝った。完勝だった、と言っていいだろう。
ここからは、あくまでおれの私論だ。
異論は当然あると思うけれど、おれの所感を書き残しておきたい。
東芝府中に挑みかかった早稲田の姿には、強く心を打つものがあった。
トヨタ自動車を撃破してみせた先週のゲームとは比較にならない感動があった。
前半の40分間、東芝府中の猛攻を12点に抑えてみせたディフェンス。
サイズ・パワーで劣る集団が、次々に湧き出るように必死のタックルを繰り返す。
鍛え抜かれた狂気のタックル、と言えばいいのか。積み重ねた練習に裏付けられたスキルと能力に自信を持って、そこに、勝利への執念と、ゴールラインを絶対に割らせないという魂が取り憑いたような、凄まじいタックルだった。
中でも特筆すべき選手を挙げるとすれば、内橋、後藤の両LOとWTBの菅野。
内橋、後藤の両LOの仕事量は、本当に凄まじいばかりだった。
あらゆるポイントに彼らの姿があり、仲間が抜かれた時に常にカバーリングしていたのも、やはり彼らだった。上に入るべき時は上に、下に入るべき時は下に、判断力と技術を持ってタックルを使い分け、鍛え上げられたフィジカルの強さを生かして激しいプレーを繰り返していた。そしてWTBの菅野。自分自身の「間合い」を持つ人間の、切れのあるタックル。瞬間的なスピードをもって相手の懐に突き刺さり、幾度となく東芝府中の攻撃を寸断した。
それでも、後半に入ると崩れた。
結果的に43点を奪われ、明日の新聞には「東芝府中、圧勝」の文字が並ぶだろう。
東芝府中、完勝。その通りだ。既に書いた通り、東芝は勝つべくして勝った。
東芝府中には早稲田を上回るフィジカルの強さと自信があり、経験があった。分厚い壁のようなディフェンスラインは大きく崩れることなく、終始ゲームの主導権を握って離さなかった。彼らには社会人王者のプライドと意地があり、なにより自信があった。
それは、紛れもなく、チームとしての「実力の差」だったと思う。
それでも、おれは思うわけです。
それは真実の一端ではあるけれど、もう一端の真実もあるだろうって。
トヨタ自動車に対しては、勝つべくして勝った。
あのゲームは、互角に戦えるだけの実力を備えたチームが、「洗練と徹底」で勝利を掴んだゲームだった。計算され尽くした「挑戦」であり、その体現だった。
今日のゲームは違う。
明確な格上への挑戦であり、計算を越えたところでの勝負だった。その結果が43-0というスコアであり、それが全てかも知れないけれど、そこには確かな光明があった。計算の先に向かう確かな意志に満ちていた。
それは確かに強く心を打つものだったと、おれは思います。
本当に素晴らしいゲームだった。
Sunday, February 12, 2006
感動について
パートナーと一緒に上野に出掛ける。
彼女が勤める画廊のオーナーに薦められて向かったのは、東京国立博物館で開催されている『書の至宝展』だ。王羲之に始まり、聖徳太子、空海、良寛といった書家の作品が多数展示されており、平日でも大勢が列を成していると聞いていたので、少し早めの時間から出掛けることにした。
正直に言うと、書には全く興味がなかったんだ。
彼女が無料招待券を持っていなかったら、間違いなく行かなかった。
それでも、足りない自分の分のチケットを買って一緒に観ようと思ったのは、もしかすると新たな発見があるかもしれないと思ったから、ではなくて、単純に彼女にひとりで行かせるのは可哀想かなと思ったからだった。
それで感想はというと、残念ながらつまらなかった。
ただ、必ずしも展示された書がつまらなかったという訳ではないんだ。
正確に言うと、つまらなかったのかどうかすらもよく分からない。
というのは、実は殆ど作品が見えなかったんだよね。人混みに囲まれてしまって。
