Saturday, March 31, 2012

『コストマネジメント思考法』


コストマネジメント思考法 ―どんな状況でも利益を生み出す




  • 作者: 栗谷 仁

  • 出版社: 東洋経済新報社

  • 発売日: 2010/10/27


昨日の夕方、なんとなく晴れない気持ちで箱崎を後にして、その足で寄ったブックファーストで買った1冊。コストマネジメントは、今、最も必要なことだから。
この分野ではよく登場してくるA.T.カーニーのパートナー、栗谷氏による著作。
率直な感想としては、「まあ、そりゃそうだよね」といった感じかな。
コストに対するアプローチの最も基本的な考え方を整理したもので、新しい発見を求めて読むのではなくて、必ずしも体系化されていない断片的知識を、一本の糸にするために読むのが妥当かなと思います。

ざっとポイントをまとめてみよう。
コストマネジメントには、大きくは「必要性の判断」と「適正化」の2つの軸がある。
まず最初に考えるべきは、必要性。「そもそも、そのコストは必要なのか」を再考し、不必要と判断されるものはやめていく。この際のアプローチにも2つあり、1つは「最適化」だ。例えば、過剰品質の追求に投下されているコストを最適化して、適正な品質水準に持っていくのがこのアプローチだ。もう1つは「変動化」で、固定費としてコストを負担すべきかを見極めて、モノによっては変動費へと変えていく。
ここまでで必要性が認められたコストについては、次に「適正化」の余地を探っていくことになる。必要なコストだとして、「今の水準は適正なのか」を分析・評価することでムダを切り出していくのだけれど、この際の手法として「集約」「分解」「統合」の3つが挙げられている。例えば、ボリューム・ディスカウントは典型的な「集約」の効果だ。「分解」とは、端的に言ってしまえば丼勘定を排除し、真のコスト・ドライバーを炙り出すことで適正化を推進する手法。「統合」では、例えば業務プロセスの統合や、外部(サプライヤー・顧客)までを含めた一連のフローを統合的に考えることで、全体としての効率化を狙っていくことになる。

そして、耳の痛い言葉が。
「前提として透明化が必要である。」
「長年の貸し借りも透明化し、清算することも必要になる。」
「単価・数量(および、購入物ならばサプライヤー、人件費ならば個人別生産性)というミクロレベルの把握なしには、コストマネジメントは不可能である。」

そう。だからこそ、言いたい訳です。
本書のレベルでは、おそらくコスト削減などままならないと。
本当は重要なのは、例えば「実績」や「生産性」の捕捉というのが言葉ほどに簡単ではないという厳然たる事実であり、その現実を前にして、いかに歩みを進めるか、ということなのだから。

Friday, March 30, 2012

『今この世界を生きているあなたのためのサイエンス〈2〉』


今この世界を生きているあなたのためのサイエンス〈2〉




  • 作者: リチャード・A. ムラー、Richard A. Muller、二階堂 行彦

  • 出版社: 楽工社 (2010/09)

  • 発売日: 2010/09


いやあ、面白いなあ。
<1>も非常に興味深かったけれど、<2>もやはり良いです。
それにしても、基礎的な科学の素養がなさすぎるね・・・。
<2>のテーマは、「第四講 宇宙空間の利用」と「第五講 地球温暖化」の2つなのだけれど、特に第四講が面白い。3種類の衛星軌道(地球低軌道(LEO)・静止軌道(GEO)・地球中高度起動(MEO))とそれぞれの用途。偵察衛星やGPS衛星、あるいは気象衛星や放送衛星といったものが、なぜ、どの軌道に位置しているのか。例えばそんなことが、非常に分かりやすく書かれていて、「俺、何にも知らなかったなあ」とか思いながら、ふむふむと読み進めていった。宇宙空間から重力を測定するグレース衛星のことも知らなかった。この衛星によって、南極の氷が年間36立方マイルずつ減少していることが判明したり、ユカタン半島の埋没したチクシュルーブ・クレーター(恐竜を絶滅に追いやった小惑星の衝突跡)の地図が作成されたりしたそうだ。「世の中便利になったなあ」とかつぶやきながら、GPSの構造も知らずにiPhoneのマップ機能のお世話になっている場合じゃないな、と思ってみたりして。
ちなみに、南極の氷の融解が温暖化と無関係であるというのも、その理由を聞くと至極当然の話だ。地球が温暖化すると海水の蒸発量が増大し、この増えた水蒸気が南極に達すると、雪になるからだ。(南極の大半の地域の気温は、氷点下よりもはるかに低い。)そもそも、2001年のIPCCの前の報告書では、「地球が温暖化しているならば、南極の氷の質量は増大する」と予想されていたそうだ。

