「無理やりどれか一つを選べという風潮が、ここ数年、なんだか強くなっていますが、それは物事を悪くしているとしか僕には思えません」
ー ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)
ダイバーシティやLGBTといった言葉を耳にする機会は、社内でも明らかに増えてきた感じがするここ最近ですが、ラグビー日本代表の活躍で"ONE TEAM"が一躍流行語になったりと、様々な個性が1つに結束するチームワークの大切さが毎日どこかのメディアで謳われている今だからこそ、考えてみたいことがあります。多様性って、そもそも何なのかなと。
人種的にも社会的・文化的にも多様な背景を持つ人間が同じ場所に集まり、年齢や性別を超えて活動していれば、お互いが分かり合うための時間がどうしても必要です。誰もが暗黙のうちに共有している「常識」というのが、そもそもないのだから当然ですよね。自分の常識を相手は共有していない。そして、相手が何を常識と考えているかも分からない。そのことをお互いが理解して、「常識」ではなく「違い」を前提としたコミュニケーションを重ねていくことでしか本来の相互理解が成立しないのが、つまりは「多様な社会」なのではないでしょうか。
本音のところでは面倒だなと感じる人もいると思います。空気で会話しないスタイルですから。
でも、多様性を認めるというのは、ある部分では「そういうのが面倒な人たち」の存在も前提にする、ということだと思います。
要するに、多様性ってオーバーヘッドなんです。ただ違う人が集まることではなくて、相互理解のためにオーバーヘッドをかけていく。そこが本質ではないでしょうか。ちなみにこれがラグビー日本代表だと「今年だけでも240日間にも及んだ合宿」ということになるのですが、結局のところ「多様な人間たちが集まれば、自然と多様性が強みになる」なんて都合の良い話はないんですよね。
ところで、会社の多様性って何なのでしょうか。人種や性差だけではないはずですよね。というよりも、実際には自分の周りには「小さな違いばかり」というのがリアルなんじゃないかと思ってしまいます。例えば私が所属するチームには「担当しているお客様」の違いがあります。メガバンクと地銀、あるいはノンバンクでは当然ながら全く違います。あるいはシステム部とユーザー部のどちらを担当しているかによって、すべきこともできることも大きく違ってきます。
それだけではありません。エグゼクティブ/ライン/スタッフの違い。これまでの業務経験の違い。アクセスしている情報の違い。どれもが人それぞれで異なるのに、多様性という言葉の中でこうした小さな違いが意識されることは、必ずしも多くありません。むしろ、ダイバーシティを声高に叫び、"ONE TEAM"の重要性を喧伝する中で、(社会という)誰かが決めたフォーカスポイントに縛られて、本当に大切にすべき多様性がどこかに置き去りにされていくような。
もうすぐ2019年も終わって、新たな1年へと向かっていく訳ですけど、2020年は面倒がらずに話したいですね。多様性が本当の意味でパワーになる瞬間というのはきっと、オーバーヘッドのちょっと先なんだと思います。ビジネスの現場にいれば、短期的な目標に追われることも、ゴールへの最短距離を走るしかないことも当然ありますが、それでも常に「違い」を受け入れて、時間を惜しまずに向き合っていく空気を作っていきたいですね。
ちなみに、"AKY(あえて空気読まず)"という隠れた名曲を持つトモフスキーという(おそらく職場の誰も知らないような)ミュージシャンのことが好きだというのは、ちょっとした私の違いです。
皆様、良いお年をお迎えください。
Monday, December 30, 2019
Sunday, November 03, 2019
RWC 2019 - 感動の終幕。そして今、思うことを。
興奮、歓喜、そして感動。
心震わされる44日間は本当にあっという間だった。改めて、今回のラグビーW杯においてアジア初となる日本開催が実現したことに心から感謝したい。この素晴らしく感動的な瞬間を夢見て、10年以上前からW杯招致活動に尽力されてきた多くの関係者の熱意と献身的な努力を思うと、もう本当に言葉がない。予選プール4連勝で初の決勝トーナメント進出を成し遂げたジャパンの躍進が本大会全体を多いに盛り上げたのは勿論のことだけれど、ラグビーW杯という国際イベントを成功裏に運営するためには、数え切れないほど多くの人間のサポートがあったのだということは、ずっと忘れずにいたい。
決勝トーナメントは、文字通り全ての試合が最高だった。
スコアだけでは表現できない均衡と緊張。興奮と熱狂。極限状態ゆえのプレッシャーと苦悩。同様に、極限状態で研ぎ澄まされた感性が導く圧巻のパフォーマンス。Quarter Final以降の全てのゲームは、そういう諸々が常に繊細なバランスの中で揺らめいて、グラウンド上で起きる全てのことから一瞬たりとも目を離すことができないような、本当に濃密なゲームばかりだった。最終的に、イングランドを破って通算3度目となるウェブ・エリス・カップの栄冠を手にした南アフリカ(SA)には、心からの賛辞を贈りたい。ジャパンを破ってブライトンの雪辱を晴らしたあの一戦を経て、セミファイナル、そしてファイナルとずっと進化し続けたSAは、本当に素晴らしいチームだった
本当は、今回のファイナルだけでも書きたいことは山ほどあるのだけれど、とりあえず今この瞬間は、今回のRWC 2019を通して俺自身が感じたことを総括してみたい。なぜならば、今回のW杯が教えてくれたこと、あるいはこの44日間が観る側の人間の胸に突きつけてくるものを、単なる「感動」の一語で片付けてしまうことなど到底出来ないからだ。
まず第一に、メンタリティとチームマネジメント。
今大会で言えば、ジャパンの躍進自体がそうだった。開幕戦の緊張。失うものなく、ただシンプルにフォーカスすれば良かったアイルランド戦。自信を過信としないモチベーション・コントロールが求められる難しい局面を、積み上げてきた地力で凌駕したサモア戦。そして、おそらくジャパンの完成形で戦おうという意識、自分たちの強みへの明確なフォーカスを結果に繋げたスコットランド戦。1つひとつのゲームで、その瞬間のモメンタムの中で、チームの置かれた状況をふまえてチーム・パフォーマンスが最大化されるようにメンタリティのベクトルをセットしていく。インターナショナル・レベルにおいても、この部分の重要性が極めて大きいということが、今大会を特徴づける側面の1つだと思う。その意味では、ジャパン史上初の挑戦となったQuarter FinalでのSAとの再戦も、この文脈から読み解いていくことが出来る。この4年間、ベスト8を目標に戦ってきたジャパンに対して、SAの選手たちは、メディアから「W杯での目標」を問われることさえなかっただろう。SAにとって、優勝以外のゴールなど最初から存在しない。それこそが、ジャパンを寄せ付けなかったSAの本物の強さであり、こういう部分も極限のゲームにおいては非常に大きなファクターとなってくる。アイルランドを完膚なきまでに封じ込めたNZが、セミファイナルでは鉄壁のイングランドを前に翼をもがれ、自分たちが支配してきた自由な空を見失う。そして、そのイングランドさえも、ファイナルではまさに完成形と言っていいフルスロットルのSAの圧力に屈し、自分たちの強みを存分に発揮することができないまま散ることになる。結局のところ、それがW杯という舞台なのだと思う。いつも同じことを書いているが、W杯とは人間の戦いなのだ。
人間の戦いという意味では、ベテランの存在というのも今大会では目を引くことが多かった。ジャパンでいえば、田中史朗だ。後半の重要な局面で登場して、その瞬間に求められるゲームコントロールを、豊富な経験に裏付けられた絶妙な手綱捌きでリードしてくれる田中の存在が、チーム全体をどれほど救ったことだろうか。そして、忘れてはいけないトンプソン・ルーク。姫野もムーアも、稲垣や具智元も、ジャパンのFWはもう誰もが素晴らしかったが、やはりトンプソンは外せない。38歳であれだけの仕事量をこなし、比較的経験の浅い若手メンバーも鼓舞し続ける献身的なリーダー。この2人の存在感は、今回のジャパンを総括する上で決して外すことができないキーファクターだ。その意味では、例えばSAにはフランソワ・ステインがいた。2006年代表デビューの32歳。迫力満点のプロップ、「ビースト」ことムタワリラも初キャップは2008年のベテランだ。こういう選手の存在感は、大舞台では実はチームの安定、あるいは冷静と情熱の舵取りにおいて大きな影響力を持ったりするものだ。逆の意味で、セミファイナルで涙を飲んだABsは、チーム全体が若さの側に振れ過ぎたという評価を耳にすることも少なくない。ジョーディ・バレットは可能性に溢れた素晴らしい選手だが、どうしてもベン・スミスにいてほしい瞬間というものがある。例えば、そういうことだ。他にも、大会全体でみれば残念ながら大きな注目を受けるまでには至らなかったかもしれないが、例えばオーストラリアのアダム・アシュリークーパーや、サモアのトゥシ・ピシなども見事なパフォーマンスで健在ぶりをアピールしていたのは、個人的には嬉しかった。
もう一点、具体的なプレーに関して言えば、やはりブレイクダウンの攻防だ。これは、セミファイナル、そしてファイナルと続く一連の戦いの中で、個人的に最も考えさせられたポイントでもある。
イングランドがNZを見事に制圧した準決勝。イングランドの勝因、そしてNZの敗因を分析する論評は数多く、またこのレベルの戦いにおいてわずか1つの原因で全てを語り尽くすことなど到底不可能なのだけれど、俺が見ていて最も印象的だったことの1つはイングランドの「寄りの速さ」だった。アタックの局面において、キャリーに対する2nd Arrivalのプレーヤーが極めて早く、キャリアーが孤立する局面が殆どなかったように記憶している。ABsは非常にスマートであるが故に、あそこまで2nd Arrivalが早いとラックでバトルせずに、アライメントを優先するのだけれど、それが結果としてイングランドのテンポの遠因にもなっていた。ボールを下げずに、ブレイクダウンでは一切絡ませない。この起点が止まらないために、NZのアライメントをイングランドのテンポと激しさが凌駕する。もちろんイングランドが見せた圧巻のプレッシャー・ディフェンスも素晴らしく、ゲーム全体で見ればABsらしさを完全に封じ込めた「ディフェンスの勝利」ということもできるのだが、俺としては、あのブレイクダウンの攻防が生命線の1つだと考えていて、ファイナルでSAがブレイクダウンをどう仕掛けるのかは、当然ながら非常に気になっていた。そして、ファイナル。SAはやはりSAだった。タックル自体は勿論のこと、ブレイクダウンも圧力で押し返す。SHのデクラークあたりがDFラインを押し上げて、アタックがたまらずインサイドに潜れば、強力なFW陣がパワフルかつ正確なタックルで仕留めていく。外まで綺麗にアライメントすることよりも、インサイドの圧を優先して、そこを支配すれば外側はどうにでもなるのだと言わんばかりの迫力が、80分を通して貫徹されていた。この2試合で起きたことは、おそらく今後の世界のラグビーの潮流に少なからぬ影響を与えていくような気がしている。
RWCの魅力は本当に語り尽くせないほどで、こうして書き連ねていても、自分自身の言葉の足りなさを思うばかりだが、この44日間がくれた感動を、今度は自分自身のラグビーに生かしていきたい。HCとして携わる東大ラグビー部の未来にも、そしていつも一緒にTVでラグビーを観てくれる我が子の未来にも。
Saturday, October 26, 2019
RWC 2019 - Semi Finalに向けて、ABsのことを
南アフリカ(SA)との激闘の末、惜しくもQuarter FinalをもってW杯での戦いを終えることとなったジャパン。予選プールの4戦全勝は勿論のこと、先週末のSAとの再戦もやはり素晴らしいものでした。敗れてなお今大会のジャパンの輝きが色褪せることはないと思います。
5週間に渡るジャパンの挑戦が終幕を迎えて、複数の選手が「負けたことよりも、このチームが終わることの悲しさ」が強いと語っていますが、ジャパンの快進撃に歓喜し、その真摯な姿に心打たれてきたファンの胸にも、どこか喪失感があるのは否めません。1人のラグビー人として、今はただ「ありがとう」という思いしかなく、選手・スタッフを含む全ての関係者の皆様には、ゆっくり骨を休めてもらいたいと心から願っています。
とはいえ、RWC 2019はまだ終わっていません。というよりも、RWCにおいて絶対に目が離せない最高級の熱戦、地球最強を決める4つの戦いが残されています。今週末のセミファイナル2試合(NZ-England、SA-Wales)、来週末に行われる3位決定戦、そしてファイナル(決勝)です。ちなみに、ジャパンの躍進によるラグビーへの関心の高まりもあって、セミファイナルは2試合とも地上波での生放送があります。断言しますが、絶対に見逃せません。地球最強を決める戦いが面白くないはずがないからです。
折角なので、今回はやはりいつの時代もラグビーファンの憧れの中心にある存在、ニュージーランド代表オールブラックス(ABs)について、2つだけ見所をお伝えします。いつも通り、私の独断と偏見を織り交ぜながらで。
まずは、ハカのことを。
ABsといえば、やはり有名なのはハカですよね。国歌斉唱後、キックオフ前に行われるパフォーマンスで、元々はマオリ族の戦士たちによる伝統的な舞踏です。
誰もが一度は目にしたことがあるとは思いますが、実はABsのハカには2種類あるのをご存知ですか。「カマテ(Ka Mate)」と「カパオパンゴ(Kapa O Pango)」です。一般的にはカマテが有名ですよね。
カパオパンゴは2005年に新たに作られたのですが、それ以前のABsでは、ハカの意義が見失われかけた時期がありました。ハカ自体が形式化していき、なぜハカを踊るのか、選手達の中から疑問の声が出たことがあったそうです。
でも、彼らはもう一度1つ(One Team)になるために、ハカを再構築するんです。ルーツを遡り、今の時代においてハカが継承されることの意義を再発見するプロセスを経て、新たに生まれたのがカパオパンゴです。
あれは決して単なるショーマンシップではありません。ABsの伝統と誇りを背負って戦うという魂の叫びです。彼らはハカの練習もしますし、ハカ自体の完成度はチームの完成度の"part of it"となっています。リードするのはSHのTJ.ペレナラ。明日はどちらで来るかは分かりませんが、ハカが始まったら、TV画面の前でまず一度唸ってください。「カマテで来たかぁ」とか、「ここでカパオパンゴを持ってきたかぁ」とか。楽しいですよ。
これから日本との縁を築いていく猛者たちに、声援を ー
実は、明日のABsのメンバーの中には、今回のW杯をもってNZ代表を引退して、そのまま日本でプレーする予定の選手が複数存在します。主将を務めるNo.8のキアラン・リード(トヨタ自動車)、世界最高のロックとも言われるブロディ・レタリック(神戸製鋼)、そしてサム・ホワイトロック(パナソニック)です。更には、明日のメンバーには入っていませんがCTBのライアン・クロッティもクボタへの入団が決まっています。明日のリザーブにいる"SBW"ことソニー・ビル・ウィリアムスは過去にパナソニックでのプレー経験がありますね。この辺りのメンバーの活躍ぶりにも、是非注目してみてください。いずれも紛れもないスーパースターです。心躍るようなパフォーマンスできっと魅せてくれます。
もう後は、ただ見るだけで十分です。理屈は一切不要です。ラグビーのことを何も知らなかったとしても絶対に後悔しない80分間が、今日、そして明日と続きますので。
Saturday, October 19, 2019
Beat the Boks Again - 日本vs南アフリカ 私的プレビュー
10月20日。ジャパンはこれまでに経験したことのない「未踏の地」に挑むことになります。
RWCベスト8、Quarter Finalという極限の闘争にー。
ラグビーの神様は、3年前のその日からずっと、日本ラグビーを見守ってくれていたのかもしれません。奇しくもこの日は、日本ラグビー史が誇る天才としてその名を馳せた平尾誠二さんの命日です。日本中を巻き込んだ信じられないほどのファンの熱狂と声援がジャパンを支えているように、天に護られているかのような奇跡の日程が醸し出す「場のオーラ」もきっと、ジャパンを支えてくれるはずです。
Quarter Finalとは ー