誰もがお金を払って観に来ているのだから、じっくり鑑賞したい気持ちは分かる。
それでも、この展覧会の人混みは異常だったと思う。
あれほど混んでいるのに、誰も先に進もうとしない。他の人間のことを誰も考えない。それに加えて、大多数の作品が目線よりも低い位置に展示されているので、間近を取り囲んでいる人間にしか作品が届かない。甲骨文字のような、少なくともおれからすれば、繁々と見るようなものではないと思ってしまうものの前にさえ、二重三重に人が連なっていたのだから、王羲之や空海など殆ど観られたものではなかった。
ああなってしまうと、もう駄目だね。心が閉じてしまう。
「日々是感動」こそがスタートだったはずなのに、その想いとは正反対だよね。
展示されていた多くの作品に対する印象が、ほとんど皆無です。
もう一度、静かな部屋で観ることが出来たら違うのかも知れないけれど。
その後は、西洋美術館の中にある「すいれん」でランチを食べて、上野の街を適当に散策して歩き、みはしで餡蜜を食べて帰ってきた。みはしの餡蜜は美味しいけれど、杏餡蜜は酸味がちょっと強いので、あまりお薦めじゃないね。
夕方。
自宅に戻ってまず珈琲を入れると、録画してあったVHSのビデオテープを巻き戻す。
録画したのはもちろん、ラグビー日本選手権大会の2回戦。
早稲田大学 vs トヨタ自動車(14:00K.O. @秩父宮ラグビー場)
実際に観に行った人も多いと思う。注目されたゲームだったからね。
結果は早稲田 28-24 トヨタ自動車。学生による18年振りの社会人撃破となった。
試合の詳細には敢えて触れないけれど、素晴らしいゲームだった。
スコアを見れば苦しみながら捥ぎ取った勝利だけれど、早稲田は勝つべくして勝ったように見えた。彼等は周到な準備を重ね、戦略と意志統一を徹底し、目標を最後まで忘れなかった。あのチームが、次のシーズンのタマリバの目標になるんだね。
最後に、この試合を観て思い出されたイチロー選手の言葉と、学生時代にラグビーを通じて知り合ったある方がくれたメールを、ここに書いておきます。
特別なことをするために特別なことをするのではない。
特別なことをするために普段どおりの当たり前のことをする。
三年前、学生王者が社会人に勝つと思った人がいただろうか。でも彼らは本気で信じ続けた。正直今はクラブチームが勝つと思ってる人はいない。でも目標を持ち続けることで真実は覆る。来年の健闘を祈る!
彼女が勤める画廊のオーナーに薦められて向かったのは、東京国立博物館で開催されている『書の至宝展』だ。王羲之に始まり、聖徳太子、空海、良寛といった書家の作品が多数展示されており、平日でも大勢が列を成していると聞いていたので、少し早めの時間から出掛けることにした。
正直に言うと、書には全く興味がなかったんだ。
彼女が無料招待券を持っていなかったら、間違いなく行かなかった。
それでも、足りない自分の分のチケットを買って一緒に観ようと思ったのは、もしかすると新たな発見があるかもしれないと思ったから、ではなくて、単純に彼女にひとりで行かせるのは可哀想かなと思ったからだった。
それで感想はというと、残念ながらつまらなかった。
ただ、必ずしも展示された書がつまらなかったという訳ではないんだ。
正確に言うと、つまらなかったのかどうかすらもよく分からない。
というのは、実は殆ど作品が見えなかったんだよね。人混みに囲まれてしまって。
誰もがお金を払って観に来ているのだから、じっくり鑑賞したい気持ちは分かる。
それでも、この展覧会の人混みは異常だったと思う。