いい本です。
<1>とセットで読むと、結構多くのことがすっと腹に落ちるかも。

Thursday, March 29, 2012

『愛語』


愛語―よい言葉をかけて暮らそう 山田無文老師説話集




  • 作者: 山田 無文、undefined、山田 無文のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら

  • 出版社: 禅文化研究所 (2005/10)

  • 発売日: 2005/10


先日読了。山田無文老師という禅僧の説話集だ。
体系立てて禅を語るようなものではなくて、80編近く収められたショートエッセイというか、小噺といったものを通じて、「禅という考え方」あるいは「禅という生き方」といったものを伝えてくれる構成になっている。
率直な感想としては、面白かった。まあでも、これを「面白がって」読んでいるようでは、禅的な姿勢に程遠いのかもしれないけれど。

本書を読んだ程度で禅を語るのは、きっと本書に失礼だ。
ただ、なるほど興味深く感じたことは幾つもある。
その中でも印象的だったのは、座っている時だけが禅ではない、ということ。こう書いてしまえば当然のことと感じるかもしれないけれど、「歩いておっても禅、しゃべっておっても禅、飯を食っておっても禅でなければならん」、あるいは「立っても坐っても歩いても、そこに定がなければならん。はたらきがなければ禅が意味をなさん」なんて言われてしまうと、それはまさに全方位的な意味で「生きる」ということそのものであり、ちょっと禅を味わう、なんて生半可なものではないのだということが、強烈なメッセージとして伝わってくる。そう、生き方そのものが問われている訳だ。

禅僧には、正直なれそうもない。
「禅を生きる」、「禅的に生きる」なんて、もう全然言えそうにない。
それでも、本書に綴られた言葉が「愛語」であることは変わらない。
禅を全うすることはできなかったとしても、そこには「気づきのきっかけ」が随所に転がっているのだから。心の持ち方を、ちょっと意識させてくれるきっかけがね。

Sunday, March 25, 2012

『学問のすゝめ』

福沢諭吉『学問のすゝめ』(岩波文庫)

先日読了。
『非常識な読書のすすめ』を書かれた清水克衛さんの推薦本。
まあでも、あまりに有名すぎて推薦本という感じでもないけれど。
そんな訳で、今更ながら、初めて読んでみた。

まず、すごく読みやすい。明治期の書籍と構える必要はないかなと。
そして、新しい。明治期に書かれたというのだから、福沢諭吉はやはり凄い。
自分なりにその要諦を解釈すると、要するに「自立せよ」ということなのかなと思う。国家も、個人もね。そして、そのための手段として、表題の通り「学問」をせよと。
ただ、「学問」による自立というシンプルなテーゼの中に込められたメッセージが、またシビアで、簡単に呑み込めるようなものではないんだ。
例えば、謹慎勉強する学生を評して言う。それだけでは、ただ無頼生でないというだけだと。「謹慎勉強は人類の常なり、これを賞するに足らず、人生の約束は別にまた高きものなかるべからず」と。

昨今の「勉強ブーム」に本質がない気がするのは、こういうところかもしれない。
まさしく列強の危機と向かい合った時代の著作故に、本当は学問を「すゝめ」ているなんて生半可なものではなかったのだろう。

Tuesday, March 20, 2012

『人を助けるすんごい仕組み』

西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』(ダイヤモンド社)

前評判に違わず、素晴らしい1冊だった。
東日本大震災という未曾有の悲劇に対して、自分は何も出来ていないという思いが胸に去来している、おそらくは少なくないであろう数の人達(俺自身を含む)に、そして今の自分の仕事において、どことなく方向感の定まらない思いを持っている人にこそ、読んでみてもらいたい。