RWCは間違いなく世界で最もエキサイティングなスポーツの祭典であり、予選プールから全ての試合が見る者の心を震わせる熱戦です。このことは、既に今大会のジャパンが見事に証明してきました。でも、激闘の予選プールを勝ち抜いたトップ8による決勝トーナメントは、もはや別次元です。
全てのチームがウェブ・エリス・カップ(Webb Ellis Cup)を照準に見据えています。初の決勝トーナメント進出となるジャパンも例外ではありません。残された死闘は、最大でも3つです。ABsやジャパンが戦う南アフリカ(SA)のような強豪国は、約1ヶ月半という大会期間の中で、最後に王者の座を射止めるためのピーキングをしていきます。チームというのはレベルを問わず生き物なので、明確な照準を定めた上で、モメンタムを見極めながら作り上げていくものなんです。つまり、例えば"Completely-built ABs"は、これから登場してくるということです。当然ながら、SAも同様です。
また、ここから先は一度でも負ければRWCの舞台を去ることになるノックダウン方式です。もう調整も試行もない。明日分析されようとも、今、勝ち切るために全力を賭すことになります。世界のトップ8が死力を尽くす総力戦です。面白くない訳がありません。
平尾さんが描いたビジョン。ジェイミーが確立したジャパン。
同志社大での大学ラグビー3連覇、神戸製鋼での社会人ラグビー7連覇と、日本ラグビーにおける伝説的な偉業の中心にはいつも平尾さんがいました。プレーヤーとしての華々しい実績は、これまでラグビーに触れる機会がなかった多くの方もご存知かと思います。加えて、平尾さんには指導者としての顔もありました。22年前の1997年、ジャパンの監督に就任。指揮官として第4回RWC(1999)を戦っています。
平尾さんが思い描いていたであろうジャパン・ラグビーのグランド・デザインを語るのは、私にはあまりに荷が重く、十分な知見も言葉も持ち合わせていませんが、おそらく平尾さんは20年前に、"20 years later"のビジョンを持っていたのだと思います。当時、アンドリュー・マコーミックをジャパン初の外国人キャプテンに任命し、ABsでのプレー経験を有する強力な外国人プレーヤーを主軸に据えながら、彼らの豊富な経験と実績をジャパンに融合させることを志向されたのが平尾さんでした。
あの頃の構想の本質は、単なる「補強」でも、日本人で埋められないピースの「補完」でもなく、確かに「融合」だったのだと思います。現役時代から極めて高いスキルと判断能力、そして状況への柔軟な対応力を武器に「オンリーワンの存在」として活躍された平尾さんはきっと、当時の外国人選手たちのfoundationalな部分、すなわちラグビーに対する理解力や反応力、チームの原理・原則の中でも自らの意志で柔軟に判断するマインドセット、あるいはより深層にあるカルチャーまで踏み込んで、それらをジャパンとして包摂し、ジャパンに融合させようと試みた。
結果的に、1999年のW杯におけるジャパンの戦績は4戦全敗で、大会終了後に平尾さんは監督を退任されるのですが、ある意味では当時は日本ラグビーの土壌、つまり「ベースライン」が平尾さんのコンセプトに追いついていなかったのかもしれません。
あれから20年。今、ジェイミー率いるジャパンは、あの頃のビジョンを1つの具体的な形として昇華させ、乗り越えていこうとしています。本大会のジャパンの強みも、まさしく「融合」にあるからです。
SAとジャパン。2つのチームの異なる志向性 ー
さて、SAとの因縁の再戦。肝心のポイントを考える上で、両チームの志向性の違いをイメージすると、ゲームの綾が分かりやすくなるかもしれません。
SAは伝統的に"focus"のチームです。言葉を変えると、明確な強みを持っている。端的に言えば、圧力ですね。彼らが真骨頂を発揮した時のブレイクダウンの圧力は、間違いなく世界No.1です。サイズに優れたパワフルなFWを、シンプルに勝負させてくる。もちろんABsと並ぶ世界トップレベルの強豪国なので、戦略・戦術も決して単純ではなく、幅広いスキルを武器に極めて高度なラグビーを構築できるチームですが、いつの時代にあってもSAの原点は明確なんです。圧力。この一言に尽きます。彼らがスタジアムを支配する時とは、彼らの圧力が全てを凌駕する時です。裏返せば、世界最高レベルの圧力を跳ね返すことが、ジャパン勝利への最低条件になってきます。
対照的に、今大会のジャパンは"unfocus"で勝ち上がってきたチームです。つまり、相手に的を絞らせない。パス主体の高速展開もあれば、キックを効果的に使ったエリアマネジメントと決定的チャンスの創出もハマっている。スクラムに代表されるFWの肉弾戦も、間違いなく世界トップの結束力と細部まで徹底的にこだわり抜いたコンビネーションで真っ向勝負。こうした全てがシナジーを生み出して、戦略の幅を作り出すことに成功しています。シナジーとはつまり「融合」なんですよね。だからこそ、この日を平尾さんの命日に迎えるということが、より運命的なものとして私には感じられるんです。
大一番に向けて、スターターを変えてきた勇気と、山中の使命 ー
予選プール4連勝で、これ以上ないモメンタムを作り上げた今のジャパンを考えると、メンバーの入替はどうしても躊躇するもので、日本中が注目する世紀の一戦となれば尚更でしょう。そんな中でHCのジェイミーは、先週のスコットランド戦から1人だけスターターを入れ替えてきました。ウィリアム・トゥポウに代わってFBとして起用された山中亮平です。想像ですが、これはジェイミーにとっても極めて難しい判断だったのかなと思います。
山中の強みは幾つもありますが、特に重要なのは左から繰り出すロングキックです。これは、現ジャパン31人の中でも、山中を輝かせるオンリーワンの強みになっています。
SAの"focus"に対しては真っ向勝負。ジャパンは決して逃げない。とはいえ、あの圧力を80分間にわたって撃ち返すのは並大抵のことではありません。そう考えた時に、特に左のロングキックは貴重な命綱となる可能性を秘めています。何故ならば、後ろへのパスしか許されないラグビーという競技において、相手とのフィジカル・コンタクトを回避しながら前にボールを運べる唯一の手段がキックだからです。日曜日のゲームにおいて、山中のファーストタッチ(その試合で最初にボールに触れる瞬間)、そしてファーストキックの軌道は、目が離せない注目ポイントです。左足から長いキックが綺麗な弧を描いて放たれた時、ジャパンは最高の武器を1つ確立することになります。
今回は殊更長くなってしまいましたが、SAとの決戦に向けて、見所はもう本当に尽きることがありません。ジャパンとして母国と戦う南アフリカ人、ラピースことピーター・ラブスカフニのことも、桐蔭学園を卒業後、単身南アフリカに渡ってラグビーの武者修行を生き抜いた松島幸太朗のことも、パワフルな猛者たちの中にあって、圧倒的なスピードとキレで世界の注目を集める小さなWTB、チェスリン・コルビと福岡堅樹との直接対決のことも、書きたいことが次々と脳裏に浮かんでくるのですが、これ以上書き連ねていると、試合が始まる前に力尽きてしまいそうなので・・・。
あとは、とにかく全力で応援するだけですね。
もう奇跡と呼ばせない勝利を信じて。
Monday, October 14, 2019
"One Team"の勝利 - ジャパン、スコットランド撃破
素晴らしいゲームだった。
想像通りの死闘を勝ち切ったのは、これも想像していた通り、ジャパンだった。
RWC 2019 予選Aプール最終戦
Japan 28-21 Scotland (19:45 K.O. @横浜スタジアム)
何よりも最初に、超大型の台風19号が列島を襲った直後にも関わらず、この一戦を最高の形で迎えるためにあらゆる尽力をいただいた全ての関係者の皆様に感謝したい。スタジアムのコンディションもさることながら、全ての関係者およびスタジアムに駆けつける全てのファンの安全に最大限の配慮を行い、周辺環境や交通機関の状態把握に努めながらこの試合の開催に漕ぎ着けるのは、想像される以上に大変なことだったと思う。ジャパンが掲げる"One Team"を体現するのは、ジャパンだけじゃない。そのことを見事に証明した運営サイドの組織力も、今回のRWCの素晴らしさを象徴するものとして称賛されるべきだろう。
一夜明けた今、ジャパンへの称賛と感動のメッセージが日本中に溢れているのをはっきりと感じる。ホーム開催のW杯の舞台で、あの2015年の因縁の相手であるスコットランドを撃破。世界ランキング2位(当時)のアイルランドを相手に掴み取った魂の勝利も含めて、予選リーグ4戦全勝での1位通過を勝ち取った今回のジャパンの戦いぶりは、本当に素晴らしいものだった。昨夜のゲームにおいても、もう多くの方が口を揃える通り、真っ向勝負でスコットランドを倒し切ったという感じだ。福岡・松島の両WTBは完全にワールドクラスの決定力で、80分を通じてある種の支配力を発揮していた。リーチや堀江、そして姫野の獅子奮迅の活躍。一切の厭いなく身体を張り続けるトンプソンとムーアの両LO。流と田中の2人のSHでゲームテンポとマネジメントを掌握する展開も、この日は特にハマっていた。スクラムを支えたフロントローも、ジャパンの攻撃の全ての起点となりグラウンドに彩りを与えた田村・中村・ラファエレのトップ3も、最後尾から力強いランで沸かせたトゥポウも、更には全てのリザーブメンバーも含めて、まさに全員がベスト・パフォーマンスを存分に示してくれた。ラグビーを愛するファンの1人として、もう「本当にありがとう」の思いしかない。
とにかく感動の瞬間は尽きないのだけれど、個人的に特に心を打たれたことを書き残してみたい。"One Team"の想いを胸に戦うというのが、どういうことなのか、ということについて。
試合開始前。グラウンドでの最後のアップを済ませた選手たちが、ジャージを替えるために一旦ロッカールームに引き揚げる。その瞬間、ジャパンは主将のリーチを先頭に、前を歩く仲間の肩に手を添える陣形を取り、まさに"One Team"の行軍を見せた。ジェイミーの考案なのだろうか。詳細は分からないけれど、明らかに準備していたのだろう。通常のゲームでは芝居がかってしまう部分も否めず、なかなかここまで出来ないものだ。でも、こういう特別な一戦のために、こういう特別な準備が必要なのだということを、ジェイミー率いるジャパンは熟知していたのだと思う。あの時のリーチの表情は、既に内なる「鬼の決意」が溢れ出たような強いものだった。
前半20分、自陣右サイドのスクラム。その前のプレーでおそらく肋骨を負傷していた右PRの具智元が交替を余儀なくされる。プランよりもかなり早い時間帯にピッチに立つことになったのは、ヴァルアサエリ愛。その表情が印象的だった。一切の気負いもプレッシャーもなく、いつでも行ける準備が出来ていること、そしてこの交替が単なるプロップの入替ではなく、具智元の想いを引き継ぐものだというのを完全に理解しているのが、はっきりと感じられたからだ。そしてあの瞬間、おそらくチーム全員がこのスクラムの重要性を強烈に意識していたはずだ。画面越しにも、FW全体の結束とオーラが伝わってきた。たぶん全員が思っていたんじゃないか。「具智元をQuarter Finalに連れて行く」と。この運命のスクラムの結果は、スコットランドのPK。ジャパンのFWが見事に組み勝った。俺は個人的に、このゲームの"Best Moment”はこの瞬間だったと思っている。もう一点、レフリーの笛が鳴った直後、スクラムの最後尾に位置するNo.8の姫野が両腕を振り上げて歓喜の雄叫びを上げたのも、胸に響くものがあった。あのシーンに、フロント陣へのあくなき信頼と、そして「スクラムはフロントローだけのものじゃない」という決意の両方が浮かび上がっていたと思うからだ。
後半も中盤に差し掛かった頃。苦しい時間帯の中、ブレイクダウンで足元に絡みついていった田村優に対して、スコットランドの若きフランカー、ジェイミー・リッチーが喰ってかかる場面があった。その瞬間、姫野が2人の間に割って入るのだが、その形相が本当に凄かった。ラグビーは紳士のスポーツと呼ばれるが、荒ぶるスポーツでもある。グラウンド上で一触即発の諍いが起きるのは珍しいことじゃない。俺が心を打たれたのは、明らかに仲間を守ろうという決然たる意志を姫野の表情に感じ取ったからだ。俺自身は高校・大学と比較的大人しいチームで育ってきて、あまりこの手の経験はなかったのだけれど、社会人に行ってからちょっと物事の見方を変えるようになった。勿論、乱闘を是とする訳ではなく、ラグビーにおいては熱さと冷静さのバランスを常に保たなければいけないのだけれど、理屈の前に仲間は守るべきだ。チームで戦うというのは、そういうことだ。単なる野蛮ではない。あのシーンのRootにあったのは間違いなく「仲間のために身体を張るメンタリティ」なのだということを、今大会を通じてラグビーの魅力に触れることになった多くの方々に知ってもらえればと思う。
そして最後に、ノーサイドを迎えた後の横浜スタジアム。そこには布巻がいた。地上波で観戦されていた方は分からなかったと思うが、JSports2の解説として放送席にいた布巻は、ジャパンが歴史を変えるノーサイドの笛が鳴り響いた後、放送席を飛び出してピッチに降りていった。ジャパンで活躍するためにフランカーに転向し、今回のW杯のためにずっと自己研鑽を続けながら、本大会メンバー31人の最終選考で惜しくも涙を呑むことになった布巻が、ピッチ上のメンバーと勝利を称え合う姿は、本当に感動的だった。JSportsでは、試合後にメンバー全員で集合写真を撮るシーンも中継されていて、その中央にはスーツ姿の布巻があった。笑顔だったけれど、目は潤んでいたと思う。前回大会の廣瀬ほど取り上げられることもなく、ある意味では静かに代表合宿を離れるしかなかった布巻がチームに囲まれるのを見て、これが本当のOne Teamなのだと思わずにはいられなかった。
俺は思う。ジャパンの素晴らしさは、"One Team"を完遂したことだと。
チームコンセプトやスローガンを掲げてシーズンに臨むラグビーチームは少なくないが、言葉を「本物」に出来るチームは極めて少ない。掲げた言葉を自らのものとして胸に刻み、日々その言葉を生きる。そういう時間をチーム全員で積み重ねていくことでしか、チームコンセプトを本物に昇華させることなど叶わない。結局のところ、ジャパンの全メンバー、そして全ての関係者が、4年間にわたってそういう濃密な時間を捧げてきたのだと思う。ジャパンが感動を誘うのは、プレーの端々に、そして本当に小さな所作だったりインタビューでの一言一句の中に、積み重ねてきた時間と汗の重さがはっきりと感じられるからだ。
次は念願のQuarter Final。相手がスプリングボクスというのも申し分ない。
"One Team"として過ごす美しくも有限の時間に、ただ全身全霊を注いで没頭してほしい。
Saturday, October 12, 2019
RWC 2019 日本vsスコットランド - 私的プレビュー
2019.10.13。日本ラグビーの歴史を変える戦いは、いよいよ明日です。
前回の2015年W杯で南アフリカを撃破した「ブライトンの奇跡」の中で、ゲーム終了間際に得たPKでスクラムを選択した有名なシーンにおいて、「歴史変えるの誰?」という永遠に語り継がれるであろう名言でFWを鼓舞したのはトンプソン・ルークですが、あの日こじ開けたのが歴史の扉だとするならば、今回は扉の先を本当の意味で「ジャパンの場所」にするための戦いです。それが決して簡単なチャレンジではないことは、今大会をここまで3連勝で勝ち進んでいる今も変わりません。HCのジェイミーも、ジャパンの選手たちも、メディアに表れるコメント以上にその感覚を持っているでしょう。
ファンにできることは、ジャパンの誇りを信じること。ジャパンが最高のパフォーマンスを魅せられるように、声援を届けることに尽きるかなと思います。
まず何より、台風のことを。
日本列島に迫り来る大型の台風19号の影響は、既にW杯に及んでいます。
既に報道されているように、明日10/12(土)に開催予定だったNZvsイタリア、イングランドvsフランスの2試合について、World Rugbyおよび組織委員会は、RWC史上初の中止を決定しました。本大会の開幕前に事前に定められていた規定に基づき、予選プールの試合は延期による日程再調整とせず、0−0の引き分け扱いで双方に勝ち点2を与える形式のため、例えばイタリアは世界最強軍団であるABsに挑むことなく予選敗退となりました。