あれほど混んでいるのに、誰も先に進もうとしない。他の人間のことを誰も考えない。それに加えて、大多数の作品が目線よりも低い位置に展示されているので、間近を取り囲んでいる人間にしか作品が届かない。甲骨文字のような、少なくともおれからすれば、繁々と見るようなものではないと思ってしまうものの前にさえ、二重三重に人が連なっていたのだから、王羲之や空海など殆ど観られたものではなかった。
ああなってしまうと、もう駄目だね。心が閉じてしまう。
「日々是感動」こそがスタートだったはずなのに、その想いとは正反対だよね。
展示されていた多くの作品に対する印象が、ほとんど皆無です。
もう一度、静かな部屋で観ることが出来たら違うのかも知れないけれど。
その後は、西洋美術館の中にある「すいれん」でランチを食べて、上野の街を適当に散策して歩き、みはしで餡蜜を食べて帰ってきた。みはしの餡蜜は美味しいけれど、杏餡蜜は酸味がちょっと強いので、あまりお薦めじゃないね。
夕方。
自宅に戻ってまず珈琲を入れると、録画してあったVHSのビデオテープを巻き戻す。
録画したのはもちろん、ラグビー日本選手権大会の2回戦。
早稲田大学 vs トヨタ自動車(14:00K.O. @秩父宮ラグビー場)
実際に観に行った人も多いと思う。注目されたゲームだったからね。
結果は早稲田 28-24 トヨタ自動車。学生による18年振りの社会人撃破となった。
試合の詳細には敢えて触れないけれど、素晴らしいゲームだった。
スコアを見れば苦しみながら捥ぎ取った勝利だけれど、早稲田は勝つべくして勝ったように見えた。彼等は周到な準備を重ね、戦略と意志統一を徹底し、目標を最後まで忘れなかった。あのチームが、次のシーズンのタマリバの目標になるんだね。
最後に、この試合を観て思い出されたイチロー選手の言葉と、学生時代にラグビーを通じて知り合ったある方がくれたメールを、ここに書いておきます。
特別なことをするために特別なことをするのではない。
特別なことをするために普段どおりの当たり前のことをする。
三年前、学生王者が社会人に勝つと思った人がいただろうか。でも彼らは本気で信じ続けた。正直今はクラブチームが勝つと思ってる人はいない。でも目標を持ち続けることで真実は覆る。来年の健闘を祈る!
ウェイト
寝過ぎてしまった。
昨晩1:30にベッドに入り、今日の12:30に起きる。朝飯とも昼飯ともつかない食事を摂って、14:30くらいに再びベッドに潜り込むと、起きた時にはもう17:30だった。
14時間も寝てしまうとは、自分が思っている以上に疲れていたのかなー。
身体の疲れも取れたところで、久しぶりに東京武道館へ行ってウェイトをした。
本当に長い間ウェイトをしていなかった気がする。身体がこれ以上痩せ細っていくのには耐えられないので、今年はなんとかウェイトの時間を確保するようにしたい。
平日にどの程度トレーニングできるかがポイントなんだよね。
ちなみに。
今更ながらジャイログリップを買ってしまった。(知ってますか?)
パートナーはすぐに廻せるようになったけれど、おれは半日くらいかかった。
最初はそのことが悔しかったのだけれど、今ではおれの方が高速で回転させるので、結局のところおれの勝利のようです。
昨晩1:30にベッドに入り、今日の12:30に起きる。朝飯とも昼飯ともつかない食事を摂って、14:30くらいに再びベッドに潜り込むと、起きた時にはもう17:30だった。
14時間も寝てしまうとは、自分が思っている以上に疲れていたのかなー。
身体の疲れも取れたところで、久しぶりに東京武道館へ行ってウェイトをした。
本当に長い間ウェイトをしていなかった気がする。身体がこれ以上痩せ細っていくのには耐えられないので、今年はなんとかウェイトの時間を確保するようにしたい。
平日にどの程度トレーニングできるかがポイントなんだよね。
ちなみに。
今更ながらジャイログリップを買ってしまった。(知ってますか?)