大学院の専任講師である西條さんは、仙台出身だった。
あの震災で叔父が行方不明となり、南三陸町に入ると、そこで目の当たりにした現場の惨状に衝撃を受ける。「何かしなければ」との思いから、被災地が必要としている物資を、行政を通さずに、必要としている人達へと直接届ける支援のあり方を構想し、その小さな一歩目が次第に大きなうねりとなっていく。
twitterやfacebookもフル活用して、糸井重里さんやGACKTさん、宮本亜門さんといった著名人とつながっていき、完全無償のボランティア支援に多くの賛同者が結集されていく。Amazonのウィッシュリストを活用して、必要な数の物資を、必要とする個々人に、ダイレクトに搬送する支援形態が確立され、家電製品や生活物資といった様々なものが、信じられないスピードとダイナミズムをもって、次々に被災地へと届けられていく。
本当に凄い。なんというのかな、「自己増殖的な」運動の拡張といった感じで、本書を読み進めているだけでも、ふと冒頭に立ち戻ると、「いつの間に、ここまで展開が加速していたのか」というのが分からなくなってくる程に、ダイナミズムがある。
思いだけでつながった、中心のない組織。いや、中心はあるのかもしれないけれど、構造であること自体に価値を置かない組織。そんなフレキシブルな形態から、数多くの被災地支援プロジェクトが沸き上がっていく。


その根本にあるのは、とてもシンプルな発想。
「構造構成主義」と西條さんは言うけれど、その極めて基本的なエッセンスだけでプロジェクトの根幹が形作られている。
それは、「状況」と「目的」に常に立ち返る、ということ。
何らかの「方法」ありきではなく、常に「状況」と「目的」から、機能する方法を導き出していく。既にどこかにある「方法」というのは、過去の経験をベースにしているけれど、今回の大震災のように、過去の経験では計れない未曾有の状況においては、経験ベースの「方法」が必ずしも機能しないのは必然だったのだ、と。

約300ページの中に、西條さん自身によるそうした「発想の種」と、その種を育てた行動の軌跡とが、山ほど詰まっている。そのスタンスには、きっと多くの人が強烈な刺激を受けると思う。そしてきっとそれは、「震災への向き合い方」ということだけに留まらない刺激となるはずだ。

Sunday, March 18, 2012

dankogai

遅くなってしまったけれど、昨日は小飼弾(dankogai)氏の講演に参加してきた。
19時から渋谷で開催されたちょうど2時間のセミナー。当初予定されていたテーマ(表題)は「ビジネス、エンジニアリングを成功に導く『新しい仕組みづくり』」というものだったのだけれど、当日になって蓋を開けてみると「働いたら負けな理由」になっていた。ちなみにプレゼンテーションは、当日発売されたばかりの新型iPadで。

講演が1時間。Q&Aが1時間。インタラクティブでなかなか楽しかった。
そして思ったこと。小飼弾さんという人は、講演よりも「問答」の方が面白いね。
あれは、かなり凄いです。常人には出来ない切り返しを連投してきて。
印象的だった言葉を、幾つか書き残しておきます。

(オンとオフの切り替えについて問われて)
「自分の胸に、本当に手を当ててください。人間にオフはありません。」

「ルールを破る自由を持っているのが、アマチュア。
自分でルールを作れるが、それを破る自由を持たないのが、プロ。」

(Java/C言語を学んで、これから初めてIT業界へ就職する人へ)
「あなたは『未経験の業界』だと言うけれど、その業界で起こり得る全てのことに対して未経験という訳じゃない。『未知の体験』という体験は、既にしている。」

(ITサービスのマネタイズに関する考慮点を問われて)
「マネタイズ自体が目的であるならば、簡単だ。農業をすればいい。誰もがマネタイズしている。『モノに近い方が、マネタイズしやすい』ということは、知っておいた方がいい。そこにはヒントがあるはずだから。」

「今は『何かをしなければ』という視点しかない。『何をさせないか』という視点もあって良かったのではないか。それがないのは、哀しい。」

「エンジニアの価値は、何かを付け加えることではなくて、ムダな何かを完全に削ぎ落とすことにある。でもそれは、ムダな雇用をも削ぎ落とすということだ。その意味で、現代のソフトウェア・エンジニアリングに携わる人間というのは、最も罪深い人間でもあることを自覚しなければならない。」

「何かの重要性、あるいは価値を捉えるために、そのモノを『抜いてみる』ということを考える。生物科学におけるノックアウトマウスのように。」

ちなみに俺は、1つの質問をした。(事前に送付していた質問が紹介された。)
「仕組み化すれば、生産性は一時的に高まるかもしれない。でもその時に、仕組みでしか動けない人間を量産してしまえば、『仕組み自体の高度化』ができない。一方で、仕組みを最も効率的に廻せるのは、仕組みを疑わない人間だったりする。こうした按配を、どのように取るのが理想的と考えていますか。」
そんな主旨で、事前のメールは書いたつもりだった。

