Monday, January 13, 2014

大学ラグビー決勝。

ラグビー大学選手権決勝。
帝京大 41―34 早稲田大(13:00K.O. @国立競技場)

タマリバ時代の仲間3人と久しぶりに再会して、皆でTVでの観戦となった。
個人的な印象だけでいえば、帝京大の完勝だと思う。最終スコアは7点差といっても、実際には危なげない勝利だった。早稲田大の関係者には申し訳ないけれど、底力の差はもっとあるのではないだろうか。ただ、これが選手権決勝だ。きっとそれは、"One of them"では語れないゲームなのだと思う。「それでも帝京大は終始落ち着いていた」とか、「慌てる様子もなかった」といった論評が既に多々見られているけれど、このゲームが特別だというのは、帝京大にとっても変わらない。彼らもきっと死に物狂いだったと思う。でも、それでいいじゃないか。冷静と狂気は、必ずしも相反しないのだから。

ただ思うのは、そういうアンビバレントな状態を上手にマネージする術として、帝京大は1つひとつのプレーと戦術から入っていくアプローチを明確に志向しているような気がする。「狂えよ」という思想がまずあって、その先に「コントロールされた狂気とは、どのようなプレーなのか」というように発想が展開していくのではなくて、とにかくまずは執拗にプレーのクオリティを追求する。ヒット、そしてブレイクダウン。1mの戦いに、フィジカルと技術の双方から具体的にこだわっていく。そこが自分たちの寄って立つ場所だと分かっているからこそ、譲らない。その「譲らなさ」がいつしか冷静と狂気のアンビバレンツを超えていく。帝京大のチーム作りでは、その根幹において、こうした展開が志向されているような気がする。

早稲田大にとっては、やはり中盤でのペナルティが痛かった。前半の反則数は、両チーム共に5つと変わらない。後半に至っては、帝京大の方が明らかに反則数が多かった。ただ、問題は数ではなくてフェーズ、そしてエリアだ。早稲田大が前半に犯した5つの反則のうち、3つくらいは中盤エリアでのもので、これだけで自陣22mラインの内側でプレーせざるを得ない時間帯が大幅に増えてしまった。スクラムの反則についてはちょっとコメントできないが、このあたりがもう少しコントロールされていれば、もっと面白いゲーム展開になっていたような気がする。

アタックに関して言えば、準決勝の筑波大戦よりも遥かによかったと思う。筑波大戦を観た時には、正直に言って、「早稲田大からは、もはやストレートランは消えたのか」と思ってしまうほど、ライン展開に魅力を感じなかったのだが、今回の決勝では、例えばWTBの荻野選手が見せたようなプレー、つまりラインの展開力というよりも、小さなダミーと積極性でどんどん切りに行くようなアタックが見えてきて、これが奏功していたような感じがする。WTBを大外で使うというのはある意味では定型化されたラグビー観でしかなくて、結局のところ、「個が活きる場所がどこにあるのか」をベースに構成されたアタックの方が、相手にとっては遥かに脅威なのだと思う。1人のラグビーファンとして素直な気持ちを語るならば、来シーズンはそんなアタックをもっと見せてもらいたいなあと思っている。

まあでも、やはり決勝戦だ。総じていいゲームだった。
タマリバ時代の仲間で、今は日本ラグビー協会の仕事をしている勝田から、色々な視点でゲームに対するコメントを聴かせてもらえたのも、個人的にはすごく楽しかった。ラグビーの見方や着眼点も人それぞれで、様々なバックボーンを持った人間とラグビーを話していると、それだけで新たな気づきがあるものだ。タマリバ時代の出会いに、改めて感謝しないと。

うん、やっぱりラグビーは面白い。
間違いなく、世界で最も面白いスポーツだ。

Sunday, January 05, 2014

『コンテナ物語』

昨年7月に勤務先で異動になってから、激減したものがある。
それは、本にふれる量。読書量そのものも大幅に、もう悲しくなるほどに減ってしまったのだけれど、それだけではなくて、例えば書店に足を向けること自体が激減した。勤務形態の変化もあって、それまで毎週欠かさずに覗いていた日本橋丸善さえすっかりご無沙汰になってしまい、静かに読み続けているHONZと、その他幾つかの書評サイト程度しか、自分の中で本へのアクセスをキープできなかった。
そのことは、ちょっと後悔している。

そんな訳で、「失われた6ヶ月を取り戻すつもりで」ということでもないのだけれど、この年末年始は、久しぶりに幾つかの本を読んだ。2013年12月中に読み始めていた本もあって、旧年中に読了できなかったのは多少残念ではあるのだけれど、結果的にそれが、本年の「読了初」をかなり幸福なものにしてくれたので、まあいいかなと思っている。

元旦の夜を満たしてくれた本年の1冊目は、昨年から通勤鞄に忍ばせていた本書だ。

コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

  • 作者: マルク・レビンソン, 村井 章子
  • 出版社: 日経BP社
  • 発売日: 2007/1/18

  • さすが成毛眞さんの「オールタイムベスト10」にランクインする名著。最近ではdankogaiもレビューを書いているが、間違いなくお勧めできる1冊だ。コンテナの発明が、ロジスティクスの分野にもたらした革命と、それが真の意味で革命となるまでの軌跡が、非常に精緻に綴られている。なかなか集中して読む機会が取れなかったのだが、一旦読み始めたら、もう一気にページを繰ってしまった。

    本書を読んで感じたのは、dankogaiのいう「パンドラの箱」というやつは、結局は一度空いてしまえばもう元に戻ることはない、ということだ。コンテナリゼーションによるロジスティクスの標準化、効率化、自動化、省力化はまさに革命的で、コンテナが本格的に登場する以前の世界では考えられなかった決定的なコスト削減を実現することになるのだが、同時にそれは、従来型スキームの崩壊を意味していた。例えばコンテナに仕事を奪われることになった港湾労働者達の組合や、海上輸送における価格統制、港湾開発予算の策定と回収スキーム、鉄道やトラックといった他の輸送形態との競争と協業。こうしたあらゆる領域で、まさに「スキーム」が崩壊し、再構成されていく。後世からみれば必然の流れであったとしても、当事者たちの抵抗は本当に凄まじい。そして、もう一方の当事者、つまり革命を仕掛ける側の人間たちも、必ずしも順調に新たなスキームを立ち上げられた訳ではなくて、数限りない失敗を繰り返し、少なくない人間達が、「従来型」の人間達とは異なる形で、身を滅ぼしたりもしている。それでも、コンテナリゼーションはもはや不可逆のトレンドだった。時に停滞があったとしても、頑強なレジスタンスの壁に何度となく跳ね返されたとしても、もう戻れない。

    イノベーションというのは結局のところ、そういうものなのかもしれない。
    それは、たとえその波に綺麗に乗れないと分かっていても、抵抗の先に未来がないものであり、推進者の類稀なる行動力と(結果としての)栄枯盛衰によってしかその種を実らせることができないものなのかもしれない。

    Saturday, January 04, 2014

    Our year

    三が日が終わろうとしている。
    新たな1年も既に3日が過ぎ去ってしまったということだけれど、そもそもベースの価値観として、「特別でない毎日を、特別なものにするために、毎日を過ごす」ことが大切だと考えている俺としては、突き詰めて言ってしまうと、三が日さえ特別なものという訳でもなくて。この3日間に限らず、2014年という1年間を、「365回の今日の連続」と捉えて、今日を大切にしていきたいと思っている。