パートナーはすぐに廻せるようになったけれど、おれは半日くらいかかった。
最初はそのことが悔しかったのだけれど、今ではおれの方が高速で回転させるので、結局のところおれの勝利のようです。
Sunday, February 05, 2006
40点の差
2006年2月4日(土)
第43回日本ラグビーフットボール選手権大会、1回戦。
タマリバクラブ 7-47 早稲田大学(14:00 K.O. @秩父宮ラグビー場)
ずっと目標にしてきた試合は、あっという間に終わってしまった。
試合後に残ったものは、40点という点差と、自分への悔しさだった。
早稲田戦を迎えるまでの1週間は、素晴らしいものだった。
何人かの先輩や仲間がメッセージをくれた。
それまで個人的なメールをもらったことなどなかった人達が、メールをくれた。
社会人ラグビーで共にプレーした先輩も、激励の言葉をくれた。
一緒に1年間を戦ったメンバーからの決意表明が次々とメールボックスを埋めていき、業務時間中にも関わらず、何度も泣きそうになった。
決意表明。
考える必要もなく、書くことは決まった。
日本選手権の舞台にタマリバが辿り着いたのは、今シーズンの公式戦を勝ち抜いたメンバーだけの力ではない。チーム創設以来の数年間を支え続けた人達の存在と、日々の練習を共にした多くの仲間の存在があって初めて、この場所は用意されたのだという当然の事実へと、自然に気持ちが向かっていった。
だから、そういう人達の思いに恥じないプレーをしなければいけない。
自分に与えられた責任を果たして、最高のパフォーマンスをしてみせる。
12番での出場が決まった時、最初に思ったのは、そういうことだった。
後半34分。交替が告げられ、ベンチに戻った。
先輩が渡してくれたベンチウォーマーに袖を通しながら、グラウンドを眺める。
既に40点差がついていた。
そして暫くして試合終了の笛が鳴り、今シーズンのタマリバの挑戦は終わった。
悔しかった。
単純なことで、まだ自分自身が足りていないことを思い知らされた。
パスもタックルも、スピードもフィットネスも、自分に対する自信もきっと、まだ足りていなかったのだと思う。先輩に教えてもらった「プレー責任」というやつを、日本選手権の舞台で完遂するだけの土台が、現時点のおれには、まだ足りなかった。
もっと練習するしかないね。自分自身が、もっと成長するしかない。
タマリバクラブとしても、次のシーズンはこの40点がターゲットになるのだと思う。
これからまた1年間かけて、この差を一歩ずつ埋めていくしかないね。
決して小さくはない40点の差を埋める為の日々を、これからまた始めます。
以下、追伸。
試合を終えた翌日、パートナーが録画していたTV東京の『美の巨人たち』という番組を観た。河合寛次郎という陶工を扱った内容で、相変わらず寛次郎の作品は素晴らしいものばかりだったのだけれど、それ以上におれの心に留まったのは、寛次郎の美への態度そのものだった。
寛次郎が若い頃に目指していたのは、中国古来の陶磁器の美だった。寛次郎は、目標とする中国や朝鮮の陶磁の手法に独自の感性を織り込み、斬新な作品を創り上げていく。それは陶芸界に大きな衝撃を与え、結果的に寛次郎は若くして天才の評価を得ることになる。
しかし、その一方で寛次郎自身は、奇妙な思いに駆られていくことになる。結局は先達の模倣ではないのか、中国の古典美をどこまで追い求めても、それを越える作品には辿り着かないのではないか、と。
そして葛藤の末に3年を経た寛次郎は、別の地平へと行き着くことになる。
きっかけは、どこかの展覧会で見かけた茶碗だった。生活の中で使う為に、機能的に形を整えただけのものが、なお美しい。そのことに衝撃を受けた寛次郎は、生活の中に深く根を張った美、即ち「民藝」の世界へと傾倒していったんだ。
美を追い求めず、それでいて美しい、という境地。有名の美を求めず、無名の美を追求し続け、生涯に渡って無名であろうとしたが、その才能ゆえに無名たりえなかった天才。それが、河合寛次郎という人間だったそうだ。
何故こんなことを書いているのか。
それは、タマリバの今後のことを、少しだけ重ね合わせてしまったからだ。
思いつきの域を出ないレベルだけれど。
タマリバは、どのような方向性で今後「強さ」を目指していくのだろう。
例えば、経験と才能の豊かな選手に声を掛けて、良い人材を集める。
あるいは、全体での練習時間をもっと増やしていく。
そういった努力は惜しむべきではないと思うし、強くなる為には不可欠だと思う。