その回答が、また素晴らしかった。
「仕組みと、仕組み化されないものとの按配は常に難しく、具体的なケースによって異なる。ただ1つ言えることは、『仕組みの寿命は日に日に短くなっている』ということだ。そのことは意識しておいた方がいい。」
勿論、ノートに書き落として帰ってきました。

また、「現代の経営者にコーディング・スキルは必要か」という参加者の質問に対して、こんな逆質問があった。
「スティーブ・ジョブスはコーダーだったと思いますか」って。
たまたま俺は、司会者に指名されてしまい、ちょっと考えてから発言した。
「例えば、iTune Storeによって個人に課金するという『仕掛け』をコードした、という意味で、コーダーだったのではないか」って。
それに対して、「いや、それはジョブスじゃないんですよね」と断ってからの、彼の回答がまた凄かった。
「ジョブスは、コーダーをコードしたんです。」

Saturday, March 17, 2012

『非常識な読書のすすめ』


非常識な読書のすすめ ―人生がガラッと変わる「本の読み方」30




  • 作者: 清水 克衛、「元気が出る本」出版部

  • 出版社: 現代書林

  • 発売日: 2012/3/13


本日読了。久しぶりに「ビジネスブックマラソン」から買ってしまった。
俺は本が読みたい訳で、読書本が読みたい訳ではないのだけれど、これは読書本であるだけでなくて、ただ「本」として面白い1冊だ。ちなみに、まさに本書のタイトルが示しているように、読書本もちょっと非常識なものは概して面白いものだ。(例えば成毛さんの『本は10冊同時に読め!』なんかは、かなり刺激的で面白かった。)

もう、ページを繰るごとに「そうだよなあ」と思いながら、読書を楽しむことができた。
唯一違和感を感じたのは、本書のタイトルだ。本書に綴られている読書の考え方は非常識でも何でもなく、ある意味では王道中の王道だと思ってしまった。本なんて、堅苦しく読むようなものではないよね。つまらなければやめてしまっていい。生きていくうえで直接的にはほとんど何の関係ないようなものばかりを読んでいてもいい。人生を深めるかどうかを考えながら読む必要も、正直なところ特にないと思う。(例えば、『さまぁーずの悲しい俳句』という非常に面白い(と個人的に思っている)本が、うちの本棚にはずっと置いてあったのだけれど、あれなんかは個人的には十分に「いい読書」だったなあと。)

いいなあと思ったのは、例えば「疑り深い読書」をしないという指摘だ。
批判的に読む。これは随所で指摘されている読書のあり方で、「本に読まれない」という点で正しい姿勢だと思うけれど、疑り深い読み方というのは、やっぱり違うんだ。どんな本にも良いところがきっとあって、それを探していくように読めばいいじゃないか、と。
ほんと、そう思います。要するに、素直に読めばいいのだと。

篠崎でユニークな書店「読書のすすめ」を運営されている著者の清水さんは、数多くの良い本を、数多くの人に届けてあげたくて、「どんな人に読んでもらいたいか」「どんな人の心に響いてくれるだろうか」といったことを考えながら、読書をするそうだ。
素敵なことだと思います。その域の読書家に、いつかなれるかなあ。

そんな訳で、まずは本書をおすすめしてみよう。
箱崎界隈で仕事をしていて、篠崎へのアクセスは悪くなく、金曜日の夜に帰宅して部屋に放り投げたままの通勤バッグの中に、本が1冊も入っていない人へ。

Friday, March 16, 2012

『ちょっとピンぼけ』

ロバート・キャパ『ちょっとピンぼけ』(文春文庫)

中川さんに刺激されて、本日読了。ちょっと遅くなっちゃったけれど。

アンリ・カルティエ・ブレッソンと共にマグナムを結成した偉大なる報道写真家、ロバート・キャパによる手記。スペイン内戦、北アフリカ戦線、イタリア戦線を経て、ノルマンディー上陸作戦にも従軍。パリ解放の現場にもファインダー越しに立ち会った。最後は第一次インドシナ戦争の取材中、地雷に倒れて惜しくもこの世を去ってしまう。
タイトルにもなっている『ちょっとピンぼけ』というのは、ノルマンディー上陸作戦を撮った写真作品が『キャパの手の震えによるボケ』として発表されたことによるものだ。この時のフィルムを現像する際に、その凄さに興奮した技師が溶剤を加熱しすぎてしまい、貴重なフィルムが溶けてしまう。その結果、まともな写真として残っているものはわずか11枚しかないそうだ。本書で綴られている従軍の軌跡はもう凄まじすぎて、11枚しか作品として救われなかったというのは、あまりにも無慈悲な歴史の悪戯としか言いようがないのだけれど、もしかすると、11枚で良かったのかもしれない。1944年のノルマンディーにあったのは、世紀の大写真家でさえ「ちょっとピンぼけ」にならざるを得ない、あるいはピンぼけでしか表現されないものだったということなのかもね。