    まあでも、そうは言いながらも、今年の抱負というか、「今、思うこと」を言葉にしてみようかなと。

    昨年の暮れ、ある親友に宛てた年賀状を書いていてふと浮かんだ言葉がある。
    "Our year"、「俺たちの年」というやつだ。
    昨年末に突然浮かんできたというよりも、実際にはここ1~2年間はずっと頭の片隅にあったことなのだけれど、一個人としての自分自身をもっと成長させることもさることながら、ここ最近、「俺たち」で何かをしていきたい、という思いが少しずつ強くなってきている。俺たち、というのは言葉を変えると「世代」だ。この世代で、動かしていきたい。最も身近には仕事(更には、その延長としての会社)を、ということなのだけれど、それだけではなくて、プライベートの活動であったり、コミュニティであったり、様々な場所でそう感じることが増えてきた。

    昔は、「世代」という意識が全くなかった。もう10年以上も昔のことなので記憶が曖昧だが、「若者には、もはや『世代』という感覚がない。なぜならば、世代で(「別世代」という)共通敵と戦う時代ではなくなったからだ」といったような主旨のエッセイを読んだことがある。おそらくは村上龍のエッセイだったと思うのだけれど、当時の俺は、その言葉を比較的素直に受け入れていた。いや、受け入れていたというよりも、実際には「熱病」に近かったのかもしれない。世代という概念そのものを否定する感性に、どこか魅力を感じていたのだと思う。

    それなのに今、当時から10数年の月日を経て、30代後半に差し掛かってきた俺は、親友に宛てた年賀状に書いている。"Our year"だと。俺たちの1年にしようぜと。それって何なのかなと、久しぶりに帰省した愛知の実家で、家族との年末年始をゆっくりと過ごしながら、自分なりにつらつらと考えていた。

    そして一旦の着地点として行き着いた結論は、ごく当然のことだった。
    「世代」というのは、共通敵との対峙によって確立されるものではなくて、仲間の延長概念なのだと。同じ頃に産まれて、同じような場所で過ごしてきた仲間であったり、まさに今、同じ場所で生きている仲間がいて、そういう仲間への意識を敷衍していくと、自分の知らない別の場所にも、自分と同じ頃に産まれて、大きな意味では自分と同じような葛藤を抱いている人がいるのだという当たり前の事実に行き着いていって、そうして気づいた時には、小さな仲間意識だったものが、世代という意識の種とでもいうようなものになっていくのではないだろうか。

    共通敵は、いなくてもいい。
    社会学者がよく言うような「大きな物語」なんて、なくてもいい。
    同じ頃に、同じような場所で、同じように自分自身と向き合ってきた仲間がいて、そういう仲間と"Our year"を積み重ねていくことが出来たならば、それだけでいいじゃないか。たとえ今の居場所が人それぞれであっても、そういう仲間は間違いなくいるのだから。

    そして、そういう仲間に恵まれただけでも、すごく幸せなことなのだから。

    Sunday, November 03, 2013

    何をミスとするのか

    昨晩は寝つきが悪かったので、あきらめて色々と考えてみた。
    ジャパンとオールブラックスとの一戦のことを。
    録画観戦なので、秩父宮で直接観られた方からすると肌感覚で違う部分があるかもしれないけれど、とりあえず個人的な感想として綴ってみようかなと。

    「ミスをしたら、勝てない」
    ゲーム全体の印象としては、つまるところ、そう感じた人が多かったのではないだろうか。もちろん、ミスが全てではないのは明らかだけれど、一方で、単純なミスがそのまま失点に繋がってしまい、自ら流れを手放してしまったのも事実だ。そのこと自体は、やはり惜しまれてならない。

    ただ、このゲームを観ていると、思わずにはいられなかった。
    「そもそも、何をもってミスとするのか」ということを。

    具体的に、想像してみたい。
    ハーフタイムを終えて迎えた後半のピッチ。自分たちよりもサイズに優れた格上を相手に、22点差を追う展開。劣勢でも、チームはタイトにプレーしていたとする。まずは3トライ・3ゴールの射程圏に入りたい。そのためには、辛くても仕掛けよう。テンポを上げて、フェーズに拘って。でも、簡単じゃない。我慢のポイントで、FWが枯れてくる。でも、今なんだ。ラックの最後尾に顔をのぞかせたボールをハーフが掻き出して、これ以上ないテンポで走り込んできたペネトレーターにパスアウト。でも、そのフェーズで彼は孤立して、ボールを奪われてしまう。

    誰のミスだろうか。そもそも、ミスだろうか。
    孤立したランナーのミスなのか。サポートが遅れたファースト・アライバル・プレーヤーのミスなのか。実はアライバルさえ出来なかったフローター、あるいはボールキープに意識を切り替えることができなかった近場のバックスのミスだろうか。もしかすると、孤立するリスクがある選手にパスアウトしたハーフの判断ミスかもしれないのだろうか。

    この日のジャパンがそうだった、と言いたい訳ではない。あくまで想像のシーンだ。でも、この試合を観ていて俺は、「ミスに対する目線」ということを考えずにはいられなかった。

    ノックオン。ハイパントのキャッチミス。確かに惜しまれるし、残念ではあるのだけれど、個人的には「たぶん、そこじゃない」という気がしている。田中史朗は、FWが枯れていても、消耗度が脳裏にインプットされていても、自分の理想のパスを出そうとしたのではないかなと。ヘンドリック・ツイはスクラム、ラインアウトで仲間が必死のファイトをしていることを十分承知の上で、ブレイクダウンに言い訳をしようとはしなかったのではないかと。例えばそういう勝手な想像を、どうしてもしてしまうのだ。今のジャパンは、ミスに対する目線をよりシビアにしていくチームのはずだから。

    NZのディフェンダーは、孤立したジャパンのランナーをきちんと仕留めると、ほぼ確実にターンオーバーに持っていく。彼らにとって、このシチュエーションでボールを奪うのは当然のことで、「ここで奪えないようならば、それはミスである」という目線が当たり前のように共有されている。現場に行っていなくても、きっと間違いないだろう。プレーがそう物語っていたからだ。

    自分にとってのラグビー観も、そうやって捉え直していきたい。
    ミスしたら、勝てない。でもきっと、それだけでは思考停止なんだ。
    ミスに対する目線をどこに持つのか。
    そこに思想と、日々の練習に裏付けられた確かな信念が必要なんだね。

    Sunday, October 20, 2013

    アタックの生命線

    学習院大とのゲームには、本当に多くのポイントが詰まっているのだけれど、もう1つだけ書いてみたい。今年のチームが標榜する"Attack"について。

    前半9分40秒頃。ハーフウェイライン左サイドのマイボールLO。1次攻撃で7番を使ってグラウンド中央でラックにすると、そのまま順目に展開。12番が綺麗なタイミングで放った柔らかいパスがFBに渡ると、20m近くのビッグゲインとなって、右サイドライン際で再度ラックフェーズ。ここで、ラックからボールを捌こうとしたSHに対して、ライン際のショートサイドにいた相手の4番が飛び出してきて、パスモーションに入ったSHを浴びせ倒す。結果的にはオフサイドだったので、チームはタッチに蹴り出して、敵陣ゴール前でマイボールLOのチャンスを得た。