この決定に関しては、メディア上でも様々な意見が錯綜しています。当事者であるイタリアの胸中に行き場のない無念が残るのは、仕方のないことだと思います。ちなみに、現時点で、日本vsスコットランドも含めて、13日(日)のゲームは開催予定で計画されていますが、仮にスコットランド戦が中止になると、ジャパンは勝ち点16で予選プール1位通過(初の決勝トーナメント進出)が確定します。
ただ、そのような結末を誰1人として望んでいないことは、この場に書き留めておきたいです。本当に大切なものに触れるためには、このblogを読むだけで十分です。
ジャパン8強への条件を、違う視点から ー
今回のスコットランド戦は、ジャパンが予選プールを突破するための最終関門ですが、命運を定めるのは単純な勝敗のみでなく「勝ち点」です。この点も既に多くのメディアが取り上げているので、ご存知の方が少なくないと思います。ただ、殆どの記事はジャパン視点で書かれていますよね。でも、本当に大切なのはこれを「スコットランド視点」で捉えることです。
スコットランドは、現在勝ち点10。勝ち点14のジャパンを上回るためには、ジャパンに勝ち点を与えずに勝利するか、もしくは勝ち点1(4トライ獲得または7点差以内の敗戦)を与えても、自分たちが4トライ以上で勝利することが条件になります。つまり、彼らが目指すのは単に勝利することではなく、「極力ジャパンにスコアさせずに勝利すること」なんです。こうして相手の視点に立って考えると、想定されるゲームプランがなんとなく浮かび上がってきます。
で、肝心のスコットランド戦のポイントは ー
ジャパンの過去3試合を振り返ってみると、合計9つのトライを挙げています。そのうち、松島が4つ、福岡が2つと両WTBで6つを稼いでいるのが分かります。これはジャパンがずっと目指してきた理想形で、世界トップレベルの高速展開ラグビーで相手を撹乱し、外側に生まれたスペースにジャパンが誇る2人のスピードランナーを走らせる。彼らはスペースがあれば、ワールドクラスの相手でも取り切りますからね。言葉にするのは簡単ですが、RWCの舞台で完遂するのは極めて難しい戦略を、ジャパンはここまで見事に展開してきています。
となれば、スコットランドは当然この2人を警戒してくるでしょう。では、スピードランナーを止めるにはどうするか。最もオーソドックスなのは、そもそも走らせないことなんです。例えば、松島や福岡の位置を狙ってハイボールを蹴り込む。彼らがキャッチした瞬間にディフェンダーがタックルできるような間合いでキックを落とせば、加速を許さずに潰せますよね。そして、タックルの集中砲火で精神的プレッシャーをかけることも可能になります。「ティア1」と呼ばれる世界の強豪国は、こういう「絶対にすべきプレー」を80分に渡って高い精度で徹底できるからこそ、ティア1に君臨しているんです。
もう1つが、パワープレイ。台風によるグラウンドコンディションへの影響によっても変わってきますが、一般的に「重馬場」の戦いではパワープレイが増えます。雨などでボールが濡れているとハンドリングエラーが起きやすく、またグラウンドがぬかるんでいるとランニングスピードを上げづらいので、パス数を減らして、力強いランナーをシンプルに使う戦術に振れやすいというのもありますが、特に最近のラグビーでは「ターンオーバー」と呼ばれる攻守の切り替わりがスコアの起点になることが多いんです。つまり、ジャパンのスコアチャンスを抑え込むために、スコットランドとしてはミスを減らしたい。
この2つが、日曜日のゲームを見る上で念頭に置いておきたいポイントです。裏返すと、ジャパン勝利への道筋と必須要件も浮かび上がってきます。
まずはハイボールを確実に確保して、相手に不用意なチャンスを与えないことです。松島も福岡も、身長は決して高くないですが、ハイボール処理は決して弱くありません。ただ、相手はスコットランドだというのを忘れてはいけない。ちなみに、ジャパンの通算戦績は1勝11敗です。侮れる相手ではありません。
もう1つは、パワーにパワーできちんと対抗することです。相手の強みから逃げてはいけない。相手の強みを消す戦略・戦術というのも当然ありますが、スコットランドに対してはもう真っ向勝負です。パワープレイというのは、スコアまでに時間を要するという難点があります。極論してしまうと、仮に50mを独走できれば30秒でもスコアできるけれど、相手を2m吹っ飛ばして、大男たちが結集して相手を3m押し込んだとしても、スコアまでの射程距離には届かない。つまり、相手のパワーをきちんと受け止めて、弾き返すというタイトな戦いを継続できれば、スコットランドはいずれ、ジャパン以外に「もう1つの敵」とも戦わなければいけなくなるんです。そう、「時間」という敵と。
いつだって聞きたい。このゲームの注目選手は ー
間違いなくウィリアム・トゥポウです。開幕戦のロシア戦を終えた後、アイルランド戦の直前に肉離れを起こして戦線離脱していましたが、この大舞台に戻ってきました。福岡や松島をチームの最後尾から助けてあげられるのは、トゥポウしかいません。指揮官に託されたミッションも、シンプルにはこの点に集約されるでしょう。タックル。キック処理。当たり前のことを、当たり前にやり切るということに。
一般的に、チームが良いモメンタムにある時に、メンバーを入れ替えるのは勇気を伴います。「シズオカの衝撃(Shock in Shizuoka)」を経て、サモアもBPを奪って撃破してきた中で、ここまでスターターだった山中から切り替えるのは難しいチョイスだったはず。つまり、それだけジェイミーはトゥポウを信頼しているということです。
トゥポウは、そのことを間違いなく理解していると思います。今回のジェイミーの決断ほど彼を奮い立たせるものはないでしょう。おそらく、人生において一度でもあれば幸せだというほどに、心を震わせていると思います。そういう瞬間を生きる誇り高きアスリートの姿から、目を離すことなどできません。
本当に、もう待ち切れないですね。
Friday, October 04, 2019
RWC 2019 日本vsサモア - 私的プレビュー
相手より5歩余計に走れば、その5歩が既に勝利への5歩だ。
ー イビチャ・オシム(サッカー指導者、1941- )
そっと胸に手を当てて、自らの心に問いかける。
明日に迫った闘いを前に、その先に待つ最終節、つまりスコットランド戦へと繋がっていく一連の「流れ」の1つとして明日を見据える気持ちが、心の片隅に、ほんの一片もないと言い切れるだろうか。
その思いは、今すぐに捨て去った方がいい。わずかばかりの心の隙さえも許さず、極論すれば相手のことさえ意識の中心から周辺へとシフトさせ、ただ自分たちのすべきラグビーに徹底的にフォーカスする。
明日のサモア戦は、そういうゲームです。というよりも、そう戦わなければいけない。
W杯に楽なゲームなど1つもなく、小さな心の隙を見逃してくれるほど、誇り高きサモアン・フィフティーンは甘くありません。
サモア代表は今、何を思うのか ー
本日現在、World Rankingでは15位と、ジャパン(過去最高の8位)の後塵を拝しているサモア。本大会では現時点で1勝1敗(勝ち点5)と、予選Aプールではスコットランドと並んで3番手の位置にあります。前節のスコットランド戦では0-34と完敗を喫しており、加えてこれまでの2試合での危険なプレーによって、主力2人が出場停止という苦しい状況です。私もスコットランド戦をTVで観戦しましたが、端的に言えば「サモアが崩れた」ゲームだったと言っていいでしょう。
つまり、サモアは今、チームビルディングの観点でいえば再構築(Rebuild)の過程にあります。ジャパンが洗練(Refine)の局面にいるのとは対照的です。
その彼らは今、何を考えているのか。もちろん真実は彼らのみぞ知るところですが、想像することも、想定することもできます。間違いなく、プライドを徹底的に燃え上がらせているはずです。サモア代表はW杯でも過去に2度ベスト8(Quarter Final)に進出した経験があります。ジャパンとの通算成績は、ジャパンの4勝11敗。その彼らが、Rootの部分でジャパンに「勝てない」と思うはずがありません。
私はいつもラグビーの見どころの1つとして「後半20分の表情」を挙げていますが、明日はまずグラウンドに立った瞬間のサモアの男たちを見てください。そして国歌斉唱の後には、サモアが誇るウォークライ「シヴァ・タウ」が続きます。燃えたぎるサモア、その本質を垣間見ることができるはずです。
2人の注目プレーヤーのことを。
サモアには日本でもお馴染みのスーパースターが2人います。1人は15番を背負うティム・ナナイウィリアムズ。もう1人は、明日はリザーブに廻ったSOのトゥシ・ピシです。
この2人は日本のトップリーグでプレーした経験もあり、日本ラグビーを非常によく知っています。ピシは7シーズン(2010-2016)に渡って強豪サントリーを牽引した英雄で、日本国内でも非常に高い人気を誇る選手です。ナナイウィリアムズは、間違いなく明日のキープレーヤーになるでしょう。完封を喫したとはいえ、スコットランド戦でも気迫溢れるランは健在。豊富な経験に導かれた判断力とキレの良いステップワークは注目です。
肉弾戦の破壊力が魅力のサモア・ラグビーに、ちょっと違った角度から彩りを与えるフィールドのアーティスト達を、ジャパンがどう封じ込めるのか。この辺りも明日のゲームを占う重要なポイントです。
ジャパンがすべきこと。そして肝心の明日の見どころは ー
サモアは決して弱くありません。これだけは断言できます。そして、そのサモアに対峙するジャパンが明日すべきことは、実は極めてシンプルです。端的に言ってしまうと、サモアの心を折ることです。
前回の2015年W杯において、3勝しながら予選プール敗退となった苦い記憶もあり、「シズオカの衝撃 (Shock in Shizuoka) 」として世界に衝撃を与えたアイルランド戦以降、少なくない識者・評論家がボーナスポイント(BP)を取れるかどうかを、明日のポイントとして挙げています。既に多くのメディアが取り上げているので、ご存知の方も多いと思いますが、ラグビーW杯では4トライ以上を奪うと勝敗に関わらず1点のBPが与えられます。勝利すれば4ポイントなので、4トライ以上の勝利で最大5ポイントですね。
明日のサモア戦で5ポイントを獲得すれば、ジャパンは最終節のスコットランド戦に向けて非常に大きなアドバンテージを勝ち取ることになるのは、紛れもない事実です。でも、ヘッドコーチ(HC)のジェイミーは、BPについて一切言及していません。そして私は、それが当然のスタンスだと考えています。極論すれば、サモアの心を折るラグビーを貫いたならば、3-0でも最高の勝利となるのが明日のゲームです。
それならば、どうやってサモアの心を折るか。これもシンプルです。荒ぶるサモアの猛者たちの突進をきちんと制圧して、前に行かせないことから全ては始まります。なぜならば、前進こそが人間のエナジーの根源だからです。
サモアは強い。スピードを持った巨漢が、魂を乗せてクラッシュしてきます。特に前半の40分間は、ジャパンの戦略やパフォーマンスを問わず、基本的にはこの展開が繰り返されると思います。でも、40分間を通してジャパンの15人が鎖となって彼らの突進を撃ち返し、前進を許さなかったとすれば ー。
その時、ジャパンはもう豊田スタジアムの空気を支配しているはずです。
前半終了のホイッスルが鳴って、ロッカーへと戻っていく時のサモアの選手たちの姿に「小さな絶望」を、いやそこまで行かなくても「小さな閉塞感」を感じ取ることができたとすれば、ジャパンはBPの有無などでは測れないほどの絶対的なアドバンテージを勝ち取ることになります。
W杯というのは、いつだって「人間の戦い」なんです。
Wednesday, October 02, 2019
『国境を越えたスクラム』
今回のW杯に合わせて、ラグビー関連書籍が空前の出版ラッシュに沸いている。私は大型書店に足を運ぶと必ずスポーツ棚をチェックするのだが、ラグビーの新刊が続々と増えていくのを目にする度にいつも嬉しい気持ちになり、そして何かしら買って帰っている。本格的なノンフィクションに限らず、いわゆる入門書の類もチェックは怠らない。自分では知っているつもりのことでも、簡潔に整理されたものを読んでいるうちに、ふとした気づきが生まれることもあるものだ。
そんな訳で、とにかくラグビー本はここ最近で急増しているのだけれど、その中でも特に素晴らしいのが本書だ。HONZでも取り上げられるとは思っていなかったが、それだけの価値は十分にあると断言できる。本書を手に取る理由が目下のW杯に乗じた話題性だったとしても、読後感として残るものは間違いなく、「単なるW杯ブームの彩りの1つ」というレベルを超越したものになっているはずだ。
本書で紹介されている多くのエピソードは、長らく日本ラグビーを応援してきたファンでさえも知らないものが少なくないだろう。まさに今、W杯を戦っているジャパンにおいても外国出身選手の存在は非常に大きいが、ここに至るまでには歴史の蓄積があり、野茂や中田英寿ではないかもしれないけれど、同じように「日本という未踏の地」を切り開いてきた先人の存在がある。本書でも冒頭に登場するノフォムリやラトゥは今でも語り継がれる伝説的な存在だが、彼らはただ自身の未来のためだけに戦っていた訳ではなかった。パイオニアとしてのプライドと誇りを胸に日本で戦い、そしていつしか彼らの誇りは、「日本代表としての誇り」へと昇華していった。
俺が最も感銘を受けたのはホラニ龍コリニアシの物語だ。コリーの愛称で親しまれたパワフルなNo.8。彼が日本への帰化を決断した際、高校生で初めて日本に留学してきた頃からお世話になっていたある方のもとを訪れて、帰化することを伝えると共に、「龍」の一字を受けることになる。コリーが何を思い、何を背負ってきたのか。詳しくは本書を読んでもらいたいが、電車の中では到底読めないエピソードだ。
ラグビーの大きな魅力の1つが多様性にあるのは疑う余地もない。
ただ、例えば日本ラグビーを、そして今のジャパンを支える外国出身選手たちは、おそらく「多様性のために」ラグビーをしている訳ではないはずだ。日本という地で必死にラグビーに挑んできた結果が認められ、ジャパンに選出された時、そこには多様性があったというだけで。
どこの生まれだろうと、国籍や育ってきた環境がどうであろうと、同じ時代、同じ場所でラグビーに本気になった仲間がいた。ラグビーを通じて、人として繋がった。打算などでは到底越えられない壁がきっとあり、でも仲間の信頼と自分自身へのプライドが、いつだって彼らを奮い立たせた。きっと、ライブではそんな感覚だったんじゃないかと思う。いや、俺としてはそう確信している。
何故ならば、俺がラグビーを続ける理由も同じだからだ。
ラグビーの大きな魅力の1つが多様性にあるのは疑う余地もない。
ただ、例えば日本ラグビーを、そして今のジャパンを支える外国出身選手たちは、おそらく「多様性のために」ラグビーをしている訳ではないはずだ。日本という地で必死にラグビーに挑んできた結果が認められ、ジャパンに選出された時、そこには多様性があったというだけで。
どこの生まれだろうと、国籍や育ってきた環境がどうであろうと、同じ時代、同じ場所でラグビーに本気になった仲間がいた。ラグビーを通じて、人として繋がった。打算などでは到底越えられない壁がきっとあり、でも仲間の信頼と自分自身へのプライドが、いつだって彼らを奮い立たせた。きっと、ライブではそんな感覚だったんじゃないかと思う。いや、俺としてはそう確信している。
何故ならば、俺がラグビーを続ける理由も同じだからだ。
Monday, September 30, 2019
ただラグビーであれば
今、明らかにラグビーが熱くなっている。
初の日本開催となったラグビーW杯、そしてジャパンの躍進で、ラグビーに対する国内の関心が大きく高まっているのが日々感じられて、これまでラグビーを真剣に観たことがなかった多くの方々がジャパンに勇気づけられているこの現実を、心から嬉しく思っている。そして、ラグビーという競技の根幹を成す精神性、あるいはラグビー憲章が定める5つの原則を見事に体現するような数多くのエピソードが、ライブで、多くのファンの眼前で実際に表現され、それらがSNSを含むメディアを通じて世界中で共有されていくことを、1人のラグビー人として非常に誇らしく思う。ラグビーをやっていて、本当に良かったと。
でも、そんな今だからこそ、そろそろ書いておきたい。
俺はサッカーもアメフトも好きだと。
バスケットやバレーボールも、陸上や柔道も同じように好きだと。
ただ単純に、俺にとってラグビーは世界で最も面白く、そして最も尊いスポーツだと思うだけで、それぞれの競技にそれぞれ固有の魅力と尊さがあり、どの競技にあっても本物のアスリートは美しく、そういう諸々を俺はリスペクトしている。競技自体も、その競技を大切に思う人々のことも。