色々なことを感じる1冊だ。常識では読めない。
凄惨な戦争のど真ん中を渡り抜いてなお、キャパはセクシーだ。
そしてラストは、ちょっぴり切ない。いや、切ないというと、ちょっと語弊があるかもしれない。戦争という地獄の終焉は、切なくてはいけないはずだ。でも、やっぱり切ない。
女性の視点で読めば、もちろん異なる感想になるのだろうけれど。

Wednesday, March 14, 2012

原点

ちょっと悪い流れかな。
滞留している。うん、何かが滞留している。
シンプルにいえば「仕事が」ということなのだけれど、本質はそこにはなくて、心のどこかに滞留の源がある気がする。流れとよどみはセットのはずなのに、小さなよどみがうまく流れていってくれない感じがして。

さて。
今日は4年ぶりに目黒を訪れた。
名古屋に赴任するまでの5年間、本当にお世話になったお客様へのご挨拶で、ちょっと早めの昼食までご一緒させていただいた。勿論、八ツ目うなぎを。
嬉しかった。箱崎に戻っていながらもう2ヶ月が過ぎてしまったけれど、きちんとご挨拶できて本当に良かった。抽斗の足りない俺は、仕事の話は殆ど出来なかったけれど、ラグビーの四方山話に花が咲いて、穏やかに、楽しい時間を過ごさせていただいて。
ご挨拶の前に、約束の時間よりも少し早めに移動して向かったSEルームも懐かしかった。当時とは別の部屋に移っているのに、空気感はさほど変わらなくて。当時からお世話になっていたメンバーの方も一部残っていて、相変わらずの雰囲気で。

改めて思った。俺は運が良かったなあと。
目黒という場所で、とても大切なものをいただいたという事実を再認識したからだ。

それは、「原点」。
まだ10年足らずのキャリアしかない身なので少々気が引けるけれど、今の自分のベースを育ててくれたのは、間違いなくこの場所だったんだ。仕事の作法や基本、知識やノウハウといったことだけではない。例えばSEルームの空気。先輩方との雑談。小さな部屋の片隅に居場所を作ること。もちろんお客様との接し方や人間関係。表情の交換。言ってしまえば、もう何もかもが。

そんなことを思いながら、田園都市線に揺られて帰ったのだけれど、鷺沼を通り過ぎたあたりで、当時のあるお客様の言葉をふと思い出した。
「仕事ってのはな」
その方とお酒をご一緒させていただいた時なんかは、よく言われていたんだ。
「要するに、ネタとオチだ」って。

ここでようやく俺は、自分の心の小さなよどみに戻ってきたんだ。今の自分のことに。
オチは見えている。あとはネタなんです。

Sunday, March 04, 2012

『不完全なレンズで』

ロベール・ドアノー『不完全なレンズで』(月曜社)
昨日の夕方、キャパの『ちょっとピンぼけ』を買うつもりで書店に寄ると、残念ながらお目当ての1冊が置かれていなかったかわりに、もうこれは衝動買いするしかないという1冊が偶然にも目に飛び込んできた。
ロベール・ドアノー。そして、魅力的なタイトルと装丁。
そんな訳で今、読んでいます。

ドアノーの写真は、とても好きだ。もう1人の大好きな写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソンと比較すると、ドアノーの方が甘美な感じがする。(パートナーによれば、セクシーだと。)
甘美で、どことなく「おちゃめ」な写真。それが、個人的なドアノーのイメージだ。
本書はそんなロベール・ドアノー自身によるエッセイに、幾つかの写真作品が添えられたものなのだけれど、文章もなかなかに叙情的だ。散文的でまとまりはないけれど、詩的で、イメージの彷徨うままにペンを進めたというような感じの文体。
きちんとそのイメージを追っていくのは、正直に言って難しい。
こういうタイプの文章を読む感性が、錆びてしまっているのかも。