    このシーンは、おそらくチームで総括されていないのではないだろうか。このシーンを繰り返しチェックした部員は、何人いるだろう。マイボールのPKを得たのだから、まずはOK。その後のラインアウトの方が重要。そして結果的に、ここからの一連でチームはトライを挙げたのだから、基本的にはナイスアタック。そう感じている選手も少なくないのかな、という気がしている。

    でも、考えてみる価値はあるんじゃないか。
    仮に今、一部で戦う青学大や成蹊大と戦っていたとして、20mを越えるロングゲインを許した直後のラックで、自分たちはオフサイドできるだろうか、って。

    あの時、ライン際からオフサイドで飛び出してきたのは、相手の4番だ。彼は最初のLOではフローターで、順目を押さえやすかったのは事実だけれど、突進するこちらのFBを必死に追いかけて、そのまま20m後方のラックサイドにポジショニングした。一方で、このラックで仕事をした味方のフォワードは何人いただろうか。ゼロだ。1人もいない。20m以上ラインが押し上がっているのに、そのラックに誰も到達していないんだ。こちらの両LOは、どこにいただろうか。1次フェーズで突っ込んだ7番はともかく、6番はどこにいるんだ。1次のラックは、ほとんどスイーパー不要でクリーンに捌けているはずなのに。SHの到達も、遅い。このフェーズを活かすのが今年のチームの命綱だと思っているならば、相手のオフサイドなど関係なく捌くべきボールだ。ラックからボールがこぼれ出た瞬間に、ダイブでも何でも構わないから、絶対にパスアウトしてほしい。いや、しないといけない。そういうフェーズだったはずなんだ。

    もちろん、SHだけを責められない。相手の4番がオフサイドできた理由を考える必要がある。これも、俺の中でははっきりしている。20m以上ゲインした直後でさえ、ラックを前で組めていないために、オフサイドラインが下がらないんだ。ラックの最後尾が、まったく動かない。だから学習院大は、ピンチの局面においても、きちんとスタートを切れる。時にそれがオフサイドであっても。

    残されたゲームは、あと3つ。
    誰もが今年の”Attack”を体現したいと思っているはずだ。でも、その時に生命線となるのはきっと、SOのパスでもなければ、サインの精度や選択でもない。

    ブレイクダウン。特にラックへの反応力と集中力。
    いや、もっと単純でいい。まずは、誰よりも早くラックに到達すること。
    ただこれだけを考えればいいと、俺は思います。

    「小さな瞬間」に全力を

    再び対抗戦のことを。
    もう1ヶ月前のゲームなのだけれど、学習院大との開幕戦をチェックしてみた。
    次のゲームが一橋大ということを考えると、最も参考にしやすいのかなと。
    そうしたら、色々と見えてきた。

    今シーズンのチーム目標を考えると、絶対に負けられないという決意を胸に臨んだ開幕戦だったのだと思うけれど、ファイナルスコアは20-26。前半を20-21の僅差で折り返すも、後半3分に追加点を許してしまい、そのまま逃げ切られてしまった。このゲームは、選手たちの中でどのように総括され、そして今、この惜敗から何を得ようとしているのかなあ。もしかすると、先日の明学戦以上に、今、見返した方がいいゲームなのかもしれないと、俺は思うのだけれど。

    ゲーム全体をみれば、前半7分に失ったトライがターニングポイントだったかもしれない。自陣10mよりやや後方、左サイドの相手ボールLO。相手スローが乱れた後のこぼれ球を確保して展開すると、グラウンド中央あたりでラック。これをSHがクイックにパスアウトすると、SOから右オープンにキックする。でも、このボールをカウンターされて、最後は相手WTBがライン際で上げたショートパントの処理をミスしてそのまま拾われ、ポール下まで運ばれてトライとなった。

    キック処理のミスは、結果論。惜しまれるけれど、どうでもいい。
    それよりも、チームで意見交換はされたのかなあ。

    あのトライがポール下でなければ、前半が20-19だったかもしれないことについて。

    相手のWTBが突進したのは、左のライン際。ショートパントの落下地点も、こぼれ球を拾った場所も、もちろんライン際。でも彼は、やすやすと正面にトライした。
    理由もはっきりしている。こちらのSOが蹴ったボールを受けた相手ランナーが1次ディフェンスを切った時点で劣勢のフェーズになることが分かっていながら、誰1人として、「次に埋めるべきスペース」へとコースを切り替えていなかったからだ。いや、コースだけじゃない。そもそも、誰1人として「全力で」追いかけていなかった。最後にポール下まで戻ってきた左WTBに、正面でトライさせないという意地は、全く見られなかったけれど、それだけじゃない。そのはるか前に、1次防御を切られた瞬間のチームの反応力で、既に勝負はついていた。
    絶対に負けられないゲームの、前半7分に。

    今、俺はコーチでも何でもないけれど、チームのことは好きだから、悔しくてたまらない。明学戦をみて感じたショックと同じものが、あの瞬間にも既にあったんだ。そのことが惜しまれてならない。あの場面でトップギアが入らないというのは、誰よりも選手自身が、自分達の可能性を信じ切れていないということになってしまうのだから。

    正面にトライさせなかったとしても、ゴールは入っていたかもしれない。20-19で迎えても、結果がどうだったかは分からない。でも俺は、もう勝手に確信している。あの瞬間に「本当のベスト」を尽くせるようになるだけで、そういう「小さな瞬間」に本気でこだわっていくだけで、チームは劇的に強くなるということを。

    明学戦 #2

    昨日チェックした対抗戦のことが、まだ気になっている。
    いまやコーチでも何でもない、ただのOBの戯言になってしまうけれど。

    キックオフ直後の前半1分。
    相手のオフサイドで得たPKをタッチに蹴り出して、敵陣左ゴール前ラインアウト。やや後方でマイボールをキャッチすると、モールを組んだ次の瞬間、ショートサイドに控えたNo.8にパスをして突破を図るサインプレー。彼が力強く相手ディフェンダーにヒットすると、更に左サイドにFWが持ち出して、いきなりの先制トライになった。

    これも率直に書いてしまうと、この一連をビデオで見て最初に感じたのは、実はとても強い疑問符だった。サインプレーの選択に、という訳ではない。サインプレーでNo.8が仕掛けることが分かっていながら、彼へのサポートがあまりに遅かったからだ。そして、最終的にトライになったピック&ゴーのタイミングが、自分の理想よりも1テンポ遅かったからだ。

    今日は、チームはオフかなあ。ミーティングは、明日だろうか。
    このプレーは、今シーズンのチームにとって、どのように総括されていくのだろうか。
    No.8の彼は力強いヒット、そしてドライブを見せていた。これは、個人プレー。でもここに、彼が対面にヒットした瞬間、後方からトップギアで肩をぶち込んで、彼の身体もろとも押し込むロックがいると、ユニットプレーになる。スロワーとしてライン際に残っていたフッカーが、彼と相手ディフェンダーとの接点が生まれる場所を見極めて、ヒットの次の瞬間、相手がもう密集の左サイドからは頭をねじ込めないほどタイトなサポートを見せてくれると、初めてサインプレーになる。
    そして、この3人が「チームの約束」をきっちりと果たしてくれることを信じて、既にボールアウトされたモールからFWが一斉にブレイクして、このラックに命をかけてくれた時に、この一連は本物のチームプレーになる。