激しいコンタクトを厭わず、すぐに起き上がって戦うのがラグビー。
レフリーをリスペクトし、そのジャッジを根本の部分で信頼するからこそ、あらゆる状況下において規律をもって応じようと最大限に努めるのが、本物のラグビー。
ノーサイドの瞬間、敵味方を問わず全力を尽くした人間をお互いに讃え合うのが、ワールドクラスから草の根まで、洋の東西を問わず広く共有されている真のラグビー文化。
その通りだ。
でも、わざわざサッカーと比較して云々するのはうんざりだ。
俺としては、その手の話はもうあまり耳にしたくない。
何かと比較しなくても、ラグビーは純粋に尊いと思うからだ。
ただ、ラグビーがラグビーであれば、それでいいじゃないか。
リスペクトの精神が本物なのであれば、ラグビーというクローズドな世界のみに閉じることなく、ラグビーの外側を生きる人達や、ラグビー以外のあらゆる競技にも等しく同じ誠意をもって向き合っていくことこそ、ラグビーを愛する人々がすべきことじゃないか。
唯一、バスケットのフリースローでアウェイの相手にブーイングを浴びせる慣習だけは正直感心しない(というか、俺としては全く好きになれない)けれど、でもバスケットも大好きだ。Bリーグを一度でも見れば、きっと伝わるはずだ。
RWC 2019を通して、本物のリスペクトを。
Sunday, September 29, 2019
最高の一戦、そして次の戦いへ。
本当に素晴らしい一戦だった。
Japan 19-12 Ireland (16:15 K.O. @エコパスタジアム)
紛れもなく世界トップクラスの強豪を相手に、真っ向から戦い抜いたジャパンへの称賛が溢れる中で、俺が付け加えられることは殆ど何もない。渾身のディフェンス。決して切れない集中力。決定的な瞬間にあって本当は生じてもおかしくない一抹の不安さえ圧倒的な自信と無心で凌駕してみせた圧巻のパフォーマンス。奇しくも一昨日書いたように、ジャイアント・キリングと言わせない戦いぶりだった。
プレーヤーで言えば、やはりマイケル・リーチ、そしてトンプソン・ルークだろう。マフィの負傷によって、おそらくは想定よりも大分早めの時間からグラウンドに立ったリーチ。直後のアタック・シークエンスの中で、右オープンへのワイド展開から敵陣22mあたりで生じたラックに、左斜め後方から凄まじい勢いで全身を打ち込むようなクリーンアウトを見た瞬間、リーチがこの試合で獅子となることを確信した。そして、トンプソン・ルークの仕事量とタフネス。リーチがインサイドからビハインドタックルで刺さった直後に、次のシェイプランナーをトンプソンが浴びせ倒すシーンが幾つあっただろうか。加えて、この日のジャパンを救った自陣深くでの相手ラインアウトのスティール。38歳にして驚きの、でもある意味では「相変わらずの」パフォーマンス。やはり引退撤回を考えた方がいいかもしれない。
ゲーム展開で言えば、この日のジャパンにとって最も大きかったのは、一度も連続失点をしなかったことだ。一度失点しても、3点ずつ返して喰らいつく。スコアで先行したのはようやく後半20分を迎える頃だったが、それまで常にワンプレーで逆転可能な圏内をキープしたことで、80分間の全体を通してハイ・プレッシャーを貫くことができた。こういう展開の時にキツいのは、「普通に戦えば勝利する」と思われている側だ。そして、ラスト20分を残して遂にスコアで優位に立ったジャパン。結果的に、これ以上ない絶妙のタイミング。まさに勝負の綾となった。とはいえ、ラスト20分で勝ち切るのも当然ながら相当に難しい。その意味でも、とにかくジャパンは純粋に素晴らしかった。
このアップセットで日本中、いや世界中を沸かせたジャパン。
歓喜の余韻も残る中ではあるが、俺としては、ここから先のことに思いを巡らせてみたい。
つまりサモア戦、そしてスコットランド戦のことを。
今回の勝利で、決勝トーナメント進出に向けて大きく前進したのは事実だ。メディアや世論を含めて、国内のモードも今日を境に大きく変わっていくだろう。ただ、ジェイミーからすれば、この先の2試合の舵取りは決して簡単ではなく、むしろ非常にデリケートな局面に入っていくと思う。アイルランドを撃破したとはいえ、スコットランドも、そしてサモアさえも、決して勝利が約束された相手ではないからだ。例えば、サモアに対するジャパンの通算対戦成績は4勝11敗。国内ファンの多くはその事実を知らないが、サモア代表の猛者たちはジャパンを「倒せない相手」だと思ったことは、おそらく一度もないはずだ。乗ってきた時のサモアは、恐ろしく強い。スコットランドは、言うまでもないだろう。前回の2015年大会で、「ブライトンの奇跡」を果たしても、なおジャパンの決勝トーナメント進出を阻んだ因縁の相手がスコットランドだ。当然ながら、彼らは既に具体的なイメージを描いているはずだ。最終戦でジャパンに勝利して、アイルランドと共に3チームが3勝1敗で並ぶ可能性をー。要するに、まだ一息つけるような状況では決してないのが、ジャパンの現在地だ。そういう中で、このアイルランド戦の勝利が生み出すモメンタムを、どのようにキープしていくかがポイントになってくる。心の中の小さな隙さえ見逃すことなく、モメンタムは崩さない。このバランス感が、ここからは最重要になってくる。
そしてもう一点が、特にベテラン勢のコンディショニングだ。例えば堀江やトンプソンのこの2試合を通じての消耗度は、やはり相応に高いと考えるべきだろう。FWでは姫野やラピース、BKでも中村、ラファエレの両CTBはフルタイムで身体を張り続けている。最終戦に山場のスコットランドを残す状況下で、最も疲労の高まる第3戦のサモア戦に、どういう布陣で来るのか。そして、そのメンバリングにジェイミーはどのような意味づけを与えるのか。ここが注目されるポイントになってくる。ただし、最も優先すべきは明らかにモメンタムだ。つまり、モメンタムを犠牲にするようなメンバー変更ならしない方がマシだというのが、俺の基本的な考え方だ。
ここからは、あくまで個人的な想像でしかないのだけれど、俺なりに考えてみたい。
例えば、堀江はおそらくスターターから動かさない。今のFWの安定感はリーチと堀江の2人に負う部分が極めて大きいからだ。でも、実はロシア戦の後半ラストに登場した坂手は、短時間ながら非常に安定した良いパフォーマンスを見せている。ゲーム展開にもよるが、サモア戦で坂手のプレータイムをどの程度取れるかは結構重要なポイントだと思う。トンプソンは、俺ならリザーブに一旦戻す。これも「トンプソンを休ませるため」ではなく、サモアと戦う上でヘル・ウヴェまたはヴィンピーの爆発力が求められているのだと、ポジティブなメッセージで統一したい。SHについては、俺としては茂野の出番が来るのかなと予想している。サモアを崩す上で最も狙うべきは彼らのディシプリンの部分であり、そのためには崩し切るスピード、クイックネスが肝になってくる。今のジャパンのSHの中で、最も「速さ」を武器にできるのは間違いなく茂野で、そして茂野のプレータイムを作ることは、結果的にスコットランド戦を見据えて戦略の幅を確立することにも繋がると思う。中村、ラファエレの両CTBは、このW杯を通じて休ませることはできない。この2人でなければ、「ジャパンのBK」になってこないだろう。
いずれにせよ、次のサモア戦に向けた準備はもう始まっている。
間違いなくジェイミーは、もう次のことしか考えていないはずだ。
Friday, September 27, 2019
RWC 2019 日本vsアイルランド - 私的プレビュー
戦法に絶対はない。だが、絶対を信じない者は敗北する。
ー 大西鐵之祐(元ラグビー日本代表監督、1916-1995)
ジャイアント・キリングとはもう言わせない。
でも、アップセットへの挑戦であることには変わりない。
明日はそういう戦いになります。9/28(土)日本vsアイルランド@エコパスタジアム(静岡)、運命のキックオフは16:15です。
今週時点のWorld Rugby RankingではABsに首位を譲ったものの、依然として世界No.2を誇るアイルランドの強さは本物です。ジャパンにとっては、今大会(RWC 2019)の運命を左右する最大の難所といっても過言ではありません。結果はもちろん重要。勝敗のみでなく、ボーナスポイントの有無も今後の展開に大きく影響してきます。でも、そういう諸々の前に、今にフォーカスするしかない。最終戦のスコットランド戦を考える前に、今この瞬間に全力を捧げて、全員が出し切るプロセス(All Out)を共有することでしか生まれない結束を勝ち取らない限り、明日を描くことはできない。W杯とは、そういう場所です。
何よりも最初に知っておきたい、アイルランドのこと ー
ところで、RWC 2019の参加チームはいくつかご存知ですか。20の「国・地域」です。20ヶ国ではない。その象徴たる存在が、実はアイルランドです。
アイルランド独立戦争(1919-1922)を経て連合王国(*)の一部として残った北部アルスター6州とアイルランド共和国とに分断され、その後も紛争の続いたアイルランドは、南北関係において極めて複雑な政治的背景を抱えています。でも、そうした中でラグビーは南北の垣根を超えた存在としてあり続けた歴史があります。独立戦争終結前に設立されていたIRFU(アイルランドラグビー協会)は、分断後の国境を無視し、統一チームとして戦い続ける道を選びます。
明日、ジャパンが戦うチームというのは、そういうチームです。アイルランド共和国代表ではなく、「1つのアイルランド」の誇りを胸に結束した男達です。試合前の"国歌"斉唱で歌われるのは、国歌ではなく”Ireland's Call"。「1つのアイルランド代表」のために作られた特別な歌です。静岡の地に"Ireland's Call"が響き渡るというそれだけで、もう感動を抑えられません。
で、肝心の見どころは ー
全てです。とにかく"Ireland's Call"から見てください。
ジャパンの勝機はどこに ー
アイルランドのような格上の強豪と戦う際には、幾つかの鉄則があります。
まずは、ロースコアの戦いに持ち込むことです。アイルランドは、初戦でスコットランドをほぼ完璧に封じ込めています。135本のタックルに対して、ミスタックルはわずかに8本。94%を超える驚異のタックル成功率です。つまり、簡単にはスコアできない。イメージとしては、20点のラインで争わない限り勝機はないと思います。では、どうするか。最も重要なのは、相手ボールの時間を減らすこと(Possession)、そして敵陣でプレーすること(Territory)の2つになってきます。この2つは全てのゲームで重要な指標ですが、格上を相手に主導権を取るのは容易ではありません。当たり前のことを当たり前にできるのが、本当に強いチームなんです。ジャパンはまず、ここに挑むことになります。
もう1つは、小さくてもいいのでスコアで先行すること。4年前の南ア(ブライトンの奇跡)とは違います。相手は開催国でもあるジャパンをきちんと警戒しています。小さくてもスコアでアドバンテージを取って、相手が追う展開に持っていくのが理想です。そして後半20分頃にまだリードを保っているか、少なくとも均衡状態を守れていれば、その時初めてアイルランドは背中に崖っぷちを見ることになります。
改めて、注目選手は ー
ウィリアム・トゥポウ、そしてトモさんことトンプソン・ルークの2人は大丈夫ですよね。この試合ではもう1人、FBに入った山中亮平を挙げておきたいです。前回の2015年W杯では、開幕直前に代表を外されるという悲運を経験するも、見事に這い上がってきた天才。いや、天才と言ってしまうと本当は失礼なのかもしれません。それだけの時間を積み上げてきた1人なのだと思います。
ダイナミックなランと、距離のあるキック。パスの能力も高いです。一方で、ロースコアの戦いとは"Aggressiveness"だけではないので、この部分をチームの最後尾からどのようにオーガナイズできるかが、明日の生命線になってきます。
また長くなりましたが、明日が待ち遠しくて仕方ないですね。
(*) グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国
Sunday, September 22, 2019
RWC開幕 - ジャパンの展望
RWC 2019 Opening Match
Japan 30-10 Russia (19:45 K.O. @東京スタジアム)
世界を代表する20ヶ国が誇るワールドクラスのトップラガー達が、今日までの4年間で積み重ねてきた全てを懸けて臨む「人類最高の真剣勝負」が幕を開けた。
それが、ワールドカップ。東京で、ジャパンがこの戦いの幕を切って落とす日がこうして訪れたことを、まずは心から祝福し、そしてこの日のために全力を注いでいただいた関係者の方々に感謝したい。
これからの40日間は、間違いなく最高の時間になるはずだ。
さて、肝心のオープニング・ゲーム。少々遅くなったけれど、改めて振り返ってみたい。
キックオフ早々にミスから先制点を許して以降、特に前半は揺らめく流れを掴み切れない展開が終始続いたジャパン。それでも後半は、地力の差を見せてスコアを引き離し、ボーナスポイントも獲得することが出来た。終わってみれば、危なげない勝利だったと言っていいのではないかと思う。正直、不安定だった前半でさえ、foundationalな部分の厚みではジャパン優勢は明らかで、それはグラウンド上の選手達もおそらく同様の感覚だったはずだ。ただ、この試合はW杯のオープニング・マッチだった。当然ながら、この瞬間に4年分の闘志を凝縮させてくるのはジャパンだけではないということだ。
いずれにせよ、勝ち点5を確保しての勝利ということで、まずは好発進という受け止め方が全般的には多いかなと感じている。プレー精度には明らかに課題があったのも事実だけれど、ホーム開催ということもあり、国内のメディア/ファンは総じてポジティブに評価している印象だ。こういう部分も、ホームの利点の1つかなと思う。俺自身は、本音ではもう少し冷静に見ているが、ジャパンがこのゲームで勝ち取った「3つのプラス」について触れておきたい。
まずは、ウィリアム・トゥポウだ。前半早々のキャッチミスには、日本中のファンが天を仰いだことだろう。ただ、最もキツかったのは当然ながらトゥポウ自身だったはずだ。
俺が良かったと心から思っているのは、ジャパンの最初のトライで、松島へのラストパスを繋いだのがトゥポウだったことだ。あれでチームも、そしてトゥポウ自身もきっと救われた。
トゥポウのプレーは、その後もベストコンディションの時の安定を取り戻していたとは言えず、終始どこか揺らぎがあったのは事実だ。それでも彼は、決して潰れてはいけない選手だ。チームとしても、トゥポウにいかに早く切り替えさせるかを考えないといけない。なぜなら、W杯は1人のFBだけで戦い切れるような場所ではないからだ。山中が良くても、場合によっては松島でバックアップできるとしても、トゥポウの価値は変わらない。その意味で、俺はあのラストパスに光明を感じている。
2点目は、ベテランの存在。前半から続く流動的なゲーム展開を落ち着かせ、日本に流れを持ってきたのは、間違いなく2人のベテランだ。トンプソン・ルークと田中史朗。この2人が投入された時、TV画面越しにも「空気の変化」を感じた。プレーの面では、特に田中の投入が大きかったと思う。円熟味を増すゲームコントロールは本当に素晴らしく、1つひとつのプレーの判断も的確だった。
そして最後は、やはりリザーブメンバーの躍動だ。上記の2人以外にも、松田や山中は表情からして違っていた。松田はプレータイムこそ長くはなかったけれど、もしかするとこの試合を機にもう一皮剥けるのではないかと思わせるような迫力を見せていた。どちらかというとオールラウンダーとしての側面が評価されてきたタイプだが、この日の輝きは、強気かつキレのあるランで、これはジャパンにとっては間違いなく好材料だと思う。中島イシレリ、具智元の両PRも、ゲーム展開を左右する重要なシーンで、それも自陣22mライン付近のスクラムからの投入という痺れるタイミングだったけれど、見事に期待に応えたことで、ジャパンの戦いの幅をもう一段厚くすることになった。