でも、そうは言いながらも、本書を買ったことに一切の後悔もありません。
挿し込まれた写真の数々を見ているだけで、もう十分に気分がいいのだから。

『出でよ、平成の志士たち』

梅津昇一『行動がなければ結果もなし。出でよ、平成の志士たち』(丸善プラネット)
一応、弊社推薦図書ということになるのかな。
官民から集められた40代の幹部候補生に対する私塾「フォーラム21」を主催されている梅津昇一さんの著作。現在87歳だというのだから、そのエネルギーは凄いものがある。

「日本という国家の将来像」を考えることが、フォーラムの目的だという。
ただ率直な感想を書いてしまうと、ある程度のフレームが先に決まっている感じがする。
... 言葉の端々に、著者の価値観・思想が垣間見えるけれど、個人的には、そこで暗黙の前提とされているものへの視座こそが、本当は大切なのかなと思っている。
例えば、「このままでは日本は沈没する」と言う。著者に限らず、よく耳にする台詞だ。でも俺には、「沈没」の定義が分からない。それは、国際経済における存在感の低下だろうか。そうだとすれば、それはGDP/GNIだろうか。あるいは、1人あたりGDP/GNIだろうか。更には別の尺度だろうか。定義なき沈没を憂う、というのはつまり何だろうか。
一方では、「これまでのような経済中心の発想では、日本の真の復活はない」と言う。復活という以上は、以前の日本には栄光があったはずだ。それは経済以外で実現された栄光だろうか。経済による復活でないとすれば、では「日本の沈没」というものも、やはり経済以外の指標で語られるものだろうか。
「国家の風格を論じる」という。日本はいかにして風格ある国家となれるだろうかと。でも、そもそも「国家の風格」とは何だろうか。国際政治の文脈において、決然たる態度を示すことだろうか。あるいはもっと、国民1人ひとりの佇まいや生活様式、文化にこそ求められるものだろうか。更に言えば、そもそも国家に風格は必要なのだろうか。「武士は食わねど高楊枝」が風格だとして、「風格なき豊穣」と天秤にかけられたとしても、人は風格を取るのだろうか。
いや、本当はもっと先の疑問もある。官民の幹部候補生が語るべきは、国家だろうか。むしろ「脱国家」、あるいは「超国家」や「非国家」だったりしないのだろうか。企業を中心とした経済活動がここまで国際化している現代において、国家という枠組みに囚われることなく、よりボーダレスなフレームで議論することは出来ないのだろうか。

俺自身に、その解がある訳ではないけれど、そんな疑問が噴出してくるんだ。
少なくとも、「価値」を表す言葉はもっと掘り下げて定義すべきだと思うなあ。
「沈没」や「風格」というのは、マジックワードだから。

Friday, March 02, 2012

『ユーロ・リスク』

白井さゆり『ユーロ・リスク』(日経プレミアシリーズ)
本日読了。もう少しタイムリーな時期に読むべきだった。
昨年6月に刊行された本なので、多少古くなってしまったけれど、ユーロ圏の現状と課題について非常に分かりやすく整理されている。一読しておいて損はない1冊だ。

ユーロ圏を、高リスク国(ギリシャ・アイルランド・ポルトガル・スペイン)、中リスク国(イタリア・ベルギー等)、低リスク国(ドイツ・フランス・ルクセンブルク・オランダ・オーストリア・フィンランド)という3つのグループに分類し、それぞれの特徴を明らかにしていくのだけれど、例えば高リスクの4ヶ国でも、問題の構造は異なっている。巨額の財政赤字と政府発表データ(財政統計)の度重なる大幅修正で信用を失墜させたギリシャ。不動産バブル崩壊で銀行危機に陥ったアイルランド。GDP比でみた対外債務が110%を超えて、ユーロ圏最大であることに加えて、政治危機も重なったポルトガル。財政収支の悪化スピードが極めて速く、2007-2009の2年間でユーロ圏最大となる13%ものマイナスを記録したスペイン。こうして整理されると、一言で「ユーロ・リスク」といっても様々な背景が複合的に絡み合っていることが良く分かる。
ドイツとフランスの比較も面白い。低リスクに分類される6ヶ国でみても、ここ数年で経常収支が唯一マイナスとなっているのがフランスで、ドイツを中心としたその他5ヶ国はプラスだ。なるほど。初歩的なことだけれど、とても勉強になるね。

ちなみに本書の結論は、高リスク国/低リスク国の別を問わず、ユーロを崩壊させることにプラスのモチベーションを見出せる国家はない、ということだ。たとえギリシャに足を引っ張られたとしても、ドイツは足を洗えない。それがユーロだと。