    強い個人を核にしたチームプレーはきっと、もう1つ上のレベルの相手であってもゲインラインを切ってくれるはずだ。でも、そのもうちょっと先も、きっとあって。それが、最後のピック。あれがもう1テンポ早かったならば、もう1つ上のレベルの相手からも「トライ」を狙えるんじゃないかなあ。ボールの白い腹がラックの最後尾に顔をのぞかせた次の瞬間、そこからもう消え去っているようなそんなタイミングで、ピックしてほしいんだ。この時、今度は「チームプレーによって個が活かされる」というもう1つ別のループが、グラウンドに生まれるんじゃないかなあ。

    完全に妄想のようなものかもしれないけれど、チームの中でそんな会話がされていたら、俺としてはとてもうれしい。そして、「でもそのピックって、常にグラウンドのボールを最速で拾う意識ですべてのメニューをこなしてないと、たぶん出来ないよなあ」なんて台詞がロッカールームに転がっていたら、もっとうれしい。

    明学戦 #1

    ビデオでチェックした対抗戦のことを。
    前半終了時のスコアは、8-31。
    ハーフタイムの時点で、このスコアはどう受け止められていたのかなあ。

    後半3分。自陣右サイドのLOモールからSHが上げたハイパントは、FWが最もラッシュしやすいはずの場所にまっすぐ落ちたのだけれど、チェイサーが入れ違いになってしまい、カウンターを受けてしまう。するすると相手の11番にDFを切られるも、インゴール直前でカバーディフェンスが何とか引っ掛かり、相手のノックオンでなんとか救われて。

    でも俺は、本当のことを言うと、ちょっとショックだった。
    キックチェースのディフェンスが整備されていなかったことに、ではない。ゴールラインに向かって突進する相手ランナーの背中を追って、本気で戻ろうとする仲間がほとんど誰もいなかったことに。カバーに走ったバックスがきっとトライライン目前で止めてくれると信じて、そこで出来るはずのポイントサイドを誰よりも早くカバーしようとスタートダッシュを切っていたフォワードが誰もいなかったことに。8-31で迎えた後半3分に

    あの瞬間、誰よりも必死に自陣トライライン目前で出来るはずのラックを信じて、そこにカウンターラックを仕掛けようとするロックを見たい。相手SHがポイントに到達する前に、もう順目で地面に手をついてスタートの構えを取っているフランカーを見たい。そういうやつらがいることを知っているからこそ、全く逆サイドからでも死ぬ気で走ってくるオープンWTBを見たい。
    勝ちたい心というのはきっと、そういうことだと思うんです。

    いいプレーもたくさんあって。決して落ち込んでばかりいる必要もなくて。
    でも、相手だって勝ちたいのは同じだから。
    残りの試合で、目の色を変えて走リ出すヤツがきっと、このチームをもっと成長させてくれるのだと思います。ゲームに出られないメンバーも、マネージャーやトレーナーも、きっとそんな姿を見たいはずなんです。

    Thursday, August 15, 2013

    子ども靴業界のプロジェクトX。『開発チームは、なぜ最強ブランド「瞬足」を生み出せたのか?』

    開発チームは、なぜ最強ブランド「瞬足」を生み出せたのか?―苦境からの大逆転! 子どもの2人に1人が履く奇跡のシューズ誕生物語

  • 作者: アキレス株式会社「瞬足」開発チーム
  • 出版社: U-CAN
  • 発売日: 2013/7/12

  • イノベーションの必要性が叫ばれて久しい昨今の産業界だが、この言葉を耳にすると、ITのように最先端のテクノロジーを駆使した業界ばかりを思い浮かべてしまうものだ。でも実際には、思いもよらないほど身近なところにも、その種は眠っているらしい。なにせ、テクノロジーの匂いもしなければ、新たな潜在ニーズが喚起されることも一見なさそうな「子ども靴」というプロダクトに、業界地図を大きく塗り替えるような見事なイノベーションがあったのだから。

    本書は、幼い子どもを持つ親御さんには言わずと知れた子ども靴の人気ブランド「瞬足」が生まれ、そして大きく育っていく軌跡を綴ったビジネス書だ。製造したのは、株式会社アキレス。社名を聞いてもピンと来ないかもしれないが、スポーツ靴ブランド「SPALDING」を展開している企業だと聞けば、身近に感じるのではないだろうか。実際にはシューズ専門メーカーという訳ではなくて、創業以来のプラスチック加工技術をコアとして、車輌内装用資材や建築資材といった産業資材を幅広く取り扱っている。シューズ事業においても、インジェクション(射出成型法)と呼ばれる世界トップレベルの技術力を武器として成長してきた企業だ。

    そのアキレスが、2003年に発売を開始した子ども靴ブランドが「瞬足」だ。これがジリ貧状態の続いていた子ども靴業界において、異例の大ヒットとなった。その凄さは、この10年間で瞬足ブランドが達成した数字をみれば一目瞭然。これまでの販売累計はなんと4,000万足、発売後10年を経た今でも年間販売数600万足を誇っている。2012年時点で、瞬足のメインターゲットである子ども(3~12歳)の数は、日本全国でおよそ1,000万人強なので、およそ2人に1人の子どもが瞬足を履いていることになる。「通学履きでは年間150万足が限界」という業界の常識を大きく越えて、今なお子供たちから絶大な支持を集めているのだ。

    「瞬足」の特徴といえば、なんといっても「左右非対称ソール」だろう。実際のソールを見ていただきたいのだが、左右どちらの靴も、履いた時の左側部分(ソール画像でみると向かって右側)にスパイクが埋め込まれているのが分かるはずだ。運動会のかけっこで子供たちが走るトラックは、ほぼ全て左回りだということに着目した開発チームが、コーナーリングの際に体重がかかるソールの左側にグリップを効かせてはどうかと発案した。運動会という年に一度の晴れ舞台で、子供たちがコーナーをスムーズに転ばず走れるように。そんな想いから生まれた常識破りの構造が、業界を大きく変革するイノベーションになった。

    ただし、「瞬足」はあくまで「通学履き」だ。特別な日だけ履くようなモノじゃない。毎日履いて、学校に通ってもらうための靴として開発されている。それなのに、左右非対称。ビジネスという観点でみれば、ここが面白いポイントだと思う。日常的にはごく普通のソールとして機能しながら、運動会の日だけは特別なグリップが助けてくれる魔法のシューズ。その柔軟な発想力には驚かされる。

    それにしても、「瞬足」の誕生秘話は味わい深い。
    少子化の波や製造工程のオフショア化に揺れる業界。苦境に立ち向かうために組織横断的に選ばれた「七人の侍」と、起死回生のアイデア。しかし、製造工程はコストとの戦い。作ってくれる工場探しに苦戦する中で、侍の想いに応えてくれた1人の中国人社長。そして、成長へ。
    こうして書いてみると、まさに子ども靴業界の「プロジェクトX」だ。中島みゆきの歌声が、そして田口トモロヲの特徴的なナレーションが今にも聴こえてきそうな感じがする。非常に読みやすい本なのに、心の中で思わず田口トモロヲ風に読んでしまい、読書のペースが上がらないことだけが難点だ。

    ビジネスパーソンにとって、本書には様々な示唆があるはずだ。売上の低迷は、マーケットのせいではないかもしれない。モノを本当の意味でコモディティに貶めてしまうのは、「所詮は差別化できる類のモノじゃない」という先入観そのものかもしれない。高度なマーケティング理論を駆使する専門部隊がいなくても、革新的なテクノロジーに積極投資できるような会社でなかったとしても、身近な世界を変えるイノベーションは可能であり、本当はそれこそが、ビジネスの醍醐味なのかもしれない。