ちなみに、松島のPlayer of the Matchは文句なしなのだけれど、俺としては、この日のジャパンを立て直したキーマンは姫野だったと思っている。強気全開。素晴らしいランとキャリーだった。アイツに渡せば必ずボールを前に運んでくれる。その安心感が、どのゲームにも必ずある悪い流れの時間帯では特に重要になってくる。それが自分に与えられたミッションなのだと明確に理解し、その通りの仕事を忠実にやり切ったのがこの日の姫野だった。実際にStatsを見ても姫野の存在感は明らかだ。まあ、もともと大舞台に強いタイプなのは分かっていたけれど、彼は遠くない将来に海外のプロリーグで戦う道を切り開くような気がしないでもない。
さて、次は現時点の世界No.1であるアイルランド。
端的に言えば、ジャパンは戦いやすい状態になったと思う。ロシア戦を見ても分かる通り、基本的に「挑戦者」の方が有利だ。アイルランド戦に関しては、メンタリティの観点でジャパンに守りの要素は一切不要だ。格下相手に充実のパフォーマンスで圧倒した際に、その自信が格上相手への修正を時として阻害することがあるけれど、今はその懸念もないだろう。ロシア戦のジャパンは、納得感のあるパフォーマンスを全然示していないし、そのことは選手自身も同様に考えているはずだ。
その上で、ここから何を修正するか。ハイボール処理に限らず、ミクロな修正箇所は多い。また、インターナショナルレベルの戦いでは対戦相手やレフリーの分析と、それに対するアジャストを相当やるはずだ。でも、結局のところ人間が1週間という短期間にフォーカスできるポイントは、2つか3つが限界だと思う。それで十分だし、今はそう戦うべきだ。
俺だったら、ブレイクダウンをもう一度立て直す。ロシア戦は明らかに集散が遅く、ユニットで戦えていない場面が多かった。特別なプレーよりも、当たり前のプレーをどこまで当たり前にできるか。色々あるにせよ、突き詰めてしまえば、アイルランド戦の勝機はこの点にかかってくるだろう。誰が出ても、すべきことは変わらない。
あとは、今日のアイルランドvsスコットランドを見てから考えよう。
Japan 30-10 Russia (19:45 K.O. @東京スタジアム)
世界を代表する20ヶ国が誇るワールドクラスのトップラガー達が、今日までの4年間で積み重ねてきた全てを懸けて臨む「人類最高の真剣勝負」が幕を開けた。
それが、ワールドカップ。東京で、ジャパンがこの戦いの幕を切って落とす日がこうして訪れたことを、まずは心から祝福し、そしてこの日のために全力を注いでいただいた関係者の方々に感謝したい。
これからの40日間は、間違いなく最高の時間になるはずだ。
さて、肝心のオープニング・ゲーム。少々遅くなったけれど、改めて振り返ってみたい。
キックオフ早々にミスから先制点を許して以降、特に前半は揺らめく流れを掴み切れない展開が終始続いたジャパン。それでも後半は、地力の差を見せてスコアを引き離し、ボーナスポイントも獲得することが出来た。終わってみれば、危なげない勝利だったと言っていいのではないかと思う。正直、不安定だった前半でさえ、foundationalな部分の厚みではジャパン優勢は明らかで、それはグラウンド上の選手達もおそらく同様の感覚だったはずだ。ただ、この試合はW杯のオープニング・マッチだった。当然ながら、この瞬間に4年分の闘志を凝縮させてくるのはジャパンだけではないということだ。
いずれにせよ、勝ち点5を確保しての勝利ということで、まずは好発進という受け止め方が全般的には多いかなと感じている。プレー精度には明らかに課題があったのも事実だけれど、ホーム開催ということもあり、国内のメディア/ファンは総じてポジティブに評価している印象だ。こういう部分も、ホームの利点の1つかなと思う。俺自身は、本音ではもう少し冷静に見ているが、ジャパンがこのゲームで勝ち取った「3つのプラス」について触れておきたい。
まずは、ウィリアム・トゥポウだ。前半早々のキャッチミスには、日本中のファンが天を仰いだことだろう。ただ、最もキツかったのは当然ながらトゥポウ自身だったはずだ。
俺が良かったと心から思っているのは、ジャパンの最初のトライで、松島へのラストパスを繋いだのがトゥポウだったことだ。あれでチームも、そしてトゥポウ自身もきっと救われた。
トゥポウのプレーは、その後もベストコンディションの時の安定を取り戻していたとは言えず、終始どこか揺らぎがあったのは事実だ。それでも彼は、決して潰れてはいけない選手だ。チームとしても、トゥポウにいかに早く切り替えさせるかを考えないといけない。なぜなら、W杯は1人のFBだけで戦い切れるような場所ではないからだ。山中が良くても、場合によっては松島でバックアップできるとしても、トゥポウの価値は変わらない。その意味で、俺はあのラストパスに光明を感じている。
2点目は、ベテランの存在。前半から続く流動的なゲーム展開を落ち着かせ、日本に流れを持ってきたのは、間違いなく2人のベテランだ。トンプソン・ルークと田中史朗。この2人が投入された時、TV画面越しにも「空気の変化」を感じた。プレーの面では、特に田中の投入が大きかったと思う。円熟味を増すゲームコントロールは本当に素晴らしく、1つひとつのプレーの判断も的確だった。
そして最後は、やはりリザーブメンバーの躍動だ。上記の2人以外にも、松田や山中は表情からして違っていた。松田はプレータイムこそ長くはなかったけれど、もしかするとこの試合を機にもう一皮剥けるのではないかと思わせるような迫力を見せていた。どちらかというとオールラウンダーとしての側面が評価されてきたタイプだが、この日の輝きは、強気かつキレのあるランで、これはジャパンにとっては間違いなく好材料だと思う。中島イシレリ、具智元の両PRも、ゲーム展開を左右する重要なシーンで、それも自陣22mライン付近のスクラムからの投入という痺れるタイミングだったけれど、見事に期待に応えたことで、ジャパンの戦いの幅をもう一段厚くすることになった。
ちなみに、松島のPlayer of the Matchは文句なしなのだけれど、俺としては、この日のジャパンを立て直したキーマンは姫野だったと思っている。強気全開。素晴らしいランとキャリーだった。アイツに渡せば必ずボールを前に運んでくれる。その安心感が、どのゲームにも必ずある悪い流れの時間帯では特に重要になってくる。それが自分に与えられたミッションなのだと明確に理解し、その通りの仕事を忠実にやり切ったのがこの日の姫野だった。実際にStatsを見ても姫野の存在感は明らかだ。まあ、もともと大舞台に強いタイプなのは分かっていたけれど、彼は遠くない将来に海外のプロリーグで戦う道を切り開くような気がしないでもない。
さて、次は現時点の世界No.1であるアイルランド。
端的に言えば、ジャパンは戦いやすい状態になったと思う。ロシア戦を見ても分かる通り、基本的に「挑戦者」の方が有利だ。アイルランド戦に関しては、メンタリティの観点でジャパンに守りの要素は一切不要だ。格下相手に充実のパフォーマンスで圧倒した際に、その自信が格上相手への修正を時として阻害することがあるけれど、今はその懸念もないだろう。ロシア戦のジャパンは、納得感のあるパフォーマンスを全然示していないし、そのことは選手自身も同様に考えているはずだ。
その上で、ここから何を修正するか。ハイボール処理に限らず、ミクロな修正箇所は多い。また、インターナショナルレベルの戦いでは対戦相手やレフリーの分析と、それに対するアジャストを相当やるはずだ。でも、結局のところ人間が1週間という短期間にフォーカスできるポイントは、2つか3つが限界だと思う。それで十分だし、今はそう戦うべきだ。
俺だったら、ブレイクダウンをもう一度立て直す。ロシア戦は明らかに集散が遅く、ユニットで戦えていない場面が多かった。特別なプレーよりも、当たり前のプレーをどこまで当たり前にできるか。色々あるにせよ、突き詰めてしまえば、アイルランド戦の勝機はこの点にかかってくるだろう。誰が出ても、すべきことは変わらない。
あとは、今日のアイルランドvsスコットランドを見てから考えよう。
Thursday, September 19, 2019
Rugby World Cup 2019 私的プレビュー
世界で3番目に大きく、世界で最も人間を興奮させるスポーツの祭典が、明日開幕します。
それも、この日本でー。
ラグビーW杯2019は、今日の時点で(ジャンルを問わず)人類が表現できる最高レベルのパフォーマンスの競演なので、人間という生物の奥底を知りたいのであれば、必ず見ることをお勧めします。そんな訳で、残り24時間を切ったオープニングに向けて、独断と偏見も織り交ぜながらプライベート・プレビューを皆様にお届けしようかなと。
そもそもジャパンとは ー
ラグビー日本代表は、1930年に初めて結成されて以来、90年近い歴史と伝統を持つチームです。"Brave Blossoms (勇敢なる桜の戦士) "という愛称でも親しまれていますが、大半のラグビーファンは「ジャパン」と呼んでいます。最新の世界ランキングは10位。31人のメンバーで構成されていて、うち15人が外国出身選手です。このことは後ほど触れます。
世界のラグビー、そして日本の立ち位置 ー
ラグビーで世界的に有名なのは、やはりAll Blacks (ABs)。ニュージーランド代表チームの愛称で、「人類最強」と言われています。このNZに加えて、オーストラリア(ワラビース)、前回2015年大会で日本が大金星を挙げた南アフリカ(スプリングボクス)を加えた南半球3ヶ国は、圧巻の強さを誇ります。更にラグビー発祥国でもあるイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドに大陸の王者フランスを加えた北半球5ヶ国も、依然として世界のラグビーをリードする存在として君臨しています。
ラグビー界ではこの8ヶ国が"Tier1"と呼ばれていて、日本を含む"Tier2 Nations"とは別格の存在という状況がずっと続いています。極論すれば、ラグビーユニオン創設以降の100年とは、Tier1の100年だったと言っても過言ではありません。
今回のW杯では、ジャパンの予選リーグ突破(ベスト8進出)に期待が集まっていますが、言い換えれば"Tier1 Era"への挑戦ということもできます。 メディアの煽りを横目に断言しますが、この戦いはそんなに甘くありません。それでも、予選リーグ同組のアイルランド(世界1位)、スコットランド(7位)に真っ向勝負する実力をつけてきたのが、今のジャパンです。「ジャイアント・キリング」ではなく、がっぷり四つで。このマインドで世界と勝負することになります。
ラグビー憲章。その中でも"Respect"と、その象徴としての多様性 ー
World Rugby(国際ラグビーを統括する協会組織)は、ラグビーに携わる全ての人間が根幹に持つ5つの原則を「ラグビー憲章」として発表しています。非常にラグビーらしい部分で、私たちは「ただ勝利のためだけに」プレーする訳ではありません。また、この5原則は実際のプレーに関することに留まらず、競技全体を通底する価値観として、ナショナルレベルから草の根レベルまで、本当に多くのチームに幅広く共有されています。
この中の1つに「尊重 (Respect)」が挙げられていますが、これを象徴するのが、実は外国出身選手の存在です。ラグビーでは、国代表への選出基準として、①出生地が当該国である、②両親または祖父母の1人が当該国生まれ、③本人が3年以上続けて当該国に居住、という3つのうち1つを満たせば、国籍を問わず国代表としてのプレー資格を得られます。つまり、国籍主義ではないんです。同じ思いを持って戦う人間は、国籍を問わず仲間として認めるということです。
今回のジャパンには、上記の通り15人の外国出身選手がいますが、これは日本に限った話でもなく、海外の主要国においても一定数の外国出身選手が存在するのが実情です。ラグビーW杯の時期になると、デジャブのように外国出身選手のことが話題にされることに私自身は正直辟易していますが、「誰であれ、人間として対等に扱う」というフェアネスとオープンなスタンスが、他者への尊重へと繋がっていきます。ちなみに、これは有名な話ですが、ラグビー日本代表では国歌の練習も(外国出身選手の1人で、主将でもあるリーチ・マイケルの主導のもと)行っていますし、さざれ石の見学もしています。
全ては、心を1つにするために。
で、肝心の見どころは ー
全てです。一瞬たりとも見所でない瞬間はありません。
それでもあえて、1つ挙げるならば ー
特にテレビで見られる方は、選手の表情に注目してください。特に後半20分あたりですね。
上記の通り、予選リーグも強豪との対戦が続きます。このレベルで、楽に勝てるような試合など1つもありません。でも、本当に勝負できるチームは、苦しい時の表情だったり選手間のコミュニケーションに明らかな違いがあります。矛盾するような言い方ですが、予想された苦境やしんどい状況を"エンジョイ"できる人間の数が、ぎりぎりの勝負を左右します。
注目選手は、トンプソン・ルーク(LO)ですかね。トモさんの愛称で親しまれているNZ出身の38歳。今大会を最後に引退を表明していますが、開幕戦のロシア戦(9/20)もベンチ入りしています。
ここから先は、飲みながら話すと2時間コースになりますが、彼のプレーに幾度となく涙腺を緩ませたラグビーファンは相当数に上ります。Tier1レベルの強豪を相手に、実況アナウンサーが何度も「またもトンプソン!」なんて言っていたら、その試合には勝機があります。
ズバリ優勝予想は ー
ABsです。2011/2015と連覇を成し遂げ、今大会で史上初の3連覇を狙っています。
人類最強と目される彼らですが、実はつい最近、2009年11月から10年近く守ってきた世界ランキング1位の座を明け渡しています。盤石の布陣かというと、必ずしもそうとは言い切れません。こうした背景もあって、ジャーナリストの中にもABsの3連覇は難しいだろうという向きが少なくありません。そもそも連覇自体が極めて難しく、世界中の強豪から徹底的に分析・対策されるABsにとっては黄信号だろうと。
でも、私の見方は逆です。彼らは世界No.1から落ちたことで、不必要なプレッシャーから解放され、それでも決して枯れることのない程よいプライドと、圧倒的な危機感を手に入れた。ABsも人間なので、心で動き、心に動かされます。
単に誰かに「植えつけられた」危機感でなく、本当の崖っぷちに立つことになった世界最強集団が、どのようなパフォーマンスを見せてくれるのか。今から楽しみでなりません。
まずは、明日の開幕戦からですね。
Wednesday, August 07, 2019
Jargon
ここ最近、仕事をしていて知識のアップデートが必要なことが非常に多い。
これはIT業界の常でもあって、今に始まったことではないのだけれど、Red Hat買収のアナウンスメントに前後して、明らかに環境が変化してきているのを感じる。環境というのは、業界全体としてのテクノロジートレンドも当然だけれど、そうした中での自分自身の立ち位置であったり、役割やミッションであったり、つまりは"my business"のことだ。
端的に、かなり面白い流れになりつつあると思っている。
毎日のように知らないことに出会うからだ。
こんなことをblogに書いてしまうと怒られそうだが、ビジネス・マネジメントばかりに躍起になっている場合じゃない。幸いにも社内外で素晴らしいアーキテクト/エンジニアの方々と一緒に仕事をする機会に恵まれているのだから、徹底的にのめり込まないと勿体ない。IBMは明らかに変わろうとしていて、それが戦略的に上手く行くかどうかは正直分からないが、会社が変革するから自分が変わる訳じゃない。新たなテクノロジーやソリューションに対して、そのReadinessが確定してから行動するのではなくて、自分で確かめるアプローチをどこまで志向できるかで、今後、自分自身が出来ること、あるいは組織の中で果たして行けることは大きく変わってくるような気がしている。
ところで、IT業界にはジャーゴン、あるいはバズワードがつきものだ。
最近だとSOAとマイクロサービスは何が違うのかとか、多大な投資を行って整備してきたSOAPのバックエンド連携をAPI化することに必然性はあるのかとか、疎結合化/共通コンポーネント化など10年以上前から言われていることだとか、データレイクと称してステージングレイヤーに大量のデータを重複保持させて、エンタープライズレベルでのデータ・プラットフォームは本当に最適化の方向に向かっているのかとか、まあそういう類の話が社内外で常に話題に挙がってくる。とにかく日々キャッチーなコンセプトが登場し、それは本当に新しいのかという懐疑論が差し挟まれ、モノによっては「2年後には用語自体が消えているだろう」という冷めた見方が広がり、一方でそれなりにコンセプトが浸透してくると5年前の類似コンセプトを引きながら「要するに」で語れるポイントだけを頭に叩き込むような、そういう流れを辿ったITトレンドは枚挙に遑がない。