ただ、その方向性だけで突き進んだ時に待っているのは、人材と練習量では、どこまで行っても大学や社会人の強豪には勝てない、という事実かもしれない。大学ラグビーや社会人のトップリーグは、全国から選ばれた才能ある選手達が、ラグビーの為に生活の全ての時間を捧げる世界だからね。
クラブチームの可能性を、どこに見出していけばいいのだろう。
どこかにあるはずなんだ。
寛次郎が「美」の地平を変えてしまったようなことを、「強さ」でも出来ないだろうか。
もちろん簡単には出来ないだろうけれど、それでも、クラブチームゆえの「強さ」というエッセンスは、どこかに成立し得る地平があると思うんだよね。
その具体的なビジョンは全然ないので、あくまで希望に過ぎないけれど。
第43回日本ラグビーフットボール選手権大会、1回戦。
タマリバクラブ 7-47 早稲田大学(14:00 K.O. @秩父宮ラグビー場)
ずっと目標にしてきた試合は、あっという間に終わってしまった。
試合後に残ったものは、40点という点差と、自分への悔しさだった。
早稲田戦を迎えるまでの1週間は、素晴らしいものだった。
何人かの先輩や仲間がメッセージをくれた。
それまで個人的なメールをもらったことなどなかった人達が、メールをくれた。
社会人ラグビーで共にプレーした先輩も、激励の言葉をくれた。
一緒に1年間を戦ったメンバーからの決意表明が次々とメールボックスを埋めていき、業務時間中にも関わらず、何度も泣きそうになった。
決意表明。
考える必要もなく、書くことは決まった。
日本選手権の舞台にタマリバが辿り着いたのは、今シーズンの公式戦を勝ち抜いたメンバーだけの力ではない。チーム創設以来の数年間を支え続けた人達の存在と、日々の練習を共にした多くの仲間の存在があって初めて、この場所は用意されたのだという当然の事実へと、自然に気持ちが向かっていった。
だから、そういう人達の思いに恥じないプレーをしなければいけない。
自分に与えられた責任を果たして、最高のパフォーマンスをしてみせる。
12番での出場が決まった時、最初に思ったのは、そういうことだった。
後半34分。交替が告げられ、ベンチに戻った。
先輩が渡してくれたベンチウォーマーに袖を通しながら、グラウンドを眺める。
既に40点差がついていた。
そして暫くして試合終了の笛が鳴り、今シーズンのタマリバの挑戦は終わった。
悔しかった。
単純なことで、まだ自分自身が足りていないことを思い知らされた。
パスもタックルも、スピードもフィットネスも、自分に対する自信もきっと、まだ足りていなかったのだと思う。先輩に教えてもらった「プレー責任」というやつを、日本選手権の舞台で完遂するだけの土台が、現時点のおれには、まだ足りなかった。
もっと練習するしかないね。自分自身が、もっと成長するしかない。
タマリバクラブとしても、次のシーズンはこの40点がターゲットになるのだと思う。
これからまた1年間かけて、この差を一歩ずつ埋めていくしかないね。
決して小さくはない40点の差を埋める為の日々を、これからまた始めます。
以下、追伸。
試合を終えた翌日、パートナーが録画していたTV東京の『美の巨人たち』という番組を観た。河合寛次郎という陶工を扱った内容で、相変わらず寛次郎の作品は素晴らしいものばかりだったのだけれど、それ以上におれの心に留まったのは、寛次郎の美への態度そのものだった。
寛次郎が若い頃に目指していたのは、中国古来の陶磁器の美だった。寛次郎は、目標とする中国や朝鮮の陶磁の手法に独自の感性を織り込み、斬新な作品を創り上げていく。それは陶芸界に大きな衝撃を与え、結果的に寛次郎は若くして天才の評価を得ることになる。
しかし、その一方で寛次郎自身は、奇妙な思いに駆られていくことになる。結局は先達の模倣ではないのか、中国の古典美をどこまで追い求めても、それを越える作品には辿り着かないのではないか、と。
そして葛藤の末に3年を経た寛次郎は、別の地平へと行き着くことになる。
きっかけは、どこかの展覧会で見かけた茶碗だった。生活の中で使う為に、機能的に形を整えただけのものが、なお美しい。そのことに衝撃を受けた寛次郎は、生活の中に深く根を張った美、即ち「民藝」の世界へと傾倒していったんだ。
美を追い求めず、それでいて美しい、という境地。有名の美を求めず、無名の美を追求し続け、生涯に渡って無名であろうとしたが、その才能ゆえに無名たりえなかった天才。それが、河合寛次郎という人間だったそうだ。
何故こんなことを書いているのか。
それは、タマリバの今後のことを、少しだけ重ね合わせてしまったからだ。
思いつきの域を出ないレベルだけれど。