    Saturday, August 10, 2013

    数字で考える

    自分の仕事が変わってきて、ここ2週間ほどバタバタの日々を過ごしている。 
    数字で考えるのが大切だというのはずっと前から分かっていたことなんだけど、得意ではないので、それとなくずっとやり過ごしてきて。それが今、仇になっている。

    数字を細かく追うことは、時として壮大な無駄だと思う。でも一方で、細かくなければ分からないことがあるのも事実で、大袈裟に言ってしまえば「神は細部に宿る」ということもある。

    喰わず嫌いもそろそろ限界かも。
    壮大な無駄に対する諦念ばかりが口を衝いて出てきてしまう今日この頃だけれど、その前に、まずは大枠でも数字つかめよと。
    今しないといけないことは、きっとそういうことなんです。

    『ねこ背は治る!』(reborn)

    ねこ背は治る! ──知るだけで体が改善する「4つの意識」
    ねこ背は治る! ──知るだけで体が改善する「4つの意識」

  • 作者: 小池 義孝, , 小池 義孝のAmazon著者ページを見る, 検索結果, 著者セントラルはこちら, さわたり しげお
  • 出版社: 自由国民社
  • 発売日: 2011/10/28

  • 本は基本的に何でも読むけれど、今日は軽めのものを。
    私、今晩をもって生まれ変わります。rebornです。酷い猫背に別れを告げて。
    これまでプロフェッショナルのトレーナーに支えていただいたこともあったのに、今更このレベルかよと言われそうだけれど(苦笑)、今日からでも身体の基本的なことを意識できた方がいいからね。

    Tuesday, July 30, 2013

    『半沢直樹』

    今日は所属部門の歓送迎会だったのだけれど、TBSドラマ『半沢直樹』が結構な話題になっていた。おれも妻の誘いに乗って一緒に観ているのだけれど、実際のところ、かなり面白い。池井戸潤の原作も売れているようだけれど、3話まで乗せられてしまうと、むしろ先に原作を読んでしまうのが勿体ない気がしてきてしまう。
    でも、実はこのドラマを観ていると、ちょっとだけ気が重くなる部分もあって。会社員の悲哀というか、結構、痛いところを衝いてくる感じがするんです。もちろんドラマなので当然ながら脚色されているにしても、似たようなことは実際の企業社会でもある訳で。例えば「銀行は人事が全て」という渡真利の台詞は、銀行に限った話でもないのだから。

    人事は組織運営の要諦だと思う。人事が全てというのは、ある意味で嘘じゃないとも思う。そうであるならば、人事を巡る人間模様や駆け引きがあるのも当然で、別に白河の清い流れを夢想する気もない。でも、目的を失った「人事のための人事」とでもいうようなものが、そして人事に明け暮れる組織というものが確かにあって、そこに若干の重苦しさを感じてしまう。エンドユーザー、顧客が置き去りにされた壮大な無駄。そうとしか言いようがない不毛な人事戦争は、ドラマだけでもないのだということに。

    オレたちバブル入行組 (文春文庫)
    • 作者: 池井戸 潤, , 池井戸 潤のAmazon著者ページを見る, 検索結果, 著者セントラルはこちら
    • 出版社: 文藝春秋
    • 発売日: 2007/12/6

    オレたち花のバブル組
    • 作者: 池井戸 潤, , 池井戸 潤のAmazon著者ページを見る, 検索結果, 著者セントラルはこちら
    • 出版社: 文藝春秋
    • 発売日: 2008/6/13

    Monday, July 08, 2013

    プログラムの背景

    ちょっと遅くなってしまったけれど、先日開催された社員研修@横浜のことを。

    7月4日(木)、5日(金)の2日間、約4,000人の社員が参加した大規模なプログラムが催された。基本的には研修なのだけれど、感覚的には「イベント」といった方が近いかもしれない。まあ、なかなかの規模だった。膨大なコンテンツがすべて英語だったこともあって、参加する側としても正直かなり疲れたけれど、これくらいの規模になってくると運営側も相当大変だったのではないかと思う。2日間、朝から晩まで各方面に気を廻し続けて、おそらく研修に参加した社員以上にキツイ時間だったはずだ。こうした縁の下を支えてくれる人たちの存在があって、初めて社員は成長の機会を与えられる訳で、まずは何よりも感謝したい。

    4,000人の社員が、2日間にわたって英語で研修を受ける。
    チーム単位でのワークショップでも、英語で資料を作成する。
    ランダムに選ばれたチームは、5分程度のプレゼンテーションをする。もちろん英語で。
    初日、2日目共に、エグゼクティブやら特定の分野の専門家やらの講演をひたすら聴く。
    もはやイングリッシュ・シャワーの世界だ。
    さて、研修効率としてはどうだろうか。

    考えるまでもなく、低いに決まっている。外資系とはいえ、研修効率を全く阻害しないレベルの英語力を備えている社員なんて、ほんの一握りしかいない。コンテンツに対する理解を深めて、短期的にスキルアップを図るならば、すべて日本語の方が圧倒的に効率的だ。プレゼンテーションにしても、そもそも日常業務で英語を使う機会が一切ないような人にとっては、ワークショップの充実度など全く関係なく、ただの英語プレゼン実習になってしまう。スキルアップも何も、あったものじゃない。

    私自身、この2日間で聴いたスピーチについて、どこまで理解できているかと問われると、正直、全く自信がない。ネイティブ・スピーカーは日本人の英語力を基本的に信頼していないはずなので、かなり配慮してゆっくり話してくれているのは間違いないのに、それでもきちんと聴き取れないって、ちょっとマズイよなあと思ってしまった。(大きな声では言えないが、ところどころ睡眠学習になってしまったのも事実だ。)

    そもそも、英語/日本語を問わず、2日程度でスキルは劇的に上がらない。
    もちろん、対象を絞り込んで、現状のレベルに応じたベストフィットのプログラムを組めば、2日間で得られる効果はもっと高いのかもしれない。でも、今回の研修参加者は4,000人。要するにマスが対象だ。4,000人の集団全体が、2日間でぐんと一段レベルアップするというのは、なかなか想像しづらいシチュエーションだ。もちろん、それでもやり方はあるのかもしれないけれど。


    でも、そんなことは主催者側(つまり会社)も分かっているはずなんだ。
    最初から、今回のプログラムでマスが劇的に変わるなんて思っていない。それでもすべて英語の研修を4,000人規模で実施しなければならないと考えた理由があるはずで、そこを掘り下げておかないと、自分自身にとって、今回の研修の意味が相当に薄まってしまうような気がする。

    プログラムのあり方を云々するのは簡単なのだけれど、ゼロから考えるのは難しい。
    「じゃあ、やってみろよ。4,000人のスキルに変革を起こすために、オマエは何をプランできるんだよ」と言われて、対案を出せない時点で、ただの居酒屋トークになってしまいそうだ。

    そんな訳で、横浜線に揺られての帰り道は、つらつらと対案を考えながら。
    そして、実際にやってみると、これがなかなか難しいのです。

    Tuesday, July 02, 2013

    『歩く人。』

    歩く人。 長生きするには理由がある
    • 作者: 土井龍雄, 佐藤真治, 大西一平
    • 出版社: 創英社/三省堂書店
    • 発売日: 2013/6/20