でも思うのは、そういう玉石混淆のITトレンドの"Why"には、自分自身の思考をアップデートする上で結構なヒントがあるということだ。バズワードだったとしても、バズワードが求められたテクニカルな背景はあるものだ。それを自分で調べてみて、アーキテクトに聞いてみる。このプロセスが本当に面白く、そしてこのプロセスは結果として、ITに関する知識の習得だけではなく、コアの思考力そのものに繋がっていくような気がしている。更に面白いのが、コードを書いたことのない人間であっても、ITインフラを構築したことのない人間であっても、やはりその視点からの「思考の余地」が必ずあることだ。
そんな訳で、IT業界の営業というのも、やっぱり相応に面白い。
時にITゼネコンと揶揄されるような会社だったとしても。
まあでも、エンジニアはもっと面白そうだという潜在意識は、常に消し去れないね。
これはIT業界の常でもあって、今に始まったことではないのだけれど、Red Hat買収のアナウンスメントに前後して、明らかに環境が変化してきているのを感じる。環境というのは、業界全体としてのテクノロジートレンドも当然だけれど、そうした中での自分自身の立ち位置であったり、役割やミッションであったり、つまりは"my business"のことだ。
端的に、かなり面白い流れになりつつあると思っている。
毎日のように知らないことに出会うからだ。
こんなことをblogに書いてしまうと怒られそうだが、ビジネス・マネジメントばかりに躍起になっている場合じゃない。幸いにも社内外で素晴らしいアーキテクト/エンジニアの方々と一緒に仕事をする機会に恵まれているのだから、徹底的にのめり込まないと勿体ない。IBMは明らかに変わろうとしていて、それが戦略的に上手く行くかどうかは正直分からないが、会社が変革するから自分が変わる訳じゃない。新たなテクノロジーやソリューションに対して、そのReadinessが確定してから行動するのではなくて、自分で確かめるアプローチをどこまで志向できるかで、今後、自分自身が出来ること、あるいは組織の中で果たして行けることは大きく変わってくるような気がしている。
ところで、IT業界にはジャーゴン、あるいはバズワードがつきものだ。
最近だとSOAとマイクロサービスは何が違うのかとか、多大な投資を行って整備してきたSOAPのバックエンド連携をAPI化することに必然性はあるのかとか、疎結合化/共通コンポーネント化など10年以上前から言われていることだとか、データレイクと称してステージングレイヤーに大量のデータを重複保持させて、エンタープライズレベルでのデータ・プラットフォームは本当に最適化の方向に向かっているのかとか、まあそういう類の話が社内外で常に話題に挙がってくる。とにかく日々キャッチーなコンセプトが登場し、それは本当に新しいのかという懐疑論が差し挟まれ、モノによっては「2年後には用語自体が消えているだろう」という冷めた見方が広がり、一方でそれなりにコンセプトが浸透してくると5年前の類似コンセプトを引きながら「要するに」で語れるポイントだけを頭に叩き込むような、そういう流れを辿ったITトレンドは枚挙に遑がない。
でも思うのは、そういう玉石混淆のITトレンドの"Why"には、自分自身の思考をアップデートする上で結構なヒントがあるということだ。バズワードだったとしても、バズワードが求められたテクニカルな背景はあるものだ。それを自分で調べてみて、アーキテクトに聞いてみる。このプロセスが本当に面白く、そしてこのプロセスは結果として、ITに関する知識の習得だけではなく、コアの思考力そのものに繋がっていくような気がしている。更に面白いのが、コードを書いたことのない人間であっても、ITインフラを構築したことのない人間であっても、やはりその視点からの「思考の余地」が必ずあることだ。
そんな訳で、IT業界の営業というのも、やっぱり相応に面白い。
時にITゼネコンと揶揄されるような会社だったとしても。
まあでも、エンジニアはもっと面白そうだという潜在意識は、常に消し去れないね。
Saturday, August 03, 2019
勝手に事業部通信 Vol.12(8/2/19)
「誰も興味なさそうな曲を今日も爆音で流すわ」
ー チャラン・ポ・ランタン『最高』(アルバム『ドロン・ド・ロンド』収録)
初めてチャラン・ポ・ランタンの曲を聴いたのは、ほんの2ヶ月ほど前のことです。子どもが通っている小学校のチャリティーコンサート。小さな体育館でのライブという、ある意味で特別感に包まれた感じで。
素晴らしく伸びやかな歌声の妹/ももと、アコーディオン弾きの姉/小春による姉妹ユニットで、非常に独特な世界観で幅広く活動されている、ということも2ヶ月前までは全く知りませんでした。
皆さんは、聴いたことがありますか。
ライブなので合間にMCがあるのですが、なかなか激しい幼少期だったそうで、子ども達に冗談めかして話してくれた自分たちの小学生時代の思い出が、まあワイルドなんです。特にアコーディオンを担当する姉の小春さんは、子どもの頃はとにかく「先に足が出るタイプ」で、学校の友達を毎日のように蹴り飛ばして、学校の先生たちにも悪態ばかりついていたそうです。当時、小春さんの最初の担任だったのが今の校長先生なのですが、カガセン(香川先生)の愛称で誰からも愛されているような優しい先生で、小春さんも言ってました。「カガセン、正直大変だったでしょ」って(笑)。
ただ、彼女には救いがありました。
小学校1年生の頃、親に連れられて見に行ったサーカスで初めて目にした蛇腹の楽器に魅了された小春さんは、お母さんにお願いしたそうです。「あの楽器が欲しい」って。
そして、その年のクリスマス。憧れのアコーディオンは、本当に彼女の元に届きます。
「7歳のクリスマスにサンタさんが(アコーディオンを)届けてくれて、その日から今日まで、本当に毎日弾いてます。」
トークタイムにそう語っていたのが、ものすごく印象的でした。本当に好きなことに、心の向くまま思い切り没頭する時間というのは、きっと自分を安心して解放できる大切なひとときでもあったんですね。
ちなみに、7歳のクリスマスから1日も欠かさず弾き続けた日々が奏でるアコーディオンの音色は、もう本当に素晴らしいものでした。
とはいえ、荒れまくって友達を蹴り飛ばしていた少女がアコーディオンに救われたとして、「それって美談なのか」という声も聞こえてきそうです。当時蹴られた友達にしてみれば、迷惑でしかなかったはずでしょ、と。心の葛藤を誰彼構わずぶつけた日々を受け入れてくれた学校や家庭があって、彼女は初めて生かされたのかもしれないけれど、1人の個性のために「周囲の我慢」を前提とするような考え方には、違和感を持つ人も少なくないと思います。
これに対して、興味深いアプローチをされている先生がいます。
木村泰子さん。いわゆるインクルーシブ教育を掲げる大阪市立大空小学校の初代校長先生です。
大空小学校の取り組みには非常に心を打たれるものが多々あるのですが、例えば教室の中でじっとしていられず、机をガタガタと揺らして騒ぐ子どもがいたとして、その子は何かに困っているからガタガタと机を揺らすのだと、木村さんは考えるそうです。周囲の子にとっては授業の邪魔だからと排除するのではなく、その子の「困りごと」をどうすれば取り除いてあげられるかを考える。
更には、そうして友達の困りごとに想像力を働かせるという行為こそが、周囲の子ども達を成長させるのだと、木村さんは言います。ワガママでも身勝手でもなくて、困ってるんだよと。その困りごとの背景は、時に本人も自覚していなかったり、学校以外の社会や家庭にrootがあったりして、周囲の人間には理解しづらいからこそ、想像力が大切なんだよと。
そんな学校で育った子ども達は、その子のガタガタが始まると、皆がさっと机を離して距離を取るんだそうです。それに対して、木村先生が「そんなふうにして距離を取ってその子から離れたら、かわいそうじゃないの?」と問いかけると、子ども達は即座にこう切り返してきたといいます。
「先生、全然分かってないな。アイツ、困ってんねん。困って暴れてモノ投げて、それが俺らに当たって誰かが怪我でもしたら、アイツ、余計に困るやろ。だから、離れてやらなあかんねん。」
なんか仕事と全く関係ない話になってしまいましたが、最近そんなことばかり考えています。
優しさというのは、結局何なのかなとか。好きなことに思い切りチャレンジして、自分の意思を全力で表現するのがワガママだとしたら、ワガママのない社会って面白いのかなとか。
もう2019年も8月に入って、いよいよ本格的に夏休みシーズンですが、心身はゆっくり休めながら、個人的にはこのあたりが夏休みの宿題になりそうです。会社組織であっても、やっぱり優しさがベースにあってほしいなと思いますしね。
ー チャラン・ポ・ランタン『最高』(アルバム『ドロン・ド・ロンド』収録)
初めてチャラン・ポ・ランタンの曲を聴いたのは、ほんの2ヶ月ほど前のことです。子どもが通っている小学校のチャリティーコンサート。小さな体育館でのライブという、ある意味で特別感に包まれた感じで。
素晴らしく伸びやかな歌声の妹/ももと、アコーディオン弾きの姉/小春による姉妹ユニットで、非常に独特な世界観で幅広く活動されている、ということも2ヶ月前までは全く知りませんでした。
皆さんは、聴いたことがありますか。
ライブなので合間にMCがあるのですが、なかなか激しい幼少期だったそうで、子ども達に冗談めかして話してくれた自分たちの小学生時代の思い出が、まあワイルドなんです。特にアコーディオンを担当する姉の小春さんは、子どもの頃はとにかく「先に足が出るタイプ」で、学校の友達を毎日のように蹴り飛ばして、学校の先生たちにも悪態ばかりついていたそうです。当時、小春さんの最初の担任だったのが今の校長先生なのですが、カガセン(香川先生)の愛称で誰からも愛されているような優しい先生で、小春さんも言ってました。「カガセン、正直大変だったでしょ」って(笑)。
ただ、彼女には救いがありました。
小学校1年生の頃、親に連れられて見に行ったサーカスで初めて目にした蛇腹の楽器に魅了された小春さんは、お母さんにお願いしたそうです。「あの楽器が欲しい」って。
そして、その年のクリスマス。憧れのアコーディオンは、本当に彼女の元に届きます。
「7歳のクリスマスにサンタさんが(アコーディオンを)届けてくれて、その日から今日まで、本当に毎日弾いてます。」
トークタイムにそう語っていたのが、ものすごく印象的でした。本当に好きなことに、心の向くまま思い切り没頭する時間というのは、きっと自分を安心して解放できる大切なひとときでもあったんですね。
ちなみに、7歳のクリスマスから1日も欠かさず弾き続けた日々が奏でるアコーディオンの音色は、もう本当に素晴らしいものでした。
とはいえ、荒れまくって友達を蹴り飛ばしていた少女がアコーディオンに救われたとして、「それって美談なのか」という声も聞こえてきそうです。当時蹴られた友達にしてみれば、迷惑でしかなかったはずでしょ、と。心の葛藤を誰彼構わずぶつけた日々を受け入れてくれた学校や家庭があって、彼女は初めて生かされたのかもしれないけれど、1人の個性のために「周囲の我慢」を前提とするような考え方には、違和感を持つ人も少なくないと思います。
これに対して、興味深いアプローチをされている先生がいます。
木村泰子さん。いわゆるインクルーシブ教育を掲げる大阪市立大空小学校の初代校長先生です。
大空小学校の取り組みには非常に心を打たれるものが多々あるのですが、例えば教室の中でじっとしていられず、机をガタガタと揺らして騒ぐ子どもがいたとして、その子は何かに困っているからガタガタと机を揺らすのだと、木村さんは考えるそうです。周囲の子にとっては授業の邪魔だからと排除するのではなく、その子の「困りごと」をどうすれば取り除いてあげられるかを考える。
更には、そうして友達の困りごとに想像力を働かせるという行為こそが、周囲の子ども達を成長させるのだと、木村さんは言います。ワガママでも身勝手でもなくて、困ってるんだよと。その困りごとの背景は、時に本人も自覚していなかったり、学校以外の社会や家庭にrootがあったりして、周囲の人間には理解しづらいからこそ、想像力が大切なんだよと。
そんな学校で育った子ども達は、その子のガタガタが始まると、皆がさっと机を離して距離を取るんだそうです。それに対して、木村先生が「そんなふうにして距離を取ってその子から離れたら、かわいそうじゃないの?」と問いかけると、子ども達は即座にこう切り返してきたといいます。
「先生、全然分かってないな。アイツ、困ってんねん。困って暴れてモノ投げて、それが俺らに当たって誰かが怪我でもしたら、アイツ、余計に困るやろ。だから、離れてやらなあかんねん。」
なんか仕事と全く関係ない話になってしまいましたが、最近そんなことばかり考えています。
優しさというのは、結局何なのかなとか。好きなことに思い切りチャレンジして、自分の意思を全力で表現するのがワガママだとしたら、ワガママのない社会って面白いのかなとか。
もう2019年も8月に入って、いよいよ本格的に夏休みシーズンですが、心身はゆっくり休めながら、個人的にはこのあたりが夏休みの宿題になりそうです。会社組織であっても、やっぱり優しさがベースにあってほしいなと思いますしね。
Thursday, July 25, 2019
Challenge
「みんな笑ってるけど、普段の練習ではそこまでやってないだけやで」
周囲で見学していたメンバーから失笑が漏れた瞬間、大西さんが発した言葉の中に、東大ラグビー部が本当の意味で気づかなければいけない本質的な課題の1つが凝縮されていた。そして、俺自身も痛感させられた。このチームにヘッドコーチとして携わることの意味を、あの一言で改めて突きつけられたのだと。
俺が社会人ラグビーで挑戦していた頃のヘッドコーチだった大西一平さん。
この日は朝から駒場まで足を運んでくれて、一通りチームの練習が終わった後で、いくつかの練習をセッション形式で行っていただいたのだけれど、その1つがセッター/ランナーのコンビネーションでDFを突破する練習だった。といっても構成自体は極めてシンプルで、ボールキャリアーが2人のDFプレーヤーの間のスペースに接近する。相手がゲートを埋めてきた瞬間、接近した状況の中でペネトレーターにパスを放る。要するに、オーソドックスな接近プレーのベーシックだ。パスで抜くには接近する。その際の接近の仕方や間合いの取り方には色々なスタイルはあるにせよ、「DFラインにどこまで接近できるか」がラインブレイクの成否を分けるのは、時代を問わず変わらない。そして、接近を単純なクラッシュにせず、接近しながらも判断とプレーオプションをキープする。これが鉄則だ。
大西さんの指示の下、このシンプルなドリルを実際にやってみる。4つのDFユニットを用意して、1つずつ連続で破っていくのだけれど、パスが1つも繋がらない。キャッチミスの前に、パスがランナーに渡らないシーンが続く。その時、周囲からそれとなく漏れた失笑を、大西さんは決して見逃すことなく、メンバーのマインドを本質に引き戻した。
あの瞬間、選手たちは何を感じただろうか。その時の自分の心の動きを正確に再現して、振り返ってみることは、きっと大きな意義があるはずだ。なぜなら、多くの場合、目に見える形で具体的に表現される人間の言動の奥底には、もっと繊細な心の働きや揺れ動きがあり、そういう自分自身の心の反応に自覚的でない限り、本当の意味で自分を変えていくのは難しいからだ。
シチュエーション自体には、伏線になる要素が複数存在していたのも事実だ。
例えば、計画外の練習だった。あるいは、多少なりともコンタクトの側面が入ってくることを事前に聞かされていなかった。 こういう部分は、往々にして心の動きを左右する。思わぬ瞬間に、突かれたくない部分を見逃さない鋭い言葉が飛んできて、ハッとした瞬間、心が揺れる。「いや、聞いてなかったんですけど」みたいな、例えばそういう感じで。あの時、グラウンドでそう感じていた選手がいたかどうかは分からないが、一般論として、こういう心の反応というのは、はっきり言ってしまえばどこにでもある。でも、そういう「自分に対する小さな言い訳」に対して自覚的であろうと努める人間は、極めて少ない。人間というのは、それほど強い生き物ではないからだ。
本当の意味でラグビーというゲームに必要なスキルを獲得するために、必要なチャレンジとは何なのか。今やっている練習は、練習のための練習になっていないか。今できることをベースに考えるのではなく、すべきことをベースに構成できているか。よくラグビーの世界で言われる「チャレンジした結果としてのミス」を重ねていると胸を張って言い切れるだけのチャレンジを、日々の練習の中で続けられているか。
