Thursday, March 29, 2012
『愛語』
先日読了。山田無文老師という禅僧の説話集だ。
体系立てて禅を語るようなものではなくて、80編近く収められたショートエッセイというか、小噺といったものを通じて、「禅という考え方」あるいは「禅という生き方」といったものを伝えてくれる構成になっている。
率直な感想としては、面白かった。まあでも、これを「面白がって」読んでいるようでは、禅的な姿勢に程遠いのかもしれないけれど。
本書を読んだ程度で禅を語るのは、きっと本書に失礼だ。
ただ、なるほど興味深く感じたことは幾つもある。
その中でも印象的だったのは、座っている時だけが禅ではない、ということ。こう書いてしまえば当然のことと感じるかもしれないけれど、「歩いておっても禅、しゃべっておっても禅、飯を食っておっても禅でなければならん」、あるいは「立っても坐っても歩いても、そこに定がなければならん。はたらきがなければ禅が意味をなさん」なんて言われてしまうと、それはまさに全方位的な意味で「生きる」ということそのものであり、ちょっと禅を味わう、なんて生半可なものではないのだということが、強烈なメッセージとして伝わってくる。そう、生き方そのものが問われている訳だ。
禅僧には、正直なれそうもない。
「禅を生きる」、「禅的に生きる」なんて、もう全然言えそうにない。
それでも、本書に綴られた言葉が「愛語」であることは変わらない。
禅を全うすることはできなかったとしても、そこには「気づきのきっかけ」が随所に転がっているのだから。心の持ち方を、ちょっと意識させてくれるきっかけがね。