    本日読了。
    2011年、あの3.11の3日後に設立された一般社団法人「OVAL HEART JAPAN」の活動として始まったウォーキング・プログラムを紹介した1冊だ。ちなみに、OVAL HEART JAPAN設立をリードされたのは、私が社会人ラグビー時代に所属していたチームのヘッドコーチだった大西一平さんだ。

    3.11以降の大西さんの動きは、本当に早かった。
    OVAL HEART JAPANは、大西さんが中心となって復興支援の想いに賛同した多くのラグビー関係者(プレーヤーのみでなく、ラグビーを愛する人達すべてが含まれているのだと思う)によって立ち上がったプロジェクトで、東北被災の直後から、Facebookやメール等で拡散していった。

    そのOVAL HEART JAPANの活動の中で、仮設住宅での暮らしを余儀なくされて、運動もままならない被災者の方々のための健康促進プログラムとしてスタートしたのが、本書のタイトルにもなっている『歩く人。』だったそうだ。そう言われてみると、確かに「歩く」という行為は、人間生活において、すごく基本的かつコアな要素を担っていると思う。私自身、普段はずっとオフィスワークをしているので、座っている時間が多いのだけれど、誰だったかに「そもそも、人間がこれほど長い時間を座って過ごしているのは、歴史上、現代だけだ」というようなことを言われて、妙に納得した記憶がある。実際、オフィスワークといってもじっとしていられない私は、電話1本かけるのにも、すぐに席を立ってぶらつきながらになってしまうのだけれど、その方がなんとなく気持ちよかったりもする。なんて、ちょっと話が逸れてしまったけれど、「歩く」というのは、被災者の方々に限らず、ごく当たり前の日常を過ごしている多くの人にとっても、改めて見つめ直してみていいものなのだと思う。

    まあでも言えるのは、大西さんは完全に「走る人」です。
    ラグビーのグラウンドにおいても、グラウンドの外においても。
    それも、並外れたスピードで。

    Friday, June 28, 2013

    わずか5文字で、できること。

    ささやかだけれど、書き残しておきたいことを。

    1日の仕事を終えて、いつものように田園都市線に揺られながら、およそ1時間。
    20:30を過ぎたくらいに青葉台に到着すると、まずは神戸屋のタイムセールでケーキを2つ買って、それから駅前のロータリーでバスを待っていた。買い物にちょっと時間がかかってしまって、ちょうどバスが発車した直後だったので、次のバスを待つ並び順は、トップバッターで。

    ベンチに腰掛けて5分くらいかな、次のバスがすぐに来て。左手のケーキが傾かないように気をつけながら、運転手さんしか乗っていないそのバスに最初の乗客として乗り込むと、PASMOで支払いを済ませて後方のシートに向かっていったんだ。

    その時、後ろから声が聴こえてきた。
    「こんばんは」
    それは、俺の次に並んでいた2人めの乗客が、運転手さんにかけた挨拶だった。

    ただ、それだけのこと。
    でも、その何気ない自然なひとことが耳に飛び込んでくると、なぜだか俺まで気持ちが晴れやかになり、そして次の瞬間、自分がおそらくは無表情のまま、言葉ひとつもなくPASMOを通していたことが恥ずかしくなった。

    素敵な、いい声だったなあ。
    運転手さん、きっとすごく嬉しかったんじゃないかと思う。直接語りかけられた訳でもない人間も、心の曇りをさっと拭き取ってもらったような気持ちになったのだから。

    Sunday, June 23, 2013

    本当に「いい」プレーのことを。

    6月24日(日)
    IRBパシフィック・ネーションズカップ2013@秩父宮ラグビー場
    日本代表 38-20 アメリカ代表

    前半こそディフェンスでやや淡白なシーンも見られたものの、終わってみれば快勝。
    歴史的勝利となった6/15(土)のウェールズ戦に始まって、因縁のカナダ、そして本日のアメリカと、見事に3連勝で飾ってくれたジャパン。間違いなく強くなっている。残念ながらライブでの観戦とはいかなかったけれど、TVで観ていても学ぶべきポイントが本当にたくさんあって、3試合とも非常に面白かった。今秋のオールブラックス戦も、今から楽しみだ。(こればかりは、もう秩父宮しかない。)

    さて、アメリカ戦。
    ペナルティトライを奪ってみせたスクラムを筆頭として、ゲームを決定づけたポイントは幾つもあると思うのだけれど、個人的にすごく印象的だった小さなプレーのことを、この場に書いてみたい。ゲームの大勢とはあまり関係がないのかもしれない、地味なプレーのことを。

    後半37分、敵陣22m中央あたりのエリア。
    そこに至るまでのシークエンスを正確に思い出せないのだけれど、ジャパンがアタックで持ち込んだボールをターンオーバーされた。その時、右サイドのポイント際にいて、両腕を大きく振り回して、右サイドのディフェンスラインを引き上げたのが、キャプテンのWTB廣瀬だった。残り時間とスコアを考えると、当然攻め続けるしかないアメリカは、SHがジャパンの左サイドに展開。ラインアタックを仕掛けてきたところを、ちょうど前線に上がってきていたFBの五郎丸(だったと思う)がタックルで喰い止めて、再びラックフェーズに。そして次の瞬間、少しだけ深めのコースでカバーに走っていた廣瀬が、一気に加速してブレイクダウンに刺さっていった。そう、見事なカウンターラック。結局、ジャパンはその後のプレーでアメリカの反則を誘って、敵陣でのチャンス獲得に成功したのだった。

    もう勝敗は決まっている中でのプレー。
    そこに「がめつさ」がなくても、危なげなく勝ち切れる、そんな場面。
    時間は後半37分、最も苦しい時間帯。
    そして、エリアは敵陣22m左サイド。背番号14にとって、ある意味で最も遠い場所。

    あのプレーを見て、改めて思った。
    廣瀬、ほんと凄いなあって。

    この3連戦における廣瀬の活躍は、ラグビーファンの誰もが唸るところだろう。
    まさに獅子奮迅の働きを見せている。現代のWTBに求められるワークレートの見本になるはずだ。タイミングと身体の使い方で、粘り強くゲインラインを切っていくプレースタイルと、仕掛ける場面を見極める勝負勘で、目立たないながらも数多くのトライに絡んでいる。彼のキャプテンシーはメディアでも度々取り上げられていて、それはおそらく廣瀬の素晴らしい資質なのだと思うけれど、ただ素直に言ってしまえば、プレーがいいのだと思う。さほど派手ではなかったとしても。

    ああいうプレーにこそ、見るべきものがあるはずなんだ。
    誰も取り上げなくても自分のベストに嘘をつかない、まさしく献身的なプレーに。

    Monday, June 17, 2013

    ジャパン快勝。そして、格上との戦いを考える。

    1日遅くなってしまったけれど、本当に素晴らしいモノを見せてもらった。
    新聞も遠ざけておいて正解だった。一般紙の1面をカラーで飾ってくれるなんて。

    6月15日(土)
    リポビタンDチャレンジ2013 第2戦@秩父宮ラグビー場
    日本代表 23-8 ウェールズ代表


    快勝。ウェールズ戦の勝利は史上初なので、もちろん大金星なのだけれど、素直に「快勝」でいいんじゃないか。グラウンドで戦っている選手からすると、相当にタフな展開だったのは間違いなく、決して余裕はなかったと思うけれど、観ている側からすると、全体的に安定感があって、大金星という感じは全くしなかった。お互いにミスも少なく、引き締まったタイトな80分間。集中力が途切れることのない素晴らしいゲームをして、「きちんと」勝ってくれたジャパン。ファンとして、本当にうれしい。たとえウェールズ代表が主力を欠いているとしても、そんなことは関係なくて。