そういう本質的な問いかけが、あの言葉だったのだと、俺は捉えている。そして 、同時にそれは俺自身に与えられた宿題でもある。本気のチャレンジに魅力を感じて駒場のグラウンドに足を運び続けているという意味では、選手/スタッフだけでなく、俺自身も同じだからだ。そのことを決して忘れずに、自戒の念を込めて。
でも、すべきことは変わらない。突き進むだけだ。
周囲で見学していたメンバーから失笑が漏れた瞬間、大西さんが発した言葉の中に、東大ラグビー部が本当の意味で気づかなければいけない本質的な課題の1つが凝縮されていた。そして、俺自身も痛感させられた。このチームにヘッドコーチとして携わることの意味を、あの一言で改めて突きつけられたのだと。
俺が社会人ラグビーで挑戦していた頃のヘッドコーチだった大西一平さん。
この日は朝から駒場まで足を運んでくれて、一通りチームの練習が終わった後で、いくつかの練習をセッション形式で行っていただいたのだけれど、その1つがセッター/ランナーのコンビネーションでDFを突破する練習だった。といっても構成自体は極めてシンプルで、ボールキャリアーが2人のDFプレーヤーの間のスペースに接近する。相手がゲートを埋めてきた瞬間、接近した状況の中でペネトレーターにパスを放る。要するに、オーソドックスな接近プレーのベーシックだ。パスで抜くには接近する。その際の接近の仕方や間合いの取り方には色々なスタイルはあるにせよ、「DFラインにどこまで接近できるか」がラインブレイクの成否を分けるのは、時代を問わず変わらない。そして、接近を単純なクラッシュにせず、接近しながらも判断とプレーオプションをキープする。これが鉄則だ。
大西さんの指示の下、このシンプルなドリルを実際にやってみる。4つのDFユニットを用意して、1つずつ連続で破っていくのだけれど、パスが1つも繋がらない。キャッチミスの前に、パスがランナーに渡らないシーンが続く。その時、周囲からそれとなく漏れた失笑を、大西さんは決して見逃すことなく、メンバーのマインドを本質に引き戻した。
あの瞬間、選手たちは何を感じただろうか。その時の自分の心の動きを正確に再現して、振り返ってみることは、きっと大きな意義があるはずだ。なぜなら、多くの場合、目に見える形で具体的に表現される人間の言動の奥底には、もっと繊細な心の働きや揺れ動きがあり、そういう自分自身の心の反応に自覚的でない限り、本当の意味で自分を変えていくのは難しいからだ。
シチュエーション自体には、伏線になる要素が複数存在していたのも事実だ。
例えば、計画外の練習だった。あるいは、多少なりともコンタクトの側面が入ってくることを事前に聞かされていなかった。 こういう部分は、往々にして心の動きを左右する。思わぬ瞬間に、突かれたくない部分を見逃さない鋭い言葉が飛んできて、ハッとした瞬間、心が揺れる。「いや、聞いてなかったんですけど」みたいな、例えばそういう感じで。あの時、グラウンドでそう感じていた選手がいたかどうかは分からないが、一般論として、こういう心の反応というのは、はっきり言ってしまえばどこにでもある。でも、そういう「自分に対する小さな言い訳」に対して自覚的であろうと努める人間は、極めて少ない。人間というのは、それほど強い生き物ではないからだ。
本当の意味でラグビーというゲームに必要なスキルを獲得するために、必要なチャレンジとは何なのか。今やっている練習は、練習のための練習になっていないか。今できることをベースに考えるのではなく、すべきことをベースに構成できているか。よくラグビーの世界で言われる「チャレンジした結果としてのミス」を重ねていると胸を張って言い切れるだけのチャレンジを、日々の練習の中で続けられているか。
そういう本質的な問いかけが、あの言葉だったのだと、俺は捉えている。そして 、同時にそれは俺自身に与えられた宿題でもある。本気のチャレンジに魅力を感じて駒場のグラウンドに足を運び続けているという意味では、選手/スタッフだけでなく、俺自身も同じだからだ。そのことを決して忘れずに、自戒の念を込めて。
でも、すべきことは変わらない。突き進むだけだ。
Friday, May 24, 2019
勝手に事業部通信 Vol.11 (5/24/19)
You are not the code you write.
(あなたが書いたコードへの批判は、あなた自身への批判ではない。)
ー プログラマーの格言
先日、ラインマネージャー研修で3時間ほどの講義と簡単なワークショップに参加してきました。
"Positive Leadership Edge"というコースで、リーダーシップ自体はコア・コンピテンシーの1つだと思うのですが、リーダーシップを具体的なアクションに落とし込む上で必要とされる指針やマインドセット、コミュニケーションにおいて意識すべき基本的なポイントなどをざっと流していくもので、率直な感想としては、比較的面白い研修でした。
この3時間のコンテンツの中で、色々なキーワードが紹介されていたのですが、その中に"5 Positive, 1 Negative"というのがあったんです。要するに、組織運営においては時に厳しいメッセージも必要であり、5:1程度のバランスでネガティブにも触れるのがリーダーシップの要諦だということですね。この研修に参加されていた複数のラインの方が「このように分かりやすく『理想のメッセージ比率』をガイドされたことはなく、非常に参考になった」といったコメントをされていました。
でも、私としては、心に多少の引っ掛かりがあるんです。
というのも、この言葉を聞いた直後の1st Impressionが頭から離れないんですよね。
"1 Negative"って、本当に必要なのか。別に"Full Positive"でいいんじゃないかなと。
人はそれぞれバックグラウンドも価値観も違うので、チームで仕事をしていれば様々なギャップが生じるもので、それ自体は自然なことだと思います。そして、単純に依拠する価値観の違いによって生じるギャップで、それ自体に優劣など存在しないといった類のものもあれば、スキルや経験の蓄積によって生じるギャップで、ある程度まで補正するのが正しいケースもあると思います。
例えば、私が大学ラグビー部のコーチをする時に、選手たち自身の胸の内に、チャレンジしてみたい戦略や戦術なんかがある程度まで浮かんでいるとします。やってみたいという思い自体を「正しいか、否か」という視点で批評することなどできないので、私が語りかける言葉は「うん、やってみようか」しかありません。プレーするのは、選手たち自身ですから。でも、やりたいことに対して、実際にやっていることや、あるいは選手が取っているアプローチが明らかに乖離してしまっていると感じれば、修正をかけていく。明らかに間違ったプレーというのも、確かに存在しますからね。
ただ、これを"Negative"にする必要はあるのでしょうか。
ライン/非ラインなど関係なく、仕事をしていて生じるギャップへの向き合い方として、あるいはチーム・ビルディングというプロセスにおいて、ネガティブを全部まとめてポジティブに変換できないものでしょうか。子どもにオセロを教える時に、取られてしまった黒石のことではなく、どこに白石を置いてあげれば色が反転するかを伝えるのと同じように。
いつもラグビーの話になってしまって、自分の抽斗の少なさに我ながら呆れてしまうのですが、ラグビーのコーチングにおいては、ボールをよく落とす特定の選手に対して「落とすな」とも「ボールを落としすぎだ」とも言いません。少なくとも、私は言わないようにしています。理由は単純で、本人が一番分かっているからです。(チーム全体に対しては、ムードを引き締めるために伝えることはあります。)
そうではなくて、「ハンズアップして構えておくと、キャッチ率が上がるよ」に変えていく。あるいは「ランニングはいいから、あれが取れるようになると相手には脅威だね」にしていくんです。
私の中では勝手に「可能性トーク」と命名しているのですが、要するに「今、目の前にある課題」をそのまま語るのではなく、「それがちょっとでもプラスに改善した時に見えてくるはずの明日」を語るようにしたいなと。まあ、こんなふうに書いておきながら、実際の自分はそうやって生きられない瞬間の連続だったりもして、いつになったら人として成熟できるのかなあと途方に暮れる毎日ですけど。
チームで活動していて、お互いが本気になれば、厳しい指摘が飛んできたり、時に激しいぶつかり合いになったりというのも普通のことです。馴れ合いで仕事するのはプロフェッショナルではないと思います。でも、一通り厳しさと本音の衝突があった次の瞬間に、オセロの黒石を反転させるような言葉が自然と続いていくような組織の方が、やっぱりいいんじゃないかなという気がします。なにより、その方が心地よいですしね。
大型連休で溜まっていた業務の波が押し寄せてきて、誰もが疲労を溜め込んでいる頃かなと思いますが、週末はゆっくりリフレッシュして、この1週間に生じたあらゆるコミュニケーションを振り返りながら、本当は打てたかもしれない「起死回生の一手」を探してみるのも面白いかな、なんて個人的には考えています。良い一手には、たった1つの石だけで盤面を埋めていた黒石を一気に白くしてしまうパワーがある訳ですから。
残念ながら、オセロの名手には到底なれませんけど。
(あなたが書いたコードへの批判は、あなた自身への批判ではない。)
ー プログラマーの格言
先日、ラインマネージャー研修で3時間ほどの講義と簡単なワークショップに参加してきました。
"Positive Leadership Edge"というコースで、リーダーシップ自体はコア・コンピテンシーの1つだと思うのですが、リーダーシップを具体的なアクションに落とし込む上で必要とされる指針やマインドセット、コミュニケーションにおいて意識すべき基本的なポイントなどをざっと流していくもので、率直な感想としては、比較的面白い研修でした。
この3時間のコンテンツの中で、色々なキーワードが紹介されていたのですが、その中に"5 Positive, 1 Negative"というのがあったんです。要するに、組織運営においては時に厳しいメッセージも必要であり、5:1程度のバランスでネガティブにも触れるのがリーダーシップの要諦だということですね。この研修に参加されていた複数のラインの方が「このように分かりやすく『理想のメッセージ比率』をガイドされたことはなく、非常に参考になった」といったコメントをされていました。
でも、私としては、心に多少の引っ掛かりがあるんです。
というのも、この言葉を聞いた直後の1st Impressionが頭から離れないんですよね。
"1 Negative"って、本当に必要なのか。別に"Full Positive"でいいんじゃないかなと。
人はそれぞれバックグラウンドも価値観も違うので、チームで仕事をしていれば様々なギャップが生じるもので、それ自体は自然なことだと思います。そして、単純に依拠する価値観の違いによって生じるギャップで、それ自体に優劣など存在しないといった類のものもあれば、スキルや経験の蓄積によって生じるギャップで、ある程度まで補正するのが正しいケースもあると思います。
例えば、私が大学ラグビー部のコーチをする時に、選手たち自身の胸の内に、チャレンジしてみたい戦略や戦術なんかがある程度まで浮かんでいるとします。やってみたいという思い自体を「正しいか、否か」という視点で批評することなどできないので、私が語りかける言葉は「うん、やってみようか」しかありません。プレーするのは、選手たち自身ですから。でも、やりたいことに対して、実際にやっていることや、あるいは選手が取っているアプローチが明らかに乖離してしまっていると感じれば、修正をかけていく。明らかに間違ったプレーというのも、確かに存在しますからね。
ただ、これを"Negative"にする必要はあるのでしょうか。
ライン/非ラインなど関係なく、仕事をしていて生じるギャップへの向き合い方として、あるいはチーム・ビルディングというプロセスにおいて、ネガティブを全部まとめてポジティブに変換できないものでしょうか。子どもにオセロを教える時に、取られてしまった黒石のことではなく、どこに白石を置いてあげれば色が反転するかを伝えるのと同じように。
いつもラグビーの話になってしまって、自分の抽斗の少なさに我ながら呆れてしまうのですが、ラグビーのコーチングにおいては、ボールをよく落とす特定の選手に対して「落とすな」とも「ボールを落としすぎだ」とも言いません。少なくとも、私は言わないようにしています。理由は単純で、本人が一番分かっているからです。(チーム全体に対しては、ムードを引き締めるために伝えることはあります。)
そうではなくて、「ハンズアップして構えておくと、キャッチ率が上がるよ」に変えていく。あるいは「ランニングはいいから、あれが取れるようになると相手には脅威だね」にしていくんです。
私の中では勝手に「可能性トーク」と命名しているのですが、要するに「今、目の前にある課題」をそのまま語るのではなく、「それがちょっとでもプラスに改善した時に見えてくるはずの明日」を語るようにしたいなと。まあ、こんなふうに書いておきながら、実際の自分はそうやって生きられない瞬間の連続だったりもして、いつになったら人として成熟できるのかなあと途方に暮れる毎日ですけど。
チームで活動していて、お互いが本気になれば、厳しい指摘が飛んできたり、時に激しいぶつかり合いになったりというのも普通のことです。馴れ合いで仕事するのはプロフェッショナルではないと思います。でも、一通り厳しさと本音の衝突があった次の瞬間に、オセロの黒石を反転させるような言葉が自然と続いていくような組織の方が、やっぱりいいんじゃないかなという気がします。なにより、その方が心地よいですしね。
大型連休で溜まっていた業務の波が押し寄せてきて、誰もが疲労を溜め込んでいる頃かなと思いますが、週末はゆっくりリフレッシュして、この1週間に生じたあらゆるコミュニケーションを振り返りながら、本当は打てたかもしれない「起死回生の一手」を探してみるのも面白いかな、なんて個人的には考えています。良い一手には、たった1つの石だけで盤面を埋めていた黒石を一気に白くしてしまうパワーがある訳ですから。
残念ながら、オセロの名手には到底なれませんけど。
Friday, April 05, 2019
勝手に事業部通信 Vol.10 (4/5/19)
早く着きたいなら1人で行きなさい。遠くまで行きたいなら、みんなで行きなさい。
ー アフリカの諺
慌ただしかった1Qもあっという間に終わり、もう4月。新元号も発表されて、日本全体がフレッシュな心で新たな日常へと向かっていく中で、もはやタイムリーな話ではないのですが、遡ること2週間ほど前の3月下旬、6歳になるうちの子が幼稚園を卒園したんです。もちろん休暇を取って卒園式に参加したのですが、なかなか楽しい幼稚園で、子ども達からの歌の発表があったり、保護者と先生方で一緒に作り上げた劇があったりとコンテンツの充実度は驚きのレベルでした。
ただ、個人的に心に沁みたのは、式次第を一通り終えて、子ども達が自分の教室に戻ってから、担任の先生がプレゼントしてくれた「最後の読み聞かせ」だったんですよね。
『そらのいろって』(ピーター・レイノルズ作画、なかがわちひろ訳)という絵本、皆さんはご存知ですか。クラスのみんなで図書館の壁に絵を描くことになって、どうしても「空を描きたい」と思ったマリソルが絵の具箱を見ると、青がなかったというお話です。
良質の絵本を教訓で読んでしまったら本当につまらないのですが、空の色はもっと自由に見てもいいんだよ、というのが当然ながらよく語られるメッセージで。
でも、本当にいいなと思うのは、その後なんですよね。
「マリソルは絵の具を筆でかきまぜて、全く新しい色を作った。」という一節が、もう本当に堪らない。思わず感じ入ってしまった私は、「いつか書かなければ」と勝手に思っていました。
自由に考えよう。固定観念に囚われず、大胆に発想しよう。
どことなく閉塞感がないとも言えない時代にあって、テクノロジーに求められるものも堅牢性と信頼性から変革/改革 (Disruption / Transformation) へとシフトする中で、こういうメッセージが声高に語られることが増えてきています。IBMらしい言葉だと、"Think Big, Think Bold" といった感じですよね。