タマリバは、どのような方向性で今後「強さ」を目指していくのだろう。
例えば、経験と才能の豊かな選手に声を掛けて、良い人材を集める。
あるいは、全体での練習時間をもっと増やしていく。
そういった努力は惜しむべきではないと思うし、強くなる為には不可欠だと思う。
ただ、その方向性だけで突き進んだ時に待っているのは、人材と練習量では、どこまで行っても大学や社会人の強豪には勝てない、という事実かもしれない。大学ラグビーや社会人のトップリーグは、全国から選ばれた才能ある選手達が、ラグビーの為に生活の全ての時間を捧げる世界だからね。
クラブチームの可能性を、どこに見出していけばいいのだろう。
どこかにあるはずなんだ。
寛次郎が「美」の地平を変えてしまったようなことを、「強さ」でも出来ないだろうか。
もちろん簡単には出来ないだろうけれど、それでも、クラブチームゆえの「強さ」というエッセンスは、どこかに成立し得る地平があると思うんだよね。
その具体的なビジョンは全然ないので、あくまで希望に過ぎないけれど。
Monday, January 30, 2006
試合結果
全国クラブ選手権大会、決勝。
タマリバ 10-3 北海道バーバリアンズ
クラブ日本一、勝ち取りました。
秩父宮に足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
残念ながらゲームのクオリティは到底納得できるレベルのものではなく、退屈な思いをさせてしまったかもしれないけれど、とにかく勝ってほっとしています。
本当は書きたいことが山ほどあるけれど、今はしまっておきます。
次は2月4日、秩父宮ラグビー場で行われる日本選手権。
戦う相手は、早稲田大。
ようやくここまで辿り着きました。
スターティングメンバーとして秩父宮に立てることを信じます。
内部さん、中原さん、小寺さん、建太。
応援ありがとうございました。
次も頑張ります。
社会人での3年間に自信を持って、日本選手権の舞台で暴れてみせます。
CTBとして激しく、そしてFLのようにしつこく。どっちが本業か忘れちゃいましたけど。
タマリバ 10-3 北海道バーバリアンズ
クラブ日本一、勝ち取りました。
秩父宮に足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
残念ながらゲームのクオリティは到底納得できるレベルのものではなく、退屈な思いをさせてしまったかもしれないけれど、とにかく勝ってほっとしています。
本当は書きたいことが山ほどあるけれど、今はしまっておきます。
次は2月4日、秩父宮ラグビー場で行われる日本選手権。
戦う相手は、早稲田大。
ようやくここまで辿り着きました。
スターティングメンバーとして秩父宮に立てることを信じます。
内部さん、中原さん、小寺さん、建太。
応援ありがとうございました。
次も頑張ります。
社会人での3年間に自信を持って、日本選手権の舞台で暴れてみせます。
CTBとして激しく、そしてFLのようにしつこく。どっちが本業か忘れちゃいましたけど。
Saturday, January 28, 2006
決勝前夜
1月29日(日)全国クラブ選手権大会、決勝。
タマリバvs北海道バーバリアンズ(12:00 K.O. @秩父宮ラグビー場)
ラグビーを始めて13年、明日は「日本一」という舞台への初めてチャレンジです。
なんとしても勝ちたい。
トップリーグや大学ラグビーのような華やかなものではないけれど、クラブラグビーの世界こそが今のおれの居場所だからね。
残念ながら、おれ自身はリザーブからのスタート。
6月にタマリバに加入してからずっと目標にしてきた大切なゲームで、スターティングメンバーから漏れたことは本当に残念だけれど、出番はあると信じている。
この悔しさを、試合にぶつけるしかないね。
タマリバvs北海道バーバリアンズ(12:00 K.O. @秩父宮ラグビー場)
ラグビーを始めて13年、明日は「日本一」という舞台への初めてチャレンジです。
なんとしても勝ちたい。
トップリーグや大学ラグビーのような華やかなものではないけれど、クラブラグビーの世界こそが今のおれの居場所だからね。
残念ながら、おれ自身はリザーブからのスタート。
6月にタマリバに加入してからずっと目標にしてきた大切なゲームで、スターティングメンバーから漏れたことは本当に残念だけれど、出番はあると信じている。
この悔しさを、試合にぶつけるしかないね。
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