    前半は、ひたすら自陣での戦いが続く我慢の展開。五郎丸のPGで、辛うじて6-3とリードして折り返したものの、ジャパンからみればほぼノーチャンスだった。そして後半。ジャパンのキックオフで始まってよかった。まず敵陣に入れる。キックゲームで優位に立って、敵陣で長く戦いたい。TVの前で、俺はそんなふうに思っていたのだけれど、五郎丸のロングキックは無常にもデッドボールラインを越えてしまい、後半早々から自陣での敵ボールスクラムという厳しい局面を迎えてしまう。ジャパンは執念のディフェンスで粘り強く喰い下がったけれど、最終的にはウェールズのバックスラインが見事なループからパスを繋いで逆転のトライ。このあたりの時間帯までは、かなりしんどいゲーム展開だった。

    それでも、直後の後半8分に、ジャパンも見事な連続攻撃から、最後はCTBクレイグ・ウィングが右中間に再逆転のトライ。五郎丸のGKが安定していたこともあって、少しずつリードの幅が広がってくると、ここから先は「一進一退」の攻防ではなく、「一歩も引かない」がっぷり四つのバトルを、ノーサイドの瞬間まで切れることなく続けてくれた。

    勝因は幾つもあるけれど、第1戦と同様、ディフェンスが安定していたことがまずは大きかった。外側でのダブルタックル。インサイドでの低いタックルとブレイクダウンへの執着。それを支えるチーム全体の運動量、そして常に次のフェーズを意識して身体を起こす反応力。そういう地道ながら、ラグビーのクオリティにとって決定的に重要な部分が、80分間を通じて終始安定していた。アライメントがきちんとできれば、十分に守れる。そういうプライドが、選手にはあったのだと思う。観ていて非常に気持ちよかった。やはり、守れないと勝てない。得点力もさることながら、ディフェンスの安定はいつだって金星の大前提だ。

    ちなみに、そういう意味では、この試合で1度だけディフェンス網を完全に切られた場面があった。前半25分、自陣左サイドの相手ボールラインアウトから、1次攻撃でロングゲインを許したシーンだ。この場面で、HO堀江、FLブロードハーストの2人が見事なカバーディフェンスを見せて、なんとかピンチを食い止めている。この場面を凌いだのは、「チームディフェンスに対する自信を崩させない」という点で、その後の展開に大きな意味を持っていたと思う。更に言うと、その直後にウェールズが決定的なチャンスで右オープンに展開した場面でも、WTB福岡の内側にいたブロードハーストがしぶとく飛びついて危機を救っている。この2つのプレーが、(前半)6-3という虎の子の3点リードを守ってくれた。これだけでマン・オブ・ザ・マッチでもいいんじゃないか、という素晴らしい活躍だった。

    そして、セットプレー。スクラムの安定も非常に大きかった。エディ・ジョーンズは後半のスクラムを最大の勝因に挙げているけれど、後半のジャパンの攻勢は、ラインアウトも含めてFWがセットでいいボールを供給できたことで生まれたのだと思う。やはりラグビーはFWだ。FWが戦ってくれることで、BKは初めて生かされるのだから。この試合についていえば、ブレイクダウンの継続力、ボールキャリアーを孤立させないサポートの集散も含めて、勝利の種を蒔いてくれたのは、結局のところ、FWの頑張りに尽きると思う。


    さて、この素晴らしい歴史的勝利から、格上に勝利するための鉄則として何を導き出すか。ここから先は、ジャパンのことをちょっと離れて、ずっと携わってきた大学ラグビーを想像しながら考えてみたい。

    まずは、ここまで書いたようにディフェンスとセットプレー。この2つは、特に格上との戦いにおいては必須条件となるだろう。この2つがある程度まで揃わなければ、五分の戦いに持ち込むことも難しい。セットプレーについては要求水準の設定が難しいけれど、スクラムで1mを完全にコントロールされるということは、その後のシークエンスで15mゲインされるようなものだと思った方がいいかもしれない。押し切れなくても、コントロールの手綱は絶対に譲らない。そして、マイボールには徹底的に拘る。

    これらがゲームを成立させるための最低条件だとするならば、目指す水準の実力をつけるまでは、他のあらゆる練習を捨ててでも、練習時間を投下するべきなのかもしれない。「十分条件の前に、必要条件を」と言い切ってよいのかどうかは自信がない部分もあるけれど、ディフェンスにしても、セットプレーにしても、「習熟には比較的長い時間を要するが、時間をかければなんとかなりやすい」という特徴があるのは、意識しておいてもいいポイントだと思う。

    もう1点は、6-13。つまりFL(6-7)、No.8(8)、SH(9)、SO(10)、CTB(12-13)に安定感と運動力の揃った選手を並べるということだ。ジャパンを見ていても、特にこのナンバーを背負った選手のディフェンス能力と仕事量がチームを支えている。アタックも同様で、このあたりのポジションはボールタッチも必然的に多くなるので、結果的には、彼らがゲームの流れを左右することが往々にして多いのも事実だ。SHなんかは自分でゲインを稼ぐシーンこそ多くないけれど、ジャパンでの田中の活躍によって、SHのクオリティがいかにチームを変えるのか、誰の目にも明らかになったはずだ。いずれにせよ、センターラインが安定するとやはりチームは強くなる。使い古された言い回しにはなってしまうけれど。

    いいゲームを観ると、本当に色々と考えるきっかけになるね。

    Friday, June 14, 2013

    今更ながら、ウェールズ戦。

    今更ながら、ラグビー日本代表のウェールズ戦を録画観戦した。
    日本代表 18-22 ウェールズ代表(6/8、近鉄花園ラグビー場)

    世界ランキング5位のウェールズを相手に、後半20分頃までは常にスコアで先行する展開。最終的には惜しまれる敗戦となってしまったけれど、非常に良いゲームだった。まあ、このクラスの相手はそう簡単に勝たせてくれないものだと思っているけれど・・・。それにしても、惜しかった。

    こうした紙一重のゲーム展開に持ち込めたのは、ディフェンス局面においてジャパンの規律(Decipline)が終始乱れなかったことが大きい。ディフェンス網を一瞬にして寸断されるような致命的な綻びは、80分間を通じてほぼ見られなかった。ブレイクダウンのプレッシャーも有効に機能していて、カウンターラックからのターンオーバーにも何度か成功している。これは間違いなく収穫だと思う。バックロー、センターに入った4人の外国人選手が、このあたりのバトルでは獅子奮迅の活躍を見せていた。ここにマイケル・リーチが怪我から戻ってくると、更にチームとしての厚みが増してくるのではないかと思う。

    さて、ウェールズとのテストマッチは、もう1戦残っている。
    今週末の6/15(土)、秩父宮に場所を移しての再戦。ジャパンにとっては、歴史的勝利をかけたチャレンジになる。俺自身は残念ながら秩父宮に足を運ぶことができないので、勝手に展開を予想してみよう。いや、展開というよりも、ジャパンのアプローチを。