でも、自由に考えればいいと言われても、どこから考えればいいか分からない。固定観念を捨てようと言われても、どこまでが固定観念でどこから社会常識なのか、実は自分自身でもよく分かっていない。
それが人間だったりするんじゃないかと思うこと、ないでしょうか。斬新なアイデアとか、誰も思いつかなかったようなコンセプトとか、そんなの近くに転がってないよって。
もっと身近なところでも、日常の営業活動や1つひとつのご提案、Account Planningのような場面を思い返してみても、「自由な発想で」なんて言われることの方がむしろ重荷だったりすることも、あったりなかったりで。
なんて、どのみち行き場のない思いだと分かっていながら、とりとめもなくそんなことを考えている金曜日の夜に、もしかするとあの絵本はヒントをくれるのかなと思ったりもするんです。
新しい色を作るには、かきまぜてみるのがいいのかなと。
自分の色は変わってなくても、出来上がりの色は新しい色になっている訳ですから。
1人で考えていたら、誰にブレーキを踏まれることもなくどこか自由なように感じるけれど、本当は他者の意見や性格、こだわりや執着のような一見すると「制約」に見えてしまうものをブレンドした方が、アウトプットはむしろ自由なのかなと。
これだけ多様なメンバーが揃ったチームなので、週明けからもまた続いていく日常業務の至る場面で「混ざる機会」は溢れているのだと思います。そう言いながら、私自身さほど社交的でもなくて、無駄に気を使って声をかけられないとかも(一応)あったりで、何かを大上段から言える訳でも、言うつもりもないのですが、いつもよりもう一歩だけ、自分から混ざってみたり、小さな瞬間にメールではなくて電話で声のやり取りをしたり、そんなところからも「チーム全体の発想力」は少しずつ変わっていくのかもしれないですよね。
4月。新たな仲間として、新入社員の内田さんも事業部メンバーに加わってくれたので、皆でやり取りをして、混ざっていけるといいかなと思います。
絵の具箱に今までなかった色が、1つ増えたのですから。
ー アフリカの諺
慌ただしかった1Qもあっという間に終わり、もう4月。新元号も発表されて、日本全体がフレッシュな心で新たな日常へと向かっていく中で、もはやタイムリーな話ではないのですが、遡ること2週間ほど前の3月下旬、6歳になるうちの子が幼稚園を卒園したんです。もちろん休暇を取って卒園式に参加したのですが、なかなか楽しい幼稚園で、子ども達からの歌の発表があったり、保護者と先生方で一緒に作り上げた劇があったりとコンテンツの充実度は驚きのレベルでした。
ただ、個人的に心に沁みたのは、式次第を一通り終えて、子ども達が自分の教室に戻ってから、担任の先生がプレゼントしてくれた「最後の読み聞かせ」だったんですよね。
『そらのいろって』(ピーター・レイノルズ作画、なかがわちひろ訳)という絵本、皆さんはご存知ですか。クラスのみんなで図書館の壁に絵を描くことになって、どうしても「空を描きたい」と思ったマリソルが絵の具箱を見ると、青がなかったというお話です。
良質の絵本を教訓で読んでしまったら本当につまらないのですが、空の色はもっと自由に見てもいいんだよ、というのが当然ながらよく語られるメッセージで。
でも、本当にいいなと思うのは、その後なんですよね。
「マリソルは絵の具を筆でかきまぜて、全く新しい色を作った。」という一節が、もう本当に堪らない。思わず感じ入ってしまった私は、「いつか書かなければ」と勝手に思っていました。
自由に考えよう。固定観念に囚われず、大胆に発想しよう。
どことなく閉塞感がないとも言えない時代にあって、テクノロジーに求められるものも堅牢性と信頼性から変革/改革 (Disruption / Transformation) へとシフトする中で、こういうメッセージが声高に語られることが増えてきています。IBMらしい言葉だと、"Think Big, Think Bold" といった感じですよね。
でも、自由に考えればいいと言われても、どこから考えればいいか分からない。固定観念を捨てようと言われても、どこまでが固定観念でどこから社会常識なのか、実は自分自身でもよく分かっていない。
それが人間だったりするんじゃないかと思うこと、ないでしょうか。斬新なアイデアとか、誰も思いつかなかったようなコンセプトとか、そんなの近くに転がってないよって。
もっと身近なところでも、日常の営業活動や1つひとつのご提案、Account Planningのような場面を思い返してみても、「自由な発想で」なんて言われることの方がむしろ重荷だったりすることも、あったりなかったりで。
なんて、どのみち行き場のない思いだと分かっていながら、とりとめもなくそんなことを考えている金曜日の夜に、もしかするとあの絵本はヒントをくれるのかなと思ったりもするんです。
新しい色を作るには、かきまぜてみるのがいいのかなと。
自分の色は変わってなくても、出来上がりの色は新しい色になっている訳ですから。
1人で考えていたら、誰にブレーキを踏まれることもなくどこか自由なように感じるけれど、本当は他者の意見や性格、こだわりや執着のような一見すると「制約」に見えてしまうものをブレンドした方が、アウトプットはむしろ自由なのかなと。
これだけ多様なメンバーが揃ったチームなので、週明けからもまた続いていく日常業務の至る場面で「混ざる機会」は溢れているのだと思います。そう言いながら、私自身さほど社交的でもなくて、無駄に気を使って声をかけられないとかも(一応)あったりで、何かを大上段から言える訳でも、言うつもりもないのですが、いつもよりもう一歩だけ、自分から混ざってみたり、小さな瞬間にメールではなくて電話で声のやり取りをしたり、そんなところからも「チーム全体の発想力」は少しずつ変わっていくのかもしれないですよね。
4月。新たな仲間として、新入社員の内田さんも事業部メンバーに加わってくれたので、皆でやり取りをして、混ざっていけるといいかなと思います。
絵の具箱に今までなかった色が、1つ増えたのですから。
Saturday, February 09, 2019
勝手に事業部通信 Vol.9 (2/9/19)
成功は必ずしも約束されていないが、成長は必ず約束されている。
ー アルベルト・ザッケローニ(サッカー監督、1953-)
「そういえば、ブロックチェーンって最近あまり聞かないね。」
日頃からビジネスの現場でお客様と向き合って次世代のITを提案し続けている私たちでさえ、ふとそんな雑感を抱くことはあるのではないでしょうか。
私自身はデジタル部という立場上、ブロックチェーン関連の案件であったり、あるいは案件のタネのようなものに今でも複数携わっていますが、革命的なテクノロジーとしてIT業界全体が一斉に乗り出したブロックチェーンが、リアルなお客様の業務変革へと繋がった事例となると、今もって殆ど思い当たらないという人が大半ではないかと思います。
Cognitive/AIも、残念ながらこれと同じような構造に陥っている印象は否めないのかもしれません。「新たなユースケース、あるんですか」といった呟き声が、どこからか聞こえてきそうです。
でも一方で、エストニアのような事例もあります。
バルト三国の1つで、人口わずか134万人という北欧の小国ですが、世界で最もブロックチェーン・フレンドリーな国家としてその名を轟かせているIT先進国でもあります。
エストニアといえば電子政府(e-Goverment, e-Estonia)が有名で、行政サービスの実に99%が24/365で稼働するオンラインシステムで完結するといいます。
(ちなみにオンラインで処理できない手続きは結婚/離婚/不動産売却の3つのみで、これらに対応していない理由は「人生の一大事を早まってはいけないから」とのこと。人間的ですよね。)
これを可能にする仕組みの1つが国民IDです。すべての国民に11桁のID番号が付与され、このIDをキーとしてあらゆる行政サービス、更には民間サービスも繋がっていくのですが、エストニアでは赤ちゃんが産まれると病院がオンラインシステムで国民登録手続きを申請し、生後10分でその子に紐づくID番号が生成されます。そして、この国民IDをベースにしながら、様々な官民の分散データベースをセキュアに連携させるプラットフォームとして開発された"X-Road"を導入することで、出生に限らず選挙から納税に至るまでのあらゆる手続き、あるいは学校でのテスト記録やあらゆる医療情報の参照、更には民間銀行のオンラインバンキングとの連携まで、この国民IDのみで可能な世界が実現されています。
ここまで来ると、今度は情報セキュリティが気になりますよね。国民IDに紐づけられたあらゆるパーソナルデータは、本当にセキュアに管理されるのかと。ここで登場するのが2007年に設立されたGuardtime社という民間企業が開発した「KSI (Keyless Signature Infrastructure)ブロックチェーン」と呼ばれるテクノロジーです。実はエストニアは、2007年に大規模なサイバーアタックを浴びて多くのサービスが機能不全に陥ったことがあり、これを契機としてKSIが導入されると共に、国家レベルでのブロックチェーン採用の動きが加速していくんです。
エストニアの話は非常に面白くて、詳しくはここ最近読んだ久々のお勧め本『ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけたつまらなくない未来』(小島健志 著、孫泰蔵 監修、 ダイヤモンド社)を読んでみてほしいのですが、要するに、「もう未来ではなくなっている場所」も実際に存在するんです。
「ブロックチェーンもAIも、まだどこまで行っても眉唾だ」というのも、1つのポジショニングではあると思います。もっと言ってしまえば、こういう先進テクロノジーに限らずとも、IBMとして実績の裏付けが十分に蓄積されていない最新ソリューションやミドルウェア、最近ではAWSやOpenShift、Containarizationからマイクロサービスに至るまで、先端技術と呼ばれるものの多くが、どこか同じようなコンテクストのもとで、多少斜めに見られることも少なくないですよね。そして、そういう冷静かつリアリスティックな視座というのは、私たちにとって間違いなく必要なものでもあると思います。バズワードに踊るのは、お客様をバスワードで踊らせてしまうことでもありますので。
でも、BAUから解放されてリラックスできる週末の昼下がりなどは、そういうクールな視点を一旦頭の片隅に追いやって、例えばビル・ゲイツのこんな言葉に耳を傾けてみてもいいのかもしれません。
「人類史上の進歩のほとんどは、不可能を受け入れなかった人々によって達成された」
ザックが成長を約束している人間というのは、どういう人だと思いますか。
そう問われることがあれば、私なら迷わずこう答えます。
不可能を受け入れないという選択から目を逸らさなかった人なのかもしれないですね、と。
でも本当は、そこまで大袈裟な話でなくても、新しいチャレンジに向き合って、結果的に成功ばかりではなかったり、トラブルに苦しんだりすることも少なかったりしたとして、そこから目を背けないというだけで、きっと成長は約束されているような気がします。
そして、苦しみの渦中にいる人にとって「成長の約束」だけで心が洗われる訳でもないのかもしれないけれど、それでもきっと未来には繋がっていると思います。
ー アルベルト・ザッケローニ(サッカー監督、1953-)
「そういえば、ブロックチェーンって最近あまり聞かないね。」
日頃からビジネスの現場でお客様と向き合って次世代のITを提案し続けている私たちでさえ、ふとそんな雑感を抱くことはあるのではないでしょうか。
私自身はデジタル部という立場上、ブロックチェーン関連の案件であったり、あるいは案件のタネのようなものに今でも複数携わっていますが、革命的なテクノロジーとしてIT業界全体が一斉に乗り出したブロックチェーンが、リアルなお客様の業務変革へと繋がった事例となると、今もって殆ど思い当たらないという人が大半ではないかと思います。
Cognitive/AIも、残念ながらこれと同じような構造に陥っている印象は否めないのかもしれません。「新たなユースケース、あるんですか」といった呟き声が、どこからか聞こえてきそうです。
でも一方で、エストニアのような事例もあります。
バルト三国の1つで、人口わずか134万人という北欧の小国ですが、世界で最もブロックチェーン・フレンドリーな国家としてその名を轟かせているIT先進国でもあります。
エストニアといえば電子政府(e-Goverment, e-Estonia)が有名で、行政サービスの実に99%が24/365で稼働するオンラインシステムで完結するといいます。
(ちなみにオンラインで処理できない手続きは結婚/離婚/不動産売却の3つのみで、これらに対応していない理由は「人生の一大事を早まってはいけないから」とのこと。人間的ですよね。)
これを可能にする仕組みの1つが国民IDです。すべての国民に11桁のID番号が付与され、このIDをキーとしてあらゆる行政サービス、更には民間サービスも繋がっていくのですが、エストニアでは赤ちゃんが産まれると病院がオンラインシステムで国民登録手続きを申請し、生後10分でその子に紐づくID番号が生成されます。そして、この国民IDをベースにしながら、様々な官民の分散データベースをセキュアに連携させるプラットフォームとして開発された"X-Road"を導入することで、出生に限らず選挙から納税に至るまでのあらゆる手続き、あるいは学校でのテスト記録やあらゆる医療情報の参照、更には民間銀行のオンラインバンキングとの連携まで、この国民IDのみで可能な世界が実現されています。
ここまで来ると、今度は情報セキュリティが気になりますよね。国民IDに紐づけられたあらゆるパーソナルデータは、本当にセキュアに管理されるのかと。ここで登場するのが2007年に設立されたGuardtime社という民間企業が開発した「KSI (Keyless Signature Infrastructure)ブロックチェーン」と呼ばれるテクノロジーです。実はエストニアは、2007年に大規模なサイバーアタックを浴びて多くのサービスが機能不全に陥ったことがあり、これを契機としてKSIが導入されると共に、国家レベルでのブロックチェーン採用の動きが加速していくんです。
エストニアの話は非常に面白くて、詳しくはここ最近読んだ久々のお勧め本『ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけたつまらなくない未来』(小島健志 著、孫泰蔵 監修、 ダイヤモンド社)を読んでみてほしいのですが、要するに、「もう未来ではなくなっている場所」も実際に存在するんです。
「ブロックチェーンもAIも、まだどこまで行っても眉唾だ」というのも、1つのポジショニングではあると思います。もっと言ってしまえば、こういう先進テクロノジーに限らずとも、IBMとして実績の裏付けが十分に蓄積されていない最新ソリューションやミドルウェア、最近ではAWSやOpenShift、Containarizationからマイクロサービスに至るまで、先端技術と呼ばれるものの多くが、どこか同じようなコンテクストのもとで、多少斜めに見られることも少なくないですよね。そして、そういう冷静かつリアリスティックな視座というのは、私たちにとって間違いなく必要なものでもあると思います。バズワードに踊るのは、お客様をバスワードで踊らせてしまうことでもありますので。
でも、BAUから解放されてリラックスできる週末の昼下がりなどは、そういうクールな視点を一旦頭の片隅に追いやって、例えばビル・ゲイツのこんな言葉に耳を傾けてみてもいいのかもしれません。
「人類史上の進歩のほとんどは、不可能を受け入れなかった人々によって達成された」
ザックが成長を約束している人間というのは、どういう人だと思いますか。
そう問われることがあれば、私なら迷わずこう答えます。
不可能を受け入れないという選択から目を逸らさなかった人なのかもしれないですね、と。
でも本当は、そこまで大袈裟な話でなくても、新しいチャレンジに向き合って、結果的に成功ばかりではなかったり、トラブルに苦しんだりすることも少なかったりしたとして、そこから目を背けないというだけで、きっと成長は約束されているような気がします。
そして、苦しみの渦中にいる人にとって「成長の約束」だけで心が洗われる訳でもないのかもしれないけれど、それでもきっと未来には繋がっていると思います。
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