    ジャパンのアタックは、SHからパスを受けたファースト・レシーバーがそのままコンタクトに持ち込むフェーズが圧倒的に多い印象だ。SOに入っている立川選手は非常に優れたパサーだけれど、自身で強気に持っていくシーンも少なくない。パスする場面でも、大半は立川選手からのワンパスまでで、SOを起点に2つのパスが続く場面は限定的だ。これに加えて、ジャパンがCh0-1のアタックでシークエンスを重ねる頻度がそれなりに多いことを考えると、ウェールズとしては、外側のディフェンスラインを早めに押し上げても大丈夫だと判断するような気がする。実際、6/8の第1戦でもウェールズがシャロー気味に鋭くラインを押し上げてくるシーンが幾つか見られて、それらは有効に機能していたと思う。ジャパンからすれば、「やむを得ず、インサイドに潜らされた」という感じだろうか。

    ただ、ジャパンのランナーは小さな縦方向のギャップを狙っていて、特にボールキャリアーの外側のマークが多少飛び出してくれると、インサイドのプレッシャーを避けながらブレイクコースを取れるので、ウェールズとしては、そこだけにフォーカスしてディフェンスラインを組めばいい。具体的に言うと、キャリアーの正面から1つ外までは、出足の揃いをより意識した守り方を取ってくるのではないかと思う。

    そして、ブレイクダウン。ここは第1戦以上にプレッシャーをかけてくるだろう。第1戦でもラスト10分間のコンテストは、集中力と地力で優位に立ってきて、それが結果的にウェールズのゲーム支配力になっていた。第2戦は、キックオフ直後からその意識で臨んでくると思う。ここは覚悟しないといけない。キックゲームをうまく進めて、エリアで優位に立てば、あとは外よりもインサイド、そしてブレイクダウンだ。ウェールズからみると、こういう展開を取ってくるような気がする。いやまあ、とはいえ世界ランキング5位のウェールズなので、あまり相手のことなど意識せずに、「自分達のスタイルを完遂すればいい」というシンプルかつクールな判断しかないのかもしれないけれど。

    対するジャパンはというと、結果的に戦術レベルではほぼ変わらないアプローチになるのかなと思う。結局のところ、ブレイクダウンは戦うしかない。相手がどういうディフェンスラインで来るにしても、ジャパンはジャパンのシェイプに拘っていくしかないような気がする。ただ、個人的な印象だけでいえば、ディフェンスライン裏へのチップキックをもう少し増やしてもいいのかなとは思う。第1戦では、アドバンテージをもらっている場面でのみ試みていて、結果的にそれはほとんど機能していなかったのだけれど、相手を走らせる意味でも、アタックオプションを広げて的を絞らせない意味でも、面白い選択肢になるのではないだろうか。ちなみに、WTBの福岡選手がなんとなくバウンド運を持っているように感じられるのも、プラス要素の1つかもしれない。

    いずれにしても、肝はブレイクダウンになりそうだ。

    Wednesday, June 12, 2013

    子どもたちの「今」

    もう2週間近く前のことになってしまうけれど、2つのモノを買った。

    1つは、ミラーレス一眼。先日うちに遊びにきてくれた大学時代のラグビー部の後輩(ちなみに彼は、NHKのカメラマン)に影響されて、選んだのはOLYMPUS。「PEN E-P3」という旧型モデルの中古機だけれど、これがとてもいい。今の俺のニーズにピタリとハマっていて、写真を撮るのがすごく楽しくなるカメラだ。

    写真の魅力を最初に教えてくれたのはNikonのフィルム一眼なのだけれど、どうしてもプリント代が嵩んでしまうので、最近は使っていなかった。RICOHのコンパクトデジカメも持っていて、これもなかなか良いモデルなのだけれど、一眼には一眼にしかない魅力があるので、代替機にはならない感じだった。ミラーレス一眼は小さくて携帯性にも優れているし、ここ最近のモデルの表現力はかなり凄い。趣味として写真を楽しむには、もう十分すぎる感じだ。

    もう1つは、iMac。デスクトップPCを買ったのはいつ以来だろう。でも、これまたとてもいい。
    俺1人だったらMacBook Airなんかを選んだかもしれないけれど、冷静に考えると、iPadも持っているので「持ち運びたい」というニーズは特にない。そう言ってくれたのは妻で、モノを買うにも視点が違うなあと改めて感じた。まあ、なんてこともないごく普通の話だけれど。

    子どもの写真を撮って。Macに取り込んで。iPhotoでタグをつけて、スライドショーにして。ノートブックよりもかなり大きい21インチのディスプレイでゆっくり眺めて。

    楽しいんだよね。そういう小さなことが、とても。
    過去にiPhoneで撮った写真なんかもiMacに取り込んで、産まれたばかりの頃からの成長を振り返ってみると、なんだか気持ちがすっと落ち着いてきて。

    子どもたちの「今」が、そこにある。2人の表情のなかに。
    写真を撮っている自分の表情は、きちんと「今」を見せられているかなあ。
    今に集中しないと。いつだって今なんだけど、その中でもまさに今といった感じなのだから。

    Tuesday, June 11, 2013

    『SHARED VISION』

    SHARED VISION
    • 作者: 廣田 周作
    • 出版社: 宣伝会議
    • 発売日: 2013/6/4

    更新が遅くなってしまったけれど、昨晩おおよそ読了。

    著者の廣田さんとは特に面識もないのだけれど、ちょっとした縁があって。 広告業界は全くの門外漢なので、本来想定されている読者層ではないような気がするけれど、まあいいかな。 TwitterやFacebookといったSNSの広がりによって、企業と消費者とのコミュニケーションも変化している昨今の状況において、今後のコミュニケーション設計、あるいは運用といったものがどうあるべきなのかを、「シェアードビジョン(Shared Vision)」というキーワードから整理した1冊だ。

    コンテンツに入る前に、本書は装丁がいい。
    著者を直接知らないとはいえ、想像するに、おそらく表紙の挿画は相当似ている(笑)。
    ブックカバーを外すと眼鏡が取れるという作りも、なかなかおしゃれだ。ちなみに、ブックカバーの素材感もいいんだよね。うまく書けないけれど。

    シェアードビジョン。端的に言えば、企業の経営者、社員、そして消費者(生活者)のそれぞれが共有できる理想像といった感じだろうか。「理想像」という言葉だと実際にはちょっと硬くて、もう少しフランクに表現すれば「ワクワク感」といったようなものかもしれない。企業として消費者に伝えたい思いもあれば、消費者として企業に求める期待値もあるけれど、どちらの立場から見ても、「楽しみを共有したい」という変わらない根幹がきっとある。それをコミュニケーションの中に上手に設計してあげることで、ソーシャルな時代における戦略の1つとして活用していくための方法論が、本書では具体的に紹介されている。このあたりは、企業風土も絡み合って、これから巧拙がはっきり出てきそうなエリアかもしれない。

    ただ俺としては、ビジョンをシェアするコミュニケーション設計の前に、そもそも(特に企業における)ビジョンをビジョンとして成立させるフェーズの方に、より興味があるかな。ビジョンの輪郭を定めるというか、余計なものを削ぎ落としてクリアにしていくプロセス。組織内でも、組織間でも、あるいはB2Cの領域においても、ビジョンが共有されない理由の一端は、コミュニケーション・マネジメントではなくて、ビジョンそのものが内包している課題なのかもしれないからね。